バカロードその27北米大陸横断レースLA-NY 2011ステージ21〜ステージ40

公開日 2011年08月04日

■7月9日、ステージ21
距離/82.6キロ

朝からくたくたで立ち上がるのも歩くのも必死です。今まではいていたシューズの底のゴムが残り1センチを切ってしまったので、新しいシューズに変えましたが足のサイズが2センチくらい大きくなっており、はいりません。無理にねじ込み走りだしましたが、25キロすぎにいよいよ足が張り裂けそうに痛んだので、元のすりへったシューズに戻しました。
26キロ地点で大会車両のなかで意識もうろうとしている選手がいました。ジェームス選手(英国)です。熱中症にやられ、動けない状態になっています。大会スタッフが「BANDOが来たぞ。着いていくか?」と尋ねていますが上の空です。着いては来ないだろうと思い走っていると300メートルほど先に進んだ所で、ジェームスが立ち上がり走ろうとしているのが見えます。しばらく様子を見ていると、大量の嘔吐をはじめました。引き返して背中を撫でました。何がなんでもゴールに行きたいという気持ちが伝わります。(こいつを引っ張ってやろう)と思いました。「君はどうしてもニューヨークにいかなくちゃならないんだろ? ぼくのペースは関門ギリギリ通過だけど、必ずゴール出来るから着いてこい」と言って、彼を引っ張ります。嘔吐を繰り返す彼は、まるで大会2日目の自分を見るようです。ロンドン在住の彼のためにビートルズの「一人ぼっちのあいつ」やらなんやら、思いつく限りの英国音楽を歌いながら進みます。彼も死にかけの声て歌います。彼の周りん360度周りながら、全身に霧吹きで氷水をかけながら走ります。徐々に元気を取り戻し、50キ
ロ近く引っ張った所で充
分ひとりで走れるようになったので「先に行け」と言うと、「君と一緒に走りたい」というので「ジェームスは、ぼくと違ってトップランカーなんだから少しでも速く行くべきだ。ここからは自分のペースで行ってくれ」と説得し、彼の背中を見送りました。
ゴールが近づくと、映画「未知との遭遇」に登場するような幻想的な山群に囲まれた巨大な湖が見え、夕日が湖面ばかりか地上全体を紅に染めます。
今日も長い一日が終わろうとしています。遠くて歓声が聞こえます。ジェームスがゴールしたんだろうな。ほんと毎日いろんなことがあるな。

記録/14時間12分


■7月10日、ステージ22
距離/62.0キロ

短いはずの62キロがとても長く感じられました。極度の疲労と寝不足と脚の怪我と…と理由をあげればキリありませんが、結局のところ、心が弱くなっているんでしょう。
3週間走っています。だけど今はまともに走れもせず、ただその日を生き延びるために、制限時間直前にゴールに間に合うように、ただ淡々と、歩くようなペースで走り続けるだけです。こんな毎日に価値はあるんだろうか? 少しよくわからなくなっています。
今日の宿はすごいド田舎のカジノホテル。グランドフロアの広大なカジノでは、お年寄りがスロットやルーレットに興じています。アメリカの老後ってこんなん? 日本人のパチンコと大差ないか。
それにしても疲れました。こんな日は寝るに限ります。

記録/10時間46分


■7月11日、ステージ23
距離/75.5キロ

緊張感のある一日を迎えました。ロッキー山脈越えの最高点2783メートルのパロフレチャド峠がゴール地点です。
今日だけで累積標高差2000メートル近くあり、山の奥に入れば入るほど急な登り坂となって極端なペースダウンが予想されるので、前半から飛ばして時間稼ぎします。
下り坂はぶっ飛ばし、登り坂ではあえぎながら標高を稼ぎます。
「こんな所では終われない」と心で何度も繰り返します。ぼくの実力ではタイムオーバーの可能性の方が高い。だから無駄なこと考えず必死に走ることだけに集中しました。
ここんとこ、走る意味などを考えすぎていささかつまらない心理傾向にありましたが、今日は「走ることに意味などない」とちゃんと実感しました。ただ汗を流して息をあらげて、コンチクショウと前を目指すだけです。誰の役にも立たないことを、自分勝手にやっているだけです。
でもせめてひとつくらいは自分の立てた目標をやり遂げたい。どんなブザマな恰好でもいいので、ニューヨークまで自分の脚で行きたい。だからこんな所では終われないんだ。
制限時間まで20分残して峠のてっぺんに着きました。ゴールすると1000マイル(約1600キロ)突破の記念撮影がありました。蟻の歩みのように遅いけど、少しずつ前に進んでいます。

