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2014年12月

  • 餅投げイベント×バル×創作たこ焼。タウトク1月号 1501_tautoku.jpg■餅投げ&餅つきイベント
    たくさんキャッチできる裏技教えます!
    ■今夜はバル飲み!
    次から次へと新店誕生
    ■オモシロ創作たこ焼き
    押さえておくべき新店とユニークなたこ焼たち
    ■トクシマ振袖コレクション 
    ■高校ラグビー選手権大会・高校駅伝 徳島県大会

  • バカロードその74 ずぶ濡れで泥まみれの夏が過ぎていく 【九州縦断ぬかるみ走】
    文=坂東良晃(タウトク編集人、1967年生まれ。1987年アフリカ大陸を徒歩で横断、2011年北米大陸をマラソンで横断。世界6大陸横断をめざしてバカ道をゆく)

     福岡天神から鹿児島市までは最短距離で約300kmだ。うまくいけば徹夜の連走で2日。100kmずつ3分割すれば3日ってところ。
     早朝というかまだ深夜。福岡市・博多天神の繁華街を走りだした。入り組んだ路地には間口の狭い飲み屋がひしめきあっている。看板やメニュー表にはハングル語や中国語が踊る。ねっとりした空気や、歩道にウンコ座りで煙草ふかしながら語りあう店員と客の光景も、何となくアジアの裏路地っぽい。博多からの直線距離なら、東京よりもソウルや上海の方が近いんだからアジア臭も当然なんだろう。
     そんな坩堝な街は、2kmも走らないうちにごく普遍的な郊外型の街にとって代わられ、その市街地も10kmほど進めばあっけなく途切れて、うっそうとした木々に覆われた山道に突入する。深夜3時、街灯のない山峡の山道に渓流の音がゴウゴウとこだまする。右側の深い谷間には、シーズンを終えたはずの蛍の光が数十と瞬いている。
     佐賀県境の脊振峠を越え有明海沿岸へと下る国道385号線をゆく。標高500mの峠で夜が明け、吉野ヶ里の青々とした田園地帯を眼下にする。蛇行する下り坂はやがてだだっ広い平野へ。青稲が風に揺れる水田の1本道には、トラクターが盛んに行き交っている。
     50km走ったあたりで直射日光にヤラれバテはじめる。たった50kmでスタミナ切れかよ・・・ハーァとため息。走れば走るほど弱くなる、を今年も実践か。ぼくの足は、ボロ中古車のように走行距離の限界があるのかもしれない。距離を重ねれば重ねるほどガタが出る。
     体温を冷ますため、コンビニでソフトクリームの乗ったかき氷を2個胃に収める。コンビニを後にし、5kmくらい快調に走ったところで道路標識を見て、自分があらぬ方角に走っていることに気づく。交差点の一角に建つコンビニでよくやっちまう失敗。コンビニ店舗の後ろ側からやってきたにも関わらず、休憩を終えると条件反射的に正面玄関に対して左か右に走りだしてしまうバカ行動。むろん目的地とはぜんぜん別方向。
     コースアウトはなはだしく、楽しみにしていた柳川市の堀割見学もあきらめ、へんてつもない農道を進む。
     大牟田市を経て、85kmほど走って熊本県境を越えたあたりで、カンカン照りの空が黒雲に覆われると、ポツポツと雨が顔を打ちはじめる。やがて本降りになってきたのを言い訳に、100km地点のJR玉名駅で沈没。シティホテル3500円也に逃げ込む。
     2日目は朝から滝雨。島原湾沿いの国道501号線は物流の主要ルートらしく、10トントラックがひっきりなしに猛スピードで通り過ぎる。路肩はほとんどない。道路は山側から流れ込む大量の雨水で川になり、道路のわだち部分は深い水たまりとなる。大型車やスポーツカーが通り過ぎるたびに、バケツの水をザバーッと脳天からぶっかけられたように泥水を浴びる。
     シャツやソックスを脱いでは絞り、を繰り返していたが昼にはあきらめた。足の裏の皮は白くふやけてベロンベロンにめくれあがっている。洋の東西を問わず「水責め」はあまたの拷問のなかで最も苛烈なひとつとされているが、なかなか大した責め苦である。
     大雨は夜になっても勢いは衰えず。早朝から夜中まで泥水を千杯もかぶるという折檻に抵抗するすべはなく、あきらめの先に禅的な無念無想の達観に入る。この状況を苦行とせず、「現実とはそういうものだ」とありのままを受け入れるのだ。この度のジャニーランを精神修行の場とする予定はなかったのだが仕方あるめえ。
     1日がかりで65kmしか進めず、ネットで当日予約した八代市内のとても立派なホテルで泊まる。ウエディングバンケットまで備えた絨毯ふかふかのシティホテルなのに3000円台。当日予約って部屋代が安くなるんですね、勉強になりました。真夜中に全身びしょ濡れで現れた怪しい客に、カウンターの方はたじろいでおられたが、シューズを乾かすためにと古新聞をくれた。やさしい接客です。
     3日目も土砂降り。気温はいちだんと低く、レインコートを着て耐える。住宅街の合間を縫う水路は、茶色の濁流で氾濫寸前である。当然本日もまた車が浴びせる泥水をかぶりっ放しだ。昨日つちかった禅的な境地は二度と訪れず。自分が何と戦っているのか迷走し、終始うんざり気分である。行く先である鹿児島県内で土砂崩れによって鉄道が脱線したというニュースが繰り返されている。美しいはずの八代海や天草諸島の風景は、白い霞に覆われ何も見えはしない。
     九州くんだりまでやってきた目的は、酷暑対策と徹夜走トレーニングだった。しかし日程の大半を寒さに震え、深夜の氷雨からエスケープしてぬくぬくとしたホテルに連泊、って何の練習にもなってねーし。
     鹿児島県境を越えた出水市という鶴が飛来することで名高い街にて力尽きる。3日間かけて前進したのはわずか230km。ドロドロととぐろ巻く暗雲よりもさらにダークサイドな気分がぼくを覆い尽くすのだった。

