バカロードその13 一歩足を前に出せば一歩ゴールに近づく 〜日本横断「川の道」フットレース・520キロ参加記〜

公開日 2010年07月01日

文=坂東良晃(タウトク編集人、1967生まれ。18〜21歳の頃、日本列島徒歩縦断、アフリカ大陸徒歩横断など約1万キロを踏破。男四十にして再びバカ道を歩む、か?)

(前回まで=東京湾岸、太平洋を望む荒川河口を出で、長野県を経由して新潟は日本海岸へと至る520キロ、国内最長クラスの超長距離フットレースにタウトク編集人が挑戦した6日間の記録。スタートから265キロを踏破し、第二関門である長野県小諸市に着いたのは3日目の深夜だった)
第三関門へ
長野県小諸市〜新潟県津南町 130キロ

 目が覚めると、しごく元気だった。
 なぜぼくは元気なのか?と軽い疑問を抱き、上布団に抱きついたままの格好で記憶をたどる。数時間前、まっすぐ歩けないほどヨレヨレでこの寝床に沈んだはずだ。寝る前はゾンビ状態、寝起きがハッスル状態ということは・・・まずいっ!長時間眠りこんでしもたかっ!と跳ね起きる。
 腕時計に目をやる。デジタル文字は 02:00 と示しているが、しばらく熟慮しないと数字の意味がつかめない。眠りについたのが午前1時だから、引き算すると睡眠1時間。それなのにこの四肢から溢れるやる気マンマンはなんだ? もう少し睡眠を継続するべきか、だが走らずにはいられない高揚感。
 4階にある雑魚寝部屋を抜けだし、2階の選手・スタッフ控室に向かう。エレベーターホールのソファや廊下の長椅子に、2時間前に到着したままの格好でランナー数人がうなだれている。彼らは着替えをする余裕も、仮眠室に移動するエネルギーも切れてしまっているのだ。
 控室の大部屋では、4人のランナーが出発準備をしている。初日にあっさり抜き去られた選手たちと3日ぶりの再会だ。ぼくはスピードに欠けるものの、睡眠を毎日1〜2時間しか取ってないので、前を行くランナーに追いついているって構図。
 選手サポート役のトライアスリート渡辺さんが、浜に打ち上がったマグロのごとく畳の上でゴロ寝している。ぼくの気配に気づいた渡辺さんが、寝ぼけマナコで「朝メシ調達しといたから食べて」とカップ麺とおむすびを差し出す。「小諸グランドキャッスルホテル」内や周辺には深夜到着後に食事できる店がなく、食料調達が必携なのだ。しかし関門クリアすら危ういぼくにコンビニに立ち寄る時間もなかった。朝メシは渡辺さんの温情なのだ。この夜食べた「マルちゃん・ピリ辛ニラとんこつラーメン」の味は、生涯忘れることはないだろう。湯気が鼻腔を刺激し、鼻水とも涙ともつかない液体が顔を濡らす。小腸から吸収されたマルちゃん・ピリ辛ニラとんこつラーメンは、血液に溶けこむと瞬時に全身をかけめぐる。血糖値が一気に上昇し、ジャック・ハンマー(範馬刃牙の腹違いの兄)がステロイドのアンプルを噛み砕き筋肉をバンプアップするがごとく野獣の嘶き! 
 人間、寝んでもどうっちゅうことないんじゃ〜!と嬉しくなって、夜も明けぬ小諸市の街へと走りだす。
 が、ハイテンションは束の間の夢であった。1時間の熟睡効果とマルちゃんラーメンのエナジーは10分ほどで切れ、睡魔がわらわらとやってくる。いよいよ立っていられなくなって信濃国分寺駅前のベンチで30分仮眠する。目覚めても動く気がせずぼーっと座っていると三遊亭楽松さんがやってきた。トラブルが発生しているらしい。宿泊したホテルで脱いであったシューズが無くなったという。おそらく誰かが間違えて履いていったのだろう。予備のシューズを持参していたが新品で足に馴染まない。楽松さんは、シューズの中敷きを何枚か重ね、数百キロの距離を踏み重ねて自分の足に合った状態に「作り」あげてきたのだとか。ショックが大きいようだ。
 楽松さんと別れ、とぼとぼ前進する。それにしても暑い。この日、列島各地で気温25度を超す夏日となる天気予報が出ている。標高500メートルの長野盆地も例外ではない。ガソリンスタンドの前を通るとFMラジオが流れているが、地元ラジオ局のDJは午後には27度にも達しようかという気温の話ばかりして暑さに拍車をかける。だらだら走っていると、264.7キロ地点(CP13・長野県小諸市)から283.5キロ地点(CP14・長野県上田城跡)の間に、全員のランナーに抜かれる。
