バカロードその44  運命の反り投げ

公開日 2012年05月21日

文=坂東良晃(タウトク編集人、1967年生まれ。1987年アフリカ大陸を徒歩で横断、2011年北米大陸をマラソンで横断。世界6大陸横断をめざしてバカ道をゆく)

 ある日、無性に揚げあんぱんが食べたくなり、パン屋さんに駆け込むと、運よくラスト1個だけ棚のトレイに乗っかっている。こんな幸運はあるだろうかとにんまりする。いくつかのパンとともに購入する。
 ホンダXR230にまたがり帰路につく。車高の高いオフロードバイクから眺める街の風景が好きだ。初夏の空気がジェットヘルの隙間からなだれ込む。左ミラーにひっかけたパン屋さんの袋が風にゆらぐ。
 単気筒エンジンの鼓動が腹に響くとともに、腸管がはげしく蠕動運動しはじめる。急速に空腹感が増す。頭の中で、さっき買った揚げあんぱんのことを考える。つやつやと油をまとわせた生地はほんのり温かい。歯をたてると表面の揚げた薄皮がシャリッとはかなく音を立て、中からジューシーな粒あんがほとばしるだろう。
 渇望感はむくむく膨れあがり、抑えることのできない欲望モンスターに変わる。揚げあんぱんを口にしたくて仕方がない。食べよう、今すぐ食べよう。数秒後の悦楽を想像して、大量の唾液をごくりと飲み込む。
 左手でクラッチレバーを握り、左足を蹴り上げてギアをサードに落とす。アクセルレバーを右手でコントロールし、時速40キロ程度に安定させる。ジェットヘルのシールドを上げる。左手で薄いポリエチレン袋に入った揚げあんぱんをおもむろに取り出す。いよいよだ。口元にパンを近づけ、かじりつこうと口を大きく開ける。
 その瞬間、親指と他の4本の指の間から揚げあんぱんがつるんと滑りだす。油に覆われた生地の表面とポリエチレン袋の間の摩擦係数は限りなくゼロに近い。ぼくの握力はその繊細な力関係を掌握できなかった。揚げあんぱんは唇をかすめて、相対速度40キロで後方に飛び去る。空を舞う揚げあんぱん。
 後方を振り返ると、アスファルトの路面にきつね色のパンが1個、ちょこんと鎮座している。それは実在する光景であるにもかかわらず超理念的な美術絵画のようであり、限りなく不条理な心象風景のようだ。
 揚げあんぱんを残したままバイクは走る。この身に起こった不幸な事態が飲み込めず、思考力は無になっている。落下地点より1キロほど離れたころ、落とした揚げあんぱんがどうなっているのか気になりだす。後方から車がどんどん来ている。パンはとうの昔に、大型SUVの高性能ブリヂストンタイヤに踏みつぶされペチャンコになっているに違いない。でも、そのままではいられない。急制動を効かせ右足を地面につき鋭くUターンをする。
 500メートル、400メートルと近づいていく。心の臓が高鳴る。ゆるいカーブを描いた道路の彼方にきつね色の物体がある。近づく。横を通り過ぎる。視界の隅で揚げあんぱんの状況を読み取る。無傷だ! 車道のちょうど中央部に落下したパンは、幾台もの後続車両の左右タイヤ間をかいくぐり続けたのである。再びUターンし、周囲の視線がないことを確認したうえ、路上のパンを拾い上げる。一点の傷もない、パン職人が形成したままの姿である。砂も埃もついていない。揚げ油がすべての塵芥をはじきとばしている。
 一度は手のひらからこぼれ落ちた揚げあんぱんを、いま噛みしめる。こんな美味しいパン、今まで食べたことあっただろうか。
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 ぼくはときどき我に返り、幸せの偏差値が低すぎることに唖然とする。
 男として生まれたからにはもっと大きな野望や到達点がないといけないのではないかとひとしきり反省する。
 朝鼻をかんだとき巨大な鼻クソがワインのコルク栓を抜くようにポンッと取れるたびに、夜寝ようとして枕の位置と後頭部がカンペキにフィットするたびに、限りない幸福感を覚えている場合なのだろうか(ぼくは、頭に合う枕を探し求めて12種類もの素材と形状の枕を布団の周辺に並べている)。
 不幸な出来事もレベルが低い。ランニング中に野良犬の脚を蹴ったためにワンワン執拗に追いかけられたり、電線もない場所で飛行中のカラスのフンが脳天を直撃したり、トイレで便座を上げるのを忘れて腰掛け、お尻が便器にはまったりと、毎日つまらない小事件にみまわれる。後生に語り継げるほどの大事件は起こらない。誰に言っても「ふーん、ほーなんじゃ」で終わる程度の出来事ばかりである。
 自分は今、この人生を四十数年生きているけど、もっと何か大きな衝撃とか、運命の分岐点はなかったのだろうか。ドラマや小説によく登場する「あのとき、自分はこうしていたら」っていう。
  □
 あった。1度だけあった。高校二年生のときだ。
 その頃ぼくは、プロレスラーをめざしていた。
 冗談ではない。1日にヒンズースクワットを1000回、カールゴッチ式腕立てふせを300回、ジャッキー・チェン式指立て伏せを100回。スクワットは「これ以上できない、という所からの1回が本当の練習の始まりだ」というジャイアント馬場の言葉を信じ、足下に汗の水たまりができるまでやった。
 電信柱を正拳で血が滲むまで殴る練習は漫画「空手バカ一代」に教えられた。本物の格闘家なら、パンチを放った際に電線に止まったスズメが落ちると描いてあった。
 家にあった白クマのぬいぐるみをスパーリング・パートナーとし、布団をリングに見立てて実戦正式の練習も積んだ。
 NWA世界ヘビー級チャンピオン、テリー・ファンクに、「いつかあなたのようなレスラーになります」といった主旨の手紙を書き、テキサス州の自宅にエアメールを送ったこともある。本人からではなく奥様から絵はがきの返事が届いた。冗談ではないのである。
 「週刊プロレス」「月刊ゴング」「週刊ファイト」、専門誌にはすべて目を通し、プロレス業界の動きを追った。各誌の編集長であるターザン山本、竹内宏介、井上義啓の名文に心躍らせた。
 試合結果を伝える熱戦譜の欄の片隅に、ときおり各団体の練習生募集の求人が出た。
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 □△○プロレス
 練習生募集!