     
  • バカロードその75 ずぶ濡れで泥まみれの夏が過ぎていく 【トランス・エゾ ジャーニーラン】
    文=坂東良晃(タウトク編集人、1967年生まれ。1987年アフリカ大陸を徒歩で横断、2011年北米大陸をマラソンで横断。世界6大陸横断をめざしてバカ道をゆく)

     大人になるってのは旅する人になるということだ、と少年の頃は固く信じていた。港、港に女を待たせる星野哲朗演歌ワールドな船乗りさんか、街を終われ世間に隠れ終の棲家を求めてさすらう昭和枯れすすきな訳あり人か、街の外れでキャンプを張り年端もゆかぬ子供たちに怪しい人生観をたれるスナフキン的流浪人か。
     砂と埃にまみれたマントを羽織り、シケモクの紫煙をくゆらせては、身支度品を詰めこんだ寅さんトランクを片手に、街から街へと見知らぬ土地を渡り歩く。そんな18世紀ランボー詩情な大人のありようは、自分が大人になった21世紀には軽るーく絶滅していた。退廃した夜に出会うはずのロシア文学を読む娼婦なんて、安保闘争の終焉とともに消滅した。
     ニッポンという国は、ずいぶん健全で明るい社会になったのである。少年の頃に憧れた日陰者な大人は、本当のアンダーグラウンドへと姿を消してしまいました。
     私は何が言いたいんでしょうか。そう、このコラムはジャーニーランについて書いているのです。越境人も密航もなくなった世の中で、日々どこかの街に宿を求め、次の日には別の街へと移動する。そんなジャーニーランの世界は、子供の頃に夢見た流浪人生の疑似体験の機会を与えてくれる。見知らぬ者が各地から集まり、何十人もの大所帯でキャラバンを組む。同じ釜のメシを食い、フリチンで湯に浸かり、枕を並べて眠る。恋人や旧知の友とでもめったにしない濃密な旅が繰り返される。
     「トランス・エゾ ジャーニーラン」は、日本最北端の宗谷岬から、太平洋岸のえりも岬へ向かい、取って返して宗谷岬へ。約1100kmを14日間かけて走る。その最大の魅力は、キャラバンを構成するメンバーの多彩さだ。ランナーのみならず、彼らを支えるボランティアクルー、走りを見届けるべく合流する家族、ランニングクラブの少年少女たち、身体のケアをしてくれる大学生たち。下は小学生から上は70代まで、異なる年齢や立場の人たちが集団となって移動していく。
     今年の「トランス・エゾ」には、1097kmの宗谷岬→えりも岬往復に8名、541kmの宗谷岬→えりも岬に4名、556kmのえりも岬→宗谷岬に12名、あわせて24名が参加した。各ステージ間の距離は以下。
     1日目.宗谷岬〜幌延 75km
     2日目.幌延〜羽幌 83km
     3日目.羽幌〜北竜 85km
     4日目.北竜〜栗山 88km
     5日目.栗山〜富川 72km
     6日目.富川 〜浦河 84km
     7日目.浦河〜えりも岬 54km
     8日目.えりも岬〜忠類 82km
     9日目.忠類〜新得 88km
     10日目.新得〜富良野 80km
     11日目.富良野〜旭川 67km
     12日目.旭川〜美深 98km
     13日目.美深〜浜頓別 81km
     14日目.浜頓別〜宗谷岬 61km
     カラッカラに晴れているはずの夏の北海道は、ぼくたちの歩調につきまとうように雨雲が天を覆いつくし、この地に降る一年分の雨をまとめて出血大放出しているかのようだった。3日目には豪雨のためコース経路の国道232号線が遮断され、強行突破したランナーの目の前で土石流が道路を横断して海へとなだれ落ちた。
     えりも岬からの復路ではヒグマの気配がぷんぷん感じられた。10日目には廃線上のぬかるみ道に足サイズ40cmはあろうかというヒグマの足跡が点在していた。太平洋岸と内陸部の要衝である十勝国道・狩勝峠の三合目と四合目の間で、ぼくの前方50mの所を、体長2mほどのヒグマが道路を猛スピードで横切って森へと消えた。ちょっとタイミングがずれたら、あの地上最大の肉食獣(ドングリ食だっけ?)とサシで戦う所だったのか。
     13日目、浜頓別市街へと下る丘陵地では、ヒグマ出没の報を受けて警察車両が登場。最終ランナーに併走してヒグマから守ってくれた。ぼくたちは人工物のアスファルトの上にいることで安心しきっているが、実際は野生の臭いが濃く残る北海道の大自然の中に、丸腰でいるのである。
     ステージレースに徹夜走はない。毎日のゴール後には十分な量の食事を採り、大方の宿で良質の温泉に浸かれ、柔らかな布団で身体を休められる。とはいえ、平均79kmを14日間走りつづけることは楽ではない。多くのランナーは足の裏に巨大な血マメをつくり、スネや足首やアキレス腱を空気入れでパンパンに膨らませたように腫らせている。ふだん50km、100kmと走るのがへっちゃらな人たちが、背筋を大きく傾け、テーピングでぐるぐる巻にした脚を引きずりながらゴールを目指すさまは、憂いと切なさに満ちている。
     雨に打たれ、日に焼かれて前へ前へと一歩を出し続ける。ゴールの先には輝ける栄光はない。一般社会の評価に値するような実績にもならない。そもそも夏に1100km走るんだと他人に説明しても、奇異な目で見られるのがオチなので、あまりしゃべらないようにしている。
     14日目、この旅ではじめて訪れた完ぺきな晴天は、オホーツクの海を碧に染め、水平線の上に南樺太・サハリンの島影まで浮かび上がらせた。視界100km以上、天球の丸さまで感じさせる。去年、熱中症に負けて50kmだけ欠けた全行程を、今年はケガまみれながら走りきることができた。奇跡の光景は祝福なのだと独りよがりに解釈しておこう。
     青一色に包まれた宗谷岬の先っぽに設けられた手作りのゴールに、ランナーたちは飛び込んでいく。全ステージを完走した人も、途中でリタイアを余儀なくされた人も、それぞれのゴールを迎える。
     「トランス・エゾ」には完走賞も完走メダルも不要だ。勲章は自分の胸の内側にかけられる。自分を称えられるかどうか、その基準は「どれだけのことができたか」だ。自分が置かれた環境のなかで、不器用にもがき切れたか。長い間自分を苦しめた病気は克服できたのだろうか。怪我を負ったなかでやれる対処は全て尽くせただろうか。年齢とともに全盛期の健脚を失っている自分と正面から向かいあえただろうか。他者から見た評価ではない、自分が自分に対して与える評価だ。
     2014年の今を生きるぼくは、今持ちうる最大の力を振り絞れたのだろうか。
     宗谷丘陵からオホーツクの海へと続く急な下り坂を、青い空と海の境目に向かって駆け下りる。
     
