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2009年1月

  • 徳島で結婚を決意したら読む本。 結婚しちゃお!春号 kekkonshichao-2009spring地元徳島での結婚に役立つ情報満載の
    「結婚しちゃお!春号」が1月28日に発売されました。

    人気の式場・披露宴32会場をはじめ、指輪、衣裳店、
    写真館、エージェント・プロデュース会社、美容室、
    演出・引出物、2次会パーティ会場など、
    県内のウエディング関連のお店を413店掲載!
    これからすぐ結婚準備に取り掛かるという人はもちろん、
    結婚を意識し始めたカップルも読んで楽しく
    知って得する内容がたっぷり詰まっています。
  • 徳島ランキンググルメ発表!タウトク2月号 tautoku0902★人気店の売れてるメニューベスト5★
    「何を食べても美味しい」と評判のお店へ入り、いざメニュー表を開く。「どうせならそのお店で一番美味しいといわれるものが食べたーい」という人、タウトク2月号を見て注文の多い人気メニューをチェックしましょう!
    ★タウトク刑事スペシャル★
    大好評のレギュラーコーナータウトク刑事の拡大版。神山にあるちょっと珍しいメロンパンや不思議フルーツチャンドラポメロなど、読者の素朴な疑問を解決すべく今日もタウトク刑事は徳島中を駆け巡る!
  • 熱砂に汗がしゅみこむのだ サハラマラソン参戦4カ月半前「追い込みの記録1」
    文=坂東良晃(タウトク編集人)

    (これまで=アフリカ・サハラ砂漠を230キロ走る「世界一過酷なレース」にエントリーしたタウトク編集人。メタボリックかつアラフォーの二重苦をものともせず、ひたすらに走るのだ)
     12月は「もう死ぬー」というくらい自分ってヤツを追い込む、そう決めた。「ここいら辺でちょいと一休みを」と身体が訴えても知らない。ランニング教本に書いてある「適度な休息と回復期を与えることで能力が向上する」との科学的アプローチは完全無視する。
     それくらい追い込まないとサハラに立つ資格を得られないと思う。物事がおもしろいと感じられるかどうかは、1点集中して本気で立ち向かっているかどうかによる。仕事でも道楽でもテキトーに手を抜いて取り組んでも何もおもしろくない。ヒィヒィとノドの奥を鳴らしながら、やれそうにもない事に食らいついていく。そうやってはじめて人生はおもしろみを増していく。

    【3日間で2本のフルマラソン】
     12月21日に山口県で行われる防府読売マラソン、その2日後に開かれる兵庫県の加古川マラソンに出場を申し込んだ。中1日をはさんでのフルマラソン2本は、1週間連続で走るサハラマラソンには及ばぬとも、連チャンレースが肉体に与える影響を試すには絶好である。
     防府読売マラソンは実業団の若手選手の試金石といった色合いのある大会。昨年までは制限3時間でファンランナーの出場は望べくもなかったが、今年より4時間に緩和され一般市民ランナーにも間口が広げられた。といってもテレビの生中継が入り、実業団トップクラスの選手が凌ぎを削るという点では、緊張感は失われてはいないだろう。
     冷たい雨が止まぬ曇天のなか会場入りすると、市民マラソンとは別次元の大会であることを実感する。防府市陸上競技場のトラックをウォーミングアップする選手たちのランニングフォームの美しいこと、そして風を切るように走るさま。明らかにキロ3分チョイのペースで走っている。もちろんぼくの全力疾走より早い、早いに決まっとる! 「う、こんな人たちと走るのか。スタート直後に1人置いてけぼりを食らうんちゃうんか」・・・場違いな場所に足を踏み入れた恐怖心か、あるいは極上の美肉を目の前にした高揚感からか(範馬勇次郎が憑依する混乱ぶり)、得体の知れぬ鳥肌を全身におっ立てながらスタート集団の最後尾に並ぶ。
