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2009年02月01日

月刊タウン情報CU*1月号 実売部数報告 cu0901_busuu.jpg cu0901_suii.jpg

月刊タウン情報CU*1月号 実売部数報告です。
タウン情報CU*1月号の売部数は、
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「月刊タウン情報CU*」「月刊タウン情報トクシマ」「結婚しちゃお!」
の実売部数を発表しております。
月刊タウン情報トクシマ1月号 実売部数報告 tautoku0901_busuu.jpg tautoku0901_suii.jpg

月刊タウン情報トクシマ1月号 実売部数報告です。
タウン情報トクシマ1月号の売部数は、
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2009年01月29日

熱砂に汗がしゅみこむのだ サハラマラソン参戦4カ月前「追い込みの記録2」
文=坂東良晃(タウトク編集人)

【一人箱根駅伝 140キロ走】
 駅伝とは不思議な存在である。まず、世界のどこでも認められていない日本ローカルの競技方法である。いくつか国際大会が存在するといってもあくまで日本の陸連などが主催する、他国の選手を日本に招聘してのイベントに過ぎない。
 ましてや年始の風物詩とも言える箱根駅伝に至っては全国大会ですらない。関東学連が主催する関東地区の大学生による地域ローカル大会である。だがその大会に賭ける選手・関係者の強烈な思いと情熱が、ふだんスポーツ観戦などしない視聴者や沿道の観客を巻き込み、歓喜の渦を作り上げるのだ。箱根駅伝は敗者の物語である。本人もチームも観客も、誰もが納得する結果を出せる選手はほんの一握りだろう。襷をつなげなかった選手は地に崩れ落ち、シード権を失う原因となった自分を激しく責める。優勝を果たせなかった2位校のアンカーは、詫びの標として両手を合わせてゴールに入る。18〜22歳の今どきの若者が、何と純日本人的な行動を見せるのか。純粋さと、鍛錬と、絶望と。そして再起と。そんな物語を日本人はこよなく愛するのだ。
 去年の正月までは温いコタツに足を突っ込んでボーッと箱根駅伝中継を眺めていたメタボかつアラフォーなぼくが、たまたまランナーのはしくれとなった。もしかしたら自分の脚で、あの箱根路を走ることができたりして・・・なんて思いに取り憑かれた。大手町−箱根間の往路108キロというのもサハラ・トレーニングとしては最適な距離である。これはもうやるしかない。
 東京行きの高速バスを利用し、12月29日早朝6時に浜松町に着く。そこからJR東京駅まで山手線で移動し、箱根駅伝のスタート地点である大手町・読売新聞東京本社前まで10分ほど歩く。まだ完全に夜も明け切らぬ午前7時に出発。左手に高層ビルが林立する丸の内再開発エリア、右手に皇居を望みながら日比谷通りを南下する。帰省シーズンに入った早朝の都心部は人影もまばらで、空気がすがすがしい。小ジャレたカラー煉瓦敷きの歩道は車道2車線分ほどもあり、とても走りやすい。視界には次々と東京の観光名所が現れる。東京駅、日比谷公会堂、内幸町のプリンスホテル、東京タワー、芝増上寺。首を右に左に回しているうちに目まいがしてくるほど。しかし都心部という言葉がイメージさせるハイソサエティな風景は1時間も走るうちに徐々になくなり、庶民的な商店がガード下の軒を連ねる下町的ムードにとってかわる。駅伝中継の名場面でもある蒲田踏切を踏みしめ、川崎との境界である六郷橋の上からは、河川敷の野原にいくつものバラックが建ち並ぶ自由区が見渡せる。ホームレスのおじさんたちがアルミ缶の仕分けと自転車の修理に精を出す。東京丸の内から川崎バラックへと続く道には、人間社会の聖と俗、頂点と底辺が博物館の展示のように示されているのだ。
 鶴見中継所の位置がよくわからないまま横浜駅前に達すれば30キロ地点。80年代の名作映画「夜明けのランナー」は、青年・渡辺徹が東京から横浜までを一晩かけて走るってストーリーだったか。ここはすでに各校のエースが激突する「花の二区」の山場。選手たちは終始トップスピードで駆け抜けている印象が強かったが、権太坂や遊行寺の坂は思いのほか傾斜が強く、またこの坂に終わりはあるのかと切なさが増すほどに長い。こんな過酷な道でエースたちは鍔迫り合いをしているのだ。
 強い浜風が強敵だとされる三区は、湘南海岸と平行する国道134号線を行く平坦路。ふと気がつけば国道わきの防砂林の向こうにたくさんのジョガーの姿が見える。何ごとかと思い海辺に足を向ければ、よく整備されたランニングロードが海岸線に沿ってゆるやかに蛇行し、数百人のジョガーが朝練にいそしんでいるのだ。眼前には陽光を受け眩しくきらめく湘南の海。遠ざかる江ノ島はかすみの彼方、水平線の手前にシャチの背のごとく立つえぼし岩、そして行く手には白富士。まさに永谷園のお茶漬けカードよろしくの東海道五十三次絵巻である。
 当然、口をついて出るのは弥次喜多コンビの膝栗毛の名ゼリフ・・・ではなくサザンオールスターズである。ファーストアルバム「熱い胸さわぎ」から「10ナンバーズ・からっと」「タイニイ・バブルス」「ステレオ太陽族」「NUDE MAN」「綺麗」「人気者でいこう」そして2枚組アルバム「KAMAKURA」へと続く初期サザンの名曲メドレーが脳内ノンストップで流れる。思い出すのは小学・中学・高校時代に、なけなしの小遣いをポケットにしのばせ阿南市役所横のミヤコレコードにLPレコードを買いに出かけた興奮の時だ。マスターCDやダウンロードファイルから違法コピーなどできない牧歌的な時代には、音源を入手するために1カ月の小遣いに匹敵するレコード盤を購入するしかすべはない。払った対価以上に聴き尽くさないともったいないから、レコード盤の溝がすり切れ音が飛びまくるまで何百回となくリプレイした。だから十代の頃に聴いた音楽は身体のすべての細胞まで染み渡り、曲と曲の合間の無音地帯をレコード針がこする音まで記憶している。辻堂、江ノ島、茅ヶ崎、袖ヶ浜・・・地名と風景とサザンが完璧にリンクし、その歌が流れていた時代の青春回想シーンが相まって(その大半は失恋の物語である)、鼻の奥を甘酸っぱくツンと刺激される。まことに悠長な駅伝模倣ランナーである。
 小田原市のメガネスーパー本社前を起点に、いよいよ「山の五区」箱根の登りに突入である。箱根駅伝中もっともドラマチックな場面が生み出される運命の山である。「山の神」と呼ばれた順天大・今井正人が3年続けて逆転劇を演じて見せ、2009年は東洋大の怪物・柏原竜二が今井の記録への挑戦に名乗りを上げた場所である。
 大勢の観光客で賑わう箱根湯本の温泉街を抜けると、坂の傾斜は増し、蛇行する道は妥協なく登りつづける。登山鉄道がスイッチバック方式でしか進めないほどの急傾斜。わかりやすく表現するなら眉山の八万口からの登り坂が15キロ連続しているようなもの。こんな化け物坂を、選手たちはフルスロットルで登り詰めていくのである。テレビ中継の画面からは決して伝わらない極端な傾斜角の険しさを実感できただけでもここまで来た甲斐がある。この五区においてぼくは、「絶対に歩かない」ことを自らに課した。たとえ歩きに等しいスピードまで落ちてしまっても、箱根ランナーの2倍の時間がかかったとしても、やはり走り続けなければ選手の労苦の100分の1もわからない気がするのだ。
 国道1号線の最高地点874メートルの峠を越えると、あとは猛烈な下りに転じる。はるか眼下に芦ノ湖の青い湖面が見える。重いバックパックを背負っているので飛ぶようには走れないが、下り坂は心拍数が上がらないので気持ちよく前進できる。2日後に行われる箱根駅伝を前に、テレビ中継のスタッフが慌ただしく準備に奔走している。彼らに正月はないのだろう。路傍には選手を勇気づける応援のノボリが数百とはためいている。選手より一足先に、その言葉の数々に励まされる役得を享受する。やがて往路のゴールゲートが見える。東京・大手町から108キロ離れた終着地点の眼前には、純白の雪のベールをまとった美しい冬富士が屹立している。ここをゴールと決めていたがもっと走りたい、もっと富士山に近づきたいという欲求を抑えられない。休憩もそこそこに「もっと遠くまで走ってみよう」とバックパックを背負い直す。目的地を定めず、富士の威容がより大きくなる方向へとキックを効かす。峠道をゼエゼエ登り、空中に身体を投げ出すようにスピーディに下り、そしてまたヨタヨタと登る。走る意味を考えながら、自分の行きたい場所はどこかと考えながら、ひたすら走る。
熱砂に汗がしゅみこむのだ サハラマラソン参戦4カ月半前「追い込みの記録1」
文=坂東良晃(タウトク編集人)