  • バカロードその76 甘いささやきが耳元をくすぐる、脳みその奥でよくない虫がざわつく
    文=坂東良晃(タウトク編集人、1967年生まれ。1987年アフリカ大陸を徒歩で横断、2011年北米大陸をマラソンで横断。世界6大陸横断をめざしてバカ道をゆく)

     大陸横断・・・なんと甘美な響きか。そこには冒険と切なさがつまっている。幾多の苦難を乗り越え、何本もの地平線の先へと旅をつづける。
     それが19世紀の北アメリカ西部開拓時代なら、幌馬車に乗りテンガロンハットをかぶった荒くれ野郎の物語かもしれぬし、それが20世紀フラワー・ムーブメントの時代なら、ハーレーを駆って明日なき疾走をはじめたピーター・フォンダとデニス・ホッパーの救いようのない不条理旅のお話かもしれない。
     どんな物語であろうと、砂ぼこり舞う荒野の一本道を、太陽や雲を追いかけながら、ひとりぼっちで移動していく行為は、孤独で寂しい。その先に何があるのかもわからないままに、ただ移動するという非生産的で非効率な時間。
     そんなことはわかっているのに夢想が止まらない。大陸という名の巨大な土の塊、自分の足で端から端まで走り切れないものか? 車輪もエンジンもついていない貧相な2本の脚で、どこまでも走ってはいけないものか。

