バカロードその83 脳みそのなかは忙しく走ってるんです

公開日 2015年05月11日

文=坂東良晃(タウトク編集人、1967年生まれ。1987年アフリカ大陸を徒歩で横断、2011年北米大陸をマラソンで横断。世界6大陸横断をめざしてバカ道をゆく)

 とくしまマラソンの朝、夜明け前。たっぷり時間をかけてトイレをすませたあと、体重計に乗る。表示されたデジタル文字に軽いショックを受ける。3週間かけて5kg落とした体重が、3日間で元に戻ってしまった。

 カーボローディングという言葉は蜜の味。
 3日前の木曜日、口に含んだ一かけらのロールケーキの塊が、禁欲生活をつづけてきた理性の堰を一気に破壊した。
 節食に節食を重ねてきた身体・・・調味料を完全拒否し、ワカメ、鶏ササミ、寒天、イカ、エビばかりを食いつづけた。絞り切ってカラカラになったスポンジ状の細胞に、糖分や塩分や水分が怒濤のように染み込んでいく。
 言いわけは用意されている。「減量期間を終え、ぶじ5kg落とした。4日後にはフルマラソンを走るのだ。42kmを走り切るために十分なエネルギー、つまり糖質を今から筋肉と肝臓に蓄える必要があるのだ」。
 近所のキョーエイ(徳島の超有名ローカル系なスーパーです)に出かけ、ハーゲンダッツ「和みあずき」味を全部買い占めた。無性に粒あんと濃いミルクが食べたい。練乳チューブも3本買った。
 それから一晩中食べつつけた。「和みあずき」をお茶碗にほじくり出し、牛乳と練乳をたっぷりかけて7個。翌日の夜も7個食べた。それでも足りなくて、片道10?離れたキョーエイまで買いにでかけた。近所のキョーエイはまわり尽くして在庫切れしてるからだ。土曜日には、ゆめタウン(西日本展開の超有名ショッピングモールです)まで出かけて「和みあずき」を買った。あずきミルク中毒の禁断症状患者がいるとすれば、その該当者はぼくである。
 不思議と米やパンを食べようという気は起こらなかったが、シフォンケーキやプリンやチョコレートと、スイーツを無尽蔵に身体が欲した。夜中は1時間おきに目が覚め、起きると冷蔵庫のスイーツを貪り、粉末量を3倍にした特濃アミノバリューを1リットル、2リットルと飲んだ。体中が砂糖菓子になったようだ。気のせいかオシッコまで甘い匂いがする。
 過食症になる人ってこんな感じ? 全身の姿見に裸をうつしてみると、たったの3日間で腰回りの肉だけでなく、乳房まで発達した気がする。糖分摂取によって、オッパイが膨らむなんてことあるのだろうか。気になって少しもんでみる。変な感じである。
 大会前夜もまたハーゲンダッツを食べ続けた。
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 日曜日、朝4時。今さらジタバタしても仕方がない。買っておいたパックの赤飯にアジシオをかけて食べる。これは100kmマラソン世界記録保持者の砂田貴裕さんの著書「マラソンは腹走りでサブ4&サブ3達成」に書いてあったことの請け売りだ。粘り気のある餅米が、レース後半のエネルギーに変わってくれるらしい。
 この1カ月、お風呂とトイレの中では、ランニングのノウハウ本の濫読に努めた。
 「東大式マラソン最速メソッド」 松本翔著
 「マラソン哲学〜日本のレジェンド 12人の提言〜」 陸上競技社編
 「型破り マラソン攻略法」岩本能史著
 「突然、足が速くなる ナンバ走りを体得するためのトレーニング」
 「HOW TO RUN」ポーラ・ラドクリフ著
 「世界一やせる走り方」中野ジェームズ修一著
 先達のすぐれた理論やハウツーがぼくの洗煉された走りを補完する。はずはなく、情報量が多すぎて実践に落とし込むことができず、結局やってみたのは、レース当日朝に赤飯に塩かけて食べるという、たいして努力のいらない1点のみである。
 それぞれの著者が共通して述べているのは、「他人のハウツーに頼らない、自分の身体と対話しながら、自分なりの方法論を見つけよう!」である。自分なりの方法論が見つからず本を買ったのになー。ひとめぐりしてスタート地点のバス停でひとり降ろされた気分である。
 ランニングウエアを着て手荷物をまとめると、今月買ったばかりのおニューのシューズに足を入れる。アディダスのadizero takumi sen boost 3である。
 この5年間、アシックス・ターサーを履きつづけてきたが、遂に浮気をしてやったんだハァハァハァ。なんたって、今年の箱根駅伝では青学のチャラい連中が、インタビューで彼女と別れただの何だのチャラチャラのたまいつつも、驚異的な箱根新記録を叩き出したあのシューズである。といっても、「匠 戦ブースト」はシューズづくりの神様である元アシックスの三村仁司氏の作品だから、三村さんのシューズを履き続けてるって点では変わりない。シューズの裏っ側にべっちょり貼りついた、トゲトゲしてツブツブした引っ掛かりが獰猛な雰囲気を漂わせてやがるぜ。