記録/13時間8分

■7月12日、ステージ24
距離/59.9キロ

峠の最高地点から一気に下る一日です。標高2700メートルの峠は雪こそないものの、吐く息は真っ白で、凍える寒さです。ほんの数日前まで灼熱の砂漠であえいでいたのが嘘みたいです。
スタートの合図とともに急傾斜の坂を駆け下ります。足に大きな衝撃が来ます。ところがどこも痛くない! 足裏の麻痺や、関節の可動域が減ってしまった状態は変わりませんが、とにかく痛みがないという事実に小躍りしそうになります。いったい何日ぶりなんだろう。
ロッキーの懐に抱かれた深い森林を縫うように走ります。天を衝く垂直の岩壁や、美しい青い湖が次々と現れます。小川のせせらぎ音や小鳥のさえずりが耳に心地よいのは、脚に痛みがないからです。
距離が60キロと短いことも手伝って、あっという間に競技時間が終わりました。
走ることは本当に楽しい。速く走れなくても、風を切れなくても、走ることは楽しい。

記録/8時間01分

■7月13日、ステージ25
距離/86.3キロ

再び80キロ超えのニ連戦です。
足のサイズが大きくなりすぎて、通常のシューズに足が入らないため、カッターでシューズの前部を切り裂きました。生爪が剥がれかけている右親指と左小指のあたる部分は入念に穴を開けました。これでずいぶん楽になりました。
スタートから数キロ進んだところで、現在総合2位のパトリック選手(フランス)と並走しました。大柄な選手が多いなか、ぼくよりも小柄な彼ですが、走りの安定度は随一です。独特の腕ふりが特徴のフォームをひそかにマネしていましたが、本人に「あなたのようなランナーにいつかなりたいのでフォームをマネしてます」と告げると、嬉しそうにしてくれました。16社ものスポンサーを確保するプロの超長距離ランナーは、顔は映画俳優みたいだし、立ち振る舞いも気品があって、わが師にしたいです。
ロッキーの山岳地帯を抜け、コースは再び地平線まで360度開けた広大な牧草地帯に突入しました。山越えしてからの変化は、夕方になると巨大な雲が湧き立ち、雷鳴や稲妻が雲のなかで暴れること。遠く彼方の雨雲が、風向きによって、こっちに接近することが分かると、足早になりつつも嵐の到来を待ち望んでいたりもします。涼しくなるのです。
ラスト2キロのところで日本人ランナーの越田さんが猛追してきたので、こちらも猛スパートで対応しました。久しぶりにキロ5分のスピードを出して気持ちよかった! しかし80キロ以上も走ったあげく猛ダッシュとは、大人2人で何やってんでしょう。

記録/13時間19分

■7月14日、ステージ26
距離/88.2キロ

昨日86キロを走り、睡眠時間足らずで寝不足がひどく、スタートから20キロまでは居眠りしながら走りました。ふらふら蛇行している姿をスタッフ車両に乗った主催者ロールさんに目撃され「道路を走りながら眠るなんて何て人!」と目を丸くされました。
最近は距離感覚が鈍くなり、88キロといっても長く感じなくなってきました。淡々と距離を刻んでいくだけです。
今頃だけど、超長距離ステージレースの走り方を少しは理解してきました。脚を上にあげず、地面からの反動を使わない。これは怪我防止のため。疲労を蓄積させないためにも、極限まで筋肉を使わない走り方をしています。
今日は終盤で強い通り雨に打たれたんですが、不思議な自然現象が起こりました。ぼくの足元から道路上の進行方向へと500メートルくらい、真っ直ぐな虹ができたんです。地面から50センチくらい浮き上がった高さです。
長いこと生きてても、知らないこと、見たことないものだらけだな、と日々思いを強くするばかり。

