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2008年08月11日

究極の一皿もキレイの情報もCU9月号で全部丸分かり! tokushima-cu0809.jpg今回の特集は「わが店、渾身の一皿」。フレンチ、イタリアン、和食に中華…。さまざまなお店の26の一皿と26の料理人を紹介。ジャンルは違えど、料理に対する真剣な思いはみな同じ。店主の、この一皿を作りあげるまでの苦労や、一皿に込めるあつい魂。出来上がるまでの苦労があるからこそ、この究極の一皿が出来上がるんですね〜。そんな隠されたストーリーを知れば、格別の味わいになること間違いなし!さぁ、CU9月号でお店の最高傑作をさがしましょ〜!

2008年08月07日

月刊タウン情報CU*7月号 実売部数報告 cu0807_busuu.jpg cu0807_suii.jpg

月刊タウン情報CU*7月号 実売部数報告です。
タウン情報CU*7月号の売部数は、
5693部でした。
詳しくは、上部に表記してある画像をクリックしてください。
メディコムでは、自社制作している
「月刊タウン情報CU*」「月刊タウン情報トクシマ」「結婚しちゃお!」
の実売部数を発表しております。
月刊タウン情報トクシマ7月号 実売部数報告 tautoku0807_busuu.jpg tautoku0807_suii.jpg

月刊タウン情報トクシマ7月号 実売部数報告です。
タウン情報トクシマ7月号の売部数は、
9904部でした。
詳しくは、上部に表記してある画像をクリックしてください。
メディコムでは、自社制作している
「月刊タウン情報トクシマ」「月刊タウン情報CU*」「結婚しちゃお!」
の実売部数を発表しております。

2008年08月06日

2008年07月28日

結婚しちゃお!秋号 発売中! kekkon0808徳島で大好きな彼との結婚準備を
この1冊でも〜っと楽しく!

地元徳島のウエディング情報が満載の
結婚しちゃお!秋号が7月26日に発売されました。

結婚式場をはじめ、衣裳店、写真館、
ジュエリー、ブライダルエージェント、
2次会・パーティ会場など
徳島のウエディング情報満載です。

2008年07月26日

タウトク8月号を片手に、徳島を遊びつくそう! tokusima-tautoku0808☆徳島最強あそびまくり特集☆
キャンプ場や温泉、ラフティングなど県内のレジャースポットをどどーんと紹介。この一冊があれば「夏休みどこに出かけよう…」なんて悩む必要はありません!今年の夏は徳島で思いっきり遊び倒そう。

☆「阿波おどり最強ガイド」と、史上最強の夏休み計画「夏本」☆
今回はなんと特別ふろく付き。観光ガイドには載っていない地元民のみぞ知る楽しみ方が詰まった永久保存版の一冊。夜みんなで騒げる店、グルメやおしゃれの情報はもちろん、有名店から革命店まで揃う徳島のラーメン特集もあるので、県外の人にもオススメ!

2008年07月24日

全部の細胞よ、力をくれ! 〜サロマ湖100キロウルトラマラソン〜
文=坂東良晃(タウトク編集人)

 すでに50キロを刻んでいた。
 フルマラソン以上の距離を走るのは初めてだ。身体に異常はない。いや、ないわけではない。脚、背中、首、腕・・・ひととおり痛みが巡回し、全身が痛い。揺れつづけている内臓まで痛い。
 「ウルトラマラソンは、痛みがある状態が平常だと思え」という先達の言葉を、繰り返し唱える。ボロボロになってからが始まりだとあらかじめ覚悟してある。だからどのような痛みも苦にはならない。
 問題は体調ではない。レースの設計ミスをやらかしてしまったのだ。ぼくは前半の50キロを、ある言葉をつぶやきながら走った。
「絶対に本気にならない、レースは55キロから、本気を出すのは70キロから」。
 心拍数をあげず、イーブンペースで関門をクリアしていけばよいと。
 マラソンランナーたちは、意外にこの「本気にならない」ことが難しいと知っている。走っているうちにどうしようもなく気持ちよくなってくる瞬間がある。身体が軽く、足がどんどん前に進む。もしかしたら今日は絶好調かもしれない。あんなに努力したんだから相当な実力が自分にはついたのだろう。そして知らず知らずのうちにトップスピードに達している。だがその至福の時は長くは続かない。2時間後には疲労困憊・ガス欠という巨大なツケがやってくるのだ。
 長いレースを走り切るには自制心が必要である。そのために用意した言葉が、「絶対に本気にならない」であった。しかし過ぎたるは及ばざるがごとしである。念仏のように「本気を出すな」とつぶやいているいちに、自己暗示にかかってしまい、あろうことか走りながら居眠りをしてしまったのである。20キロを過ぎて、気がつくと30キロ地点に達していた。途中の記憶はところどころあるのだが、意識上では一瞬であった。ノンレム睡眠状態でウトウトしながら10キロを走ったのだ。もちろんタイムを激しく落とした。
 昨晩、一睡もしなかったのが悪因である。緊張のためではない。スタート地点に向かうバスの出発時間が午前3時。ふだんはこの時間まで起きているから、寝ようとしても眠れない。そのままスタートを迎え、居眠り走という醜態をさらした。
 アホな判断をもつひとつ。スタート地点で最後尾をあえて選んだのである。2000人を越すこのウルトラランナーたちのなかで、自分は最も経験の浅い、鍛えこまれていないランナーだ。ドンケツからのスタートこそ自分の実力にふさわしい、と。
 スタートの号砲が鳴ってから、最後尾のぼくがスタートラインを越えるまでに2分30秒もの時間がかかった。「2分30秒もの」と、その時は考えなかった。13時間にもおよぶ長丁場のレースである。2分少々の誤差は何でもない・・・こんな大甘な考えが、後々どれほどの後悔を招いたか、その時点では知る由もなかった。

