バカロードその93 金龍うねる道をぐねぐねいこう

公開日 2016年03月01日

文=坂東良晃(タウトク編集人、1967年生まれ。1987年アフリカ大陸を徒歩で横断、2011年北米大陸をマラソンで横断。世界6大陸横断をめざしてバカ道をゆく)

(前回まで=長崎県の橘湾岸スーパーマラニック276kmの2晩目。スタートから30時間が過ぎ、173km地点・小浜温泉エイドでは再出発の時間が迫っていた。残り103km、闇夜の行軍へとランナーたちは歩を進めるのであった)

■2晩目の夜から3日目の朝へ(173km~230km)
 夜7時45分。小浜温泉街のはじっこにある南本町公民館の玄関前の狭いスペースは、大勢のランナーたちでごった返している。すでに173kmを走り終え、「中継地点」と呼ばれるこの場所で休憩や仮眠をとっていた人たちは、すっかり精気を取り戻し、エイエイオーと叫ばんばかりに気炎を上げている。
 一方、この地への到着時刻が遅れに遅れ、仮眠時間ゼロのまま再スタートラインの地面にべったり座り込んでいるぼくは、盛り上がるランナーたちを上目遣いに眺めては、(なんでこの人たちは30時間も走りつづけて、こんなにハイテンションなんだ?)と、醒めた視線を送っている。30時間前、長崎市街にてスタートを切った時に120人いたランナーだが、173km地点での生き残り組は60人。既に半分はリタイアしている。
 この「中継地点」では、夜8時再スタート組を第一陣にし、深夜12時まで1時間おきに自分の希望する時間に再スタートできるルールだ。まだレースを続けている60人のうち40人ほどは、夜8時再スタートを選択しているようだ。早い時間にスタートすればするほど、ゴールの制限時間(翌日の夕方5時)までの余裕度が増す。スピードのないランナーが完走を狙うには、この時間に走りだすしかない。
 夜8時きっかりに、ランナーたちは真っ暗な湾岸の夜道へと繰り出した。
 島原半島は、九州本土とは地続きながら、果樹になる重い果実のような形状で、有明海や天草灘に向かって島嶼状の陸地を張り出している。今からこの半島を、反時計回りにぐるりとまわりこみ、半島中央部に連なる山岳地帯の裏側にある島原市を目指すのである。
 島原市は中継地点から57km、全行程の230km地点にある。当コースに詳しいランナーが述べる黄金法則としては「朝7時に島原市中心部の島原城エイドに着いていたら完走できる!」とのことだ。ということは、11時間で57km。時速5kmをキープすれば間に合う。しかし徹夜2晩目の時速5kmは、簡単なようでいて簡単ではない。どこかのバス停で1時間、2時間と眠りこんでしまえば、帳尻をあわせるために時速6km、7kmとペースアップが求められる。だから大事なのは「眠らないこと」。これに尽きる。モーレツな眠気に襲われる前に、少しでも距離を稼ぐべく、1キロ7~8分ペースで最初の10kmを走ることに決める。
 海岸沿いの道路は、急傾斜の崖地にむりやり道を切り開いた格好で、落石や高波避けのために設けられた洞門が繰り返し現れる。コンクリート柱が連続するトンネルに、打ち寄せる波音が静かに響く。歩道をとるほどの道幅がなく、狭い路側帯は路面が傾いている。
 キロ8分ペースでも、集団の中では最速であり、前にいるランナー全員を抜き去る。先頭を走っているという自意識が脳内ドーパミンの放出スイッチを押す。
 (そうだ。オレは夜に強い、徹夜などモノともしない不屈の男なのだ)とよい気分にひたる。バカは高い所と、一番前が好きなのである。ちなみにこの時、先頭を走っていると思ったのは勘違いで、総合1位になった選手が姿すら見えないほど先にいたもようです。
