徳島で雑誌をつくろう そのニィ「搾取する側される側ってぇ」

公開日 2006年07月23日

従属してはいけない。
誰かにコントロールされる必要はない。
オリの中に閉じ込められても、
脳みそは自由だ。

文責=坂東良晃(タウトク編集人)

本誌タウトクやCU、さららを作っているメディコムは、社員がたいへんに若い。制服姿の高校生のアルバイトもたくさん働いているから、たまに会社に出てくると「ここは予備校か?サマーキャンプか?野戦病院か?」という状態である。デスクで堂々と化粧を直しているヤツもおれば、ワキの下に8×4をふりかけているモノもいる。過食症並みに一日中食い続けている人、脱毛の跡を見せびらかす人、心療内科から出社する人、いろいろである。
ヒマなときに社員の平均年齢を出してみたら、23・2歳だった。管理職らしき層もいるのだが、こっちも28・2歳と若い。あまりに若すぎて恐ろしくなる。

何年か前のことだけど、会社に労働組合らしきものを作ることにした。作ってはみたが、うまく機能しない。当時は社員7〜8人の会社だったので、みんな自己責任で仕事をやっている。だから、「カイシャに文句を言おうぜ」とあおってみても、まず社の事情を考えてしまったり、「文句なんか言ってるヒマあったら仕事する」という姿勢なんである。だから、組合の会議といっても、ぜんぜん話が弾まない。というか、労働組合という立場・存在について、彼らは予備知識がぜんぜんないのである。仕方がないので、ぼくがありったけの知識で労働運動について教えることにした。ぼくはいちおう経営者なので、組合に口出すのは勇み足に決まっているのだが、だって誰も「組合」ってものを知らないんだから、そうするしかない。

一番最初は、「儲けを出すとはどういうことか」からはじめた。次に黒板にマンガを描きながら「貨幣とはナニか」を伝えた。「資本家とはナニモノか」「労働者とはナニモノか」「投資とはナニか」「株式とはナニか」「資本主義とはナニか」「共産主義とはナニか」「革命とはナニか」。
だんだんエスカレートしてきた。
ま、自分でもよくわかってないことも多いので、一緒に考えたりした。あるときは資本家になりきり、利潤をあげるために、何をやったらいいか考えた。あるときは労働者になりきり、利潤をあげるために、何をさせられているかを考えた。このあたりをさらっと押さえておかないと、いきなり労働運動しようよ〜♪とはしゃいでみても、何をどうしていいかわかんないのである。70年代以降に生まれた人は、学生運動なんてやったことも見たことも読んだこともない。トロツキーといえば「虹色のトロツキー」、レーニンといえば「グッバイ、レーニン!」が限界である。

何年かたって、社員が30人くらいに増えたときに、自分で組合運動の見本を見せるために、1日労働組合委員長というのをやってみた。まず赤いハチマキを買ってきた。会議室に社員を集め、頭にハチマキを巻くように指示した。そしておもむろに、「さあシュプレヒコール!」と雄たけびをあげてみた。それから、あらかじめ用意したアジビラ・・・そこには、経営批判(つまり自分批判)を延々と書き連ねてある。
これを大胆にもカイシャのプリンタで出力してやり、社員に配った。それから、組合委員長と経営者の1人2役をやった。ま、フンイキ的には古典落語みたいな感じ。組合委員長としてのぼくは本気を出し、弱々しい経営者のぼくを打倒した。その会議では、出退勤時間を消滅させることに成功した。またコアタイムという名の拘束時間をなくさせた。
労働法では、労使を兼任することは違法であると認識している。違法を承知で、社員に「このように徹底的に経営側と交渉したらいい。遠慮なく叩き潰せばいい」という例を示そうと思った。

株主資本主義がうたわれて久しいが、ぼくは共鳴できない。会社は株主のもの。従業員や雇われ経営者は、株主利益のためにせっせと働きなさい。パフォーマンスの高い人材には1億円を、低い人間には100万円を。・・・・その先には何があるのだろうかと考える。
株主資本主義を極めたアメリカ社会は、極端な富裕層と貧困層に二分化されている。豊かさと貧困は、どこかでバランスが取られている。どこかが富めば、どこかが病む。1人の富裕者を生み出すためには、100人の労働提供者が必要であり、1国を富ませるためには、1億人の犠牲が必要である。産業を繁栄させるために、自然は破壊しなくてはならない。肉を食うために、牛を殺す必要がある。ウンコを紙でふくために、熱帯雨林を切り出す。そのような幸福と不幸のバランスのうえに世界は成り立っている。

一億総中流という「奇跡的なニッポン社会」を作ったのは、株主資本主義じゃない。現場に立ちつづけた経営者と、仕事と取っ組みあいっこしたサラリーマン・労働者が作った社会だ。
この国では、カイシャは従業員のものだったのだ。それは悪い考え方じゃない。リスクをとる人間に権限というものが与えられるとするなら、余剰のキャッシュを投じる人間よりも、時間と労働を投じる従業員の方がハイリスクである。だからカイシャは投資家、株主のものではない。従業員のものだ・・・とぼくは決めている。

現在の資本主義社会は、過渡期のものであると信じる。近代経済は、性悪的に考えれば為政者が資本を吸収するために作り上げたシステムである。アングロサクソンが作ったルールに、どんな民族も従い、いいようにコントロールされる時代は、あと100年以内に終わらせるべきである。できれば50年で終わらせたい。
ニッポンの月給20万円、カンボジアの月給2000円。国によって労働の対価がまったく違う。これは異常である。ラインワーカーの月給15万円、ホワイトカラーの月給50万円、株主には多額の配当。生産する人間が、生産価値に等しい対価を受け取れない。これも異常である。人類は、長い時間をかけて、不条理をより正しい方向へと修正しつづけてきた。だから、いずれ世界は均質化すると信じる。そのときに、現在のいきすぎた搾取の構造は必ず崩壊する。

さて、自分のようなちっぽけな存在でも、できることからはじめようと思う。労働側がパワーをもって組織運営するカイシャを作り上げてみよう。これからの労働組合は、経営側が立案したものを、赤旗立てて批判するような古臭い体質ではダメなのだ。
マネジャー以上に財務に強く、事業戦略、雇用、教育、商品開発、利益分配まで、労働者サイドが組織をコントロールするのだ。
「利益を得たい」株主による経営監視ではなく、「世の中に何かをもたらせたい」従業員による経営監視をおこなうのだ。狂った政府でもなく、腐った役人でもなく、利に餓えた資本家でもない。生産する人が絵を描く社会だ。ものを作り、流通させ、消費する。この大量の経済活動の中で、何者かが価値をネコババしてる。
ニート、フリーター、ひきこもり・・・若い労働世代は、こんなバカげたシステムに取り込まれるのではなく、はっきりと世の中の矛盾に気づき、壊していかないといけない。経済という巨大装置の仕組みを知り、価値の受給体系を逆転させるのだ。