(これまで=アフリカ・サハラ砂漠を230キロ走る「世界一過酷なレース」にエントリーしたタウトク編集人。メタボリックかつアラフォーの二重苦をものともせず、ひたすらに走るのだ)
 12月は「もう死ぬー」というくらい自分ってヤツを追い込む、そう決めた。「ここいら辺でちょいと一休みを」と身体が訴えても知らない。ランニング教本に書いてある「適度な休息と回復期を与えることで能力が向上する」との科学的アプローチは完全無視する。
 それくらい追い込まないとサハラに立つ資格を得られないと思う。物事がおもしろいと感じられるかどうかは、1点集中して本気で立ち向かっているかどうかによる。仕事でも道楽でもテキトーに手を抜いて取り組んでも何もおもしろくない。ヒィヒィとノドの奥を鳴らしながら、やれそうにもない事に食らいついていく。そうやってはじめて人生はおもしろみを増していく。

【3日間で2本のフルマラソン】
 12月21日に山口県で行われる防府読売マラソン、その2日後に開かれる兵庫県の加古川マラソンに出場を申し込んだ。中1日をはさんでのフルマラソン2本は、1週間連続で走るサハラマラソンには及ばぬとも、連チャンレースが肉体に与える影響を試すには絶好である。
 防府読売マラソンは実業団の若手選手の試金石といった色合いのある大会。昨年までは制限3時間でファンランナーの出場は望べくもなかったが、今年より4時間に緩和され一般市民ランナーにも間口が広げられた。といってもテレビの生中継が入り、実業団トップクラスの選手が凌ぎを削るという点では、緊張感は失われてはいないだろう。
 冷たい雨が止まぬ曇天のなか会場入りすると、市民マラソンとは別次元の大会であることを実感する。防府市陸上競技場のトラックをウォーミングアップする選手たちのランニングフォームの美しいこと、そして風を切るように走るさま。明らかにキロ3分チョイのペースで走っている。もちろんぼくの全力疾走より早い、早いに決まっとる! 「う、こんな人たちと走るのか。スタート直後に1人置いてけぼりを食らうんちゃうんか」・・・場違いな場所に足を踏み入れた恐怖心か、あるいは極上の美肉を目の前にした高揚感からか(範馬勇次郎が憑依する混乱ぶり)、得体の知れぬ鳥肌を全身におっ立てながらスタート集団の最後尾に並ぶ。
 号砲とともに飛び出せば、かつて経験した事のないハイスピードの群れの中。「行けるところまで行ったる!」とのプランとも言えぬレースプランにしたがいキロ4分45秒平均で進む。10キロを47分、ハーフを1時間44分台で通過。目標である3時間30分切りを充分狙える。けっしてオーバーペースではない。呼吸は深く、グリコーゲンの貯蔵に余裕はあり、気分も平常である。しかしながら12月の雨は体温を著しく下げ、手袋の内側の指先が凍りつくようである。誤って深い水たまりに何度か踏み入れたため、足指先の感覚は痛みからマヒへと移行する。
 30キロ。変化は一瞬のうちにやってきた。予期せぬ客が「来ちゃったの」って感じである。身体のどこにも力が入らない。明瞭であった意識が遠のいていく。自滅の理由は何だろう、と自問自答する。無理なペースではなかった。それなりに自重もしていた。おそらくは悪天時の練習が足りなかったのだろう。雨天練習は欠かさぬもののウインドブレーカーを2重に着こみ、フードを被って、防寒対策をしたうえでだ。レース用の薄いランパン・ランシャツは、ほぼ素っ裸みたいなものである。水しぶきと横風を受けながら2時間、3時間と走った経験は一度もない。「雨の日もヘッチャラ」との根拠なき自信はもろくも崩れ去り、大後悔へと転じる。濡れ雑巾のように重い身体をズルズルとひきずり、制限時間いっぱいでゴールに入った。3時間59分22秒。自分をまったくコントロールできなかった大失敗レースである。真っ黒にとぐろを巻いた雨雲を背後に従えながら、涙目で防府の街をあとにした。

 翌日は全身に重い疲労感があり、朝起き上がるのに困難を極めた。ハムストリングは悲鳴をあげ、ヒザ関節の軟骨はコラーゲンを失いガリゴリ痛み、足の甲の皮膚の内側には甲殻生物がはいずりまわっているような違和感がある。あと24時間で疲労を除去しなくてはならない。超すっぱい「メダリスト」をガブ飲みし、カロリー補給を促すためにセコイヤチョコレートを10本一気食い。酸味と甘みの波状攻撃を受け、胃腸がもんどりを打つ。   