     ランニングによる北米大陸横断レースついて調べたことがある。
     最も古いものとして、1928年に行われた「インターナショナル・トランス・コンチネンタルフットレース」が記録に残っている。この史上初の大陸横断レースこそ、参加ランナー数、イベント規模、破格の賞金額などすべての点において有史以来、最大規模のレースであった。
     この大会、現在想像しうる地味で質素なウルトラマラソンレースとはかけ離れ、超ド派手なイケイケイベントであった。主催者であるチャールズ・C・パイルという人物は、当時、映画館やスポーツ・エージェントの経営者として隆盛を極めていた。アメリカンフットボールのリーグ化や北米初のプロテニスツアーを企画するなど斬新なマネジメント手法をスポーツ界に持ち込んだ人物だ。
     そんなプロフェッショナルな興行師が仕掛けただけあって、ロサンゼルスからニューヨークまで5507kmを人間の脚で走るという壮大なレースは、後にも先にもない華やかな催しとなった。
     ランナーは、毎日決められた区間を走りタイムを競う。そのタイムの合算でランキングが決められる。優勝者には2万5000ドル、2位には1万ドル、3位には5000ドルの賞金が与えられる。このタイム積算型レースは、1903年からヨーロッパで始まった大規模な自転車レース「ツール・ド・フランス」のランニング版をイメージしたものだ。当時の2万5000ドルといえば莫大な金額である。1920年代の米国の消費者物価指数は現在の約1%である。現在の貨幣価値に換算するなら3億円にもなる賞金が、優勝者に授与されたのである。
     ランナーは毎晩、専用にしつらえられたテント村で宿泊。テント横ではツアーに同行させた芸人や女優によるステージ・ショーが繰り広げられた。行く先々で住民をショーに招いて入場収入を得る。また、イベントの協賛企業を募り広告収入で稼ぐ。今から80年以上前の企画とは思えないほどの斬新さと手配力が見られる。
     イベントの豪奢さはさておき、肝心のレースには世界中から賞金目当ての強者199人が参戦し、ロサンゼルス・ハンティントンビーチに立った。スタートから3日目までに3分の1のランナーがリタイアしたものの、ゴールのニューヨークには55人が到達した。優勝者は弱冠20歳の若者、アンドリュー・ペインだった。
     イベントの壮大さとは裏腹に、主催者チャールズ・C・パイル氏に旨味のある収益はもたらされなかったようだ。翌年、ニューヨークからロサンゼルスまでの逆コース「リターン」大会を実施したものの、彼は二度と大陸横断レースを行うことはなかった。
     パイル氏は、1937年に喜劇女優のエルビア・アルマンと結婚し、1939年にロサンゼルスにて心臓発作で亡くなるまで、ラジオ放送局関連会社の経営をしていた。その波瀾万丈の人生は、演劇「C.C. Pyle and the Bunion Derby」として、トニー賞受賞者のミシェル・クリストファーが脚本を書き、名優ポール・ニューマンがディレクションし、舞台で演じられた。
     公に参加者を募集してのレースは、大陸横断レース初開催から現在までの80余年の間に、たったの9回しか行われていない。
     右記の「トランス・コンチネンタル」から63年という長い空白期間の後、1992年、ジェシー・デル・ライリーとマイケル・ケニーという2人の若者が主催し、「トランスアメリカ・フットレース」が開催される。ロサンゼルス・ニューヨーク間4700kmを64日間、1日平均73キロを走るレースだった。
     第1回大会(92年)には、30名が参加し13人が完走した。
     第2回大会(93年)は、13人が参加し6人が完走。日本人ランナー・高石ともやさんが初参戦しみごと完走。記録上残る初めての北米横断日本人ランナーとなる。高石さんは60年全共闘時代を象徴するフォークシンガーであり、日本のフォーク黎明期を創りあげた人物だ。同時に日本国内で初めて行われたトライアスロンの大会、皆生トライアスロン81の初代優勝者でもあり、100キロ以上走りつづける超長距離ランナーの先駆けとなった。同大会は当初から運営予算に苦しんでいたが、京都に本社がある洋傘・洋品メーカーである「ムーンバット」が大会スポンサーとなり資金面を支えた。
     第3回大会(94年)では、15人が参加し5人が完走。海宝道義さんと佐藤元彦さん、2人の日本人が完走した。海宝さんは現在も「海宝ロードランニング」を主催し、多くのウルトラレースを運営しランナーを支援している。この大会は、NHKが密着取材を行い「NHKスペシャル 4700km、夢をかけた人たち〜北米大陸横断マラソン」と題する密着ドキュメンタリー番組が制作された。映像として残る貴重な素材であり、「トランスアメリカ」の存在が広くランナーの間で認知されるきっかけとなった。
     トランス・アメリカ最後の大会となった第4回大会(95年)には、14人(日本人6人)がエントリーした。完走者は10名、うち4名が日本人と強さを見せた。古家後伸昭さん、遠藤栄子さん、小野木淳さんが完走。海宝道義さんは2年連続完走の偉業を成し遂げた。レース全行程にわたる記録を完走者・小野木淳さんが「鉄人ドクターのウルトラマラソン記」(新生出版刊)にまとめており、日本語で書かれた北米横断の最も詳しい文献となっている。
     21世紀に入ると2002年および2004年に、アラン・ファース氏による主催で、ロサンゼルス・ニューヨーク間4966.8kmを71日間で走破する「ラン・アクロス・アメリカ」が2度行われた。2002年大会は、11名の出走者のうち9名が日本人、完走した8名中7名が日本人という活躍をみせる。完走者は、阪本真理子さん、越田信さん、貝畑和子さん、下島伸介さん、武石雄二さん、金井靖男さん、西昇治さん。いずれも名だたるジャーニー・ランナーである。2004年の同大会には10名のランナーが出場し6人が完走。日本人では堀口一彦さん、瀬ノ尾敬済さんが完走している。
     90年代から00年代は、世界のウルトラマラソンやアドベンチャー・レースの世界に、日本人ランナーが猛烈に参戦しはじめた時代といえる。「4デザート・レース」「トランスヨーロッパ」「スパルタスロン」などでは、日本人の参加数が急増するばかりか、優勝者を輩出するなど超長距離レースへの高い適応能力を証明している。00年代に行われた2度の北米横断レースは、その日本人パワーを象徴する大会となった。