 50キロまでは順調だと思えた。50キロの時間制限も楽々越えることができた。けっこう簡単なんじゃないか、自分も今日からウルトラランナーの仲間入りかよ〜、と気分をよくするほどであった。
 ところがそこから地獄が待っていた。事前に大会パンフレットを読むだけではわからなかった「関門」というハードルである。
 50キロから60キロ=1時間05分
 60キロから70キロ=1時間10分
 70キロから80キロ=1時間15分
 それぞれの距離を、この時間でクリアしていかなければならない。
 ちょっと説明しておくと、10キロを1時間で走ることは、ふだんなら何ということもないのである。ゆっくりと会話しながら走れるスピードだ。レース前、ぼくはそういう意識でしか、この時間設定を見ていなかったのである。しかし50キロを走り終えた「痛みがある状態が平常」な身体には、生半可ではないタイムであるってことに、今ごろ気づいたのである。
 イーブンペースが保てない。
 歩幅が伸びない。
 前傾姿勢がとれない。
 タイムを維持するために必死になる。
 必死になると心拍数があがり、息が荒れる。
 疲労感が急速に増す。

 60キロ。関門の7分前にようやく飛び込む。ひと息つく暇はない。10キロ先の関門閉鎖の時間が迫ってくる。

 走る。
 走る。
 走る。

 息を喘がせ、5センチでも先にと脚を前に送る。だんだんと景色が目に入らなくなってくる。他のランナーたちと交わす言葉もなくなる。
 「明鏡止水」とは正反対の、雑念に心が支配される。レースの後半で、何でこんなスピードマッチのようなハメに陥ってるのだ? スタートラインまでの2分30秒を無駄にしなけりゃよかった。応援の人と会話したりして余裕を見せたっけ。ああ、あの時間を取り戻したい。
 徳島からわざわざ北海道の端っこまでやってきて、完走しなくちゃ何の意味があるっていうのか。この1年、毎朝10キロ走り、週末には20キロ、30キロを踏んだ。大雨に打たれ、向かい風に抑えつけられ、ギラギラ太陽に焼かれても、脚を壊しながら走ってきたではないか。動物性脂肪の食物を断ち、大好きなアイスクリームも食べず、しまりなく太った身体から脂肪分だけで17キロ落とし、マラソンの関連書物を20冊読破した。
 すべてこのサロマ湖の、この100キロレースのためじゃないか。

 70キロ。
 制限時間の2分前に飛び込む。
 1キロごとにタイム管理しなくては、とうてい間に合わなくなってきた。1キロを7分で走る。7分で押していかなければ、次の関門に間に合わない。ふだんなら口笛吹きながらでも走れるスピードなのに、今は必死の形相、一瞬でも心が折れるとアウトだ。
 痛みには負けない。しかし、心肺機能の能力以上のペースで30キロを押していくのは厳しい。レースを止めようなどとはまったく思わないが、「この1キロはすこしペースを落としてもいいんじゃない?」という甘いささやきが聞こえる。そのたびに、自分で自分を鼓舞する。「負けてどうする。今、ペースを落としたらレースを捨てるようなものだ。全力で走れば関門には間に合うじゃないか」

 走る。あえぐ。
 あえぐ。走る。
 走る。あえぐ。

 まるで短距離レースを競っている感じ。この苦行があと何時間つづくのか?
 周囲のランナーたちのペースも落ちている。ある人は脚が痙攣し1歩も進めなくなっている。別のランナーは関門通過をあきらめたかのように道ばたに座り込み、ぼう然とサロマの景色を眺めている。こんなに鍛えた人たちだって苦しいんだ。70キロ走って、まだ全力で走れる自分はたいしたもんじゃないかと、わが身をなぐさるてもやる。
 80キロの関門はスタートからちょうど10時間で閉鎖される。残り2キロ地点で、関門の1分前にクリアできることがわかる。
 大丈夫だ。このペースさえ崩さなければ、手を抜きさえしなければ、80キロを越えられる。80キロの関門を過ぎれば、ひと息つける。80キロから100キロまでは3時間もの時間設定がされている。どんな不格好でも80キロのラインを越せば、完走のお墨付きをもらえるに等しいのだ。
 関門を越えたら5分だけ休憩しよう。連続30キロも全力疾走したのだから、5分くらい身体にご褒美をやってもいい。給水所に用意された冷えたスイカやオレンジをゆっくり食べよう。高校生ボランティアの励ましの声を全身に浴びよう。そしてエネルギーを蓄えたら、またゴールを目指そう。
 とにかくもう大丈夫だ、間に合う。
 残り1キロ。どこまでも続く直線の広い道なのに、関門が見えてこない。おかしいな、と思う。距離表示がおかしいのかな。しかしこの大会は伝統的な大会だし、距離を間違えたりはしないだろう。あと1キロを7分でカバーすればいいのだ。この苦しさをあと7分だけ我慢すればいい。
 コースは広い直線道を折れ、ふいに蛇行した山道に入った。
 そして、それは目の前に突然現れた。想像を超える傾斜の登りの坂道である。
 「うそだろ?」である。この25キロというもの完全に平坦な道だったのである。関門まで1分という計算は、道がフラットであることを前提としていた。こんな登り坂があるなんて、冗談だろ?
 残り何百メートルあるかも定かではないが、登り坂用の自重した走りをしていては間に合わない。そのままのスピードでつっこむ。
 息が続かない。いや続かないでは困る。足も手も、自分のものではないくらいに動かす。今つぶれて一生後悔するくらいなら、このあとどうなってもいいから走りきってやる。身体じゅうの細胞という細胞すべてに残っている力があるなら、少しずつでもいいからエネルギーをくれ! 残りカスもないほどに真っ白に燃えてくれ! 何でもいい、あるものを全部出しきってでも走り続けろ!
 周囲に何があるか、よく見えなくなってきた。
 ただ登り坂があり、ただ走る。
 視界の奧に、黄色い人工物が現れる。黄色い大型時計が刻々と秒数を刻んでいる。
 関門だ、関門があった。
 大勢の人が声も枯れんと叫ぶ。あと1分ですよ!間に合いますよ! そうだ、間に合うのだ。苦しさに妥協してはいけないのだ。力を抜けば、心が折れたら、間に合わないのだ。