記録/14時間15分

■7月15日、ステージ27
距離/78.9キロ

急にコース変更が行われ71キロが79キロに延びました。あしたは89キロという過去最長日であり、実質80キロ4連戦となり息つく暇もありません。
持参したシューズのソールの厚みがとうに1センチより薄くなっているため、車のタイヤの切れ端をうまく靴底の形に合わせて貼り(シューグーという接着剤で貼り合わせます)、ソールの厚みを一センチかさ上げしました。
ロッキーを越えて気候が変わりました。夏蝉が鳴きはじめました。日本の夏のように湿気のある猛暑で汗が渇きません。
足首をふたたび痛めました。最近5日ほど飲まずにすんでいた鎮痛剤で対応しました。痛み止めで怪我をごまかしながら運動すると、最終的にはスポーツマンの選手生命が奪われる、とはいいますが、ぼくはプロスポーツマンでもないし、この大会をやり遂げられたらそんでいいので痛み止めを飲みます。
身体に何が起ころうと、ただニューヨークにたどり着きたいだけです。

記録/12時間56分

■7月16日、ステージ28
距離/89.8キロ

80キロの4連戦目は、ほぼ90キロ。気温40度以上の日蔭もない平原を、熱風にさらされ15時間以上走りました。
半ばで嘔吐がはじまりました。また熱射病の再来です。サポートクルーの皆さんにお願いして、頭と首に氷を大量に巻き、氷水を全身にぶっかけながら、薄れそうになる意識を保ちました。
朝5時30分にスタートし、ゴールにたどりついたのは夜の9時。
ゴールラインの上で大の字に倒れました。自力で歩くことはおろか、しゃべる余力さえ残っていません。4時間ほど寝たらすぐ明日のレースの開始です。精神的には地獄です。まるで救いがありません。もう寝ます。

記録/15時間25分


■7月17日、ステージ29
距離/73.0キロ

疲労困憊して歩くだけで息があがります。強烈な暑さがダメ押しします。もう走れない。どんな頑張って走っても、スーパーで買い物するおばさんくらいの歩行速度しか出ません。脚の筋肉に残された力はなく、何のでっぱりもない平たい道路につまづいて倒れます。
ヤケクソです。好きな歌を大声で歌いながら走りました。もう自分の力では何もできはしないんだから。
昨日から新しく運営スタッフに加わったフランス人の女性が、ゴール近くの数キロを自転車で伴走してくれました。「昨日レースを見たけど、なぜあなたは楽しそうに走ってるの?」と尋ねるので、楽しいはずなどないのになぜそんな質問されるんだろ?と思いよく聞くと、どうやらヤケクソで歌を歌っているのが楽しそうに見えたみたいです。
それで思いつく限りの洋楽のスタンダードポップスを2人で歌いながら走っていると、スタッフ車両も横づけされて、なぜか主催者ロールさんがビートルズの「イエローサブマリン」を歌いだしました。しばらく合唱してスタッフ車両が去り、いよいよぼくのゴールが迫ってきたら、ゴール付近で待ってくれている人たち皆が「イエローサブマリン」を大合唱しているではありませんか。あー、もうそれ、ぼくのテーマソングでも何でもないんやけど~、と思いながら歌にあわせて阿波踊りのような振り付けでゴールしました。なんか違う…。
ゴールは地元の学校です。なんと図書室を開放し、臨時のレストランと宿泊室ができています。ランナーたちは書棚と書棚の間に寝袋を敷いて夜の準備をはじめます。
食事のデザートに手づくりケーキが4種類も出されて感激しました。そろそろアメリカの大味でパサパサなケーキにも慣れてきて、美味しいと感じはじめています。日本に帰って本来に美味しいケーキ食べたら衝撃で死ぬかもしれません。
しかし、アメリカという国は、冒険とかチャレンジへの大きな理解があると思います。学校や公民館、地域の施設まで、僕たちドロドロに汚れた外国人数十人を快く受け入れてくれます。単なる親切ではなく、ぼくたちの挑戦を讃え、頑張れと熱く励ましてくれます。これがアメリカという国と国民の持っている根本的な強さなんだろうな。

