バカロードその100 四国横断ど真ん中編 その2

公開日 2016年10月25日

文=坂東良晃(タウトク編集人、1967年生まれ。1987年アフリカ大陸を徒歩で横断、2011年北米大陸をマラソンで横断。世界6大陸横断をめざしてバカ道をゆく)

(前号まで=吉野川河口から四国西岸の宇和島市まで330km。四国の山岳エリアを貫く国道439号線をたどる走り旅にでかけた。徹夜明けの早朝、ようやく高知県境の京柱峠を登りきった)
 吉野川河口から京柱峠までの125kmに25時間もかかってます。懸命に走っているのに、結果は時速5kmという歩きに等しいペース。酷暑・徹夜・坂道3点セットを克服する鍛錬じゃー、と威勢よく走りだしたものの、これでは練習になってません。イカれた中高年の深夜徘徊です。
 しかし「東祖谷」、長かったです。剣山見ノ越から40kmもの間、ずーっと地名は東祖谷でした。へたすりゃ小さい国くらい広くない?と思って調べたら旧東祖谷山村(228平方キロメートル)の面積は、モナコ公国(2平方キロメートル)やリヒテンシュタン(160平方キロメートル)よりも広いようです。領土の規模からいけば、国王さまが存在したり、世界の隠し財産が集まるタックス・ヘイブンにもなれるスケールってことだね。
 京柱峠から高知県側へと急傾斜の曲がりくねった道を下ります。車幅1.5台分の狭い国道は、山腹の斜面を削って造られ、道の両サイドの狭い空間には器用に街道集落が築かれています。切れ落ちた谷側は土地がないため、鉄骨やコンクリート柱を崖面に立てて、本来は何もない空間に地面を設け、その上に住宅を建てています。反対側の山側は、傾斜角60度といった崖面に家屋分の敷地を捻出するため、ハシゴに等しい急階段をコンクリート擁壁に刻み、道路からはるか上部に、横長の続き間を持つ母屋や農作業小屋を並べています。
 立ってるだけでズズズと滑り落ちそうな斜面を開墾した畑では、腰の曲がった80歳くらいのお婆さんが熱心に野良作業をしています。下界ではバリアフリー住宅が当たり前になりつつありますが、山の暮らしには無縁の概念でしょう。
 人はなぜここまで苦労をして、こんな急傾斜地を住処とし、集落を築いたのでしょうか。
 いや、都市空間が平野部に誕生する前の時代は、大半の人間は山村で暮らしてたんだっけか。山なら飲み水に困らないし、家族を養える程度の鳥獣や木の実、根っ子が確保できるもんね。
 平野では数十年おきに河川が氾濫したり、津波に根こそぎ洗われる壊滅的な大災害に見舞われるけど、山間部には起こらない。ムリヤリこの地にしがみついてるのではなく、下界よりも生命財産を守りやすいから、山の奥の奥まで人は進出したのだろうか。などとNHK時事公論的な、だからどーした的解説をこの地に加えつつ、「コンビニとスーパー銭湯のない街じゃ生きらんねぇよね」という俗人らしい結論に至るのでした。
 京柱峠から18km下りつづけると、三好市と高知市を結ぶ国道32号線にぶつかります。この国道、ふだん車で通るときは、断崖上の細道といった印象ですが、ひなびた国道439号を2日間旅してきた目には、大都市を貫くハイウェイのように立派な道路に映ります。エンジンをフルスロットルにした車が行きかい(実際はゆっくりです)、沿道には洗練された外観のカフェや、デザイナーズ住宅が並びます(実際はふつうです)。
 さて困ったことがあります。山岳地帯でふんだんにもたらされていた山水、沢水、湧き水が、この道には皆無なのです。水がないと、太陽の下で火鉢のように熱くなった皮膚の表面温度を下げる手段がありません。ランニングの最中に汗をかけるのは最初の50kmくらい。体内の水分が枯渇すると汗が止まり、体温は急上昇します。体温を冷ますには、露出した肌や衣類を水で濡らしつづけるしかないのです。
 国道32号に出てわずか11km間で、思考がまとまらくなり、投げやりになったり、視界がぐらぐら揺れたりしました。軽い熱中症です。冷水器並みの冷たい天然水が、山からジャブジャブ提供されてたから、猛暑のなかを走ってこれたんだと実感させられます。
