徳島で雑誌をつくろう そのシィ「いち編集者の思考の説明」

公開日 2006年09月10日

文=坂東良晃(タウトク編集人)

朝起きると、寝ぼけマナコで天井を見つめながら考える。「今日もぼくには仕事がある」。原付バイクにまたがり、吉野川を渡って編集部のあるカイシャに向かいながら考える。「今日も出勤できる職場がある」。バイク置き場から事務所までの道を歩きながら、アタマの中で今月の支払いのことを考え、入ってくるお金のことを考える。「まだ現金はある。カイシャを潰す心配はない」。社員の大半はすでに慌ただしく仕事をしている。「急がないといけないほど仕事がある、よかった・・・」
自分のことをろくでもない人間だと思っている。だから自分が勤められる職場が存在していることを奇跡に感じる。朝起床すると、カイシャの存在を実感できないときがある。無職時代が長いので、それなりに社会に適合していることにも驚く。
メシが食えないことに潜在的な恐怖がある。貧したら貧に慣れるという人もいるが、ぼくは貧乏が恐い。全財産が3000円を切れば、病気をしても病院に行く勇気がなくなる。部屋が借りられず寝泊まりする場所を探してほっつき歩いたり、知人の冷蔵庫の食べ物を求めてさ迷ったりと、貧乏は行動をあさましくする。
立派な経営者や、創造的な仕事をする人は、「この仕事はカネなんか関係ない。夢のためにやる」なんて見得を切る場面もあるけど、ぼくはそんな気になったことがない。儲からない仕事をするのは恐怖である。儲からないとドン底まで突き落とされる。他人に働いてもらって、労働にふさわしい対価を払えないのは最悪な経営者の姿でもある。
あちこちの経営コンサルタントや経営セミナー運営会社から、中期戦略の再構築とか中核的強みの見直しとか、色んなことをしてみなさいよと迫られる。外から見ると、ぼくの経営はよほど頼りなく映るのだろう。商売を発展させるためには、周囲を感心させるような重厚な理屈が必要なんだろうけど、さしあたって何かを変化させたいという意志がない。 雑誌づくりという好きなことをたまたま商売と連動させることができ、しかも給料までもらえている。
これ以上のことを求めるとバチが当たりそうなので欲は出さんとこ、と思っている。

「仕事が楽しくないから、会社を辞めます」と申し出た二十歳の社員に、こんなことを言った。・・・世の中いったいどれだけの人が楽しさを求めて仕事していると思うのよ。みんな生活のためにやっている。家庭や子供を守ったり、信用してくれている人を裏切らんために働いている。楽しいかどうかなんて基準は、子供の発想だろーよ。
二十歳の若者はすかさずこう反論する。「そんなこと言ったって、あなたは元もと雑誌が好きだからやっているんでしょう。いつもそう言ってるじゃないですか。仕事を続けられるかどうかは、最終的には好きかどうかじゃないんですか?」。
確かにそうだ。ぼくはこの仕事が好きだからやっている。適当な建て前はでっち上げられるが、ホントの所は好きだから続けられてる。そんな単純人間が偉ぶって職業倫理を語るなんてね・・・ド反省。

高校生のころ雑誌は世界の窓口だった。80年代、阿南の田んぼの真ん中で入手可能な新しいカルチャーは、雑誌にしか存在しなかった。20年前だからインターネットはない。初代ファミコンが登場した頃だが、金持ちしか所有できない。POPEYEと朝日ジャーナルと諸君!と写真時代をむさぼり読んでいた。ファッション誌と進歩的左翼誌と御用右翼誌と極エロ誌を同時に読む。これが田舎の高校生の理論武装だ。
「オールナイトニッポン」2部以降の深夜放送を聴いているとか、民族音楽とかプログレッシブとかの未発売輸入レコード盤を密かに買い漁っている、そういう行動に近い。それが自分のアイデンティティを補完する方法であり、女のコにモテるための引き出しの一つである。
宝島、ミュージックライフ、平凡パンチ、ホットドッグプレス、週刊プレイボーイ、週刊ファイト。どの雑誌でも、活字たちは憤懣やるかたない情熱をたぎらせ、ギラギラと脂ぎったエネルギーを放っていた。ヒッピーやドラッグや反戦や70年代ウエストコーストやサイケデリックやポストモダンやインド放浪やチベット密教やコーランや連合赤軍がカッコいいと思っていた。そんな時代をライブで生きた30代がつくるカウンターカルチャー雑誌と、その反動で軟派化したポップカルチャー誌の洗脳を、10代のぼくは受けた。 そういう雑誌にまみれて無為な時を過ごすのが幸せであった。だからぼくは雑誌づくりを職業にした。

