公開日 2015年09月18日
文=坂東良晃(タウトク編集人、1967年生まれ。1987年アフリカ大陸を徒歩で横断、2011年北米大陸をマラソンで横断。世界6大陸横断をめざしてバカ道をゆく)
とかち帯広空港のビルを出ると霧雨が舞っていて、空気が冷やこい。徳島を発つときはうだるような暑さだったが、北海道の東部は初夏を迎えたばかりだ。北海道には北海道の匂いがある。空気の5%くらいに「草」の気配があり、1%は牛フンの香しさが混じる。
カーラジオからは「尾岱沼えびまつり」のCMが繰り返されている。このお祭りは、サロマ湖100kmウルトラマラソンの日程が重なっているためか、サロマに遠征してレンタカーのハンドルを握るたびに、毎年ほぼおんなじ宣伝文を耳にする。信号のない一本道は、霧雨に白く濁っている。似たような風景、変わらない北海シマエビの宣伝文。時が止まっている気分になる。
6度目の「サロマ」は、通算25本目の100kmマラソンである。
強い思いがある。どうしてもサブテンをやり遂げたい。
サブテンとは100kmを10時間未満で走りきることだ。サブテンは、フルマラソンのサブスリーと並んでランナーにとって勲章である・・・と言われることがあるが、実際はサブスリーほどの難易度ではない。フルマラソンで3時間20分~30分くらいの持ちタイムの人なら、十分に達成できる目標である。フルのサブスリーに匹敵するのは、100kmだとサブ8.5~サブナインくらいだろう。
だから、やってやれないことはないはずなのだ。
その割に、ぼくは今まで24回もトライして、一度もクリアしたことがない。惜しいタイムすら出したことがない。10時間台では4回走っているが、10時間を切るか切らぬかの瀬戸際で戦ったことは一度もない。
キロ6分ペースを維持しながら、10時間走り続ける。そこには卓越した走力は必要ない。スピードを上げずゆっくりと、絶対に潰れることなく、最後まで粘りきった人がサブテンランナーになれる。とてもわかりやすい理屈であり、キロ6分で走るのは難しいわけでもないのに、10時間を耐えることができない。
とてつもなく高い壁ならあきらめもつくのだろう。「できそうなのにできない」という残尿感が気持ち悪いのである。いとうあさこさんが述べる「イライラする」状態である。
24回も走ってダメなら、客観的に見れば、もう無理なのかもしれない。だけどこのままあきらめて良いだろうと納得できる度量が備わってない。執念深いのか、ストーカー気質があるのか、すがりつきたい何かがある。
100kmに挑戦できるのは年に2回くらいだ。このまま歳をとっていけば、基礎体力も落ちてくる。いずれ完走だって難しくなるはずだ。
チャンスはそう何度もない。死ぬまでに一度も10時間切ってないなんて、嫌だ。
毎レース、うなだれたままトボトボとゴールゲートを越えるのではなくて、一度は腹の底から湧きだす歓喜の拳を突き上げながら、駆け抜けたい。
□
大会前夜は、スタート会場から40km離れた瀬戸瀬温泉という山中の宿をとる。素泊まり3800円ながら、源泉掛け流しの名湯が湧いている。スタート会場周辺の宿は、公式ツアーに全部おさえられていて、けっこうな値段に跳ね上がっているため、ここがサロマに参加する際の定宿になっている。
宿から20km離れた遠軽市街が、最後の街である。そこから先は自販機すら見かけない。遠軽の大きなスーパーで食料をしこたま買いこむ。天丼、トンカツ、豚汁、カップラーメン、おにぎり3個、アイスキャンデー3本、カップアイス2個。スーパーに隣り合った100円ショップでは、手袋とアームウォーマーを仕入れる。気温が10度を下回っていて、半袖では号砲待ちの時間に身体が冷え切ってしまいそうだ。手袋は園芸作業用のもの、アームウォーマーはご婦人の日よけ用だが気にしない。
