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2011年8月

  • バカロードその36 北米大陸横断レース LA-NY 2011 ステージ69
    ■8月26日、ステージ69
    距離/77.3キロ

    絶望的に身体が走ることを拒否しています。走れるのはあとたった2日。だから走る意思は強くあるのに、鉛の脚はどこまでも重く、視界30メートルの霧のなか、集団から取り残されます。体力、もうとうに限界越してるんでしょう。
    20キロすぎに右足を着地した際、足の裏からスネ、そして頭の先まで電気が流れました。今まで味わったことのない衝撃で、以降は右脚全体に力が入らなくなってしまいました。
    峠道に入り、後ろから股関節を大負傷しているパトリック選手が顔を歪めながら登り坂を駆けてきます。どっちの負傷の度合いがきついのかはわからないけど「怪我人に負けとれん」という気持ちに火がつき、以後25キロ彼と抜きつ抜かれつを繰り返しました。最も尊敬するランナーの彼と、最後にこんな時間が持てたことが嬉しいです。パトリック選手には家族や知人など6人の応援団が車で追走していましたが、ぼくに対しても拍手と声援を送り続けてくれ、また彼の息子さんは信号がある度に、ぼくのためにタイミングよく歩行者用ボタンを押して待っていてくれました。
    やがて脚がダメになりパトリックに置いていかれました。なんとかペースを維持して制限時間の5分前にゴールできるよう走っていました。
    ところがゴールまで残り5キロ地点で道を見失いました。大会指定コース上に、あるべき曲がり角が見つからないのです。いったりきたりしてるうちに時間が過ぎていきます。そこに地元の女性市民ランナーがジョギングで現れたので、早口で事情を説明すると「わかったわ。私が先に行って指定の道路があるかどうか見てきてあげる!」。そして猛スパートて前方に消えました。何分も経たないうちに彼女が引き返して来て「500メートルいけば道があるわ!」。
    道がわかったのはよかった。問題は当初指定より距離が1キロ長いのである。ダッシュしなきゃ時間に間に合わない! 残り5キロ、突然のラストスパートを強いられます。走る、走る。最後まで楽などさせてくれるはずがないじゃないか、この大会が! 必死こいて制限時間鎖3分前にゴールすると、主催者が待っていたので「距離が違〜う!関門アウトになるとこだった!」と訴えると、自信満々の表情で「私たちは完璧じゃない。1キロ、2キロ違うこともある。それがレースよ!ご不満?」と言うので「ぼくはドラマチックになって喜んでるだけだ。1キロどころか5キロ長くたって問題ない!」と虚勢を張りました。

    夜、大会に関係する全メンバーが、ホテルのロビーに集まって、明日に控えるニューヨークのゴールについて主催者ロールさんから説明がありました。それは全てが想定外の話でした。


    NYまで55キロ、あと1日
    記録/13時間26分
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  • バカロードその34 北米大陸横断レース LA-NY 2011 ステージ67
    8月24日、ステージ67
    距離/81.4キロ

    今日もいろんな選手と競り合いました。温存の必要がなくなって、みな自由に走りはじめました。今までよりずっとスピード速いです。
    ニューヨークが近づき、下町の熱気、人臭さが強烈になってきました。ゴミが風に舞い、子供は道路で踊り、スパイク・リーの映画に出てくるようなワルな連中がたむろしています。目を充血させた男らが何かをわめき散らしています。昼間から完全に飛んでいます。
    アメリカの下町は、アジアの街の混乱ほど無秩序ではなく、南米の裏通りに満ちた殺気はなく、アフリカのドブ板スラムほどの貧困はありません。世界最大の経済・軍事大国のダウンタウンらしいファッショナブルさと豊かさに満ちています。適度な危険と猥雑さ。なかなか素敵です。
    ニューヨークが近づくほど、レースが終わる実感から遠くなっています。この日々が終わるというイメージができません。
    3日後のニューヨークよりも、明日この腫れあがった足の裏でちゃんと完走できるかどうか、そんな心配事が心を占めています。
    今は安モーテルのベッドの上で、氷袋を足に縛りつけて、5時間後に迫る次のレースのスタートまでに足の腫れを小さくする努力をしています。
    この日々があと3日でプツンと途切れてしまうのだろうか。走らない毎日って、どんなんだったっけ?

    NYまで216キロ?あと3日?ふーむ
    記録/11時間43分
  • バカロードその35 北米大陸横断レース LA-NY 2011 ステージ68
    8月25日、ステージ68

    距離/82.2キロ

    いつも言ってるセリフなんで信憑性が著しく低いですが、地獄の一日でした。
    このレースの筋書きを書いてるヤツが空の上の方にいるんだとしたら、「もう山場いらんけん穏便に終わらせて…涙」と言いたいです。
    今日、まさに67日間の縮図のような一日になりました。
    朝から足裏の痛みがひどく、まったく走れません。あっという間に周囲からランナーは消え、一人だけの戦いがはじまります。今まで治してきたはずの脚の怪我が次々とぶり返しはじめ、もうそりゃ脚全体が痛みに覆われ、なすすべありません。
    やむなく鎮痛剤を飲もうとランニングパンツのポケットから薬を取り出そうとした時、かつてアレキサンドロ選手がくれたペニー硬貨がすべり落ち、道路に空いた排水溝に消えてしまいました。
    直後に、頭の真上で稲光が走り鼓膜をやぶらんばかりの落雷。そして土砂降り、道は濁流と化します。
    さらに次々とトラブルが起こります。紅い湿疹が全身にできました。マタズレになり、股間が飛び上がるほど痛みます。ごていねいにもマメが今頃できました。いちばん痛みが強い拇指丘のとこです。
    この67日間に起こった痛みが「オレのこと覚えてるか?懐かしいか?あんときゃともに苦しんだよな?忘れないでくれよ」と顔を出しにやってきます。
    確かに記憶ってのは、楽しいことばかり残っていて、苦しいことや辛いことは忘れてしまいがちなもんです。ならば言いたい。ちゃんと覚えてるから(ほんとは忘れとったけど)、君達すっ込んどきなさい!
    ニューヨークに着く2日前にして、あらゆる痛みが憤怒のことく現れた意味を考えました。緊張感の喪失か、本当の限界に達し身体が悲鳴をあげているのか。ブルース・リー師匠なら「考えるな、感じろ」と諭すとこか。ならば考えず、ただ痛みを感じ続けよう。
    ゴール2キロ手前の道路にに、小麦粉の白い文字で「5000キロ突破」と書かれていました。
    関門アウト十数分前にボロボロゴール。そうだ、最初の頃は毎日こうやって残り数分でゴールにたどり着いて、そのまま倒れこんで、人に肩や背中を借りてホテルの部屋まで移動してたな。

    総合2位のパトリック選手が関門閉鎖に間に合わない位置で、まだ走っているます。脚と股関節を怪我し、病院に2時間行き、戻ってきてレースを続けています。身体を引きずるように前進しています。ぼくだけじゃない。みんな戦っています。

    NYまで138キロ、あと2日
    記録/14時間16分
  • バカロードその32 北米大陸横断レース LA-NY 2011 ステージ61〜ステージ65
    8月18日、ステージ61
    距離/78.8キロ

    遠い昔、地理の教科書に載っていた記憶のあるアパラチア山脈に今日から突入しました。眉山の八万口の急坂を朝から晩まで登り降りしてるみたいです。山地といっても街はあり、けっこう大きな都市も控えています。アパラチア山脈を抜けるまで4日かかる予定です。
    昼過ぎに大きな校舎がある高校の前を通りかかったら、30人くらいのブラスバンド部のメンバーがマーチング音楽を奏で始めました。なんと、ぼくたちランナーの登場を校庭で待ち構え、一人ひとりに演奏してくれてるのです。先頭からビリの選手まで全員が通過するまで3時間はかかったはずです。しかしマーチング音楽にこんなに心を揺さぶられるとは。
    生徒たちの大声援を背に、街を去りました。その後、急峻な峠道に差し掛かったんですが、下の街からは後方のランナーを応援する音楽がいつまでも聴こえてきました。
    そういや昨日は「IラブNY」のTシャツを着たおじさん2人がビデオカメラ持って車から降り立ち、「君はBANDOだろ。君はホントに頑張ってるよ。最高だよ!」ってな感じでチューでもしそうな勢いで迫ってきました。大会のホームページを毎日見ていて、選手のファンになったんだとか。
    最近はテレビ局の撮影部隊がやってきたり、「LAから来たんだって?信じらんねーぜ」なんて応援にやってくる車も多いです。みんなどこから情報得てんでしょうね。

    さて今日も左膝と左脚の裏を傷め、ラスト20キロをほとんど脚引きずりながら歩きました。
    途中、巨大な原子力発電所が道端にありました。ボロっちいフェンスで隔てられてるだけで、誰でも侵入できそうです。アメリカは不思議な国です。

    NYまで657キロ、あと9日

    記録/12時間39分


    ■8月19日、ステージ62
    距離/82.2キロ

    アパラチア山脈の核心部を走る今日は、累積標高差2000メートル。距離も長く、とても厳しい一日です。
    壁のようにそびえ立つ登り坂。こりゃ崖かとつっこみたくなる下り坂。
    下りは時間を稼ぐためにぶっ飛ばして走り、登りは走れる極限までゼーゼー粘り、もう足が前に出ないってくらいスピードが落ちたら後は大股で歩きます。
    前の方でイタリアチームの兄ちゃん2人が大騒ぎしています。大きなクマが道を横切ったんだ!と一眼レフのカメラとビデオカメラ持って、クマが消えた崖を登ろうとしています。彼らはプロのカメラマンなんです。しかし逆襲にあったらどーすんだろね。
    五大陸走破者セルジュ選手の伝説とも言える「走りしょんべん」をついに目撃しました。それは想像を絶する姿でした。例えとして最もふさわしいのは、象の水浴びです。セルジュ選手は自分のを片手で持ち、ブオンブオンと振ります。おしっこは鮮やかな軌跡を描き、左側に撒き散らされます。現在、主催者から立ちしょんのマナーについて厳しく注意されており、ランナーは皆、木陰で用をたすようにしてますが、ぼくとの一騎打ちの最中に伝説の走りしょんべんをしてくれたことは、ぼくを戦う相手と認めてくれたって事でしょう。今後の人生において大きな自信と財産になりました。
    ゴールまで10キロを切ったあたりで、前方の空にもくもくと発達していた巨大な積乱雲に稲妻が走り、雷鳴が地面までバキバキと落ち、土砂降りに襲われました。びしょ濡れでゴールしたら甘いスイカが待っていました。美味しかったです。

    NYまで573キロ、あと8日。東京〜神戸間の距離。けっこう近いね!

    記録/13時間09分


    ■8月20日、ステージ63
    距離/81.6キロ

    今日はベストレースができました。最初から最後まで妥協することなく、登り坂はどんな苦しくても走りきり、下り坂は痛みを理由にスローダウンせず攻めに攻めました。
    これ以上、脚がぶっ壊れることはないだろうし、壊れたって這ってでもゴールするから、全力疾走します。アメリカという土地を、街を走れるのもあと1週間。今を全力で走りたい。
    でも、このレースの残り1週間が、日本で過ごす1週間より価値があるものであってはならないと思います。このレースも必死でやるけど、日本の生活でも、いずれ立つアフリカの土地でも、なりふり構わず必死で生きるんです。
    人は…いやぼくは、基本的には弱く、プレッシャーや苦しみにすぐ押し潰されそうになるけど、逃げ場を絶って、シャニムニ立ち向かう無謀があります。選択肢をなくし、自分にはこれしかやることがないと決めたら、あとはやるだけなんだ。

    けっこう上位でゴールし、消耗しつくしてぼーっとしてたら、後からゴールに入ってきたアレキサンドロ選手がぼくの方に歩みより「いい走りだった!よかったな!」と身体をぶつけるように激しく抱きしめられました。
    ふだん冷静な彼が、こんな熱い行動をするなんて。互いに怪我で苦しみ続けたから、脚を引きずりながら苦闘している姿を嫌というほど見ているから、自分のこと以上に相手の回復を願っているんです。
    しかし男に強く抱きしめられるってこうゆうものなのかー、と少しボーッとしてしまいました。

    NYまで492キロ、あと7日

    記録/11時間19分

    ■8月21日、ステージ64
    距離/74.3キロ

    距離が短いので油断してたら大変な目にあいました。80キロレベル6連戦ですっかり消耗し、体重を支える筋力が脚に残っていません。少し走ると着地と同時にひざがカックンと抜けます。抜けすぎて転倒寸前に至ります。そのうち足首までもカックンしだし、カックンカックンと糸で吊られた操り人形のようになり、危なっかしくてスピードを出せません。
    痩せ細った脚は自分のものとは思えず、二本の不安定な棒をうまく使ってどうにか走る格好に似せている感じです。
    日中の気温も上がり、体力が残ってないのも手伝って、意識遠くふらふらでゴールしました。
    ニューヨークまで1週間。ぼく以外のランナーは、ライバルとの競争を楽しんだり、あるいはスピードを緩めアメリカの街や風景を愛でながら走っている人もいます。
    ゴールまでの数日間をともにするため、ヨーロッパなどから家族や恋人が集まりはじめています。マスコミで報道されているのか、すれ違う車からの応援が一段と多くなってきました。
    大会主催者は、ニューヨーク・セントラルパークでのゴールの方法について、いろんなアイデアを考えているようです。
    フィニッシュに向けて徐々に環境が変わっていくなか、いまだ関門時間と戦い、もがき苦しんでいるのはぼく一人です。

    NYまで412キロ、あと6日。

    記録/12時間24分


    ■8月22日、ステージ65
    距離/78.5キロ

    ひざカックン病は今日は出ない雰囲気です。昨日ろくに走れなかったため、筋力が復活したんでしょう。
    きつい勾配の登りをタンタカ登っていたら、前にランナーが見えてきました。うわっ!総合2位のパトリック選手です。彼はどんな登りでもキロ6分で刻むイーブンペーサーで、最も尊敬するランナーです。がぜん燃えてきました。ペースをあげ忍び寄り、抜き去るときは一気呵成です。「ハロー!」と余裕の挨拶をし、そして逃げに逃げます。
    息もゲロゲロに2キロくらい全力で走り、振り返るとパトリックが笑顔で手を振っています。そして「ハロー!アゲイン」と追い越していきます。ムカつくので再び追走し、こっちは「ハロー!アゲインアゲイン」とブチ抜くと、今度パトリックはTOTOの「ロザーナ」を歌いながら抜くので、ぼくはホール&オーツの「プライベート・アイズ」の鼻唄を奏でてやり返します。抜きあいっこはゲームのようにつづきます。朝の光が降り注ぐ森の中の峠道がキラキラ輝いて見えました。20キロすぎまで粘りましたが、最後は軽くちぎられて終わりました。ランニングは実力どおりの結果しか出ないのです。

    30〜40キロあたりではランキング選手4人が視界に入る数百メートル内に揃いました。レース中盤では珍しいことです。互いに意識しあって、スピードがぐんぐん上がります。とにかく皆、大人と言われる年齢にも関わらず、極端な負けず嫌いで、意地になって相手をちぎろうとします。こんなレース中盤でスパート掛け合ってどうするの?と思いながらもスピードを落とせません。汗みどろになって走りながら思います。「みんなホントにバカだ。そしてぼくはこの男たちが大好きだ!」。

    ゴール7キロ手前くらいから、遠く前方に見え隠れしていた日本人ランナー越田さんにラスト1キロで追いつきました。2人ともやる気のないフリをしながら、明らかにピッチがあがっています。
    しかしラスト500メートルの大きな交差点で信号待ちにかかてしまいました。「ここまで来たら一緒にゴールしようか」と柔和な笑顔で越田さんが言うので、「嫌です!これレースですから」と完全拒否しました。
    すると越田さん「しょうがねえな」と捨てゼリフをはくと、悪人の表情に一変し、猛烈なスピードで走りだします。後ろに着くのがやっとですが逃がしません。ゴールのフラッグが見えてきたラスト150メートル地点で、ぼくはトップスピードに移り、追い越しました。
    ちなみに越田さんを追い越す時は「おい越田!(追い越した)」と声をかけるのが本人いわくマナーだそうですが、今はそんなヒマありません。
    。完全に差し勝ちした、と思った瞬間、もの凄いダッシュで差し返され、完全に競り負けしました。負けたクソー!でも気持ちいいぞー!

