バカロードその52 物語は箱根に終わり、箱根にはじまる

公開日 2012年11月27日

文=坂東良晃(タウトク編集人、1967年生まれ。1987年アフリカ大陸を徒歩で横断、2011年北米大陸をマラソンで横断。世界6大陸横断をめざしてバカ道をゆく)

 箱根の季節は、胸のザワつきがおさまらない。
 ハコネ。なんと尊く、気高い響きだろうか。その言葉を耳にするだけで、動悸は高まり、ワキには汗ジミがにじむ。

 年も明けたばかりの2日と3日。正月三ケ日といえば、人びとは新たな年のスタートを迎え、真っ白で浮き立つような心根だろうが、ボクにとっては箱根駅伝こそが長いドラマの終幕にあたる。20校目、最終走者がゴールテープを切った瞬間が1年の終わりであり、はじまりなのだ。
 東京大手町に号砲を聞き、箱根の山を駆け上がっては駆け下り、雪富士が見下ろす芦ノ湖畔を折り返す全長217.9キロを、キロ3分の極限スピードで走り切るのは選ばれし200人の学生ランナーである。
 一方、テレビ中継がはじまる午前7時にあわせ、早朝から真冬の冷水シャワーにて水ごりをし、コタツの上に「陸上競技マガジン増刊・箱根駅伝完全ガイド」を設置し、ハーゲンダッツや粒あん入りの白餅やスーパーカップ濃コクとんこつ味など好みのお八つを取りそろえるなど、万全の体制でテレビの前に陣取るのはボクである。
 オーレオレと叫べるパブリックビューイングもなく、イノキ・イノキと拳を突き上げる体育館もない。駅伝は1人黙って茶の間でテレビと相対する。
 思えば駅伝談義を熱く交わす仲間もおらず、リアルタイム情報といえば陸上競技専門の月刊2誌の号あたり5、6ページの活字リポートや、陸連共通の味気ないデータベースページでリザルトの数字を追いかけるばかり。なんと地味な応援態勢か。
 夏の合宿先に押しかけるような迷惑行為はしたくないし、大学ネーム入りランシャツをネット通販で買って、市民マラソン大会で着てみることも検討してみたが、やはり恥ずかしくて無理だ。
 駅伝ファンはひたすら孤独に、そして無言で数百の数字が並ぶリザルトを見つめ、その行間に選手の雄叫びを聴き取ろうと耳をすますのだ。
 どの大学が優勝するかってことに興味はない。箱根路を走れるランナー、走れないランナー、陸上部員ひとりひとりが過ごす365日の営みにしんみり熱くなる。
 確かに、戦国駅伝と呼ばれて久しい群雄割拠の戦いはおもしろい。昨年までの東洋、駒澤、早稲田の3強時代は、今シーズン初戦となる出雲駅伝を制した青学の台頭によって瓦解し、シード校以上の実力を予選会で見せた日体大、都大路のスターを次々補強する明治を加え、もはや6強の様相を呈している。どの大学が勝っても不思議ではない・・・というような戦況については、ボクよりも専門家の解説が的を得てるだろうからここではしない。キロ4分で1キロ走っただけで死にかけるボクが、キロ3分で20キロ以上も走る若者たちを批評する立場にはない。
 コメンテーターではなく応援者として、ターザン山本が提唱した「活字プロレス」ならぬ「活字駅伝者」としての作法をここに記す。
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 まずはファンを名乗る者の最低限の務めとして、選手のデータを頭に叩き込む。個人情報の扱いやかましき昨今、大学陸上部のホームページには部員の顔写真やデータはほとんど掲載されていない。だが恐れる必要はない。日本の出版文化はいまだネットを凌駕している部分も少しはあるのだ。ベースボール・マガジン社の「陸上競技マガジン」が夏前から大学駅伝関連の増刊号を4〜5本、発行してくれるのである。
 これらは、まさに義務教育の指定教科書にあたり、家庭内においては茶の間、トイレ、風呂などに常備し、どこに移動しようと目に触れられるようにする。
