バカロードその48 愛と絆ジャパン

公開日 2012年08月16日

文=坂東良晃(タウトク編集人、1967年生まれ。1987年アフリカ大陸を徒歩で横断、2011年北米大陸をマラソンで横断。世界6大陸横断をめざしてバカ道をゆく)

 職業柄だろうか。「私は徳島が大好きです」と目を輝かせた人が、ときどきやってくる。肩書きはいろいろだ。経営者、学者、政治家志望、アーチスト、大学生、社会起業家・・・。
 「私は、徳島を愛しています」と言う。
 ふむ、たしかに愛は自由である。徳島を愛し、ラーメンを愛し、海を愛する。人によってはコウロギや渋柿や長州力を愛する。人それぞれである。ぼくは「節足動物を愛する人たち」や「女子高生のお古の制服を愛する人たち」の会にも顔を出したことがある。何を愛そうと、法に抵触しない限りにおいて、愛の対象に限界はない。愛とは人間にとって最も重要な感情の一つであり、愛なくしては人生は乾いた砂のようなものになるだろう。
 「で、ご用件は?」とたずねる。
 「私の愛する徳島にいま元気が足りない。だから徳島を元気にするために、共に頑張っていきませんか」と身を乗り出す。
 (この人、猪木なのかな?)と思う。(このまま1.2.3.ダーッ!って盛り上がったまま帰ってくれたらいいのに)とも思う。
 浮かない表情をしているぼくを見て、訪問者は問う。
 「あなたも徳島を愛してらっしゃるんですよね?」
( さて、ぼくは徳島を愛しているのだろうか)と0.2秒考える。そして答える。
 「あんまし愛してないですね。嫌いかというとそうでもないし、好きでも嫌いでもない感じです」と素直に胸の内を吐露する。
 すると、さっきまで愛の語り部としてマーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師のような尊い瞳を潤ませていた表情が一天にわかにかき曇り、巨大疑獄の容疑者を責め立てる検察庁のキャリア検事みたいな容赦ない目つきになる。
 「それじゃどうして徳島でタウン情報誌なんか作ってるんですか?」
 さらに「徳島が好きだから、徳島を元気づけるために雑誌を出してるんじゃないんですか?」と畳みかけられる。
 うー、そんな目標掲げたことあったっけ。今まで一回も表明したことないけどな。
 「ネットで見たけど、あなたの会社は(徳島をおもしろくする会社)が社訓でしょう?」
 (あ、それ「おもしろい本をつくる会社」の間違いですけど・・・)と心でつぶやく。
 ぼくは答える。「徳島を愛してはないけど徳島で本を作ってるのは、エロ本を作ってる人が必ずしもエロい人でないのと同じ理屈です」とわかりやすく説明するが、とうてい通じる比喩ではない。
 話し合いは暗礁に乗り上げ、来客は(なんだこのバカは)とケイベツのまなざしを向ける。
その雰囲気に耐えかねて、「で、ご用件は?」と再度たずねる。
 「徳島を元気づけるために、おたくら地元の情報誌とコラボレートしたいんです。だからうちの会社の宣伝を(タダで)してみたらどうか」とか、「徳島を変えようと立ちあがった自分をインタビューしたらどうか」とか実務的な提案を受ける。
 (あ、なるほどね)と目的に気づき、適宜対処をほどこす。

 このような野心家たちとは違い、心から純真に「徳島を変えたい」「徳島を元気づけたい」と訴える人もやってくる。
 社会起業家タイプの人は、「ある日帰省したら、中心市街地にあまりにも人が歩いてないので寂しかった。どうにか活性化させたい。街を賑やかにしたい」と着火した人が多い。
 県外の大学に進学した学生さんは、「東京や関西では徳島のことを知らない人が多くてショックを受けた。もっと徳島のことを全国、全世界に知ってもらいたい」と思いたった人が多い。「徳島を元気にするイベントをやりたい」と企画書を書いてくる若者もいる。
 真剣な相手には、こちらも正面から向いあわねば失礼だ。だからマジメに答える。
 徳島で生活してる人はすでに毎日、頑張って生きている。自分の仕事や商売に対してけっこう真剣に取り組み汗を流している。だから、ある日突然現れた人から「皆さんは元気がない、もっと元気を出そうよ」と励まされても困惑するかな。中心市街地に人が少ないといっても、終戦後から昭和中期のようにすべての目新しい商業施設や遊びが新町周辺に集中していた時代と違って、あちこちの商店街や郊外の街にカルチャーが拡散した。人が移動し、消費する場所が分散しただけで、徳島全体が冷え込んでるわけではない。地域経済の弱体化の大きな原因である人口減少と高齢化は全国の都市部と農山村部で起こっている。これは徳島という限定的な地域の「活性化」とは別次元の問題。しかし「活性化」といっても、街や地域経済に溢れる活力ってのは、日々商売や仕事に精を出している人たちの営みの総量であって、特別な奇策を用いて街が活発化するもんではない。たまーにイベント催して人が少々集まっても、その地域に住む人たちから自発的に生まれた取り組みじゃないと、すぐ立ち消えになってお仕舞い。だから、あなたの問題意識と解決策は本質からズレている・・・。
 あ、言い過ぎてしもた・・・と思った頃にはもう遅い。若者は(こういう情熱に欠けた大人が日本を悪くしてんだ。話になんねーや)と負のオーラを発しながら帰っていく。
 このような若者は毎年現れるのだけど、その後、頑張っているのだろうか。地球のどこかで徳島を有名にするための活動をしているのだろうか。ボサノヴァのかかったオシャレなカフェで、カプチーノでもすすりながらサンクチュアリ出版の本をペラペラめくって見果てぬ夢を追いかけてるんだろうか。