    今日は一日中、誰かと競いあってました。走るって行為は子供でもできるほど単純なのに、こんなに楽しく、すばらしいものなんだって思えました。

    NYまで339キロ、あと5日。
    記録/11時間10分

  • バカロードその33 北米大陸横断レース LA-NY 2011 ステージ66
    ■8月23日、ステージ66

    距離/43.3キロ
    (走ったのは50.7キロ)

    70日間のうち最も距離の短い今日。選手やスタッフにはリラックスムードが漂っています。
    なぜ43キロという短距離の設定かといえば、午前中にレースを終え、午後は荷物整理や洗濯など、各自がニューヨーク到着の準備を、という主催者の配慮なのです。
    ぼくはたいして準備する用件もないので、今日はゆっくり走り明日からの4戦に向け、体力温存を図ろうという腹積もりでスタートしました。
    選手同士、軽い会話を交わしながら、いつもよりはゆったりペースで進んでいます。そんなほんわかムードの一日が、大会史上最悪、大波乱の一日になるなんて誰が想像できたでしょうか? この大会には、サディストな神が宿っているとしか思えません。
    走りはじめてわずか1キロで異変が起こりました。スピードランナーのイタロー選手(イタリア)が、草むらかきわけ現れ、「前の選手3人が間違えた道を行ってしまった」と主催者兼ランナーのセルジュ選手に伝えました。セルジュ選手は3人を追うべく、血相かえて引き返します。
    でも実はこの3人こそが正しい道を行き、残る11選手が道を間違えたのです。ただ真っ直ぐ進むだけの単純なコースでしたが、非常に緩いカーブの分岐が走路にあり、暗闇も手伝って誰も自分が直線道路から外れたと気づけなかったのです。
    やがて夜が明け、景観が見えはじめてから、ぼくは疑問を抱きはじめました。まず、道路自体が6車線で予定コースに対して広すぎます。また本来あるべき交差点がなく、鉄道高架が現れる距離がずれています。間違えた道を行ったのは3人ではなく、自分たちではないか? しかし自信が持てません。なんせほぼ全員に近いランナーが今この道を走っているのです。
    しかし走れば走るほど「間違いじゃってコレ」が確信に近づいてきます。(前を行ってるランナーを止めんと大変じゃ!)。そこからは自分が出せる最高速度で前の選手を追いました。1キロほど追いかけ、ようやく2人のランナーを止め、間違いの可能性を伝えますが、なかなか信じてもらえません。なんせもう4キロ近く走ってきた道です。
    峠の頂上で立ち往生していると、前方からサポート車が現れ「この道はコースではない」と伝えられました。遥か彼方には、前を行ってたランナーたちが猛烈な勢いで引き返して来るのが見えます。ぼくも踵を返し全速力で正規ルートを目指します。なんせ往復7キロ以上です。制限時間、ヤバい! もう全力でいかないと間に合うかどうかのギリギリ。キロ5分台で飛ばしまくります。ちなみに現在の衰弱した体力におけるキロ5分台は、健康状態のキロ3分台に匹敵する苛烈さです。
    顔ゆがめ、よだれ流し、
    いったん真っ白になった頭で、ゴールまでの平均ペースを計算します。混乱しているので何度計算しても答えが違います。
    必死で、必死であえぎ走りながら、脳裏にはいろんな思いが交差します。
    (65日も完走続けてきて、ニューヨークを目の前にして、道間違いで失格なったらダサすぎるって!)(こんなドラマチック、用意せんでええって!)(こない全力疾走つづけたら、脚まためげるって!)

    大会70日間で、最もゆったりできるはずだった今日、ぼくを含む11人のランナーたちは地獄のような時間との戦いを強いられながらも、なんとかゴールにたどりついたとさ。ほんまにこんなドラマいらんのんよ〜

    NYまで297キロ、あと4日

    記録/7時間14分
  • バカロードその31 北米大陸横断レース LA-NY 2011 ステージ56〜ステージ60
    ■8月13日、ステージ56

    距離/77.6キロ

    朝、広い公園の脇を通過していると、たくさんのランナーらしき人たちがジョグをしています。公園の遊歩道を使って市民マラソン大会が行われる寸前のようです。
    ゴールゲートや大きなデジタル時計も用意され、日本の小ぶりな市民マラソン大会と雰囲気は変わりません。ところが、ひとつだけまったく違う風景があります。男性ランナーの多くが上半身裸なんです。
    そういえば今まで、都市郊外や公園で見かけた男性ランナーたちも、上半身裸でショートパンツ、ってのが一般スタイルでした。ランナーとしてちゃんと造り込まれた筋肉を揺らせて軽快に走ってゆく姿は、同性ながらまばゆく見惚れます。
    日本では真夏のピークでも、公園や河川敷を裸で走るなんて許されない雰囲気です。汗びしょびしょで暑そうなのに、なぜか重ね着しロングスパッツに更に膝丈パンツなど合わせるのが最近の日本の定番になっています。よーわからん傾向。
    アメリカの裸ランナーの気持ちよさそうな姿を見るとうらやましいです。市民マラソンという概念やカルチャーは主にアメリカから輸入されたものだけど、「上半身裸」はオプションとしても輸入時に除外されたみたいです。
    ちなみにぼくは毎年7月に入れば小松海岸を裸で走っています。海だからかまわないでしょ、と思うようにしてます。

    今日は痛い場所が左膝一カ所しかなく、きわめて快調に77キロを走りきれました。
    あと15日でニューヨークに着いてしまうけど、神様仏様、ゴールまでに一度でいいから、たった一日でいいので、痛みのない状態で走れる日をください。そしたら何でも言うこと聞きますから。

    記録/12時間25分

    ■8月14日、ステージ57

    距離/68.6キロ

    今さら何をだけど、こういったレース形式の大会は本来のぼくの旅のスタイルではありません。アフリカ大陸を徒歩横断した時のように、一人ぼっちで、風の吹くままに行く先を決め、現地の風土・言語に溶けこんで旅するのが基本です。
    一方でレース形式の旅は、鍛え込んだアスリートたちが極限の自然環境と時間制限のもと、心身の限界に挑戦し、成し遂げた際に大きな達成感を得るものです。
    ぼくにとってレース形式の大陸横断は、これが最初で最後になるな、と最近実感しています。どうひっくり返してパタパタハタいてみても、ぼくにアスリート的素養はありません。また大勢のキャラバンを組んで人間関係を構築しながら進んでいく旅も、性に合っていません。他人の考えをまず優先すべきだから。
    ぼくは一人で極限を行き、生きるも死ぬも自分が決定づけるという場所にいたいです。
    今回が最初で最後のロング・ステージ・レースです。あと2週間、二度とない時を愉しまなくちゃな。

    今日は実にアメリカらしい街を走りました。コロンバスという巨大な街は中心部に高層ビル群と尖塔のある教会を抱き、その周囲をダウンタウンが取り巻いています。下町には危険で不穏な雰囲気が漂ってますが、そこいらのルードボーイより汚く汗まみれのぼくらにちょっかい出す暇人はいないようです。
    ゴミと廃屋とボロ車だらけの下町から更に郊外に足を延ばせば、瀟洒な邸宅や店が連なり、絵に描いたような(セーターを肩に羽織った紳士が、ブロンドの美しい妻と、風船持った2人の子供)アングロサクソンの中流階級以上の人びとが闊歩しています。人びとは、自分の階層と近い人々で集まり、街を形成します
    アメリカの中規模都市は30キロほどの都市圏を形勢しています。階層社会がつくる同心円を突っ切って移動するぼくたちには、その構造がよく見渡せます。

    今日あらたに左スネを傷めました。現在は、右アキレス腱、左ひざ、両脚の足底筋の痛みに苦しんでいます。あーやっぱ最後の最後まで楽しく走れる日が来るなんてこと、期待してはならんのでしょうね。

    記録/10時間56分


    ■8月15日、ステージ58
    距離/83.3キロ

    スタートから200メートルも進んでない歩道の段差につまづき派手に転倒。腕を擦りむいた。なにやってんだろな。
    今日は一日、よく走りました。バタンキューです。
    尊敬すべき2人の日本人ランナーがいます。一人は日本人として史上2人目となる2度の北米横断レース完走という偉業達成を目前にした越田さん。
    もう一人は、世界中の辺境レースに出て何度も優勝している石原さん。砂漠、ジャングル、ヒマラヤから南極まで世界中が遊び場みたいな人です。
    この2人、異常に負けず嫌いで、2人が近い位置を走ると必ず牽制し、煽りたて、最後はデッドヒートに発展します。誰れーも見てないところで、恐ろしいスピードで抜きつ抜かれつしています。今日は2人の戦いを見学してやろうと後方に着こうとしましたが、こっちはキロ6分で走ってるのにぐんぐん引き離されていきます。既に60キロも走ってるんですよ。しかもゴールまで20キロ以上あるんですよ。まったく何考えてるんでしょう。
    60歳と66歳。研究者と経営者。火のような闘争心を持っています。
    すごいデッドヒートでしたね、と声をかけると「デッドヒートなんてしてない。遊んでやっただけ」と捨てぜりふ。カッコイイ〜。

    NYまで903キロ、あと12日

    記録/12時間49分


    ■8月16日、ステージ59
    距離/88.6キロ

    走りはじめて驚きました。「どこも痛くない!」
    こんな時がやってくるなんて!
    かばう場所がなく、また深刻な体調不良なく走れるのは58日ぶり。つまり大会初日以来です。

    いつもドンケツを顔ゆがめて走っているぼくが、上位グループに混じってタッタカ爽快に走っている姿を目にして、大会スタッフや他国のサポートクルーが何が起こったのか、と驚いています。
    選手たちは「脚が治ってよかったな!」と自分のことのように喜び、背中を叩いてくれます。

    58日間、走ることの大部分を占めていたのは苦痛でした。痛い、つらい、苦しい。そればかりでした。朝が来るのが嫌でした。朝起きて、今から走るって思うだけで吐き気がしました。十時間以上も続く苦痛を思い、言葉を失いました。走ることは、乗り越えるべき苦行でした。

    今感じてること。走ることはこんなに気持ちいいんだ。景色が後ろに流れてくのが速いな。どこもかばわずに走ったらこんなにスピードが出るんだな。ニューヨークに着くまでに、こんな日が来るとは思ってなかった。これが今日だけの出来事なのか、明日には故障が再発するのかわからないけど、今日はしあわせ。明日からも無痛が続いて欲しいなんて贅沢は思わない。
    そういえば数日前に神様仏様にお願いしたところだったな。たった一日だけでも自由な気持ちで走らせてくれたランニングの神様仏様に感謝したい。

    NYまで815キロ、あと11日

    記録/11時間57分


    ■8月17日、ステージ60
    距離/81.0キロ

    今日は不愉快なことがいくつかあり、むしゃくしゃしています。
    素晴らしい人は、人間を中心とした目的や夢を持っています。
    つまらない人は、仕組みを完成させたり、効率をあげること自体を到達点に設定してしまいます。
    何を言いたいのか不明なことを書くのはクソ野郎な行為です。
    今日はぐっすり寝ます。そして明日一生懸命走り、汗まみれになります。それだけでいいはずです。

    NYまで734キロ、あと10日

    記録/12時間15分

  • さらら8月18日号を読んで、夏の疲れをリフレッ〜シュ! tokushima-0818salalala
    お盆も過ぎて、みなさん夏の疲れがじわじわ体中に広がっているころなんじゃないでしょうか?今回のさららは、そんな疲れをリフレッシュしてくれる滝&温泉めぐり特集! 滝から出るマイナスイオンに包まれて、水の音や木々のざわめき、鳥の鳴き声に耳を澄ませると心から癒されるはず。その後は近くにある温泉に浸かって、汗を流そう。心身共にリラックスして、夏バテを吹き飛ばして。
  • CU9月号 徳島五つ星グルメ tokushima-cu1109
    ■徳島の女性が選ぶ五つ星グルメ
    ランチやディナー、演出などのテーマに分けて女ゴコロを満たしてくれるメニューを一挙発表! 嬉しいCU読者特権もあるよ。あなたの五つ星を見つけてね♪

    ■初体験アドベンチャー! これがオンナの遊び方
    「何か新しいことを始めたい…」そう思ったときに始めなきゃ! 新しいことに出会うと人はキラキラしだすもの。思い切って、今まで挑戦したことのないスポーツや習い事を体験してみない?

  • バカロードその30 北米大陸横断レース LA-NY 2011 ステージ51〜ステージ55
    ■8月8日、ステージ51

    距離/67.3キロ

    大会ナンバーワン選手であるライナー(ドイツ)様が、ぼくの怪我を気遣かって話し掛けてくれました。「きっと典型的なシンスプリントですよ。骨折まではまだいかないでしょう。少なくとも3日間は痛みが酷くなり続けづけますが耐えてください。走っている時以外は胴体より脚を高く上げるように横になり、氷で冷やし続けること。大丈夫です。1回克服すれば次はなかなかなりません。強くなります。何といっても、ぼくたちはニューヨークに行かなくちゃね」ぼくよりずいぶん歳下なのに、まるで師のような上下関係です。
    本職が工学系エンジニアである彼は、ぼくの知るかぎり4カ国語を流暢に話し、論理的で冷静で民主的な姿勢の持ち主です。そして各大陸の横断レースをぶっちぎりで勝ち続けています。以前、ふだんはどんな練習しているのか尋ねたことがあります。すると「平日は走りません。長距離を走るのは、まとめた時間のとれる週末の休日だけです」と言うので、何キロくらい?と問うと「200キロくらいです」との返事。こりゃ勝てんて!
    今日は左脚のスネ、足底筋、膝を傷めました。今まで怪我してなかったパーツが、反乱を起こしだしています。
    「今まで黙って耐えに耐えて来たが、これ以上われらを酷使するなら、全部位が蜂起して、城主殿に痛みという地獄を味わわせてやる!」とシュプレヒコールを挙げはじめたようです。
    かといって謀反に対して打てる手立てもなく、明日今大会最長の92キロを迎えます。毎日が正念場なんだけど本当にギリギリの勝負です。これを乗り越えたら、きっと何かがあるはずなんだ、そこには。

    記録/11時間42分


    ■8月9日、ステージ52

    距離/91.4キロ

    走っても走ってもゴールは遠かったです。夜明け前に走りだし、そしてまた日は暮れて、おまけに時刻変更ラインを越えたもんだから1時間進んでしまい。ゴールしたのは夜中の10時前。明日の朝の集合時間まで6時間ちょいしかないって!
    仮眠をとるために入った宿。なんじゃこりゃ! 客室は鉄格子の中、廊下からまる見え。囚人が寝るような薄く狭いベッド、というかベンチ。トイレはドアなし、これまたまる見え、照明は紫…。刑務所をテーマとしたホテルなんだとか。頭イカレてるぜ!この追い詰められた心理状態にダメ押しパンチかよ!