     号砲とともに飛び出せば、かつて経験した事のないハイスピードの群れの中。「行けるところまで行ったる!」とのプランとも言えぬレースプランにしたがいキロ4分45秒平均で進む。10キロを47分、ハーフを1時間44分台で通過。目標である3時間30分切りを充分狙える。けっしてオーバーペースではない。呼吸は深く、グリコーゲンの貯蔵に余裕はあり、気分も平常である。しかしながら12月の雨は体温を著しく下げ、手袋の内側の指先が凍りつくようである。誤って深い水たまりに何度か踏み入れたため、足指先の感覚は痛みからマヒへと移行する。
     30キロ。変化は一瞬のうちにやってきた。予期せぬ客が「来ちゃったの」って感じである。身体のどこにも力が入らない。明瞭であった意識が遠のいていく。自滅の理由は何だろう、と自問自答する。無理なペースではなかった。それなりに自重もしていた。おそらくは悪天時の練習が足りなかったのだろう。雨天練習は欠かさぬもののウインドブレーカーを2重に着こみ、フードを被って、防寒対策をしたうえでだ。レース用の薄いランパン・ランシャツは、ほぼ素っ裸みたいなものである。水しぶきと横風を受けながら2時間、3時間と走った経験は一度もない。「雨の日もヘッチャラ」との根拠なき自信はもろくも崩れ去り、大後悔へと転じる。濡れ雑巾のように重い身体をズルズルとひきずり、制限時間いっぱいでゴールに入った。3時間59分22秒。自分をまったくコントロールできなかった大失敗レースである。真っ黒にとぐろを巻いた雨雲を背後に従えながら、涙目で防府の街をあとにした。

     翌日は全身に重い疲労感があり、朝起き上がるのに困難を極めた。ハムストリングは悲鳴をあげ、ヒザ関節の軟骨はコラーゲンを失いガリゴリ痛み、足の甲の皮膚の内側には甲殻生物がはいずりまわっているような違和感がある。あと24時間で疲労を除去しなくてはならない。超すっぱい「メダリスト」をガブ飲みし、カロリー補給を促すためにセコイヤチョコレートを10本一気食い。酸味と甘みの波状攻撃を受け、胃腸がもんどりを打つ。   
     加古川マラソン当日は午前4時に目が覚める。1時間ほどしか眠れていないが仕方がない。大会前日はこんなものである。問題は別にある。「今から42キロ走るぞ!」と準備体勢に入ろうとする身体を、脳ミソが拒絶している。体温が上がって来ず、たまらなく寒い。うーマジで寒い。さらにわが脳ミソ君は、なるべく走らなくてすむよう理論武装をはじめる。「無理して走ったらヒザ痛が深刻化するのでは?」「こんな状態で完走できるはずない。加古川までの交通費がムダになるのでは?」「そもそも3日で2レースなんてどんな論理的根拠のあるトレーニングなのですか?」。うむ、それぞれ一理ある。いや、一理などない! などと布団の中で2時間もジタバタ葛藤し、最後は「3日に2本に意味などない! あるわけ
    ない! やると決めたからやるだけだ!」と暴力的に結論づけて、布団から這い出す。
     フルマラソンを1回走った程度のダメージでネを上げていては、サハラマラソンなんてとてもじゃない。サハラは連日フルマラソン程度の距離を、気温40度、荷物15キロ、足元は砂という劣悪環境の中で1週間休みなく走り続けるのである。とにかく自分に負けてはいけない。スタートラインに着く前にギブアップしているようでは、単なるヘタレである。
     さあジャージを着ろ!乳首にバンドエイドを貼れ!股間にワセリンを濡れ!と命令を下しながら家を飛び出し、夜も明けぬ真っ暗な松茂とくとくターミナルから高速バスに乗りこんだ。高速舞子で降り、JR神戸線の快速電車に乗り換える。加古川駅前のショッピングセンターでウンコを済ませ、大会が用意した無料シャトルバスに乗り河川敷の会場に向かう。松茂から加古川まで高速バス・電車・ウンコの時間を合算しても2時間足らずで到着。加古川ってこんなご近所だったのか。