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 職場からスタート会場の徳島県庁までは歩いていける距離なのだが、「マラソン大会に出ている」という気分の高まりの中にいたいと思い、わざわざバイクに乗って吉野川河川敷まで遠回りし、シャトルバスに乗った。席の周囲にいる人は、その会話から関西圏や四国他県からマイカーでやってきた人である。話しかけられたらどうしよう、と緊張していたが、誰も話しかけてはこなかった。
 バスの最後部座席に座って窓の外を見やり、「すごく遠くからわざわざ徳島に遠征してきた人」の気分になって、旅情にひたったりしてみた。朝日を浴びて輝く新町川と、街の背景を支える眉山を見つめては「きれいな街だね」などとわざと思ってみた。原色づかいのきらびやかなランニングウエアの人びとが何千人も街を歩いているさまは、今日でしか見られない特別な風景だ。
 シャトルバスを降りると、徳島グランヴィリオホテル(徳島の超有名シティホテルです)の前に「更衣室」の看板があるのに気づく。へー、こんな立派な場所でねぇ。マラソン大会の更衣室といえば、ギンギンに床が冷え切って痔が悪化しそうな体育館ってのが相場だけどね。エントランス向こうのロビーの床には、すでに何百人というランナーが腰掛けておしゃべりや着替えに余念がない。奥まった所にあるふだんは披露宴会場になっている豪華な絨毯のお部屋も、ランナーに開放されている。めったにない経験なので、絨毯の床に寝そべってみた。むかし愛した女の披露宴に招かれて泥酔でもしないかぎり、ホテルの床に寝っ転がる機会などないだろう。暖房がたっぷり効いていて、自分の占有スペースも一畳ほどもあり。こんなゴージャスな更衣室は、きっと国内のマラソン大会史上最高ではあるまいか。
 スタート30分前になったので、アミノバイタルゼリーとアミノバリューとバームゼリーを飲み干した。「どれでもいいので効いてくれ」の神頼みだ。指定のブロック位置まではジョックで向かった。目の前を高崎経済大学の川内選手(弟さん)がジョッグしている。足ほそー! 割り箸かゴボウのようである。こんだけ絞り込まないと、それなりのランナーにはなれないのだな、と自分の大根足をしげしげと見つめ直す。
 風が強いことを想定して、アームウォーマーという名の靴下の先っぽを切り落としたものと、手袋をつけていたが、ジョッグしてトイレで気ばっただけでうっすら汗をかいている。ダイレックス購入のアームウォーマー100円と手袋100円也をゴミ箱に捨てる。「都合ふた冬は世話になったね、君たちの恩は忘れないから」と別れを告げて。とくしまマラソンは、スタートブロックの横にまで分別ゴミ箱があってありがたいな。ふつうあんましないよね。ゴミ箱のある最初のエイドまでペットボトルとか持って走るもんなあ。
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 号砲が鳴る。ゆっくりゆっくり走り始める。大切な本日の誓いを復唱する。
 「マラソンは30kmから」「30kmまでは寝て走る」「30kmからよーいドン」
 幾多の偉人ランナーたちが発したマラソンの分水嶺たる30kmをめぐる金言だ。30kmまではジョギング、そこからの12.195kmがマラソンのすべて。
 最初の1km、4分37秒。すごくゆっくり走っているつもりなのに、思ったよりも速い。もっとペースを落とすべきだ。目標は3時間20分切り。キロ4分45秒平均でいいんだから。
 何百人ものランナーにズコズコ抜かれていく。「お前ら全員、ラスト5kmでブチ抜いたるわ!」と遠吠える。
 周囲に影響されてペースが上がらないよう目を閉じる。完全につむると前が見えないので、うっすら薄目を開けて、ほとんど眠っているのに近い精神状態にする。
 10kmを47分23秒。予定のタイムより7秒速いだけ。
 身体は・・・ずいぶん重く感じる。やっぱし3日間で5kg増量の影響は大きいな。腹とオッパイがゆさゆさ揺れている感じが収まらない。後半、汗をかいて絞れてきたら、このオッパイ感は取れるのだろうか。渋井陽子はそんなこと言ってたよな。
 13kmのエイドで塩をとる。後半の痙攣予防のために、塩分摂取は欠かせない。浅い箱に入れてある塩を指ですくい、口に入れる。勢いあまって想像していた量の5倍くらいを含んでしまった。はき出せば良かったのだが、まあいいかと先を急いだ。給水テーブルで水をもらって、いっしょに流し込めばいいんだから。ところがテーブルを横にして左側のランナーと併走状態になってしまい、コップが取れない。いよいよ最後の机になって、ようやっとボランティアの方からもらおうとしたコップが、無情にも手から離れ、地面に落ちていった。