    記録/15時間51分


    ■8月10日、ステージ53

    距離/83.7キロ

    結局3時間しか寝れず、極度の疲労と寝不足で、強い二日酔いのような頭痛がし、吐き気が止まらずカラゲロを繰り返します。今日が最後なのか?と思います。立ってるのも困難なのに80何キロも走れるわけない。
    もうね、ぼくにできることは一つしかないわけです。残された手段に選択肢はないんです。
    やけくそダッシュだ!
    やけのヤンパチ、死ぬ時はドブの中で前向きに倒れろってことだ。
    最初から全力で走ります。真っ暗な下り坂をヘッドランプの光を追いかけて走ります。空には星が1万個も輝いています。
    オレは本当に追い込まれた時だけ強いんだ。少しの苦境には弱いけど、完全に後がなくなれば強いんだ。
    そんでもってぼくはアントニオ猪木の名著「君よ、苦しみの中から立ち上がれ」から引用した名文句を唱え、そして尾崎豊が10代の頃に世に出した3枚のアルバムを全曲熱唱しました。結局ぼくは猪木と尾崎で形成されているのです。
    並走したアレキサンドロ選手が言います。「われわれはレースが始まって以来、ずっと怪我に苦しんできた。毎日が苦しみの連続だった。だがこの経験は深い。より多くの痛みと苦しみを知っていた者が他人の苦しみを理解でき、またヒントとなる言葉も見つけられるだろう」
    (お前何者?)と思いなつつも「君の言葉はいつも重いね。なぜ32歳でそんな考えが持てるの?」と聞きました。彼は説明します。「私は手漕ぎボートに乗って500日以上、太平洋や大西洋の洋上にいた。そこでは考えることしかすることがない。だから私は考える」

    レース中にマクドナルドを1日3回利用するジェームス選手と並んだ時ちょうど、巨大なマクドナルドの看板が現れました。そこには「本物の果物を使ったシェイク」と書かれ、3種類のシェイクの写真がありました。ジェームス選手にどのシェイクが最も美味か尋ねると、流暢すぎる英国英語で詳しく説明してくれますがぼくには半分も理解できません。業を煮やしたかジェームス選手、急に猛スピードで走り去ると、1キロに現れたマクドナルドの店の前で、マック・フルーツシェイクを2種類手に持ち、満面の笑顔で待ってました。
    後半は大失速し、いつものビリになりましたが、今日も生き残りました。いや、生きました。

    記録/13時間52分


    ■8月11日、ステージ54

    距離/73.6キロ

    スタートから脚がまったく上がりません。抽象的な表現ではなく、ホントに脚を持ち上げる力が大腿部の筋肉に残ってないので、地面にある1センチくらいの突起に何度も蹴つまづきます。歩幅は50センチがやっと。それでも必死だから心拍数は上がり息はゼェゼェいってます。制限時間に遅れないためのギリギリペースを保つので精一杯です。
    インディアナ州の州都・
    大都市インディアナポリスの高層ビル群に囲まれたメインストリートを駆け抜けます…そうならカッコいいんだけど、現実は、歩道にある10センチほどの段差すら越えられず、アゴの先から汗を滴らせて苦闘するばかりです。
    スピードが出ない場合、エイドで脚を止めることもできません。つまり一切の休憩は許されなくなります。
    経過時間と移動距離、速度をGPSで測りながら、制限時間アウトの暗い不安に苛まれ続けます。果てしない耐久戦を8時間し、50キロを過ぎた頃、やっと脚の動きが良くなりはじめました。なんぼなんでも遅すぎます。ウォーミングアップの距離として50キロは長すぎです。こんな体質じゃ、日本に帰ってフルマラソンの大会なんか出られやしない。ウォーミングアップ中にゴールテープを切り、いよいよスパート可能って時に、豚汁やうどん交換券持って行列に並ばなくちゃいけない。
    かくして50キロ以降、人が変わったようにタッタカ走りはじめ、今日もぶじ制限時間をクリアできました。


    記録/12時間22分

    ■8月12日、ステージ55

    距離/86.7キロ

    朝、震えるほど寒いです。ここ半月で北緯を500キロ上げてきたけど、蒸し暑さにうんざりしていた数日前とは別天地。白い息たなびかせながら、正面に瞬くオリオン座に向かって走りつづけます。
    夜が明けてから、いくつかの小さな田舎街の商店街を通りました。
    「走って寝て」を繰り返しす今回の旅では、観光はいっさいできない代わり、普通の観光旅行では絶対に訪れない人口数百人の街を訪れられます。もちろん街の喫茶店でひと休みってわけにはいかず、速足で移動しながらの見物です。それでもアメリカの田舎の暮らしぶりや、時間の流れ、人の性格もかいまみられて、愉しいものです。

    午後から両方の足の裏、土踏まず部分が熱くなり、激痛に変わっていきました。尖った岩の上を裸足で踏みしめているようです。
    だけど最近は痛みを恐れないよう考えています。それは身体が外部環境に合わせようと必死に修復しているサインだから。
    痛み、腫れ、化膿、発熱…これらは身体がさまざまな化学反応を起こしながら、弱い部分を強く変形させようと頑張っている過程で生じる産物です。
    「ああ、ご主人殿は毎日80キロを走りたいのだな。じゃあこのパーツをバージョンアップさせなくちゃな」と。
    大会中、どんな大きな怪我をしても、必ず治ってきました。そして二度と同じ場所を傷めることはありません。人間の環境対応力のすごさに驚かざるをえません。
    ロサンゼルス出発から今日で4000キロを越えました。ニューヨークまであと1100キロ余り。東京・博多間の距離くらいかな。ようやく日本人の距離感覚でも理解できる遠さになってきました。嬉しくもあり、少し悲しくもあり。

    記録/14時間38分
  • バカロードその29 北米大陸横断レース LA-NY 2011 ステージ46〜ステージ50
    ■8月3日、ステージ46

    距離/88.4キロ

    大会開始以来、2番目に長い距離。今日も生き残りました。しかし、もうへとへと。ゴールしてホテルの部屋に倒れ込み、ベッドに横たわれば、ぴくりとも動けません。足の裏は饅頭をくっつけたように腫れあがり、ジンジン焼けるように熱いです。

    シューズの状態がとても悪いです。そもそもぼくの補修の仕方に問題があります。ミッドソールと呼ばれる靴底の軟らかい部分、衝撃吸収してくれる所をすべて擦り減らし無くしてから、タイヤの切れ端を貼っつけてたんです。
    タイヤ材は高さをかさ上げはしますが、材質としては非常に硬質なんです。これでは、靴底の硬いビジネス革靴を履いて80キロ走っているようなもんです。
    多くのランナーは10足から20足のシューズを大会用に持参しています。底が擦り減れば即新品に交換。
    ぼくはたったの3足。そして3足とも既に靴底の軟らかい部分はなし。タイヤの補修もヘタクソて、時にハイヒールを履いてるような不安定。ナイフで削ったり、ヤスリで磨いたり。チクショー!走りにくいよー。

    記録/14時間09分

    ■8月4日、ステージ47
    距離/72.6キロ

    朝起きると必ず鼻をかみます。大会2日目から45日間続けて出ている鼻血が、朝には2センチ大の血栓となって鼻の穴を完全封鎖するからです。
    今朝も鼻血の塊を出そうと思いっきり鼻をかむと、鼻腔にひっかかる物なく鼻息が空振りしました。45日ぶりに鼻血が止まったんです。ついに自然環境に順応する日が来たのかな。今ごろ遅すぎ?

    朝から調子よく飛ばしていましたが、20キロ過ぎに右脚のスネがズキズキ痛みはじめ、30キロあたりで走行困難な強い痛みになりました。氷をあてがい、強い鎮痛剤を使用限度を無視して飲みましたが、脳天まで突き抜ける痛みは変わりません。骨にヒビが入ったのかと疑うほどです。
    怪我した右脚以外を総動員して前進します。左脚で踏ん張ります。腕を振ります。
    10メートル走っては痛みで止まり、歩きで繋ぎながら、次の走る準備をします。10メートル走り、10メートル歩く。気が遠くなるくらい同じことを繰り返しました。
    ゴールにたどり着けば、もはや10センチの段差も越えられない痛み、筋肉疲労。
    走っても走っても、ぼくは強くなれません。大会初日を除いてまともに走れたことなど一度もありません。
    「数千キロを走る大陸横断レースでは、速いランナーが完走できるとは限らない。最後まで走り続けられたランナーこそが結果として強いランナーに成長してるんだ」と大会開始前にベテランランナーの方が教えてくれました。
    確かに生き残っている選手たちは精神力も肉体の強さも走力も凄いです。それに比べてぼくは、怪我をしてない時はなく、心はもろく、秀でた走力もありません。5000キロも走るんだから、最後の方になると凄く強いランナーになってるかもな、なんて淡い期待を抱いてましたが、まったく逆です。もはや走ることすらままならない身体になっています。明日、ぼくはスタートできるんだろうか。

    記録/12時間9分

    ■8月5日、ステージ48
    距離/76.0キロ

    朝起きたら右脚の痛みが消えている…という淡い期待は叶いませんでした。状態は昨日より悪く、ホテルの階段をなかなか降りることができません。ロクに歩くこともできない人間が、今から数分後から何十キロも走れるんだろか?
    スタートの合図の後、当たり前のようにすべてのランナーが走り去ってしまい、走れないぼくは一人取り残されました。必死に歩きました。歩くだけでは制限時間に間に合いませんが、他に方法が見当たらないので歩きます。暗闇を、ヘッドランプの明かりを頼りに、息が切れるまで必死に歩きます。

    雨が降りだしました。朝から雲が出るのは珍しく、ましてや雨が降るのは初めてです。本降りが3時間も続きました。傷めた患部が冷やされ、少し痛みが引いてきました。峠道の登り坂に差しかかる頃、ひょこひょこ走れるようになってきました。
    何か大きな力を感じざるを得ません。今回の大会では、もうダメだってときに、何度も偶然や自然現象によって救われています。だからって神様仏様の存在を感じるほどの感受性はありません。ただ「まぐれにしてはできすぎている」という出来事が多いなと感じてます。
    ヨロヨロ走ってるぼくを大会スタッフが見つけると、車で併走しながら「ニューヨークに行こう!君にはニューヨークが見えてるだろ!走れ!行けBANDO!」と励ましてくれます。
    でも今のぼくにはニューヨークは見えません。明日どころか今日、どこまで走れるのかもわかりません。10キロ先まで進めているのかすらです。
    本当に本当に疲れきってゴールしました。痛みは右足首まで拡がり、90度のまま動かすことができません。伸ばしても曲げても激痛です。最悪と思っていた今朝よりはるかに悪化しています。ますます明日が見えなくなっています。

    記録/13時間02分

    ■8月6日、ステージ49
    距離/68.3キロ

    今までの怪我は、最初ガツンときて、毎日10パーセントずつ回復していく感じでした。今度の右脚スネの故障は、毎日悪化し続けています。この行き着く先が怖いです。
    なんで50日近く走って今更こんな怪我…と苛立ちます。痛みはすべての精神活動を停止させます。朝3時50分に目覚ましが鳴り起きると、90度のまま動かない足首にがっかりします。スタートラインにつくまでの数十メートルの移動に冷や汗を流します。手摺りがないと階段は昇降できません。
    朝5時にレースが始まり夕方ゴールするまでの十数時間、感情の90パーセントは「痛い」に支配されています。逃れられない痛みに心が鬱屈し、この状況から逃れたいという弱い気持ちが噴出します。「リタイアを宣言して車で搬送してもらい、ホテルのベッドで一日中寝てられたらどれだけ気持ちいいだろう」と何度も思います。
    今日も積極的にレースを組み立てる余裕もなく、ただただ制限時間にギリギリ間に合うペースを守ることだけを求め、走ってるんだか歩いてるんだかわからない奇妙なフォームで、果てのないイバラの道を行きました。
    1キロを10分で進めば何とか制限時間に間に合いますが、キロ10分を維持できません。息を切らし、顔を歪め、脂汗をじっとり滲ませ、必死に食い下がります。
    失格時間の9分前にゴールすると、もう一歩も歩きたくなく、その場に崩れ落ちました。

    記録/11時間51分

    ■8月7日、ステージ50
    距離/87.4キロ

    87キロという距離を、いったい全体どうやって壊れた脚で走り切れるというのでしょうか。
    完全に追い込まれました。今日でぼくのレースが終わるなら、せめて攻めに攻めて終わりたい。破れかぶれでも前を向いて走りたい。怪我を気にして下をうつむいたままの恰好で、ぼくのレースに終止符を打ちたくない。
    不意にある場面が脳裏に浮かびます。「五体不満足」の著者、乙武君があるプロ野球の試合の始球式をする映像です。彼はリリーフカーに乗らず、ベンチから猛ダッシュでマウンドに向かいます。彼がこんなスピードで走れるなんて、という驚きと、四肢の欠けた彼に対して「わーすげー」と素直に驚きを表現できない複雑な気持ち。それから彼はちゃんとグラブをはめ、硬式ボールを首と肩にはさみ、彼が考案したらしいピッチングフォームで、バッターの近くまで球をちゃんと投げ、また走って帰ったのだった。
    記憶は曖昧なんだけど、その映像を見た時の気持ちは「恰好つけやがって」でした。ハンデキャップを逆手にとって誰がどう見ても圧倒されることをサクッとやりやがって。カッコイイね。
    今走りながらぼくは、乙武君の百分の一の努力もしてないことに気づきます。脚がいくら痛いといっても、立ち上がれないほどではないし、足首が曲げられなくても、走るのに障害になるほどじゃない。
    何かあるはずだ。何が方法があるんだ。
    それからいろんな試みをしました。ある特定の足首の角度で、ある脚の踏み出し方ををすれば、痛みが少ないことに気づきました。現在、故障の少ない左脚のキックをロスなく推進力に変える方法も見つけました。
    しかしたったこの程度のことです。ヒントをくれた乙武君に深々とこうべを垂れたいです。
    そして、どんな状況でも、笑って前に進むためにここに来たことを思いだしました。
    人間の身体とは不思議なものです。前向きに克服しようとすれば、「そうか。治したいなら、治してやる」というエネルギーが患部に集まり、腫れ、熱を持ち、膿を出しながら自己治療に入る気がします。
    痛さが度を過ぎて麻痺しているのかどうかわかりませんが、ラスト30キロは久しぶりに痛みから開放され、走れました。
    ゴールした直後、主催者ロールさんやセルジュ選手に怪我の具合を聞かれ「人間の身体は不思議です。あんなに痛かったのがランニングを続けていたら治りました!」と満面の笑顔で説明し、さて椅子から立とうとすると、自力で立てません。激痛をカバーするため必死に走り続けた全筋肉がいっせいに休養に入った模様です。まったく人体ってどんな仕組みでできてるんでしょか。

    記録/14時間50分
  • 徳島に生きる人たちをただひたすらに追いかける! 「徳島人」9月号、発売中 JIN_1109.jpg人の数だけある人生のストーリー、その世界を追いかける「徳島人」創刊第2号を発行しました。

    最新号では、難条件のなか那賀町木頭でトンネルを掘る男たちや、小松島でゼロから養鶏場を始め美味しい卵作りに励む人、美波町木岐で天草漁に勤しむ79歳の海女さんなど、一心に仕事に打ち込む姿をリポートしています。

    今月の4大特集は・・・
    ◆徳島の渋滞実測大調査! 本当のところどの道が一番速いのか?通勤渋滞、帰宅ラッシュなど渋滞する時間にいろんなルートで目 的地へ向かい、最速はどのルートかを検証しました!
  • バカロードその26北米大陸横断レースLA-NY 2011ステージ前日〜ステージ20
    ■6月18日、レース24時間前

    大陸横断レーススタートまであと一日。
    昨日大会開幕セレモニーがあり、五大陸横断のセルジュ・ジラールはじめヨーロッパ大陸横断の王者ら世界中から超長距離走のスーパースターや冒険家が顔を揃えました。日本人ランナーも、ぼく以外は日本のこの世界を創りあげてきた伝説的な人ばかり。17人のチャレンジャーをサポートするために25台ほどの車がキャラバンの列をなす予定。昔の冒険活劇映画の開幕シーンみたいな世界になりそうです。
    ぼくはもちろん世界のトップに互する力はないので「脚が折れても完走」狙いです。
    今深夜2時なんですが興奮やらなんやらが入りまじって眠れてません。このままスタートラインにつきそうだけど、まあ問題なし。自分の力を全部出して燃え尽きてもまだ魂で前進する。覚悟完了しています。

