バカロードその61 矢尽き刀折れても前のめりで

公開日 2014年02月10日

文=坂東良晃(タウトク編集人、1967年生まれ。1987年アフリカ大陸を徒歩で横断、2011年北米大陸をマラソンで横断。世界6大陸横断をめざしてバカ道をゆく)

 夏も盛りの寝苦しい夜、女郎グモの罠にからみ捕られるように、逃れられない性にうなされる。クーラー設定19度、パンツを脱いでフリチンの股間に扇風機の強風をあてがっても、ギリシャの太陽に射すくめられた記憶をひっぺがすことができない。

 
 「スパルタスロン」に出場しだして4年目である。3度挑戦して3連敗。1回目はハーフマラソンの自己ベストをマークするほどの突っ込みを敢行し91キロで玉砕。2回目は足の甲の疲労骨折を鎮痛剤ガブ飲みでごまかしきれず83キロから1歩も前に進めず。3度目は酷暑対策の未熟さをさらけだし、わずか39キロにて脱水症でアウト。いずれも100キロにすら到達できず、リタイア地点が毎年スタートラインに近づいているという将来展望のなさ。距離246.8キロのレースに参加する資格もない低次元な走りを繰り返しているわけである。果たしてこれほどの弱虫ランナーが、世界最高峰のウルトラレースに参加していいものかどうか。
 難関であるから挑みたくなる。なぎ倒されても、はね返されても、挑みたくなる。簡単に受け入れてくれるレースならここまで取り憑かれない。昨年は悪コンディションの中、6度目のトライで初完走を成し遂げた人がいた。9回目にして初めてオリーブの冠を戴いた人もいる。12度つづけてリタイアしている人だっている。だからといって、自分の3度の失敗に免罪符を与える気はない。走力不足、準備不足。問題の核心は自分にあって、いくらでも改良できるんだから。
 何としても完走したいのだ。もう収容バスはこりごりなのだ。惨敗した兵士たちを3キロのエイドごとに一晩じゅうかけて拾っていく地獄バス。車内はランナーたちのゲロの臭い、体臭が充満している。落ち込みすぎてうなだれひと言も発しない人、あるいはやけビールを食らってギャースカ騒ぐ空気読めない人。両者の気持ちは痛いほどわかる。だって全員、死ぬほどゴールに行きたかったんだから。葬祭場に運ばれるような気分の絶望バスには二度と乗りたくない。
 今年は春に内臓疾患を患い、調整の遅れ甚だしかったが、5月からロング走を何本かこなすうちに「走れるかもな」という感触がつかめつつある。特に「川の道フットレース」の265キロと「東京湾一周ジャーニーラン」180キロは、100キロ以降の粘り脚を作るのに役立った。「思うように身体が動かない」「吐き気が収まらない」「足裏のダメージひどすぎて針の山」と感じた状態から、キロ9分以内で進みつづける泥くさ根性トレーニングになった。
 スパルタスロンを完走するために、今やっているのはこんなのだ。
 【走行距離とペース】 5月以降、月間走行500キロ以上はキープしている。去年はキロ6分のジョグを20〜30キロ走が中心だったが、今年は数日おきにキロ5分のペース走(10〜20キロ)を入れた。キロ6分のジョグは心肺機能の維持、フォームの改良、地足を固める、と課題をはっきりさせた。キロ5分のペース走を入れた理由は、スパルタスロン本番ではキロ5分30秒ペースで80キロまで押していく必要があるためだ。涼しくて平坦な道ならばそう難しくないのだが、真夏日和のなか登り下りの連続という条件下で、キロ5分ペースに慣れておくことが、本番でのキロ5分30秒に余裕度を持たせる。
 【酷暑対策と水分摂取】 幸い今年の日本は気温が35度前後まで上がる日が多く、直射日光もカンカンで、絶好の酷暑対策ができている。スパルタスロンが行われる9月下旬、ギリシャは平均気温が35〜36度。暑くなる日は38度を越す。通常の完走率は30%程度だが、気温が上昇した年は20%まで落ちる。首都アテネでは7月現在で38度に達しているから今回も暑くなるのは確実とみておく。
 脱水症に見舞われた去年と同じ轍は踏まない。脱水症状は突然現れる。直前まで何ごともなく走っていたのに、急にふらつき、目まいが起こり、真っ直ぐ走れなくなる。80キロまでは最低でもキロ6分を維持しないと関門に間に合わないから、脱水症にいったん陥るとアウトである。関門閉鎖は、体力の回復を待ってはくれない。
 医学的には体重の3%が減少したら軽度の脱水、3〜6%の喪失で中度、10%以上なら重度とされている。重度になると寒け、意識混濁、痙攣などが起こるという。10%といえば体重60キロ台のぼくの場合6キログラムにあたるが、超長距離レースの直後にはふつうに落ちている範囲である。つまり日常的に重度脱水症のままで走っていることになり、そう特異な現象ではない。だからよほどじゃないと脱水症状など現れないはずだが、ごく短時間(2〜5時間)で6キロ以上汗が流れだし、水分補給が不十分だと、急性的な発症へと追い込まれるのだろう。
