バカロードその119 めざせ難関サブナイン! 

公開日 2018年09月01日

文=坂東良晃(タウトク編集人、1967年生まれ。1987年アフリカ大陸を徒歩で横断、2011年北米大陸をマラソンで横断。世界6大陸横断をめざしてバカ道をゆく)

 歳を取るのをありがたがる人って少数派だと思うんだけど、ぼくは老化が進むのって便利だなあと、日々感心している。人体や脳みそには、人間をラクに老けさせていく機能がインプットされているようなのだ。

 老化によるボケは、深刻な認知症ともなれば周囲を混乱に巻き込んでしまうが、一方で老女を可愛らしい乙女に退行させたりして、現世のあらゆる悩みから心を解き放ち、死への恐怖を軽減させてくれる。
 どっちに振れるかは自身ではコントロール不可能な領域なので、なるべく周囲に疎ましがられないようにボケたいと願う。
 他者との介護上の関係性はさておき、個人の脳内だけの変化を分析するに、老化とともにあらゆるものがどうでもよくなってくる。大まかには「衣食住」への執着がなくなる。若かりし頃に大切に思えた、おしゃれな服を着て、おいしいものを食べて、すてきな暮らしを営む・・・ことの値打ちが目減りしていく。
 ほら、農山村で生活してる高齢のご老人いるよね。何十年も前に買ったありあわせの服を着て、食事はわずかな白米に漬物と梅干しがあれば良し、家は多少の雨漏りやムカデの繁殖くらいなら容認。そういう達観状態に近づいていくのである。座って半畳、横になって一畳以上のスペースは、生きてくうえでは本来必要がない。広すぎる家は、掃除が大変なだけである。
 小皿にちょっとだけ盛られた懐石料理や、大皿にちょっとだけ盛られたフランス料理をありがたがる繊細な舌は元々ないが、加齢とともに一層舌の鈍さは増す。一方で、ガリガリ君やパピコのおいしさはこの世の天国に等しい。70円少々の出費で満足しているのだから、それ以上を求める必要がない。
 どんな仕立てのいい服やブランド物を着てようと、見栄えで人の本質は変わらないと経験から学んでいる。肩書きや立場の良し悪しが人の価値とは比例しておらず、どっちかいうと立場が上の人ほど浅ましいことも。人間は、経歴や所属や資産で身を飾りたがるが、しょせんはうたかたの物である。
 必要以上のゼニカネや人様からの評判を溜め込もうと気を尖らせても仕方がない。カネも名誉も、棺桶に入れてあの世に持っていけるものは何もない。他人からいいね!ともてはやされる人を目指すと日々切羽詰まってくるが、ふだんから薄汚いバカ者だと誰からも相手にされていないなら、何かと気楽である。人の価値なんて、スーパー銭湯の脱衣所でスッポンポンのフリチンになったときに「どんだけのものなの?」を示せればいいのだ。
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 このように、あらゆる点で年寄りは若者を凌駕しておるのじゃが、唯一難点がある。身体的な能力の低下だ。
 歳を取れば健康上の諸問題が押し寄せてくる。しかし身体のどこかに慢性的な痛みがあっても、若い頃なら「何か深刻な病気のサインか」などと気をもむが、五十も過ぎれば「どうせどこかは痛いし、あと何年かしてあの世に行くまでのことだから」と素直に痛みを受け入れられる。病というものは不思議なもので、あれこれ悩みを深めていると進行が早まるが、気にせず笑っていると知らぬ間に治っていたりする。
 何ごとも、あるがままを受け入れると楽ちんなのだが、唯一、ランナーたる自意識がそれを邪魔する。
 「昔出したタイムで走れなくなった」「あの大会を完走できなくなった」とレースのたびに肉体からダウン提示が出され、ガックリ落ち込んで帰路につく。
 この執着心だけは消しようがない。「今年あの記録を出せなければ、来年からはきっと下降ラインに乗って二度と出せない」という強迫観念に迫られる。仕事がどんなにコケていても大して悩まないのに、ただの趣味で苦悶する。バカである。しかし、こればかりは心が勝手に動くのであって、理知的に対応できない。
加齢の進むランナーは、「今年が体力のピークかもしれないから、今年だけはタイムに固執したい」「今年がラスト勝負なんだから、全身全霊で向うのだ」と毎年のように強く思っているのである。バカである。
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 ぼくもその性から逃れられない。今期前半の最大目標は、100kmマラソンで9時間を切る「サブナイン」としている。自己ベストは9時間40分で、我が身をかえりみず上方修正しすぎの目標値であるが、そうしたいのだから自分でも止めようがない。
 あるウルトラマラソンの情報サイトには(世の中にはどんな狭いジャンルにもマニアがいて、対価を求めない奇特な努力で情報提供をしてくれるのである)、100kmで9時間を切れるのは全ウルトラランナーのうち3%、それが50代以上となると1%を切る、と書かれている。
 そのサイトには統計的根拠が示されていなかったので、自分で調べてみることにした。日本の100kmマラソンの頂点にある大会といえば、6月に北海道で行われるサロマ湖100kmウルトラマラソンであることは多くが認める所だろう。記録表が入手できた2014年から2016年まで3年間のサロマのゴールタイムの分布を調べてみた。