    ■6月19日、ステージ1
    距離/73.5キロ
    ついに大陸横断レースがはじまりました。全大陸横断を決意し4年目にして、その入口に立ったわけです。
    レース会場に向かう車中で身体が熱く小刻みに揺れています。武者震いなんて自分でもするんだと驚きました。
    スタート直後からトランスヨーロッパ(欧州横断5000キロレース)王者のドイツ人、ライナーが抜け出しました。誰も追い掛けようとしないので、なぜかぼくが追いはじめます。
    完全に立場を見失っています。ライナーはキロ4分台でサクサク逃げていきます。今から5300キロ走るのに何考えとんな。でも、あきらめず追い掛けます。20キロ近くまで追走しましたが、ごく当たり前のようにチギられました。
    しかし100キロ7時間台のスピード選手がゴロゴロ出てるのに、なんでぼくが2位におるん?長いこと生きてると、たまにはいいことが用意されてるのかな。結果的には3位に落ちたが、あー超楽しすぎるんですけどコレ!
    あしたは900メートルの登り、泥道ぬかるみ道の78.7キロ。コケなきゃいいけど。

    記録/8時間12分
    ステージ順位/3位
    総合順位/3位

    ■6月20日、ステージ2
    距離/78.6キロ

    今日も王者のライナー選手に挑戦しました。スタートから逃げるだけ逃げて、どこまでトップでいけるかやってみましたが、あっさり10キロで笑いながら抜かれました。
    30キロからは、標高1200メートル以上まで登るきつい坂が延々つづきます。最後の20キロはトレイルと呼ばれる山道ですが、乾燥しきったハゲ山の砂地を果てしなく登ります。
    すでに街はなく完全な荒野です。直射日光が肌を痛いほど焼きます。
    残り15キロあたりで意識が朦朧としてきました。激しい嘔吐がはじまり、胃の中の物を30回くらいかけてすべて吐きだしました。
    走るどころか、立っているのも難しくなりました。最後の10キロは意識がありません。ゴールであるホテルの玄関で倒れました。
    たった二日走っただけでこのありさま。情けない気分です。
    腹の周りについていた脂肪がきれいに無くなりました。人間って一日でこんな痩せるもんなのね。

    記録/13時間12分

    ■6月21日、ステージ3
    距離/76.3キロ

    ステージ2で脚を痛めたフランス人選手がリタイヤすると主催者から説明がありました。世界中の超長距離の大会を転戦している著名ランナーです。あっけない終わりです。
    今日は、焼けただれた砂漠のような荒野のなかを走ります。アスファルトの表明温度は60度にもなり、熱したフライパンの上を走るようです。風は吹いても熱風で、身体の水分を全部奪い去ろうとするかのようです。
    昨日はじまった嘔吐は更に悪化し、道ばたに50度以上吐きました。といっても何も食べてないので、大半がカラゲロです。吐く度に時間を使うと制限時間に間に合わなくなるので、走りながらゲロします。コーラなど飲んでないのに真っ黒な胃液がでました。胃壁から出血してるんでしょうか。
    中間地点まで行かないうちに、座りこんで嘔吐しつづけ、もう完走なんて絶対無理なのかなと思いました。
    日本チームのサポートをしてくれている方が、熱中症は身体を冷やすしかないと、全身を氷で冷やします。帽子の中、首筋に氷を巻いたタオル、アームカバー…、さらに頭から氷水を間断なくぶっかけます。
    どんなびしょ濡れにしても一瞬て渇きます。
    氷が効いたのか、何とか意識を正常に戻しました。制限時間の8分前ゴールです。
    日本人ランナーの石原さんは数々の砂漠やジャングルなどのアドベンチャーレースに参戦するウルトラランナーです。
    体調悪く、どう考えても制限時間に間に合わない位置を走っていましたが、全力でゴールに駆け込み1分前にクリアしました。が、ゴール後にそのままアスファルトに倒れ動けなくなってしまいました。

    記録/13時間22分

    ■6月22日、ステージ4
    距離/81.9キロ

    連続ステージレースの厳しいとこは、走り終わったあとから翌日のスタート時刻まで極めて時間がないこと。3時間くらいの仮眠がやっとです。
    今日はレース序盤の山場、81.9キロの長丁場のうえ、完全な砂漠気候になります。
    前日までのダメージは仮眠では抜くことができず、宿の部屋では四つん這いで移動しています。
    歩くのもままならないのに、よく走れるなと自分でも思いますが、スタートのコールがあると、よたよた走れるから不思議です。
    今日もまた上に戻しながらです。この3日間、固形物は何も食べていません。ジュースやコーラも受け付けないので、吸収カロリーほぼゼロで、毎日6000キロカロリー分の運動をしています。ぼくの身体はどうなってるんでしょうか。
    序盤のペースをあげられなかったため、残り30キロて、どう考えてもゴール閉鎖時間に間に合わない状況になりました。
    あきらめはしたくないので、一切の停止をせず、走り続けます。氷水を全身にぶっかけながら、必死に前を目指します。
    残り20キロで「こんな苦しいこと初めてだ」と実感しました。残り10キロで意識が飛びはじめました。ゴールまでは失神しないように必死に意識を保ちました。
    制限の4分前にたどりついたゴールで倒れました。
    まだ4日目なのに、弱すぎるとがっかりです。
    今日、日本人ランナー2人がリタイアしました。日本のウルトラマラソンの歴史を作りあげてきた尊敬すべきお2人です。無念です。

    記録/14時間56分

    ■6月23日、ステージ5
    距離/45.6キロ

    ずっとメシを食べられてなかったが、昨晩ようやくインスタントラーメンを一個食べられた。
    今日も気温の上昇著しく50度近い。地面からの輻射熱がひどく、脚を火鉢であぶられているよう。唇は日焼けでタラコ状に腫れボロボロです。
    今日は比較的距離の短い日だが、休火山がはきだした溶岩地帯では、岩つぶてまで運ぶ熱風が正面から吹きつけるそうだ。
    短い距離でも苦闘はかわらない。火事の現場の中にいるような熱風のなか、脚にできた5センチ大のマメの激痛に泣きながら、またもや制限時間をギリキリでクリアした。
    本日、オランダ人の女性ランナーが時間内完走できなかった。欧州横断3000キロなど走る強いランナー。時間内にはたどりつかなかったものの、ゴールラインまで歩いた。ゴールすると周囲の人にささえられなければならないほど衰弱していた。

    記録/7時間56分

    ■6月24日、ステージ6
    距離/64.0キロ

    今日は自分では考えられないほど精神の浮き沈みが激しかったです。残り10キロを走っているあたりで、連日同様に嘔吐を繰り返し、ぐじゃぐじゃになった脚裏の痛み(マメが合体してき超巨大マメになった)に堪えかねて、ついに「ここから逃げ出したい」と心から思いました。ずっと失神しないよう、氷水をかぶっていたけど、もう意識不明で倒れた方がよほど人間として賢明ではないかと思い、倒れやすい場所がないか探しましたが、どの岩も砂も火であぶったように熱く、倒れることも叶いません。
    昨日まではキツくても前向きに走っていましたが、ついにヘタレ根性があらわになってきました。自分にがっかりしながら、今日もまた最終ランナーとして、大会スタッフの大声援を受けてゴールしました。
    15人いたランナーですが、一週間も経たないうちに全ステージクリア者が10人に減っています。サバイバルレースは過酷を極めています。
    走り終えるとその地域の安いホテルに泊まります。部屋の中では、脚の痛みて歩くことも大変。四つん這いも厳しく、逆四つん這い(腹が上)で移動しています。こんなんで明日、スタートラインに立てるんだろうか?

    記録/11時間22分

    ■6月25日、ステージ7
    距離/63.7キロ

    歩けないのに走れるのか? 答えは否だ、ではない。
    明日のことを考えるのはやめよう。今日をいかに生きるかだ。
    両足の巨大なマメは毒々しく化膿し、血と膿が混ざりあって吹き出す。足の裏を地面につけば、針の上に押しつけるよう。一歩ごとにウゥと叫ぶ。
    こんな足で63キロも走れるのか。と疑問をていしていても状況は変わらない。やれること、ぜんぶやろう。
    マメをぐるぐる巻に固くテーピングした。
    スタートから全力で走り、呼吸の苦しさで痛みを飛ばそう。制限時間までの時間を稼ごう。
    スタート前。何人かのランナーは疲労の極限か、あるいは怪我で立っていられない。ぼくは座ったままだ。スタートとともに走りだす。一歩ごとに痛みで叫ぶ。
    だが走れている。つま先がダメなら踵で走ろう。脚がダメなら腕を振ろう。今使えるものを全部動員して今日を生き延びよう。
    脚を止めると二度と走れだせない気がして、30キロ過ぎまでハイピッチで飛ばした。総合2位のパトリック(フランス)をリードした。だが30キロで身体が動かなくなる。今日も酷暑と熱風は尋常ではない。
    一度立ち止まると足裏のの痛みが目覚め、もう歩くこともままならない。ゴールまでの長い長い30キロを足を引きずりなんとか完走する。今日もラストランナーである。ラストだから毎日大声援を受ける。走れもしないランナーがゴールラインを歩いて越える。
    主催者はフランス人で、スタッフもみなフランス人。フランス語で称賛してくれるが、もちろん意味はわからない。けど、何となく相通じている。

    記録/11時間18分

    ■6月26日、ステージ8
    距離/82.0キロ

    前半戦最難関のステージです。距離が長いだけでなく、標高1200メートルの峠までの登り降りを含んだ、ほぼ全ルート坂道です。
    スタート時点から最初の平坦な15キロを飛ばすだけ飛ばし、時間稼ぎするつもりです。
    時間かせぎとは、当大会で設定された「制限時間=距離×時速5.6キロ」に対してのことです。時速5.6キロなんて大したこてないと考えていましたが、このクリアは大変難しいんです。
    走っている最中でも、少なくとも栄養補給のための食事やトイレをしなくてはなりません。その間は停止したりスピードが落ちたりします。その要素含みで時速6キロ=1キロ10分で押し切っていくことを完走の目安とします。1キロを10分より速く走れた分が終盤への貯金となるのです。
    今日はスタートからキロ5分台で入ります。15キロ以降の急激な登りに備えて前半で貯金します。
    峠道に入った30キロまで王者ライナーに続く2番手ですすみました。貯金も1時間以上でき、やっと自分の思いどおりのレースができるかなと感じていたとき異変がおこりました。
    最初は小さな違和感です。左脚のフトモモ前部に紙をカッターで切り裂くような痛みが走りました。走っていたらアチコチ傷めるのが普通です。走っているうちに治るだろうと気にせずいましたが、時が経つごとに痛みが大きくなり、最初の違和感から30分もしないうちに、激痛に変わりました。
    痛いだけなら我慢すればいいんだけど、力を入れることができなくなりました。フトモモ前部の筋肉がまったく動かないのです。つまり左脚を前に出せない。
    「終わったのか?」と思いました。今日の残り距離数は50キロもあり、激しい登りです。この脚でゴールに届くのか?
    しかしあきらめる選択肢はありません。今やれること全部やろう。
    サポートクルーの車まで片脚ケンケンでいき、大量の氷で患部を冷やしました。走ってみました。ダメでした。テーピングもダメでした。
    最後に考えたのは固定してしまうことです。ふくらはぎ用の細い着圧タイツをフトモモまであげ、筋肉をガチガチに固めるのです。
    動いてみました。筋肉が収縮ができないレベルまで締めたので、左脚はただの「棒」としての機能しか果たさなくなりました。しかし歩けなくはありません。
    残り45キロ、歩き通すしかないんです。
    左脚を前に振り出せない、という前提でどうやってゴールに向かうか?
    いろんな動きを試しました。いちばんマシなのは、左脚を単なる杖として考え右脚の力で進んでいくことです。ロクな方法ではありませんが、悩んでいる暇があれば一歩でもゴールに近づく必要があります。前半に作った1時間半の余裕時間を切り崩しながら絶対にゴールにいく!
    マカロニウエスタンの映画の背景にぴったりの、赤い岩峰が林立する広漠たる世界。蝿の羽音以外は無音。そこで息使いも荒々しく、ぼくは片脚で走る作業を繰り返します。

    10時間近く続けました。
    山麓は再び気温45度。途中、手違いから水の補給を受けそこね脱水で意識失いかけました。何もかもが焼けただれた砂漠なのに、寒気がして全身に鳥肌が立ち、地面が顔のすぐ横にある気がしました。

    スタートから15時間という長い一日が終わるころ、ぼくはゴールにたどりつきました。失格9分前でした。精も根も尽き果て、ゴールラインでへなへなと崩れ落ちました。9時間後には翌日のレースがはじまります。明日、自力で立てるのだろうか?

    記録/14時間51分

    ■6月27日、ステージ9
    距離/68.0キロ

    ひどい朝です。一人ではホテルの階段を降りられないので、人に支えてもらいます。
    両足のいずれかを地面につくたびに悲鳴がでるるほど痛いため、結局ずっと悲鳴をあげています。

    また完走の夢が砕かれたランナーが一人。ドイツ人のマルカス選手は、ぼくと走るペースがほぼ同じだったので、何十回となく励ましあいました。おとといのレース中、下痢の症状が悪化し大幅タイムオーバーし完走しました。主催者と全選手協議のうえ「どんな選手でも不慮の事故な体調不良は一度はある。タイムオーバーは一度限り認める」という特例で残りましたが、今日はスタートすることも叶いませんでした。
    9日目、リタイアした選手は6名、残った選手は9名。

    今日は最初から最後まで激しい痛みとの戦いでした。
    また、左脚の膝関節が真っ直ぐのまま曲がらないので、当然スピードも出ません。
    ただ「まだ終わりじゃない」と信じて走り続けました。よたよたでも前進できるのなら可能性はゼロとはいえない。
    途中あまりの痛さに「この痛みは自分の痛みではない。他人の痛みである。ぼくは他人の痛みを自分の痛みとして受けとめられる素晴らしい人物である」という作戦を立てましたが、まるで効き目はありませんでした。

    地平線までつづく長い長い一直線の道を走りつづけ、遠くに今日のゴールが見えてきたとき、ふいに喉がつまり、グエグエと泣きはじめました。今日を生き延びた安堵と、12時間つづいた脚の激痛への何かよくわからない感情です。
    ゴールの広場にたくさんのスタッフや選手が待ってくれているのが見えます。何人かは手前まて走りだして迎えてくれようとしています。
    主催者のロールさんがぼくを支えてくれながらゴールラインをこえました。
    それから用意された一人がけの椅子に座って泣き続けました。
    一人ひとりやってきては「よくやった」「最後まであきらめなかった。お前は強い」と誉めてくれました。
    ただ単に痛いのが嫌で泣いているだけの人物を、よい方向に捉えてくれて嬉しいです。
    最終的には、あまりに泣き続けていて、みなもゴール設備の撤収もあり誰もその場にいなくなりました。
    誰もいなくなった夕焼けの広場で気の済むまで泣きつづけました。