 高知県大豊のインターチェンジあたりから、本山町の早明浦ダム方面へ右折し、再び国道439号に戻ります。蛇行する吉野川に沿う国道もまた蛇行し、ちっとも真っ直ぐ進めません。地図を見ると、吉野川南岸の国道よりも、北岸の田舎道の方がより直線的に早明浦ダムに向かっているみたいなので橋を対岸に渡りました。しかし何のことはない。北岸道路もまた、細かく左右にS字カーブを繰り返しては、ぜんぜん直進できない道でした。
 バイパス道ができるまでは、本山町のメインストリートだったと思われる商店街には、スズランの花のようなレトロな街灯が並んでいます。競技用の人工壁がある吉野クライミングセンター前を通りすぎると、高さ106メートルの偉容が頭上に迫る早明浦ダム前にポンッと出ます。四国最大の水がめです。貯水量3億立方メートルは全国ダムランキング10位です。あの有名な黒部ダムでも2億立方メートルですからスケールの大きさがわかります。このあたりに雨がそこそこ降らないと、四国の東半分が干上がってしまう重要拠点です。ダム壁を後ろにまわりこむと、「さめうら湖」と呼ばれる人造湖が広がっています。
 ダム湖畔に着くと、この旅はじめて目撃するタイプの人たちが大挙して現れました。茶髪のロン毛でヒゲを生やしたおにいさん、エロい丈のショートパンツをはいたおねえさん方が、アイドリングさせた排気量のデカいSUVカーを取り囲んで、大人数でたむろしています。
 この人造湖、アウトドアスポーツの拠点として開発しているらしく、看板によるとジェットスキーにバナナボート、フライボードにスタンドアップパドルボートと若者が好むコンテンツ満載です。
 なるほど、週末の夕暮れどきを男女がキャアキャアと楽しく過ごすには最適な場所ですね。大別すれば彼らとぼくは、同じアウトドアな趣味に興じているわけですが、そのきらびやかさたるや雲泥の差です。なんの因果でぼくは徹夜走なんて地味なことやってるんでしょうか。ぼちぼちモテ系の趣味に変更すべきかもしれません。
  夜6時、宿泊地である「さめうら荘」に着きました。徹夜1泊で175km進みました。ネットで予約できない、つまり電話予約オンリーの「さめうら荘」は、さぞかし廃れた宿ではないかと想像していましたが、ロビーからして宿泊客で溢れかえる、とんでもなく大賑わいな人気宿でした。電話予約の宿、あなどりがたしです。
 清潔な和室の窓からは湖を一望でき、日光の下でよく干されたと思われる布団はフカフカで気持ちいい。洗濯機は無料で使わせてくれ、小ぶりながらもサウナや水風呂つきの大浴場も備わっています。夕食の「さめうら定食」は、地元の郷土料理が満載かと思わせるネーミングながら、メイン料理がなぜかエビフライと意表をついてきました。ここは東西南北、海から最も離れた山中でありますよ。ま、飢えた体には、どうでもいいことです。揚げ物が心地よく染み込んでいきます。これだけのサービスで、夕食つき6000円台とお値打ちの宿です。ネット予約全盛の時代に電話でしかアプローチできない宿にこそ、高い付加価値が秘められているのかもしれません。
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 翌朝3時に起床。真っ暗な湖畔からの再スタートです。宇和島まで155km、距離としては半分以上進んでるので、なんとなく気楽になってきました。
 さまざまな表情を見せる国道439号線ですが、ここいらでは北側に石鎚山系、南側に笹ヶ峰など1000m級の連山を削り取るように東西に延びています。道路と並行するのは「どういう原理でこれほどの宝石のような碧色が生まれるの?」ってくらい神秘的ブルーが溶け込んだ仁淀川。その美しさは、今まで旅先で見たどんな「自称・日本一の清流」よりも、頭ふたつ分くらい引き離しています。その神秘的な仁淀ブルーに、汚れきった心が純化されていくのを感じます。・・・と思って感激していましたが、帰宅後に地図を見ると仁淀川ではありませんでした。地蔵寺川という川です。地蔵寺川バンザイ!
 しかし昨日の午後は、暑さと寝不足のダメージでキロ8分でもハアハアあえいでましたが、今はキロ5分台でも鼻歌まじりに走れます。5時間ほど睡眠をとっただけで人間って驚異的に回復するもんです。人間バンザイ!