 各増刊号の説明をしよう。6月に出る「大学駅伝夏号ルーキーズ」は、新1年生部員中心の編集。主に高校時代に都大路(全国高校駅伝大会)で活躍した5千メートル13分台の選手たちがクローズアップされる。高校生のころ丸ボウズだった選手たちが、やや髪を伸ばし、ちょっと女子大生の視線も意識しているかのような色気づき方をしているのに注目したい。
 続いて上級生のデータも網羅した「大学駅伝完全ガイド夏号」が刊行される。春以降の各地区インカレなどで出した記録が掲載されるから、前年の記録と比較し、トラックシーズン前期にどれだけ力をつけたか把握できる。
 10月、箱根予選会と全日本直前に発行される「大学駅伝完全ガイド秋号」では、今期の重要戦力となる選手がいよいよ抽出される。夏合宿の成果がつかめ、トラックシーズンの総括が行われる。登り調子の叩き上げ選手、故障が癒えずジョグに専念するエリート選手・・・ドラマの布石は打たれつつある。
 そして箱根駅伝直前に出される「箱根駅伝完全ガイド」が最も重要な一冊。この号は秀逸である。出雲、全日本の区間記録がはやばやと記載され、箱根10区間の予想オーダーも立てられる(あんまし当たってないけどね)。さすがに全部員は掲載できないが、各校レギュラークラス20名前後の顔写真と5千メートル、1万メートルのベストタイムが記載される。5千のチーム内ランキング表は繰りかえし見ても飽きない。持ちタイムの上位10人がすんなり箱根10区間を走るかといえば全然そうはならないのである。今年なら5千メートル13分台が10名も並ぶ駒澤は圧巻。だが、いざ勝負の時となれば東洋や青学のように14分台中盤の選手が区間賞レベルの活躍をしてしまうのは学生駅伝独特の魔力か。14分台後半の選手とてノーマークではいられないから、名前とベストタイムを暗唱する。
 箱根終了後には「大学駅伝決算号」が緊急出版される。また、今年は既に「箱根駅伝・強豪校の練習方法」という特別号が発行されている。有力大学のトレーニング方針を詳細に取材しており、具体的な練習メニューがカレンダー形式でまとめられている。インターバルの設定タイムからジョクのペースまで、各大学の監督サン、こんなに事細かく公開してもいいの?と心配してしまう労作だ。
 次に映像だ。テレビ特番は必ず録画してハードディスクがすり切れるほど見なくてはならない。
 テレビの世界では、箱根の放映権を持つ日テレの独壇場である。BS日テレでは9月に「密着!箱根駅伝 試練の夏」、10月に「密着!箱根駅伝 予選会 明かされる真実」、11月「密着!箱根駅伝 飛躍の秋」、12月「密着!箱根駅伝 出場校紹介」と立て続けにドキュメンタリーが放映される。
 このシリーズ、ファン垂涎のお宝映像が多い。各大学の夏合宿・秋合宿に密着取材を行うのだが、映像の強みがモロに出ており、活字メディアでは得られない選手の生の性格が伝わる。合宿所の部屋までカメラが入るため、インタビューの背景に映りこんだポスターやマニアグッズで選手のオタク的趣味が散見できる。合宿所の食事メニューは再生静止して、アスリートメシを研究。選手の全裸肉体が公開される入浴シーンは最大の見せ場だ。一片の脂肪も付着していない上半身にうっとりドキドキ・・・。
 日テレ以外では、全日本の予選会を追ったテレビ朝日の特番は、唯一地方大学にスポットが当たる映像資料として貴重である。
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 駅伝シーズン以前の学生の成長過程も一年を通して追いかける。関東インカレ(5月)と日本インカレ(9月)は、関東地区ではテレ朝で深夜枠を持っているものの関西の朝日放送は放映なし。東京神宮の国立競技場に出向いて生観戦するか、リザルト数字読みに徹するか。