 再スタート直後にアホ走りをしたおかげで、周りに姿が見えるのはウルトラランニング業界では名の知れた強豪ランナーばかりである。この276kmレースの女性最速記録を持っている女傑、総合2位でゴールする熊本の凄玉ランナー。なかでも目を引かれるのが「九州爆走女」という暴走族のような名称のチームに所属する女性軍団だ。この長丁場をアラレちゃんやペコちゃんなどコスプレウエアを身にまといながら、終始速いペースで走っている。彼女たちは、ご当地ではスター軍団のようで、見ず知らずの応援の人に記念撮影をせがまれたり、キャーキャー黄色い声援を送られたりしている。お顔を拝見すると、なかなかの美女揃いである。ついにウルトラランニング業界にも、会いに行けるアイドル的な存在が萌芽しているのだろうか。
 203km地点、「原城」城跡のチェックポイントに着いたのは深夜1時ごろ。
 遠い昔、学生時代に歴史の教科書に蛍光マーカーを引いたか引かぬか、「島原の乱」の根拠地となった場所である。日本有史以来、時の政権に対する謀反としては最大規模のクーデターである。当時わずか16歳であった美少年・天草四郎をリーダーにまつりあげ、幕府に武装闘争を仕掛け、この原城にこもって戦ったわけである。結果として反乱は成功せず、最終的には幕府軍13万人に城を取り囲まれ、籠城して戦ったキリシタン農民一揆軍3万7000人ほぼ全員が打ち殺された・・・とされる。
 この城跡全体に、キリシタンらの怨念が漂っている恐れもあるが、遠い過去からのメッセージを受信できるほどの霊感体質ではないようでよかった。「せっかく観光地に来たのに、真っ暗でなんもわからんどー」などとブーブー文句をわめき散らしながら、城内に設けられたエイドにたどり着く。
 ここのエイドはちょっとしたバイキング形式。器によそってくれた温かい中華粥の上に、何種類もの具材を自分でトッピングできる趣向である。うずら玉子のニンニク漬け、高菜、シャケ、塩昆布、高菜・・・など10種類ほどの総菜がトレイに並べられ、盛り放題なのである。こりゃウメーぞ! トッピングの組み合わせを変えながら3杯おかわりし、ガツガツ食いあさる。真夜中にここまで準備してくれるありがたいボラの方(九州ではボランティアスタッフのことを「ボラ」と呼んでいるみたい。呼び捨てではなく、失礼にも当たらない模様です)に、ペコペコお礼を繰り返す。
 原城を後にし、幹線道路に戻る。国道沿いに点在するバス停は、屋根と柱だけで風がぴゅーぴゅー抜ける吹きっさらし。さして居心地がよいとも思えない待合いベンチに、先行したランナーたちがぐったりと寝込んでいる。ある人は太腿にヒジをつき真っ白に燃え尽きた「あしたのジョー」スタイルで、別の人はベンチに仰向けに寝て腕も脚もだらーんと垂らした失神KO型で。累々たる屍の山を乗り越えていく感じで、前進を続ける。
 前方の暗闇をついて、猛スピードで女性ランナーが駆けてくる。「九州爆走女」の伝説の一角を成す有名ランナーの方だ。なんでスタート地点に向かって走ってるんだろ。「手ぬぐいを落としたので1kmくらい道を逆走しています」とのこと。「高級な手ぬぐいなんですか?」と聞けば、「ううん、普通の。でも人にもらったやつで、気に入ってるの」。ふーん、200km走っても体力があり余っているのだろうか。深夜2時、こちとらダラダラと繰り返される上り下りにうんざりしているってのに。先輩ランナー方からいただいた金言が脳裏にこだまする。
 「初めて参加する人は、この276kmのうち一番キツいのは、最後の2つの山越えだと思っている。でも本当の山場は、徹夜2晩目、再スタートからの60kmの平坦部分だ。リタイアする多くのランナーは、この平坦部分であきらめてしまうのだ」
 なるほど。山岳地帯に突入する前段階の「平坦な道」こそ鬼門なのだな、とあらかじめ警戒させてもらえたのはよいとして、問題はこの60km、実際んところ平坦でも何でもなく、坂道だらけじゃねーか。
 (コレのどこが平坦だってぇのブツブツブツ)
 (ウルトラやってるヤツなんて、坂道登りすぎて頭壊れてんじゃねーのブツブツブツ)
 つけるだけの悪態を闇夜にぶちまけて、負のエネルギーを糖質に変換しながら、朝焼けが東の空を紫に染める島原市へのバイパス道をひた走る。
 
■3日目の朝からゴールへ(230km~276km)