記録/12時間45分


■7月18日、ステージ30
距離/83.5キロ

再び80キロ以上。毎日が首の皮一枚でつながっているかいないか。作戦もへったくれもなく、夜明け前から日が沈む頃まで、ひたすら手足を動かし続けるだけ。
この辺りは酪農や大規模農園が盛んで、北海道の景色を10倍くらい引き伸ばしてメリハリをなくした感じです。直線道路を時速100キロ以上の猛スピードで農業用の巨大な運搬トレーラーが通り過ぎるたびに、物凄い風圧、空気の塊がぶつかってきます。頭を下げ、帽子を押さえ、吹き飛ばされないよう身構えますが、風に身体ごと持っていかれます。脚に踏ん張るだけの筋力がなくなっているから、簡単に一歩二歩と後ろに下がってしまいます。これを一日に何百回と繰り返して、ずいぶん体力を疲弊させられました。
途中、日本人ランナーの越田さんに追いつくと、何やら奇妙な動きをしています。カニのように横歩きしながらオシッコを放出しているのです。「何ですか、そのテクニックは?」と尋ねると、「この方法なら小便してる間に10メートルは進みます。仮に10回トイレするとしたら100メートル分進んでる。100メートルといえば1分です。関門突破ギリギリの時の1分は大きいよ」とカニ歩き小便しながら教えてくれました。さすが大学の研究者です。実際に使える理論と技術こそが本物のインテリジェンスと言えます。
日没近くに着いたゴール地点は小さなホテル。このホテルでは経営者夫婦がゴールするランナーを一人ひとり出迎えてくれたうえ、晩ごはんを用意して待っていてくれました。丸鶏をよく煮込んだスープや、たくさんのサラダ、フルーツ、スイーツ…。無料でわれわれ一団、50人近くにふるまってくれたんです。美味しかったー!


記録/14時間29分

■7月19日、ステージ31
距離/51.5キロ

奇跡的に短距離な一日。こんな日は「休養日」と位置づけて、できるだけ体力の消耗を押さえたいって考えます。本来は気楽に走れる距離なのに、昨日までの疲労が取れず、また気温も昼には40度を超え暴力的に暑く、ゼエゼエ言いながら走っていました。
すると200メートルくらい前を走っていたフランス人ランナー・フィリップさんが、なぜか道を逆走してきます。一本道なんで道を間違えるはずもないのに。「何があったんですか?」と聞くと、まるで恋人の誕生日に隠し持ったプレゼントを差し出すかのようなポーズで背中から何かを取り出します。差し出されたのは、スターバックスの500ミリリットル入りアイスクリームです。英語のできないフィリップさんですが意図はわかります。なんせ彼にアイスクリームをもらうのは3度目です。灼熱の太陽の下食べるアイスの衝撃的なうまさったら!
しかしフィリップさんはなぜぼくにいつもアイスをくれる?他のランナーにはあげてないみたいだし。どうも毎朝、毎夕の挨拶の際も握手やハグが必要以上に熱い気がする。大丈夫かな。
今日は地元の高校の体育館で泊めでもらいます。シャワー室にトイレがあるんだけど、大の方もトビラなんてついてないんですね。丸出しでウンコするわけです。ドラッグ対策なんかな? こんなん中国の公衆トイレで見て以来だ。奥深しアメリカ!

記録/7時間58分


■7月20日、ステージ32
距離/76.4キロ

朝方、走っているとイタリア人ランナーのアレキサンドロに話しかけられた。「ヨシアキという名前の意味は何か」と聞くので、漢字の意味から「グッド・サンシャインという意味だ」と説明し、夜が明けたばかりの地平線に浮かぶオレンジ色の太陽を指さすと、アレキサンドロは「あなたの父上はいい名をあなたに授けた」と微笑みます。顎にたっぷりと髭を湛えキリストのような顔をしているアレキサンドロは、プロの冒険家です。手こぎボートで大平洋や大西洋を単独で横断するなど、陸海で活躍しています。今回もジープ、コダック、オークリーはじめ、多くの大スポンサーの支援を受けています。ぼくが25年前に行った木彫りのカヌーでアフリカのザイール川を500キロ下った話しでしばし盛り上がると「ミスターBANDOなら日本~米国間の手こぎボート横断が可能だろう、私とともに」などとそっちの世界に誘おうとするので、「ぼくは生きた魚が大きらいだから無理」と断ると残念そうにしていました。