□男子出走者のべ8430人中
6時間台 30人(0.4%)
7時間台 97人(1.2%・8時間未満計1.6%)
8時間台 293人(3.5%・9時間未満計5.1%)
9時間台 774人(9.2%・10時間未満計14.3%)
10時間台 843人(10.0%・11時間未満計24.3%)
11時間台 1444人(17.1%・12時間未満計41.4%)
12時間台 2681人(31.8%・13時間未満計73.1%)
リタイア 2268人(26.9%)

 サブナイン(9時間未満)の比率は5.1%である。また多くの市民ウルトラランナーの目標とするサブテン(10時間未満)は14.3%である。分布率からフルマラソンの難易度に当てはめると、サブナインはフルマラソンの3時間10分切り、サブテンは3時間30分切りに相当しそうだ。ただしサロマ参加者は「100kmを完走できる」というフィルターを通した中級以上のランナーであり、誰でも彼でも出ているフルマラソンの達成率よりはゆるく出ているだろう。
 2017年のサロマでは、55歳以上372人のうちサブナイン達成者はたった3人しかいない。こと55歳以上に限るとサブナイン達成率は0.8%まで下がる。
 (サロマでは年齢刻みが45歳~55歳という区分なので、50歳以上に限定したデータは取れなかった)
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 では、ぼくが目標とするサブナインを達成した人々は、どんなペース配分で100kmを走ったのか。
 2017年サロマでは、8時間50分から9時間未満の10分間に24人がゴールしている(左ページ表を参照)。それぞれの選手の10km、フル、50km地点の通過タイムを洗い出してみよう。
 まず10km地点では24人のうち最多の6人が47分台、次いで多い5人が51分台で通過している。

□10km通過タイム
最速 44分25秒
44分台 1人
45分台 2人
46分台 1人
47分台 6人
48分台 2人
49分台 3人
50分台 3人
51分台 5人
52分台 1人
最遅 52分10秒

 100kmを9時間ちょうどでゴールするためのイーブンペースは1km5分24秒、10kmでは54分ジャストである。もちろん100kmの長丁場を同じペースで走りきれる人はいない。後述するが、前半50kmまでに15分から30分ほどの貯金が必要である。中間地点のイーブンタイムは4時間30分。15分の貯金を作るとして4時間15分。これをクリアするためにはキロ5分06秒、10kmを51分で進む必要がある。
 入りの10kmを47分台とした人たちは、サブナインより上の目標を設定し、後半潰れてしまったか、もしくは前半50kmで30分ほどの余裕を得て後半のプレッシャーを抑えようとしたか、どちらかだろうと推測する。
 入りが51分台の方々は、まさにサブナインを出すために理想的なタイム配分をし、計算どおりに最後まで走りきったクレバーな方々だろう。
 次にフルマラソン地点(42.195km)の通過タイムを分析しよう。

□フル通過タイム
最速 3時間12分55秒
3時間10分~14分59秒 1人
3時間15分~19分59秒 3人
3時間20分~24分59秒 3人
3時間25分~29分59秒 13人
3時間30分~34分59秒 2人
3時間35分~39分59秒 1人
3時間40分~44分59秒 1人
最遅 3時間40分14秒

 タイムにばらつきがあった10km地点に対し、面白いほどの集約が見て取れる。24人のうち半数以上となる13人が3時間25分~29分59秒の5分幅で通過しているのである。
 これはひとつの黄金法則ではないか。
 「サブナインを達成するには、フルをサブ3.5ギリギリで通過すること」
 と言っても残り距離は58kmもある。全力を出してサブ3.5を切っても仕方がない。口笛吹けるくらいの余裕をもって3時間半以内にフル地点を通過しないと、サブナインには至らない。
 24人のうち最も遅い人は3時間40分14秒。これより遅くなってしまえば戦線離脱と言っていい。
 中間点である50km地点も見てみよう。

□50km通過タイム
最速 3時間52分31秒
3時間45分~50分未満 1人
3時間50分~55分未満 2人
3時間55分~4時間未満 0人
4時間00分~05分未満 6人
4時間05分~10分未満 8人
4時間10分~15分未満 5人
4時間15分~20分未満 1人
4時間20分~25分未満 1人
最遅 4時間22分33秒

