バカロードその51 最弱ランナーの証明

公開日 2012年11月25日

文=坂東良晃(タウトク編集人、1967年生まれ。1987年アフリカ大陸を徒歩で横断、2011年北米大陸をマラソンで横断。世界6大陸横断をめざしてバカ道をゆく)

 いつもの朝練習。追い込んでもないふつうのジョグ。500メートルで息があがり、1000メートルでやめたくなる。2キロ、走るのをあきらめて歩く。しばらく歩いて、また走ってみる。キロ7分なのに苦しくて中断する。
 思い切って練習を休んでみるが、休みを2日はさんでも朝起きるとずっしりと重い。走れば疲れも取れるかとランニングシューズはいて飛び出すが、やっぱり2キロ続けて走れない。
 スパルタスロンを想定した練習をはじめて半年、月間500キロ〜700キロ走ってきたが、レース直前の9月はこんな調子で100キロもこなせなかった。
 何が起こっているのだろう。急に身体がジジイ化するわけもない。夏バテ? まさか、そんなヤワじゃない。あるいは流行の新型ウツ? それほど繊細な心の持ち主でもない。
 いろんなことが、わからない。わからないことは考えても仕方ない。
         □
 大会3日前にギリシャ・アテネに入る。空港ターミナルから外に出るとじわーっと暑い。気温は34度と日本の夏と変わりないのだが、直射日光がヒリヒリきつい。日本のお天道さんと何が違うんだろうか。露出した肌が焦げていくのがわかる。
 夜明けから日暮れまで空には雲ひとつ浮かばない。背丈の低いオリーブとミカンの木ばかりのアテネは、日射しを遮る木陰も少ない。宿舎では選手たちが「今年は暑くなるよ」と声をかけあっている。

 アクロポリスの丘にてスタートを切り、長い坂道を下りはじめると身体が軽く感じられて仕方ない。きっとこれは幻想。追い込んだ練習ができなかったから脚が勝手に暴れてるだけ。どんなに快調でもキロ6分以上には上げない。とはいえキロ6分は、ここ1ヵ月出したことないスピード。どこまで持つかはわからない。
 10キロを58分で通過。脈拍、呼吸ともに平常時のように静か。一片の疲れもない。
 20キロ1時間59分。カンペキにキロ6分を守っている、悪くない。顔見知りのランナーが「今年はぶっ飛ばさないんですね?」と追い越していく。2年前は20キロを1時間30分台で入り、みごとに潰れた。同じテツは二度と踏まない。
 30キロ3時間02分。登り坂が入ったので少し遅れたけど想定内だ。無理してペースを守るよりも、身体に同じ負荷をかけつづけることが大事。珍しくイーブンぺースで押しているさまを見た知人ランナーに「完走する気、まんまんじゃないですか」と持ち上げられる。「暴走はやめました。絶対にゴールまで行きますからね」と答える。体調すこぶる良く、余力バロメーターは満タン。この調子で80キロ先の大エイド・コリントスまで行けそうだ。うん、何ひとつ問題は感じられない。

 と、思ったのは10分前。
 異変は急にやってきた。
 32キロのエイドを過ぎた頃だ。
 あれ、あれ、あれ? 脚が動かんぞ。
 練習できなかったツケが回ってきたか。
 まだ全体の10分の1しか走ってないのにな。
 まあしばらく走ってれば、重脚にも慣れてくるだろう。
 しかしキロ6分ピッチで走れない。7分かかりだしたぞ。
 どうしよう。
 イーブンペース作戦で来たので時間貯金が10分しかない。トロトロしてると関門に引っかかる、急がないと。
 35キロ。
 あれ? 今度はフラフラしてきた。
 だめだ、走れない。
 なぜ走れないのか、理由がわからない。
 いっかい落ち着こうと思い、歩いてみる。
 落ち着け、落ち着け。
 これは一時的な現象だ。
 もう一度走りだしたら、またふつうに走れるって。
 やっぱダメだ。
 道ばたのバス停小屋に座り込む。
 おいおい、ここで終わってしまうのか?
 んなアホな。まだ、まったく走ってないんですけど。
 1度も力を込めて走ってないんですけど。
 立ち上がってみるが、頭がぐるんぐるん回る。
 3キロ先にあるエイドまでいけるかどうか自信なくなってきた。
 おーい、まだ35キロだよ〜。
 ふだんなら笑いながら走れる距離だよ〜。