 堂々、NHK総合で地上波放送される日本選手権(6月)は、実業団選手に学生トップランナーが勝負を挑む構図がたまらない。佐藤悠基、竹澤、宇賀地、宮脇あたりと学生とのドリームマッチに再びワキに大量汗ジミ! ところが、陸上の長距離レース中継にありがちな「レース序盤はカット」「途中で投てき競技にカメラが切り替わる」が繰り返され、幻滅すること多々である。きっと陸上経験者がテレビクルーにはいねーんだよ、と諦めるしかない。最近レースは、学生をペースメーカーに仕立てた実業団選手がラスト1周でブチ抜くという1つのパターンができあがっている。今年は、設楽啓(東洋)、村澤(東海)、窪田(駒澤)、大迫(早稲田)らが入れかわり引っ張った。本当にそんなんでいいのかよ実業団たちよ。そんなんじゃケニア選手どころか川内優輝とも戦えっこないよ。
 スピード持久力やレース勘を養成するため、学生ランナーが多く出場するレースは数多い。主要なものだけでも、クロスカントリーは千葉国際と福岡国際。トラックレースではグランプリシリーズ、延岡のゴールデンゲームズ、夏のホクレンディスタンス。ロードレースなら日本学生ハーフ、上尾ハーフ、熊日30キロ、神奈川マラソン。定期的に行われる日体大記録会。箱根後には、都道府県対抗駅伝、丸亀ハーフ、びわ湖毎日とつづく。ここんところ有望な学生ランナーがフルマラソンに挑戦しない空白期が続いていたが、昨年、出岐(青学)や平賀(早稲田)らがびわ湖に参戦し、今年も窪田(駒澤)が走るとのウワサもある。もう嬉しくてしょうがないね。
 大学駅伝の物語性を高め、より重厚に楽しむためには、中学・高校時代からの観戦は欠かせない。全中(全日本中学校陸上)、全中駅伝(全国中学駅伝)、都大路(全国高校駅伝)、インターハイ、国体と、一通り押さえておく。すべてテレビ放映はある。番組は、煽りのドキュメントとして、早くから芽を出した天才ランナー中心に編集されがちだが、中・高と周回遅れレベルだった凡庸な選手が、やがて天才を追いつめるシーンにも出会える。それが箱根という舞台だ。
 そんなこんなでファンとしての1年を忙しく過ごし、やがて3大駅伝シーズンの開幕を出雲駅伝(10月)に待ち、箱根駅伝予選会(10月)を経て、全日本大学駅伝(11月)、そして箱根駅伝の本戦(1月)を迎える。
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 さてここまで読んだ方は、「なんだコイツ、熱烈ファンぶってる割に、雑誌とテレビを見ているだけじゃないか」と思われるかもしれない。まさにそうなのである。ボクはただ見ているだけなのだ。だってそれ以上にできることなんて何もねー。オッサンが男子大学生にファンレター書いてもキモいもんな。
 ボクは「ハコネ」という小説の読み手なのだ。目まぐるしく展開の変わるプロット、最終回のないネバーエンディングな連続活劇。
 ボウズ頭の俊足な中学生が脚光を浴び、挫折し、復活し、さいごは負ける話だ。自分を律し、後輩を育て、負けに直面した場面で腹の底から言葉を絞り出す予定調和なき世界。青年の成長をささえるのは、ひたすら走るという純粋な行為なのだ。
 箱根駅伝の1区間は約20キロ、時間にすれば約1時間。この1時間に大学入学後の4年間、いや10代から22歳までの青春のすべてを捧げた若者がある一瞬、溶接のアーク光みたいに、直視できないほど輝く。
 陽炎が揺れる熱い夏の午後や、冷たい雨が肌を刺す冬の朝。白いモヤの向こう側の誰も見ていない路上やトラックで、ハァハァと青い息を切らし、足の裏を強く地面に叩きつけ、前へ前へと1ミリでも速く進もうとする、ただそれだけの行為に懸けた若者たちの物語だ。次のページ、めくらずになんていられない。