 関門を越える。残り38秒。
 直後に黒と黄色の工事用のポールが80キロラインの上に渡される。ああ、関門ってこうやって閉じられるんだな、初めて見た。ポールの向こうで間に合わなかったランナーたちが精根尽きたようにしゃがみこむ。
 道の横にブルーシートがタタミ3畳分ほど引かれている。
 そうだ、ここで5分間休むんだっけ。自分でそう決めたんだから、休んでいいんだっけ。
 ブルーシートに腰を下ろす。そして仰向けに寝ころぶ。

 幾十にも重なる緑の木々が風に揺れる。
 こずえと葉が当たるざわめきが耳に心地良い。
 美しい色彩をほどこした小鳥たちが、何十羽と舞い飛ぶ。
 熱された全身にそよ風がサラサラと触れ、癒してくれる。
 柔らかな羽毛布団のような布地に身体じゅうがつつまれる。
 気持ちいいなあ。
 本当に気持ちいい。

 こんな気分に今までなったことあったっけ。これは普通の気持ちよさの度合いを越してる。快楽?快感? どんな言葉でも言い表せない。ああ、この状態がずっと続けばいいのに・・・。
 突然「大丈夫ですか!? 大丈夫ですか!?」という男性の声、右腕をつかんで揺り動かされる。
 「あっ、眠りこんでしまっていたのか」と目を覚ます。いったい何分間、寝てしまったのだろう。腕のストップウォッチを見ると、関門通過から5分が経っている。走らなくちゃ。もうゆっくり走っても100キロ完走は確実なんだから。そう思い、立ち上がって、走り始める。
 ん? 真っすぐ進まないぞ。アレ、アレ? これヤバイな。大阪国際女子マラソンの福士選手のラストみたいになってる。走るとコケるな。今まで1度も歩かなかったけど、ここまで来たらいいや。早足で歩いてでもゴールを目指そう。
 歩く。
 アレ? やっぱり真っすぐ歩けない。限界越えちまったのか? 確か5分前まで猛スピードで走っていたのに、この激変ぶりは何?
 それから1時間以上、歩いたり、走ったり、座り込んだり、寝ころんだり、ふたたび歩いたりした。しかし、身体の中から湧きだしてくるべきエネルギーが、何も出てこない。「枯渇」という言葉以外に表しようのない状態なのだ。
 天国のように美しい原生花園のお花畑、その向こうで夕陽を受けて目映いほどに光るオホーツクの海、北海道にしか存在し得ないと思わせる空色の絵の具を塗りたくったような青空。そして、ゴールを目指して走り去るランナーたちの「シャッシャッシャッ」という耳慣れた靴底の音。

 80キロ通過タイム9時間59分22秒。
 リタイア地点、はっきりせず。
 ぼくのレースは終わった。

            □

 80キロの関門前後のことを思い出そうとすると、何やらオレンジ色のフィルターがかかったような映像しか頭に浮かばない。ところが通過後ブルーシートに腰を下ろしてからの異様な情景は鮮明である。もし「あの世の入口」があるとしたら、あんな感じなんだろうか。ほんならあれば臨死体験ってヤツ? んなワケないか。
 今となっては「大丈夫ですか!?」と揺すり起こしてくれた男性も、実際に存在したかどうか確信を持てない。どこまでが夢で、どこからが現実なのか、境界があいまいだ。

            □

 人生、悔しいことはいくらでもある。しかし100キロを走りきれなかった悔しさは、身もだえするほどである。この失敗は、世の中のせいにも、身の上のせいにもできない。相手が強すぎたなんて言い訳もない。ケアレスミスも「勝負は時の運」もない。自分の能力不足、練習不足。それしか理由がないのだから。
 もう一度、もう一回チャレンジしたい。
 1日に100回くらい、頭の中で繰り返す。
 アーッ、もう一回走りたい!