今日も激しい熱波日和。気温は42度。熱風が肌に当たると痛いほどです。
ゴールまで28キロの所で、アレキサンドロがサポート車の横で寝込んでいます。「低エネルギー症だ。動けない」。サポートクルーも途方に暮れています。
彼は生き残り組8人のうちの1人です。こんな所で終わってはなりません。「制限時間までは余裕がある。ゆっくり行こう。一緒にニューヨークに行こう」と言い、それから5キロくらい引っ張りました。いつもの堂々としたプロ冒険家の表情は消え、ただの青年として必死にもがき苦しむ彼がいました。

ゴール手前10キロほどの所で、前を行くランナーが道端に座り込みました。オランダ人の女性ランナー・ジェニーです。駆け寄ると、意識は混沌としており、ふだんの彼女ではありません。唇のわきには泡を吹いています。典型的な熱中症です。「私は絶対ゴールできる」とうわごとのように、しかし意思の強い口調で繰り返します。ぼくは「君はゴールしなくちゃいけない。これを乗り越えたらもっと強くなる。絶対ゴールしよう」と話し掛けます。ジェニーは何度もうなずき、立ち上がり、よろよろと歩きだします。ゴールまでは大会スタッフがつきそうことになりました。
1人走りながら、(何でそこまでしてみんな走るんだろう)と考えると、喉がつまりました。理由はわかっています。何物にも変えられない、自分だけが自分に与えられる価値があるからです。
大学のキャンパスが今日のゴールです。西日が木々やランナーの影を長くする頃、ジェニーの姿が木立の向こうに見えました。


記録/13時間02分


■7月21日、ステージ33
距離/84.3キロ


気がつくと脚のフトモモ周りがすごく細くなっています。サポートクルーの菅原さんの言葉を借りれば「自分を喰う」状態に突入してるんだそうです。体脂肪を消費し尽くし、さらにエネルギー源を必要とする際に、筋肉を運動エネルギーに変えてしまう…つまり筋肉がどんどん痩せていってしまう。
痩せ細った脚には、笑うほど力が入りません。スタート直後からドンケツ独走です。少し風が吹くとよろめきます。体重を支える力なく、右に左にふらふら蛇行します。制限時間に間に合うスピードが出ません。今日は84キロの長丁場ですが、20キロあたりから何度も何度も全力疾走を入れ、関門に届くよう粘ります。「粘る」そんなことくらいしか武器がないのです。スピードなく、体力なく、暑さに弱く、坂は登りも下りも遅い。ランナーとして何の取り柄もないぼくには「根性」を源資とする粘りしか切れるカードがないのです。
15時間近く粘りに粘って、夕暮れの街にたどり着きました。関門10分前です。ギリギリの攻防でした。フトモモはさらに一回り細くなってしまいました。また自分を喰らってしまったのかな。
今夜は田舎街の消防署のフロアに泊まらせてもらいます。ゴール付近には、地元の主婦の方々が待っていてくれました。かわいい中学生くらいの女の子がミサンガをくれました。彼女らは手料理を大量に作り、差し入れもしてくれました。料理はもちろんですが、ケーキがホントに美味しかったです。宿泊した各地の公共施設では、ときおり食事の提供を受けますが、高い確率でホールケーキが登場します。アメリカの女性はケーキ作りが大好きなんだろうな。