 人体が吸収できる水分は主に小腸からで、1時間あたり600〜800mlとされている。走っている最中にはややこしい暗算ができなくなるので、1時間に1000mlは確実に摂取する、と決めておく。1時間はイコール距離10キロメートルに相当するから管理しやすい。しかし1000mlをガブ飲みすると胃が洗われ、逆に胃酸過多になる。エイドに用意されたスポーツドリンクをボトルに移し替え、ちょびちょびと摂取しなくてはならない。胃もたれによる脱力、むかつき、嘔吐を防ぐには、糖濃度の低いドリンクを摂取しなければならない。エイドのたびに濃ゆいコーラやオレンジジュースを飲むと、たちまち嘔吐につながる。
 スパルタスロンでは、3〜5キロごとのエイドごとに関門時間が設定されていて、ぼくの走力だと残り5分〜10分でクリアしていくことになる。道端でゲロを吐くのに2〜3分取られていたら、稼いだ時間を浪費してしまう。嘔吐は避けられないが、回数を減らすために万策を尽くす。
 【体重】 体重を1キロ落とせばゴールタイムが20分縮まる、とまで言う人もいる。あんまし信用してないけど。もちろんこの1キロとは筋肉や体液(汗)の1キロではなく、体脂肪分の1キロである。長距離走において体脂肪は足かせ以上の役割はなく、腹や尻についているだけでスピードを奪い、両脚へのダメージを深める。脂肪が最大のエネルギー貯蔵装置であるとしても、36時間走り続けるには体脂肪率6〜8%分もあれば十分なのであって、それ以上の脂肪はお荷物でしかない。
 春に67キロあった体重は60キロまで落とした。あと2キロ絞れば体脂肪率も8%台になる。それでダイエットは完了だ。それ以上痩せると風邪ひき体質になってしまうし。
 【食事】 ほぼ菜食に切り替えた。「ほぼ」というのは、厳密にではないということだ。人とめし食うときまで神経質に肉や魚を断ったりしない。無性に欲しくなれば我慢せず食べる。といっても月に1回くらい「シャウエッセン」を食べたくなるくらいだから苦労はない。つまり禁欲的かつ思想的なベジタリアンではなく、ただ消化・吸収効率をよくして、長丁場のレースのなかで運動エネルギーにちょろちょろと変換できる身体にしたいだけだ。1日1食は以前から変わらないが、摂取カロリーを減らしている。玄米・麦飯、漬け物、生野菜山盛り(何もかけない)で十分である。食塩も取らない。
 疲労を除去するために、飲み物は果糖系のジュースはやめ、クエン酸飲料を常用している。「メダリスト」「アミノバイタル・クエン酸チャージ」などだ。また、膝の関節痛が出ないように気休めに「グルコサミン」を飲んでいるが、効いているかどうかはよくわからん。
 たくさん走っているわりに、世間の人よりは少食だと思う。たくさん食べて、たくさん飲む、というのがタフネスなランナーの正しき姿みたいな気がするが、特にお腹は空かないし、無理して食べる必要もないと思うので、これでよい。
 【フォーム】 フォームを変えた。スパルタスロンを完走するランナーの多く・・・といっても20時間台で走りきる特別な身体能力を持ったランナーではなく、30時間台後半で絶対にゴールまでたどり着くランナーたちは、下半身で走るのではなく、力強い腕振りで生じた振り子運動を下半身に伝えるような骨格の動きをしている。ちょっと説明が難しいが、上半身のパワーでもって、慣性の法則で全身をグイグイ前に持っていくイメージ。日本のランナーは細身の人が多いが、ヨーロッパの超長距離ランナーはガタイがデカい。胸板が厚く、腹回りもある。腕をたくさん振って、腿を高くあげず、競歩とマラソンの中間の走りをする。なかなかその域にまでは達しないが、今まで腕振りはリズムを取る程度の軽いスイングだったものを、「前へグイグイ」系に切り替えた。
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 4年もあれば、もっと違うことできたんじゃないかとも思う。これほどの労力と時間を別のことにかけたら、もっと世のため人のためになったのではないか、としみじみ思いを馳せたりもする。でもぼくは、具合のいいことに世のため人のために生きるほどの器はなく、誰のためにもならないことに時間と熱量を費やすのが得意なのである。そしてこのブ厚く、高い壁を突き破らなければ、一歩も先に進めない気もしているのである。