    記録/11時間54分

    ■6月28日、ステージ10
    距離/74.0キロ

    またもやリタイア者が出ました。フランス人のジェラード選手は欧州やアフリカ各地で開催されるレースで幾度も優勝しているトップ選手です。序盤、実力どおり総合2位につけていましたが、スネを怪我してからは、ステッキをついて走る痛々しい姿を見せていました。チャンピオンのプライドを捨て、何がなんでもゴールするという気迫が凄かったが…。ついに歩くことすらままならなくなったようです。
    現在、生き残り選手8人。
    「今日さえ乗り越えればなんとかなる」と毎日思います。明日のことなど考える余裕もないです。
    一日のスタート。ランナーがゴールに向かって走り去っていきます。走れないぼくは必死に歩きます。歩きではどだいゴールの時間に間に合わないのですが、それしかできないから歩きます。
    封印していた痛み止め薬を飲む決断をしました。誰に聞いても、飲んではダメだと言います。一瞬痛みを忘れられても、その後もっと深刻なダメージを背負うからです。
    でももうほかに手がありません。走れなくては今日でぼくのレースが終わってしまうのです。鎮痛剤をのむと10分くらいで皮膚の表面全体に弱い麻酔がかかったような感覚がしはずめます。1キロ10分というペースで走ります。ゆっくり走ってケガを治癒させるのです。
    マラソンの瀬古利彦選手が現役時代、ケガで走れなくなったとき、一日に10時間も歩きつづけてケガを治したというエピソードがあります。それを自分もやってみるのです。
    標高1700メートルへと一人静かに登ります。時間ぎりぎりのペースだから、大会スタッフが車で頻繁に見回りにやってきます。「ゆっくりいけ。必ずゴールできる。周りは関係ない。自分に勝てばいい」などといろんな声をかけてくれます。
    60キロまでほとんど誤差なくキロ10分で走りました。そこからは潰れてペースを落としましたが、8分前にゴールに間に合いました。
    世界で初の五大陸ランニング横断を達成したセルジュ・ジラール選手(フランス)が自ら出迎えてくれました。連日潰れきって、砂漠で道に迷った旅人のようにゴールにたどり着く変なランナーを励ましに来てくれたのです。
    しかし映画スターみたいに男前な顔してるなぁとセルジュ・ジラールを見て思い、ボロ雑巾のようにグチャグチャな自分を省みて悲しみが増幅しました。

    記録/12時間52分

    ■6月29日、ステージ11
    距離/49.4キロ

    スタート前から何やら人気です。どのランナーからも各国サポートクルーからも声がかかります。「調子はどうだ」「君はタフだよ」「ドーナツあげよか」など。どうやら2日前にゴールした際に号泣したことがウケている理由のようです。
    まぁもうどうしようもありません。人前で意気地なしをさらけ出してしまったのだから、何とでも、どうとでも捉えてちょうだい。

    今日もまたケガの治癒を最優先としたキロ10分ペースで進みます。激烈な痛みは2割くらいはマシになっているのが若干の救いです。
    他の選手たちはスタート地点から数百メートル背中を見ただけで、二度とその姿を見ることはありません。ひたすら孤独な作業です。
    休憩を入れたら時間がなくなるので、一切ストップしません。汚い話しですが小便も走りながらします。ツール・ド・フランスの自転車選手なども自転車に乗ったまま用を足すことが知られていますが。まあそんなとこです、

    今日もまた制限時間いっぱいです。ゴールが見えてくると、何やら盛り上がっいます。「BANDO!BANDO!」。うわー名前を連呼されています。恥ずかしいので一瞬ゴールに行くのをためらいましたが、迷っているうちに失格になっては元もこもありません。
    するとゴールから人が走りだしてきました。手前200メートルあたりまで、あちこちの国のクルーや大会スタッフがワーッと出迎えてくれ、両手を握られ捕まえられたお猿のような感じでゴールしました。相変わらず周囲は「BANDO!BANDO!」と全盛期の猪木コール並の盛り上がりです。ぼくの手を握りしめてくれたのはもちろん美女ではなく、ヒゲがぼうぼうのおじさんや、体重100キロくらいある大男です。
    ただ今、ぼくの意図とは大きく掛け離れ、男に人気急上昇中です。

    記録/8時間32分

    ■6月30日、ステージ12
    距離/48.8キロ

    神様というものがいるのだとしたら、ときには心優しき施しをもたらしてくれるのだろうか。

    今日の行程は48.8キロと短いものの、標高2100メートルまで高低差600メートルを登る。うち40キロが不整地の林道です。この地域のトレイルは砂と小石が混じった乾燥したやわ道で、アスファルト道のようにスピードは出せません。

    スタート直後、走ってみました。痛いけど昨日までと違い絶対に走れないって感じはしません。ちょっと前のランナーについていってみよう。つけるぞ。集団の中にいる。何日ぶりだ?
    走れる!走れる!嬉しさで飛び上がりそうになるのを抑え、前の選手を追いかけます。1人、1人と追い越すたびに、顔を見合わせます。「ケガよくなったのかい?」「よかったな。ミラクルが起こったな」と声をかけられます。

    キロ7分台で急峻な登りと下りが連続する林道を駆け抜けます。7分台といえば、体調万全な状態ならいくぶんスローなジョグペースですが、今は背中に羽が生えて地面すれすれに滑空させてくれているようです。
    景色が前から後ろへと流れ去っていきます。ロッキー山脈の核心部へとつづくこの気持ちいいトレイルロードを、ぼくは夢うつつで駆けています。
    ペースは後半になるほど上がり、全力疾走ができることも確認しました。
    あっという間に今日のレースが終わりました。
    ゴールには先着のランナーたちが椅子に座って帰ってくるランナーを眺めています。みな、その脚はボロボロです。包帯にテーピングぐるぐる巻きに杖に。ちょっとした野戦病院です。

    フランスで発行している女性向けランニング情報誌の取材を受けました。記者は見たことないくらいの大変な美人で、取材姿勢もていねいだったので、まじめに答えました。それで、「いつまで取材するんですか?」と尋ねたら「明日には帰ります」というので「おや、短いですね」と感想もらしたら、「たぶんあなたは気づいてなかったと思うけど、私は最初から取材してたのよ。あなたが山の中で絶望している所や、ゴールで泣き崩れた時もそばにいたわ」
    見たこともないほどの美女の存在に、何日間も気付かないなんて、どうかしてるぜ!

    記録/6時間39分

    ■7月1日、ステージ13
    距離/65.5キロ(プラス4キロ)

    スタートから30キロまで調子が出ず、眠くて眠くて仕方がなくて、うたた寝しながら走りました。当然びりです。野グソも2回しました。さすがにウンコを走りながらするテクニックはありませんが、強者になるとできます。技としては「そのままもらして、ペットボトルの水をぶっかけて終わり」と「一瞬立ち止まり半中腰の体勢から後方にぶっ飛ばす」という二種に大別できます。今度やってみます。
    30キロ過ぎてようやく目が覚めてきました。ウォームアップに30キロもかかるとは、だんだん異常体質になりつつあるようです。
    今日も後半ほとんどが山林の登山道や林道をゆきます。尖った小石だらけの道は、足の裏の巨大マメに突き刺さり、脳みそにバリッと電流が流れるくらい痛みます。1000回くらい「ギャア!」と叫びました。
    ゴール地点のフラッグスタッフという街はこの地域最大の都市で、街路も入り組んでおり、大会側から指定されたルート図は曲がり角が10ヶ所もあって複雑を極めました。
    ラスト5キロまで来て、曲がり角を一本間違え、道に迷ってしまいました。街の人にさんざん道を尋ね、間違えた地点を把握するまで結構な距離を走ってしまいました。しかも大会ルールでは間違えた場所まで一旦戻らなければなりません。ショートカット予防の措置です。
    正規ルート上に戻り、間違えポイントまで逆走していると、前方から来た大会車両が停まります。勢いよく車を降りたスタッフのオッチャン(いいフランス人)が目を丸くして「おいBANDO!そっちはゴールじゃない、スタートの方向だ!お前はどこに走っていくんだ?」と大騒ぎするので「ぼくは道を間違えたんだ。だからミスした交差点まで戻っている」と説明すると、オッチャンは「お前何キロも余分に走ってるんだからもういいよ。ここからゴールに行けよ」と実にフランス人的な柔軟な判断を述べるのですが、ぼくはズルしたくないのと、この親切で心配症のオッチャンにいつまでも関わっていると時間がどんどん過ぎ、制限時間が近づいてくるので「イッツ・ルール!」と叫んでオッチャンを振り切りました。
    間違え地点に戻り、再びゴールを目指します。親切な大会スタッフのオッチャン車両が、残り3キロを併走してくれましたが、実は立ちションがしたくて仕方ないのに、オッチャンたちが車の窓全開で「ガンバレ!ガンバレ!」と応援し続けるために立ちションできず困りました。
    で結局余分に4キロ走ってゴールすると、「お前はこんだけ走って、まだ走り足りないのか?」とスタッフたちに呆れかえられました。
    「いや、ぼくは道を間違えてはいない。この街をマーケティングしていたんだ」などの小粋なジョークも用意していましたが、不発に終わりました。

    記録/11時間12分

    ■7月2日、ステージ14
    距離/85.5キロ

    大会はじまって以来の最長距離です。
    スタートからやけに調子よく、5キロほどで先頭をいく王者・ライナー選手の背中が見えてきました。これは挑戦するしかない!
    一気にスパートをかけライナーをかわすと、15キロまで先頭を独走しました。ところが背後に足音がしたかと思うとライナー笑顔で「またあとでね」と余裕のそぶりで置き去りにされました。こっちはキロ5分ジャストで走っているのに、どんなスピード? 連日80キロ近く走ってるステージレースでキロ4分のスピードなんてあり?
    結局、25キロ手前で潰れたため、あとの60キロの長いこと。13時間近くかかり、へろへろでゴールしました。
    主催者ロールさんには「クレイジーBANDO!今朝のあなたは何?あなたの目的は10キロレースでトップになることじゃないてしょ!ニューヨークがゴールってこと忘れないで!」」ときつく叱られました。他の選手たちには「今度はいつライナーに挑戦するんだい?」と笑いながら聞かれました。
    今夜ね宿泊地は小さな集落なため、選手、サポートクルー、大会スタッフ全員での合同キャンプです。といっても公民館の床で雑魚寝です。
    シャワーは水が入った袋を簡易テントの上に吊して浴びる即席仕立てタイプ。
    晩ごはんはパスタ、オリーブの実ライス、鶏の素焼きなどを大会スタッフが作ってくれました。ビールも飲み放題、最高です。

    記録/12時間49分


    ■7月3日、ステージ15
    距離/66.5キロ

    距離は短いものの、600メートルの高低差を一日じゅう登ります。
    昨日85キロ走ったダメージか体調すぐれず、足もまったく動きません。こんなキツい日に、どううまく走りをまとめ、制限時間をクリアするか。その技が大陸横断を達成できるかどうかの鍵を握ります。
    大事なのは、ゆっくりでいいので走りつづけること。急坂も歩かず走る。決して止まらない。
    今日の42キロ地点で、スタートからの通産距離が1000キロを突破しました。1000キロ地点に近づくと、どこからともなく大会スタッフが現れました。1000キロの看板を掲げ、記念撮影が行われました。
    これで全工程の五分の一をやっつけたことになります。たった五分の一なのに、既に満身創痍です。
    2週間止まらない鼻血。
    火傷してケロイド状になった唇。
    左脚は「く」の字の状態から動かなくなっています。真っすぐ延ばせず、曲げられずです。しかし脚一本ダメにしてでもニューヨークまで完走したいです。
    ここらへんの居住者はアングロサクソンではなく、もともと大陸に住んでいた部族がルーツの人々です。
    みな親切で優しい感じがします。農家のトラックを運転するオッチャンが、「ニューヨークまで行くって?何てこったい。君に何かあげなくては」とごそごそ辺りを探し、ドル紙幣を二枚つかんで「これ使って」とくれようとしました。もちろん気持ちだけもらいましたが、日本の田舎と変わらず、アメリカの田舎も人は朴訥でおせっかい焼きの多い、いい場所です。
    ゴールを前にして1キロほど彼方に竜巻が現れました。砂漠の竜巻は黄土色の砂を天空まで運びます。竜巻はみるみるうちに成長し、巨大な柱を文字どおり竜の身体のようによじらせます。
    危ないなと思いつつゴールし、足の裏を氷水でアイシングしていると、竜巻本体が連れてきた砂嵐に襲われました。砂粒が横殴りにバチバチ叩きつけられます。滅多にない経験です。面白いのでそのまま外にいたら、全身まっ茶色の泥人間ができあがりました。

    記録/11時間29分


    ■7月4日、ステージ16
    距離/77.2キロ

    ショックです。左足首を傷めました。着地するたびにアキレス腱に激痛が走ります。
    今日は30キロまで飛ばしたため、制限時間には間に合いましたが、最後7キロは一歩も走れませんでした。いや、走ろうとしましたが、あまりの痛さに走るのをやめ、歩きました。
    明日までに治さなくては、明日でチャレンジが終わってしまいます。今、安モーテルのベッドに横たわって、氷嚢で患部を冷やしまくっています。
    ふと見ると、右足の親指の爪がぐらぐらして取れかかっています。ふだんなら激痛なんだろうけど、他に痛い部位が多過ぎて痛みを感じませんでした。しかし気づいた後は、ズキズキ痛みだしました。発見するんじゃなかったと後悔しても時遅し。

    記録/12時間29分

    ■7月5日、ステージ17
    距離/71.7キロ

    レースを続けられるか、終わりの日となるか、山場の一日。
    左足首に走る痛みで歩行も困難です。だめかもしれない。でも、可能性がゼロではないのなら、やれること全部やる。
    患部はテーピングと圧着タイツでガチガチに固めました。そして強い鎮痛剤を飲みました。
    スタートから20キロは路肩のない悪路です。砂利や草、動物の糞だらけの土の斜面です。
    歩くようなスピードですが走れています。走れる限り光が射しています。
    道ゆく車の多くが手をあげたり、クラクションを鳴らして応援してくれます。街道沿いにはヒッチハイクをする若者が多く、みな気さくに声をかけてくれます。「ニューヨークまで走っていくってぇ!」と映画の中のアメリカ人のように大袈裟に驚き、姿が見えなくなるまで見送ってくれます。
    よぼよぼにしか走れませんが、とにかく前進しています。
    大きな雲が夕立を運んできます。大粒の雨が道を叩きます。通り過ぎた雨雲が大きな虹をかけています。ゴールが近づいてきました。「今日もぼくは生き残った」と取り囲んでくれるスタッフに言うんだろう。
    毎日が紙一重。残る8人は、ぼく以外はこの世界のスターばかり。速く、強く、カッコイイ。多くが企業の支援を受け、またこの世界を生業としているプロです。
    その中で毎日、制限時間ギリギリに、脚をひきずりながら死にかけでゴールに現れるぼくは異質このうえない存在です。
    ハイレベルなランキング上位争いを展開するスター軍国のなかでぼく一人、別の競技を行っているようでもあります。
    しかし、今日もまた生き残りましたた。それだけでいいのです。

    記録/12時間23分


    ■7月6日、ステージ18
    距離/66.4キロ

    はずれかけの親指の爪を見るのが怖いので、テーピングでぐるぐる巻きにしてやりました。これで恐怖シーンを目撃しないですみます。
    今日は、大草原に延びる一本道を、どこまでも走ります。
    今日はひとつの実験的な走り方をしてみました。まず30キロまでをウォームアップ区間として捕らえ決して力を入れない。30~40キロで徐々に速度を上げていきます。40~50キロは我慢のしどころでスピードの維持に努め、50~60キロは呼吸を荒げない程度にベストランニングを心掛け、60キロ以降を翌日に疲労を残さないためのクールダウン区間とします。
    考えたとおりに走り、想像以上に後半スピードアップし、ゴール後も他人に支えられなくても歩けました。
    チームジャパンのサポートクルーの重鎮であり、トランスヨーロッパ(欧州横断レース)を二度も完走している菅原さんが「今日が今までで一番の走りです」と褒めてくれました。いつも「そんな走り方してちゃ完走なんかできっこない」と叱られてばかりなので、ちょっと嬉しかったのでした。コツを掴んだのだろうか。カン違いでなければいいけど。