 もう水はない。大量の塩をノドにへばりつかせたまま、次のエイドまで我慢することになった。えずいてはみても、唾がないので吐き出せない。実業団選手じゃないんだからよー、ゆっくり歩いてコップを受け取ればよいだけだったのによー、オレ何やってんだよー。
 走っても走っても次のエイドが現れない。喉はカラカラ、口の周りや目ん玉まで塩が滲みて痛い。15kmあたりからキロ4分50秒台に落ちる。ペースダウンやばいよ、それより水が飲みたいよう。コース表、予習しておけばよかった、
 19kmの手前でやっとエイドが出てきた。この間、6?近くあったのか。スポーツドリンクを2杯、水を2杯、飲み干す。少し走るとポカリスエットのペットボトルを手渡してくれていたので、1本まるまる飲み干す。一気に1リッター近くの水分を採った。腹がズンと重くなる。
 ハーフの通過が1時間41分51秒。予定より2分遅れている。大丈夫、大丈夫。30kmから猛然とスパートする脚はまだ残ってるはずだ。いわゆるネガティブスプリット走りってヤツでしょ。今、マラソンの極意に近づいてんだから。
 24km、折り返しの西条大橋の橋上に出たあたりで、脚の動きが鈍くなってきた。疲労というよりも、水分の採りすぎだ。胃や腸に大量に物を流し込めば、必然的に血液が内臓周辺へと移動してしまい、手足の筋肉に力が入らなくなる。真夏の海水浴のあとの、グテッたした感じ。
 ペースは更に落ち、キロ5分を超えはじめてしまった。5分05秒、5分04秒、5分09秒・・・なんとか粘って、5分ヒトケタ台にとどめたい。これより遅くなると、歯止めが効かなくなる。「もっと遅く走っても許されるのだ」と、脳みその安全装置が稼働する。これ以上の負荷を与えるべきではない、との自然の摂理をねじ曲げてペースを維持するのは、意思の力しかない。
 胃腸がだめなら脚を大きく踏み出そう。太腿に力が入らなければ膝から下のキックで地面を叩こう。下半身が全部使いものにならなくなれば腕振りでカバーしよう。身体のどこかがきつくても、まだ使える部位を総動員して、1km、1kmを粘り続けるのだ。
 30km通過、2時間27分09秒。予定より・・・何分遅れなんだろう? 暗算できなくなっている。本日の心の誓いでは、確かここからレースが始まるということだったな。30kmの計測マットの「ピッ」という音を聴いた瞬間から、キロ4分15秒までペースアップするポジティブイメージを描きながら練習をしてきた、よな。
 しかし現実の肉体は、戦いモードに突入することへの反戦活動シュプレヒコール大合唱中だ。この3カ月、徹底的に鍛え上げたはずの速筋は、舞台に登場しないまま楽屋でお眠り中でしょうか。10kmを41分台で走れるようになったあのスピードスター(自称ね)は、影を潜めたままである。
 まだ見ぬスピードスターに期待はできない。長いおつきあいのある遅筋さんにお願いして、粘ることしかできない。5分09秒、5分04秒、5分13秒、5分12秒、5分21秒・・・アーッ、オレが終わっていくー。必死に脚を漕いでんだけど、うつむき加減で走る足元にちょろちょろ見える歩幅、超せまいです!
 35kmからは、戦闘力がどんどん衰えていくスカウターの向こうのカカロット。止めどなく落ち込んでいくラップタイムを、押し戻せる要素はひとつも見あたらない。キロ5分40秒、5分50秒、そして6分を超え、6分20秒・・・。1kmが5kmにも感じられる。走っても走っても次の看板は見えてこない。皆さん、40kmから41kmの間って5kmくらいありませんでしたかね。
 最後の5kmで全員ブチ抜くどころか、ラストスパートをかける数百人の人びとに虚しく追い越される。みなさん輝いていますね、ぼくはくすんでますね。
 今日もまた大失敗レースをしてしまった。自分史上、最大に追い込んだ練習をしたのにな。追い込みすぎてハーゲンダッツ過食症になったからかな。「努力は必ず報われる」と高橋みなみは言ったけれど、このままムダに終わりそうな努力が、いつか報われる時がくるんだろうか。あきらめたって人生つまらないし、あきらめずに続けてみるしかないね。しかし、走り終わって心に残ったのは二十歳過ぎのアイドル歌手の言葉なのね。ポーラ・ラドクリフも何か良いこと書いてたんだけどなー、思い出せないや。
 どんなにヘバッていても、田宮の陸上競技場のトラック上に出たら100mダッシュする。と決めていたのに、あやつり人形のようにギクシャクとしか動けない。3時間36分58秒、フルマラソンって大変だなー。
 帰宅して体重計に乗ると、朝、測ったときより5kgも減っていた。3週間かけて落とした5kgの体重を、3日間で5kg増量し、3時間半で5kg失う。「弱い牛ほどたくさん汗をかく」とエルドレッド高原のケニア人ランナーは言ってたな。確かである。