徳島で若者を採用するお悩み その4「テキトーな労使関係」

公開日 2006年08月20日

文責=坂東良晃(タウトク編集人)

ひきつづき高校生の採用試験のお話。
高校生たちは、進路指導の先生と面接の練習をだいぶこなしてきてる。面接のしょっぱな、必死で暗記してきた志望動機や自己紹介を、がんばって朗読しようとする。しかし、当社ではそのような必要はない。あらかじめ用意された立派な言葉にはあまり意味がない。前もって練習してきた内容以外の、その人本来の人間性を知りたいとぼくは思っている。だから、想定問答集どおりの質問はほとんどしない。
ちかごろでは、普通科はおろか、商・工・農などの専門課程の高校生も、多くの人が大学や専門学校に進学するようだ。徳島労働局の報告では、平成3年度には1万1634人の高校卒業生のうち、4252人が就職希望していたが、昨年度は8528人の生徒のうち、就職を希望したのはわずか1529人である。たった15年の間に、「はたらきたい高卒者」は3000人近く減ってしまった。
今年、当社を受けてくれた生徒も、普通科の場合、同級生で就職するのはほんの数人だと言う。
学年でたった1人だけという事例もある。これほどまでに高卒就職は敬遠されているのだろうか。就職する高校生も少なくなったうえに、就職してもすぐ辞職してしまうのが常態となっている。この春に就職した人に聞くと、友達20人のうち19人が夏までに会社を辞めてしまったという。正社員に見切りをつけた彼らは、みなアルバイト、パートとして働くか、家事手伝い、無職のまま10代を過ごす。
ある商業科の生徒に「高校に届いた求人票の中からどうやって企業を選んでんの?」と聞くと、こんな返事である。「できたらラクしたい、遊びたい、と思っているので、そういう会社がないか探します。具体的には、夕方にちゃんと終われる会社。残業があると聞かされたら最悪!って話になります。自分の趣味を仕事にしようという子は、私の周りにはほとんどいませんでした。初任給11万円〜15万円の会社が多いんで、バイトしよう方が儲かるでーと思ってしまう。それに職種もほとんどが事務職か販売職か工場勤務なんで、なんかやりたいと思っとっても仕事を選べんっていうんが現実」。話変わって、4年制の大学生の採用試験。年を追うごとに、学生の劣化ぶりが激しくなっている。
まず基礎知識が大きく欠如している。三権分立とは何か、憲法九条の主旨、国連常任理事国名などなど、答えられないのがあたり前。都道府県の県庁所在地すら知らない。知識レベルで評価すれば中学生以下である。これが小中高大16年間のニッポン教育の成果かかと思えば、暗澹たる気持ちになる。
基礎知識だけではない。対話する能力もない。論理的にモノを考えたり、説明する方法を知らない。自我が強いかわりに、独自の人生観、価値観が育っているのかと言えば、そうでもない。どうして○○学部に進んだんですか?というフツーの質問に答えられる人がほとんどいない。趣味は誰もが同じ金太郎飴。音楽、ダンスに映画鑑賞。まったくどいつもこいつも音楽好き。いやいや音楽なんて誰でも聴くだろう。他になんかおもろい話ないのか?

就職活動するにあたって「覚悟」が感じられる高校生。一方で、進学の延長のような感じでフニャフニャと世間に出ようとしている大学生。70人ばかりが集まった入社試験会場を見渡して、つくづく思う。この会場にいるうち80%の大学生は、大学教育など受ける必要ないんだろうね。じゅうぶん働ける身体をもち、小中高と12年間も基礎教育を施されて、さらに4年間も受けるべき教育って何なんだ?実践的に社会に還元するに足る、医・法・経済・理工学はさておき、文化教養の範疇の大学教育は、もはや今必要ないんじゃないか。
残念ながら、ぼくは大学教育を受けていないので大学教育の現場を見たことがない。したがって正しい批判はできない。しかし長い間働いているので、労働の価値はわかる。労働の価値を理解しようとしないテキトーな人間が、つぎつぎと大学から生産されていることは事実である。