 加古川マラソン当日は午前4時に目が覚める。1時間ほどしか眠れていないが仕方がない。大会前日はこんなものである。問題は別にある。「今から42キロ走るぞ!」と準備体勢に入ろうとする身体を、脳ミソが拒絶している。体温が上がって来ず、たまらなく寒い。うーマジで寒い。さらにわが脳ミソ君は、なるべく走らなくてすむよう理論武装をはじめる。「無理して走ったらヒザ痛が深刻化するのでは?」「こんな状態で完走できるはずない。加古川までの交通費がムダになるのでは?」「そもそも3日で2レースなんてどんな論理的根拠のあるトレーニングなのですか?」。うむ、それぞれ一理ある。いや、一理などない! などと布団の中で2時間もジタバタ葛藤し、最後は「3日に2本に意味などない! あるわけ
ない! やると決めたからやるだけだ!」と暴力的に結論づけて、布団から這い出す。
 フルマラソンを1回走った程度のダメージでネを上げていては、サハラマラソンなんてとてもじゃない。サハラは連日フルマラソン程度の距離を、気温40度、荷物15キロ、足元は砂という劣悪環境の中で1週間休みなく走り続けるのである。とにかく自分に負けてはいけない。スタートラインに着く前にギブアップしているようでは、単なるヘタレである。
 さあジャージを着ろ!乳首にバンドエイドを貼れ!股間にワセリンを濡れ!と命令を下しながら家を飛び出し、夜も明けぬ真っ暗な松茂とくとくターミナルから高速バスに乗りこんだ。高速舞子で降り、JR神戸線の快速電車に乗り換える。加古川駅前のショッピングセンターでウンコを済ませ、大会が用意した無料シャトルバスに乗り河川敷の会場に向かう。松茂から加古川まで高速バス・電車・ウンコの時間を合算しても2時間足らずで到着。加古川ってこんなご近所だったのか。
 防府読売とは異なり会場は市民マラソン大会らしい華やかな雰囲気。スタートラインから数百メートル続くランナーの集団は独特の高揚感と興奮を放っている。走りはじめたものの、やはり脚は重く、ストライドが伸びない。キロ5分30秒で精いっぱい。ジョグ並みのペースなのに、2キロも進めば息は荒く、アゴの先から汗がしたたり落ちる。さらに10キロ手前でヒザ痛が再燃し、エネルギーが枯渇しはじめる。2日前に使い切ったグリコーゲンは当然補充されていない。だけどあきらめるわけにはいかない。我慢だ、とにかく我慢である。
 15キロ地点で大会サイドが用意した「4時間」のナンバーカードをつけたペースメーカーに追いつかれる。ペースメーカーは50人ほどの大集団を引っ張っている。この集団から落ちないように走り切ればいいのだ、と頭を切り換える。ハーフ通過は1時間58分39秒、ボロボロのタイムである。23キロ地点で無性に尿意をもよおす。枯れたエネルギーを補給しようとスポーツドリンクを必要以上にガブ飲みしたためだ。コースを離れ、用を足す間に1分ロスする。「4時間集団」ははるか前方へと走り去ってしまった。追いかけよう。キロ10秒ずつ詰めれば5キロ程度で追いつけるはずだ。ペースを5分10秒まで上げる。しかし集団は遠い。追いつけるようで追いつけない。追いつきたい、どうしても追いつき、追い越したい。食らいつけ、あきらめるな。33キロの折り返し地点を過ぎると強烈な向かい風に襲われる。残り10キロ、身体の疲労感はすでに抜け、足の痛みを感じなくなっている。今の自分ができるベストをしよう。身体に軽さはない。スピードも目いっぱいだ。しかしこれ以上は走れないなんて思うな。今走らずして、いつ走るというのか。今全力を出さずしていつ出すのか。走りにリズムが出てきた。「飛ぶように走れ」と自分を鼓舞する。前のランナーをどんどん追い越していく。向かい風を気持ちよく後ろに置き去りにする。
 ゴール、3時間57分32秒。自慢できるようなタイムではないけれど、初めて納得いく走りができた。自分で自分を認められる走りとは、タイムではなく、むろん順位でもない。どうしようもなく苦しく、心が折れる寸前という場面で、粘って、粘って、耐えきれたかどうかなんだろう、きっと。
 ・・・とレース後、一瞬の満足感にひたったわけだが、2度のフルを走ってみて長ロング走に耐えられる脚が全然できていないのではないか?という疑念が湧き上がった。練習でいくら50キロを走っても現れない疲労感や痛みが本番のレースでは続々と襲ってくる。やはり、疲れがすっかり抜けきった良いコンディションでいくら距離を稼いでも意味がないのではないかと思う。この2本のレースのダメージが回復しきらないうちに更なるロング走を試みるべきだろう。
 仕事が休みに入る年末まで1週間あったので、その間はハーフのタイムトライアルなどを連日行い、「ヘトヘト」の状態をキープした。食事をなるべく採らず、エネルギーの枯渇状態を維持した。そして、かねてからチャレンジしようと企んでいた「1人箱根駅伝」を実行した。