 上田市街を抜けると川幅と流量を増した千曲川が陽光を浴び、ギラギラと揺れている。山塊をくり貫くように造られた一直線の車道には、天を遮るものはなく日よけとなる陰もない。歩道の幅が狭く、細かな段差があって難儀する。太腿を上げる筋力が衰え、5センチの段差にも脚を引っかけてコケそうになる。脳天にふりそそぐ直射日光は暴力的で、アタマの表面をジリジリと焼く。水道の蛇口を見つけるたびにタオルに水を浸し、頭に巻いて気化熱で涼もうと目論むが、20分もたたないうちにカラカラに乾いてしまう。日焼けした唇がぱんぱんに腫れ、裂傷となって血が流れだす。「リップクリームは必携」とベテランランナーが自慢げに唇に塗りたくっていた光景を思い出したが、時すでに遅し。
 長野市が近づくにつれ車道が6車線に拡がり、自動車の通行量が増える。308.1キロ地点(CP15・長野県長野市篠ノ井橋)前後で、ぞくぞくと後続のランナーに追い越される。後続といっても、520キロレースでぼくより遅いランナーは既にいない。追い越していくのは今朝、長野県小諸市を出発した「後半ハーフ」のランナーだ。川の道フットレースでは、東京〜新潟間520キロを「フル」と呼び、東京から中間点である長野まで265キロを走る部門を「前半ハーフ」、長野〜新潟間255キロを「後半ハーフ」と呼んでいる。ランナーは「フル」「前半ハーフ」「後半ハーフ」いずれかのレースに参加しているのだ。
 255キロなんて、それだけでもたいがいのものだが「ハーフ」扱いである。そこに奥ゆかしさやユーモアを感じ、好感を抱く。「ハーフ」を走るランナーは皆、ヨレヨレのぼくに励ましの言葉を残してゆく。「東京から300キロでしょ、ここまで走ってるだけで凄いですよ!」「私もいずれフルを走りたいです。フルの皆さんを尊敬しますよ、頑張ってください!」。励まされる都度、ぼくはにんまりする。ふだんめったに他人に誉められないから、凄いとか尊敬とか良いこと言われるとアホみたいに嬉しいのである。
 長野市の中心街に入る手前に犀川(さいがわ)にかかる丹波島橋を渡る。この川の最上流域は北アルプス直下の上高地、さらに源流をたどれは孤峰・槍ヶ岳。川の流れは、遠い海を求めて旅しているのではない。水は、より低い位置へと自然に移動しているだけだ。走るってこともそうなのかな、と思う。いまこの瞬間に繰り出す一歩が大事なのだ。立ち止まらず、走り続けることが自分には必要なのだ。だから走っている。
 犀川の奧に連なる山の端に夕陽が落ちる。高層の観光ホテルや官庁のビルが紅く染まっている。321.0キロ地点(CP16)、善光寺の境内に着いた頃には、日はとっぷりと暮れていた。善光寺の門前にずらりと並ぶ土産物店には、信州名物の「おやき」や抹茶ソフトクリームなどスイーツが目白押し、と調査済みである。ところがどうだい、100軒は連なろうかというお店が1軒たりとも開いていないではないか。
 なりふり構わずそこらへんの観光客を問い詰めると、ここら一帯、夜6時になると一斉に店じまいをするのだとか。朝から一日じゅう「善光寺でおやきを食べる」という強い目的意識と高い向上心を抱いて頑張ってきたのに・・・。おやきを食べられないという現実に打ちひしがれながら、石畳の参道を駆けあがる。本堂の賽銭箱にはいつになく張り込み100円玉1枚を投じる。「100円も払うんですから、必ず完走させてください」と費用対効果として大きすぎるお願いを阿弥陀如来様に一方的にリクエストし、きびすを返す。
 おやきにありつけなかったためか、空腹感が暴れだす。今朝からコンビニで買ったアイスクリーム3個しか口にしていない。長野市の繁華街にはチェーンのレストランが煌々と光を放ち、幸せそうに食事をついばむファミリーやカップルの姿が窓ガラス越しに見える。
 できればメシを食いたい。しかしレストランに入り15分も20分も時を消費すれば、70キロ先に待つ第三関門の閉鎖時間に間に合わなくなる。レストランの排気口から漂う香しい匂いは拷問に等しい。テーブルに美食を並べ微笑みあうカップルを、恨みの視線で焼き尽くそうと試みる。
 道沿いに「スポーツエイドジャパン」のステッカーを貼った車が停まっている。スポーツエイドジャパンは、この川の道フットレースの主催者である。遠く長野の地までエイドを設けてくれているのかと驚きつつ、夢中で車に駆け寄り「何か、何か、何でもいいので食べ物をください・・・」と懇願すると、おにぎりを2個もらえた。脱兎のごとくおにぎりを掴み取り、走りながら貪り食う。戦時中に配給をもらう貧乏少年風情である。これで、これで朝までのエネルギーがきっと保つ、と安心する。
