バカロードその22 北米大陸横断レースへの道 その3 続・四国横断フットレース思案

公開日 2011年03月10日

文=坂東良晃(タウトク編集人、1967生まれ。18〜21歳の頃、日本列島徒歩縦断、アフリカ大陸徒歩横断など約1万キロを踏破。男四十にして再びバカ道を歩む、か?)

 吉野川河口から2日かけて160キロ走り高知市に着く。3日目は国道56号線を南下し79キロ先の黒潮町を目指す。早朝4時30分に高知市を発ち、15キロ走って仁淀川大橋を渡る頃に、夜明けを迎える。
 
 道幅が車道ほどもあるカラー煉瓦敷きの歩道を走る。土佐市街を迂回するバイパス道とともに敷設されたものだ。こんな人家のない場所になぜ立派な歩道が必要なのか、なんて健全納税者的な疑念がよぎる。財政破綻寸前の国と地方に無駄なもんを造りつづけるお上と民よ。あー、統一地方選なんて近づいてるけど、また税を蝕む市町会議員に県会議員どもを選挙で選ばなくちゃなんないのかね。地方議員なんてスイスやフランス、北欧みたいに無償ボランティアでいいんだ。少なくとも市民運動出身者は報酬受け取りを拒否しなくちゃいけないし、最低でも期末手当という名のボーナスなんて受け取るべきじゃない。日本じゃ地方議員に4000億円も報酬払ってる。人口3倍、国土面積24倍のアメリカ合衆国は1000億円程度なのにね。
 なんて走りながら義憤に駆られ、地域社会とか国とか人類のことを憂いだりしているが、大したことはない。その場限りの無責任思考である。ヒマに任せて、おっさんたちのサウナ談義をひとりでやってるようなもんだ。
 高知県内の街道沿いにはお弁当屋さんが多い。全国チェーン店ではなく地元の店だ。特徴的なのは店内で飲食できるシステム。売り場カウンターの手前にテーブルとイスが置かれ、早朝からお客さんが弁当を食している。
 たった今包んでもらった弁当を、その場で解いてすぐ食べるのなら、お弁当でなくてもいい気がする。だけど、のり弁280円でサクッと食事できるのは悪くない。唐揚げ弁当なんぞ、揚げたてを一瞬の間も置かず熱々を口にできるのは嬉しい。そういやあ昔、羽ノ浦にもこんなタイプのイートイン弁当屋があったっけか・・・。
 昨日までは、北米横断レースの攻略法など考えながら走っていたが、まあ実際やってみないとよくわからんよな、という結論に達してしまった。見るべき景観もない人工林の山道をひたすら走っていると、考えるべき事案も乏しくなる。
 仕方なく弁当屋のビジネスの原価計算をしたり、ビートルズのホワイト・アルバムを最初から最後まで歌おうとしてレボリューション9あたりでうんざりしたり、加速度的に膨張する宇宙空間とダークエネルギーとダークマターと量子論について持論を展開したり、金城一紀のゾンビーズ3部作をわが手で映画化するなら配役をどうすべきか悩んだりする。そのようにひたすら冗長な空想を繰り返し時間をつぶす。ヒマだ、脳がヒマだ。スティーブン・ホーキング博士のように肉体の大半が活動停止しても、思考だけは猛スピードで疾駆つづける人物はカッコいいわけだが、ぼくは対極にあるようだ。
 はたと気づく。北米横断の最大の敵はこの思考の空白地帯ではないのか。コースの大半は、赤茶けた岩石と砂漠の荒野。店も街もない無人地帯と聞く。その何もなさ加減は高知の山道の比ではない。無人のハイウェイを5000キロ、ハーレーダビッドソンで横断するのはカッコいいが、ぼくはトボトボ交互に足を前に出すだけ。脳みそはその退屈に耐えられるだろうか。
 高知市から37キロで須崎市の繁華街へ。JR土讃線の大間駅に隣接した公衆トイレ・大に入る。しゃがんで用を足す和式だが、その佇まいが尋常ではない。便器は陶器製ではなくて銀色に輝くステンレス、底部の構造は一般的なU字型とは違い、四角い箱型の武骨なもの。ホワイトベースのカタパルトにて発進準備するガンダムな気分だ。高知県に入り同様のトイレに遭遇したのは2度目。これは高知独特のトイレット文化なのだろうか。美術館の展示スペースのようなステンレスの箱にウンチをポロリ落とすと、わが排泄物が文化財のような威厳を放って見えた。
 須崎市の道の駅「かわうその里すさき」でひと休みし、坂道をぐんぐん登れば碧い太平洋を眼下にする。土佐久礼から6キロ続く急勾配の七子坂を標高300メートルぶん登り、七子峠の頂上へ。四万十町と名称を変えた旧窪川市街で日が暮れる。
 66キロ走り、今宵の宿泊所「佐賀温泉・こぶしのさと」まで残り13キロ。夕食のラストオーダーの時間が迫っている。キロ6分ペースで走ってギリ間にあう。ヘアピンカーブが連続する街灯のない真っ暗な峠道を、呼吸は限界アヘアヘ、アゴの先から汗をだくだく滴らせて急ぐ。脚を使いすぎて、明日にダメージを残さないか心配。しかし夜中にさ、いったい何やってんだろね。
 夜8時すぎに宿に到着。元々温泉のあったこの地に昨年オープンしたばかりの「こぶしのさと」は和洋折衷のモダンな建築とインテリアが冴えている。汗まみれの衣類を洗濯機に放り込み、熱い天然温泉が満たされた浴槽にダイブし、頭まで浸かること所要3分。風呂上がりの余韻を愉しむ暇もなく、びしょ濡れ厭わずレストランにダッシュ。