 格闘技、スポーツ経験者歓迎。
 身長180センチ、体重80キロ以上。
 心身共に健康であること。
 履歴書と写真(上半身、全身)を送付のこと。
 書類審査、体力テストあり。
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 おおむね、このような内容である。
 体力テストの課目は、たまにレスラーのインタビュー中に出てくるので大体把握している。スクワット500回とか腕立て伏せ200回あたりである。また、マット上での受け身などの実技もあり運動センスを見られる。
 体力テストに関してはぼくの毎日の練習量より少ないから合格するに違いない。問題は体格である。身長が13センチ、体重も20キロ足りない。体重は食えば太るだろうが、身長ばかりは伸ばしようがない。大相撲の新弟子検査では、背丈足らずの中学生が頭頂部にシリコンを注射するという話を聞いたことがある。ぼくも来るべき入団検査の際は、どんな汚い手を使ってでも身長を伸ばさざるをえないと決意していた。
 機が熟せばいつでも練習生に応募できるよう、高校の生徒手帳に新日本プロレス、全日本プロレス、国際プロレスの道場の住所をメモした。
    □
 その日は平日で、高校の授業の6時間目はさっさと辞退し、牟岐線に乗って徳島市立体育館にむかった。新日本プロレスの試合があるのである。当時、初代タイガーマスクが爆弾小僧ダイナマイト・キッドと抗争を繰り返し、長州力がはぐれ国際軍団と電撃合体し維新軍を結成するなど、空前のプロレスブームが巻き起こっていた。同級生たちも大挙して観戦に行くと張り切っている。だが、アントニオ猪木VSストロング小林時代からプロレスを見守り続ける自分にとって、最近ファンになった同級生たちとは会話のレベルが違いすぎて、お話にならないと感じていた。地上最強の格闘技でありながら人間の生き様をリングで表現する卓抜した舞台性。反骨、エゴ、嫉妬、暴力、正義と悪・・・人の深層に流れる感情や矛盾を、レスラーは一個の肉体と、研ぎ澄まされた言葉でみせる。ぼくにとってプロレスは人生そのものなのであった。だから急造ファンのくせしてリングサイド券などを買いくさった底の浅い同級生とは格が違うのである。本物のプロレスファンは二階席の最前列から俯瞰で試合を見守るものである。
 プロレス会場を訪れ、まずやるべきことは試合前の練習を見ることである。夜6時30分からの試合開始なら、選手たちは3時頃からリングを組み立てスパーリングを始めるのだ。プロレス生観戦歴の長いぼくは、徳島県内の主要体育館ならば、どの裏口や窓が施錠しておらず潜入可能か把握している。
 すかさず徳島市立体育館の裏手に回り、館内に忍び込んで二階にあがる。一階にはすでにリングが完成し、10人ほどのレスラーがスクワットをしたり、受け身をとったり、スパーリングをしている。
 メイン照明の消えた薄暗いリングで行われるレスラーの練習は、ふだん試合で見ている様子とはまるで違う。飛んだり跳ねたりの観客を沸かせる大技はいっさい使わない。ひたすら寝技、ひたすら関節技の応酬なのだ。
 おもしろいのは、試合では毎回負けているような初老とも言えるベテラン選手が、練習では圧倒的に強いのである。ふだんはテレビにも映らない前座レスラー・・・真剣に試合するわけでもなくコミカルなしゃべりで観客の笑いを取り、メインエベンター登場前の会場を温める役割を演じているベテランたちが、試合前にはスターレスラーをマットに這わせて、いいように弄んでいる。
 前座のコミックレスラーとして通に人気の荒川真が、仰向けに寝かせた若手レスラーの上に乗り、でっぷりした腹を相手の顔にのしかけて「ほら、逃げてみろ」と遊んでいる。若手は身長190センチはあろうかという大型レスラーだが、どれだけテクニックを駆使しても、暴れても、荒川真の腹から脱出できない。もがき苦しむ若手。荒川は、腹這いのまま他のレスラーと談笑しながら、ときおり若手の肘関節を極めて「マイッタ」をとる。本当に強い男、それは試合ではなく練習場にいる。
 2階席の片隅にしゃがんで、手すりの隙間から静かに練習を見つめる。それは至福のひとときであり、誰にもじゃまされたくない静謐な空間である。
 静けさが不意に破られる。二階席の後方がふいに騒々しくなる。