 30km進んで「633美の里」という道の駅で、おむすびとかき氷をいただきます。「633美」は「むささび」と読ませます。この地で交わる国道194号と国道439号の2つの数字を足すと「633」になり、近辺の森に棲んでいるムササビや、自然の「美しさ」の意味も加えたという、盛り込みすぎて返って難解になってしまったネーミングです。地域の商工会や役場のおじさま方が命名会議で「これしかないろ!」と盛り上がった様子が目に浮かびます。
 通り雨が降りやむと、真夏の日射しが戻ってきました。
 国道沿いに「池川町へようこそ、この先700m中心街↑」と右折をうながす看板が現れたので、素直に指示に従います。美しい仁淀川(ここでも間違えています。安居川という川です)にかかる橋を渡り、対岸の旧街道をゆきます。
 池川の商店街は、店々のたたずまいも看板の文字も、昭和の頃からタイムスリップしたみたいです。カランコロンと扉の音がする時代がかった喫茶店、生活に関わるものなら全て売ってそうな金物屋さん。道ばたには湧き水がとうとうと溢れだし、畳10帖ほどの広い水汲み場が造られています。飲もうと思って覗いてみたら、小魚が群になってうじゃうじゃ泳いでいたので、飲むのをやめました。
 池川の街で最も印象的なのは川辺に居並ぶ旅館群です。砂利石だらけの河原からそのまま石垣を積み上げ、頼りないコンクリの支柱を施した人工の地盤に、古い紡績工場のような木造の旅館が建っています。文豪が長逗留してそうなたたずまい。あるいは「銀河鉄道999」に登場する田舎の星の停車駅にある宿を連想させられます。
 河川敷には、川遊びに興じる家族連れの姿が見えます。雨上がりの猛烈な日射しに射られた肌がチリチリ焼けています。こうなりゃ飛び込むしかない! 服も脱がずにそのままの格好で川にジャブジャブ入ってみました。大の字になって浮かび、流れに身を任せて、川藻のように流されます。体温がガンガン下がっていく。ああこの快感よ永遠なれ・・・しかし水温が冷たすぎて5分もすると痛くて浸かってられなくなりました。一目散に河原にあがり、シャツや靴下を手絞りします。洗濯も兼ねられてよかったな。ずぶ濡れだけど、すぐ乾くだろう。
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 仁淀川町の市街地の外れにあるT字路で国道33号にぶつかります。以降は仁淀川の流れに沿って進みます。やっと本物が登場です。でも走ってる際はそこまでに現れた川も仁淀川と思い込んでいたので、特に感慨はありません。
 中津渓谷の温泉へと誘う看板に後ろ髪引かれる交差点を過ぎると、四国カルストの高原へと向かう国道440号と、その南側を迂回する439号に分岐します。距離的には少し遠くなりますが、「坂道練習」の主旨にのっとって、四国カルストを縦断する440号へと進むしかないでしょう。
 仁淀川上流に築かれた大渡ダムの北岸道路あたりで日没です。大渡ダムもまた大きなダムで、貯水量では早明浦ダム、魚梁瀬ダムに次いで四国第3位です。ダムマニアみたいになってきましたが、まあまあ好きくらいです。
 ダム北岸の道には歩道がありません。ドライバーから見て歩行者が死角に入るS字カーブが多く、夜間走には向かない危険な道ですので、この道を走られる方はご注意ください(誰が夜中にこんなとこ走るってえの)。
 ダムの最上部に四国電力の面河第二発電所があって、そこから発電所の裏山に入ります。垂直の壁状に迫る急峻な山です。首が痛くなるくらい見上げた高い位置に、オレンジ色の街灯の連なりが見えています。国道440号です。とほほー、あんなとこまで登るんだよね。
 発電所から国道まで直線距離にして500mしかないのですが、アクセス道は北へ南へとスーパー蛇行し、4kmも遠回りしながら標高差120m分を登っていきます。崖面にショートカット道は見あたりません。階段も生活道もなく、手かがりのないつるっつるの擁壁はロッククライミングも不可能です。
  所用わずか1時間くらいの、このくねくね道の登りで疲労の極に達してしまいました。山腹を登り切って、国道との合流地点に達したときは心底疲れていて、道路の真ん中にへたりこんでしまいました。四国カルスト直下にある地芳峠(標高700m)までは、登り坂が16kmも続くというのに。
 深夜の峠道にはなんにもありません。眠気を覚ましてくれる集落も自販機もありません。街灯はたまにしか現れず、後はひたすら闇で、自動車はやってこず、眠くて眠くてどうしようもありません。仮眠できそうな場所も見あたりません。
 
 唯一、道路縁のコンクリートブロック壁の上部に、階段で行ける二間続きの地蔵堂があり、壁はないものの地蔵さんの前に板間がありました。お堂の脇にゴウゴウと山水が流れ落ち、板間の床は飛沫を浴びてびっしょり濡れています。立っていられないほどの睡魔から寝ころんでみたものの、床は冷たいし水音はうるさいしで眠れそうにありません。信者が寄贈したものと思われる熊のプーさんの大きなぬいぐるみが奉られており、防寒になるかと抱きかかえて眠ろうとしてみたけど、プーさんもジトッと湿っていて、寒さは和らぎません。あきらめてまた走りだしました。
 地芳峠の最高地点は長いトンネルになっています。そこまで行けばトンネルの中で休憩できるだろうと思い、「峠までがんばれ、トンネルの中で横になってやる」とつぶやきながら、ようやく地芳トンネル(長さ2990m)に着きました。
 ところが期待したトンネル内部は、外界よりも遙かに気温が低く、ビュービュー風が吹き荒れています。それに、どういう建築技術なのか、壁面と床面のすべてがビショビショに濡れているのです。トンネルの到る場所から水が溢れ出し、排水溝を勢いよく流れています。地下水を防水壁でブロックするのではなく、トンネルの内側に浸透させて逃がすという、最新型の土木技術なんでしょうか。
 冷水のベールに覆われ、クーラーの吹き出し口にいるようなトンネルは、立ち止まることも許されず、3kmのあいだ歩き通すしかありません。
 
(※帰宅後調べると、このトンネルは大変な難工事であったらしい。四国カルスト下部にあるこの場所は、掘削段階から1分間に20トンという膨大な湧水が出たり、工事中の崩壊が2度あるなど、大湧水群のなかを掘り進めた。水深約200mの水圧と同じ数値に達し、山岳トンネルであるにも関わらず、海底トンネルに等しい水との戦いを余儀なくされたという。・・・休憩できないくらいでブツクサ言ってすみません。偉大な日本の土木技術者バンザイ!)