     この大会を最後に、北米横断レースを企画する者は現れなかったが、7年の時を経てフランス人のウルトラランナー、セルジュ・ジラール氏によってロサンゼルス・ニューヨーク間レースが開催される。セルジュ・ジラール氏は、生きる伝説ともいえる存在である。1997年に北米大陸4597kmを53日で走って横断すると、99年にオーストラリア大陸3755km、2001年南米大陸5235km、2003年アフリカ大陸8295km、そして2005年にはユーラシア大陸1万9097kmを走踏した。世界で初めて全5大陸をランニングで横断するという快挙を成し遂げたスーパースターである。
    2011年6月19日にロサンゼルスを出発し、8月27日にニューヨークにゴールした「LA-NY footrace」は、北米横断レースの第1回大会「インターナショナル・トランス・コンチネンタルフットレース」をリスペクトするという主旨も有し、同大会のたどったルートをある程度なぞったものとなった。約5135kmを70日かけて横断、1日平均73キロ以上の行程である。
     16名がスタートラインに立った大会は8名が完走した。越田信さんは日本人で2人目の「北米大陸を2度完走」の偉業を成し遂げた。そして連日連夜にわたって制限時間ギリギリにビリでゴールに飛び込んでは倒れ込み、ぐずぐず泣いてはスタッフやクルーの背中におぶさり運ばれながら、奇跡的な完走を果たした歴代最弱ランナーがぼく、ということになる。
     何度も死ぬかと思った。気温50度の砂漠は焼け死ぬか干涸らび死か。太腿の筋肉がバリッと音を立てて裂けたときは、痛みで気を失いそうになった。毎日毎日が生き地獄だともがき苦しんでいたのに、どうしたものか今では楽しい思い出しか残っていない。人生で使用可能な熱量の総量が決まっているとすれば、その半分くらいをこの70日間で使った。
     そんな「LA-NY footrace」から3年の歳月が流れた。2014年には「オーストラリア大陸横断レース」の開催も噂されたが、実施には至っていない。生ける伝説セルジュ・ジラール氏は、2015年にランニングと手こぎボートによる地球一周4万5000km「ワールドツアー」に出るという。
     ぼくの胃や腸のなかで「横断の虫」がざわつきはじめている。また旅に出たい、荒くれ者や毒虫や自然の猛威のまっただ中にこの身1つで立ちたい。マメだらけの脚をテープでぐるぐる巻きにして、奥歯で砂をジャリっと噛みしめて、目で見える景色の向こう側まで走っていきたい・・・という強迫神経症的な病気。
     地球儀をぐるんぐるん回しながら3コ目の横断すべき大陸を見定め、指でなでなでしている日々。

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    【北米大陸横断レースの歴史】
    1928年 International Transcontinental Foot Race I (出走199名/完走55名)
    1929年 International Transcontinental Foot Race II (出走不明/完走19名)
    1992年 Trans-America Footrace I (出走30名/完走13名)
    1993年 Trans-America Footrace II (出走13名/完走6名)
    1994年 Trans-America Footrace III (出走15名/完走5名)
    1995年 Trans-America Footrace IV (出走14名/完走10名)
    2002年 Run Across America I (出走11名/完走8名)
    2004年 Run Across America II (出走10名/完走6名)
    2011年 LA-NY footrace (出走16名/完走8名)

    この表は、個人単独での徒歩による横断などは除外し、参加3名以上の公募レースに限っている。
    現在までに北米横断レースの完走者数はのべ138名、日本人は17名である。
  • バカロードその77 あとはどうなってもいい
    文=坂東良晃(タウトク編集人、1967年生まれ。1987年アフリカ大陸を徒歩で横断、2011年北米大陸をマラソンで横断。世界6大陸横断をめざしてバカ道をゆく)

     できない理由を並べたら100コは下らない。できる根拠は何ひとつない。でもやらなくてはならない。自分には能力がないからやめとく、と素直に屈服しない。
     やれることだけ選んでやっていてもつまらない。やれそうにない事にぶつかっていくから感情が揺れる。何にもチャレンジしないなら、一日じゅう部屋にこもってゲームでもやっている。でもそんなの2日で飽きる。
     246・8kmを36時間以内に走りきるレース・スパルタスロン。4度の失敗でわかったことがある。生半可な覚悟と準備でははじき返される。次々と襲ってくる障害に打ち勝っていかなければ前に進めない。自分の身体をきちんとコントロールできる知識と理性がないと破綻する。死力を尽くす、を文字どおり実行しなくてはゴールには届かない。
     どんなに秀でた運動能力をもっていても攻略は簡単ではない。たとえば100kmを7時間台、フルマラソンを2時間40分前後の持ちタイムの人たちも次々とリタイアする。逆に、フル3時間台後半の人が、快進撃を見せて上位に食い込むこともある。
     思うに、246・8km×36時間をつかさどる見えざる統治者は、誰に対しても平等に門戸を開けている。持って生まれた運動能力だけでは決まらない。スピードでは計れない。ド根性だけでも突破できない、何か得体の知れない法則がある。だから、ぼくのようなランナーにも1%の可能性は用意されている。壁のどこかに小さな針の穴が空いている。探し当てて、自分の手で通すのだ。
     大事なのは、1つ1つの壁に対して、「まあ何とかなる」「気合いで乗り切れる」とタカをくくらないことだ。「きっとうまくいく」と偶然を頼りにしない。たまたま好不調の波のピークにばっちりハマり、絶好調のうちに走りきれる、なんて可能性はゼロだ。困難をやりすごすことはできない。真正面から対峙し、1コ1コやっつけていくんだ。