     防府読売とは異なり会場は市民マラソン大会らしい華やかな雰囲気。スタートラインから数百メートル続くランナーの集団は独特の高揚感と興奮を放っている。走りはじめたものの、やはり脚は重く、ストライドが伸びない。キロ5分30秒で精いっぱい。ジョグ並みのペースなのに、2キロも進めば息は荒く、アゴの先から汗がしたたり落ちる。さらに10キロ手前でヒザ痛が再燃し、エネルギーが枯渇しはじめる。2日前に使い切ったグリコーゲンは当然補充されていない。だけどあきらめるわけにはいかない。我慢だ、とにかく我慢である。
     15キロ地点で大会サイドが用意した「4時間」のナンバーカードをつけたペースメーカーに追いつかれる。ペースメーカーは50人ほどの大集団を引っ張っている。この集団から落ちないように走り切ればいいのだ、と頭を切り換える。ハーフ通過は1時間58分39秒、ボロボロのタイムである。23キロ地点で無性に尿意をもよおす。枯れたエネルギーを補給しようとスポーツドリンクを必要以上にガブ飲みしたためだ。コースを離れ、用を足す間に1分ロスする。「4時間集団」ははるか前方へと走り去ってしまった。追いかけよう。キロ10秒ずつ詰めれば5キロ程度で追いつけるはずだ。ペースを5分10秒まで上げる。しかし集団は遠い。追いつけるようで追いつけない。追いつきたい、どうしても追いつき、追い越したい。食らいつけ、あきらめるな。33キロの折り返し地点を過ぎると強烈な向かい風に襲われる。残り10キロ、身体の疲労感はすでに抜け、足の痛みを感じなくなっている。今の自分ができるベストをしよう。身体に軽さはない。スピードも目いっぱいだ。しかしこれ以上は走れないなんて思うな。今走らずして、いつ走るというのか。今全力を出さずしていつ出すのか。走りにリズムが出てきた。「飛ぶように走れ」と自分を鼓舞する。前のランナーをどんどん追い越していく。向かい風を気持ちよく後ろに置き去りにする。
     ゴール、3時間57分32秒。自慢できるようなタイムではないけれど、初めて納得いく走りができた。自分で自分を認められる走りとは、タイムではなく、むろん順位でもない。どうしようもなく苦しく、心が折れる寸前という場面で、粘って、粘って、耐えきれたかどうかなんだろう、きっと。
     ・・・とレース後、一瞬の満足感にひたったわけだが、2度のフルを走ってみて長ロング走に耐えられる脚が全然できていないのではないか?という疑念が湧き上がった。練習でいくら50キロを走っても現れない疲労感や痛みが本番のレースでは続々と襲ってくる。やはり、疲れがすっかり抜けきった良いコンディションでいくら距離を稼いでも意味がないのではないかと思う。この2本のレースのダメージが回復しきらないうちに更なるロング走を試みるべきだろう。
     仕事が休みに入る年末まで1週間あったので、その間はハーフのタイムトライアルなどを連日行い、「ヘトヘト」の状態をキープした。食事をなるべく採らず、エネルギーの枯渇状態を維持した。そして、かねてからチャレンジしようと企んでいた「1人箱根駅伝」を実行した。

    (つづく)
  • 熱砂に汗がしゅみこむのだ サハラマラソン参戦4カ月前「追い込みの記録2」
    文=坂東良晃(タウトク編集人)

    【一人箱根駅伝 140キロ走】
     駅伝とは不思議な存在である。まず、世界のどこでも認められていない日本ローカルの競技方法である。いくつか国際大会が存在するといってもあくまで日本の陸連などが主催する、他国の選手を日本に招聘してのイベントに過ぎない。