    記録/10時間15分

    ■7月7日、ステージ19
    距離/64.4キロ

    今日のレースが終わり、小さな街の公民館の床にひっくり返っています。標高2000メートルの高地にも関わらず、直射日光強く、肌は焼けるように熱く、日射病気味になり、今日もまたフラフラでゴールしました。
    全身が熱く、氷をあちこちに挟んで、体温を下げています。
    明日は今までで最長距離の87キロ、あさっては82キロと、80キロ超え2連戦です。
    疲労が極端に翌日に持ち越される分水嶺が75キロあたりです。距離が長いというだけで全身へのダメージが大きいですが、それにも増して睡眠時間がなくなることが疲労の最大原因です。80キロ以上になると走る時間は15時間はかかり、ゴールしてから翌日のスタートまで9時間しかありません。その間にはホテル入り、シャワーと洗濯、夜食など済ませていると、睡眠時間は3~4時間です。これでは前日の疲れが取れるはずもありません。と、なげいてもどうしようもないので頑張るしかねーな。

    記録/10時間31分

    ■7月8日、ステージ20
    距離/87.2キロ

    今日と明日は80キロ以上の2連戦。
    いま左脚は、足首が90度の角度のまま動きません。そして膝も「く」の字の状態で曲げられません。走る機能を失っている左脚で、80キロ2本、乗り越えられるんだろうか。

    長い長い長い一日でした。関門閉鎖15時間30分を破るためにとった作戦は「一度も立ち止まらない」でした。食料補給のエイドはじめ一切足を止めずロスタイムをなくしゴールに向かいます。前に推進する力が右脚にしかない片脚走法では、こんな地味な作戦しか取れません。

    ゴールに着くと日本人の男性が話しかけてくれました。全米バスケットボールリーグNBAの所属チームのスタッフをしており、今日はわざわざ100キロ近く運転して、ぼくたちのレースを見に来てくれたそう。常にコネなしで米国のプロスポーツチームに直談判して働き口を見つけているんだとか。すごいなあ。将来、バスケのボールをドリブルしながら北米横断したいという変な夢を持っている。ぐちゃぐちゃになったぼくの足の裏を見せたても引かなかったので本気なんだろう。若いのにたいしたもんだな。得体の知れないエネルギーを発散してる人は目が違うな。

    記録/14時間58分
  • バカロードその27北米大陸横断レースLA-NY 2011ステージ21〜ステージ40
    ■7月9日、ステージ21
    距離/82.6キロ

    朝からくたくたで立ち上がるのも歩くのも必死です。今まではいていたシューズの底のゴムが残り1センチを切ってしまったので、新しいシューズに変えましたが足のサイズが2センチくらい大きくなっており、はいりません。無理にねじ込み走りだしましたが、25キロすぎにいよいよ足が張り裂けそうに痛んだので、元のすりへったシューズに戻しました。
    26キロ地点で大会車両のなかで意識もうろうとしている選手がいました。ジェームス選手(英国)です。熱中症にやられ、動けない状態になっています。大会スタッフが「BANDOが来たぞ。着いていくか?」と尋ねていますが上の空です。着いては来ないだろうと思い走っていると300メートルほど先に進んだ所で、ジェームスが立ち上がり走ろうとしているのが見えます。しばらく様子を見ていると、大量の嘔吐をはじめました。引き返して背中を撫でました。何がなんでもゴールに行きたいという気持ちが伝わります。(こいつを引っ張ってやろう)と思いました。「君はどうしてもニューヨークにいかなくちゃならないんだろ? ぼくのペースは関門ギリギリ通過だけど、必ずゴール出来るから着いてこい」と言って、彼を引っ張ります。嘔吐を繰り返す彼は、まるで大会2日目の自分を見るようです。ロンドン在住の彼のためにビートルズの「一人ぼっちのあいつ」やらなんやら、思いつく限りの英国音楽を歌いながら進みます。彼も死にかけの声て歌います。彼の周りん360度周りながら、全身に霧吹きで氷水をかけながら走ります。徐々に元気を取り戻し、50キ
    ロ近く引っ張った所で充
    分ひとりで走れるようになったので「先に行け」と言うと、「君と一緒に走りたい」というので「ジェームスは、ぼくと違ってトップランカーなんだから少しでも速く行くべきだ。ここからは自分のペースで行ってくれ」と説得し、彼の背中を見送りました。
    ゴールが近づくと、映画「未知との遭遇」に登場するような幻想的な山群に囲まれた巨大な湖が見え、夕日が湖面ばかりか地上全体を紅に染めます。
    今日も長い一日が終わろうとしています。遠くて歓声が聞こえます。ジェームスがゴールしたんだろうな。ほんと毎日いろんなことがあるな。

    記録/14時間12分


    ■7月10日、ステージ22
    距離/62.0キロ

    短いはずの62キロがとても長く感じられました。極度の疲労と寝不足と脚の怪我と…と理由をあげればキリありませんが、結局のところ、心が弱くなっているんでしょう。
    3週間走っています。だけど今はまともに走れもせず、ただその日を生き延びるために、制限時間直前にゴールに間に合うように、ただ淡々と、歩くようなペースで走り続けるだけです。こんな毎日に価値はあるんだろうか? 少しよくわからなくなっています。
    今日の宿はすごいド田舎のカジノホテル。グランドフロアの広大なカジノでは、お年寄りがスロットやルーレットに興じています。アメリカの老後ってこんなん? 日本人のパチンコと大差ないか。
    それにしても疲れました。こんな日は寝るに限ります。

    記録/10時間46分


    ■7月11日、ステージ23
    距離/75.5キロ

    緊張感のある一日を迎えました。ロッキー山脈越えの最高点2783メートルのパロフレチャド峠がゴール地点です。
    今日だけで累積標高差2000メートル近くあり、山の奥に入れば入るほど急な登り坂となって極端なペースダウンが予想されるので、前半から飛ばして時間稼ぎします。
    下り坂はぶっ飛ばし、登り坂ではあえぎながら標高を稼ぎます。
    「こんな所では終われない」と心で何度も繰り返します。ぼくの実力ではタイムオーバーの可能性の方が高い。だから無駄なこと考えず必死に走ることだけに集中しました。
    ここんとこ、走る意味などを考えすぎていささかつまらない心理傾向にありましたが、今日は「走ることに意味などない」とちゃんと実感しました。ただ汗を流して息をあらげて、コンチクショウと前を目指すだけです。誰の役にも立たないことを、自分勝手にやっているだけです。
    でもせめてひとつくらいは自分の立てた目標をやり遂げたい。どんなブザマな恰好でもいいので、ニューヨークまで自分の脚で行きたい。だからこんな所では終われないんだ。
    制限時間まで20分残して峠のてっぺんに着きました。ゴールすると1000マイル(約1600キロ)突破の記念撮影がありました。蟻の歩みのように遅いけど、少しずつ前に進んでいます。

    記録/13時間8分

    ■7月12日、ステージ24
    距離/59.9キロ

    峠の最高地点から一気に下る一日です。標高2700メートルの峠は雪こそないものの、吐く息は真っ白で、凍える寒さです。ほんの数日前まで灼熱の砂漠であえいでいたのが嘘みたいです。
    スタートの合図とともに急傾斜の坂を駆け下ります。足に大きな衝撃が来ます。ところがどこも痛くない! 足裏の麻痺や、関節の可動域が減ってしまった状態は変わりませんが、とにかく痛みがないという事実に小躍りしそうになります。いったい何日ぶりなんだろう。
    ロッキーの懐に抱かれた深い森林を縫うように走ります。天を衝く垂直の岩壁や、美しい青い湖が次々と現れます。小川のせせらぎ音や小鳥のさえずりが耳に心地よいのは、脚に痛みがないからです。
    距離が60キロと短いことも手伝って、あっという間に競技時間が終わりました。
    走ることは本当に楽しい。速く走れなくても、風を切れなくても、走ることは楽しい。

    記録/8時間01分

    ■7月13日、ステージ25
    距離/86.3キロ

    再び80キロ超えのニ連戦です。
    足のサイズが大きくなりすぎて、通常のシューズに足が入らないため、カッターでシューズの前部を切り裂きました。生爪が剥がれかけている右親指と左小指のあたる部分は入念に穴を開けました。これでずいぶん楽になりました。
    スタートから数キロ進んだところで、現在総合2位のパトリック選手(フランス)と並走しました。大柄な選手が多いなか、ぼくよりも小柄な彼ですが、走りの安定度は随一です。独特の腕ふりが特徴のフォームをひそかにマネしていましたが、本人に「あなたのようなランナーにいつかなりたいのでフォームをマネしてます」と告げると、嬉しそうにしてくれました。16社ものスポンサーを確保するプロの超長距離ランナーは、顔は映画俳優みたいだし、立ち振る舞いも気品があって、わが師にしたいです。
    ロッキーの山岳地帯を抜け、コースは再び地平線まで360度開けた広大な牧草地帯に突入しました。山越えしてからの変化は、夕方になると巨大な雲が湧き立ち、雷鳴や稲妻が雲のなかで暴れること。遠く彼方の雨雲が、風向きによって、こっちに接近することが分かると、足早になりつつも嵐の到来を待ち望んでいたりもします。涼しくなるのです。
    ラスト2キロのところで日本人ランナーの越田さんが猛追してきたので、こちらも猛スパートで対応しました。久しぶりにキロ5分のスピードを出して気持ちよかった! しかし80キロ以上も走ったあげく猛ダッシュとは、大人2人で何やってんでしょう。

    記録/13時間19分

    ■7月14日、ステージ26
    距離/88.2キロ

    昨日86キロを走り、睡眠時間足らずで寝不足がひどく、スタートから20キロまでは居眠りしながら走りました。ふらふら蛇行している姿をスタッフ車両に乗った主催者ロールさんに目撃され「道路を走りながら眠るなんて何て人!」と目を丸くされました。
    最近は距離感覚が鈍くなり、88キロといっても長く感じなくなってきました。淡々と距離を刻んでいくだけです。
    今頃だけど、超長距離ステージレースの走り方を少しは理解してきました。脚を上にあげず、地面からの反動を使わない。これは怪我防止のため。疲労を蓄積させないためにも、極限まで筋肉を使わない走り方をしています。
    今日は終盤で強い通り雨に打たれたんですが、不思議な自然現象が起こりました。ぼくの足元から道路上の進行方向へと500メートルくらい、真っ直ぐな虹ができたんです。地面から50センチくらい浮き上がった高さです。
    長いこと生きてても、知らないこと、見たことないものだらけだな、と日々思いを強くするばかり。

    記録/14時間15分

    ■7月15日、ステージ27
    距離/78.9キロ

    急にコース変更が行われ71キロが79キロに延びました。あしたは89キロという過去最長日であり、実質80キロ4連戦となり息つく暇もありません。
    持参したシューズのソールの厚みがとうに1センチより薄くなっているため、車のタイヤの切れ端をうまく靴底の形に合わせて貼り(シューグーという接着剤で貼り合わせます)、ソールの厚みを一センチかさ上げしました。
    ロッキーを越えて気候が変わりました。夏蝉が鳴きはじめました。日本の夏のように湿気のある猛暑で汗が渇きません。
    足首をふたたび痛めました。最近5日ほど飲まずにすんでいた鎮痛剤で対応しました。痛み止めで怪我をごまかしながら運動すると、最終的にはスポーツマンの選手生命が奪われる、とはいいますが、ぼくはプロスポーツマンでもないし、この大会をやり遂げられたらそんでいいので痛み止めを飲みます。
    身体に何が起ころうと、ただニューヨークにたどり着きたいだけです。

    記録/12時間56分

    ■7月16日、ステージ28
    距離/89.8キロ

    80キロの4連戦目は、ほぼ90キロ。気温40度以上の日蔭もない平原を、熱風にさらされ15時間以上走りました。
    半ばで嘔吐がはじまりました。また熱射病の再来です。サポートクルーの皆さんにお願いして、頭と首に氷を大量に巻き、氷水を全身にぶっかけながら、薄れそうになる意識を保ちました。
    朝5時30分にスタートし、ゴールにたどりついたのは夜の9時。
    ゴールラインの上で大の字に倒れました。自力で歩くことはおろか、しゃべる余力さえ残っていません。4時間ほど寝たらすぐ明日のレースの開始です。精神的には地獄です。まるで救いがありません。もう寝ます。

    記録/15時間25分


    ■7月17日、ステージ29
    距離/73.0キロ

    疲労困憊して歩くだけで息があがります。強烈な暑さがダメ押しします。もう走れない。どんな頑張って走っても、スーパーで買い物するおばさんくらいの歩行速度しか出ません。脚の筋肉に残された力はなく、何のでっぱりもない平たい道路につまづいて倒れます。
    ヤケクソです。好きな歌を大声で歌いながら走りました。もう自分の力では何もできはしないんだから。
    昨日から新しく運営スタッフに加わったフランス人の女性が、ゴール近くの数キロを自転車で伴走してくれました。「昨日レースを見たけど、なぜあなたは楽しそうに走ってるの?」と尋ねるので、楽しいはずなどないのになぜそんな質問されるんだろ?と思いよく聞くと、どうやらヤケクソで歌を歌っているのが楽しそうに見えたみたいです。
    それで思いつく限りの洋楽のスタンダードポップスを2人で歌いながら走っていると、スタッフ車両も横づけされて、なぜか主催者ロールさんがビートルズの「イエローサブマリン」を歌いだしました。しばらく合唱してスタッフ車両が去り、いよいよぼくのゴールが迫ってきたら、ゴール付近で待ってくれている人たち皆が「イエローサブマリン」を大合唱しているではありませんか。あー、もうそれ、ぼくのテーマソングでも何でもないんやけど~、と思いながら歌にあわせて阿波踊りのような振り付けでゴールしました。なんか違う…。
    ゴールは地元の学校です。なんと図書室を開放し、臨時のレストランと宿泊室ができています。ランナーたちは書棚と書棚の間に寝袋を敷いて夜の準備をはじめます。
    食事のデザートに手づくりケーキが4種類も出されて感激しました。そろそろアメリカの大味でパサパサなケーキにも慣れてきて、美味しいと感じはじめています。日本に帰って本来に美味しいケーキ食べたら衝撃で死ぬかもしれません。
    しかし、アメリカという国は、冒険とかチャレンジへの大きな理解があると思います。学校や公民館、地域の施設まで、僕たちドロドロに汚れた外国人数十人を快く受け入れてくれます。単なる親切ではなく、ぼくたちの挑戦を讃え、頑張れと熱く励ましてくれます。これがアメリカという国と国民の持っている根本的な強さなんだろうな。

    記録/12時間45分


    ■7月18日、ステージ30
    距離/83.5キロ

    再び80キロ以上。毎日が首の皮一枚でつながっているかいないか。作戦もへったくれもなく、夜明け前から日が沈む頃まで、ひたすら手足を動かし続けるだけ。
    この辺りは酪農や大規模農園が盛んで、北海道の景色を10倍くらい引き伸ばしてメリハリをなくした感じです。直線道路を時速100キロ以上の猛スピードで農業用の巨大な運搬トレーラーが通り過ぎるたびに、物凄い風圧、空気の塊がぶつかってきます。頭を下げ、帽子を押さえ、吹き飛ばされないよう身構えますが、風に身体ごと持っていかれます。脚に踏ん張るだけの筋力がなくなっているから、簡単に一歩二歩と後ろに下がってしまいます。これを一日に何百回と繰り返して、ずいぶん体力を疲弊させられました。
    途中、日本人ランナーの越田さんに追いつくと、何やら奇妙な動きをしています。カニのように横歩きしながらオシッコを放出しているのです。「何ですか、そのテクニックは?」と尋ねると、「この方法なら小便してる間に10メートルは進みます。仮に10回トイレするとしたら100メートル分進んでる。100メートルといえば1分です。関門突破ギリギリの時の1分は大きいよ」とカニ歩き小便しながら教えてくれました。さすが大学の研究者です。実際に使える理論と技術こそが本物のインテリジェンスと言えます。
    日没近くに着いたゴール地点は小さなホテル。このホテルでは経営者夫婦がゴールするランナーを一人ひとり出迎えてくれたうえ、晩ごはんを用意して待っていてくれました。丸鶏をよく煮込んだスープや、たくさんのサラダ、フルーツ、スイーツ…。無料でわれわれ一団、50人近くにふるまってくれたんです。美味しかったー!