 「うわープロレスの練習しょんでーか、タイガーマスクおるんちゃうんか」
 「藤波おらんのん、長州おらんのん。おらんわ、知らんヤツばっかりじょ」
 「いけいけー、ドロップキックしてくれー」
 最悪である。現れたのは紫や黒のヤン服を着た金髪ドヤンキーの一群である。
 リング上と周辺にいるレスラーの多くがこっちを振り返り、ベテランレスラーが叫ぶ。「コラ、おまえら出て行け」
 よせばいいのにヤンキーが応戦する。「うわ怒っとーぞ。おまえらや怖わーないわー」
 最悪だ、最悪だこいつら。レスラーへの尊敬のかけらもない。なんでこんなクソ野郎どもがプロレス会場に来るのだ。
 すると、レスラーのなかで最も小柄な選手が、疾風のような素早さで階段の方へと駆けていく。
 「うわ、こっち来るぞ」とヤンキーどもは全員が逃げだす。
 ぼくは動かない。だってぼくは悪いことなど何もしていないのだ・・・開場前に忍び込んだこと以外は。
 若手レスラーが二階に躍り上がった頃には、こっちはぼく一人である。
 近づいてくるレスラーの顔、プロレス雑誌で見たことがある。若手の山田恵一だ。
 高校アマレスの有名選手からプロレスに転じ、メキシコで修行を積み、骨法など武道格闘技を取り入れたストロングスタイルを極める。そう、後にマスクをかぶり獣神サンダーライガーとなる男である。
 山田は、ぼくから20センチしか離れていない場所に仁王立ちする。そしてぼくのシャツの胸元をつまみあげ、首をぎりりと絞めあげる。キスできそうなくらい顔が近い。身長はぼくと大して変わらない。180センチじゃなくても入団できるのだ。細い一重まぶたの奥の瞳は、プロの看板を背負った圧倒的な自信に満ちている。
 「おいテメエ、レスラーなめんなよ」。かすれた声。ドスの効いた本気のセリフだ。
 だが、ぼくは気がつく。山田の脇がガラ空きになっているのだ。
 (殺るか?)と思う。
 今なら、こいつを投げられる。両脇から腕を差し込み、胸と腹を密着させて、背中の筋肉を総動員して後方にブリッジを決める。フロントスープレックス(反り投げ)である。相手は受け身を取れないまま、脳天から地面に叩きつけられる。下はコンクリートである。まさか高校生ファンが反撃に出るとは想定していない油断しきった山田なら、隙をつける。最強集団と謳われる新日本プロレスの若手のなかでも実力者とされる山田をここで投げ捨て、失神に追いこめば、ぼくは絶対にプロレスラーになれる。
 (殺るか?)
 全身の毛が総毛立ち、手のひらが汗に濡れる。古代から受け継いだ野生の本性である。体中の血管がマグマが脈動するように熱い。
 3秒、いや2秒。実際に流れた2秒の間に、ぼくの脳みそにはドーパミンが大量放出され、3週間分の試行錯誤と混沌と思索が行われた。
 山田は襟首から腕をほどき、ぼくの後頭部をパチンとはたいて「外に出てろ」と言った。そして歌舞伎役者よろしく振り返るとリングまで駆け降りていった。
 ぼくはすなおに体育館の外に出た。結局、山田に殺人投げを試みることはやめた。
 (今、ぼくが山田を完膚なきまでに投げきったら、彼のレスラーとしての未来を奪うだろう。そして最強集団・新日本プロレスの看板に泥を塗ることになる。だから今日のところは自重する。それが大人としての判断だ)
 そしてぼくは体育館の前で2時間くらいぶらぶらし、他の観客と同様に列に並んで正面入口でチケットを切ってもらい入場し、メインイベントが最高潮に達する頃には観客と声を揃えて「イノキコール」をおくった。それがぼくの居る場所。
 2階席からはデビュー前の練習生である山田恵一の様子がよく見えた。観客が投げたカラーテープを片づけたり、ビール瓶に入ったうがい水を運んだり、ロープのたるみを直したりしていた。コーナーポストの下から、先輩の試合を真剣なまなざしで見つめていた。それが彼の居場所。
 すべての試合が終わり、群衆とともに徳島駅に向かう。ポッポ街を歩きながら、ぼくはぼく以上になれる人生最大のチャンスを失ったことに気がついた。未来は自動的には変わらない。自分の手で変えなくてはならないのだ。大きな分岐点は何の前触れもなく目の前にポンと差し出される。その深い谷を飛び越える勇気のある人だけが、未来を変えられるのだ。
 世界は、変わる予感に、まったく満ちてはいなかった。