バカロードその72 どんな富豪でも味わえないぜいたくな旅なんだな 〜土佐乃国横断遠足242km・後半戦〜

公開日 2014年09月11日

文=坂東良晃(タウトク編集人、1967年生まれ。1987年アフリカ大陸を徒歩で横断、2011年北米大陸をマラソンで横断。世界6大陸横断をめざしてバカ道をゆく)

 田園の一本道をトコトコと進む。このあたり標高200m以上の高台ながら、満々と水を湛えた水田が山あいの台地に広がっている。昼間の温暖な空気と、夜間の冷え込み、寒暖差を利用して栽培される仁井田米(にいだまい)は独特の香りとモチモチ感で知られている。
 走りはじめて2日目の昼。ピーカン青空の下に三角屋根の連なりが見えてくる。153kmの「クラインガルテン四万十」だ。ここは滞在型の農園体験施設であり、牧歌的な雰囲気がヨーロッパの農村を思わせる。
 施設の入口で大会スタッフが大きな身ぶり手ぶりで応援してくれている。前後にはランナーの影は見えない。1時間に1人来るか来ないかのランナーをずっと待ちかまえてくれているのだ。
 到着すると、スタッフの方が「まずはお風呂にしますか、それともお食事になさいますか」と冗談めかして笑う。「食事はこの中から選んでください」と手渡されたA4用紙には、豚の生姜焼き、豚のしゃぶしゃぶ、納豆玉子かけ丼、豚汁など数種類のメニュー名が並んでいる。「いくらでも食べたいだけ注文してくださいよ。何品でもつくりますから」。シャワーを浴びている間に、料理を作っておいてくれるというのだ。
 50kmあたりから吐き続けているので、何も喉を通らないかと思っていたが、メニュー表を眺めているうちに、かすかに食欲が戻ってくる。お言葉に甘えて、生姜焼き、野菜サラダなどをお願いする。ウルトラランニングってのはときどき理解できない現象が起こる。スタートから50kmぽっちでボロボロになったのに、そこから100km走った後には体力が回復してるってね。いったい限界ってなんだろう。肉体の限界ってのは実は死ぬ寸前まで酷使しないと訪れるものではなくて、たいていの「もう限界だ」は脳や心に備わったブレーキ装置なんだろう。
 シャワーブースに入ると、直立した姿勢がつらい。服を着たまま床にベタッと座り、手を伸ばしてシャワーコックをひねる。髪の毛にシャンプーぶっかけて、流れ落ちる泡でシャツ、パンツ、ソックスを洗う。入浴と洗濯をいっぺんにやっつけて時間短縮する技は、アメリカ横断レースの際に先輩ランナーから教わった。ステージレースの最中に、1分でも長く睡眠時間を確保するために有効なテクニックだ。たしか毎日死ぬ思いで走ってたはずなのに、楽しい思い出しか残ってない。
 湯上がりのジャストタイミングでほっかほかの料理ができあがっていた。聞けばお肉は「窪川ポーク」という地元の名産品。味の決め手であるタレに擦り込まれたニンニクも四万十町の特産品だとか。肉厚のポークからは肉汁がじゅわーっとしみ出し、甘い脂肪分が舌上で溶けていく。得も言われぬ美味さとはこのことか。もちろんご飯は、豊潤な香り匂い立つ仁井田米。
 この大エイドには仮眠所も用意されているが、いかんせん到着したのが真昼だったため眠気が起こらず、後ろ髪引かれながらあとにする。出発する際には、ラップでくるんだおむすびや梅干しを持たせてくれた。滞在した1時間の間、何人ものスタッフの方に手厚く面倒をみていただいた。
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 ゴールまで残り89km。次の大きな街は46km先の四万十市だ。中村街道と呼ばれる国道56号線を南下し、ループ状の急な下り坂を経て、黒潮町佐賀という土佐湾沿いの街に出る。入り江と岬が複雑に入り組んだ海岸ロードでは、屏風状に繰り返し現れる岬を登り、漁港のある街道へと下る。何度も登り、何度も下る。