(つづく)
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2009年01月15日

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2009年01月08日

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2009年01月06日

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2009年01月03日

熱砂に汗がしゅみこむのだ サハラマラソン参戦5カ月前「長い長い季節をどこまでも走ろう」
文=坂東良晃(タウトク編集人)

(前回まで=アフリカ・サハラ砂漠を230キロ走るレース出場を決意したタウトク編集人。古本詰め込んだバックパックを背負って今日も砂浜をひた走る)
 歳をとると1年がアッという間に過ぎ去る・・・と大人は語る。自分が若者と呼ばれる年齢の頃は、その意味がわからなかった。ひと夏ですら永遠のように感じた。地獄と呼ばれる野球部の夏練習がはじまると、心から夏の終わりが近づくことを願ったが、日めくりカレンダーの進行は遅々としていた。夏の盛りはどこまでも右上がりで、太陽は地面に黒々とした影を焼きつけつづる。
 秋の先には冬が訪れ、その向こうに春という節目が設定されていて、自分にとって重要な人が遠くに去ってしまったり、二度と会えなくなるかも知れない。そんな先々のドラマを想像するのは無茶だ!と反論したくなるほど、季節の変化はゆったりとしていた。
 いつから時間の流れに加速がつきはじめたのか。世の中の大半の人と価値観を共有できないと知ってからか。自分の能力を遙かに超えるようなチャレンジをしなくなってからか。何かを成し遂げるために生きているのではなく、生きていくために何をやるか選択するようになったからか。
 三十路に突入すると、「1年はアッという間」をイヤってほど実感する。七草セットがスーパーに並ぶを見て正月の終わりを知り、桜舞う交差点に春のあはれを覚え、お盆には海にクラゲが出るから泳いではいかん!と若者を注意しているうちに、もう大みそか格闘技特番のカード発表なんだもんな。
 今感じている1年という時間を帯グラフ化すれば、中学生の頃の夏休み分くらいの幅しかない。この分じゃあ、かりに平均寿命まで生きたとしても、残り数十年はジェットコースターに乗ってるみたいに猛然とつき進んでしまうのか。
 ・・・そんな思いがカンペキに覆された1年であった。アシックスのランニングシューズを買ってから季節がひとめぐりした。新品シューズの底をドタドタと鳴らし、わが身体は何と重力の影響をモロに受けるのかと絶望した1年前が、まるで5年くらい昔の出来事に思える。

