バカロードその109 鶴岡100kmその3 日本でいちばん制限時間の短い100kmレース

公開日 2017年08月19日

文=坂東良晃(タウトク編集人、1967年生まれ。1987年アフリカ大陸を徒歩で横断、2011年北米大陸をマラソンで横断。世界6大陸横断をめざしてバカ道をゆく)   

(前号まで=9月初旬に山形県で行われる鶴岡100kmは、制限時間が11時間以内と厳しいレースだ。ぼくは50kmを5時間12分で通過したものの、気温35度を超す猛暑に見舞われペースはだだ落ち。最後まで粘りきれるだろうか)

 青空には一点の曇りもない。天球のてっぺんに居座る太陽は、自らの威力を示さんばかりに「これでもか」とギラギラを放射している。降り注ぐ光は頭上にのしかかり、質量があるかのごとくズッシンと重い。
 お昼を過ぎると、コースの道ばた何カ所かに、氷ブロックを山盛りにしたバケツが置かれた。大会スタッフの配慮だろう。バケツに手をつっこんで氷を5個、6個とわしづかみにし、パンツの両ポケットに突っ込む。顔や腕や脚やあらゆる皮膚に塗りたくり、口に放り込んでガジガジかじる。内臓を冷やし、皮膚表面も冷やす。体温が1度下がるだけで意識は明瞭になるものだ。身体自体が持っている体温調整力を遥かに超えた環境では、外部要因を徹底的に使うしかない。
 並走した選手が「完走できそうなペースで走ってるのは6、7人らしいよ」と教えてくれる。ぼくはその6、7人に含まれているのだろうか? 周回コースということもあり、自分の順位はさっぱりわからない。このクソ暑さと11時間という制限時間を克服し完走できたら、ちょっとは自信がつくのではないかと考えるとヤル気が湧き出し、つかの間シャキッとなる。が、すぐに太陽に押しつぶされてフニャフニャになる。
 60kmを6時間28分。ランナー同士は、周回の違いで追い抜いたり追い抜かれたりしながら、少しの時間を並走し、言葉を交わし合っている。
 ゼッケンナンバー1番をつけたランナーに何度か追いつく。当大会ではゼッケンの数字が若いほど大会黎明期からの参加者ということになる。1番ならば30年以上前からウルトラマラソンに取り組まれているに違いない。終始マイペースで、ニコニコ笑顔で楽しそうに走られている。わずかな時間を並走するたびに「いい走りをしてますよ」とか「(底の薄い)ターサーでよく走るねぇ」「氷をポケットに入れるのはよいアイデアです」なんて声を掛けてもらう。ベテランランナーからお褒めの言葉をいただくと舞い上がる。「でしょでしょ~」などと調子乗りな返事をしていた。しかし、帰宅してから氏のお名前を検索してみると、おそれ多くも第一回サロマ湖100kmウルトラマラソンの優勝者であった。30年も前に100kmを7時間台で走られているお方に軽口叩いて・・・穴があったら入りたいです。
 8周回目、前方をいくランナーが民家の前で立ち止まる。足元には、庭先から歩道に突き出したパイプがある。パイプの先端からゴウゴウと溢れる地下水は、ポリバケツに注ぎ込まれている。そのランナーは、水が満タン入ったバケツを「エイヤッ」と頭上まで持ち上げ、バッシャーンと全身にかぶった。
 思わず「み、水ごりですか!」と声をかける。修行僧のような荒行の結果、彼のシャツやパンツ、シューズまでびしょ濡れだが、「気持ちいいよ! 君もやってみたらどう!?」と全身で爽快さを表現している。マネしたい、気持ちいいだろうな。だけどタプタプのシューズじゃペースをあげて走れない。(よし、ラスト1周になったら、絶対やってやるど!)と心に誓う。
 80kmラインを8時間51分で通過し、9周目に入る。最終関門とも言える90kmラインは制限時間10時間ちょうど。この1周を69分でいけばクリアできる。
 だが100kmを完走するためには、この10kmを65分でカバーする必要がある。更にラスト一周を64分でまとめ、ギリギリ11時間切りを達成できる。
 80kmラインからペースをぐんと上げキロ6分にする。とにかくタイムの貯金をしたいという意識で頭がいっぱいになる。
 3、4キロはスピードを維持できたが、無理があったのだろう。急に意識が遠のき、立ってるのがやっとこさになる。85kmエイドを過ぎると脚のろれつが回らなくなる。真っ直ぐ走れず蛇行し、この1kmに10分近くかかってしまう。
 こんなんじゃ90km関門すら危うい。90kmから先のことなんか考えても仕方がない。熱中症だろうがスタミナ切れだろうがそんな心配している暇あれば、全力で脚を前後に動かし続けるべきだ。90kmを越えたら、いっかい倒れたっていいんだ。とにかく目の前のボーダーラインを乗り越えるしかない。