     ましてや年始の風物詩とも言える箱根駅伝に至っては全国大会ですらない。関東学連が主催する関東地区の大学生による地域ローカル大会である。だがその大会に賭ける選手・関係者の強烈な思いと情熱が、ふだんスポーツ観戦などしない視聴者や沿道の観客を巻き込み、歓喜の渦を作り上げるのだ。箱根駅伝は敗者の物語である。本人もチームも観客も、誰もが納得する結果を出せる選手はほんの一握りだろう。襷をつなげなかった選手は地に崩れ落ち、シード権を失う原因となった自分を激しく責める。優勝を果たせなかった2位校のアンカーは、詫びの標として両手を合わせてゴールに入る。18〜22歳の今どきの若者が、何と純日本人的な行動を見せるのか。純粋さと、鍛錬と、絶望と。そして再起と。そんな物語を日本人はこよなく愛するのだ。
     去年の正月までは温いコタツに足を突っ込んでボーッと箱根駅伝中継を眺めていたメタボかつアラフォーなぼくが、たまたまランナーのはしくれとなった。もしかしたら自分の脚で、あの箱根路を走ることができたりして・・・なんて思いに取り憑かれた。大手町−箱根間の往路108キロというのもサハラ・トレーニングとしては最適な距離である。これはもうやるしかない。
     東京行きの高速バスを利用し、12月29日早朝6時に浜松町に着く。そこからJR東京駅まで山手線で移動し、箱根駅伝のスタート地点である大手町・読売新聞東京本社前まで10分ほど歩く。まだ完全に夜も明け切らぬ午前7時に出発。左手に高層ビルが林立する丸の内再開発エリア、右手に皇居を望みながら日比谷通りを南下する。帰省シーズンに入った早朝の都心部は人影もまばらで、空気がすがすがしい。小ジャレたカラー煉瓦敷きの歩道は車道2車線分ほどもあり、とても走りやすい。視界には次々と東京の観光名所が現れる。東京駅、日比谷公会堂、内幸町のプリンスホテル、東京タワー、芝増上寺。首を右に左に回しているうちに目まいがしてくるほど。しかし都心部という言葉がイメージさせるハイソサエティな風景は1時間も走るうちに徐々になくなり、庶民的な商店がガード下の軒を連ねる下町的ムードにとってかわる。駅伝中継の名場面でもある蒲田踏切を踏みしめ、川崎との境界である六郷橋の上からは、河川敷の野原にいくつものバラックが建ち並ぶ自由区が見渡せる。ホームレスのおじさんたちがアルミ缶の仕分けと自転車の修理に精を出す。東京丸の内から川崎バラックへと続く道には、人間社会の聖と俗、頂点と底辺が博物館の展示のように示されているのだ。
     鶴見中継所の位置がよくわからないまま横浜駅前に達すれば30キロ地点。80年代の名作映画「夜明けのランナー」は、青年・渡辺徹が東京から横浜までを一晩かけて走るってストーリーだったか。ここはすでに各校のエースが激突する「花の二区」の山場。選手たちは終始トップスピードで駆け抜けている印象が強かったが、権太坂や遊行寺の坂は思いのほか傾斜が強く、またこの坂に終わりはあるのかと切なさが増すほどに長い。こんな過酷な道でエースたちは鍔迫り合いをしているのだ。
     強い浜風が強敵だとされる三区は、湘南海岸と平行する国道134号線を行く平坦路。ふと気がつけば国道わきの防砂林の向こうにたくさんのジョガーの姿が見える。何ごとかと思い海辺に足を向ければ、よく整備されたランニングロードが海岸線に沿ってゆるやかに蛇行し、数百人のジョガーが朝練にいそしんでいるのだ。眼前には陽光を受け眩しくきらめく湘南の海。遠ざかる江ノ島はかすみの彼方、水平線の手前にシャチの背のごとく立つえぼし岩、そして行く手には白富士。まさに永谷園のお茶漬けカードよろしくの東海道五十三次絵巻である。