2008年07月11日

CU8月号片手に夏を大満喫。今回のCU8月号は… tokushima-cu0808.jpg特集 ☆女ゴコロときめき料理ベストテン☆
この時期にしか食べられない!この時期だからこそ美味しい!そんな料理をジャンル別にランキング形式で大紹介〜♪
●シャッキリ夏野菜●パッションスイーツ●スタミナにんにく料理●さっぱり日本そば●冷製パスタ●タレがからまるうなぎ●スパイスたっぷりカレー●旬の夏魚●南国料理●肉汁あふれる焼肉
夏バテなんてしてるヒマなんてないほどどれも魅力的☆☆☆

2008年07月07日

雑誌をつくろう その11「若者が嫌いダーッ!」
文=坂東良晃(タウトク編集人)

 若者が嫌いだ!
 もう一度叫ぼう。若者が嫌いダーッ!
 ソクラテスの時代から、オッサンは今どきの若者が嫌いって決まっているのダーッ!
 皆さんは若者が好きだろうか。ぼくは本当に大嫌いです。前途ある若者をバックアップしてやるのが大人の務め・・・だなんて心の底から思っている人なんているのだろうか。「若者には無限の可能性がある」とか「若者には夢がある」とか取りあえず言っておかないと若者ウケしないから、世のオッサンどもは朝礼や会議やミーティングで、さかんに若者を持ち上げてみせる。
しかし、一転居酒屋の掘りごたつに足を下ろせば、逆の論調に変化するわけである。
「最近のクソガキは世の中ナメきっとんなー」
「腹が痛けりゃ病欠、頭痛がしたら病欠、心がしくしく痛んだら病欠、どんだけ貧弱う〜」
「会社辞めるという連絡を親にさせる。子離れできない親もホイホイ子供の言うこと聞く」
「研修してもらって当然という顔。課題を出せば泣きが入る。誤認逮捕で留置所に入れられたような絶望的な表情をしやがる」
 こんなしごく真っ当な本音を隠して、職場では若者に理解のあるオッサンを演じる・・・涙ぐましい努力に頭が下がる。
 
 ぼくの部下は全員が若い。平均年齢24歳くらい。今スタッフは50人チョイいる。春には10人も入社してきたからまた増えた。ぼくはこいつらのことが嫌いだ。
「社員のことを嫌いなんて言っていいの?」との心温かなご心配は無用だ。「ぼくはなるべく嘘をつかない」「ぼくはたいていのことは内緒にできない」と部下に宣言してあるので、好きでもないものを好きというのは約束違反になる。嫌いなんだから、素直に嫌いと言ってよいのだ。
 若者の何が嫌いか? そのすべてが嫌いだと言ってよい。
 若いというだけの理由で、自分には何か特別な才がある、と根拠なく考えているゴウ慢さが嫌いだ。
 仲間うちで「かわいー」「かわいー」と誉めあって、得意気になっている顔が嫌いだ。
 何かというとケータイを取り出して、誰かにメールを送ろうとするのが嫌いだ。
 お肉とジャンクフードばっかり食っているから、おならが臭いのが嫌だ。
 肩からブラヒモ、背中からパンツを見せて、エロカワとか言ってはしゃいでる女どもが嫌いだ。
 ふだんおとなしいのに、酒を飲んだら急に勇ましくなって職場改善とか言いだすヤツが嫌いだ。
 親に生活費を見てもらっているのに、自立しているかのごとき言動をするのが嫌いだ。
 恋愛をつかさどる脳みそがモンスター級に肥大しているのが嫌だ。
 高価な革のコートやブーツをはいて、地球環境とかの心配をしてるのが嫌いだ。
 自らの労働に、法定最低賃金以上の価値があると信じているのが嫌だ。
 たいして可愛くもないのに、自分はそれなりのポジションにいると信じているのが嫌いだ。
 「お金がない」といつも言っている割に、自分の食いたい物や着たい服にはバンバン金をかけるのが嫌いだ。
 なにかちょっとある度にブログやミクシィに書き込むのが嫌いだ。
 誰にも怒られたことがない、誰にもビンタを張られたことがない、ぬくぬくした生い立ちが嫌いだ。

 春という季節が嫌いだ。春には大学を卒業したてのトンデモナイ野郎どもがやってくるからだ。。
 今どきの22歳は、苦労の「く」の字も知らないのが大半を占める。採用面接で「今までで一番苦労した話してみて」とリクエストすると、「大学祭の準備で徹夜が続いたけど、それを克服して、無事お好み焼き店を出せた」みたいな話ばかりだ。
あるいは「サークルで仲間の意見が合わなかったんだけど、何度も話し合って無事ひとつになれた」みたいな。ほれって苦労話でなくて、楽しく退屈な青春ストーリーだろ。
 自己紹介なんて聞いてしまった日には、金太郎飴がメビウスの輪と化したくらいの無限連鎖が続くのである。
「私は他人とコミュニケーションをとるのが得意です」
「私はたくさんの人と出会いたいです。そして出会った人とのキズナを大切にします」
「今まで築いてきた大切な人とのネットワークを・・・」
 コラーッ!10人中10人が同じこと言うなーっ! オメエら、面接会場に来る前にガストかどこかで打ち合わせしてきたんかーっ?とぼくは暴発寸前に至る。
 なぜ全員が同じ言葉を発するのか。その理由がわからない。一番売れてる面接マニュアル本にそう書いてあるのか。学校の進路指導説明会で就活担当の先生がそう言えとアドバイスするのか。それとも流行りの商業的ミュージシャンが語る愛だキズナだ出会いだ、というセリフを真に受けているのか。全国の大学が「コミュニケーション学科」みたいな謎めいた学科をポコポコ造り出したからか。そーいや、異文化コミュニケーションで名を馳せた語学学校は破綻したか。
 とにもかくにも他人様との過度なコミュニケーションを信奉する全体主義者の党員たちが、どこか知らぬ草むらの奧の工場で大量生産されているような不気味さが背筋に走る。どんな社会でも、それがたとえ理想郷だとしても、意見の一致を見すぎている人間集団は不気味であり危険だ。