 「先のことを考えなくてよい」と自己暗示をかけると、脚がふわふわ動きだす。アラッ、けっきょく病は気のものなのかねぇ。再びキロ6分にペースが上がる。
 89km、9時間55分50秒くらい。のこり1kmを4分ちょいで走れば間に合う! 不可能か?  いや今は可能性の有無などを論じている時ではない。自分が出せる最大出力のスピードで駆けるしかないのだ。
 住宅街を抜け、突き当たった丁字路を最短インコースをとって左折する。90kmラインのある本部テントが見えてくる。よっしゃ出し惜しみなく走りきったぞ、結果はどうだい?
 しかしラインを越したところで主催者の方に「ここまででぇす」と止められる。90kmの記録は10時間1分10秒。ラスト1kmは5分18秒にしか上げられなかった。温情で関門を通してくれないかなと淡い期待を抱いたが、オマケは一切ない模様。ハッキリしていてよいことです。
 リタイア地点がそのまま本部会場というのは切なくもあるが、収容バスを待たなくていいので、便利といえば便利である。着替えカバンを置いてある公民館まで20メートルも移動すればよいのだが、なんとその20メートル先にたどりつけない。公民館の駐車場に尻餅ちをつく。選手にぶっかける用に水道から伸ばされたホースの水を、頭のてっぺんから10分間くらいかけ続けるが、一向に体温が下がらない。
 本部テント脇に置かれた子供用のプールに、氷のブロックが浮べられている。その冷水にタオルを浸し、頭や両脚に巻きつけて何度も取り替えていると、少しずつ正常な意識が戻ってくる。
 後続のランナーたちはそれぞれの周回数を経て、スタート地点へと戻ってくる。若いゼッケンナンバーをつけた60代、70代の伝説的ランナーたちもレースを終える。彼らは着替えもそこそこに、公民館の一室にある食卓を取り囲み、缶ビールで酒盛りをはじめている。大盛りのカレーライスを酒の肴に、日焼け顔なのか酔っ払いなのかわからない赤銅顔で盛り上がっている。灼熱下を11時間走っても尽きない旺盛な食欲。こちとら何一つとして喉を通りませんよ。ウルトラランナーとしての豪快さも内臓のタフさも、とても敵いそうにはありませんです。
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 レース終了後間もなく、選手とスタッフ全員は市内随一(と思われる)格式あるホテルで再集合する。マラソン大会の後夜祭といえば体育館で立食ってのが相場だが、鶴岡100kmの閉会式は結婚式の披露宴会場のような立派なホールで行われるのだ。受付で名札をもらってつけるのもパーティみたい。
 指定された円卓の席に着くと、両隣はランナーではなく大会スタッフの方であった。お二人とも20代くらいの若者である。円卓を囲んでランナーとスタッフが交互に座る。全国からやってきた様々な世代のランナーと、鶴岡市という地元に根を張って生きる若者たちが酌をしあう。お世話をする側とされる側の間に仕切りがない。宴会の席の配置ひとつとってもコンセプトが貫かれた素晴らしい大会だと改めて思う。若いスタッフからは、いろんな地元事情を聞かせてもらった。ぬかりなく名物スイーツ情報も教えてもらいメモした。
 やがて選手ひとりひとりの名が呼ばれ、ステージ上に招かれる。100km完走した人も、11時間コース上でがんばった人も、赤ら顔を満足そうに緩めている。
  11時間内に100kmに達したのは5名。ぼくは完走できなかったものの、未完走者のうち最初に90kmラインに到達したという6番目の成績を収められた。関門超えには1分10秒足りなかったわけだけど、われながら実力以上に走り、大変な健闘をしたレースであったな、と自画自賛しておく。
 テーブルには、お腹を満たすに程よい料理が皿を変え何度も届けられる。山形の銘酒はじめお酒は飲み放題だ。好きなだけ走ったあとで、気のすむまで呑める。格別な一日だねぇ。
 愉しい宴席が終わると、ホテル最上階の露天風呂へ移動する。浴槽からは鶴岡市内の夜景が一望できる。仰向けになって浴槽のヘリに後頭部をひっかけ、湯面に身体をぼやーんと浮かべる。今日1日で7リットルは汗かいたな。どの細胞にもアルコールがしみわたっていて心地よい。キッツいけど何から何までよい大会だったな。90kmアウトは来年またチャレンジするための布石としておこう。しかし部屋に帰るのが面倒くさいな・・・このままここでおやすみなさい。