 広々したレストランに客はぼく1人。遅くなったことを詫びるとスタッフの方々は嫌な顔ひとつせず「ごゆっくりお召し上がりください」と微笑む。そんな優しさに甘えてはならんと、一刻も早く食事を終えるべく、脱兎の如く口中に料理を詰め込み咀嚼。喉につかえてむせ返り、ごはん粒を空に飛ばす。山宿ながら地魚の造りは新鮮そのもの、揚げたてのサクサク天麩羅が胃に沁みる。ぼくの到着を待って調理してくれたのだ。
 食後に改めて露天風呂やサウナのある温泉へ。広い浴場を1人で独占する愉悦に意識が遠のく。1泊夕食付き8000円、この旅いちばんの贅沢宿であったが値段以上の価値あり。ふかふか布団と木の香りに包まれた部屋でいつまでも惰眠を貪れたら幸せなのだが、朝4時に出発しなけりゃならないのが悲しい。
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 午前4時、行動再開。超長距離ランニング中は2時間も眠ればスッキリするのが不思議だ。これ以上眠るとダメージで起き上がれなくなるって防衛本能から目が覚めるんだと思う。
 気温はマイナス2度、吐く息が産業革命の工場の煙みたいにもうもうと白くたなびく。天気予報は朝から雪だ。足摺岬は80キロ先、雪に閉じこめられないよう先を急ぎたい。
 夜が明けると、リアス式海岸っぽい岬と入り江が連なる。太平洋に張りだした岬の尾根をダラダラと登り、漁村のある入り江に向かって下る。登り下りが、壊れ気味の脚に響く。カラ元気を出すため山本コウタローの「岬めぐり」を口ずさむが、歌声は寒空に虚しく消えていく。
 土佐湾のはるか彼方に足摺岬がうっすらと霞んで見える。50キロ向こうの岬は、切り立った断崖を見せ、行く手の険しさを暗示する。
 やがてミゾレまじりの氷雨がパラパラ音を立てはじめ、一向に止む気配をみせない。防水ジャケットを着ているが、いつしかぐっしょりと氷水が浸透し、身体の芯まで冷やす。気温の寒さには精神的な戦いを挑めるが、重く濡れた衣類の不快感は気分をどんより曇らせる。いよいよ旅人に鞭打つようなヒョウ雨になり、たまらず「道の駅ビオスおおがた」にエスケープする。
 入口脇の物産スペースに、地元の仕出し屋で作られたと覚しきお弁当が並んでいる。美味しそうだ・・・たまらずひとつ購入する。館内にストーブの効いた食堂があるので、女性の店員さんに「ここで弁当を食べていいですか?」と尋ねると、あっさり「ダメです」と拒絶され、「隣の公園管理事務所で食べられます」と指示される。ところが公園管理事務所に行ってみるとドアに鍵がかかっていて中に入れない。年末年始の休館日なのだ。結局どの建物にも入ることができず、雨と風の吹きさらしの中で弁当を食べる。しまった、高知名物のイートイン弁当屋で食うべきだった、と後悔する。身体が冷え切ってガチガチと歯の奧が鳴る。
 四万十川の東岸、堤防上の道路を進めばさえぎる物もなく、雪は横殴りに。地面についた雪は溶けることなく、シャーベット状に一面を凍らせる。今履いているランニングシューズは最新版だけあって底に通気用の穴が開いているのだが、そこから氷水が侵入し、足の裏全体をびしょ濡れにする。シューズの足先は編み目の粗い軽量モデル。風が吹きつけるたびに足先を空気が抜け、体感温度を下げる。やがて指先がじわじわ麻痺し、土踏まずから前半分の感覚がなくなる。次には火傷のような痛みに襲われる。こんな平地でまさか凍傷になるはずもないだろうけど。
 四万十川河口を離れ山道に入る。ときおり小さな集落が現れるが、人の気配はなくゴーストタウンのよう。むろん店や自動販売機もなく、暖をとる場所はない。アイスシャーベットの道を足首まで浸かりながら走る。右脚のスネがひどく腫れている。左のヒザは関節にガリガリこすれる嫌な違和感がある。いよいよ雪強く、気持ちも折れて、小さなお堂の軒先で雨宿りし、無益に時間を潰す。くつ下を脱ぐと、両方の足裏は象の足のように肥大化し、痛みを通り越して感覚もない。残り20キロほどを残し日が沈んでいく。
 歩けるが走れない。情けないがもう走れない。 時速4キロで歩き続ければ5時間で足摺岬の先端まで行ける。しかし、歩いてゴールするんじゃ意味がない。300キロは走れたが320キロは走れない。今日時点のぼくの実力はここまでだ。四国横断は、残り20キロを残しリタイアという結果でよいと判断し、この旅を終える。
 本番である北米大陸横断フットレースでは、走れなくなったらオシマイである。歩きをまじえていては、日々設定される関門時間の突破は望めない。時間をクリアできなければ無情にも失格者である。砂漠の真ん中で荷物をまとめヒッチでもしながら帰るしかない。
 どんなに遅くてもいいから走り続ける・・・それが北米完走を達成する唯一最大の条件だ。本番まで半年ある。あと何度か500キロ走を行い、超長距離に対応できる脚を作りあげなくてはならない。傷まない脚、タフな脚を早くモノにしたい。