 230km地点、島原城の門前にある「島原城エイド」に着いたときは、すっかり夜が明けていた。テント前は、何十人ものランナーでごった返している。3張りほど用意されたテントの下では、汁物の食事を配膳するボランティアスタッフとランナーで賑わっている。われわれより4時間遅れで深夜12時にスタートした後半103km部門の選手たちが、続々と追いついてきているのだ。300人余りが参加する103km部門の実力的にボリュームゾーンの選手たちが、朝7時すぎにこの島原城あたりに集結してきているようだ。
 エイド前の地べたにどっかり腰を下ろし、大会から配布された地図帳をながめる。
 この地図帳、ランナーは携帯することを義務づけられている必携品だが、72ページの大作である。そこに112枚もの地図、17枚の標高高低図が収納されている。年金手帳よりやや大きいコンパクトサイズでポケットに入り、手に持ったまま走っても負担を感じることはない。なんとなく修学旅行前に配られる「旅のしおり」っぽい質感が、郷愁を誘っている。
 さてさて、ふむふむ。このお城を出ればゴールまで残り46km。7kmの間に450mの眉山(まゆやま)峠へ登り、6kmかけて海岸近くまで下る。そして再び14kmの登りを経て、標高740mの雲仙温泉入口の仁田峠へ向かう。道路最高点にあたる峠からゴールまでの20kmは、ほぼ下り基調というわけか。
 お城を後にすると、清流流るる用水路脇に居並ぶ旧の武家屋敷跡を散策しながら土の道を走り、やがて広くてきれいなドライブウェイに出る。眉山(まゆやま)へと続く坂道のはじまりだ。登山道とは違い、勾配を抑えるためにダラダラ傾斜のヘアピンカーブを設けたZ坂を登っていかなくちゃならない。
  山の中腹にあるエイドに名水があると聞かされ楽しみにしていたが、どこから名水が湧いているのやら見つけられなかった。
 眉山峠の最高点に達すると、右手に壮大な火山が見えてくる。雲仙普賢岳の山岳群の片鱗を成す平成新山である。1991年に大規模な火砕流が起こり、44人の死者・行方不明者を出した大災害の現場でもある。頂上全体を覆う荒々しい岩のブロックは、かつて噴き出した溶岩の塊が冷え固まったのだろう。
 ドライブウェイと平成新山の間には広い谷が横たわり、その基底部はカール状になっている。火砕流と土石流が流れ、土砂が堆積してできたものだ。荒涼とした谷底には、幾重もの砂防ダムが連続して造られている。乾ききった月面の土地のような場所ながら、ちらほらと若木が芽吹いている。
 ゆるい下り坂を、たくさんのランナーがびゅんびゅん飛ばしていく。傾斜のきつい登りはすべて歩き、下りで猛然と飛ばしてタイムを稼ぎ、ゴール制限時間の夕方5時に帳尻をあわせる。そんな意図が強く感じられる。
 ところがこちらと来たら、下りはじめてから着地のたびに激痛が足の裏を襲い、登るよりもスピードが出ない。痛み止め薬を飲もうかとも思うが、ゴールまで40kmもあるこの段階では、まだ早すぎる。鎮痛剤に頼るのは、「全力疾走でもしない限り、ゴール関門に間に合わない」という状況に追い込まれた時だ。手前で飲み過ぎてると、肝心な場面で効かなくなってしまう。
 残り時間と距離の暗算をくりかえす。何度計算をやり直しても、「時速5.5kmキープでギリギリ」という結果である。しかし、ここ数時間は時速5kmでしか進んでいない。更に厳しい山越えをもう1つ残している。エイドで休憩したり、歩きを交えたりしていたら、絶対に間に合わない。下りで飛ばせないのだから、登りで時間を稼ぐしかない。一刻の余裕もないのだ。
 かつて土石流が流れ落ちた水無川。その河口近くにある水無川大橋をわたり終えると、徐々に山登りの道へと突入する。14kmつづく登り坂は、ぐねぐねS字カーブの連続で、標高をいくら稼いでもどこまでも木立の中で、景色を遠望できる所はない。同じような風景がいつまでもつづく。