 「走る」ことが目的ではなかったのだ。
 2年前、休暇を利用してヒマラヤ・トレッキングにでかけた。18歳のときにエベレスト・ベースキャンプを旅して以来、20年ぶりのヒマラヤだった。十代の記憶は時を経ても鮮明で、脳内イメージの自分自身・・・つまり身体に余分な脂肪がついてない冒険大好き少年が、飛ぶような勢いで山を駆け上がり、岩場をピョンピョンとトラバースして遊んでいた記憶とのギャップの激しさに打ちひしがれた。
 現実世界にある肉体は、鉄球の足枷をはめられた罪人のごとく重く、標高差わずか数百メートルの峠を越えるのに心拍数はレッドゾーンに達し、汗が暴力的に吹き出す。現地の少年ポーター(荷運び)が50キログラムもある荷物を背負って口笛吹きながらサンダルで歩く背後を、ゼエゼエと青い息をはきながら追いすがる劣等感。縦走がダメならと、手頃な岩を見つけてフリークライミングを試みる。立派なホールドだらけの壁を2メートルも登れずズルズルずり落ちる。厚生労働省が流行らせた例の言葉が耳の奧でこだまする・・・「われメタボリックオヤジかな」。
 心にメラメラと紅蓮の炎が燃える。キスリングに重りを詰め込んで六甲全山を風のように駆け抜けた孤高の登山家・加藤文太郎のように心身を研ぎ澄まし、再アタックしてやる! 薄めの酸素と淡い気圧の高山病アタマで、唇を青黒く腫らしながら、分をわきまえぬ決意をするに至ったのである。
 帰国すると、基礎体力を回復させるために眉山を登りはじめた。1年間に100回以上登頂した(よくも飽きずに!)。やることのひとつにランニングを加えたのが1年前である。朝、眉山まで出かける時間がないときに、どちらかと言えば仕方なくである。あくまで登山のサブ練のつもりであった。
 多くのビギナー・市民ランナーがそうであるように、最初は500メートルも走れなかった。血液は心臓からスムーズにポンピングされず、汗が轟の滝ほどもゴーゴーと流れ落ち、目まいと吐き気と便意が同時に襲ってくる。そんな生理現象にもがき苦しむぼくの横を、熟年ランナーの集団がキャッキャと黄色い声をあげながら駆け抜けていく。明らかに10歳、いや20歳以上は歳上である。圧倒的な力量差だが、不思議と嫌な気分はしない。あんな風に軽々と走れるようになりたいと願い、鈍重な脚に力を込めた。

 走る距離を少しずつ伸ばし、やがて10キロを歩かず走り切れるようになった。タイム計測すると1時間21分かかった。一般的にはものすごくスローなタイムなのだが、まごうことなく全力疾走であった。完走できたのが嬉しく、そしてなんとなく誇らしかった。走り終えた吉野川グラウンドのラグビー場で大の字になり、すがすがしい気分で青空を長い間見ていた。
 秋には、ハーフマラソンの大会に出場した。牟岐町の南阿波サンライン黒潮マラソンだ。ほとんどが登り坂のこのコースで、折り返しを過ぎたあたりで思考は停止し、残り5キロで距離感覚を失った。腕を振り、脚をいくら前に繰り出しても、身体はぜんぜん進まない。ゴール寸前まで70歳台のおじいさんとデッドヒートを繰り広げた。タイムは2時間22分。最後尾に近い位置だが、21キロも続けて走ったわが身を愛おしく思えた。
 初めてのフルマラソンは春の東京・荒川市民マラソン。30キロ過ぎから脚に痙攣が起こり、やがて腰から下全部の筋肉が岩石のように硬直し、包丁を突き立てられるような激痛に襲われた。こんな辛いこと二度としたくないし、早く終わってくれないかな・・・ばかり考えてゴールによろよろたどり着けば5時間25分。さっきまで半泣きだったのに、終わったとたん「これは納得いかない」と自分を許せない気持ちになった。「練習が足りなさすぎる。もっと練習すれば、もっと走れるはずだ」。
 再起戦であるとくしまマラソンはやけに楽しかった。長い間生きてきて、こんなに「人に応援してもらった」のは初めてだ。よほどの人気プロスポーツ選手じゃなければ、ふつうに生きていて全身に声援を浴びる経験なんてめったにない。走っても走ってもその先には沿道の励ましが連なっていた。それまでぼくは「楽しいから走る」という多くの市民ランナーの気持ちがよくわからなかった。マラソンは鍛錬であり、鍛錬というからには苦しみを乗り越えてこそ価値があり、楽しむ余地などありはしないのである。だが、とくしまマラソンは掛け値なく楽しく、42キロが終わりに近づくほどに「もっと続けばいいのに」とさみしい気持ちが加速するのだった。
 この間まで500メートルも続けて走れなかったメタボリックランナーが、100キロという気の遠くなる距離にも挑戦した。初夏の北海道で開かれたサロマ湖100キロウルトラマラソンだ。80キロ関門を越えると同時に心肺・筋肉すべての限界に達してしまい、意識を失ってしまった。よく「ぶっ倒れるまでやってやるぜ」と啖呵を切ることがあるが、本当にのびてしまったのは人生初の経験である。ゴール寸前で無念の涙を飲んだランナーたちを収容した救護バスでは、全員が身体のどこかを押さえ「痛タタタ!」と叫んでいる。ところが次の瞬間には「来年は絶対完走しよう!」と気勢をあげているのだ。ランナーという種族は、どこまでも前向きで明るいのだと知る。

