バカロードその73 夏にやってみたいろんなこと

公開日 2014年09月11日

文=坂東良晃(タウトク編集人、1967年生まれ。1987年アフリカ大陸を徒歩で横断、2011年北米大陸をマラソンで横断。世界6大陸横断をめざしてバカ道をゆく)

 長距離ランナーの1年は忙しい。先々の予定まで週刻みでびっしり埋まっているという点では総理総裁の上をいくかもしれない。
 だいたいシーズンオフという考え方がない。のべつまくなしに1年中走っている。
 200〜500kmの大会は春と秋に集中していて、その足づくりを目的に100kmを数本入れる。100kmでそれなりのタイムを出すにはスピード持久力が不可欠であり、ために冬期はフルマラソンに連チャンで出場する。フルマラソンを失速なく走りきるには心臓を追い込んでおく必要があり、空いた週に10kmやハーフの大会を差し込む。
 これらの予定をカレンダーに書き込んでいくと、休みなどまったくないことに気づく。
 短いサイクルでガンガンレースに出て、強くなっていくという川内メソッドは中高年には該当しない。脚のダメージを抜くにはフルで1週間、100kmで2週間、200km以上で3週間。これより短い間隔で走りつづけると、「超回復」に至る前に筋肉を酷使してしまうから、どんどん衰弱していく。踏ん張りの効かないぐにょんぐにょんの足で一定のスピードを出そうとすると、体力を著しく消耗する。
 結果、1年中疲労の抜けない精気に乏しい虚弱なオジサンが完成する。
 そんなマーク・ザッカーバーグ並みに忙しい長距離ランナーも、夏の間だけはしばしレースから解放され、練習に没頭できる。7月に突入し、入道雲が高い峰を築く日和になると、ようやくわが国においても酷暑対策に適した練習環境が整う。ベランダに置いた温度計が30度を超えると、気合いが入る。同じ「走る」という行為でも、気温10度と35度では別競技と言っていい。克服すべきポイントがまるで違うからだ。日本ではたった2カ月しかこの灼熱環境が得られない。真夏にどれだけ走り込めたかが、根拠なき自信を高められるかどうかにつながる。そう、高まるのは自信だけであって、競技能力ではない。
     □
【滝汗と手絞りしやすいシャツ】
 真夏は汗がドバドバ出る。弱い牛ほど汗をよくかくと言うが、ランナーも似たようなものだ。弱いランナーほどよく汗をかく。
 その典型がぼくである。10km走ると体重が2kg落ちている。20kmなら3kg減だ。走り終わって鏡を見ると、明らかに顔の輪郭がほっそりしている。少しうれしい。走る前にはなかった背骨の凹凸が、ゴツゴツと突起を現している。これもうれしい。体重62kgのうちの3kgだから、けっこうな比率である。しかし元メタボオヤジ代表としての歓びにひたっている場合ではない。長距離ランナーは、汗が流れ落ちてスリムになり老廃物もデトックスできてすっきり爽快、と簡単に受け入れてはならない。発汗にともなうデメリットの多さは枚挙を問わない。
 気温が上昇してくる春先のレースから汗かき地獄がはじまる。周りのランナーは誰も汗をかいてない序盤だっちゅうのに、バケツいっぱいの水をぶっかけられたくらい汗を垂れ流している。沿道のおばあさんには「すごい汗かいてるねぇ、暑くて大変やねぇ」と声をかけられる。「いや実はね、おばあさん。ぼくは今すごく汗まみれだけど、これは体質から来ているのであって、ものすごく暑くてバテてるからこうなってるのではないのですよ」と説明したいところだが、タイムに影響するので笑顔をふりまいて通り過ぎる。
 ある尊敬する先輩ランナーから視覚障害者ランナーの伴走練習会に誘われ、勇気をもって参加したい気持ちはやまやまなのに、自分の滝のような汗がガイドロープつたって流れていったり、パートナーにびしょびしょかかって、「うへぇ、こいつキモい」と思われやしないかと心配で、いまだに練習会から逃げている。まったく困った小心者である。
