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2013年10月11日

CU11月号 ノッてる!バル飲みと進化系フレンチトースト tokushima-cu1311■昼も!夜も!!とくしま女子飲みの新定番
ノッてる!バル飲み
リーズナブルにサク飲み&お手軽料理が味わえるハイスペックなバルが増殖中!ごくごく、ぷはー。幸せのため息がもれる、飲んでおいしく楽しいイマドキ酒場へご案内。
■次なるスイーツブーム決定!
進化系フレンチトースト
お気に入りの一皿がきっと見つかる、そんなフレンチトーストを集めてみました。
■ラブホDEデート
肌寒くなる季節の到来とともに盛り上がる男女の思いをラブホテルでひとつに。3回使えるお得な割引クーポン付。
■楽しくお得に結婚準備!ブライダルクーポン&フェア情報
ウエディング関連のショップで使えるお得なクーポン券をゲットしよう。ブライダルフェア情報も満載!

2013年10月09日

月刊タウン情報CU9月号 実売部数報告1309_CU部数報告.pdf

月刊タウン情報CU9月号 実売部数報告です。
CU9月号の売部数は、5,164部でした。
詳しくは、上部のファイルをクリックしてください。

長らく雑誌の実売部数はシークレットとされてきました。雑誌は、その収益の多くを広告料収入に頼っているためです。実際の販売部数と大きくかけ離れ、数倍にも水増しされた「発行部数」を元に、広告料収入を得てきた経緯があります。
メディコムでは、その悪習を否定し、「月刊タウン情報トクシマ」「月刊タウン情報CU」「徳島人」「結婚しちゃお!」「徳島の家」の実売部数を創刊号以来、発表しつづけています。
徳島人9月号 実売部数報告1309_徳島人部数報告.pdf

徳島人9月号 実売部数報告です。
徳島人9月号の売部数は、3,909部でした。
詳しくは、上部のファイルをクリックしてください。

メディコムでは、自社制作している
「月刊タウン情報トクシマ」「月刊タウン情報CU」「徳島人」「結婚しちゃお!」「徳島の家」の実売部数を発表しております。
月刊タウン情報トクシマ9月号 実売部数報告1309_タウトク部数報告.pdf

月刊タウン情報トクシマ9月号 実売部数報告です。
タウトク9月号の売部数は、7,075部でした。
詳しくは、上部のファイルをクリックしてください。
メディコムは、「月刊タウン情報トクシマ」「月刊タウン情報CU」「徳島人」「結婚しちゃお!」「徳島の家」の実売部数を創刊号から発表しつづけています。

雑誌の実売部数を発行号ごとに速報として発表している出版社は、当社以外では日本には一社もありません。実売部数は、シェア占有率を算出し、媒体影響力をはかるうえで最も重要な数値です。他の一般的な業界と同様に、出版をなりわいとする業界でも正確な情報開示がなされるような動きがあるべきだと考えています。わたしたちの取り組みは小さな一歩ですが、いつかスタンダードなものになると信じています。

2013年10月07日

バカロードその59 川の道は迷い道
文=坂東良晃(タウトク編集人、1967年生まれ。1987年アフリカ大陸を徒歩で横断、2011年北米大陸をマラソンで横断。世界6大陸横断をめざしてバカ道をゆく)

 埼玉県寄居町にある東武東上線・玉淀駅は、東京湾岸から100?ちょいの所にある。都市郊外の乾いた空気が、玉淀駅を境に農山村的な濃密な匂いに変わる。
 朝9時に葛西臨海公園をスタートして以来、荒川の広大な河川敷や堤防上をひた走ってきたものの、実際に川面を見る機会といえば4本の橋を渡る場面くらいだったが、玉淀駅以降は深く切りこまれたV字谷の最下部を白波たてて蛇行する荒川を眼下にする。
 多くのランナーは日没後、玉淀駅に着く。遠大な旅路において、玉淀駅ははじめての徹夜走に乗りだす起点ともいえる。
 平野と山地の境界、昼と夜の狭間、100?という数字もキリがいい。第1関門である「こまどり荘」はさらに70?先にあり、なんとはなしに多くのランナーが玉淀駅を1つ目の乗り越えるべき目標として設定している。265?にしろ、520?にしろ、最初の100?をどれくらいの疲労度で走るのかが、そこから続く道程の楽しさ、厳しさを暗示してくれる。