 当社には、二十一世紀型の暴君が次々と現れる。入社1週間目にしてこんなリクエストをしてきたヤツがいる。
「私は他人に叱られて伸びるタイプではなく、誉められると伸びるんですね。昔から○○ちゃんは、誉められたらすごく頑張るよねって皆言ってくれるんです。だから私のいい部分を誉めていただけませんか」と言う。
 そくざに右斜め45度から延髄切りをくらわしてやりたくなるのをグッと堪える。おまえは、小出監督のランニングスクール・小出道場にでも入部して「天才だね」と誉められ続けるがよい!
 ちょっと希望職種を聞いてしまったがために、とんでもない要望を引き出してしまった事もある。
「そうですね〜、私は事業を統括する仕事をしたいと思います。私は他人に命令されるとやる気がなくなりますし、目的もなく何年も下積みをこなすのはムリです。学生時代のアルバイト先でも、○○さんは人の上に立つと能力を発揮するタイプだねって主任に言われましたし」
 チクショウめ、鼻の穴から指つっこんで目の玉ポンッて出してやろうか!と全身をワナワナ震わせながら耐える。おまえは、アントンハイセル事業でも統括して世界の食糧危機を救うがよい!
 先日は、入社1年目の女性社員が暇そうに横綱あられを食べていたので質問してみた。「来週採用試験があるので聞いておきたいんだけど、今どきの新卒学生はどうして皆同じ志望動機を言うの? 君はなぜウチの会社を選んだんだっけ?」。すると、彼女は横綱あられをバリボリしながら明るく述べる。
「今どきの学生さんには本音で語る志望動機なんてないんですよ。私がこの会社に就職したんだって、いつまでもキレいでいたいからって理由ですから。ほら、人前に出ている女性は何歳になっても美しさを保てるって言うじゃないですか。ここの会社は取材とかで人前に出る機会が多いだろうなって想像したんですよね」
 おもしろいギャクを言うなあと感心し顔を見つめたら、どうやら真剣そのものである。クソーッ、お前のそのブ厚いファンデ顔を、大谷晋二郎ばりの顔面ウォッシュ攻撃で拭き取ってやろうか!
 あるいは、企画会議に出席して何のアイデアも出さず、居眠り寸前の新入社員が堂々と見解を述べる。
「こういう会議の場では、もっと意見を言いやすいような雰囲気を作ってほしいんですよね〜。もっと楽しいムード作りをしたら、みんな自由にアイデアを言い合えて、会議が活性化すると思うんですよぉ」
 わかった、今後わが社の会議は、死霊やハゲタカが群れ飛ぶ秘密結社の地下アジトの粛正会議のような雰囲気のなかで行ってやる。

 こんな欲望むきだしの野獣的な連中を、まっとうな社会人に改造するのは至難のわざではないだろうか。何の共通項もないアカの他人が、ある日集まって突然運命共同体になる、それが企業である。特定の思考回路をもって集まる団体・・・宗教法人や政党やNPOやボランティア組織に比べ、営利企業とはほんとマカ不思議な人間集団なのだ。有名企業で給料がいいならその場に集まる理由はわかる。生活の安定であり、企業の看板が自らのアイデンティティの一部となる。しかし我々はその対極みたいなとこにいるしなぁ・・・。そんな不思議ユニットに起こる現象や問題を解決できる処方箋はどこにもない。そして、彼ら以上にバカまる出しで生きてきてしまったぼくは対処のすべを知らない。ただ祈り、ただ怒る。
 さて、こんな連中も夏が過ぎ、落ち葉が道を濡らす頃には、それなりに苦労もし、たどたどしくも社会人敬語を使いはじめ、根回しを知り、そして知らぬ間にぼくよりも全然立派な社会人になっているのである。人間ってやつは、本当にすごいなと思う。

2008年07月04日

月刊タウン情報トクシマ6月号 実売部数報告 tautoku0806_busuu.jpg tautoku0806_suii.jpg

月刊タウン情報トクシマ6月号 実売部数報告です。
タウン情報トクシマ6月号の売部数は、
9266部でした。
詳しくは、上部に表記してある画像をクリックしてください。
メディコムでは、自社制作している
「月刊タウン情報トクシマ」「月刊タウン情報CU*」「結婚しちゃお!」
の実売部数を発表しております。

2008年07月03日

SALALA7月3日号の特集は「新鮮野菜&果物の見分け方」スーパーテクニック! tokushima-salala0703
今回のSALALAの特集は「新鮮野菜&果物の見分け方 スーパーテクニック」です。
あなたは野菜や果物を選ぶとき、
どれがおいしいのかと思ったことはありませんか。
そこで、野菜や果物の見分け方をJAの方や市場の方、野菜ソムリエの方、
はたまた目利き主婦に聞き込みしました!
その聞き取り情報を一挙公開しちゃいます。
月刊タウン情報CU*6月号 実売部数報告 cu0806_busuu.jpg cu0806_suii.jpg