 後で知るのだがこの車は主催者のエイドカーではなく、岩手県から来られた女性ランナー・阿部さん個人をサポートする応援車だった。つまりぼくは、阿部さんの食料をかすめ取った蛮民なのでした。そしてこの後もぼくは、阿部さんをサポートする親切なご夫婦からおにぎりを何個もいただき続けることになる。どうも図々しくてすみません。
 336.3キロ地点(CP17・長野市浅野交差点)を右折すると登りがはじまる。長野市街の夜景が眼下に沈んでいく。蛇行する山道に街灯は少ない。深夜0時、人の気配のない道に、ときおり集落が現れる。地図と照らし合わせながら、自分の位置をつかもうと努力する。さっき通過した村に、もう一度入っていく錯覚に捕らわれる。息が上がるほど全力走しているのに、地図を見ると30分前から少しも進んでいない。焦る。苦労が報われないことに落ち込む。完走は無理なのかと諦めそうになる。
 峠道にさしかかると、星のきれいな夜空と光源ひとつない地面との境目が不確かになる。自分の姿も見えない。手脚を前へ前へと繰り出しても、同じ場所でうごめいている様子になる。ふいに奇妙な疑問にとらわれる。
(あれっ、なぜぼくはこんな所を走っているのだろう?)
 よく考えてみる。これはマラソンレースだ、とても長いレースの途中だ・・・答えを出すまで数分かかる。少し頭がおかしくなっているのだろうか。また別の感情が頭をもたげる。
(ここはどこなんだろう。なぜ、どこにいるのかわからないんだろう?)
 なかなか解答が出てこない。かろうじて正常を保っている脳みその一部分が返事を寄こす。ここは長野県の山中で、今は新潟に向かっているところだ。
 だんだん疑問レベルが根源的になってくる。
(ぼくは誰なんだろう。自分の名前は言えるだろうか)
 かろうじて名前は言えたが、現実認知があやふやだ。そして自分が自分であるとは何と不確かなことかと驚く。ぼくは今、自分が誰なんだかピンと来てないんだから。
(今ぼくがもの凄く走っている理由は、きっと買い物におでかけ中なのだろう)
 そんなわけないのに、そう思う。脳や身体がひたひたと浸されていく。身の上にこんな変化が起こったのは初めてであり戸惑う。
 意識混濁したまま、しかし立ち止まることなく、両脚を繰り返し動かした。峠道を下り飯山市の商店街をゆけば、昭和の香り漂うスナックやパブがならび、妖しの香を漂わせるスナックのお姉さん方が、店の玄関で客を見送っている。こんな古刹建ち並ぶ雪国の小京都にも男と女のラブゲームはあるんだろうね、ぼくも加えてもらえないだろうか。お姉さん、ぼくを誘ってはくれまいか。そしたら走るの中断できるのにな・・・。
 後方から賑やかなランナーの集団が現れる。傷だらけで前進する鈴木お富さんとサポート役の渡辺さん、赤いテンガロンハットをかぶった男前の松崎さん、すり足でナイスピッチを刻む阿部さん、そして阿部さんのサポートカーだ。途中、誰も追い越さなかったのになぜだ? そこでぼくは353.8キロ地点(CP18・長野県飯山駅)のチェックポイントを通過せず300メートルほどショートカットしたことに気づく。大会指定のコースでは、飯山の市街地で何度か交差点を曲がらなくてはいけなかったのに! 頭では理解していたはずになのに、ただ真っ直ぐ走り、いい匂いのするスナックのお姉さんに見とれていた! サポートカーのご夫婦が道を間違えた地点まで車に乗せてくれるという。ありがたい。自分の足で引き返すとなるとタイムロスが大きい。またまたご夫婦には迷惑をかけてしまった。図々しくてすみません。
 道を間違えたことで、半分飛んでいた意識が戻る。1〜2キロ先にはランナーの集団がいる。追いつこう。必死で走ろう。
 第三関門まで40キロ、閉鎖まで残り7時間少々。関門に遅れ、途中リタイアして帰るくらいなら死んだ方がマシだ、と痛切に思う。「死んだ方がマシだ」なんて言葉はその気もないのに使ってしまうフレーズだけど、今は心の底からそう思える。脚が壊れてもいい、心臓が張り裂けてもいい、残り40キロを全力で走りきってやろう。