     当然、口をついて出るのは弥次喜多コンビの膝栗毛の名ゼリフ・・・ではなくサザンオールスターズである。ファーストアルバム「熱い胸さわぎ」から「10ナンバーズ・からっと」「タイニイ・バブルス」「ステレオ太陽族」「NUDE MAN」「綺麗」「人気者でいこう」そして2枚組アルバム「KAMAKURA」へと続く初期サザンの名曲メドレーが脳内ノンストップで流れる。思い出すのは小学・中学・高校時代に、なけなしの小遣いをポケットにしのばせ阿南市役所横のミヤコレコードにLPレコードを買いに出かけた興奮の時だ。マスターCDやダウンロードファイルから違法コピーなどできない牧歌的な時代には、音源を入手するために1カ月の小遣いに匹敵するレコード盤を購入するしかすべはない。払った対価以上に聴き尽くさないともったいないから、レコード盤の溝がすり切れ音が飛びまくるまで何百回となくリプレイした。だから十代の頃に聴いた音楽は身体のすべての細胞まで染み渡り、曲と曲の合間の無音地帯をレコード針がこする音まで記憶している。辻堂、江ノ島、茅ヶ崎、袖ヶ浜・・・地名と風景とサザンが完璧にリンクし、その歌が流れていた時代の青春回想シーンが相まって(その大半は失恋の物語である)、鼻の奥を甘酸っぱくツンと刺激される。まことに悠長な駅伝模倣ランナーである。
     小田原市のメガネスーパー本社前を起点に、いよいよ「山の五区」箱根の登りに突入である。箱根駅伝中もっともドラマチックな場面が生み出される運命の山である。「山の神」と呼ばれた順天大・今井正人が3年続けて逆転劇を演じて見せ、2009年は東洋大の怪物・柏原竜二が今井の記録への挑戦に名乗りを上げた場所である。
     大勢の観光客で賑わう箱根湯本の温泉街を抜けると、坂の傾斜は増し、蛇行する道は妥協なく登りつづける。登山鉄道がスイッチバック方式でしか進めないほどの急傾斜。わかりやすく表現するなら眉山の八万口からの登り坂が15キロ連続しているようなもの。こんな化け物坂を、選手たちはフルスロットルで登り詰めていくのである。テレビ中継の画面からは決して伝わらない極端な傾斜角の険しさを実感できただけでもここまで来た甲斐がある。この五区においてぼくは、「絶対に歩かない」ことを自らに課した。たとえ歩きに等しいスピードまで落ちてしまっても、箱根ランナーの2倍の時間がかかったとしても、やはり走り続けなければ選手の労苦の100分の1もわからない気がするのだ。
     国道1号線の最高地点874メートルの峠を越えると、あとは猛烈な下りに転じる。はるか眼下に芦ノ湖の青い湖面が見える。重いバックパックを背負っているので飛ぶようには走れないが、下り坂は心拍数が上がらないので気持ちよく前進できる。2日後に行われる箱根駅伝を前に、テレビ中継のスタッフが慌ただしく準備に奔走している。彼らに正月はないのだろう。路傍には選手を勇気づける応援のノボリが数百とはためいている。選手より一足先に、その言葉の数々に励まされる役得を享受する。やがて往路のゴールゲートが見える。東京・大手町から108キロ離れた終着地点の眼前には、純白の雪のベールをまとった美しい冬富士が屹立している。ここをゴールと決めていたがもっと走りたい、もっと富士山に近づきたいという欲求を抑えられない。休憩もそこそこに「もっと遠くまで走ってみよう」とバックパックを背負い直す。目的地を定めず、富士の威容がより大きくなる方向へとキックを効かす。峠道をゼエゼエ登り、空中に身体を投げ出すようにスピーディに下り、そしてまたヨタヨタと登る。走る意味を考えながら、自分の行きたい場所はどこかと考えながら、ひたすら走る。
  • 幸せのランチタイム、美味しいお店をCU2月号でチェック! tokushima-cu0902.jpg今日のランチは何食べよう? そんな悩める乙女のCU読者のために、今月はランチの大特集。洋食、和食、パスタにお鍋、丼、カレー…。さらにお昼からリッチにコースでいただけるランチ、数量限定や週末だけのお楽しみランチ、本場の料理人の手によるインド料理や中華料理も登場。ページをめくるたびにあれもこれもと想像は膨らみ、「どれも良くって結局決められな〜い」なんて嬉しい悲鳴をもあげちゃうかも!そんなわけで、お昼になるのが待ち遠しくなるような徳島の美味しい最新ランチ、いよいよ発表です。
  • さらら1月8日号で徳島のおもしろいとこ再発見! tokushima-salala0108とくしま生活情報紙さらら1月8日号、特集は「だから徳島はおもしろい」!