                  □
    【トレーニング量を抑え、質を上げる】
     過去の経験から、月間何百km走り込もうと、完走の根拠にはならないとわかっている。レースと近似の環境で250km、36時間走るトレーニングは不可能である。気温が40度近くまで上がり、低湿度で発汗が短時間で気化していく。深夜気温0〜5度まで下がったなかで、標高差1000mの岩場を登って下る。75カ所ある関門時間をクリアするため、まとまった休憩・睡眠は一切とれない。これと同じ条件を揃えることは不可能だ。練習は、より楽な自然環境、より楽なタイム設定、より恵まれた補給物資(たとえば自販機のよく冷えたドリンクなど)のなかで行っている。距離を150km、200kmと稼けば満足感は残るが、スパルタスロン本番ほどの厳しい環境でのものではない。勘違いを起こさないようにしたい。環境の良い日本国内での走り込み実績は、あまたある完走条件のうち10%程度を満たすものだと考えるべきだ。
     直前6カ月の月間走行距離は以下。
     3月 524km
     4月 508km
     5月 654km
     6月 436km
     7月 268km
     8月 1267km
     6カ月で3657km。今年は走行距離を減らし、スピード練習に重きを置いた。大半の日は1日に10kmしか走っていない。1kmを4分30秒で息が上がらないよう、心肺と脚に覚えさせる。それにプラスして月に1〜2度の100〜200km走を実施し、体調が最悪になった状態にメンタルと肉体を慣らす。

    【徹底して眠れば、疲労は抜ける】
     限界を超えてしまわない程度に、そして長引くようなケガをしない程度に、月に500km前後走り込むのは結構むずかしい。疲労を溜めこみすぎてバーンアウトするリスクがある。燃え尽き症候群は肉体の限界を越えて起こるのではなく、多分に精神的な虚脱や、脳からの「これ以上やると健康を害するから止まれ」との指令に反応したものである。実際には肉体の限界を超えたりはしない。とはいえ、バーンアウト状態になると何もかもがおっくうに感じ、朝起きるのもトイレに行くのも嫌になるほどやる気が無くなる。
     無気力に針が振れないようにするには微妙なさじ加減が必要で、「週に何km以上走るとダメ」「スピード練習を何日以上続けるとダメ」といった単純な目安はない。
     実はトレーニング量よりも休息にポイントがある気がしている。これは何日間も連続して80kmを走るジャーニーランの経験から学んだものだが、日中に80km、90kmと長距離を走っても、その夜にたっぷりと食事を取り、熱い風呂に入って冷水で脚をアイシングし、7時間以上熟睡すれば、翌日には疲労感はほとんど残らないのだ(怪我は治らないけど)。
     つまり、どんだけ長距離走り込もうとバーンアウトはしない。燃え尽きないためには、「練習時間」「仕事時間」「お家の用事」以外のすべての時間を、食事・入浴・睡眠にあてるのだ。
     サプリメントは7種類を常用している。主な目的はアミノ酸の補給と、その結果としての疲労除去と筋繊維修復。
     ?NOWスポーツ・Lグルタミン
     ?アサヒ 天然ビール酵母・エビオス錠
     ?森永製菓 ウイダー カルニチン&CLA
     ?アサヒ ディアナチュラ ストロング39種アミノマルチ
     ?興和新薬 QPコーワ・ゴールド
     ?大塚製薬 アミノバリューパウター
     ?味の素 アミノバイタル クエン酸チャージ顆粒
     これら以外もアレコレ試している。多種類を服用していると、どのサプリがどう身体に作用しているのか不明である。すべてが効いている感じもするし、ぜんぶ気休めともいえる。摂取者としてはプラシーボ効果(効いた気になることで実際に体調に好影響が現れる)でも満足だ。結果さえ伴えば、岩塩だろうと鉄サビだろうと何でもしゃぶるぞ。