月刊タウン情報CU*6月号 実売部数報告です。
タウン情報CU*6月号の売部数は、
6111部でした。
詳しくは、上部に表記してある画像をクリックしてください。
メディコムでは、自社制作している
「月刊タウン情報CU*」「月刊タウン情報トクシマ」「結婚しちゃお!」
の実売部数を発表しております。

2008年06月27日

タウトク7月号で夏のムードをたっぷり味わおう! tokushima-tautoku0807☆徳島の夏まるあそび大計画☆
花火にBBQ、ひまわり畑や滝めぐりに飛び込み岩…夏の遊びを一挙にラインナップ!この夏をもっと楽しく、さらに刺激的に過ごしたいと思っているアナタは要チェックだ!

☆楽園夏ごはん☆
ぷりっぷりの旬の食材サザエやあわび、ひんやり冷たいジェラードなどなど夏ならではのごちそうを食べにレッツゴー!

2008年06月19日

SALALA6月19日号の特集は「虫の撃退法」 tokushima-salala0619

今回のさららの特集は「虫たちの撃退法」です。
虫に悩まされるこの時期。
寝ているときに「ウィーン」という
誰もが聞いたことのあるあの音が聞こえてきたとき…。
果たしてみんなはどうしているのか?
SALALAで紹介する撃退法でこの夏を乗りきろう!

2008年06月13日

梅雨のジメジメを吹き飛ばせ!月刊タウン情報CU7月号、今回の特集は… tokushima-cu0807◎「おこもり宿・うわさの宿」

佇まいからして雰囲気に浸れる古民家風宿。
1日1組限定で、宿まるごとを貸しきれるコテージ。
田舎暮らしを体験できる農家民宿。
渓流と深い山々に囲まれた隠れ家的宿。

心づくしのお料理と旅先で出会った人たちとの交流は、
私を少しオトナにさせる。
日常とは違う時間を味わいたい女性に向けた、
一度は泊まってみたい宿を集めました。

◎「ワンプレートごはん」

何だかワクワクしてしまうのがワンプレートごはん。
何といっても色んなものをちょっとずつ食べられるのが魅力。
ランチプレートはもちろん、デザートのワンプレートや、
季節のお魚や野菜を使った豪華なワンプレートも!
ステキなワンプレート達に心は完全に小躍り状態。

2008年06月05日

SALALA6月5日号の特集は「鳴門わかめはうまいっ!」。 tokushima-salala0605
今回のSALALAの特集は「鳴門わかめはうまいっ!」。
歯ごたえが良く、何よりおいしい食卓で大活躍の鳴門わかめを徹底解剖します!
鳴門わかめをよりおいしくするためのレシピを紹介する「鳴門わかめレシピ10変化」、
鳴門わかめのおいしさを引き出すツウの食べ方、
など鳴門わかめの魅力を再発見できる特集です!
あなたの鳴門わかめ観が変わるかもしれない!?

2008年06月04日

月刊タウン情報CU*5月号 実売部数報告 cu0805_busuu.jpg cu0805_suii.jpg

月刊タウン情報CU*5月号 実売部数報告です。
タウン情報CU*5月号の売部数は、
5906部でした。
詳しくは、上部に表記してある画像をクリックしてください。
メディコムでは、自社制作している
「月刊タウン情報CU*」「月刊タウン情報トクシマ」「結婚しちゃお!」
の実売部数を発表しております。

2008年05月29日

雑誌をつくろう その10「こんなヤツがいて、タウトクができて」
派手に立ち回るわけでもなく、真面目で、不器用で。
仕事への情熱に溢れ、自分を守ることにハナから興味がない。
そんな本当に強い人が、きっと君の周囲にもいる。

文=坂東良晃(タウトク編集人)

 その男は、前ぶれもなくフラリとやってきた。アルバイトさせてもらえないか?と言う。今、何をしているのかと問うと、「Tシャツを作っています。明治維新の志士をテーマに」と、サンプルを見せる。「ハァ・・・・・」ぼくには意味がわからない。年齢は25歳だという。25にもなる男がアルバイト希望? しかもいい歳をしてTシャツ作り? それをホームページで販売? ぼくは、その呑気な男をぼうぜんと見つめた。
 どうせ、そこいらへんにいるフリーター崩れなのだろう。責任を嫌い、下積みから逃れ、自分の好きなことを好きなようにやって、それを「自由だ」「権利だ」とはき違えている人。出版をしている会社にはそんな人間ばかり面接にやってくる。気楽な商売だと勘違いしているのだ。この男も、そういう連中の一人なのだろう。
 男は少し変わった経歴を持っていた。国立大学の法学部を出、当時としては大手にあたるゲームメーカーの社員となった。国内勤務もそこそこに中国・上海の支社に配属され、上海の街を歩きながらアーケードゲームの基盤やプリクラマシンを納入するためにゲームセンターへ営業をした。そのため北京語をそこそこ使えるようになった。ところが入社2年目には会社の経営が傾きパチンコメーカーに買収された。彼は混乱する会社に嫌気がさし退職した。
 仕事など簡単に見つかると甘く見ていたのだろう。転職を試みたが、うまくいかなかった。うまくいくはずもない。ゲーム会社に在籍はしたが、食いつぶしの効くゲーム開発者でもプログラマでもない文系の大学出。営業経験があるといっても日本国内でのキャリアはゼロ。つまり日本人相手にモノを売ったことがない。企業に対して中途採用を決断させる材料が何もない25歳である。行くあてを失った彼がやってきたのが、このメディコムという会社だ。
 男はやはり気まぐれであった。いったん入社したものの、数カ月後にはクリエイターを養成するスクールに入学したいと言いだした。ぼくは少々ウンザリした。社会の最前線にいったん立ち、いくらでも自分の能力を使える場はあるというのに、「資格取得」やら「勉強のやり直し」という名目で、あっという間に非労働の環境にピットインしてしまう。「逃げる」という行為から目を逸らし、人生に正当性を与えるために東京や大阪に行きたがるヤツらが多すぎる。
 ゼロから物を生み出すのがクリエイターの本質なら、最ももがき苦しむべき産みの葛藤から逃れ、物を売るために他人に頭を下げることを知らず、金銭を失って震えあがる経験もせず、マッキントッシュの画面をチョコチョコといじるだけのクリエイター気取りが多いこと。こいつもそんなヘタレの一人なんだろう、二度と帰ってくることはないのだろう・・・。