 リュックのなかの荷物で捨てられる物はすべて捨てる。身につけた防寒具をぜんぶ脱ぎ捨てる。申し訳ないけど100均で買ったものだ、お役目ごくろうさん。極限まで身軽にし、走りに集中する。さらに鎮痛剤を4錠飲む。用法に書いている倍の量だ。痛みが消え失せ速く走れるなら、胃に穴ボコの1つや2つ開いたっていいのだ。
 猛然とピッチをあげる。空中を飛ぶようにストライドを延ばす。眠っていた筋肉が目覚めたのだ。ずっとスローペースだったから速筋は使ってなかったのだ。キロ6分を切るペースで朝もやを切り裂く。遮二無二駆ける。ハーフマラソンの終盤を走っているよう。見通しのいい広い道路の彼方に先行ランナーが見えてくると目標地点にし、さらなるペースアップ! 走っても走ってもまだ走れるぞ。20キロの間に10人ほどのランナーを追い越す。猛然と走るぼくにランナーたちが「何が起こったの?」「ナイスラン!」と叫びながらついてくる。あはは、みんな変だ。黄金連休の間じゅうずっと走ってる人たちはやっぱり変だ。皆、関門に間に合う程度に自重して走っていたのに、このペースに追走してくるなんて、走るのが好きでたまらないんだ、きっと。
 そしてぼくは、1人力尽きた。
 関門まで20キロを残し、オールアウトになった。走っているのか歩いているのか、そのどちらでもなく「漂う」という表現が合っている。気がつくと道路をナナメに横切っていたり、側溝に落ちる寸前だった。見かねたランナーの方が「これ飲むと目が覚めるよ。成分はカフェインです」と大きな錠剤をくれた。飲むとノドから胃にかけてスースーし、少しは意識が戻った。
 走りを再開するとつらくなってきて涙が出てきた。何かに感動しているのではなく、想い出に浸っているのでもない。ただ単につらいからホロホロ泣く。つらくて痛くて我慢できないから喉をつまらせて泣く。こんなのは子供の頃以来だな。
 携帯にメールが届く。昨年サハラマラソンを一緒に走った獨協大生の山口洋平君からだ。添付された画像を開くと、東京から新潟駅前間の高速バスのチケットの写真。「オレ、明日新潟行きまーす♪」と陽気に書いている。そうか、ぶじ新潟の日本海までたどり着けば、そこに待っているのはキュートな女の子・・・じゃなくてむさ苦しい男子大学生なのか。ゴールで熱く抱擁しあう男子2人を想像すると絶望感が深まる。なぜ女子大生でなく男子大生なのかと運命を嘆く。
 長野・新潟の県境を越える。太陽が昇るとアスファルトが焼けるように熱される。シューズのソールを通して熱気が充満し火傷しそうだ。かげろうさえ立ち上りそうな熱気のなか、394.0キロ地点(CP19・新潟県津南町「深雪会館」)の第三関門にたとり着く。関門閉鎖まで17分、最後は潰れたとはいえ20キロの全力疾走がなければ絶対にアウトだった。スタートから98時間、まる4日目である。
 「深雪会館」はJR津南駅前にあるひなびた旅館。玄関はランナーの脱いだ靴で満杯。一段あがった廊下まで靴であふれ返っている。何はさておきメシだ、メシ。大会スタッフの美女軍団が、そこいらへんの高級クラブなど足元にも及ばぬ献身的な接待をしてくれる。まずは冷たいビールを一杯。そして特製カレー、特製親子丼、野菜サラダ、粒あん入りフルーツカクテルと、もりもり食べる。全部でおかわり8杯! 他のランナーの食べ残しまで平らげる。なんて幸せなひとときだ。
 食事を終え、宿のお風呂を覗いてみると、洗い場が2カ所しかない狭い浴室。そういえば目と鼻の先にあるJR津南駅の駅舎に「温泉のある駅」との垂れ幕が掲げられていた。駅周辺の散策も兼ねてぶらっと散歩してみようと思いたち玄関に向かうが、自分のシューズが見当たらない。困ってうろうろしていると大会スタッフの女性に「どこか出かけるの?」と尋ねられる。「ちょっと散歩にと思って靴を探してるんですが、なくて・・・」と答えると、彼女は目をまん丸くして叫ぶ。「これだけ毎日散歩みたいなことしてるのに、まだ散歩し足りないの!?」。うーん、なんかボケ老人あつかいだよね。そして「一日100キロも歩き回ってるんだから、ちょっとは休んだらどう?」と説教される。言われてみればそれもそうだよなーと納得して、宿の風呂に引き返す。鉄成分がたっぷり含まれた赤茶けた湯を愉しみながら「せっかく温泉地に来たんだから土産物店とか散策に行きたいな〜」とまた思う。どうもまだ自分の立場がわかっていないようだ。
 さて日本海のゴールまで残り126キロ、ここまで来りゃあ泣きながらでも爆走するしかないでしょうよ!   (次回につづく)