    今回は県外から徳島に来た人が気になった、徳島のあんなこと、こんなことにクローズアップ!「徳島の車はぞろめナンバーが多い気がする…」という疑問について、車の販売店に直接伺ってみたり、「徳島に来てお寿司に金時豆が入っていたのに驚いた!」というご意見に対して、金時豆入りのお寿司が県内のどこまであるのかを独自に調査し、金時豆入りのお寿司の分布マップを作成したりと、様々な角度から徳島に迫ってみました!ずっと住んでいて“当たり前”になってしまっている、徳島のおもしろさが再発見できちゃうかも。
    また2009年のスタートを飾る「嗚呼!さらら番付」は…
    不況がなんだ!地味め生活のすすめ!
    読者の方から寄せられた不況をぶっとばすアイデアの数々に、驚いたり共感したりすること間違いなし!

  • 月刊タウン情報CU*12月号 実売部数報告 cu0812_busuu.jpg cu0812_suii.jpg

    月刊タウン情報CU*12月号 実売部数報告です。
    タウン情報CU*12月号の売部数は、
    5966部でした。
    詳しくは、上部に表記してある画像をクリックしてください。
    メディコムでは、自社制作している
    「月刊タウン情報CU*」「月刊タウン情報トクシマ」「結婚しちゃお!」
    の実売部数を発表しております。
  • 月刊タウン情報トクシマ12月号 実売部数報告 tautoku0812_busuu.jpg tautoku0812_suii.jpg

    月刊タウン情報トクシマ12月号 実売部数報告です。
    タウン情報トクシマ12月号の売部数は、
    9241部でした。
    詳しくは、上部に表記してある画像をクリックしてください。
    メディコムでは、自社制作している
    「月刊タウン情報トクシマ」「月刊タウン情報CU*」「結婚しちゃお!」
    の実売部数を発表しております。
  • 熱砂に汗がしゅみこむのだ サハラマラソン参戦5カ月前「長い長い季節をどこまでも走ろう」
    文=坂東良晃(タウトク編集人)

    (前回まで=アフリカ・サハラ砂漠を230キロ走るレース出場を決意したタウトク編集人。古本詰め込んだバックパックを背負って今日も砂浜をひた走る)
     歳をとると1年がアッという間に過ぎ去る・・・と大人は語る。自分が若者と呼ばれる年齢の頃は、その意味がわからなかった。ひと夏ですら永遠のように感じた。地獄と呼ばれる野球部の夏練習がはじまると、心から夏の終わりが近づくことを願ったが、日めくりカレンダーの進行は遅々としていた。夏の盛りはどこまでも右上がりで、太陽は地面に黒々とした影を焼きつけつづる。
     秋の先には冬が訪れ、その向こうに春という節目が設定されていて、自分にとって重要な人が遠くに去ってしまったり、二度と会えなくなるかも知れない。そんな先々のドラマを想像するのは無茶だ!と反論したくなるほど、季節の変化はゆったりとしていた。
     いつから時間の流れに加速がつきはじめたのか。世の中の大半の人と価値観を共有できないと知ってからか。自分の能力を遙かに超えるようなチャレンジをしなくなってからか。何かを成し遂げるために生きているのではなく、生きていくために何をやるか選択するようになったからか。
     三十路に突入すると、「1年はアッという間」をイヤってほど実感する。七草セットがスーパーに並ぶを見て正月の終わりを知り、桜舞う交差点に春のあはれを覚え、お盆には海にクラゲが出るから泳いではいかん!と若者を注意しているうちに、もう大みそか格闘技特番のカード発表なんだもんな。
     今感じている1年という時間を帯グラフ化すれば、中学生の頃の夏休み分くらいの幅しかない。この分じゃあ、かりに平均寿命まで生きたとしても、残り数十年はジェットコースターに乗ってるみたいに猛然とつき進んでしまうのか。