 彼が会社を去ったタイミングで、こっちがズブズブと沈みはじめた。
 原因はぼくだ。高くかけられたハシゴに登り、ずいぶん遠くまで見渡せるものだといい気になっていたら、きれいさっぱりとハシゴを外された。そこは寒風吹きすさぶ厳冬期の岩壁のような場所だった。自分のマヌケさを呪った。呪ったところで何ら状況が好転するわけでもない。やることなすこと失敗した。手をつけたものはことごとくうまくいかなかった。30歳少々のぼくが世の中でできることなどたかが知れている。企業における基礎体力(人、金、技術)も何もないのにあっちこっちに出歩き、大きな風呂敷を広げた。契約書を交わしてもいない約束を履行されるものと信じた。そして人を多く雇い、設備投資をした。約束は果たされず、コケた。会社はひん死の状態になった。
 退却できる場所はどこにもなく、自分にできるたった一つのこと・・・雑誌づくりで状況を脱するしかなかった。生き残り、雇った従業員を解雇しないために、雑誌を作る以外に方法がない。ぼくは3カ月間、自室に引きこもり、ほとんど誰とも会話をせず最初のタウトクのコンセプトを書き続けた。A4用紙に100枚。これでアウトなら逃げ場はない。
 壁ぎわに追い詰められた窮鼠の前に、なぜか彼はふたたび現れた。雑誌を創刊するというのに、誌面をレイアウトできる人材はいなかった。わずかな経験者でも必要だった。エディトリアルデザインの経験ゼロの素人でもである。
 初期コンセプトのタウトクは、雑誌の常識を逸脱した工学デザイン的な考え方で誌面を作ろうとした。デザイナーの感性に依った情緒的な誌面レイアウトは行わず、工場にすえられた旋盤機のコントロールパネルのように、目に迷いがなく理路整然とした配置を雑誌誌面でやりたいと。彼はその考え方に共感してくれた。彼は、誌面デザインを「レイアウト」と呼ばず、「誌面設計」と言い換えた。
 雑誌やデザイン世界には、同じ仕事をしていても、相容れない人がいる。まったくもって共感できないのは、「自己表現」とやらのためにこの世界にいる人だ。彼の思考は正反対であった。読者にどう見てもらうか、どう読んでもらえるか。それに興味が集中していた。
  やがて全ページにわたって誌面レイアウトが同じという、狂気じみた雑誌が組み上がっていった。「オシャレ感」のあるデザインを排除し、全誌面を小さな文字で埋め尽くした。
 「読者が情報誌に求めているのは情報そのものだ、だから誌面は文字情報だけあればいい」とぼくは編集スタッフに向かってカラ元気を発した。実際は経験者不在の寄せ集め集団でもって、商売になる雑誌をつくる唯一の方法がそれだけしかなかった。スタッフは、本来は別のプロジェクトを行うために雇った新卒の20歳や22歳の若者たちだ。本を作ったこともなければ、取材や撮影の経験もない。研修している余裕もないから、1日で教えられるだけ教え現場に放り出した。創刊までの数カ月は、狂ったように取材をし、狂ったように本づくりに取りくんだ。事務所の床に段ボールを敷いて寝た。もうこれ以上仕事できないと、皆が泣きわめいた。誰もが、本ができあがるまでどんな物になるのかわからなかった。真っ暗なコールタールの海をバタフライで泳いでいるような、もがき苦しみ方だった。それでも本は仕上がった。
 創刊号は2万部も印刷した。絶対売れると信じていたが、売れなくても徳島の人たちに読んでもらいたかった。この業界にいる古株には「3000部も売れたらいい方」と指摘された。それが現実の数字となるのなら、売れ残りを配って歩こうと考えていた。しかし、結果はよい方に転んだ。発売当日、書店から売り切れ、追加注文の電話が次々とかかってきた。1週間もたたないうちに100店舗以上で売り切れた。実売部数は1万3171部、驚くほど売れた。いったい何が評価されたのか、実はいまだにわかっていない。ただその日、真っ暗闇の世界を脱したのは確かだった。