 80?地点の熊谷市街を抜けた頃から体調が悪化し、間断なく吐き気の波が押し寄せてはオェップオェップと空ゲロを口角にもらしながら、走りとも歩きともつかない頼りない前進を続けている。田んぼのあぜ道に寝っ転がったり、トンネルの脇にうずくまったりして奇跡の回復に一縷の望みをたくすのだが、どうやらひとときの体調不良ではなく、リアルに衰弱している。
 この1カ月間に、胃カメラに大腸カメラに内視鏡手術にと都合3度の絶食やら安静を求められ、練習不足から太ももの鶏ササミ筋肉はブヨブヨ脂肪に置き換わり、心臓ポンプは子鼠のように弱々しく拍動する。ベストコンディションでも困難な250?オーバーの道を、こんな病弱ボディでどうやって歩むんだい? と、星ひとつ見えない暗い夜空につぶやく。
 深夜12時過ぎに玉淀駅に着く。100?進むのに15時間もかかっている。ここに立ち寄るランナーへの配慮から、駅舎を開放してくれている。少しでも睡眠を取ろうと待合所のベンチに横たわるが、すぐ脇の自販機の光に誘われてやってきた子虫ども数百匹が、耳の穴、鼻の穴へと飛び込んできては眠りに落ちることを許さない。仮眠を断念し、駅舎をあとにする。打ち寄せる波のごとく睡魔がやってくる。上瞼が地球の重力に引っぱられて落ちる。歩道にある微かな凹凸につま先を引っかけ、受け身を取れないまま虚しくコケる。
 いかに関門時間がゆるい大会だといっても、歩いてばかりでは間に合うはずもない。次第にあきらめの弱虫がぞろ這い出してくる。道路脇を走る線路を見ては“始発電車が動きだす頃にリタイアしようかな”と思い、蛍光灯付きの看板に出くわすと“深夜でも泊めてくれる親切な民宿ではあるまいか”と目を凝らす。
 リタイアする勇気もなく、かといって息を切らせて走る覇気もなく、右に左にと蛇行しながらふらふら歩く。先のことはどうでもよくなり、どこかで眠りたいという欲求だけに心を捕らわれる。いろんな所で仮眠を取ろうとしてみる。公衆トイレの床…タイル地に体温を奪われガタガタ震えだし退散する。お寺のお堂…早起きのお坊さんがいつ現れるかと気になって眠れない。鉄網で囲われたゴミの収集箱…間違えてゴミ収集車に放り込まれたら死ぬ、と考えると怖くなり這い出す。こんな繰り返しでは前進もままならず、1時間に2?しか進んでいない。
 山の端の空が紫色になり夜明けが近いことを知らされる。周囲の景色がうっすら見えだした頃、後方から5人ほどのランナーに次々と抜かされる。みなけっこう速いスピードで走っている。全然ダメージなんてなさそうだ。どこかでたっぷり眠ってきたに違いない。
 テニスコート場があった。フェンス脇にベンチが1脚あり、昇りたての朝日が木々の隙間を縫って座面に一筋射し込んでいる。誘われるように光の下に寝そべる。凍えた夜を直射日光が溶かしていく。温かくなった血液が全身を巡る。2晩目の不眠の夜を越えたら、こんな所に天国があったのだ。安らかな気持ちに包まれる。そして数分で意識がとぎれた。
 目覚めると、ベンチの脇に大きな犬とおじさんが立っていた。「おはようございます」と声をかけられる。ぼくが飛び起きたさまを見て、おじさんと犬は安堵した表情を浮かべ、去っていった。無惨な寝姿を見て、変死体ではないかと心配して覗きこんでいたのか。辺りは早朝の鮮やかな色彩に包まれている。このベンチを発見してから30分が経っている。
 意識はすっきり明瞭だ。不思議なものだ。30分前には廃人だったのに今や走る意欲に満ちている。走ってみよう、走れる、走れる。ウルトラランナーの好きな言葉「つらいのは気のせい」ってのは本当なんだ。どんなにスピードは遅くても、走り続けている限り、関門を超えていける。フットレースとはそういうものだ。あちこちの筋肉を挽肉マシンに通されるくらい痛くても、首が背中のほうにガクンと落ちるほど眠くても、三輪車の女の子に軽々抜かされても、自分でギブアップの声をあげない限りレースを続行する権利はある。
 夜7時、第1関門170?地点の「こまどり荘」に到着。関門閉鎖は夜9時だから2時間の余裕を残している。といっても、ぼくの後ろには1人しかランナーがいないらしい。好んでそうしたいわけでもないが、長距離フットレースでは最後尾あたりを走るのが常だ。
 速攻で風呂に入る。小さな湯舟に首までつかると得も言われぬ快感が全身をかけめぐる。エンドルフィンの無制限バーゲン放出状態である。抑圧に耐えきったあとの解放感は尋常ではない。快感に耐えかねて「うー、うー」とうめき声を上げる。ラスベガスの五つ星ホテルのジャグジーでも、高級風俗店のバスマットの上でも、これほどの快楽を得られることはない。ジャーニーランナーにしかわからない秘密の花園だ。 
 雄叫びをあげながら5分間の湯あみを愉しむ。全身にシャンプーを塗りたくり1分間で体洗いを終了する。刑務所の入浴タイムよりもスピーディである。
 風呂上がりに大会スタッフが用意してくれた食事をいただく。ゆで玉子入りカレーライス、ソーメン、野菜サラダ、フルーツデザート…偏食気味の女性ランナーの分までもらい、お皿とドンブリ7杯をテーブルに積み上げる。飯が終われば睡眠だ。布団に入ると両足裏がジンジンと燃えている。足かけ3日間で30分しか寝ていないため一瞬で意識が遠のく。
 目覚ましをかけて睡眠2時間。95?先のゴール関門まですでに24時間を切っている、急ぐべし。
 深夜11時に再スタート。ヘッドランプとハンドランプを装着し、20?先の三国峠へと続く林道の上りに入る。例年は凍えるほど寒いというが今年は暖かく、用意したダウンジャケットを着用せずにすむ。
 標高743mのこまどり荘から1740mの三国峠まで高度差は約1000m。荒川の支流である中津川に沿って標高を稼いでいく。小石だらけの林道を走るのは無理があり、早足で突き進む。5時間かかって峠のてっぺんに着く頃に、空が白み始める。冠雪を抱く八ヶ岳連峰が、ここが信州という別世界であることを教えてくれる。登ってきた峠の埼玉県側とは、肺の奥まで鋭く刺す空気の匂いや、手ですくってカブ飲みする山水の甘さまで違って感じられる。
 長い峠道を下り終えると千曲川の源流である梓川沿いに出る。街道沿いに川上村の集落が点在し、正面に八ヶ岳の威容がいっそう近づく。高原野菜の一大産地らしく、田畑には用水路が張り巡らされ、透明の水がゴーゴーと滝のような勢いで流れる。手をひたすと冷水器の水ほどに冷たい。シューズを脱いで足をひたす。赤く腫れ上がった足が一瞬にして凍りつく。
 すれ違う登校中の子どもたちが元気よく挨拶してくれる。かと思えば、歩道を連れだって歩く4、5人の外国人のグループと頻繁に遭遇する。どこの国の人だろうか、アジア系の顔立ちをしている。彼らは、ぼくとすれ違う際には立ち止まって気をつけをし、「オハヨウゴザイマス」と深々おじぎをしてくれる。最初は、走りながら返事をしていたが、だんだん自分も同じ態度じゃないと失礼な気がしてきて、都合30人くらいの外国人に直立不動からの斜め30度おじぎ挨拶をする。彼らは、この村のレタス農家が受け入れている外国人研修生らしい。川上村は、総人口に占める外国人の比率が全国一高い自治体なのだという。
 再び眠くなってきたので、梓川沿いの護岸コンクリートの上にゴロリと横になる。もはや誰の目も気にならない。他人にどう思われようと平気である。初日の夜はすごく人目が気になったのに、今なら道ばたで平然と眠れる。人間の羞恥心や道徳心なんて簡単に心から消し去れる。
 雪山から届けられる尖った風がジャージを揺らす。車道をゆくトラクターのエンジンが地響きを立てる。でもぼくは穏やかな眠りに誘われる。なんだかとても幸せだ。
 そうだ、思い出した。ジャーニーランは人生そのものなのだ。タイムを気にし、順位を競って懸命に走るのは序盤だけ。自分の能力やら限界が見えだすと、棒きれのように役立たずになった足を前に前にと何万回も送り出す作業に没頭する。へとへとに疲れては倒れ、路傍の草むらをベッドに熟睡する。道に迷っては途方にくれ、また道を見つけは歓喜する。どこに向かって走っているのかは定かじゃないけど、どこかに向かって走らなくてはならない。そんな人生の縮図の道ばたで、ぼくは眠りに落ちる。 
バカロードその60 川の道の届かないゴール
文=坂東良晃(タウトク編集人、1967年生まれ。1987年アフリカ大陸を徒歩で横断、2011年北米大陸をマラソンで横断。世界6大陸横断をめざしてバカ道をゆく)