     ・・・そんな思いがカンペキに覆された1年であった。アシックスのランニングシューズを買ってから季節がひとめぐりした。新品シューズの底をドタドタと鳴らし、わが身体は何と重力の影響をモロに受けるのかと絶望した1年前が、まるで5年くらい昔の出来事に思える。

     「走る」ことが目的ではなかったのだ。
     2年前、休暇を利用してヒマラヤ・トレッキングにでかけた。18歳のときにエベレスト・ベースキャンプを旅して以来、20年ぶりのヒマラヤだった。十代の記憶は時を経ても鮮明で、脳内イメージの自分自身・・・つまり身体に余分な脂肪がついてない冒険大好き少年が、飛ぶような勢いで山を駆け上がり、岩場をピョンピョンとトラバースして遊んでいた記憶とのギャップの激しさに打ちひしがれた。
     現実世界にある肉体は、鉄球の足枷をはめられた罪人のごとく重く、標高差わずか数百メートルの峠を越えるのに心拍数はレッドゾーンに達し、汗が暴力的に吹き出す。現地の少年ポーター(荷運び)が50キログラムもある荷物を背負って口笛吹きながらサンダルで歩く背後を、ゼエゼエと青い息をはきながら追いすがる劣等感。縦走がダメならと、手頃な岩を見つけてフリークライミングを試みる。立派なホールドだらけの壁を2メートルも登れずズルズルずり落ちる。厚生労働省が流行らせた例の言葉が耳の奧でこだまする・・・「われメタボリックオヤジかな」。
     心にメラメラと紅蓮の炎が燃える。キスリングに重りを詰め込んで六甲全山を風のように駆け抜けた孤高の登山家・加藤文太郎のように心身を研ぎ澄まし、再アタックしてやる! 薄めの酸素と淡い気圧の高山病アタマで、唇を青黒く腫らしながら、分をわきまえぬ決意をするに至ったのである。
     帰国すると、基礎体力を回復させるために眉山を登りはじめた。1年間に100回以上登頂した(よくも飽きずに!)。やることのひとつにランニングを加えたのが1年前である。朝、眉山まで出かける時間がないときに、どちらかと言えば仕方なくである。あくまで登山のサブ練のつもりであった。
     多くのビギナー・市民ランナーがそうであるように、最初は500メートルも走れなかった。血液は心臓からスムーズにポンピングされず、汗が轟の滝ほどもゴーゴーと流れ落ち、目まいと吐き気と便意が同時に襲ってくる。そんな生理現象にもがき苦しむぼくの横を、熟年ランナーの集団がキャッキャと黄色い声をあげながら駆け抜けていく。明らかに10歳、いや20歳以上は歳上である。圧倒的な力量差だが、不思議と嫌な気分はしない。あんな風に軽々と走れるようになりたいと願い、鈍重な脚に力を込めた。

     走る距離を少しずつ伸ばし、やがて10キロを歩かず走り切れるようになった。タイム計測すると1時間21分かかった。一般的にはものすごくスローなタイムなのだが、まごうことなく全力疾走であった。完走できたのが嬉しく、そしてなんとなく誇らしかった。走り終えた吉野川グラウンドのラグビー場で大の字になり、すがすがしい気分で青空を長い間見ていた。
     秋には、ハーフマラソンの大会に出場した。牟岐町の南阿波サンライン黒潮マラソンだ。ほとんどが登り坂のこのコースで、折り返しを過ぎたあたりで思考は停止し、残り5キロで距離感覚を失った。腕を振り、脚をいくら前に繰り出しても、身体はぜんぜん進まない。ゴール寸前まで70歳台のおじいさんとデッドヒートを繰り広げた。タイムは2時間22分。最後尾に近い位置だが、21キロも続けて走ったわが身を愛おしく思えた。
     初めてのフルマラソンは春の東京・荒川市民マラソン。30キロ過ぎから脚に痙攣が起こり、やがて腰から下全部の筋肉が岩石のように硬直し、包丁を突き立てられるような激痛に襲われた。こんな辛いこと二度としたくないし、早く終わってくれないかな・・・ばかり考えてゴールによろよろたどり着けば5時間25分。さっきまで半泣きだったのに、終わったとたん「これは納得いかない」と自分を許せない気持ちになった。「練習が足りなさすぎる。もっと練習すれば、もっと走れるはずだ」。
