バカロードその70 午前零時の堂々めぐり 〜さくら道国際ネイチャーラン〜

公開日 2014年07月08日

文=坂東良晃(タウトク編集人、1967年生まれ。1987年アフリカ大陸を徒歩で横断、2011年北米大陸をマラソンで横断。世界6大陸横断をめざしてバカ道をゆく)

 真夜中11時。
 岐阜県郡上市にあるひるがの高原へのゆるい登り坂を、ぼくは歩いている。街灯はほとんどなく、ヘッドライトとハンドライトの放つ薄い光の輪だけが、2メートル先の行く手をしめす。
 「ぐえぇぇぇ」と弱々しくえずく。年老いた山羊の断末魔のような喉声。
 胃にエネルギーが満ちているのなら「ギョーッ」っと勢いよくゲロも噴き出そうってもんだが、わが胃をとりまく筋層にもはや収縮する力は残っていない。
 片岡鶴太郎氏の「IEKI吐くまで」のサビ部分が頭の中でオートリバースする。登り坂に入ってから二百リピートはしたか。胃液吐くまで、といっても実際は吐く胃液も残ってないから、酸っぱい気体だけがグエッグエッと込み上げてくるだけ。
 吐く息がかすかな白い蒸気となって立ちのぼる。道路に設置された気温計は1℃と表示されている。寒いのだろうか。寒くないわけないんだろうけど、暑いくらいである。手袋を脱ぎ、オーバージャケットの前ジッパーをはだけている。体感センサーが故障してるのかな。
 口の中がガサガサに乾いている。唾液はひと粒も出てこない。エイドでもらったコーラや水は5分もしないうちに上に戻してしまうから、腸壁から水分を吸収できていない。渓谷の水音が森にこだまする水の惑星のような場所にいて、ぼくの身体はカサカサに乾ききっている。
 午前0時になったから、ピチカートファイブの「きみみたいにきれいな女の子」を口ずさんでみる。少しは思いつめた感が薄れてゆくような・・・だめか。1人ぼっちの女の子の歌だったな。よけい寂しくなってきた。
 乾いた唇の脇がくっついていて、口が開かない。花粉症で鼻が通ってないから、呼吸困難である。口腔内だけじゃなくて喉の奥まで水分が枯れているから、イガイガして気持ち悪い。飲み込むツバがないってのは、けっこう苦痛なのだよ。長距離レースは、「ふだん当然のように存在していて、何のありがたみも感じてないもの」への畏怖を取り戻す場所なんだな。
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 「さくら道国際ネイチャーラン」は、超長距離を走る人たちにとって、最も権威がある、晴れの舞台だ。参加するには主催者による書類審査をパスしなくてはならず、外国人ランナーを含めわずか140人しか枠がないため、出場するだけでも大きな価値がある。
 そして、起伏の激しい250kmの難コースを36時間以内に完走できるのは、本当に強いランナーだけだ。
 速く走れるから完走できるわけではなく、長く走れるから完走できるのでもない。痛くても、気持ち悪くても前進を止めない、強いランナーだけが完走できるんだな。
 こんなに大変なコースなのに、毎年の完走率は70%前後をキープしている。審査基準が高いので、そもそも完走できなさそうな人にはお呼びがかからないから、完走率の高さが維持されてる。
 ぼくなんて過去3べんも応募して毎年、落選通知を受け取りつづけ。参加枠が20人増えた今年、ようやく滑り込みで合格したクチ。参加枠が去年までの120人なら、出ることなんて適わなかったんだろうね。
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 午前1時。
 スタートから19時間が経った。ゴールの制限時間まで17時間を残している。
 進んだ距離は140km。ゴールまで残り110km。
 数字だけ並べてみるといかにもゴールできそうなんだけど、それほど単純な仕組みで成り立っていないのが250kmレースの奥深さであり、いやらしい所だ。
 110kmを17時間なんてさ、五体満足な状態なら花見でもしながら、時おりスキップをまじえて、恋のおまじないソングでも口ずさみながら、楽勝で走れますよね。
 ところが今、ぼくの両脚は濡れ雑巾のように重く、差し出す1歩のストライドは30cmに満たない。気持ち的には慌ててるのに、1時間に5kmしか進んでいない状況。この鈍牛ペースなら、途中の関門にひっかかるのは時間の問題、ということになる。
 どこに問題があったのだろうか。反省会を開こうヤァヤァヤァ。革命の時代なら自己批判あるいは総括ってとこか。
 大会前、ぼくは5つの戦略を練ったのだった。
□スタートから106kmの第2チェックポイント(白川エイド)までは寝ながら走る。
□エイドでは座らない。
□登り坂では、遅くてもいいから走り続ける。
□睡魔は走ってぶっ飛ばす。
□本気を出すのは150kmから。
 さて実際はどうだったか。
□「さくら道」を走れる歓びに浮かれ、あらんことかスタートから30kmあたりまで暴走した。
□エイドでは、いきつけの小料理屋におじゃました体で、ゆっくり座して時を過ごした。
□登り坂では、「後半に向けての筋肉温存」という逃げ口上を思いつき、ほぼ歩いている。
□波状的にやってくる睡魔に抗う気合いなく、暖かなエイドで5分、10分と過ごしている。
□いよいよ本気を出すはずの150km手前で、すでに絶望に打ちひしがれている。