 フルマラソンよりも長い距離を走ることをウルトラマラソンと呼ぶ・・・なんて今さら説明の必要もないけど、100kmよりも遠くまで走る行為を総じてどう呼ぶかは、迷いのあるところである。
 200kmくらい走ったあとに精魂尽き果てのろのろと商店街なぞ歩いていると、地元びとから「よーにいちゃん、ゼッケンつけた人が朝から時々やってくるけど、何やってんの?」と声を掛けられる機会がけっこうある。そんなとき、「ウルトラマラソンです」とは言いにくい。マラソンというからには、走ってないとダメな気がするのだ。右手にご当地サイダー、左手にご当地ソフトクリームを携え、物見遊山気分で未知の土地を歩いている自分を「ランナーです」と自己紹介しにくい。
 かといって地元びとに「ウォーキングの大会なの?」と尋ねられると、少しプライドが傷つく。なんせ2昼夜かけて200km走ったもんですから、歩いて筋力回復させてるトコなんですよ。本来は走ってるんですよ、今はたまたま歩いてるだけでして。商店街アーケード内を走るのも無粋でしょう? なんて地味に心中で反論する。
 他人様に「何をやっているのか」と問われて明瞭に答えるすべを持たないこのジャンル。けっきょく「○○から××まで走ったり歩いたりしてます」と、そのまんまな説明で妥協する。
 あえて日本語化するなら「超長距離走」なんだけど、大会によって主旨も参加者の質も違うから、現実問題としてひとまとめにできそうにもない。250kmを厳しい制限時間のなかで高速で駆け抜ける、スパルタスロンやさくら道ネイチャーに代表される競技性の高い大会もあれば、500kmを時速5キロペースで押していく「川の道」のような耐久的なフットレースもある。
 毎晩、宿泊先を決めて1日70〜100kmを刻んでいく「ステージレース」形式で、旧街道や宿場町を経由して旅と走りを組みあわせる「ジャーニーラン」と呼ばれる世界もある。山野をクロスカントリー走しチェックポイントをめぐる「ロゲイニング」や、地図を片手に街や野山をラン&ウォークする「マラニック」、テント担いで山岳、砂漠、極地を駆ける自炊型の「アドベンチャーレース」もある。1000kmや1週間といった単位でタイムや走破距離を競うガチンコな超ウルトラレースも存在する。
 きっと、これらを総まとめする固有名詞はない。現在60代、70代の齢を迎えた遠くまで走ることを愛する伝説的なランナーの方々が、昭和40年代頃から日本中にたくさんの種まきをし、ユニークな大会をスタートさせてくれた。その歴史に乗っかって、ぼくらは超長距離走を楽しませてもらっている。あちこちの大会に顔を出していると、いまだ現役の「伝説のランナー」たちと走りを共にすることができる。豪快にビールをかっくらいながら100km、200kmとエッホエッホと肩で風切る伝説のオジサンたち。往年の神かがり的な走りではなくマイペースランに努めているのだろうが、それでも彼らの姿を間近で見られるのは幸せである。
 夏は太陽の放射熱に焼かれ、冬は横殴りの風雪に身を震わせ、ブヨブヨに腫れあがらせた「象足」で前進を続ける。それがこの世界。必死でやってるのに、競技名すら定かでない世界。他人と競ってないから「レース」ではなく、勝手気ままに移動してないので「旅」でもない。名無しなのに、全身全霊で打ち込める世界。まったく、ヘンなものに夢中になったものである。
      □
 出発から200km。メイン道路を時々はずれ、裏道の旧道へと回り道などしながら、夕方まで淡々と距離を刻む。長野県南牧村を過ぎると、海尻、海の口、小海・・・と「海」の名を冠する地名や標識が続々と登場する。こんな内陸の高原地帯になぜ「海」かと不思議に思う。1000年以上前に八ヶ岳の大崩落によってこの辺りに造られた巨大な堰き止め湖に由来しているという。その湖もやがて大決壊して、下流の村々に被害を出した。わずか100年ほどの短い期間存在した堰止め湖を「海」と呼んだ習慣が、1000年経った今でも受け継がれているのだなぁと感心する。
 一歩ごとに骨まで衝撃がくる足の裏の弱さも、腸をこねくり回すような持病の腹の痛みも、いったん受け入れてしまえばどうということもない。苦難とは、そうでない幸せな境遇の頃と比較するから苦難として認識してしまうものだ。苦痛のある状態が平時なんだと割り切ってしまえば、脳は意外とすんなり順応する。
 佐久市街にさしかかったあたりで日没し、3度目の夜を迎える。郊外バイパス道の凡庸な風景が連続するため、道に迷うランナーが少なくない場所だが、幸いかなぼくは3年前の経験があり、その時は正確にコースをトレースした。土地勘はある、との自信から記憶に残る建物や交差点を探す。しかし眼前に展開される風景と、記憶の中の淡い映像がなかなか一致しない。見覚えのないファーストフード店、存在するはずのない大型ショッピングセンター、・・・おかしいな。
 3年前も睡眠不足、そして今も睡魔に誘われ中。朦朧とした記憶を、朦朧とした脳でたどれば、結果として至るのは「迷子」なのか。ついに自分がどこにいるのか、わからなくなってしまった。広大なイオンモールの敷地の外周を一周した。次に佐久平駅前から西へ北へと移動しているうちに、気づけば15分前にいた佐久平駅前に戻っている。砂漠のリングワンダリング現象ってヤツである。
 駅前に交番があった。ここはひとつジャーニーランナーたるプライドをかなぐり捨て、国家権力のお世話になろう。お巡りさんにコース地図を見せて、通過しなくてはならない交差点を示す。若いお巡りさんは地図をぐっと睨みつけながら、道路を指でなぞったりし、地名をぶつぶつと暗唱する。そのうち、地図を右にしたり逆さにしたりしはじめる。どうやら土地勘のない新人警官くんのようだ。時はいたずらに過ぎていく。このままではゴール時間に間に合わない。若手お巡りさんの手から地図を取り戻し、「きっと自分でいけると思います」と断り、行く方向も定めず交番を飛び出す。すると、「ちょっと待って!」と年配のベテランお巡りさんが追いかけてくる。そして弁説明瞭な道案内でもって、ぼくの行きたい交差点の場所を教えてくれる。ううっ、知ってるならさっさと教えてよ・・・。
 ベテランお巡りさんの指示にしたがい正規ルートに復帰する。残り1時間で距離8km、問題なくゴールできそうだ。と安心したのは束の間だった。自分は正常だと信じていても、周囲からは異常人格者だと思われてる人は少なくない。明るく礼儀正しいと評判の人が、実は猟奇殺人犯だったって話も珍しくない。自分の立ち位置を客観的に把握するのは、とても難しいのだ。自分が今そういう状態に突入しているとは、自分では気づけない。
 それからも、何度も道を間違えた。曲がり角のたびに、曲がる道を間違えた。方向感覚は失われ、道が登り坂なのか下り坂なのか判別がつかなくなった。地図上に破線で示されたコースを忠実に守って走っているはずなのに、自分の位置を地図上に見つけられない。二次元図面である地図を、現実の空間に照らし合わせて認知する脳の活動領域が眠りに入っている。
 時間はどんどん失われていき、キロ5分で走りつづけてギリギリ間に合うという所まで追いつめられる。260?走った脚でキロ5分なんて走れっこないのだが、それでも全速力で走る。寒いはずなのに額や首筋から汗が猛然と噴き出している。
 コース上に決して現れてはいけない大きな商店街が現れる。黄色やオレンジの街灯がずらりと並ぶ商店街はお祭り会場のようだ。どこなんだ、ここは? しなの鉄道の小諸駅が遠く眼下に見える。ゴール会場は小諸駅に対して低地にある。見当違いの場所へと突っ走ってきたわけだな。
 もはやゴール時間に間に合うかどうかは二の次となり、今という時間を全力で走ることしか考えられなくなった。見えない未来に自分がどうなるかなんて考えても運命は変わらない。この瞬間をどう生きるかが重要なんだ。
 小諸駅に向かって駆け下りる。遠くに懐中電灯を持った出迎えの方が見える。そこがゴールかと思いラストスパートをかけると、彼は「あと500メートル!間に合うから頑張れ!」と励ましながら併走をはじめる。脚のバネを使って、地面にバンバン着地し、空中を飛ぶ。キロ4分00秒ペース、こんなスピードが体内に宿っていたのだ。絶対にゴールしてやる!ぼくはきっとできる! 「川の道フットレース」という強烈な磁場に組み込まれた劇的なクライマックスに向かって、ぼくは疾走する。
 ところがゴール目前にして強大な国家権力が眼前に立ちはだかった。交差点の信号が赤に変わったのだ。そう、フットレースの絶対的なオキテ「交通ルールは厳正厳粛に守らなくてはならない」のである。制限時間残り5秒でゴール!という感動ドラマを演じる手はずだったぼくと、突然の名コーチに名乗りをあげた見ず知らずの出迎えランナーの方は、2人でおとなしく横断歩道の白線の手前に立ち止まり、赤信号を静かに見つめつづけた。車も人もいない暗い夜道なのに、信号が変わるまでむやみやたらと長かった。
 青信号を待って、再スパートをかけた。結局2分だけ間に合わなかった。265?走って60時間と02分。悔しくもなく、やりきった感もなく、しずかに結果を受け入れる。それが2013年という時の断面に、ぼくが出せたすべてだから。