 そんな長い長い、少年時代の夏のような1年がすぎた。レースのたびに失敗し、がっかりしながらも、少しずつ強くなっている。10キロのタイムは初計測の半分にまで縮まり、超長距離の練習をこなしているうちに42.195キロを短いとすら感じるようになった。そしてまだまだ能力の限界にぶつかる瞬間は、だいぶ先にある気がしているのである。
 生活もずいぶん変化した。生活っていうより心境か。限界ギリギリまで心拍数を上げたり、激痛をこらえて脚を引きずり走ったり、緊張のあまり朝まで眠れなかったり。こういうのって何十年も忘れていた感覚だ。野球を必死にやっていた十代の頃、ネクストバッターズサークルでひとり武者震いしてた上ずった興奮と集中。あるいは土埃舞うグラウンドのライトとレフトの間を何十回も、喉から心臓が飛び出しそうなくらい球を追いかけ走りまくったあの頃の「感じ」である。自分の中に、こんな素朴でストレートな緊張感やひたむきさが残っているなんて、驚きだったのだ。
 ときおり飛ぶように走っている、と感じる時がある。周囲から見ればドタバタ走っている鈍重なジョガーなんだろうが、内的感覚ではまさに「羽根が生えて空を飛んでいる」感じ。たぶん10キロのタイムを1分ほど縮める程度の能力アップを果たしたときに、身体が軽くて浮くような感覚・・・恍惚感に近いものを得られるんだろう。
 今は1000メートルのタイムを1秒でも縮めようと、あらゆる努力をしている。そうやって少しずつ自分の限界を超えていって、その先に何が見えるのかを知りたいと欲が出てきた。自己ベストタイムを出せる年齢的なピークは限られているのだろうけど、「ベストラン」は70歳代でも80歳代でもできる。キツいと感じた時に笑えって耐えられる余裕とか、暑い夏も寒い冬もコツコツ鍛錬を積み上げていく辛抱とか、病気になっても折れてしまわない心の強さとか。そういう総合的な人間の厚みをランニングは補強してくれる予感がする。
 強い風に向かい、太陽に焼かれ、雨に打たれて走る。景色が流れていく。空と、雲と、草木と、アルファルトの道路と。
 どこまでも走っていけそうな気がする。もっと実現困難なものにチャレンジしたい、という欲望で心がいっぱいになる。いまの自分ではとてもやれなさそうなモノ、そういう目標が脳裏をかすめると心にボッと火が灯り、やがて自分でも制御できないくらい熱い塊になって吹き上がる。
 そんなこんなで北風に短パンをパタパタ揺らせながら、まだ見ぬサハラ砂漠めざして走り込み中なのだ。

2008年12月26日

タウトク1月号は徳島未体験の最新スポット総まとめ tokusima-tautoku0901★徳島の最新情報がぎゅうぎゅう★
「どっかいい店知らんのん?」、「今から何して遊ぶ〜?」なんてつぶやいている人必見!今月号のタウトクは建設途中から話題沸騰のあの施設、新たなブームの到来させる食べ放題スポット、お一人さま増殖中のハイソな新店カフェまで、最新スポットを徹底リサーチ。これを読めばいつもの口癖とも今日でおさらばです!
★スペシャルふろく 徳島ラーメン団★
超超ちょー保存版!この1冊にうまみが凝縮。徳島のうまいラーメンをひたすら探すのだ!
タウトク1月号特別ふろく「徳島 ラーメン団」誕生! 0901T_ramendan.jpg現在発売中の月刊タウン情報トクシマ1月号には、県内の老舗有名店から新しいお店まで、中華そば・ラーメンをたくさん紹介したスペシャルミニブック「徳島 ラーメン団」がついています。一家に一冊、車に一冊の必携本ですよ!






2008年12月13日

CU1月号の温泉案内で自由気ままに湯めぐりん♪ tokushima-cu0901●日帰り温泉特集●

手足もかじかむ寒〜い季節となりました。そうなると温かいお湯にざぶんと浸かりたくなるというもの。そうだ、温泉に行こう。でも旅行に出かけるほどの時間はないんだよなぁ〜というCU読者のために、今回は徳島県内はもちろん、香川、愛媛、高知、さらには兵庫にまで足を伸ばして、思い立ったらすぐ行ける日帰り湯どころをたっぷり70軒ご紹介!温泉グルメ、見晴らしバツグンの露天風呂、プリンセス気分を盛り上げる姫スパ、エステ、圧巻の温泉建築、癒しの良湯、変りダネ風呂、テーマパークさながらの面白温泉などなど。とにかく語りだしたらキリがないほどどれもこれも魅力的でおすすめなんです!

2008年12月03日

月刊タウン情報CU*11月号 実売部数報告 cu0811_busuu.jpg cu0811_suii.jpg

月刊タウン情報CU*11月号 実売部数報告です。
タウン情報CU*11月号の売部数は、
7054部でした。
詳しくは、上部に表記してある画像をクリックしてください。
メディコムでは、自社制作している
「月刊タウン情報CU*」「月刊タウン情報トクシマ」「結婚しちゃお!」
の実売部数を発表しております。
月刊タウン情報トクシマ11月号 実売部数報告 tautoku0811_busuu.jpg

月刊タウン情報トクシマ11月号 実売部数報告です。
タウン情報トクシマ11月号の売部数は、
8282部でした。
詳しくは、上部に表記してある画像をクリックしてください。
メディコムでは、自社制作している
「月刊タウン情報トクシマ」「月刊タウン情報CU*」「結婚しちゃお!」
の実売部数を発表しております。

2008年11月29日

月刊タウン情報トクシマ12月号は宴会御用達のふろく本付き! utagebon忘年会の季節がやってきました。
店探し、予約はなかなか大変ですよね。
そこで月刊タウン情報トクシマ12月号には
特別ふろくとして「徳島宴本」がついています!
徳島の人気店のイチオシ料理やお店の雰囲気が
一目瞭然で分かるこのふろく本。
忘年会はもちろん新年会までずっと使える充実した内容です。

2008年11月27日

徳島のうまいもん100メニュー発表!タウトク12月号 tokusima-tautoku0812★今年見つけた徳島のベスト・オブうまいもん★
この1年タウトク編集部が徳島じゅうを歩き、ありがたく食したお店はざっと2000軒。ハンバーグや天津飯、ぶっかけうどんやシュークリームなど美味しかったものをあげればキリがない。悩みに悩みぬいてタウトク編集部が「こりゃウマイ!」と太鼓判を押した100のメニューを紹介します。あ〜、思い出したらまた食べたくなってキター!
★特別ふろく誘って誘われ忘年会・徳島宴本★
宴会のお店選びはコレ一冊でOK!宴会を盛り上げる技やグルメクーポンなど幹事さん必携の便利本。