     再起戦であるとくしまマラソンはやけに楽しかった。長い間生きてきて、こんなに「人に応援してもらった」のは初めてだ。よほどの人気プロスポーツ選手じゃなければ、ふつうに生きていて全身に声援を浴びる経験なんてめったにない。走っても走ってもその先には沿道の励ましが連なっていた。それまでぼくは「楽しいから走る」という多くの市民ランナーの気持ちがよくわからなかった。マラソンは鍛錬であり、鍛錬というからには苦しみを乗り越えてこそ価値があり、楽しむ余地などありはしないのである。だが、とくしまマラソンは掛け値なく楽しく、42キロが終わりに近づくほどに「もっと続けばいいのに」とさみしい気持ちが加速するのだった。
     この間まで500メートルも続けて走れなかったメタボリックランナーが、100キロという気の遠くなる距離にも挑戦した。初夏の北海道で開かれたサロマ湖100キロウルトラマラソンだ。80キロ関門を越えると同時に心肺・筋肉すべての限界に達してしまい、意識を失ってしまった。よく「ぶっ倒れるまでやってやるぜ」と啖呵を切ることがあるが、本当にのびてしまったのは人生初の経験である。ゴール寸前で無念の涙を飲んだランナーたちを収容した救護バスでは、全員が身体のどこかを押さえ「痛タタタ!」と叫んでいる。ところが次の瞬間には「来年は絶対完走しよう!」と気勢をあげているのだ。ランナーという種族は、どこまでも前向きで明るいのだと知る。

     そんな長い長い、少年時代の夏のような1年がすぎた。レースのたびに失敗し、がっかりしながらも、少しずつ強くなっている。10キロのタイムは初計測の半分にまで縮まり、超長距離の練習をこなしているうちに42.195キロを短いとすら感じるようになった。そしてまだまだ能力の限界にぶつかる瞬間は、だいぶ先にある気がしているのである。
     生活もずいぶん変化した。生活っていうより心境か。限界ギリギリまで心拍数を上げたり、激痛をこらえて脚を引きずり走ったり、緊張のあまり朝まで眠れなかったり。こういうのって何十年も忘れていた感覚だ。野球を必死にやっていた十代の頃、ネクストバッターズサークルでひとり武者震いしてた上ずった興奮と集中。あるいは土埃舞うグラウンドのライトとレフトの間を何十回も、喉から心臓が飛び出しそうなくらい球を追いかけ走りまくったあの頃の「感じ」である。自分の中に、こんな素朴でストレートな緊張感やひたむきさが残っているなんて、驚きだったのだ。
     ときおり飛ぶように走っている、と感じる時がある。周囲から見ればドタバタ走っている鈍重なジョガーなんだろうが、内的感覚ではまさに「羽根が生えて空を飛んでいる」感じ。たぶん10キロのタイムを1分ほど縮める程度の能力アップを果たしたときに、身体が軽くて浮くような感覚・・・恍惚感に近いものを得られるんだろう。
     今は1000メートルのタイムを1秒でも縮めようと、あらゆる努力をしている。そうやって少しずつ自分の限界を超えていって、その先に何が見えるのかを知りたいと欲が出てきた。自己ベストタイムを出せる年齢的なピークは限られているのだろうけど、「ベストラン」は70歳代でも80歳代でもできる。キツいと感じた時に笑えって耐えられる余裕とか、暑い夏も寒い冬もコツコツ鍛錬を積み上げていく辛抱とか、病気になっても折れてしまわない心の強さとか。そういう総合的な人間の厚みをランニングは補強してくれる予感がする。
     強い風に向かい、太陽に焼かれ、雨に打たれて走る。景色が流れていく。空と、雲と、草木と、アルファルトの道路と。
     どこまでも走っていけそうな気がする。もっと実現困難なものにチャレンジしたい、という欲望で心がいっぱいになる。いまの自分ではとてもやれなさそうなモノ、そういう目標が脳裏をかすめると心にボッと火が灯り、やがて自分でも制御できないくらい熱い塊になって吹き上がる。
     そんなこんなで北風に短パンをパタパタ揺らせながら、まだ見ぬサハラ砂漠めざして走り込み中なのだ。