宿へ向かう山道には、路上で野鹿が遊んでいる。携帯電話は圏外で、どこにも連絡は取れない。いちおうテレビはあるけど海外ドラマや映画のチャンネルが4つ映るだけだ。隔絶された山の宿には、何のニュースも入ってこない。世界で何が起きてようと、ここにいる限り、何もわからない。だから食って寝る以外の用事はない。昼の1時から布団に入り、うたた寝をしてはときどき目覚め、買いだめした食料を胃が張り裂けるほど食いつづける。体中にまわれよエネルギー、腸壁から吸収して筋肉と血液に流れ込み、明日1kmでも先まで身体を運んでくれ。
□
朝2時に起きて窓を開けると、肌を刺す冷風が吹き込んでくる。
寒暖差の激しい道東地域の、更にオホーツク海側の6月には、ときおり猛暑日和がやってくる。サロマの大会当日は、過去の気候データを分析すると「すごく寒い」「ふつう」「猛烈に暑い」が、だいたい3分の1ずつの確率でわりふられている。規則性はないので、今年がどうなるかは誰もわからない。暑いときは完走率が極度に落ち込む。気温が28度まで上がった2010年は49%、2014年は55%である。
むろんランナーにとっては、気温の低い方が都合がよい。今朝の空気の冷たさは、すごく寒い年に当たったとしか思えない。ラッキーである。
スタート会場までの40kmの道のりを40分ほどで移動する。会場の周りはランナーをピストン輸送する大型バスで渋滞する場合があるから、前日に調べておいた裏道を経由する。4時前にはすでに多くのランナーの姿があり混雑ムードだが、駐車スペースはスムーズに見つけられた。
スタートブロックに入ったのは4時30分。参加者3600人の最後尾だと号砲から5分くらいかかるはずだ。グロスタイムで10時間を切ろうとするなら5分のロスはなくしたい。なるべく前からスタートすべく30分前に並ぶ。「一般の部」の10列目あたりに陣取れたが、スタートラインに近いブロックは陸連登録と10回完走のサロマンブルー選手ら900人に割り当てられている。多少のロスタイムは仕方がない。
5時号砲。スタートラインまで、およそ1分かかる。
最初の1kmは人で混み合い、とろとろしか進まず6分半かかる。1kmを過ぎるとランナーは適度にばらけ、同じペースの集団のなかでスムーズに進みだした。
まずは42kmまで、サブフォーペースであるキロ5分40秒前後で、無理せずゆっくりいこう。決して気持ちよく走ってはいけない。徳島を発ってからの2日間は休足日に充てたので、脚は軽く動くはずだが、気分で突っ走ることを今は許さない。
「脚から力を抜こう」
「腕にも胴体にも力を入れない」
「呼吸は平常時と同じくらいの浅さで」
と自分に言い聞かせる。
身体のどこかに力を入れたら必ずツケが後半にやってくる。序盤で10秒、20秒を稼ごうという欲が、後半の1分、2分を失うことにつながる。前半の努力は、後半には結びつかない。前半いかに手を抜くかが、後半の粘り強さを生みだす。
少なくとも50kmまでは、脚にも心肺にもいっさい負担がないレベルを維持する。50kmを過ぎても、「10kmを全力疾走できる」程度の余力を残しつづけておく。きっとどこかで、10時間を切るために帳尻をあわせなくてはならない場面がくる。そのいちばん大事な瞬間まで、脚は取っておくのだ。
2km以降はキロ5分30秒で安定する。「速くもなく、遅くもなく」のペースである。瞼を落とし、目を薄く開いて、半分眠るような気持ちを保つ。「これは速すぎないか」「これは遅すぎないか」と自問を繰り返し、そのどちらでもないことを確認する。脚の脱力具合をチェックし、筋肉を使っているようなら一度力を緩め、前傾姿勢に戻して、骨格の傾斜で推進する。鼻呼吸だけで酸素をまかなえる程度の負荷をキープしているかも確かめる。
地球を離陸した直後の宇宙ロケットの操縦士のように、ランナーもまた運行管理に忙しいのである。
□
10kmを56分02秒で通過する。号砲1分のロスを差し引けば、イーブンペースを保ってる。身体がやや重く感じるのは、寝起きウンコが出なかったからだ。昨日だけで、試合前のグラップラー刃牙なみに食って3kg以上増量したはずだ。できるものなら体外に排出しておきたかったが、便意ゼロゆえにどうしようもない。3kg分の炭水化物と糖分はすべて吸収して、肉体に蓄えられていると受け止めよう。消費していけば身体も軽くなる。