    記録/14時間29分

    ■7月19日、ステージ31
    距離/51.5キロ

    奇跡的に短距離な一日。こんな日は「休養日」と位置づけて、できるだけ体力の消耗を押さえたいって考えます。本来は気楽に走れる距離なのに、昨日までの疲労が取れず、また気温も昼には40度を超え暴力的に暑く、ゼエゼエ言いながら走っていました。
    すると200メートルくらい前を走っていたフランス人ランナー・フィリップさんが、なぜか道を逆走してきます。一本道なんで道を間違えるはずもないのに。「何があったんですか?」と聞くと、まるで恋人の誕生日に隠し持ったプレゼントを差し出すかのようなポーズで背中から何かを取り出します。差し出されたのは、スターバックスの500ミリリットル入りアイスクリームです。英語のできないフィリップさんですが意図はわかります。なんせ彼にアイスクリームをもらうのは3度目です。灼熱の太陽の下食べるアイスの衝撃的なうまさったら!
    しかしフィリップさんはなぜぼくにいつもアイスをくれる?他のランナーにはあげてないみたいだし。どうも毎朝、毎夕の挨拶の際も握手やハグが必要以上に熱い気がする。大丈夫かな。
    今日は地元の高校の体育館で泊めでもらいます。シャワー室にトイレがあるんだけど、大の方もトビラなんてついてないんですね。丸出しでウンコするわけです。ドラッグ対策なんかな? こんなん中国の公衆トイレで見て以来だ。奥深しアメリカ!

    記録/7時間58分


    ■7月20日、ステージ32
    距離/76.4キロ

    朝方、走っているとイタリア人ランナーのアレキサンドロに話しかけられた。「ヨシアキという名前の意味は何か」と聞くので、漢字の意味から「グッド・サンシャインという意味だ」と説明し、夜が明けたばかりの地平線に浮かぶオレンジ色の太陽を指さすと、アレキサンドロは「あなたの父上はいい名をあなたに授けた」と微笑みます。顎にたっぷりと髭を湛えキリストのような顔をしているアレキサンドロは、プロの冒険家です。手こぎボートで大平洋や大西洋を単独で横断するなど、陸海で活躍しています。今回もジープ、コダック、オークリーはじめ、多くの大スポンサーの支援を受けています。ぼくが25年前に行った木彫りのカヌーでアフリカのザイール川を500キロ下った話しでしばし盛り上がると「ミスターBANDOなら日本~米国間の手こぎボート横断が可能だろう、私とともに」などとそっちの世界に誘おうとするので、「ぼくは生きた魚が大きらいだから無理」と断ると残念そうにしていました。

    今日も激しい熱波日和。気温は42度。熱風が肌に当たると痛いほどです。
    ゴールまで28キロの所で、アレキサンドロがサポート車の横で寝込んでいます。「低エネルギー症だ。動けない」。サポートクルーも途方に暮れています。
    彼は生き残り組8人のうちの1人です。こんな所で終わってはなりません。「制限時間までは余裕がある。ゆっくり行こう。一緒にニューヨークに行こう」と言い、それから5キロくらい引っ張りました。いつもの堂々としたプロ冒険家の表情は消え、ただの青年として必死にもがき苦しむ彼がいました。

    ゴール手前10キロほどの所で、前を行くランナーが道端に座り込みました。オランダ人の女性ランナー・ジェニーです。駆け寄ると、意識は混沌としており、ふだんの彼女ではありません。唇のわきには泡を吹いています。典型的な熱中症です。「私は絶対ゴールできる」とうわごとのように、しかし意思の強い口調で繰り返します。ぼくは「君はゴールしなくちゃいけない。これを乗り越えたらもっと強くなる。絶対ゴールしよう」と話し掛けます。ジェニーは何度もうなずき、立ち上がり、よろよろと歩きだします。ゴールまでは大会スタッフがつきそうことになりました。
    1人走りながら、(何でそこまでしてみんな走るんだろう)と考えると、喉がつまりました。理由はわかっています。何物にも変えられない、自分だけが自分に与えられる価値があるからです。
    大学のキャンパスが今日のゴールです。西日が木々やランナーの影を長くする頃、ジェニーの姿が木立の向こうに見えました。


    記録/13時間02分


    ■7月21日、ステージ33
    距離/84.3キロ


    気がつくと脚のフトモモ周りがすごく細くなっています。サポートクルーの菅原さんの言葉を借りれば「自分を喰う」状態に突入してるんだそうです。体脂肪を消費し尽くし、さらにエネルギー源を必要とする際に、筋肉を運動エネルギーに変えてしまう…つまり筋肉がどんどん痩せていってしまう。
    痩せ細った脚には、笑うほど力が入りません。スタート直後からドンケツ独走です。少し風が吹くとよろめきます。体重を支える力なく、右に左にふらふら蛇行します。制限時間に間に合うスピードが出ません。今日は84キロの長丁場ですが、20キロあたりから何度も何度も全力疾走を入れ、関門に届くよう粘ります。「粘る」そんなことくらいしか武器がないのです。スピードなく、体力なく、暑さに弱く、坂は登りも下りも遅い。ランナーとして何の取り柄もないぼくには「根性」を源資とする粘りしか切れるカードがないのです。
    15時間近く粘りに粘って、夕暮れの街にたどり着きました。関門10分前です。ギリギリの攻防でした。フトモモはさらに一回り細くなってしまいました。また自分を喰らってしまったのかな。
    今夜は田舎街の消防署のフロアに泊まらせてもらいます。ゴール付近には、地元の主婦の方々が待っていてくれました。かわいい中学生くらいの女の子がミサンガをくれました。彼女らは手料理を大量に作り、差し入れもしてくれました。料理はもちろんですが、ケーキがホントに美味しかったです。宿泊した各地の公共施設では、ときおり食事の提供を受けますが、高い確率でホールケーキが登場します。アメリカの女性はケーキ作りが大好きなんだろうな。

    記録/14時間48分



    ■7月22日、ステージ34
    距離/67.6キロ

    朝、選手たちの表情にリラックスした雰囲気が浮かんでいます。「今日はショートデイ(短距離日)だ。気楽に行こう!」と声をかけあいます。67キロを短いと感じるのも変なもんですが、選手の間では、80キロ以上がキツい、70キロ台なら普通、60キロ台以下は楽勝という感覚があります。
    朝、再びキリスト似の冒険家アレキサンドロと並走する機会がありました。「この大会が終わったら何に挑戦するんだい」と質問すると、すごくおごそかな表情を浮かべ、また十分な「溜め」を作ったうえで「サウスポール」と述べました。サウスポールとは南極点のことです。「ホントに?」と聞き返すと「私はこの毎日の暑さにうんざりしている。寒い場所に行きたいんだ」。
    彼は徒歩単独での南極点到達を目指している。南極の基地数ヶ所による支援や、そもそもの許可認可についても詳しい。こやつ本気である。「問題は許可取得に必要な莫大なコストだが、クリアできると思う。ミスターBANDOにも可能性はある」と、ギラギラした目でこっちを見るので「ぼくは極端な冷え症なので無理むり!」と逃げました。
    今はオクラホマ州内を走ってるんですが、おとといの夜に地元のテレビ局でぼくたちのことがニュース番組で取り上げられたよう。沿道の人たちやすれ違う車のドライバーからすごく声をかけられます。「合衆国横断してるんだって、お前らサイコー!」みたいなノリです。わざわざ引き返して飲み物を手渡してくれたり、カメラやビデオで撮影されたり、やや対応に忙しいですが、地元の理解あっての大会だから、ヨシとしよう。
    去年からオクラホマ州は旱魃に苦しんでいて、雨量の少なさは百数十年ぶりだとか。走っている際に通る多くの橋の上から見る川も大半が干上がっていて無残にひび割れた川底をさらしています。
    当然熱波も狂気じみていて、黒々とした影をアスファルトに描く直射日光には、そのまま自分がまるまる地面に焼き付けられるかと思うほどです。
    短距離日といっても、灼熱地獄はいちだんと厳しく、ひとつも気楽な場面はなく、へとへとでゴールにたどり着きました。

    記録/11時間42分


    ■7月23日、ステージ35
    距離/72.3キロ


    若き冒険家アレキサンドロとの本日の会話。
    彼は「あなたの生涯の目標とは何か」と問う。
    「思いあたることはふたつある。ひとつは自分の足で六大陸を横断すること。だがまだ夢想に過ぎない。困難なユーラシア大陸と南極大陸を実行する能力は今はない」
    「もうひとつは?」
    「アフリカ中央部の国コンゴの寒村に職業技術を習得できる学校を作ること。ただしこっちも10年20年と続けられる資金のビジョンに欠け、ただの夢レベルだ」
    これを聞いたアレキサンドロはかく語りし。
    「今は適わない夢であっても、人は夢を持つことが大切である。このアメリカ横断だって、数年前までは夢に過ぎなかったはずだ。だがわれわれは今こうして途上にいる。豊かな人生とは、適わない夢を見ることから始まるのだ」
    (おいおい、お前、ぼくより10コ以上歳下だろう?)と思う。すると彼は立ち止まり、路上で何かを拾っている。赤銅色の1セント硬貨だ。
    「今日はじめて拾ったコインだ。あなたに差し上げよう。ここから始まる何かがあるかもしれない」。

    セルジュ・ジラール選手(フランス)が制限時間ギリギリでゴールしました。足の裏に重大な怪我をしているそうです。セルジュは世界初の五大陸横断マラソン完走者であり、また365日間の走破距離の世界記録保持者です。彼がレースからリタイアすることなど想像もつきませんが、危機であることは確かです。
    今日はレースがはじまって35日目。つまり全行程70日の半分まで達しました。距離も2500キロを突破しました。
    レース開始以来はじめて体重計測しました。57キロでした。日本を発つ前が65キロだったので8キロ減少しました。

    記録/12時間3分

    ■7月24日、ステージ36
    距離/80.1キロ

    小さな峠を登りきった頂上から見た光景は、地平線まで続く一面の深い緑でした。まさにジャングル。この一カ月というもの砂漠や荒野、牧草地ばかり見てきたので、視界を占拠する緑が新鮮です。干上がった荒地から肥沃な大地にステージが変わったってことでしょう。
    熱されたフライパンの底とか、アスファルトに焼き付けられるだとか、いろんな言葉で暑さを表現してきたけど、比喩にも限界あり。今日は道路の表面のアスファルトが太陽の熱で溶けて、シューズの底にねちゃねちゃへばりつきました。ひどい日焼けで唇やその内側の粘膜がはがれ、血と膿が混じった生肉がむき出しになって痛いです。全身に霧吹きで氷水を一日中吹き付けながら走っています。水が切れて太陽の下そのままいたら数十分で大火傷です。時々冷静になると、正気の沙汰とは思えないことをしています。

    レース終盤、脚を怪我しているセルジュ選手(フランス)と前後しました。身体をよじ曲げ、競歩選手のように必死に腕を振り、制限時間に間に合わせようと苦闘する世界記録保持者の姿に胸が震えました。
    男がいちばんカッコイイのは、見栄えや体裁を取り繕わず、ただ愚直に何かを目指しているときです。ブザマなセルジュ選手は最高の男です。

    記録/13時間34分


    ■7月25日、ステージ37
    距離/61.0キロ

    今日もウンコを4回しました。むろんレース中の話であり、むろん野グソの話です。最近は1日4回が定番です。なにもそんなに小分けにして出さなくてもいいじゃないか、と思われるかも知れませんが、小分けじゃなくて大分けです。毎回、大量にやっこさんが排出されるんです。
    なぜそんなに出るかというと、答えは単純、大量に食べるからです。ぼくたちは一日に約5000キロカロリーを走って消費します。基礎代謝分も足すと6500キロカロリー。理論的にはこれと同量のカロリーを摂取しないとどんどん痩せてしまうのですが、6500キロカロリー分も食えっこありません。そんでもって一カ月で8キログラムも痩せてしまってるわけです。
    痩せてパワーが失われると走れません。6500は無理でも4000くらいは食べます。もうブタが餌に食らいつくように貪ります。その食べカスが野グソとなってアメリカの土壌を肥沃にするのです。
    野グソしても1キロあたりのタイムを落とさないよう前後でスパートをかけます。野グソに要する時間は1分以内です。時間短縮するコツは、漏らす寸前まで我慢し、大爆発させることです。大地を割って噴き出すマグマのごとくです。

    ちなみにヨーロッパの選手は、いわゆる「ウンコ座り」ができません。幼い頃より和式トイレで鍛えられてないためです。あと野グソ姿を見られることへの羞恥心がありません。道端で堂々と中腰で野グソしています。よく内股やシューズに汚物がつかないものだと感心します。

    夜は長距離トラックのドライバーが集まるビュッフェ・レストランで食事しました。体重100キロを超す巨漢たちが食事する横で、最も食事量が多いのが痩せ細ったわれわれランナーたちであることに店内の熱い注目が集まりました。ぼくは煮込みスープを7杯おかわりしました。明日も快弁に違いありません。

    記録/10時間12分



    ■7月26日、ステージ38
    距離/65.7キロ

    朝から3度もコケました。段差などない平坦な道でつまづいてコケました。自分の想像以上に足が上がってないんでしょう。大腿部の筋肉が細くなり、脚を持ち上げられなくなっています。筋肉は負荷をかけたのちに休養をとると「超回復」という再生作業を行い頑丈になっていくとされますが、休養のないこのレースでは筋肉は破壊されるばかりです。今後もどんどん細くなっていくんでしょうか。

    今日のコースを半分くらい過ぎたとき、セルジュ選手のサポートクルーが青ざめた顔で車から下りてきました。「いくら待ってもセルジュが来ない」と途方に暮れています。セルジュ選手はぼくよりずっと前を走っていました。心配ですが、探しに戻っても仕方ありません。しばらくすると後方から来た車がセルジュ選手が2キロ後ろにいると教えてくれました。やがて追い付いてきた彼に「みんなセルジュさんがいなくなったと大騒動してたよ」と声かけると「ぼーっとしていて本来曲がる道を真っ直ぐ進んでしまったんだ」とはにかんでいます。仮にも主催者の彼が、自分で設定したはずの道を間違うなんて、おもしろすぎでしょう。並走しながら彼は来年の夢を語ります。
    「ランニングで地球一周をしたいんだ。パリを出発して中国、日本、インドシナ半島、オーストラリア。そして南米の南端からニューヨークまで行き、アフリカの南端からパリを目指すんだ。18カ月でやるよ」。そう語る彼の表情は、夏休みに洞窟探検を決意した少年のように眩しく無邪気に輝いています。
    「この男になら抱かれていい…」素直にそう思えました。

    話はホモつながりですが、諸事情あって先日よりフィリップ選手が日本チームに加わりました。彼はよく高級アイスクリームをぼくにくれるホモ疑惑のあるフランス男です。今夜ホテルのツインルームでぼくと同室です。つーかブリーフいっちょう、ほぼ全裸の彼が今ぼくの横にいて、この日記を打つ携帯の画面を覗きこんだりして微笑んでいます。今夜ぼくは大丈夫なんでしょうか?