この職業につき、20年近くメシを食っている。恩のある雑誌だから嫌いになることはない。
ぼくは雑誌の匂いが好きである。いや、雑誌の生産過程をとりまく匂いと環境が好きである。完成したばかりの雑誌が放つ独特の香りはいい。乾ききらないインク臭と、漂白された紙の匂い。匂いの質は変わった。むかしの本は、もっと有機溶剤臭がプンプンしていた。
ぼくがこの世界に足を踏み入れた20年前は、まだ活版印刷が存在していた。活字職人が1字、1字ピンセットで活字を拾い、巨大な鉛合金の塊をつくりあげる。その重量感あふれる金属の表面を、インクのローラーが撫で、紙に転写する。紙には鉛の文字が深く刻印される。紙の表面にはその圧力により凹凸が生じる。紙のヘコミに染みこんだインクは今ほどすぐは乾かず、手触りと湿り気で印刷職人の仕事の名残を感じた。現在のハイテク印刷には、このような触感は薄れた。紙の表面はつるんとなめらか。それでも悪い匂いはしない。
締切が近づいた編集部には、独特の匂いが充満する。編集の現場は、匂いの洪水だ。昼間取材の際にかいた汗が乾いて、微妙な臭気を漂わせる。風呂に入っていないヤツの足の悪臭がツーンと鼻をつく。撮影用の食品の匂いが入り混じった生暖かい空気、深夜にスタッフが食べるスタミナ食のニンニク臭。生ぐさい人間の匂いに、忠実に生産活動をつづける機械音が溶ける。スキャナーが画像を読み取る電子音、高速プリンタが激しく紙を飛ばす連続音、キンキン唸りをあげるサーバー群。
匂いと音のはざまに、人間がいる。怒号があがるときもあれば、笑いに包まれるときもある。何かに絶望してる人もいれば、楽しいことだけ考えてる人もいる。プレッシャーに耐えられず失踪する者、机に突っ伏して豪快にいびきをかいて眠っている者、いろいろだ。
雑誌づくりの現場は人間味あふれるモノづくりの工場であり、カイゼンもカンバン方式も効果を出せない、もっとも非効率な生産工場だ。

入社希望の大学生に挑発的に問われた。「タウトクはフリーペーパー化しないんですか。雑誌はいずれ全てフリーペーパーになると思います」。
確かにね、あらゆるコンテンツは無料で供給されるようになってるよね。テレビ=無料、ラジオ=無料、インターネット=無料、フリーペーパー=無料。新聞は有料だが、料金銀行振込なら毎日買ってる意識はない。ケータイサイトもパケ代は必要だが、定額設定してるなら無料感覚で使える。現金購入するメディアって、雑誌以外にはタブロイド夕刊紙やスポーツ新聞くらいしかない。電車通勤の人口が少ない徳島では、スポーツ新聞を買う人は虎ファンかプロレスオタク。現金で売り買いされるメディアはイコール雑誌ということになる。きわめて稀少な存在なのだ。各メディアが先を競ってコンテンツを無料で放出している時代に逆行し、お金で買ってもらえる物を必死になってつくる。その不格好な必死さが好きである。

今のカイシャ、50人くらいの若い人が雑誌づくりに取り組んでいる。今年は1年で70本ちかく出版物を出す予定。5日に1日の発行ペースだ。時間はひたすら猛スピードで過ぎていき、未来を考察する余裕はない。ホンダみたいに産業の未来をちょっと考えてみよーかななんて思うときもあるが、すぐ飽きて寝てしまう。雑誌の未来がどうなるかなんてハナから興味がないのだ。半年先の運命を考えるのはスリリングだが、その先の未来を想像するのは退屈だ。戦略は必要だが、空想は無駄だ。
今日おもしろい雑誌をつくり、明日もっとおもしろいものを考える。それをひたすら繰り返す。どこまで続くかわからない道を、バニシング・ポイントみたいに爆走するだけ。その先に何があるかなんて、行ってみないと分からない。