記録/14時間48分



■7月22日、ステージ34
距離/67.6キロ

朝、選手たちの表情にリラックスした雰囲気が浮かんでいます。「今日はショートデイ(短距離日)だ。気楽に行こう!」と声をかけあいます。67キロを短いと感じるのも変なもんですが、選手の間では、80キロ以上がキツい、70キロ台なら普通、60キロ台以下は楽勝という感覚があります。
朝、再びキリスト似の冒険家アレキサンドロと並走する機会がありました。「この大会が終わったら何に挑戦するんだい」と質問すると、すごくおごそかな表情を浮かべ、また十分な「溜め」を作ったうえで「サウスポール」と述べました。サウスポールとは南極点のことです。「ホントに?」と聞き返すと「私はこの毎日の暑さにうんざりしている。寒い場所に行きたいんだ」。
彼は徒歩単独での南極点到達を目指している。南極の基地数ヶ所による支援や、そもそもの許可認可についても詳しい。こやつ本気である。「問題は許可取得に必要な莫大なコストだが、クリアできると思う。ミスターBANDOにも可能性はある」と、ギラギラした目でこっちを見るので「ぼくは極端な冷え症なので無理むり!」と逃げました。
今はオクラホマ州内を走ってるんですが、おとといの夜に地元のテレビ局でぼくたちのことがニュース番組で取り上げられたよう。沿道の人たちやすれ違う車のドライバーからすごく声をかけられます。「合衆国横断してるんだって、お前らサイコー!」みたいなノリです。わざわざ引き返して飲み物を手渡してくれたり、カメラやビデオで撮影されたり、やや対応に忙しいですが、地元の理解あっての大会だから、ヨシとしよう。
去年からオクラホマ州は旱魃に苦しんでいて、雨量の少なさは百数十年ぶりだとか。走っている際に通る多くの橋の上から見る川も大半が干上がっていて無残にひび割れた川底をさらしています。
当然熱波も狂気じみていて、黒々とした影をアスファルトに描く直射日光には、そのまま自分がまるまる地面に焼き付けられるかと思うほどです。
短距離日といっても、灼熱地獄はいちだんと厳しく、ひとつも気楽な場面はなく、へとへとでゴールにたどり着きました。

記録/11時間42分


■7月23日、ステージ35
距離/72.3キロ


若き冒険家アレキサンドロとの本日の会話。
彼は「あなたの生涯の目標とは何か」と問う。
「思いあたることはふたつある。ひとつは自分の足で六大陸を横断すること。だがまだ夢想に過ぎない。困難なユーラシア大陸と南極大陸を実行する能力は今はない」
「もうひとつは?」
「アフリカ中央部の国コンゴの寒村に職業技術を習得できる学校を作ること。ただしこっちも10年20年と続けられる資金のビジョンに欠け、ただの夢レベルだ」
これを聞いたアレキサンドロはかく語りし。
「今は適わない夢であっても、人は夢を持つことが大切である。このアメリカ横断だって、数年前までは夢に過ぎなかったはずだ。だがわれわれは今こうして途上にいる。豊かな人生とは、適わない夢を見ることから始まるのだ」
(おいおい、お前、ぼくより10コ以上歳下だろう?)と思う。すると彼は立ち止まり、路上で何かを拾っている。赤銅色の1セント硬貨だ。
「今日はじめて拾ったコインだ。あなたに差し上げよう。ここから始まる何かがあるかもしれない」。

セルジュ・ジラール選手(フランス)が制限時間ギリギリでゴールしました。足の裏に重大な怪我をしているそうです。セルジュは世界初の五大陸横断マラソン完走者であり、また365日間の走破距離の世界記録保持者です。彼がレースからリタイアすることなど想像もつきませんが、危機であることは確かです。
今日はレースがはじまって35日目。つまり全行程70日の半分まで達しました。距離も2500キロを突破しました。
レース開始以来はじめて体重計測しました。57キロでした。日本を発つ前が65キロだったので8キロ減少しました。

記録/12時間3分

■7月24日、ステージ36
距離/80.1キロ

小さな峠を登りきった頂上から見た光景は、地平線まで続く一面の深い緑でした。まさにジャングル。この一カ月というもの砂漠や荒野、牧草地ばかり見てきたので、視界を占拠する緑が新鮮です。干上がった荒地から肥沃な大地にステージが変わったってことでしょう。
熱されたフライパンの底とか、アスファルトに焼き付けられるだとか、いろんな言葉で暑さを表現してきたけど、比喩にも限界あり。今日は道路の表面のアスファルトが太陽の熱で溶けて、シューズの底にねちゃねちゃへばりつきました。ひどい日焼けで唇やその内側の粘膜がはがれ、血と膿が混じった生肉がむき出しになって痛いです。全身に霧吹きで氷水を一日中吹き付けながら走っています。水が切れて太陽の下そのままいたら数十分で大火傷です。時々冷静になると、正気の沙汰とは思えないことをしています。