 日没後はまた眠気との戦い。暖かかった昨晩とは一転、今夜はひときわ寒く身震いがくる。短パン、半そでシャツではたまらず、コンビニで上下の雨ガッパを仕入れて着込む。しかし通気性のないカッパでは、内側にしたたる汗が衣類を濡らし、外気に冷やされて余計に寒い。奥歯のガチガチが止まらない。
 そういえば以前このあたりを旅したときに、四万十市郊外にあるスーパー銭湯を利用したことがある。そこに着いたら汚れた身なりは気にせず突入しよう。まずは水風呂に飛び込んでアイシングしたら、温かい寝湯で横になって1時間くらいウトウトしようじゃないか。風呂あがりには生ビールをぐいっといくのもよい。名案だ、まさに名案だ。新たな心の拠り所を見いだして、気力体力ふたたび満ちあふれる。
 夜の11時前、樹林帯が開けるとバイパス道の彼方に四万十市の街の光がきらめいている。いくつかの交差点を越えると、前方に「平和の湯」の大きな電飾看板が神々しく現れる。「やっと眠れる、温まれる。ヤッタヤッタァ」とガッツポーズを二度三度。生ビールもよいけど、ソフトクリームや練乳がけのかき氷もいいかも、とスイーツへの欲望もうなぎ登り。
 温泉まで信号をあと3個と迫った頃、キラキラまばゆく輝いていた看板の照明がフッと消える。いったい何が起こったのか・・・は徹夜二日目のボケ頭でもすぐわかる。このタイミングで営業終了時間ってわけかよう。湯の香ただよう温泉駐車場の前をぼうぜんと歩く。忘れていた眠さと寒さが絶望とともにやってきてケタケタ笑っている。
 ここから明け方まであまり記憶がない。半分眠りながら歩いていたと思われる。四万十川のいちばん河口に近い四万十大橋たもとが202km地点。深夜12時、日本一の清流が大地を潤す光景は、真っ暗で見えはしない。橋を渡り終えると、足摺岬の先端にある霊場・金剛福寺までの道しるべが至る所に掲げられている。四国八十八カ所をめぐる遍路道のメインコースに出たんだろうか。
 バス停のベンチに膝かけ用の毛布を見つける。試しに首からかけてみると腹までしか届かない。だが体育座りになると足首まで覆える。体温が毛布に伝わり温かさに包まれると、この旅はじめての本格的眠りに落ちる。次に目覚めた時には、朝もやの奥にモノクロームな海辺の街が薄ぼんやりと佇んでいた。深い深い睡眠は、疲労の粒を鼻の穴から煙のように放出してくれた。ラスト30km、ぼくはまだ走る気力を残している。
 三日目の太陽はやっぱり凶暴で、照りつけられた森の木々は、これ以上の緑はないという濃い緑を放っている。海を隔ててゆるいカーブを描く陸地の果てに足摺岬らしきこんもりした岬が見えてくる。
 コースは車道を離れ、雑木林の細い遍路道をゆく。力強い日射しは枝々に遮られ、木漏れ日となって地面にたくさんの光の輪を描く。 鳥のさえずりと、山肌をつたう清流の音が耳に心地よい。
 ときおり小さな集落が現れる。多くの家は広い庭に菜園を備えている。ビワや柑橘類の果樹がたわわに実をつける様は、家庭菜園と呼ぶには立派すぎる。オレンジ色に熟れたビワの実は、門塀をはみ出して歩道上にせり出している。1個むしり取って味見したい欲望にとらわれる。いや、ゼッケンナンバーをつけて走っている手前、軽犯罪行為は慎まねばなるまい。いい歳したオッサンがくだもの泥棒で起訴されるのも恥ずかしい。
 ふと見ると、足下にビワが落ちている。1個だけではない。道路のあちこちにころりころりと転がっている。熟れすぎて自然落下したものであろう。落ちているものなら食べても犯罪には当たらない(と勝手に解釈する)。