    【必ずやってくる危機にどう対処するか】
     レースがはじまると、次から次へと体調の異変が起こる。どうコンディションを整えようと逃げる方法はない。気温40度近いなかをハイペースで走って何ともない人もたまにはいるかもしれないが、そんな千人に一人のウルトラマンこそ他ならぬ自分だとは決して思わない。
     大きな体調悪化は4パターンに集約される。
     ?多量の発汗による脱水。体液・血液中のミネラル等のバランスの崩れ。結果としての吐き気、嘔吐、意識混濁、走行停止。または脚部からはじまり全身に起こる痙攣。こむら返り。
     ?の対策=ボトル「シンプルハイドレーション」350mlを常時持ち、3〜4kmおきのエイドで100ml飲んだうえでボトルに350mlの水分を補充。10km換算にすれば約1000mlの水分を体内に取りこめる。汗が引くであろう夜間はこれほど必要ないが、36時間の間に15〜20リッターの水分を摂取する。「シンプルハイドレーション」は、ボトル上部に引っかけがついており、手で持つ際に握力が必要なく、腰に差す場合はウエストベルトやランニングパンツに引っかける要領でざっくり挿すことができる。便利だ。
     ミネラルの喪失には、「大塚製薬 カロリーメイト・ブロック(メープル味、フルーツ味)」で対応。カリウム、鉄、マグネシウム、ビタミン類がバランス良く補給できる。
     ?運動量過多による消化器の活動量減少。胃酸過多のための吐き気、嘔吐。結果として水分、食料を消化吸収できないことによる脱水症状、あるいはカロリーの枯渇。やがて走行停止。
     ?の対策=レース3日前から胃粘膜保護剤「エーザイ・セルベール」を服用。レース中は6〜10時間の間隔で飲む。レース前日になると胃酸分泌を抑制する「第一三共ヘルスケア・ガスター10」を服用。レース中は胃粘膜保護剤とともに飲む。
     50kmを越えた辺りから、消化器官は病人同様となる。いかにごまかし、いかに正常に近い状態をキープできるかが勝負どころだ。過去、あまりに嘔吐が激しいため「吐くのに慣れるバカ練習」に励んだこともあったが、本来の「吐かずに胃腸を正常に保つ努力」に注力すべきと悟った。
     ?身体の連続使用による極度の疲労。夜間に訪れる耐えられないほどの猛烈な眠気。睡眠不足というよりも、過重な体力消耗による脳からの「運動停止サイン」による睡魔。走っていても寝落ちする程だから、当然スピードも出ない。そのまま寝込んでしまえば関門閉鎖時間はすぐやってきてリタイアに。
     ?の対策=これも過去の経験から「寝だめ」に効果がないことがわかっている。レース前日に睡眠薬飲んで12時間眠っておいても、レース中の徹夜時間帯にはフラフラになる。「運動停止サイン」が下りないようにするには、スタートから15時間以上経った時間帯でも、肉体に深刻なダメージを与えず、余裕を残しておくことである。まず、疲労除去に即効性のあるクエン酸「味の素 アミノバイタル クエン酸
    チャージ顆粒」を10kmごとに1本使用。
     筋肉損傷の修復は「VESPA PRO(ベスパプロ)80ml」を。1本700円もする超高級セレブリティ・サプリメントを12本用意した。
     さらに「味の素・アミノバイタル スーパースポーツ100g」、カロリー補給は「パワーバー エナジャイズ」「明治 ザバス ピットインリキッド(ウメ風味、ピーチ風味)」「明治 ザバスピットインゼリーバー(アップル風味)」「井村屋 ちょこっとつぶあん 25g」などを6kmおきに配置。
     ?痛み。予告なく起こる筋肉損傷、関節損傷。足裏の表皮のはがれ(マメのひどいの)。股間の表皮の消失(股ずれのひどいの)。
     ?の対策=耐え難い痛みには鎮痛剤「エスエス製薬・イブA錠」。何度も使用するために第一種指定の鎮痛剤(ボルタレンやロキソニン)は回避。股間の皮膚損傷対策は皮膚保護剤「ユニリーバ・ヴァセリンペトロリュームジェリー」。足裏のマメには「テーピングテープ 非伸縮タイプ」をガチガチに巻きつけて対処する。

    【焦熱対策。気化熱を徹底利用する】
     いつも熱中症でフラフラになっているぼくを気の毒に思ったか、尊敬する理論派先輩ランナー氏が懇切丁寧な長文のアドバイスを送ってくれた。氏の指導は科学的かつアカデミックな内容であり、スパルタスロンを完走するためには、ただ走るという行為をこれだけ突き詰めて考えねばならないのかと衝撃を受けるとともに、無手勝流の非科学トレーニングで完走を目指していた自分が恥ずかしくなった。
     理知と慈愛に満ちたアドバイス内容をごく単純にまとめちゃうと「体温を上げないよう、過度に発汗させないよう、全身を濡らし続ける」である。そのためには皮膚を直射日光にさらさないこと。全身を衣類で覆い、エイドのたびに水分を衣類に含ませ、次のエイドまでの3〜4km間、気化熱による体温冷却を止めることなく続けること、である。
     アドバイスを受けて、体表面を覆うグッズを揃える。頭部は白キャップと首筋を覆うカバーを装着。腕部は白ソックスのつま先部分をカットしたものをアームカバー代わりに。市販の高機能なのは皮膚を圧迫しすぎて辛い。膝下は「C3fit パフォーマンスゲイター白」を着用。これらを水で濡らしつづける。高い気温・低い湿度という条件下
    では、体温上昇のペースに発汗が追いつかず、やがて汗が止まり、表面体温が急上昇して熱中症に陥りがちだ。だが逆に、体表面が常に濡れている状態をキープさえできれば、高温・低湿の条件はプラスに振れる。気化熱がもっとも効果を発揮する環境だからだ。直射日光と戦うのではなく味方につけて、体温をガンガン下げ続けるのだ。