レース終盤、脚を怪我しているセルジュ選手(フランス)と前後しました。身体をよじ曲げ、競歩選手のように必死に腕を振り、制限時間に間に合わせようと苦闘する世界記録保持者の姿に胸が震えました。
男がいちばんカッコイイのは、見栄えや体裁を取り繕わず、ただ愚直に何かを目指しているときです。ブザマなセルジュ選手は最高の男です。

記録/13時間34分


■7月25日、ステージ37
距離/61.0キロ

今日もウンコを4回しました。むろんレース中の話であり、むろん野グソの話です。最近は1日4回が定番です。なにもそんなに小分けにして出さなくてもいいじゃないか、と思われるかも知れませんが、小分けじゃなくて大分けです。毎回、大量にやっこさんが排出されるんです。
なぜそんなに出るかというと、答えは単純、大量に食べるからです。ぼくたちは一日に約5000キロカロリーを走って消費します。基礎代謝分も足すと6500キロカロリー。理論的にはこれと同量のカロリーを摂取しないとどんどん痩せてしまうのですが、6500キロカロリー分も食えっこありません。そんでもって一カ月で8キログラムも痩せてしまってるわけです。
痩せてパワーが失われると走れません。6500は無理でも4000くらいは食べます。もうブタが餌に食らいつくように貪ります。その食べカスが野グソとなってアメリカの土壌を肥沃にするのです。
野グソしても1キロあたりのタイムを落とさないよう前後でスパートをかけます。野グソに要する時間は1分以内です。時間短縮するコツは、漏らす寸前まで我慢し、大爆発させることです。大地を割って噴き出すマグマのごとくです。

ちなみにヨーロッパの選手は、いわゆる「ウンコ座り」ができません。幼い頃より和式トイレで鍛えられてないためです。あと野グソ姿を見られることへの羞恥心がありません。道端で堂々と中腰で野グソしています。よく内股やシューズに汚物がつかないものだと感心します。

夜は長距離トラックのドライバーが集まるビュッフェ・レストランで食事しました。体重100キロを超す巨漢たちが食事する横で、最も食事量が多いのが痩せ細ったわれわれランナーたちであることに店内の熱い注目が集まりました。ぼくは煮込みスープを7杯おかわりしました。明日も快弁に違いありません。

記録/10時間12分



■7月26日、ステージ38
距離/65.7キロ

朝から3度もコケました。段差などない平坦な道でつまづいてコケました。自分の想像以上に足が上がってないんでしょう。大腿部の筋肉が細くなり、脚を持ち上げられなくなっています。筋肉は負荷をかけたのちに休養をとると「超回復」という再生作業を行い頑丈になっていくとされますが、休養のないこのレースでは筋肉は破壊されるばかりです。今後もどんどん細くなっていくんでしょうか。

今日のコースを半分くらい過ぎたとき、セルジュ選手のサポートクルーが青ざめた顔で車から下りてきました。「いくら待ってもセルジュが来ない」と途方に暮れています。セルジュ選手はぼくよりずっと前を走っていました。心配ですが、探しに戻っても仕方ありません。しばらくすると後方から来た車がセルジュ選手が2キロ後ろにいると教えてくれました。やがて追い付いてきた彼に「みんなセルジュさんがいなくなったと大騒動してたよ」と声かけると「ぼーっとしていて本来曲がる道を真っ直ぐ進んでしまったんだ」とはにかんでいます。仮にも主催者の彼が、自分で設定したはずの道を間違うなんて、おもしろすぎでしょう。並走しながら彼は来年の夢を語ります。
「ランニングで地球一周をしたいんだ。パリを出発して中国、日本、インドシナ半島、オーストラリア。そして南米の南端からニューヨークまで行き、アフリカの南端からパリを目指すんだ。18カ月でやるよ」。そう語る彼の表情は、夏休みに洞窟探検を決意した少年のように眩しく無邪気に輝いています。
「この男になら抱かれていい…」素直にそう思えました。

話はホモつながりですが、諸事情あって先日よりフィリップ選手が日本チームに加わりました。彼はよく高級アイスクリームをぼくにくれるホモ疑惑のあるフランス男です。今夜ホテルのツインルームでぼくと同室です。つーかブリーフいっちょう、ほぼ全裸の彼が今ぼくの横にいて、この日記を打つ携帯の画面を覗きこんだりして微笑んでいます。今夜ぼくは大丈夫なんでしょうか?