 1個拾って皮をむくと、指先から果汁がしたたり落ちる。果肉を口に含めば、高濃度の砂糖水よりも甘い。出荷用に早摘みされたものではなく、実が落ちる寸前まで太陽光を浴びたビワって、こんなにも美味いのか。落ちているビワを手当たりしだいむさぼり食う。
 急斜面のへりを切り取った道路には、山側の崖からゴウゴウと山水が降り注いでいる。山水をパイプやホースで道沿いまで導いている場所が何カ所もある。お遍路さん用の水場なのだろうか。水の吹き出し口に頭を突っ込み、天然シャワーを浴びる。体温、5度は下がったね。
 足摺岬まで5km、4km、3kmと距離表示の看板がカウントダウンをはじめる。楽しい走り旅が終わろうとしている。
 岬の先端まであと200mに迫ったところで、前方にランナーが見える。足をひきずって、歩くよりも遅いスピードで、それでも走っている。100kmほど手前で追い抜かれた長井さんだ。UTMF、萩往還、そして土佐之国と1カ月の間に3連走している彼は、足の裏半分を覆う巨大マメに悩まされていた。見てるだけでもエグいのに、よくここまで来れたものだ。すごい根性である。
 そして、われわれ以上に不眠不休でランナーを支えてくれた主催者の田辺さんが、ジョン万次郎像の横で、白いゴールテープを持って待っている。観客は、そこら辺の土産物店か観光案内所のおっちゃんとおばちゃんが2人。十分である。
 長井さんのゴールシーンを感慨をもって見届け、いよいよ自分の番だが・・・どうだったかあまり覚えていない。だいたいゴールシーンって、自分以外の人のを見学するのがいちばん良いもんです。
 ゴール後は、ランナー1人1人を車に乗せ、岬の高台にあるリゾートホテル「足摺テルメ」に送ってくれる。汗まみれ泥まみれで入館するには躊躇する建築美のここは、太平洋を一望する立派なスパを備えているのだ。「お風呂から上がったら電話してください。迎えに来ます」。そんなVIP扱いしてもらっていいのかなあと恐縮する。
 宿舎に戻ると、1人に1皿ずつの尾頭つきのタイと刺身の盛り合わせ、山盛りのカレーライスが待ちかまえていた。飲み放題の生ビールを5杯あおったところで、べろんべろんに酩酊。畳敷きのお部屋で大の字になれば、そよ風が頬を撫でる。睡眠不足な脱水症状者だけが味わえる幸せに満たされる。
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 100kmを超えるマラニック、ジャーニーラン系の大会といえば「ランナーの自己責任」が徹底されるのが通常である。徹夜続きで公道を走るからには、事故防止や体調管理は誰に頼ることなく自分で対処すべきなのは当然である。大会主催者や世話役の方に依存的な気持ちでいる人は参加する資格がない、とぼくは思う。
 しかしながら「土佐乃国横断遠足」は、大会スタッフの「世話の焼いてくれっぷり」がハンパなかった。ランナーの健康管理や地域色あふれる食事、参加者事情にあわせた大会前後の送迎など、さまざまな場面で人間味溢れる対応をしてもらった。そこには、高知という独特の県民性がバックグラウンドにあると思う。陽気で、開けっぴろげで、酒飲みで、世話好きな土佐人の気質が全開なのだ。
 242kmもの距離を走るのはもちろんラクじゃないけど、「土佐乃国横断遠足」は、競技性とは正反対の、長い走り旅を楽しみたい向きには打ってつけの大会だ。100kmウルトラを経て、「もっと長く走ってみたい」「100kmの先には何があるの」と興味をもった人の初トライの場として大絶賛おすすめします。