ちなみに当社の大卒向けの採用試験はこんなのです。
□某国からミサイルが発射されたという情報が、ニュース速報で流されました。あと20分であなたの住んでいる街に着弾する、という空襲警報も発令されました。そのミサイルは、ひとつの街を焼け野原にする程度の威力があります。街じゅうのあらゆるサイレンが鳴り始めました。渋滞で道路は麻痺しています。あと20分であなたは何をしますか?
□日本が他の国の武力侵攻を受け、占領されました。あなたの街では、土地や家は没収され、市民は難民キャンプに移動させられました。飢えや渇き・病気から、体力のない老人・子供が徐々に死んでいきます。今からあなたは何をしますか。
□あなたが今、死に床についたと仮定します。自分の人生をふりかえって、満足のいく一生であったか、そうでなかったかを判断する基準は何であると思いますか? (これはトーマス・エジソンが考えた採用試験のパクり)
□あなたは事故で脳を損傷し、目覚めたとき、植物状態となっていました。意識はクリアにありましたが、まばたきする以外、身体のどこも動かせません。枕もとで医師が「現在の医学では、これ以上回復させることはできない」と、家族に説明しています。あなたはどのようにして外部に自分の意思を伝え、そしてこれからの人生を生きていきますか。
□自分の子供(娘)が中学生になり、援助交際をしていることを知りました。小遣いは十分に与え、学校の成績も悪くありません。あなたは、娘に対して、どのように声をかけますか。

これら設問は、受験者の人生観を知るためのものである。平時ではその人間性はわからない。窮地に立ったときどう行動するかで、その人の生き方がわかる。(ま、ペーパーテストでわかることって限られてるけどね)
一方、面接において「尊敬する人は誰?」かを聞くことを、厚生労働省や県行政は禁じている。なぜ聞いてはいけないかというと、「思想・信条、人生観などは、憲法で保障されている個人の自由権に属し、それを採用選考に持ち込むことは、基本的人権を侵す」からである。
厚生労働省からの指導は以下である。
□不適切な質問内容の例
× あなたの信条としている言葉は何ですか。
× 学生運動をどう思いますか。
× あなたの家庭は、何党を支持していますか。
× 労働組合をどう思いますか。
× 政治や政党に関心がありますか。
× 尊敬する人物を言ってください。
× あなたは、自分の生き方についてどう考えていますか。
× あなたは、今の社会をどう思いますか。
× 将来、どんな人になりたいと思いますか。
× あなたは、どんな本を愛読していますか。
× 学校外での加入団体を言ってください。
× あなたの家では、何新聞を読んでいますか。

かつては、左翼思想や労働運動に興味のある学生をはじくために思想調査をする企業があり、また一時露骨に行われていた出生地による就職差別をなくすために、このようなルールが作られたのである。企業からすると、「うるさいサヨク野郎を入れてストライキを扇動したり、賃上げ交渉ばかりされたらかなわん」という意思が働いていたのだろう。
しかしさー、いまどきの高卒学生がマルクスを敬愛し、赤旗を定期購読し「蟹工船」を愛読するわけもない。鎌田慧に憧れ自動車工場に潜入就職したり、秋田明大のアジテーションを研究などしない。(古いね〜)ま、今どきそんなヤツが現れたら、ぼくは三顧の礼をもって迎え入れたいと思う。
お役所が書いた例文のうち半分はブシツケすぎる質問だと認めるが、「今の社会をどう思うか?」「愛読書は何か?」も聞けないんじゃ面接にならない。その人物を、いったいどこで判断するというのか。その人物の人生観に興味をもたず、学生時代の成績や技能、作業適正、身体条件を重視せよというのなら、それは逆に、労働者を「働くマシーン」としてしか見ていないということではないのか。
ぼくは堂々と「尊敬する人は誰?」と聞きたい。それは、その人が目標とする生き方・考え方が、多くの言葉よりもはるかに分かりやすく伝わるためだ。この件について、労働局や教育委員会からご指導があるのだろうか。しょっちゅうご指導ばかりされている身なので、間違っているならまたご指導ください。

若者は、早く働きはじめた方がいい。鉄は冷めてしまうと打ってもポンコツだ。勉強は、自ら学問に渇望したときにスタートすればいい。18歳で働きはじめても、「自分にとって学問が必要だ」と感じたら、そこからスムーズに大学入学できる。学生している間も、ある程度の給与保障はするのだ。あるいは、働きながら高度な教育を受けられるようなシステムをつくれないか。そのようなバラエティな人生を支援する体質のカイシャがあってもいいではないか。
学問だけではない。1年くらいポンっと休めるようにし、その期間趣味に没頭したり、世界を放浪したり、ニュースの現場を見に行ったり、自分を見つめなおす時間を取れる・・・そんな仕組みができないか。労働者と趣味人と学生と旅人と家庭人をいったりきたりできるような、まあ言うたらテキトーなカイシャと労働者の関係だ。
そういう「一時的に働かない」人員を抱え込むためには、カイシャを高収益体質にしなければならない。これが難しいのよね〜。日々、研究はつづく。