 
 深夜2時、冷凍庫トンネルを抜けると、高知県の梼原村に向かって下り坂がはじまりました。下りは居眠りしながら走れるのですが、そのために自分の居場所に自信が持てなくなってきました。ちゃんと宇和島に向かってるのでしょうか。逆走している気がしてなりません。
 ふだんはめったにやらないのだけど、スマートフォンでグーグルマップを開いて、現在地を確かめようとしました。世の中で「やってはいけません」と盛んに警告されている歩きスマホよりもタチの悪い走りスマホです。
 グーグルマップを見ても、やっぱし今どこにいるのかわかりません。坂道を早足で駆け下りながら、スマホを横にしたり逆さまにしたりしていました。
 地図に集中しすぎていました。踏み出した右足の裏がとらえるはずの地面が、そこにありませんでした。
 びっくりする時間もなく。
 体勢を立て直そうとか、自分に何が起こったかとか、考える余地もなく。ただ真っ直ぐに落ちていきました。
 身体ってのは反射的に動くものらしいです。
 スマホを握っていた左手で、落下を食い止めるよう、道路側の路面を掴もうとしました。左の掌と、両脚の裏に「バンッ」という衝撃が突き抜けました。
 道路の端から崖側に落ちたのでした。その場所は、道路の右側に並ぶ側溝を覆うブロックの終点で、前方はガードレールも何もない、切れ落ちた谷になっていました。
 谷底には落ちませんでした。運良く路面から1m下に、着地できるだけの狭い突起があり、そこに直立したまま着地したのです。足が引っかからなければ、10m以上崖を転がったはずです。スマホを持った左手で路面を叩いたため、スマホのディスプレイはバキバキに割れてしまいました。全然もったいないとは思いませんでした。助かったー、生きとったー、ラッキーじゃー、を心で繰り返しました。
 道路に這い上がり、また走りだしました。衝撃で眠気はふっ飛んでます。いっときハイテンションな精神状態になり、調子が出てきたかと思えたのは錯覚でした。全身のあちこちに打撲症状が出てきました。両肘、両膝、お尻、足の裏が痛く、あちこちから血も出ています。いちばんひどいのは左膝で、短時間のうちに目視できるくらい腫れはじめ、ソフトボールを膝にくっつけたみたいに丸く膨らんでいます。ズキンズキンと脳に届くほどの脈を打つ痛みがあります。
 (半月板を割ったんか?走るのやめといた方がいいのか?もっと悪化させたらスパルタスロンに出られなくなる)
 しかし、リタイアを検討しようとしまいと今は深夜3時、そして山の中。エスケープ道もなければ、路線バスも動いていません。たとえ怪我がひどくても、自力で山を下るしかないのです。吉野川河口からここまで270km、ゴールの宇和島まで60km。まだまだ先は長いのです。
 着地するたびに痛む、まん丸でぶよぶよした左膝をときどき触りながら、なぜか思ったのは、(いやしかし、この程度の苦難を乗り越えられないようじゃ、とてもスパルタスロンなんて完走できない。この際、膝が壊れてもいいから、宇和島まで走るぞ。こいつをやっつけた先にしか明日はない!)でした。
 午前3時、痛みを抑制するために脳から放出された快楽物質が、ぼくを怪しい方向へと導きつつあるようです。   (つづく)