2008年11月26日

熱砂に汗がしゅみこむのだ サハラマラソン参戦6カ月前「くたばるまで走ろう!」
文=坂東良晃(タウトク編集人)

(前回まで=砂漠を230キロ走るサハラマラソン出場を決意したタウトク編集人は、大会説明書を取り寄せ熟読、レースの過酷さにびびりまくる。しかしやるしかないのだ!とデカ荷物背負って砂浜を走りはじめた)
 バックパックにセットした重量を、8kgから1kgずつ増やしていく。1kgずつの重量調整が難しい。ビニル袋に米をつめこんだり、バーベルを放り込んでみたが背中でゴロゴロと動き、落ち着きが悪い。目についた物をあれこれヘルスメーターで計るうち、「図説世界の歴史(創元社刊)」シリーズが1冊あたり1kg弱だと判明。うむ、これを1巻からじょじょに積み増していけばよいのか。人類の誕生から文明の衝突まで、世界の歴史を知的に時にシニカルに見つめたこの名著を背に、人類発祥の地アフリカを目指すわけである。
 10月に入ると重しは12kgを超えた。登山の荷物としては軽々の部類だが、走るとなると上下動がそのまま縦方向の負荷となる。このワッサワッサ状態で5時間、10時間と砂漠を走り続けるのは困難だ。ランニングフォーム自体を見直さなくちゃいけない。試行錯誤をへて最も単純なアイデアに行き着いた。忍者のようにサッサッサッとスリ足気味に、水平方向に身体を移動するような意識で脚を運んでみる。加重のベクトルを、縦方向から前方向へ変えてやるのである。うん、これはサロマ湖で見た熟練のウルトラマラソンランナーの走り方だ。このフォームをサハラ1.0型と呼ぶことにしよう。
 練習を開始した9月頃のように、100歩進んではゼイゼイあえぎ、1000歩前進してゲロゲロレベルは克服した。それでも10キロも走れば息も絶え絶えだ。マジで230キロも走れる日が来るのだろうか? 
 ランニングフォーム以上に気になるのがご近所の視線だ。平日の朝から大きな荷物を背負い、あらぬ方向へと小走りで駆けてゆく奇異な男を、ご近所の方々はどのような思いで見つめているのか。その外見、アスリートにはほど遠く、しょぼくれたメタボおやじ風情である。やがて2時間ほど経つと、生気のない表情でオエーッとえずきながら帰ってくる。「毎日荷物をかついだあやしい人が近所をウロウロしています、バラバラ死体を少しずつ海に捨てているのでは・・・」などと110番に通報されはしまいか。

 荷物をかつぐ「重量対策」と平行し、週末には「長距離対策」に取り組みはじめた。7日間続けて毎日フルマラソン程度の距離を走るサハラマラソンに適応するため、50〜100キロの長距離を余裕で走りきる脚力と心肺能力を身につける修行である。
 まずは50キロからはじめる。50キロといってもどこまで行けば50キロなんだろう? とりあえず遠くまで行ってみるかと、JR徳島駅から適当に汽車に乗り、降り立った駅から走ることを思い立つ。なぜそのような「片道走行」をするのか。家から出発して25キロ地点で折り返して帰ってくる往復コースを何度が走ろうとしたのだが、どうも自分にゆるい性格が災いして完走できない。20キロ地点で「今日はフルの距離を走るんでええか」と考えたり、10キロ地点で「今日はうんこまけそうだから帰ろうか」とか、何かと理由をつけて距離を短くしてしまう。片道コースなら、しかも最初から遠くまで行ってしまえば走って帰るしかないのだから、完走せざるを得ない。
 汽車の出発時間も調べずに徳島駅に出かけたので、待ち時間が長い。ヒマをもてあまし「JR時刻表」を眺めていると、おおっ駅名の横に「営業キロ」という数字が並んでいるではないか。徳島駅を起点とした線路の延伸距離である。ならば、鉄道とほぼ平行して走る国道なら、この距離と変わりがないだろう。徳島線で西へゆくなら貞光駅、牟岐線で南に向かうなら日和佐駅がほぼ50キロ地点にあたる。また高徳線で北上する方法もある。ってなことで、3連チャンで国道50キロ走をやってみた。

【JR貞光駅→徳島駅/50キロ】
 国道192号線を東へ向かうコース。大型トラックはじめ交通量が多く、歩道が激狭なとこも多くてランニングには向いていない。きっと国道を離れて吉野川の堤防上をコース取りすれば壮快なんだろう。今度やってみよっと。良い点であり同時に難点なのは、この国道沿い、自販機がめったやたらに多い。水分枯渇した状態で、コカコーラやダイドーのロゴが目に入ると、全身の毛が総立ちになる。が、欲に負けてはならない。これは砂漠耐久レースの練習なのである。脱水症状への耐性を身につけなくちゃいけないわけで、ブルブル禁断症状出しながら自販機をやりすごす。そんなときは、プラスティック・オノ・バンドの「冷たい七面鳥」を歌う。

【JR讃岐津田駅→徳島駅/50キロ】
 讃岐津田から徳島方面へ向けて走りだすと、謎の数字が書かれた黄色いプラスチック性の物体が道ばたに連続して現れる。しばらくして気づくのだが、100メートルおきに徳島市への距離表示がなされているのだ。いや、こんな遠く離れた街からごくろうさまです。ラップタイムを取るのに非常に便利です。香川県内を20キロ走ると徳島との県境に達し、そこからは青い瀬戸内海を眺めながらの長〜い海沿いのシーサイトアベニュー。北灘のこのあたりは自転車のロードレーサーや長距離ランナーの練習場所になっているのか、何十人ものアスリートとすれ違う。うーむ、徳島に長いこと住んでいても知らない事って多いな。それにしても、北灘って1コの市町村くらい広大ですよね。