 客観分析をすればするほど自分が嫌になってきた。向いてないんだよね、こんなこと。お風呂に首まで浸かりたいよう。布団にくるまってゴロゴロしたいよう。そんなことばかり考えているランナーが、完走なんてできるか? 無理に決まってるじゃない。
 さっきから何人ものランナーに追い越されているんだが、みんな元気そうだ。140km地点で同じ場所にいるってことは、走力としては大差はないのかもしれないのに、彼らはあきらめる気配なんて微塵も感じさせなくて、夜の行軍を楽しんでいるんだもの。
 ぼくに必要なのは精神修行なのかな。写経とか座禅の教室に通ってみようか。滝に打たれて般若心経を唱えたりすると効き目がありそうに思える。すぐあきらめてしまう弱い自分を体外に追い払ってくれる祈祷師とかいないかな。恐山あたりの有名イタコさんに頼めばいくら料金取られるんだろう。
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 午前2時。
 標高875mのひるがの分水嶺を越すと下り坂基調になる。本来、下り坂にさしかかればキロ6分台で走って時間を稼ぐべき場面なのだが、さっきから気持ちスパートしてるのに、GPSの表示はキロ9分台しかスピードが出ていない。エッサエッサと早歩きのランナーに追い越されていく。
 長距離に強いってことは、具体的には「暑さなど気温変化に強い」「登り坂・下り坂に強い」「徹夜走に強い」という3大要素があると思うんだけど、ぼくは見事に3つとも弱い。ストレートもフックもアッパーも、決め技を何ひとつ持たずリングにのこのこ上がってしまったボクサーだ。袋叩きにあって当然つったら当然かもしれん。
 長距離走者を襲う代表的なトラブルは、「脚の故障」と「胃をはじめ内臓の不調」が双璧を成しているが、これはほとんど全員のランナーが見舞われる現象であって、あくまで織り込み済みの困難である。痛い・苦しいをリタイアの原因としてるようなら、ハナからこんな場所に来なさんな、と怒られそうなもんである。    
  
 午前4時。
 「スミマセーン、スミマセーン」という声で目が覚める。
 150kmあたりからはじまる平瀬温泉の温泉街を抜ける頃には、歩きながら完全に眠っていた。
 前方のT字路で、韓国人ランナーがこっちに向かって両手をふりながら大声を張り上げている。
 「スミマセーン、道はどっちですかー」
 右方向を指さして「そっちそっちー」と叫んで返す。「ありがとう、あなたガンバッテー」と韓国人は走りだす。レース中、何人かの韓国人ランナーと軽く挨拶をしたけど、皆この大会に向けて簡単な日本語をマスターしてきている。すごいな。
 走り去る彼の背があっという間に小さくなる。次の関門まであまり時間ないものな。君こそガンバッテ、その調子なら間に合うよ。
 知らぬ間に夜が明けている。眼前に白山山系のヒマラヤひだを思わせる急峻な壁が、圧倒的なスケールで迫っている。わぁすごいな。4月も後半だというのに、残雪は汚れもせず白く美しい。
 見はらしのいい庄川沿いの一本道。前にも後ろにも誰一人の存在も確認できなくなる。桜色のフラッグを掲げた大会車両がひんぱんに横を通り過ぎる。ぼくが最終ランナーってことか。遅すぎて迷惑かけてるのかな。
 谷あいのテント1つ造りの小ぶりなエイドステーションにたどりつく。
 関門のある白川郷エイドまで距離は9.5km。残された時間は70分。1km7分で走る脚と気持ちは・・・もう残っていない。
 「ここでリタイアします」と告げる。
 今まで一度も感じなかった空気の冷たさが体の芯まで届き、ガタカダ震えがくる。スタッフの方が、石油ストーブを足下まで寄せ、毛布で身体を覆ってくれる。(ああ、情けないなあ)という後悔の念が押し寄せる。
 「せっかくこんなに世話してもらってるのに、不甲斐ないです」と言う。
 「163kmも走ってきたんでしょ。大したもんだよ」と慰めてくれる。「また来ればいいよ」「ここでエイドやってあげるから」。ううう、すみません。
 ぼくが最終ランナーだと思いこんでいたのに、エイドには続々と後続ランナーが入ってくる。
 顔見知りのランナーに「あれ、やめちゃうんですか。やめなくていいのに」と言われる。
 「はい、もうキロ7分で走れる脚なんてありません」と答える。「それより、今からでも白川郷の関門に間に合うんですか」と聞き返す。
 「わからないけど、きっと大丈夫なんじゃない」とケロッとしている。
 何人かのランナーと、同じような会話をする。誰もが自分のゴールを、完走を信じて疑っていないことに驚く。制限時間ギリギリなのに。今から標高1000m近い山越えが待っているのに。ここからペースアップできる脚を残したこの強い人たちと、弱々しく毛布にくるまるぼくの間には、乗り越えられない川がある。
 今シーズンは月間600〜700kmを走り、苦手なスピード練習もやったのにさ。「身体にいい」とテレビや雑誌やネットで耳にしたサプリメント、飲みに飲んで10種類も常用してるのにさ。玄米に鶏ムネ肉に不飽和脂肪酸オイルにと、一流アスリートみたいな食事してきたのにさ。走れば走るほど弱くなってる気がするさ。
 「僕には明るい未来が見えません!」がリフレインする。誰のセリフだったっけ。ああ、アレだ。新日本プロレスの混乱期に、札幌大会のリング上で若手のリーダー格だったプロレスラー鈴木健三が叫んだ言葉だな。あのとき師であるアントニオ猪木は何と答えたっけ。「テメェで見つけろ」だっけ。そりゃそうだよね。猪木は言葉の天才だね。
 これからどこに走っていくべきか、テメェで見つけるしかねーな。