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 現場復帰とともに彼からはある告知を受けていた。学生時代に左脚の骨にできた腫瘍を切り取り、骨の代用となるつなぎ棒を埋め込んでいるのだと。そして、その腫瘍が肺に転移してしまったのだと。外見からは、そのような重篤な病に蝕まれていることなど微塵も感じなかったが、やがて病状は一進一退を繰り返すようになった。2度にわたって長い入院をし、きつい投薬治療をはじめると頭髪は抜け落ちた。他人に気を遣われるのが嫌だったのか、頭を剃りつるつる坊主にした。以来、坊主アタマは彼のトレードマークとなった。何度入院しても彼はカムバックをし続けた。
 「発症後、平均の余命は5年」だと医者に言われた。しかし発症から5年を過ぎても、最前線でバリバリ働いた。医者も驚嘆するほどの「奇跡的な生存率」に自分が入っていることを自慢した。

 彼が仕上げた仕事を、ぼくはよく否定した。いいものを作ってきても、アラを探して批判する。「これは世に出せるレベルではない」と嫌味たっぷりにこき下ろす。すると彼は一度持ち帰り、次には200%以上のレベルで返してくる。こちらの想像力を上回る結果を出す。ドMなのかもしれない。ドMなのだろう。拒絶されて燃えるタイプなのだ。苦境に立っても前を向いて歩いていける性格なのだ。
 彼は思索家であり、始終難解なロジックを使う。人に考えを説明をしたり説得にかかる時は、そのクセを色濃く出す。禅の開祖が問いかける禅問答か、あるいはソクラテスと弟子プラトンの真理追究の対話か。だが、その言葉には何とも言えないペーソスが溢れ、お笑い哲学者といった風情なのである。時に職業への思いや仕事への情熱が強すぎて、部下がついて来られなくなる場面も多くあった。「雑誌をデザインしたりイラスト描いたりするのが楽しそう」くらいでこの仕事を選ぶ今どきの若者と、仕事に人生を懸けている彼のスタンスの違いは、何万光年もかけ離れて見えた。

 今年1月、再び胸の痛みを訴え、大学病院に行った。帰ってくると表情がなかった。ほんの数日で、これほどまで頬がこけるものかと思うほどやつれていた。肺のレントゲン写真を見せてくれた。真っ黒いネガフィルムのなかに、薄ぼんやりと、ホタルの光のような、タンポポの種子のような腫瘍がいくつも見える。直径30ミリを超えると切開手術が困難と言われる肺ガンだが、彼の肺には30ミリ級の腫瘍がゴロゴロといくつも、いくつもあるのだ。いちばん大きなもので50ミリを超えている。「担当医には生きているのが不思議なくらいと言われました」とテレ笑いをする。ぼくも大げさに笑う。こういうときには笑うしか方法がない。泣くわけにはいかない。「こんな肺して仕事して不死身やなあ〜、ナハハハハ」である。こんな言葉しか出てこない。それがぼくの人間としての限界だ。
 肺と胸膜の間に1リッターもの水がたまり、それが肺や胸部を圧迫し、苦しそうだった。1週間に1度、病院で水抜きをしながら仕事をした。座って作業するのは本当に辛そうに見えたが、「どうせ寝とっても痛いので」と変な言い訳をして仕事を続けた。
 春先には、まだ誰も試したことのない新薬を投与することを考え、再入院の予定を組んでいた。ところが突然「もう治療を受けずに、最後まで働こうと思います」と言いだした。病気のことばかり考えていると本当に気持ちが病人のようになってくる。気持ちが病人になってしまったらダメだ。やりたい仕事のことを考えて、納得いくまで仕事をしたい・・・。コイツ、どれだけ強いんだ?と思う。自分が彼の立場なら、病気からも仕事からもとうの昔に逃げ出している。誰からも同情されるべき立場なんだから、無理して責任を背負いこむような事をしたくない。それがふつうの人間の考え方だ。彼は人間として十分許されてしかるべき弱い部分をまるで出さない。人というものは、こんなにも強くいられるものなのか。
 その後彼は、もういちど病気と戦う道を選んだ。自分の身体はもちろん自分のものだけではない。自分のことを大切に思ってくれている人のためにも入院し、病気と真っ向から対峙する。正しい判断だと思う。

 創刊から今まで5年間・・・1号も欠かすことなく、彼はタウトクのパッケージデザインを続けている。今月号のタウトクの表紙ももちろん彼の仕事だ。病室にマッキントッシュのノートブックを持ち込んで、時に強い抗ガン剤の副作用である吐き気に耐え、腫瘍マーカーの数値やCT画像と睨めっこしながら、彼はタウトクの表紙を作りつづけている。
 こうやって、ぼくたちは必死になって本をつくってきた。そしてこれからも必死に生きていくしかない。

2009年入社、メディコム採用試験のご案内詳細は当ホームページ右列の「リクナビ2009」をご覧下さい。
【採用試験のご案内】
▼リクナビにてエントリー
▼ 規定の応募書類を提出いただきます。
▼ 7/25(金)受付終了
▼ 7/29(火)書類選考合否連絡(メールにて)
▼ 8/8 (金)採用試験(1日で終了します)
       (会場=本社・徳島市中徳島町2-5-2 新聞放送会館6〜7階)

◆お問い合わせ 株式会社メディコム 総務・浦川まで TEL088-625-0911

2008年05月27日

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