【JR日和佐駅→徳島駅/50キロ】
 「道の駅日和佐」から国道55号線を北上する。くねくねアップダウンの峠道を20キロばかし進むと、橘町以降は市街地に。この地域・・・県南の人はやたらと話しかけてくる。「どこいっきょん?」「あれまーどしたん」「これ飲みだ〜、食べだ〜」と忙しい。子供はへんてこランナーの姿を肴に「どこいっきょんな、おっちゃーん! オッサーン!」などと下品に盛り上がっているし、野良犬は(多分ぼくが荷物を持っているという理由だけで)3キロも後をついてくるし、もはやフンイキ的に日本じゃないですね。県南はラテンです、いやインドです。で、ペースを上げることができないまま日はとっぷりと暮れ、眉山の灯火を案内にゴールを目指すのである。
 それぞれのコースおもしろかったのだが、やっぱ国道はマラソン練習には向いてないね。そもそも日本の道は、歩行者や自転車のためには造られてないから、自動車との距離が近すぎて危ない。風圧直撃、タイヤが跳ねたドロ水直撃である。来月からは走りやすい田舎道を探そう。

【とくしまマラソンコース/42.195キロ】
 バックパック8kg+アミノバリュー2000mlを背負って「とくしまマラソン」のコースを走ってみた。鷲の門までバイクで行き、数寄屋橋の隣にあるキレイめの公衆トイレで用を足し準備完了。吉野川堤防上の道路は歩道がないうえに背丈の高い雑草が生い茂っており、走るスペースなし。ジョガーが1人いるだけで車が対向できずノロノロ運転、渋滞の元。ランニングするなら、北岸だと堤防と平行した下の道、南岸なら堤防上に交通量ほぼゼロの道がある。そこなら自動車を気にしないでいい。西条大橋を越えると、アスファルト上に小さく「折り返し」の標しがペイントされているので見逃さずにUターン。
 さてゴールは、感動のとくしまマラソン再現とばかりに田宮の陸上競技場内にさっそうと踊りこみたい所だが、トラックを走ると100円いるそうなので、正門玄関の前でフィニッシュってことにしよう。ここから鷲の門までは3キロほど距離があるが、しんどいときは徳島市営バスの「田宮運動公園口」から循環路線・右回りのバスを待てばよい。200円でスタート地点まで運んでくれる。下車停留所は「中徳島町二」か「公園前」だ。バスは休日の昼なら30分置きにやってくる。なかなか便利である。

 このように週末ごとに汽車やバスに乗って遠方へ出かけ、トコトコと帰ってくる習慣がついた。9月頃は50キロという距離を前にすると気が遠くなっていたが、今では「ちょっと長め」にしか感じなくなってきた。これは基礎体力がついたのか、あるいは鈍感になったのか。
 慣れというのは怖い。「追い込み」のつもりで練習してるのに、途中でウトウトと眠ってしまう。走りながら寝るクセは危険だってわかってるんだけど、入眠する魔の刻は自分では気づけないのである。車のクラクションなどの大きな物音で「わーっ」と目が覚めて、走りながら爆睡していた事実にア然としているのだ。これは一種の病気なのだろうか。病気なんだとしたら何科の先生に見てもらったらいいのだろう。茂木健一郎さんかな、茂木さんは医者ちゃうか・・・。本番の砂漠レースの途中で眠ってしまい道にはぐれて遭難しないだろうか、心配だ。
 そんなこんなで、どうも自分を追い込めてない印象の10月を過ごす。想像するにサハラマラソンってのは走力・体力の戦いというより、精神力のタフさがポイントなんである。喉も皮膚もカラカラに乾いて、空腹の五臓六腑を慰めながら、ズルむけになった足裏と荷物が食い込んだ肩に激痛を走らせながら、どこまで心折れないかの勝負なのだ。だから月間何百キロ走ったという走行距離に意味があるのではなくて、今の自分が到達していないレベルの苦しい練習を、逃げたい気持ちを抑えて、身体と心にストレス与えて無理させられるか、なんだと思う。
 特訓はじめて早くも慣れが生じてダレダレになっている。これではイカン!ってことで、曽田正人の漫画を続けざまに読む。「シャカリキ!」「め組の大吾」「昴」「capeta」。ううぬ、これでイメトレ完了、精神力充填完了である。漫画の主人公たちのように限界を突き破るのである。遠くにある何かの目標に向けて頑張るのではない。今という瞬間に、自分の出せる限界以上の力を、リミッター振り切って出せているかどうか。人生の価値はそこにあり、それを確かめるためのサハラなんである。
 もっと追い込もう。心拍数の上限いっぱいで走るのは本番マラソンレースがいい。11月、12月にフルマラソンのレースに4本エントリーした。さらに100キロ走を何本か入れる。くたばるまで走ろう! 脚がイッてもたらハイそれまでよ! (つづく)

2008年11月25日

CU12月号特別ふろく Xmaxs(クリスマックス) xmaxs現在発売中の月刊タウン情報CU*12月号は
クリスマスを大特集した、ふろく本つきです!

お買い物やお出かけ、パーティなど、
これからの季節、さまざまなシーンで
大活躍するミニブックになってます!