記録/10時間17分

■7月27日、ステージ39
距離/78.5キロ

オクラホマ州の境界を越えカンザス州の旅がはじまりました。
朝から40キロくらい走り、ジョプリンという街にさしかかりました。最初はやたらゴミの多い街だなと不快に感じました。住宅街の半数以上が空き家で、ボロボロの家具や家財道具が家の前に野積みされています。ここはスラム街なのか? 街を美しく維持することが病的なまでに好きなアメリカ人なのに…なんて考えながら走っているぼくの目の前に、突然それは現れました。
ぼくの立っている交差点から向こうの街が「ない!」。恐ろしい光景が広がっています。あらゆる家が破壊されガレキが散乱しています。木々は幹の途中でもぎとられ、根本から折れた電柱が横たわっています。そこが確かにかつて街であったことは容易に想像できます。こなごなに吹き飛ばされた巨大コンベンションセンター。その広い駐車場が被災者への対応基地になっています。
竜巻がこの街を襲ったのは二カ月前だそうです。竜巻の傷跡として想像しがちな蛇行する線上の被害ではなく、少なくとも5キロ四方の市街地がまるまる吹き飛ばされています。
あちこちで復興工事が始まっていますが、被害エリアの大半が手付かずで放置されています。
砂埃が舞い、住宅建材やゴミが散乱する道を、ただ早足で歩きました。こんな所でレースなどしてる場合じゃないと思い、目を伏せて歩きました。3時間ほどで被災地域を過ぎると、何事もなかったかのように、緑の美しい街に変わりました。あのガレキの街もこうだったんでしょう。
レースのことはあまり考えられない一日でした。明日の朝、地元の方がわれわれの宿泊所に状況説明に来られ、募金を募るそうです。

記録/13時間7分


■7月28日、ステージ40
距離/84.9キロ

朝、主催者ロールさんよりランナーに対するペナルティが課されました。道路の傾斜を嫌い蛇行走行していた選手に対し、危険行為として一週間の出場停止が下されました。厳しい判断に思えますが、当大会は交通事故防止を徹底し、ルールを厳格に、違反者へのペナルティも明確にされています。主催者の決定に不服があれば選手会として意見をまとめ反論もできます。ルールやコースの変更などの最終意思決定は、ランキングに残っている8人の選手の意思で承認・決定されます。このようなデモクラシーが徹底されているのは、文化背景や言語の異なる人たちが集まった大会では欠かせないものです。主催者と選手間にはほどよい緊張関係があり、違いに不満を述べ、意見の擦りあわせが行われます。意思決定は非常に速いです。組織運営の勉強にすごくなっています。

今日は85キロの長いコース。アスファルトが溶解する暑さは相変わらずです。
3.2キロ(2マイル)ごとにサポートクルーが用意してくれたエイドで飲み物、食べ物を大量に摂取します。特に水をはじめとする飲料は、自分でも信じられないくらいの量を喉に流しこみます。
各エイドでは300~500mlを5秒程度で一気に飲み、エイドで手渡された水を次のエイドまでに走りながら300~500ml飲みます。合わせて600ml~1リットルを1エイド間で飲みます。たとえば85キロある今日のコースなら26回エイドがあり、掛け算するとレース中に15リッター以上の飲み物を採っています。子供一人分の体重くらいです。にわかには信じがたい量ですがホントです。

夕暮れどきにゴールすると、ボウルいっぱいの美味しいスイカが待っていました。手づかみでむさぼり食っているとロールさんが寄ってきて「あと30日でニューヨークだけど、あなたは今どんな気分?」と聞くので「前は早く終わりたい、しか考えられなかったけど、この頃は終わりの日を想像すると淋しい気分になります。ゴールの3日前になればゴールなんてしたくないって叫ぶかもしれない」と答えました。
するとロールさんが「じゃあいいアイデアがあるわ。ニューヨークに着いたらロサンゼルスに引き返すのよ!NY-LAフットレース2011を企画するわ!」と盛り上がっているので、スイカを持ったまま逃げだしました。

記録/14時間21分