2013年10月03日

新しく生まれ変わったさらら10月3日号 salala1003 創刊16周年を機に、さららがリニューアルしました! 新たに始まった「みみより10(テン)」では、グルメやビューティ、健康、趣味など、バラエティ豊かな情報を10個お届け。
 10月3日号は「メニューはどうやって決める?」「夫は手伝ってくれる?」といった20・30代主婦に聞く徳島の夜ごはん事情や、、県民のげんかつぎ、ウクレレをひく男性の魅力などをご紹介。

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「さらら」は毎月第1・第3木曜日、徳島新聞朝刊とともにお届けしています。
次回発行は2013年10月17日(木)。お楽しみに!

2013年09月27日

徳島のうまいもん大集合! タウトク10月号 tautoku1310★とくしまグルメまつり 秋の陣
徳島各地のうまいもんが勢ぞろいしたグルメイベントで、お腹も心も満腹に。
★ドリームキャッチャー
オトナのレジャーで、夢とロマンを追う! 競輪、競馬、ボートレース、パチンコ…。オトナたちを夢中にさせる“遊びの世界”へようこそ。
★ハロウィンを10倍楽しむ方法
部屋を可愛く飾り付けして、おもしろ仮装して、カボチャのスイーツを食べて、イベントへ繰り出して…。はじめてのハロウィンを楽しもう。

2013年09月19日

さらら9月19日号は甘い誘惑盛りだくさん! 0919salala 食欲の秋を楽しみたいそこのあなた必見。今回のさららは徳島のスイーツをどどーんとご紹介!新作や限定メニューの情報など、スイーツをめいっぱい楽しみたいそこのあなた、見逃せませんよ!
 そのほか、美味しいだけじゃない麦茶のすごさ、女子必見の生理痛のお悩みを考えるコーナーなど、いろんな情報盛りだくさん。

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「くらしエンタテイメントさらら」は毎月第1・第3木曜日、
徳島新聞朝刊とともにお届けしています。
次回発行は2013年10月3日(木)。お楽しみに!

2013年09月13日

CU10月号 お米が紡ぐ物語と徳島最旬ヘア tokushima-cu1310■日本人でよかったとほっこり思う
ごはんLOVE お米が紡ぐ物語。

お米をとりまく、あらゆるプロをご紹介。美しい棚田を守る農家の方、目利きのいる昔ながらのお米屋さん、お米の良さを引き出す食の敏腕プロデューサーが腕を振るう料理店など。

■徳島人気サロンの最旬ヘア60
私が変わる、運命のヘアサロン

徳島のヘアサロンの最旬秋冬ヘアスタイルを大公開!

■Toretate
とれたての旬アイテムをセレクト。秋コスメ、最旬キッチン雑貨、この秋トレンドの帽子、ファッションの参考になるDVDや隠れた名作の感動DVD5選など。


■楽しくお得に結婚準備!ブライダルクーポン&フェア情報
ウエディング関連のショップで使えるお得なクーポン券をゲットしよう。ブライダルフェア情報も満載!

徳島人10月号、発売中! 1310tokushimajin■店によってこんなに違う最安値を覆面大調査!
ビール、食パン、カレー粉、洗剤、シャンプー、おむつ・・・
食料はじめ生活用品の売り値を毎日しつこく調べてみた
■徳島は不便じゃ!言いたい放題
なんか香川や高知にも負けとう気がする昨今です
過疎地トクシマもういやじゃ!
■あのカリスマホストは徳島出身だった!
新宿歌舞伎町に輝く美しき流れ星〜美柳霧斗〜

2013年09月06日

結婚しちゃお!夏号 実売部数報告13夏号_結婚しちゃお!部数報告書.pdf

結婚しちゃお!夏号 実売部数報告です。
結婚しちゃお!夏号の売部数は、505部でした。
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メディコムでは、自社制作している
「月刊タウン情報トクシマ」「月刊タウン情報CU」「徳島人」「結婚しちゃお!」「徳島の家」の実売部数を発表しております。
月刊タウン情報CU8月号 実売部数報告1308_CU部数報告.pdf

月刊タウン情報CU8月号 実売部数報告です。
CU8月号の売部数は、4,637部でした。
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長らく雑誌の実売部数はシークレットとされてきました。雑誌は、その収益の多くを広告料収入に頼っているためです。実際の販売部数と大きくかけ離れ、数倍にも水増しされた「発行部数」を元に、広告料収入を得てきた経緯があります。
メディコムでは、その悪習を否定し、「月刊タウン情報トクシマ」「月刊タウン情報CU」「徳島人」「結婚しちゃお!」「徳島の家」の実売部数を創刊号以来、発表しつづけています。
産直市で売れている美味しいものをさらら9月5日号でチェック! salala0905 新学期も始まった9月。雨のあとの涼しさに何だか秋を感じるこの頃。秋といえば…そう、食欲の秋!ということで「とくしま産直ヒットグルメ」をご紹介。旬の野菜からおいしいお惣菜まで幅広くご紹介。食べてみたいと思ったあなた、今すぐ産直へGO!
 月1回のおでかけ企画「ぐるっと徳島」は那賀町をフィーチャー。地元の美味しいお店や、お祭りをピックアップ!