 シューズ内はカッポカッポと馬のひづめのごとく音を鳴らし、ずっしり重くなる。びしょ濡れのランニングパンツが発火点となってはじまる股ずれ吉原炎上。そして「自分はものすごく汗臭いのではないだろうか」との対人恐怖。なるべく他人の風上には立たないなどの配慮にも気を遣う。これでは走るどころではない。
 ランナーなら身体から水分が抜けない体質の方が良いに決まっている。汗とともに失われる希少ミネラル、壊れていく体温の恒常性機能。発汗と共に体調はどんどん悪化していく。
 画期的な汗止め対策はない。「多汗症手術」とネット検索してみたが内容を読んで怖くなってあきらめた。何をせずとも、9月になって秋風が吹き始めると汗はピタッと止まる。ならば夏は汗を100リッターかくものとあきらめ、「汗を絞る」方面に注力することにした。走りながらシャツをやおら脱ぎ、汗を吸って重量の増したシャツを二つ折りにして、ぞうきん絞りの要領でギュギュっと絞り、また着直すという原始的な方法だ。
 ひと夏かけて、所有する数十枚のランニングシャツで実験を試みた。そして、もっとも吸湿力が高く、さらに絞ったときに水分を排出しやすいシャツを見いだした。大会の参加賞でもらったノースフェース社のドライ系シャツだ。イチ、ニのサン絞りで、繊維内に蓄積された水分の9割方が落ちる印象。念のため重量を量ってみた。汗を吸いまくった状態で450gのシャツが、絞り終えると250gに落ちる。つまりシャツを絞るたびに着衣込み体重が200gずつ軽量化を果たしていくのだ。ま、それだけ脱水症状にも近づいてくってことだけど。
     □
【ジョグを封印する】
 ここで述べる「ジョグ」とは、疲れもせずどこまでも走れそうなペースのこと。キロ6分30秒〜7分あたりだ。このペースだとたくさん距離を稼げるので、自然と月間走行距離も伸びる。20km×25日で500kmだ。疲労もたいして残らない。
 そして危険な罠に陥る。少々ランニングをたしなんでいる方との定番の会話「最近は月間どれくらい走ってるんですか?」トークである。「500kmくらいですよ」と言うとたいてい「すごいですねぇ」と感心される。もちろん相手は心から「凄い・・・こやつは本物だ!」なんて感心しているわけではない。女子が交わす「髪切ったんだけどぉ」「カワイイィ〜!」くらいの意味のないコミュニケーションの潤滑油である。
 ところが、こちとらふだんから誉められ慣れてないから、「500kmも走ってたら無敵ですね」なんて言われると「オレは無敵なのかもしれない」と勘違いがはじまる。そして月間走行距離に裏づけられた絶大なる自信を胸にレースに臨み、早々のうちに実力を露呈してリタイア、を繰り返す。漫然とジョクペースで稼ぐ500kmに意味はないのである。
 今期は、練習を3タイプに分類し、いずれかの練習に特化した。
 1.10kmの全力走(キロ4分30秒前後)
 2.キロ6分の維持走(バテバテ疲労時のみ許す)
 3.100km以上のロング走
 練習の基本は10kmの全力走だ。といっても基本走力がのろいぼくは、夏場ともなると45分を切るので精いっぱい。ラスト2kmでペースアップを開始し、ラスト1kmは3分59秒以内で走る。土手のうえの一本道を、中年男がもたもたと回転の遅い足を懸命に動かし、取り憑かれたように走っている。すれ違う美ジョガーたちが、こちらの鬼気迫る表情を一瞬見ては目を逸らし、通り過ぎる。見てはいけない物を見てしまったかのように。ラスト200mは視野が狭くなり、脳みそが酸欠になって、地面が近づいてきたなと思うとバッタリ倒れる。
 これを月曜から休みなく続けていると、金曜にはフラフラになってくる。いちばんキツいのが朝だ。疲労が溜まりすぎて布団から起き上がれない。若者と中年の最大の違いは、若者=眠ったら体力回復、中年=寝起きが疲労のピーク、という結果に現れる。