 どうもぼくは土地への愛着がない。
 地図に引かれた境界線で、愛したり、愛さなかったりという感情を持ったことがない。
 ぼくは阿南市で生まれたけど、それほど阿南市に思い入れがない。図々しいオバチャンたちの相手をして育ち、汽車の中でヤンキーに殴られて青春を過ごした阿南は、まあ空気はあってるけど愛してるってほどではない。愛憎折半ってところ。
 徳島県という土地全体を愛してるかと問われると、広すぎて途方もなく全体を捉え切れない。藍商が盛んな時代から商才のある人材をたくさん輩出した北方(きたがた・徳島市以北)の人は、今でも抜け目なく、交渉事に強くて根回しに長けている。親戚・近所づきあいの縁が濃く、情を露わにし、計算高くない南方(みなみがた)の人とは、別の人種に思える。だからこの人たちを総まとめにして好きなのかどうか自問しても、答えは出ない。嫌いな人も好きな人もいろいろいる。
 「阿南市」とか「徳島県」は行政区割の単位だけど、これを島嶼単位の「四国」とか、統治システム単位の「日本国」とか、文化の出流入と人種の近似でまとめた「東アジア」とか。自分の属する地理的境界は、範囲を拡大すれば太陽系から銀河系までいっちゃうけど、各単位を郷土として愛してるかと問われると、いずれも首をひねる。
 故郷の山河や民俗に触れれば心やすらぐが、国家のために命を賭すなんて愛国心は1ミリもない。高校時代には式典で日の丸に対して起立せず、君が代を歌わなかった。流行のプチ右な評論家や政治家だちは「世界中のどこの国に行っても、国旗には敬意を払い、国家は斉唱するもの。だから子供たちにはそう教えなくてはならない」と言ってはばからないが、ぼくがアジアやアフリカの旧植民地国で目にしてきた現実はそうではない。弾圧する国家には命がけで敬意を払わない、そんな勇気ある市民はいる。いきすぎた愛の強制は、いずれ破壊的な闘争心に変わるのだ。

 このごろ日本では、「愛」をうわまわる勢いで「キズナ」って言葉が勢力を拡大している。チャリティー番組はメインテーマで、J・POPミュージシャンは歌詞で、キズナを大量生産し、受け手は大量消費してきた。大震災以降はオールジャパンでキズナを賞賛する空気ができあがった。
 毎年楽しみに観戦している年末年始の駅伝中継もすっかりキズナに占拠された。アナウンサーたちは「選手たちはタスキというキズナをつないでいます!今、先輩から後輩へとキズナがつながれます。タスキという名のキズナが、いやキズナという名のタスキがわたったー!」なんて、むりやりキズナって言葉をさしこみたがるから、聞いてる方はややこしくてしょうがない。なるべく静かに選手の走りだけ見せてはもらえぬものか。
 ほぼ週イチで参加している市民マラソン大会でも「キズナ」が猛威を振るっている。スタート前の恒例行事である来賓やゲストランナーの挨拶では「ランナーと被災者のキズナ」についてしばし語られ、「私たちにできることは走ること。走って東北を元気づけましょー!」「オーッ」なんて盛り上がった状態で号砲がパンッ鳴る。家族を亡くし、帰る家を失って、今この瞬間にも困っている人たちが、よその土地できらびやかなスポーツウエアを着て走っている人を見て(見る機会もないだろけど)元気になるなんて考えられる思考の組み立て方が理解できん・・・と不可解な気持ちでスタートを切らされる。日曜日にわいわい楽しく走ってる群衆を見て、勇気がわく被災者って?
 震災以降、チャリティーゼッケンってのが流行して、あちこちの大会で採用されてる。ランナーはゼッケンに「東北に元気を、勇気を」とか「がんばれ東北」とかメッセージを書いて走るんだけど、むろん被災した人たちの目には触れない。どうしても思いを届けたいと、段ボール箱に寄せ書きやらメッセージを詰め込んで送りつける人もいる。それもまた扱いに困る。  「東北に笑顔を」「前を向こう」的なフレーズって、葬儀会場で家族を亡くした遺族の前に突然現れた見ず知らずの人が「悲しんでいるあなたたちに元気と勇気を与えたい。私の頑張る姿を見て、あなたも前を向いてください」と言い放つ不遜さとどう違うのだろう。
 FMラジオの音楽番組ではゲストのミュージシャンが「自分の歌で被災者に勇気を与えたい」と語り、試合後インタビューを受けるスポーツ選手は「自分のプレーで被災者に元気を与えたい」と言い放つ。繰り返し流されるこの類のメッセージに、耐えがたい嫌悪を感じる。
愛とかキズナとか勇気とか、言葉はどうしてこんなに軽く、薄っぺらになってしまったのだろう。愛なんて、キズナなんて、本来は言葉に出さず、心の内にそっと秘めておくものだ。いつかその存在に気づいたときに、静かに心ふるえるものだ。何年も経ったあとでその大きさに気づかされるものだ。
 愛とキズナの大量生産工場と化したこの国の片隅で、秘かにノーのタテカンバンを掲げよう。