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「くらしエンタテイメントさらら」は毎月第1・第3木曜日、徳島新聞朝刊とともにお届けしています。
次回発行は2013年9月19日(木)。お楽しみに!
徳島人8月号 実売部数報告1308_徳島人部数報告.pdf

徳島人8月号 実売部数報告です。
徳島人8月号の売部数は、3,977部でした。
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「月刊タウン情報トクシマ」「月刊タウン情報CU」「徳島人」「結婚しちゃお!」「徳島の家」の実売部数を発表しております。
月刊タウン情報トクシマ8月号 実売部数報告1308_タウトク部数報告.pdf

月刊タウン情報トクシマ8月号 実売部数報告です。
タウトク8月号の売部数は、6,402部でした。
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雑誌の実売部数を発行号ごとに速報として発表している出版社は、当社以外では日本には一社もありません。実売部数は、シェア占有率を算出し、媒体影響力をはかるうえで最も重要な数値です。他の一般的な業界と同様に、出版をなりわいとする業界でも正確な情報開示がなされるような動きがあるべきだと考えています。わたしたちの取り組みは小さな一歩ですが、いつかスタンダードなものになると信じています。

2013年08月28日

清らかな湧水とうまいごはんを求めてどこまでも。タウトク9月号 1309tautoku★徳島の名水をめぐる
徳島は清らかな水の都。おいしい水を求めて旅にでよう。
★とくしまオトナの食堂
こじゃれ系の洋食店や地元民に愛されるコテコテ大衆食堂、おいしくてボリュームがあって…。行きつけにしたい約30のお店が大集合。
★徳島水着美人
小松海岸で見つけた水着美女たち。太陽のように明るい笑顔と美しいスタイルに胸キュン。

2013年08月22日

バカロードその58 川の道に戻る
文=坂東良晃(タウトク編集人、1967年生まれ。1987年アフリカ大陸を徒歩で横断、2011年北米大陸をマラソンで横断。世界6大陸横断をめざしてバカ道をゆく)

 「川の道フットレース」は特別な場所だ。520キロをワンステージで走りきる長大な道のりが生みだす物語は、ある種の哀愁を伴って胸に淡い痛みをもたらす。選手たちも、選手をサポートするスタッフも、ただならぬ思いを秘めてこのレースに参加している。人生を懸けてとか、勝負レースだとか、そういう大げさなものではなくて、静かな波打ち際から水平線に浮かぶ貿易船を眺めるような、茫洋とした感慨が胸に溢れている。
毎年、4月最終日から5月5日まで6日間かけて行われる「川の道フットレース」。東京湾岸の葛西臨海公園を出発点に、埼玉県を秩父山中へと横断し、長野県の八ヶ岳連峰の山麓を駆け抜け、残雪も残る豪雪地帯の中越地方を経て、新潟市の「ホンマ健康ランド」をゴールとする制限時間132時間の国内最長のワンステージレースである。
 「川の道」の名は、主催者である舘山誠さんがかつて荒川河口から源流域まで走り旅をした際に、荒川がついえる峠の頂から遙か日本海へと連なる千曲川の美しい流れを目にした事に由来する。荒川〜千曲川〜信濃川という大河を結んで太平洋岸から日本海までを自分の足で走り抜く、そのロマンを実現したのが「川の道フットレース」なのだ。
 2005年、4名のランナーによって物語の扉は開けられた。ジャーニーランのパイオニアであり伝説的なランナーであった故・原健次さん、走る落語家あるいは喋るランナー三遊亭楽松さん、幾度もこの大会を制したミスター川の道・篠山慎二さん、そして主催者である舘山誠さんの4人が道を切り開いた。それから9年目を経て、今年は「フル」と呼ばれる520キロに70人、「前半ハーフ」265キロに29人、「後半ハーフ」255キロに42人がエントリーした。総計141人参加という大所帯のレースへと成長した。
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 ぼくは3年前に520キロに挑戦し、制限時間の1分前にゴールを果たすという奇跡を起こした。2日目からずっと全ランナーの最後尾、ダントツのビリを走りつづけた。足の遅さをカバーするために仮眠所での睡眠を削り、1日平均睡眠1時間という無謀の果てに手にしたゴールだった。
 風船のようにパンパンに浮腫んだ足の裏は、一歩ごとにぐにゅぐにゅした物を踏んづけて走るような嫌な感覚。四十を過ぎた大のオッサンが「もう嫌だ、痛い、つらい」と人目をはばからず涙を幾度も流した。現実と夢の区別がつかなくなり、4日目の夜、自分の氏名を思い出せなくなった時には戦慄に震えた。
 それでも絶対にゴールまで行くのだ、という一念は最後まで折れることなく、仮眠所ごとに設定された関門時間に遅れそうになる度に炎の猛スパートを何度も繰り返した。132時間走り続けたあとは、「極限まで力を出し切った」という満足感が強烈に残った。
 いつか大きな病に倒れたり、突然の厄難に見舞われたりして、あと5分で自分の命がこと切れるとわかったら、ぼくはきっと「川の道」のことを思い出す。それほど深いクサビを心に打ち込まれた。
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 今年、ぼくは「前半ハーフ」265キロにエントリーした。本来は「フル」を走るべきなんだが・・・3年前の怖さがまだ拭い去れない。臆病風に吹かれたのだ。
 言いわけめいた理由はある。昨年あたりから原因不明の体調不良に見まわれ、内臓の痛みや極度の疲労からまともに走れる状態でなくなっていた。3月にその原因の一端と思われる大腸の病変が発見され、4月にサクッと切除した。初期の大腸がんってヤツである。腫瘍を切り取った後の大腸の内壁をクリップと言われるホッチキスみたいな針でパッチンパッチン留められてはいるが、手術後はずいぶん体調が良くなった。気のせいなんだろうけど。
 今年の「川の道」は復帰戦なのである。ふたたび超長距離フットレースの世界に舞い戻るために。練習量、体調ともにベストにはほど遠いけれど、長距離フットレースは「今持っているものを総動員して走る」のが基本なんだ。年齢も、障害も、病気も、運動能力も、人それぞれが持つバックグラウンドをマイナスと捉えずに、ただひたすらゆっくりと走り続けるという行為に昇華できるか。完走の成否と、レースの価値はその一点にかかっている。
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 大会前日は、東京都内で宿泊した。神田界隈に宿を探すと御茶ノ水駅近くによい宿があった。オフィス街と神田川に挟まれた閑静な場所かと思いきや、4月に開業したばかりの「御茶ノ水ソラシティ」と「神田淡路町ワテラス」の至近にあって、両スペースが賑やかな音楽イベントなぞを催しており、お祭り騒ぎな空気に包まれていた。
 東京に泊まるときは神田周辺が定番だ。神田界隈は、単純無類なぼくの趣味趣向を満足させるお店がずらりと並んでいる。三省堂を街のヘソに抱く神田神保町の大型書店は新刊のディスプレイひとつとっても書店員のプロフェッショナルを感じさせる。直射日光のあたらない靖国通りの南面には専門性の高い古本・古書店が軒を連ねる。ネットでも入手困難な地図専門店があれば、地方出版物専門書店もある。
 一方、裏道に入れば吉本興業の「神保町花月」があり、若手芸人を中心とした実験的な芝居の公演が毎日組まれている。
 駿河台交差点を隔てて神田小川町にはアウトドアブランドの旗艦店はじめ国内の主要登山・アウトドア専門店が最新アイテムを並べる。少し離れるがプロレス・格闘技の聖地である「後楽園ホール」や、ランナーの聖地である皇居内堀通りは歩いていける距離にある。オタクカルチャーの聖地・秋葉原も目の前だ。つまり神田って場所は、いろんな聖地に囲まれまくり、なんである。
 だが、何をさておき神田に宿をとる最大の理由は、「たいやき神田達磨」という鯛焼き屋さんの存在である。看板メニュー「羽根付き鯛焼き」は鯛焼きの四方に長方形状にバリを残して焼き上げられる。そのバリがクッキーそのものの甘カリッさで鯛焼きの概念を打ち壊している。さらに行列のお客の情況に応じて仕上げ量を調整しているため、作り置きがない。鯛焼き一枚だけの注文だとしても、必ず焼き上がり直後を入手できる。
 しかし鯛焼きひとつ食べたいがために、わざわざ近隣に宿泊する必要などあるだろうか。節度ある大人の判断としてはNGだろう。だがせっかく東京まで出かけたからには2度、3度と焼きたての「羽根付き鯛焼き」を食したいのだ。近場に宿を取れば、外出・小用のたびに調達できるというメリットがある。
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 さて、大会前日は日本橋富沢町で行われた説明会に参加し、夕方4時すぎに終了。地下鉄一本で5時には宿に戻れる。翌朝9時のスタート時刻に間に合うギリギリ寸前まで眠れるだけ眠るという方針だ。レース前夜、最低でも12時間以上眠るのである。レースが始まれば、3日間ほぼ睡眠なしで走り続けなくてはならない。寝だめは必須なのだ。
 帰り道、「たいやき神田達磨」にて本日3度目の鯛焼きを購入し、ホテルに戻って熱々のお風呂につかり身体をあたため、たらふくのご飯(おむすび4個とカップ麺とお総菜2パック、そして鯛焼き2尾)を食い、アサヒスーパードライを1缶飲み、念のため睡眠導入剤まで服用してベッドにもぐり込む。
ところがどうしたものか、目も脳もギラギラと冴え渡り、眠りに入る予兆もない。寝返りを右に左に百回、掛け布団を掛けたり外したり、目を閉じても開いても胸の鼓動は高鳴るばかり。「川の道」への異常なる愛情から、不安と恍惚が交互に押し寄せ、アドレナリンがドクドク溢れる。
 暗闇にマナコを開けているのも退屈で、枕元に置いていた百田尚樹のスポ根青春小説「ボックス!」を読めば興奮に助長。そして一睡もできないままに、窓のカーテンには白々と夜明けのしるしが刻まれた。やばい、やばいよ、こりゃ!
バカロードその56 冒険心朽ちた中高年男としてのあてどなき走り旅について
文=坂東良晃(タウトク編集人、1967年生まれ。1987年アフリカ大陸を徒歩で横断、2011年北米大陸をマラソンで横断。世界6大陸横断をめざしてバカ道をゆく)