 それでも無理に身体を動かして全力走をする。やがて1km走るだけでゼエゼエ呼吸が荒くなり、「ワタクシ、何のためにこんな事をやっているのでしょうか」との俗人的な心が芽生えはじめる。この感じ、超長距離レースの中盤以降に近い。エネルギー切れや脱水を起こした後に人格崩壊がはじまり、リタイアする理由を100個ほど並び立てて投げ売りセールをはじめる頃の。
 長距離ランナーにあるまじきクサレ外道な人格と化した後に、キロ6分台で走れるだけ走り続けるってのが「キロ6分の維持走」。もはやこの歳になって人格を高潔ポジティブなのと入れ替えるのは無理。ダメ人間でもキロ6分台キープできる能力をつける現実的選択をするのだ。
 そして100km以上の長距離走を月に1〜2本を行う。100km以上走るとやってくる悪魔たち・・・極限の疲労や眠気、足の激痛は、50km走や70km走では再現できない。キロ7分ペース×50km走を何本こなしても、200kmレースの練習には少しもならない。苦しさの次元が別物だからだ。
 この3タイプの練習はいずれもとっても苦しくて、「ジョクペースでファンランニング」という場面がない。10km走中心だから、月間走行距離も伸びない。100km以上ロング走を2本入れて、ようやく月間500kmあたりに達する。息も絶え絶えの500kmだ。これでも実力つかんか!と夏空に叫ぶ。こんだけ努力してるんだから、走力ついてくれよ!
     □
【ウルトラライト・パッキングを極める】
 2日以上かけて100kmを越えて走るときのために、荷物の最軽量化に取り組んだ。
 荷物を持つのが嫌いなのだ。バックパックなんてなければどんなに軽快に走れるだろうか。
 にも関わらず長距離のレース前には、あれも必要、これもイザって時のために持っておこうと、どんどん持参物が増え、最終的には両肩にずっしり食い込むほどに荷が膨らむ。しかし、レースが終わって荷片付けをしていると、実際には使わなかったモノだらけだって気がつく。バックパックの容量の70%は不要品で占められているのだ。
 考え方を変えてしまうことにした。雨が降ったときのためのウインドブレーカー、マメができたときのためのテーピング・・・など「何々が起こったときのための」との予防措置的なブツはすべて除外するのだ。こちとら山岳レースに出るわけじゃない。どんなに長くとも20km以内にはコンビニや自販機がある近代日本の一般道を走っているのである。必要な物は店で入手すればよいのだ。
 思想的には、着ている服とシューズ、現金以外は何もいらない、という所まで追いつめたい所だが、文明人として若干の利便性は確保したい。今のところの極限のウルトラライト・パッキングは以下だ。
 ウエストバック+点滅ホタル
スマホとスマホ充電コード
 ヘッドランプ
 健康保険証
 電子マネーカード
 現金(自販機用)
 それぞれを小分けする防水用ビニル袋
 ・・・以上だ。
 着替えは持たない。着ている服が臭ってきたら、公衆トイレの個室にこもり全裸になってシャツ、パンツ、ソックスを洗う。手絞りしたらそのまま着て、太陽の下に走りだせばすぐに乾く。ビジネスホテル泊まりなら、チェックイン後すぐにホテル備品の浴衣やパジャマに着替えて、衣類はランドリー室に直行。
 予備の電池や薬品は持たない。必要な場面で少量ずつ買う。歯磨きはあきらめる。これで総重量350グラム。ウエストバックは玄関脇にぶら下げておいて、いつでも旅に出られるようにしておく。この夏は、九州縦断、四国横断、北海道縦断とロング走を繰り返す。
     □
 2014年の夏は、後がない夏である。死ぬ気でやって結果を出さなければならない。世は科学トレーニング全盛だが、ぼくら世代は、幼少期に見た「侍ジャイアンツ」「あしたのジョー」「キャプテン」でもってすくすくとスポーツ脳が細胞分裂した。弓矢をバットで打ち返し、蛇口を針金でぐるぐる巻にし、3分の1の距離ノックでボロボロに。根拠なきハードトレーニングが栄光へと続く唯一の道だと刷り込まれているのである。