バカロードその122 高校2年、夜の底で

公開日 2018年10月16日

文=坂東良晃(タウトク編集人。1987年アフリカ大陸5500km徒歩横断、2011年北米大陸横断レース5139km完走。人類初の自足による地球一周(喜望峰→パタゴニア4万km)をめざし、バカ道をゆく) 

(前号まで=16歳のぼくは春休みを利用して「人類史上初」のローラースケートによる四国一周の旅に出た。しかし安物ローラースケートは出発からわずか5kmで車軸が割れタイヤが取れてしまう。仕方ないので、そのまま国道195号線を自分の足で走って高知を目指すことにした) 

 日が暮れてから何時間たっただろう。昼に家を出てからずっと走っている。いったい今は何時なのか。時計は持っていない。
 上那賀町の中心街(現那賀町小浜あたり)の向こうからは、唯一の光源である街灯がなくなった。
 右側の森の奥からガサガサと獣が動く音がする。左っ側のガードレールの向こうは深く切れ落ちた谷になっている。トンネルが何本か続けて現れる。ゴツゴツと波打つ岩盤の表面にコンクリを吹きつけただけの素掘りのトンネル。薄暗い黄色のランプが灯り、いかにも心霊が手招きして待ってそう。壁に浮き上がった地下水のシミが、人の顔に見えてくる。トンネルの中は外気温より5度は低い。寒さと恐怖で膀胱がキュンと縮まる。
 こわごわ抜けたトンネルの向こう。背の高い木立の間の狭い夜空を、光の粒をぶちまけるがごとく星々が埋め尽くしている。キラキラというよりギラギラと電飾のように主張が激しい。
 木沢村と木頭村への分岐点の手前に、集会所みたいな建物があった。ひさしのある玄関先の地ベタに横たわる。両脚がジンジンと熱い。裸足になった足の裏を、ひんやりとしたコンクリートの床にくっつけると気持ちいい。
 それから安物の寝袋に頭までもぐりこみ、穴から目と鼻と口だけを出す。夜明け間近の空気は肌を刺す冷たさで、吐き出した息はたちまち白い蒸気となる。星の洪水が降り注いできそう。これが野宿というやつなんだな。16歳、初野宿。偉大なる冒険家への一歩となる夜だ。
       □
 目が覚めると、あたり一面が白い。朝もやの奥にうっすらと黄色い橋が浮かんでいる。国道195号と193号を分ける出合橋だ。ここで那賀川と坂州木頭川が合流している。出合橋の上から見下ろす2本の川面はぴたりと静止していて流れを感じさせない。広大な湖にいくつもの小島が浮かんでいるよう。
 木頭村へとつづく狭い一車線の道を走りながら、すっかりこの旅に慣れている自分の心境変化を実感する。昨日は終始、興奮気味であった。初めて自分の足で旅に出て、知らない道を夜中じゅう走り、道ばたで野宿した。人生初体験が怒涛のように押し寄せた。
 しかし旅も2日目になると、心はすっかり大人びており、そうそうの出来事では驚かないぞという冒険家としての自意識が芽生えている。
 何かに追い立てられるように走る必要もない気がして、もっとこの偉大な旅を楽しむべきではないかと考えるほど余裕が生まれている。
 ひと回り厚みを増した自らを表現すべく、道ばたで拾ったエロ漫画本を読書しながら歩くことにする。田舎の道にはけっこうな数のエロ本が落ちているのだ。
 すると道路から一段あがった所にある畑から、野良着姿のお婆さんが興味深げにこっちを見ていたので「こんにちは」と挨拶する。
 「ぼく、どこから来たんえ?」と聞かれる。阿南からですと答えると「遠いのに歩いてきたんえー、勉強しながら偉いでぇ」とひとしきり感心する。エロ漫画を読みながら歩いている様子が勤勉勤労の士・二宮尊徳とカブったのだろうか。
 「いや、まぁそんなとこです」とモゴモゴ返事する。お婆さんが「おにぎり食べへんかえ」と言うので、ほしいです、ほしいです、と懇願する。プラスチックの弁当箱から取り出された、何の変哲もない海苔を巻いたおにぎり。中には、ほっぺたの脇の唾液の出口がキリキリ痛くなるくらい酸っぱい梅干しが入っていた。昨日、同級生の福良くんのお母さんにもらったバナナを食べてからまる1日、何も腹に入れてなかった。
 見ず知らずの村人と出会い、施しを受けながら、歩みを進めるのもまた旅の醍醐味であろう。「テレレレッテッテレー♪」と経験値のあがる効果音が聴こえた。
 大きなおにぎりを食べると、この旅に出てはじめての便意を催してきた。むろん木頭の山奥に公衆トイレなどない。崖側のガードレールをまたいで擁壁を両手両足を使って下り、杉の葉が降り積もった森で脱糞する。「テレレレッテッテレー♪」人生初の野グソでレベル5に昇格である。
 ぐねぐね道を右へ左へと曲がり峠道を登っていく。四ツ足峠トンネルの入口にさしかかると、2回めの日没がやってくる。「虎が出るので気をつけろ」と注意を受けた四ツ足峠トンネルだが、むろん魔物が現れたりはしない。それよりもこんな山奥に2kmもの穴を、戦争が終わって10年しか経たない頃から掘りはじめた土建屋のおじさんたちの熱量に感心する。こっちは走ってるだけでも大変なのに。