 休みを見つけると、ときどき遠くまで走ってみる。
 いちおうゴール地点は決めておいて、途中の行程はなりゆきまかせ。ルートの下調べはテキトーに、曲がり角にさしかかれば道路標識の矢印を気の向くままに選び、日が落ちて程よい頃に宿に出くわせば飛びこみで泊まり、なければ野宿する。
 ゴールは200キロ先だったり300キロ先だったり。一日に80キロくらい移動するから、休みの日数をかけ算して、自宅から同心円を地図に描けば、ゴール地点の候補が見つかる。小さくてもいいから温泉宿か、もしくはスーパー銭湯のある街を選ぶ。戦い終えたジャニーランナーの異臭は、一般人の鼻孔をツンと刺激するはずだから。
 荷物はなるべく少なめに・・・というかほとんど持たない。わが国では、必要なものは、必要なときに、いずこでも購入できる。よほどの山奥に分け入らないかぎり。
 初日に着るシャツは捨てる前提。二日目以降は、百均ショップで売ってる安シャツに着替えながら進めば洗濯の手間がかからない。ただでさえ狭苦しいわが家の押し入れスペースを圧迫しているのは、マラソン大会の参加賞でいただく新品のTシャツ段ボール箱3個分、軽く100枚以上。これを消費するチャンスである。どう考えてもダサすぎて二回とは着ないと思われるブツを選びに選び抜く。毛書体で「○○マラソン大会」とものすごく大きくプリントされた1枚に目が止まる。これしかない。
 シャツと同様、ベロベロに伸びきりながらも捨てられなかった靴下のつま先をハサミで切り落とし、使い捨てアームカバーとして用いる。こいつも汗が乾いて臭くなったらゴミ箱にポイしてやればいいのだ。
 てな感じの着こなしをしている事実を忘れ、通りがかった商店街のショーウインドーを、ランニングフォームを確認すべくチラ見すれば、超ダサいマラソンシャツにくたびれた靴下を腕に巻き、防寒用のボロタオルを頬っかむりしたコントの泥棒のようなオッサンがガラスに映っている。なんたるファッションセンスか。
 そして結局は、ダサシャツも穴あき靴下もなんとなく捨てるに忍びず、こまめに石けんで手洗いし、最終日まで着続けたあげく、捨てることなく自宅まで着て帰る。「断捨離」が一世風靡する消費社会には、まったく適合できない古い世代である。
 着の身着のままなれど、夜間照明用のヘッドランプとホタル(赤く点滅するやつ)と反射板だけは持っている。これはジャーニーランナーの義務ですね。持ってるのはそれだけかな。あ、あとクレジットカードとゆうちょカードも。ゆうちょカード、ド田舎ではアメックスのブラックカードより威力を発揮します。
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 走って旅に出るのはGWや盆休み、大晦日前や正月明けが定番。4日、5日と走ってすごす時間はひたすら冗長。民家の影もない林道とか、観光地どころかお地蔵さんすら現れない田舎の酷道とか。俗世を離れ、もたらされた思索の時を利用して、人生の価値を問い直したり、素晴らしいビジネスのアイデアを閃かせることはない。(なんかたいくつ〜。何か事件でも起こってよ〜)とオネエ的にくねくねしてる時間帯が長い。1日に12時間も走っていると「飽きた」と考えることにも飽きて、無の状態に近づく。良くいえば禅の境地である無念無想、実際は脳みそ空白パッパラパー。
 ヒマに耐えきれず、文庫本を読みながら走ってみたりもするが、物語に夢中になると崖から足を踏み外しそうになる。危険だからおすすめしない。