    記録/10時間17分

    ■7月27日、ステージ39
    距離/78.5キロ

    オクラホマ州の境界を越えカンザス州の旅がはじまりました。
    朝から40キロくらい走り、ジョプリンという街にさしかかりました。最初はやたらゴミの多い街だなと不快に感じました。住宅街の半数以上が空き家で、ボロボロの家具や家財道具が家の前に野積みされています。ここはスラム街なのか? 街を美しく維持することが病的なまでに好きなアメリカ人なのに…なんて考えながら走っているぼくの目の前に、突然それは現れました。
    ぼくの立っている交差点から向こうの街が「ない!」。恐ろしい光景が広がっています。あらゆる家が破壊されガレキが散乱しています。木々は幹の途中でもぎとられ、根本から折れた電柱が横たわっています。そこが確かにかつて街であったことは容易に想像できます。こなごなに吹き飛ばされた巨大コンベンションセンター。その広い駐車場が被災者への対応基地になっています。
    竜巻がこの街を襲ったのは二カ月前だそうです。竜巻の傷跡として想像しがちな蛇行する線上の被害ではなく、少なくとも5キロ四方の市街地がまるまる吹き飛ばされています。
    あちこちで復興工事が始まっていますが、被害エリアの大半が手付かずで放置されています。
    砂埃が舞い、住宅建材やゴミが散乱する道を、ただ早足で歩きました。こんな所でレースなどしてる場合じゃないと思い、目を伏せて歩きました。3時間ほどで被災地域を過ぎると、何事もなかったかのように、緑の美しい街に変わりました。あのガレキの街もこうだったんでしょう。
    レースのことはあまり考えられない一日でした。明日の朝、地元の方がわれわれの宿泊所に状況説明に来られ、募金を募るそうです。

    記録/13時間7分


    ■7月28日、ステージ40
    距離/84.9キロ

    朝、主催者ロールさんよりランナーに対するペナルティが課されました。道路の傾斜を嫌い蛇行走行していた選手に対し、危険行為として一週間の出場停止が下されました。厳しい判断に思えますが、当大会は交通事故防止を徹底し、ルールを厳格に、違反者へのペナルティも明確にされています。主催者の決定に不服があれば選手会として意見をまとめ反論もできます。ルールやコースの変更などの最終意思決定は、ランキングに残っている8人の選手の意思で承認・決定されます。このようなデモクラシーが徹底されているのは、文化背景や言語の異なる人たちが集まった大会では欠かせないものです。主催者と選手間にはほどよい緊張関係があり、違いに不満を述べ、意見の擦りあわせが行われます。意思決定は非常に速いです。組織運営の勉強にすごくなっています。

    今日は85キロの長いコース。アスファルトが溶解する暑さは相変わらずです。
    3.2キロ(2マイル)ごとにサポートクルーが用意してくれたエイドで飲み物、食べ物を大量に摂取します。特に水をはじめとする飲料は、自分でも信じられないくらいの量を喉に流しこみます。
    各エイドでは300~500mlを5秒程度で一気に飲み、エイドで手渡された水を次のエイドまでに走りながら300~500ml飲みます。合わせて600ml~1リットルを1エイド間で飲みます。たとえば85キロある今日のコースなら26回エイドがあり、掛け算するとレース中に15リッター以上の飲み物を採っています。子供一人分の体重くらいです。にわかには信じがたい量ですがホントです。

    夕暮れどきにゴールすると、ボウルいっぱいの美味しいスイカが待っていました。手づかみでむさぼり食っているとロールさんが寄ってきて「あと30日でニューヨークだけど、あなたは今どんな気分?」と聞くので「前は早く終わりたい、しか考えられなかったけど、この頃は終わりの日を想像すると淋しい気分になります。ゴールの3日前になればゴールなんてしたくないって叫ぶかもしれない」と答えました。
    するとロールさんが「じゃあいいアイデアがあるわ。ニューヨークに着いたらロサンゼルスに引き返すのよ!NY-LAフットレース2011を企画するわ!」と盛り上がっているので、スイカを持ったまま逃げだしました。

    記録/14時間21分
  • さらら8月4日号で、スーパーの夏ニュースをゲット! tokushima-salala0804.jpg暑いし、だるいし、外に出たくな〜い! そんな時には、スーパーでしょ。今回の特集では、この夏スーパーで売れている噂の商品をクローズアップ。塩分補給のニューフェースに、炭酸になったお茶、ドレスのような子ども用浴衣など、気になるものが大集合です。

    また、表紙で好評連載中のさらランキング! 今回のテーマは、この夏食べたいおやつベスト10。暑い季節の到来とともに食べたくなる定番品から、不思議な食感がクセになる新商品まで、幅広く紹介しています。どうやら冷やして食べるのは、もはや当たり前。意外なものも冷やすと夏仕様に?

  • バカロードその28 北米大陸横断レース LA-NY 2011 ステージ41〜ステージ45
    ■7月29日、ステージ41
    距離/71.6キロ

    この大会は「オールド66」と呼ばれる旧ハイウェイ66号線をコースの多くに採用しています。
    街道沿いには家具や服などのアンティークショップや「66」グッズの店、最終的には商品だかゴミだかわからないような骨董品を売っています。
    ここには、アメリカ懐古派というか20世紀中盤のカントリーポップのヒットランキングがそのまま全米チャートだった時代そのままの生活様式を営んでいる人が少なからずいます。彼らは時間が過ぎるのををゆっくり愉しんでいるように見えます。大会の噂を聞きつけ私設エイドを出してくれたりして、選手に興味津々な対応をしてくれます。
    ルート66はLAからシカゴまでの弾丸ルートだったので、ぼくたちはあとしばらくこの懐古派たちが夢うつつに暮らす街々を楽しめそうです。

    ワールドツアーを計画中のセルジュ選手に、四国遍路が培った沿道の文化について説明しているとすごく興味を持ってくれました。セルジュ・ジラールが四国を走る絵柄を想像すると大興奮です(ぼくだけ)。ぜひ来てくれないかな。

    走りながらアイスクリームを買うことを覚えました。てか、自分では買ってなくて他の選手におごってもらってます。明日からは小銭を持ち自腹で買い食いしたいと思います。ちなみにぼく同様甘党のジェームス選手(英国)は、マクドナルドが現れるたびにバニラミルク味のシェイクを買っています。

    右脚のスネを傷めました。40日目を経てはじめて右脚の故障です。今までよく耐えてくれました。
    左脚は下から足首、アキレス腱、ふくらはぎ、膝、大腿と、すべて故障してきました。この左脚くんを支えてきてくれたのが頑丈な右脚くんです。
    右脚くん今までホントにありがとう。明日からは劣等生だった左脚くんが君を支えるよ。

    記録/12時間14分


    ■7月30日、ステージ42
    距離/83.1キロ

    朝から足が軽く快調に飛ばしました。午前中にはロサンゼルスから3000キロ地点を越えました。
    今日は久々に上位に食い込めるなと気分よく走っていると、快晴だった空を、ものの一時間で真っ黒い雨雲が覆い尽くしました。
    稲妻が地上へと光の筋を走らせ、その先では巨木が真っ二つに裂けるような音がします。あるいは爆弾が落ちたような衝撃音が鳴り響きます。
    小犬がひっくり返り、鳥が地面に落ちてくるほどの横殴りの風、そしてシャワー全開レベルの雨。まさに嵐です。それでも雨宿りせず走りつづけました。嵐は一時間くらいで収まりましたが、雨雲が去っても未舗装道には濁流が残っています。
    雨に濡れた服で走り擦れたのか、股ズレの症状がでました。まったく(ため息)3000キロも走って何ともなかったのになぜ今頃?と腹立ちます。股ズレは馬鹿にできません。ひどい場合は皮膚を失い生肉が露出した状態、つまりひどい火傷のようになり、走るのが困難になります。ワセリンをたっぷり塗りましたが、悪化しないことを祈りたい。
    レースはそのまま頑張って5位に食い込みました。ホテルに入りバスタブに横たわると全身に紅い湿疹ができていました。何か食べ物が悪かったんだろうか。明日までに治ればいいけど。


    記録/13時間14分

    ■7月31日、ステージ43
    距離/66.5キロ

    まさか今日、完走が途切れる寸前の深刻な事態に陥るとは想像もしていませんでした。コースは66キロと短距離であり、80キロ以上が続いた数日の疲労を抜く日だとランナーはみな考えている軽い日のはずなんです。

    十数キロ走った頃に異変に気づきました。今朝いったん消えたはずの紅い湿疹が、脚に腹に顔にと全身に現れています。それから2時間ほどで、正常な皮膚が見えなくなるほど広がりました。
    厄介なのは股間です。脚を前に繰り出すたびに、湿疹を発症した皮膚とウエアが擦れ、激しいに痛みに変わっていきます。中間点を過ぎる頃には、燃え盛った焼印を押し当てられる激烈な痛みになりました。
    いわゆる股ズレというヤツとは違います。内腿には紅い湿疹の塊が30センチ以上の幅で皮膚を厚く盛り上げ、象皮病のような模様を刻んでいます。数百の突起が合体したもので、ひとつひとつが神経の痛点をむきだしにしたかのごとく。触ると痛みで気が遠くなります。
    皮膚表面はひどく熱を持ち、体温を上昇させ、頭痛と吐き気を呼び起こします。
    もはゆ走りたくても走れません。後半30キロを歩き通しました。制限時間まで10分を切るスレスレのゴールでした。
    ゴールしてから風呂場に直行しました。水風呂に浸かっているのに皮膚は熱い。内股の皮膚はモンスターのようです。見ているだけで気持ち悪くなり、風呂からはい出てベッドに横になっていると、半死にのぼくより更にゴールが遅かったフィリップ選手(フランス)が、アタッシュケースくらいある巨大なプラスチックケースを持って現れました。彼がおもむろにケースを開くと中には50種類以上の薬が詰め込まれています。
    そうです。お調子者でオカマっぽいフィリップですが、母国フランスでは大きな薬局チェーンの経営者なのです。彼はぼくの股間をしげしげと見つめた後、ケースから飲み薬と塗り薬を出し提供してくれました。
    ああ、この薬が効きますように。明日のスタートラインに立てるかどうかはオカマのフィリップに委ねられた!

    記録/11時間35分


    ■8月1日、ステージ44
    距離/46.8キロ

    朝起きたら大半の湿疹が消えていました。フランスの薬局王フィリップ選手がくれた謎の薬が効いたのです!すごい効き目!
    ところが走り始めてみると、普通ではない精神状態に混乱がはじまります。
    まったくやる気が起こらないんです。やる気どころか、正反対の「やらない気」が異常に強い。
    木陰に居心地よさそうなベンチが置かれてるのを見かけると「あそこで昼過ぎまでうたた寝して、今日で失格になってやろうかコノヤロー」
    牧場で乳牛がのんびり草をはんでいる姿を見て「今から牛の世話でもして牧場主と友達になり、夕方まで忙しくなって走るどころじゃなくしてやろうか!」
    とにかく、やる気のない行動への強烈な指向が脳を支配して拭い去れません。薬局王フィリップ、いったいぼくに何の薬を盛ったのか!
    しかし人間の意識なんて、薬物ひとつでこんな簡単にコントロールされちゃうのかよ。おもしろいけどね。
    その後、真夏日和にガーガー汗を流したら、次第に薬物の影響も薄れていき、ゴールする頃にはまっとうな人物に戻っていました。

    今日から8月に入りました。6月中旬に始まったこのレースも最後の月に突入したわけです。
    ぼちぼちニューヨークへの完走の確信も掴めそうなもんですが、そうは問屋が卸しません。
    8月、行程はゴールが近づくほどに厳しさを増し、80キロ台、90キロ台が連続する地獄のシリーズが始まります。最後の最後まで完走を阻むサディスティックなコース設定がこの大会の特徴です。
    よおし、受けて立ってやろうじゃないの。厳しけりゃ厳しいほど、得る物は多いってもんだ。ぐちゃぐちゃにしてみやがれ。どんと来いコノヤロー!
    …って寝る前にして、異常にやる気が出てきました。はたしてこれは、本来のぼくに由来したやる気なのか、あるいは薬局王フィリップの薬物の副作用の再反動か。なんか相当怪しくてややこしいね。

    記録/7時間47分


    ■8月2日、ステージ45
    距離/48.1キロ

    朝起きると吐き気がして胃の中の物をぜんぶ吐瀉戻しました。まったく何なんだ?いつまで虚弱体質かよ。少しは環境に慣れろっつーの!
    自分にイライラして走りだせばゲロ吐きなど嘘のように脚が軽い。走る前は「今日は500メートルも走れん」と思っていても、いざ走れば平気。そんな経験を何度もしました。いったい疲労感とか体調不良って何だろね。ほとんどが精神状態の影響下にある気がします。
    そういえば全身に現れた紅い湿疹ですが、ランナーのうち少なくとも6人に同様の症状が出ています。3日前の嵐に打たれてからです。あの嵐は何を運んできたのだろう。ちょっとしたミステリーです。スティーブン・キングの小説みたいね。モダンホラーの巨匠キングの物語にはよくトウモロコシ畑が登場するんだけど、日本で本読んでてもピンと来なかったけど、アメリカ走ってわかった。その場所こそがアメリカのリアリティなんね。日本でいう田んぼに揺れる人魂の世界観なんです。どこにでもあって、昼は明るく、夜は影に覆われている。ザワザワ揺れる奥中に何かが潜んでいる…万人が恐怖を感じる家の隣の世界。紅い湿疹が、ぼくたちが怪物に化ける前兆でないことを祈ります。

    で、快調に走りつづけました。
    マルカス選手(ドイツ)はオーストラリア大陸横断レースの完走者であり、ぼくなど足元に及ばぬ実力者なのですが、当レースでは序盤に体調を崩しリタイアを余儀なくされました。それでもランキング外で懸命にレースを続ける姿勢に心打たれます。
    今日は彼に質問を受け、ぼくねアフリカ徒歩横断の体験をずいぶん長時間話しながら走りました。ハイペースな彼に並走して話すのは大変でしたが、すごく楽しかったです。日本では誰からも質問されたり、興味を持たれるない冒険紀行だけど、ここでは興味津々、目を輝かせて聞いてくる連中がいます。同じ次元で難易度や攻略方法、体験談を話し合えるのは嬉しいです。
    あっという間に今日のレースは終わり、明日から続く地獄の25連戦に備え昼から安宿で寝ています。
    こっちのテレビでは地上波でWWE(プロレス)やUFC(総合格闘技)が毎日観られます。派手な演出、ドラマチックな物語と煽り映像、レベルの高い攻防…それに比べて日本のプロレス界の凋落ぶりはどうだ。いい選手はいるのに仕掛け人が不在なんです。遠い国のリングの復興を夢見ながら、浅い眠りに誘われます。

    記録/6時間24分
  • 月刊タウン情報CU7月号 実売部数報告1107_CU部数報告.pdf

    月刊タウン情報CU7月号の実売部数を報告します。CU7月号の売部数は、
    4,842部でした。詳しくは、上部のファイルをクリックしてください。

    長らく雑誌の実売部数はシークレットとされてきました。雑誌は、その収益の多くを広告料収入に頼っているためです。実際の販売部数と大きくかけ離れ、数倍にも水増しされた「発行部数」を元に、広告料収入を得てきた経緯があります。
    メディコムでは、その悪習を否定し、「月刊タウン情報CU」「月刊タウン情報トクシマ」「結婚しちゃお!」の実売部数を創刊号以来、発表しつづけています。
  • 月刊タウン情報トクシマ7月号 実売部数報告1107_タウトク部数報告.pdf

    月刊タウン情報トクシマ7月号 実売部数を報告します。タウトク7月号の売部数は、
    6,780部でした。詳しくは、上部のファイルをクリックしてください。
    メディコムは、「月刊タウン情報トクシマ」「月刊タウン情報CU」「結婚しちゃお!」の実売部数を創刊号から発表しつづけています。

    雑誌の実売部数を発行号ごとに速報として発表している出版社は、当社以外では日本には一社もありません。実売部数は、シェア占有率を算出し、媒体影響力をはかるうえで最も重要な数値です。他の一般的な業界と同様に、出版をなりわいとする業界でも正確な情報開示がなされるような動きがあるべきだと考えています。わたしたちの取り組みは小さな一歩ですが、いつかスタンダードなものになると信じています。