 トンネルの真ん中に徳島と高知の県境がある。徳島を脱出するのに、自分の足なら2日もかかってしまうのかと、その広さに改めて驚かされる。
 「十代のカリスマ」と呼ばれるロックシンガーたちは、生まれ育った場所を「こんなちっぽけな街」と歌い、飛び出さなきゃとアオる。だけど、端っこまで自力で到達するにはこんなに苦労しないといけない。しかも先人が原野を拓いて築いた道を使い、山ひだを掘り抜いたトンネルをくぐって。「生まれた街、あまりちっぽけでもないよなあ・・・」。筋斗雲に乗って地の果てまで行ったら釈迦の掌の上だった、みたいな気分。
 トンネルの出口からはひたすら下り坂。テケテケ走っているうちに精も魂も尽き果てたって状態になる。2泊目の寝床は、クワやトンガなどの農機具やコンテナが山積みにされた農作業小舎。バス停も兼ねているみたい。ベンチには座布団が敷いてあって温かい。今夜は熟睡できそうだ。
 ローラースケートを履いて旅に出たのが昨日のこととは思えない。遠い昔の記憶のようだ。
       □
 3日目は何ごともうまくいかなくなった。足の裏がグニョグニョするので、靴下を脱いで覗いてみると直径5センチの水ぶくれができている。いったいこれは何なんだ? 変な虫にでも刺されたのか。この頃のぼくは、長距離を走ればできるマメだと知らなかった。怪しい病気にかかったのかと気分がふさいだ。
 一度目にすると気になる。休憩のたびに裸足になって足の裏を注視する。水ぶくれは1個だけじゃなく指先や指の間に7つも8つもできている。一番大きいのは靴を脱ぐたびに大きさを増し、次第に真っ黒に変色しはじめる。これは血なのだろうか。両足とも水ぶくれだらけで、地面に着地すると稲妻のような痛みが電流となって脳天に届く。それはそれは痛い。
 ここにきて、旅のロマンだの冒険家としての自意識の芽生えなどはどうでもよくなり、歩いても歩いても縮まらない「高知○km」の道路標識を呪いはじめる。
       □
 高知駅にたどり着いたのは夜の10時頃だ。公衆トイレに入って鏡に映った自分を見ると、乾燥しきった髪の毛がボサボサと空中に逆立っている。メガネを外すと、フレームの跡を白く残してデコや頬っぺたが赤黒く変色している。可愛く言えばパンダ、実際んとこはドリフのコントに出てくるホームレスなおじさん顔。
 あまりに薄汚いので風呂に入りたくなり、駅前で立ちタバコをしていたタクシーの運転手に近場の銭湯を教えてもらう。駅のすぐ裏手にある時代がかった銭湯で汗とアカを流す。銭湯を出て、野宿ポイントを探してうろつくが、高知駅の周辺には適当な場所が見当たらず、ボロい駅舎に戻る。
 1階の待合室に、ヌシのように腰掛けているホームレス風情の爺さんを発見。髪の毛ばかりか顔中が白髪で覆われている。何となくこの人の許可が必要な気がして「寝れるとこないですか?」と話しかける。眼光鋭くこっちを見返した仙人爺さんは「君、幾つ?」と問う。「16歳」と答えると「いい場所があるので少年に提供してあげよう」と先に立つ。
 照明の消えた2階への階段を登った先は踊り場になっている。脇の土産物店は営業終了している。ここなら朝まで誰もやってきそうにない。確かにベストポジションである。仙人爺さんは「敷き布団にしろ」と段ボールをくれると、余計な会話は不要だとばかりに、きびすを返して去っていった。
 過去2日の寝床に比べると天国のようだ。寒風は吹きつけないし、夜露に濡れる心配もない。3日ぶりに入った風呂の石鹸の匂いが心地よい。
 眠りに落ちて何時間たったのだろう。数分なのかもしれない。目が醒めると、仰向けに寝ている枕元に人の影がある。両方の膝に肘をつき、しゃがみこんだ姿勢で、こっちの顔を覗き込んでいる。歳の頃は三十代後半。黒いポロシャツによく刈り込んだ短髪の男。
 「大丈夫?」と話しかけられる。
 どの点を確認しているのか不明だが「ダイジョウブです」と答える。
 「どこから来たの」
 「徳島からです」
 「サイクリストなの?」
 「いえ走ってきました」
 「ふーん、変わってるね」
 方言ではなく標準語を使っている。ぼくが晩ごはんを食べていないことを確認すると「ちょっと待ってて」と階段を駆け下りていく。10分もしないうちに戻ってくると、熱い缶コーヒーと和菓子の虎巻きパックを床に置いてくれる。「食べなよ」と言う。
 喉が乾きすぎていて、虎巻きの生地が唾を持っていってしまい、無理に飲み込んだらゲホゲホとむせ返る。喉につまった虎巻きを缶コーヒーで流しこもうとしたら、熱すぎて目を白黒させる。
 「ホントにダイジョウブなの?」
 男はぼくの前髪に人差し指を当てると、髪をかきわけ、手のひらを額に当てる。「熱はないか・・・」。血管が浮くほど痩せた前腕。手首から香水のいい匂いがする。心なしか男の視線が熱い。      (つづく)