 ふだんから、身に降りかかる悪い出来事は他人のせいにし、責任は部下に押しつけ、イライラして物にあたるなど短気なタチなのに、よくもまあ何百キロもとろとろと走るなんて気長なことやってるよな、と感心する。学校の授業中10分と席に着いてられないガラ悪のニイチャンが、パチンコ屋なら1日じゅう狭苦しいビニル張りイスに座ってられるのと同じ肉体感覚かな。
 今からの季節、年末年始ジャーニーランはタフさを要求される。単純に寒いですからね。
 峠道にさしかかると、たいてい吹雪かれる。登山靴ならまだしもメッシュ素材のランニングシューズで雪道を走るのは地獄。しじゅう氷水に足先をひたしてるような責め苦が1日つづく。どんなに寒くても、自販機のひとつでも出くわせばホットコーヒーをカイロ代わりに耐え忍べるが、そこは峠道という場所柄、自販機などあるはずもない。降り止まぬ牡丹雪を見上げながら、お堂の軒先にあぐらをかいて、凍傷寸前の足指をもみもみ血流をうながす。
 夜、気温5度を下回ると、野宿しても眠れっこないから、一晩じゅう走りつづける。
 山村にさしかかると、民家の窓のカーテン越しにオレンジ色の温かな照明具の光が透け、テレビのバラエティ番組の効果音の笑い声が漏れる。ガラス一枚向こうには一家団欒のぬくもりがある。こういうシチュエーションが、真冬の走り旅では最も心をゆさぶられる場面である。旅立ちの頃のハイテンションはすでに過去のもの。一刻も早くこの旅を終え、熱い湯船に身を横たえ鼻先まで浸かりたい。ふかふかの布団にもぐりこんだまま、撮りだめしたサイエンス番組や借りてきたハリウッド映画のDVDを観たい。素粒子物理学者がついに解き明かしたという宇宙誕生の瞬間や、アメリカ合衆国を中心に人類が滅亡していく様子を、ぬくぬくと寝ころんで見物するのだ。そんな夢想とも幻覚ともつかないゆるさへの渇望にとらわれる。
 指の10本の爪、凍えて割れそうだ。浸みだしたシャツの汗がバリバリと背中にへばりつく。白い息を蒸気機関車のようにたなびかせる。自動車一台通らない峠道に赤ホタルを点滅させ、下界の暮らしを恋い焦がれる。
 こんな風に朝まで走りつづけることもあれば、運よく宿に出くわす夜もある。
 闇夜の奥に、ホテルの小さな看板の白い灯火がチラチラ揺れる。これは幻か狐火かと疑いながらも、淡い期待に胸躍らせる。
 それが例え1泊1500円のドミトリー部屋でも、湿ったせんべい布団一枚、ナイロン畳の木賃宿でも、朝までご宿泊2980円の壁の染みが幽霊に似たラブホテルでも、屋根があって熱いシャワーが浴びられる家屋であるなら、しあわせこのうえない。
 なんせ比較対象が野宿とか徹夜ランである。吹きすさぶ寒風にさらされることなく、幅狭のバス停ベンチから寝ぼけて転落する心配もない人家の布団で、両の手足を伸ばして眠れるなんて貴族階級待遇でしょ。
 そういや最近、格安で泊まれる宿を見つけ、玄関で旅装をときながら「こんな所に安宿あったんですね」とか「貧乏宿はありがたいもんですね」なんて持ち上げてると、「うちはゲストハウスですよ」と釘を刺された。かつては北海道や沖縄、さらに東京・大阪のドヤ街にしかなかった1泊1000円台の安宿だが、知らぬ間に「ゲストハウス」と名称を変え、全国いたる所、ロードサイドや路地裏に誕生している。多くは20代や30代の若者が経営者や管理人を務め、インテリアはリサイクル家具や貝殻アートやエスニック柄のファブリックでオシャレっぽくしている。ゴミの分別には超厳しくて、夜ごとプチパーティーや週末バーなどもありーので、流行りのシェアハウス的なノリで盛り上がっている。日本経済を末端で支える中高年男としては、そんな若者たちのノリに適合できるはずもなく、寂しい思いをするばかりだが、孤独に耐えきる覚悟さえあれば快適に過ごせなくはない。
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 さて中高年男よ、せっかくの連休をつぶし、いろんな切なさや孤独を乗り越えてまで何で走ろうとするんだろうかね。
 強迫観念かな。まとまった休みに、アウトレットパークでタイムセール品を買い漁ったり、テーマパークで着ぐるみキャラとダンスしたり、デパ地下でスイーツ食べ歩いたり、心豊かに過ごすことが怖いんだろうね。すり減った感が欲しいんだ。何かをやったんだって証を得るために、自分を削り取っていく自傷行為をしたいんだ。SM女王様に猿ぐつわされないと満たされない男が、女子大生キャバ嬢と低俗なシモネタトークしてもつまらないのと同じ精神感覚かな。だいぶ病んどりますな。仏門に入る日も近し。
バカロードその57 努力と結果は結びつきませんよ
文=坂東良晃(タウトク編集人、1967年生まれ。1987年アフリカ大陸を徒歩で横断、2011年北米大陸をマラソンで横断。世界6大陸横断をめざしてバカ道をゆく)

最近の若いキャツらはマニュアルがないと何ひとつ行動できんねー!と居酒屋でクダまいておしぼりで脇の下を拭いてるオヤジ世代の一味でありながら、わが走りはトンと自己主張に欠けている。
 体重1キロ痩せたらフルが3分速くなると聞けば絶食に挑み、かんじんのレースで枯渇。本番3日前から炭水化物を大量に採るべしと過剰にバカ食いして大会当日腹をこわす。
「BORN TO RUN」を真に受けてアスファルトの上を裸足ランして足底筋を痛め治療に半年。人間機関車ザトペックが400メートル×100本インターバルやってたと聞きつければサルマネをして無理がたたり会社を休む。エルドレット高原のケニア人たちは子どもの頃からつま先着地だとの科学者の分析を受け入れバレリーナのごとくつま先で駆け、いいやジャーニーランナーたるものズリ足走法が関節を守るすべだとのベテラン氏の矯正によりカカト足着地に再改良。大会前日のQちゃんマラソン講座で「うで振りをしっかりと!」とアドバイスされたら「ハイッ!」と元気に返事して筋肉痛になるくらい腕を振り、そんなに腕を振ってるとエネルギーロスがひどいよと先輩ランナーに諭され二の腕をピタリと静止する。
 他人の意見にすべて同調し、結果なーんにも身につかないまま中途半端なフォームでぎこちなく走る。
 山と田んぼしかないド田舎で育った四十路男。青春時代の情報源といえば、本屋さんに並ぶ雑誌「ポパイ」に「ホッドトックプレス」に「宝島」。洋モノカルチャー輸入・移植の全盛時代の末期であり、典型的なマニュアル追従の世代なのである。こんなブランド着たらモテモテだよねか、こんなスポーツカー乗ったら女が食いつくゼとか、他人が考えてくれた路線に乗っかって生きていくことを心地よく感じる性分はオッサンになっても治らず、リディアード教本から増田明美の恋愛小説までランニング関連書籍を100冊以上読破するが、モテ男マニュアルが現実社会では役に立たないのと同じく、いっぱい読書したからって脚が速くなるわけもない。
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 100キロレースに過去20回ほど出て、潰れずゴールまで走りきれたのは1回こっきり。潰れ率95%のハイアベレージである。
 フルマラソンだと、一流ランナーでも「35キロの壁」が克服すべきポイントとされ、調子よく走ってた選手がボロボロに崩れていく姿が、テレビ中継では視聴者の情緒を刺激する。35キロでダメになったら残り7キロってほんとに長く感じるよね。でも、まあ7キロだから辛くても1時間がまんすりゃいい。
 それに比べてウルトラマラソンの「潰れ」はやっかいだ。70キロでアウトになれば残り30キロ、50キロだとあと50キロもヘロヘロしなくちゃいけない。潰れて歩きが入るとキロ10分すら切れなくなり10キロ前進するのに2時間もかかる。散歩中のオバサンが不思議そうな顔でこっちを見ながら追い越していく。もがき苦しんでも1キロごとの距離表示板は見えてこない。暗い気分が増幅し、徐々に気が遠くなってくる。
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 ひとことで「潰れる」と言っても、症状としてはいろいろで原因もまちまちである。
 心肺能力の限界を越え、乳酸処理が間に合わなくなった「もうぜんぜん動けません」枯渇か。
 バテバテ体質がために体重の10%近い水分が流れ落ちてしまった重度脱水症ゾンビか。
 汗かき余波で血糖やら電解質やら失って、脚よ腹よと全身の筋肉が攣りまくって、陸に打ちあがった魚のように道ばたでピクピクしてるヘンなオジサンか。
 数万歩の着地で絹ごし豆腐のように力をなくした筋肉がヒザ関節を支えられずに、カックンカックンと歩むあやつり人形マリオネット状態か。
 胃酸過多だか胃酸ストップだか知らんが胃が暴れはじめて涙目のゲロゲロ。やがて消化管からなんにも吸収できなくなった完全バーンアウト君か。

