バカロードその120 逃走しよう!

公開日 2018年09月01日

文=坂東良晃(タウトク編集人。1987年アフリカ大陸5500km徒歩横断、2011年北米大陸横断レース5139km完走。人類初の自足による地球一周(喜望峰→パタゴニア4万km)をめざし、バカ道をゆく) 

 人類は生まれながらにして、できるだけ遠くへと歩いてくように遺伝子にプログラミングされている、と思う。移動を続けながら、野生動物を子どもから育てて飼いならすことを覚え、植物のタネをまいて実を収穫し、食料事情を安定させる方法を発明した。食い物に困らない環境がつくれた土地で定住を決める。いったん決めてはみるんだけど、いつかはその場所から移動をはじめる。

 集団の中でいさかいごとがあって、負けた人たちが追い出されたり、場に溶け込めない風変わりな人間が一人で荒野にさまよい出たり。男女の駆け落ちもあれば、オキテを破った者の逃亡もあるだろう。
 もろもろ理由のいかんを問わず、人類という大きな種族のかたまりは移動に移動を続け、アフリカ中央地溝帯の南のはしっこあたりから南米パタゴニアの隅っこまで、3万5千kmほどの道のりを歩いて旅することになる。
 サルから人間に近づくまでに10タイプくらいのヒト属種がいたけど、とりあえず僕たちの祖先であるホモ・サピエンスは、理由はわからないけど7万年前に、アフリカから北へ北へと歩きはじめた。アフリカから南米まで3万5千kmって途方もない距離なんだけど、7万年を平均すると、1年に500mしか移動してない。原始狩猟時代の先祖は、狩りのために1日20kmも30kmも走って動物を追い詰めたようだから、1年500mなんて距離は、自分が北上・西行したことにすら気づかない微々たる変化だろう。
 ご先祖たちは、それまでの定住地よりも果実がたくさんとれる森や、おいしい肉をぶらさげているヌーやツチブタを追いかけながら、知らず知らずのうちに地中海とベーリング海峡を渡り、その先には荒れ狂う氷の海しかないマゼラン海峡にまで行き着いた。
 厳しい旅で鍛えられた人類は、雨が1滴も降らない砂漠や、大蛇と大サソリがうごめく密林や、凍てつく永久氷床の上と、どんな環境にも適応し、地球という天体の陸地のほとんどを生存拠点とし、種の繁栄を実現した。こうやって、人類は偉業をなし遂げたわけだけど、先頭を切って移動をしつづけた人たちは、誰も「そうしたくて歩いていったわけではない」と思う。
 よその家族の乾燥肉をかっぱらったり、ボスの留守中に嫁とちちくりあったりして、もろもろの悪さをした結果、石をぶつけられて集落から追われ、仕方なく5km先の洞窟で身を潜めて生きながらえた、といった「村八分」型の移動が多かったはずだ。移動の先陣にいたのはハグレ者なのだ。
 集団を統率できる知性と身体能力に富んだ人は、7万年前でも女にモテただろうし、わざわざ集団を離れる理由はないものね。
 だが逆に、長年にわたって少集団の定住が固定化されると、血縁者同士による交配が増え、おのずと健康上の問題が生じて、集団が危機に瀕することもあっただろう。
 つまり人類は、近親交配による絶滅へのリスクヘッジと、酷暑・極環・風土病などの悪環境に適合していく尖兵役を「村から追い出されたヘボいヤツら」に託し、遺伝子を地球の隅々まで運んだことになる。
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 前置きが長くなったけど、僕が言いたいことはひとつなのだ。
 「昔っから社会に適合できないバカは、遠くまで歩いていきたくなる」
 これは、ひいひいひいひいひい×3500回の爺さん、婆さんあたりから受け継いだ宿命であり、クセなのである。だから避けようがないのだ。
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 さて人類のお話から、僕個人の話に矮小化する。
 僕の逃げグセはひどい。世の中の多くの人が真剣に向き合っている行事に対して、僕はマトモに取り組んだことがない。
 大学には行ったけど1日でやめてしまい、就職活動といえばバイト面接以外は一度もしたことがない。嫌なことを耐えたり、我慢してやるという日本人的な感性を持てない。目上の人を敬ったり支えたり、目下の人を慈しんたり育てたりという道徳心がない。
 今いる場所から逃げだしたい、遠くに逃げたいとばかり考えている。
 精神病理学上はスキゾフレニアってやつ、つまり分裂病だ。昭和のニューアカデミズム用語でカッコよくいえばスキゾキッズ。要するに、閉じられた空間のなかで蓄積された成果や人間関係に自分の位置を見いだすことに価値を感じられず、既存の枠組みから逃走したくてしたくて、理由もなく病的にしたくてたまらない人のこと。
 一方で、社会常識を推測する能力くらいはあるので、地の欲望を解放すると完全に無法者となってしまうのを理解している。だから、ふだんの生活では抑圧に抑圧をつづけている。平日には一般市民らしく行動・言動し、道路や廊下の隅をできるだけ小さくなって歩いている。
 他人にはまず理解してもらえない逃避グセをガス抜きするために、週末にはウルトラマラソンの大会(100km~500kmほどを走る)に出たり、ひとりで数百km先まで走りにでかける。
 これらは逃避の代償行為である。あくまで疑似餌であって、本当のエサではない。
 自分にウソ偽りなく心のおもむくままに行動するのなら、行くあてもなく街を離れ、何の目的もなくさまよい、誰も知らない誰もいないところまで移動しつづける・・・のがあるべき姿である。
 しかし、測位衛星がぐるぐる周回する現代の地球には、誰も知らない場所なんて1ミリもないのである。Google Earthにはチベットの山襞の1枚1枚、グリーンランドの氷河湖の1粒1粒まで詳細に映し出されている。そんな辺境に定住者はいないとしても、人間の目に晒されていない土地はもはやなく、今後もテクノロジーの進化が未知性を引き剥がしていく。
 7万年前、村の決まりを守らずに棍棒で殴られ、土くれしかない不毛の地に追い出されたバカ男は、寂しかっただろうがトキメキもあったと思う。その先には何もなく、自分を抑えるものはなく、誰も知らないだだっ広い荒野が、あるだけなのだから。
 僕はそんな村八分男の、ちょっとしたマネごとをやってみたいのである。 (つづく)
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(できごと) 6月、サロマ湖100kmウルトラマラソン(北海道)に出場。9時間切りをめざして序盤50kmを4時間26分08秒で入る。ところが「人は飢餓状態におかれると本来の能力が目覚める」という何かの本に書いてあったことを試すために、スタート時刻前の20時間メシを抜いたせいか、50kmすぎから超絶ハンガーノックになりふらふら。またベスト体重58kgに合わせようと前夜に宿のサウナで2kg絞り、おかげで目まいもひどい。あえなく撃沈し、結果は9時間49分39秒。皆さん、レース前はごはんをしっかり食べましょう。