【酷暑下で100km以上を走る対策について】
 30度を超すと常にレロレロになり、コース上にいるより木陰で昼寝している時間が長くなりがちなぼくですが、鶴岡100kmでは日陰に設置された気温計で35度という酷暑の条件ながらも、最後までタレずに走りきれました。85km地点でふらつきと蛇行を起こしてしまいましたが、これは暑さというよりその直前に能力以上にペースアップしたことが原因です。10分ほど我慢していたら元の体調に戻ったので、長丁場レースなら諦めず、歩きを混じえながら体調の回復を待つべきだという教訓も残しました。何らかの危機的状況に陥っても「このまま際限なく悪化していく」とネガティブに考えなくてよいということです。
 話を脇道にそらしますが、最近は実業団マラソンの選手や指導者からこんな発言がよく聞こえてきます。「夏のマラソンを走りきるには暑熱順化はたいして重要ではない。それよりもスタートラインにつくまでのコンディションづくりが大事だ」。真夏に行われる東京五輪や世界陸上を念頭に置いた発言です。全盛期の瀬古選手が五輪前に過剰な走り込みをして血尿を出し、本番で失敗したというエピソードも効いているのでしょう。
 猛烈な陸上競技ファンのぼくとしては、憧れの選手や有能なコーチ陣らがそう発言していると思わず鵜呑みにしたくなります。「なるほど。暑いところで練習しすぎて疲労困憊になるよりは、まずは体調づくりね」とラクチンな道を選びそうになりますが、ぶるぶると首を振って否定をしなくてはなりません。
 当たり前すぎることですが、彼らとぼくらは同じ「マラソン」という言葉を使ってはいても、実際はまったく別物の競技に取り組んでいます。トップクラスのマラソンランナーはキロ3分ペースで2時間10分の短期決戦をしています。一方、ぼくたちの土俵は主に一昼夜以上の徹夜レースです。ペースは昼間はキロ6分以上、深夜にはキロ10分まで落ちるのが普通です。日中、高温にさらされるのが朝9時から夕方4時までとしても7時間。もちろんその前後も、直射日光を肌に浴びつづけています。昼間に蓄積されたダメージは、日没後の暗闇のなかで襲ってきます。ボロ雑巾のように重く役に立たない脚の筋肉、絶え間ない吐き気と空ゲロ、どのような痛みも感じなくなるほどの強烈な眠気・・・。
 このようなバッドな状態に陥らないために、たくさんの打つ手があります。トップランナーが否定する暑熱順化は、われわれにとっては最も重要なトレーニングです。
 ぼくは人一倍暑さに弱く、またゲロ吐き常習者です。だからこそ、元から暑さに強いランナーよりはノウハウが積み上がっているかもしれません。自分を使って人体実験を繰り返し、灼熱の中でもコト切れない方法を探ってきました。
 8月、9月からのウルトラ&マラニックシーズンがいよいよ開幕します。フルマラソンですらほとんど行われないこの真夏に100km以上のレースがたくさん行われるとは、まったくもって超長距離走者という種族はイカれた人たちです。次号では「暑さ最弱ランナーなりの涙ぐましい暑熱対策」をまとめてみたいと思います。