 いずれにしろ「走りたい」って気力があるにも関わらず、肉体が死びと寸前になった状態を「潰れた」と呼んでいる。
 お金を払った見返りに苦しみや痛みを求めるのは、一般的にはマニアな性癖嗜好の持ち主だとされる。まっとうな社会人たるもの、額に汗して稼いだゼニ使うならば、快楽に変換されないと意味がない。
 それなのにウルトラランナーってやつは、なけなしの貯金から遠征費を5万円も10万円もはたいて、夜も明けぬ午前3時前には起きだしては、汗まみれ血まみれドロまみれに100キロの道のりをゆく。誉められもせず、苦にもされず。首尾よくゴールまでたどりつけたらマシ。たいていは途中でぶっ潰れて、エイドステーションのパイプ椅子の背にグデッともたれかかるか、あるいはブルーシートに大の字グロッキーになって自己存在への大いなる疑問を涌きたたせている。週明け月曜、会社を無理やり休んで、飛行機乗り継いで遠くまでやってきて、オレはいったい何をやっておるのか。こんな所で動けなくなっているブザマなわが身とは何ぞや。
 脳みそは厳しさよりゆるさを求める構造にできていて、一度歩みを止めると元には戻れない。走るのより歩くのが楽、歩くより座るのが楽、座るより寝ころぶのが楽。わざわざ時間と金かけて遠くまで来たんだし、せめて関門に間に合う程度には、と下うつむいて歩く。
 毎度毎度、潰れ状態に陥ってしまうのは、練習不足が原因なんだろうか。「走った距離は裏切らない」って金言は、多くの勤勉なランナーの心の拠り所であるし、やっぱ走行距離が足りないんだろうかね。
 しかしウルトラマラソンにおける練習不足ってどんなんだ。フルマラソンに向けて40キロ走を何本かこなすのは定番メニューだけど、100キロレースの練習に100キロ走をやってる人なんて知らない。こなせても50キロ走とか60キロ走なんだから本番では一発勝負になってしまう。「本番の半分の距離を練習で走れてたら大丈夫」とのありがたい金言もあるが、ボクの場合、練習で50キロ走を楽々こなし万全だと自信を深めていても、本番では必ず潰れる。やっぱ100キロ走りきるには100キロの練習が必要なんだ、きっと。
 このような崇高な結論に至りつつあるボクの横を、レース終盤にも関わらずぺちゃくちゃ余裕でお喋りしながらランナーが追い越していく。こーゆー人に限って「練習なんて特にしてないのよね。レースが練習がわりなのよ」なんてケロッとしている。大会前夜にアルコール・ローディングと称してガバガバ酒を飲んで宴会してる酒豪もおれば、密かにペットボトルにビールやらワインを密造酒よろしく移し替え、レース中に酔っぱらってる人だっている。
 こちとら月間500キロも走って、専門書を100冊も漁り読み、スタート前のウンコのタイミングを見計らって15時間前きっかりにメシ食ったりして超本気の臨戦モードだってのに。これほど気マジメに取り組んでるにも関わらず、「練習なんてしないよ」オジサンたちに笑いながら追い抜かされる屈辱よ。努力なんて、努力なんて・・・何にも報われねーじゃねーかぁぁぁぁ。
 そんな風に身も心もザクザク傷ついたからといって、ウルトラ世界の人びとに慰めてもらおうなんて魂胆は抱くべきではない。さらにひどい仕打ちを食らう可能性がある。女性ランナーなどもってのほかだ。
 「やっぱキツいですよねー。もうボクぜんぜんダメです。つらいですぅ」なんて話しかければ、(ほんとよね。でもここまでよく頑張ったじゃない。もう少しよ。頑張ってるキミ、なかなかステキよ)的な愛あふれる言葉が返ってくるなんて期待してたら大間違い。
 「何言ってんの!レースはここからでしょ!グダクダ弱音吐いてんじゃないわよ!」と一喝され、ぼうぜんと置き去りにされる。特にトレイルの100キロとか、ロードの200キロ以上とか、道のりが険しけりゃ険しいほど、女性ランナーは強くたくましく、弱虫坊やのたわごとなど一顧だにしない。
 巷でブームの熟女といえば、懐が深く、すべてを受け入れてくれる優しさが年下男を夢中にさせてるわけだが、ウルトラ世界の淑女の方々はそうはいかない。痛くても苦しくても歩みを止めず、大地と空の境界線をキリリと睨んで前進する気丈さに溢れている。泣き言なんて受け入れる余地はない。いったい今まで何度、女性ランナーに叱り飛ばされたことか。最近ではクセになって、わざと怒られるよう甘えん坊を装ったりもしている。自分のなかに新種の変態性が芽生えつつある。
 こうやって渋谷系ポップミュージック的甘い甘いカプチーノな雑念にまみれ、自責と悔恨の念に苛まれつつゴールテープを切る。ゴールシーンを撮影してくれるカメラマンが待ち構えてくれているから、少しだけガッツポーズの真似事をする。心がこもってないから拳に力なく、両手をだらしなくあげる。そして今日もまたうまくいかなかったと落ち込みながらソソクサと着替えをし、送迎バスの段差を震えるヒザで登り、職場への言いわけ程度の土産を買ってかの地を後にする。
 「走った距離は裏切らない」は、どうやらウルトラマラソンの世界には通用しない。努力の分量と成果には何の一致も見られない。これは社会の構図と同じ。
 ボクの人生ほどほどにイマイチ、ランニングもやっぱイマイチ。結局、ランナーだろうとサラリーマンだろうと、それを演じてる人物はボクという人間なんだから、びっくりするような結果が飛び出すはずもない。土曜と日曜と月曜をつぶしては、何百キロも遠方の見知らぬ土地までのこのこ出かけ、日々嫌というほど繰り返している失敗やら幻滅を追体験し、「マラソンは人生の縮図である」を実感する。そして火曜日には職場に戻りウルトラマラソンのような制御不能な人生をまたひた走る。どんな練習をしてもうまく走れない。だけど走る。走ってないとダメになりそうだから走っている。