 ゴール時間に間に合わせるには休まず走るという選択肢しかないため、ゼエゼエ息を切らし、ベチョベチョに汗をしたたらせて、峠へと続く単調な道を登り続ける。10人、20人とランナーを追い越していく。誰も走ってはいない。でも彼らはラスト20kmの下りで猛烈に走る計算をしているに違いない。下れないぼくは、今どんなに苦しくても走るしかない。
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 14kmの登りを歩くことなく走りきって、標高740mの仁田峠まで登りつめるとラスト20kmである。峠の頂上から2km先の雲仙温泉街まで下っていくと、たくさんの「ふつうの観光客」が土産物街を散策している。久しぶりに遭遇するランナー以外の種族である。当たり前だが、みなきれいな洋服を着て、女性たちはいい匂いのする香水をつけている。自分の泥々に汚れたパンツのお尻や、首に手ぬぐいを巻いた格好が急に恥ずかしくなる。
 温泉街に設けられた大会チェックポイントは「大叫喚地獄」という噴気地帯の最も奥にあるようだ。地中からの噴煙がもうもうと白煙をあげ、鼻をつく硫黄臭漂うなか、登り階段だらけの遊歩道がひたすら長い。
 選手をチェックポイントに導く看板に記された「マラニック」という文字をしげしげと見つめていた小学生くらいの女の子が、「ねぇ、マラニックってなあに」と尋ねてきた。「地獄みたいに長い距離を走らされるピクニックのことなんだよう」とおどろおどろしく言うと、女の子は「ふーん」とうなずき、そばにいたお母さんに「地獄みたいなピクニックしてるんだって」と楽しそうに説明していた。
 温泉街を抜けると、ぐねぐね林道の下り道。気を紛らわすために、ゆずの「夏色」をエンドレスリピートで歌う。ゆっくり下るために。
 後方からたくさんのランナー集団が現れては、抜き去っていく。森を抜け、見通しのいい直線道になると、前後に20人ほどのランナーの姿が見える。脚を引きずって歩いている人もおれば、早くもラストスパートをかけている人もいる。ゴールが近づくにつれ、どんどん人の密度が高まり、ぎゅーっと濃縮されてくる印象だ。この雰囲気、橘湾岸スーパーマラニックの時間差スタートの妙である。ランナー個々の走力に応じて、6段階、12時間にも分けられたウエーブスタート。 雲の上の存在であるトップクラスの選手と、関門時間ぎりぎりで超えてくる人が、ゴールの手前ではひとつの塊になる。「やっとここまで来ましたね」と長旅の終わりの感慨を分かち合える。他の大会にはない橘湾岸スーパーマラニックの持つ世界観である。
 ゴールまで5kmを切ると、1kmごとに残り距離の表示板がつけられている。250km級の大会でははじめてだ。フルマラソンの大会みたいでおもしろい。減っていく数字を横目にしては「あぁ終わってしまうのか」という寂しい気持ちをかき立てられる。そして「お風呂にビールに海の幸に」というゴール後の現世利益を思い浮かべては頬が緩むのを隠せない。しかしやっぱし最大のご褒美は「布団」だな。なんせ50時間以上、眠ってないのです。
 小浜温泉街の裏山を駆け下ると、長い坂道が終わりを告げる。
 20時間前に再スタートを切った場所なのに、何週間かぶりに戻ってきたような帰郷感が灯る。メイン通りから一本奥に入った小路を抜けていく。煉瓦畳の道路の両脇に、格子窓の旅館や商店が並んでいる。いわゆるレトロモダンな街ではなくて、本当に古めかしく、ひなびた空気が漂っている。今度訪れるときは、昔ながらの温泉民宿に泊まるのもよいかな。
 残り1kmの看板が現れる。腕時計を見ると、ゴール関門の17時まで6分しかない。
 さあ、ぶっ飛ばそうか。もはや思い存分走っても怪我することはないだろう。足の痛みを忘れよう。背中にしまい込んだ羽根を広げて、空中を滑空しよう。走れ、走れ、全速力で。腕のGPSが4:05m/kmと指している。2日間、足の速筋なんていっさい使ってなかったから、いくらでもスピードを上げられる。うほほー、やっぱし走るのって楽しいや!
 湯煙立ちのぼる温泉街。夕暮れの橘湾の静かな海。走りつづけてきた湾岸の道程を後ろに置き去りにしながら、最良の気分でラスト500mをスプリントする。