    【シューズは超攻撃的シフトに】
     スタートから80kmまでは、「アシックス・ターサージール(片足重量185g)」を使用。80km関門の閉鎖が9時間30分。100km関門が12時間25分と設定されている。が、しかしこの時間ギリギリに通過したのでは、その後たったひとつのトラブル(たとえば道を1km間違えて引き返す)でリタイアの憂き目にあう。完走を果たすには80kmを8時間30分、100kmを11時間30分以内には通過すべきだ。ためにはそれなりのスピード感が必要であり、序盤はターサーを使う。さすがに薄すぎやしないかとの懸念があったため、トランスエゾ1100kmをターサー1足で走りきった。問題なく80kmまではいけるはずだ。念のため、カカト部分には「SHOE GOO」という補修材をたっぷり盛っておく。これまた気休めだけど。
     80kmの大エイド・コリントスには2足目のシューズを送っておく。レース後半は、「HOKA ONE ONE スティンソンターマック(片足重量320g)」に交換。カカト部のアウトソールが4cm近くあり、荒れたアスファルト道や砂利道からの衝撃を和らげる。
     序盤で短距離用のターサーを使うのは危険とウラハラだが、元来スピードのないぼくは、どこかでリスクを冒す必要がある。クッション性の高いシューズでゆるゆる走っても関門に間に合わせる走力はない。80kmを8時間30分ってほとんど自己ベストのペースみたいなもんだし、残り時間5分、3分と追い込まれたときに、ロングスパートをかけられる余地が必要。ターサーと運命をともに、ターサーと一蓮托生。
                □
     この1年、たくさん走って、たくさん試した。身体に起こる症状に対し、自分の脳でうまくコントロールできるように、脳と身体を分離して走れるよう意識した。
     超長距離レースではリタイアもたくさんした。実感したのは、脳の自動調整システムが優れすぎているという点だ。生命が危機的状況に陥る前に、活動を停止させようとする司令塔としての機能だが、少々性能が良すぎて、いくぶん早めに停止ボタンが作動するようになっている。この停止ボタンを「押さなくていい」と言い聞かせるのは、これまた脳の仕事である。動きを勝手に止めようとする身体に「それはまだ早い。今からエネルギーを補充するからまだ動きなさい」と強制介入するのも脳だ。痛いも辛いも苦しいも脳が感じ、信号を発している。その注意深さ、慎重さといったらゴルゴ13並みである。
     だがしかし、絶対にこの厳しい壁に立ち向かい続けるのだ、絶対にあきらめないのだと、アニマル浜口並みの気合いを注入し続けるのも、自分の脳でしかない。レース前にしてすでに脳内にはさまざまなキャラクターが跋扈し、混乱の極に達している。もう何でもいい。ゴールにさえ行けたら、あとはどうなってもいい。
  • 手放したくない肌ざわり!さらら12/18号 tokushima-salala141218■カラダも喜ぶ、天然繊維で作られた
    肌ざわりのええもんたち
    ●シルク、リネン、オーガニックコットン…天然素材アイテムが増えている
    ■お風呂の残り湯、選択に使う?使わない?
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    ■この冬、ポチ袋を作ってみる
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    寒い寒い冬の日、恋しくなるのは、あつあつのご馳走。
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    ■うつわさがし
    暮らしをより美しく、より豊かに。
    一目惚れに出会ううつわの旅へ。
    ■ミガク
    徳島の美ネタが満載!

  • 四国・淡路の美味街道をゆく。徳島人1月号 1501tokushimajin■四国・淡路の美味街道をゆく
    愛媛・今治焼き鳥、高知・鍋焼きラーメン、香川・丸亀骨付鳥、淡路島牛丼、徳島・鳴門ちゅる…
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  • タウトク12月号特別ふろく「徳島盛りアゲ本」 2014_tautoku_furokuタウトク12月号には、飲んで、遊んで、盛り上がる特別ふろく付き!
    ★徳島の冬グルメ!
    クリスマスディナー、ホームパーティ、忘年会&新年会、ラーメン・中華そばなど。
    ★注目のレジャー&贈り物
    人気の遊びスポット、レッスン・おけいこ、冬アイテム、お歳暮・ギフトなど。
    ★冬のイルミネーション
    ★2015年カウントダウンイベント
    ★徳島の初日の出&初詣スポット
  • タウトク・CU・徳島人11月号 実売部数報告月刊タウン情報トクシマ11月号、月刊タウン情報CU11月号、
    徳島人11月号の実売部数報告です。

    タウトク11月号の売部数は、6,957部
    1411_タウトク部数報告.pdf

    CU11月号の売部数は、4,637部
    1411_CU部数報告.pdf

    徳島人11月号の売部数は、4,019部
    1411_徳島人部数報告.pdf
    でした。

    詳しくは、リンクファイルをクリックしてください。
    長らく雑誌の実売部数はシークレットとされてきました。雑誌は、その収益の多くを広告料収入に頼っているためです。実際の販売部数と大きくかけ離れ、数倍にも水増しされた「発行部数」を元に、広告料収入を得てきた経緯があります。メディコムでは、その悪習を否定し、「月刊タウン情報トクシマ」「月刊タウン情報CU」「徳島人」「結婚しちゃお!」「徳島の家」の実売部数を創刊号から発表しつづけています。
  • 結婚しちゃお!秋号 実売部数報告結婚しちゃお!秋号 実売部数報告です。
    結婚しちゃお!秋号の売部数は、424部でした。
    14秋号_結婚しちゃお!部数報告書.pdf
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    メディコムは、「月刊タウン情報トクシマ」「月刊タウン情報CU」「徳島人」「結婚しちゃお!」「徳島の家」の実売部数を創刊号から発表しつづけています。

    雑誌の実売部数を発行号ごとに速報として発表している出版社は、当社以外では日本には一社もありません。実売部数は、シェア占有率を算出し、媒体影響力をはかるうえで最も重要な数値です。他の一般的な業界と同様に、出版をなりわいとする業界でも正確な情報開示がなされるような動きがあるべきだと考えています。わたしたちの取り組みは小さな一歩ですが、いつかスタンダードなものになると信じています。
  • 我ら乾物主義!さらら12/4号 tokushima-141204salala■自然と時間が魔法をかけてくれる
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