 いったんフル地点で足並みが揃ったものの、わずか7.8km先でバラけている。これは多くの選手が、フル地点での目標値をサブ3.5に設定しており、中間地点までは少しペースを緩める人が出てきたということか。
 24人の平均値は4時間6分29秒である。平均値を元にキロあたりペースを計算してみよう。サブナインランナーたちは、前半50kmをキロ4分56秒、後半50kmをキロ5分47秒でカバーしている。ごく単純にイメージするなら、前半50kmをフルサブ3.5ペース、後半50kmをサブフォーペースで押していければサブナインを達成できる。
 最も遅く通過した4時間22分33秒のランナーは、8時間54分28秒でゴールしている。7分27秒の貯金を中間地点で持ち、最後までほとんど貯金を減らさない(5分32秒)まま100kmに達している。走力的にはこの方がいちばん強いと見る。
     □
 さて、このようなハイペースをぼくが維持できるのかと自問すれば、相当困難である。ぼくはフルマラソンの自己ベストが3時間19分04秒だが、平均すれば3時間25分ほどの実力に過ぎない。
 つまり100kmレースのフル地点を3時間29分前後でいくには、ほぼ全力で前半を突っ込まなければならない。そんなことすればきっと後半は歩くのもやっという所まで潰れるのがオチである。・・・との悲惨な末路を予見しながらも、突破する方法はないものかと模索する。
 3月から練習内容を以下のように変えてみた。
 まずはふだんのジョグペースを上げる。日常の疲労抜き10kmジョグを、今まではキロ6分程度で行っていたものをキロ4分50秒に設定し直す。これにより前半50kmまでのペースを身体に叩き込む。
 キロ4分50秒、つまり10km48分ほどのスピードを懸命に出すのではなく、「極めてゆっくりだよね」との意識でいられるよう走りの巧緻性を高める。口はつむったまま、鼻呼吸を保てる程度の負荷で、イージーに前に推進していくフォームを見つける。
 週に2度、水曜と週末はハーフもしくは30km走(キロ5分)を行い、中間地点までにヘバらない脚を養う。
 さらには、キロ6分ペースの50キロ以上走を月2回。後半タレてストライドが狭くなった時でも、キロ6分をオーバーして自滅しないためのロング走だ。
 勝負レースはサロマ(6/24、北海道)とし、その3週間前の柴又100K(6/3、東京都)にもエントリーする。
 柴又100Kで序盤をキロ5分ペースで入り、何キロ地点で潰れるのか、また潰れた後にどの程度粘れるのか。その時点の能力を確かめたうえで本番のサロマに挑む。
     □
 5月上旬の連休を利用して、徳島市の吉野川河口からから愛媛しまなみ海道経由で、島根の日本海側までのジャーニーランにでかけた。
 来たるべき100kmサブナイン挑戦への足づくりの意味合いが強いので、ふだんの走り旅のようにトロトロしないように自戒する。バックパックを担ぐ負荷を考慮しても、キロ6分台で前進するよう心がける。
 初日は徳島市から西条市まで140km、2日目は尾道市まで100km、3日目三次市まで70km、4日目出雲市まで80km。合計390kmの行程である。
で、その旅日記を書く予定だったのだが、あえなく徹夜明けの愛媛県境あたりで両足を傷めてしまい、これ以上酷使すると1カ月後の柴又100kmに影響すると判断し、完走をあきらめた。たまには常識で物事を計ることもオトナには必要なのです。105km地点の伊予三島駅から電車でワープした。
 今治駅前から尾道市までは、自転車を車内に積み込める新・直行バス「サイクルエクスプレス」ってのに乗る。今までは因島のバス停乗り継ぎで2時間30分かかっていたこのルートを、1時間20分で尾道駅前まで運んでくれる(片道2250円)。ゴールデンウィーク中の尾道市内にまともな宿が空いているはずはなく、宿泊サイトで唯一予約が取れた旅館に向うと、玄関ドアの取っ手が外れかけ、カウンターまでの通路は物置状態、エレベータはガタガタ横に縦にと揺れるハードボイルドな宿であった。さすが宿泊サイトのユーザー評価ほぼ1つ☆宿である。5月初旬なのに部屋の中には蚊が群れ飛び、耳元でキーンキンと騒いでくれたおかげで一睡もできず、徹夜走のよい練習になる。
 ズルして電車とバス旅を満喫しているうちに足の痛みは治まり、尾道~出雲間150kmはキロ6分~7分ペースを取り戻して走り切る。
 この中国地方を縦断する道には近年「やまなみ街道」あるいは「歴史街道54」「出雲神話街道」「飯石ふれあい農道」などの名称がつけられ(やたらと愛称の多い道です)、しまなみ海道と同様にサイクリスト向けに道路のアスファルト表面に距離表示や方向が示されていて、ジャーニーランナーにとっても快適な道となっている。
 全行程のうち90%程度は歩道が広く取られ、自動車との接触が危惧される場所はない。ほどよい間隔で道の駅が現れ、トイレには暖房が効き、おおむねウォシュレットを装備している。いくつかの道の駅は真夜中でも屋内(道路情報などを提供するフロア)が開放されており、柔らかいソファもあって短時間の仮眠所として最適である。
 何より中国山地越え(標高600m程度)の青葉に覆われた山々や、艶のある瓦屋根の山里の風景が、走りを飽きさせない。予定した390kmのうち255kmしか走れなかったが、100kmレースへの足づくりとしては十分な練習となった。徳島~しまなみ海道・やまなみ街道~日本海のジャーニーラン完走は、次なる課題としておこう。
 さて、あらゆる物事がどうでもよくなってる割に、執念深く他人のリザルト研究に精を出す老化著しいランナーが、天王山決戦の場・サロマにて難関のサブナインを突破できるのでしょうか。