 またたく間に、10分の貯金を使い果たす。
 38.8キロのエイドにたどり着くと制限時間を過ぎていた。
 飲み物を載せていたエイドの机は早くも片づけを終えていて、水をもらうのに難儀した。
 なんとか分けてもらった1.5リッター入りのペットボトルを抱え込み、路上にへたり込む。
 リタイア選手を収容するワゴンカーが道の反対側に停まっている。
 そっちに移動しろと指示されるが、思うように歩けない。
 道を横断する20メートルがやたらと遠い。
 車の後部シートに座ると、頭が重くて首で支えられない。
 グテッとうなだれたまま、ペットボトルの水をちょびちょび飲む。
 数分で1.5リッターの水を飲み干す。
 それでも足りないから500mlボトルの水を飲む。
 さらに水500mlとコーラ3杯を飲む。
 3リッターの水分を吸収すると、意識が正常になってきた。
 車のなかで20分寝ころんでると、元気そのものの体調に戻る。
 体力の限界でも何でもない、ただの脱水症状だったのだ。
 今からやり直せ、と誰か言ってくれないだろうか。きっと軽やかに再スタートできる。
 そんな仮定は立てるだけ空しい。
 いったんリングを降りたボクサーにできるのは、会場を去るだけ。
 3度目のスパルタスロンはあっけなく終わってしまった。
 3年つづけてのリタイアだ。3年は長い。高校生なら入学して卒業するまでだ。

 正午を過ぎると気温はさらに上昇し、温度計は39度を指した。
 有力選手が次々とリタイアし、80キロ関門を越えるまでに45%の選手が脱落した。スタートラインに立った310人のうち、ゴールまで届いたのは72人。完走率は23%だった。日本人参加者70人のうち完走者は13人。完走率は18.5%と歴史的な低さとなった。
         □
 「脱水症でアウト」といっても、それは表面上の現象であって、そこに至る原因があるはずだ。
 練習方法の選択ミス。それに由来する絶対的なスピード不足。
 過去2年、ぼくは80キロのコリントス関門を越えてから力尽きた。80キロを越えると夜間走+山岳越えが控え、キロ8分30秒〜キロ9分で前進する耐久レースとなる。
 自分は、スピードが要求される80キロまではクリアできるが、後の耐久戦に弱いのだと考えた。克服するにはスピードは不要。潰れそうな身体でも前進できる「ゆっくり長く走る」能力が足りないと判断した。ゆえに、キロ6分ペースで距離を伸ばすことばかりに注力した。
 ところがどうだ。あまりにキロ6分にこだわりすぎ、スピードを軽視したため速いペースに対応できなくなった。
 だらだら登り坂が多く、また気温が40度近くになる条件下でキロ6分を維持する肉体的な負荷は、日本国内でおこなう長距離練習や100キロレースならキロ5分ペースに相当する。だから、ふだんはキロ5分の練習を積み、慣れておくことで、スパルタスロンで必要なキロ6分ペースが「とても遅い」と感じる感覚を得ておかなければならなかった。
 そもそも100キロベスト記録が10時間22分のぼくが完走するには奇跡(マグレ)を願うしかない。たまたま異常気象ですごく涼しいとか、自分が自分じゃないほど絶好調だとか。神頼みの領域の話。
 実力で完走を勝ち取ろうとするなら、少なくとも100キロ9時間30分以内、なるべくなら8時間台の走力が必要だ。なおかつそのタイムは過去に出したベスト記録ではダメ。好条件の天候下で出した自己ベスト記録でもダメ。悪天候や起伏の多い山岳コースでも当たり前のように出せる記録、コンスタントに出せているアベレージ記録であるべきだ。
 スパルタスロンでは、80キロの関門を通過する際に1時間以上の貯金(通過タイム8時間30分)を持ったうえで、なおかつ体力的にも相当な余裕を残した状態であらねばならない。まずはその走力を有することが第一資格。その力もないのに、この1年というもの耐久戦向けの練習ばかりしてたのは、お門違いもいいところ。

 帰国後、ランニングをはじめた頃に戻って、短い距離からやり直すことにした。
 500メートル、1000メートルのインターバルやレペティション、3千、5千、1万メートルのタイムトライアルを繰り返す。500メートルの全力走を10本こなすと、とんでもないダメージですね。フルマラソンのタイムを伸ばそうとガチ練習してる人たちは、日々こんなにも追い込んでいるのかと敬服する。
 遅いペースに慣れてしまわないよう、LSDやジョグは封印しよう。月間走行距離を残せば練習を積んだような錯覚に陥るから、練習で長く走るのはやめにしよう。自分への甘えをぬぐい去るため、キロ4分台より遅くは走らない。
 またまた長い1年がはじまる。ここであきらめるという選択肢もあれば、あきらめないという選択肢もあるが、あきらめられそうにはない。ぼくの性格は粘着質で、爽やかさや潔さとは無縁である。何度失敗しようと、うまくいくまであきらめない。うまくいくまでやり続ければ、最後はうまくいく。