18kmあたりから、第1折り返し地点の三里番屋からの復路をゆくランナーとすれ違いだす。先頭に現れた能城選手は当大会を2連覇中であり世界大会4位の大物。併走するワイナイナ選手は五輪2大会連続メダリスト。2人は、ウルトラマラソンとは思えない恐ろしいスピードで風を切っていく。
続いて第2グループがやってくる。10人ほどの大集団が成形されている。その集団を先頭で引っ張っているのが同郷・徳島の石川佳彦選手だ。二十代中盤の若さにして100km日本代表の座を懸け、ハードトレーニングを行ってきた。声を掛けようかなと思うが、刃のような集中と鬼気迫る表情に、かけるにふさわしい言葉も見つからず、ただ見送る。
競技レベルが違いすぎて一緒くたにしてはいけないが、ぼくなんかより遙かに厳しい条件や目標設定のなかで真剣に戦っている人を見ると、ちょっとやそっと辛くなったくらいじゃ音をあげられないなと思う。
ふと気がつくと、GPSの表示するペースが5分10秒まで上がっている。案のじょう、鼻呼吸が口呼吸にスイッチしている。まずいまずい、石川選手に気圧されて気合いが入ってしまった。次の1kmはちゃんと5分30秒に戻そう。
20kmを1時間51分01秒。5分30秒ペースを維持。あらためてサブテンという目標はわかりやすくっていいやと独りごちる。10kmにつき1時間がイーブンだから、今どの地点にいようとも、貯金が何分あるかをたやすく暗算できる。レース中にややこしい計算をすると脳の糖分をムダに消費する気がする。だからサブテンは単純明快な目標なのだ。
30km、2時間47分39秒。まだ息はあがってないし、苦しくない。しかし身体は重いままで、軽快さとはほど遠い。キロ5分30秒が40秒に落ち始める。無理してペースを保つのではなく、自然にタイムを落として、負荷レベルを一定にする。ハートレイトモニターはつけてないけど、きっと心拍数は一定なはずだ。
広大な牧場、農場地帯を貫く直線道路を、ただ同じ動きを繰り返すあやつり人形のように、「弱い意思」の元に進む。今は「強い意思」をむき出しにする場面ではない。トレッドミルのうえを一定ペースで脚を回転させているだけの、無個性で、無価値な人間として。
□
42.195kmを3時間57分48秒。「遅くもなく、速くもなく」という観点からベストな通過時間と言える。
中間地点である50kmは4時間43分48秒。前半で積み上げた貯金は16分12秒だ。
50kmを境に、少し無理をしないとキロ6分を維持できない状況になってきた。アップダウンのほとんどないサロマで、唯一登り下りの連続する区間である。一般的には、登り坂ではタイムを落としてでもゆっくりが鉄則だが、前半稼いだ1分2分を失うのをもったいなく感じ、強引に6分をキープする。下り坂は、着地衝撃で脚の筋肉を弱らせてしまわないよう、引力に導かれてタラタラと足を前に出すだけ。
54.5kmの大レストステーションでは、あずけた荷物袋からエナジードリンクと粒あんを取り出しただけで素通りする。多くのランナーはここで5分程度は休憩する。あえて一歩も立ち止まらないことで「5分のアドバンテージを得た」と気持ちを楽にする。けなげな自分へのご褒美として、粒あんを食べる間の1分間だけ坂道を歩くことを許す。これでもずいぶん脚は休ませられた。
65kmから背の高い木立のトンネルを進む通称「魔女の森」に入る。全コースのうち日陰があるのはこの3km間だけである。ネーミングの由来は諸説あるが、潰れかけのランナーの耳には「ここら辺でリタイアなさったら・・・」との甘いささやきが森の奥から聴こえてくるらしい。今のぼくには魔女は無縁だ。意識は明瞭、鼻歌もうたえる。今、1kmだけ4分00秒で走ってみろと言われたら、きっと走れる。それだけ脚にも余裕を残している。
「もしかしたら、今日ほんとうにサブテンできるのかもしれない」と初めて思う。
いまだキロ5分台でカバーできている。つまり、走れば走るほど貯金ができている状態。60kmを過ぎて貯金を積み上げられるなんて、夢のようである。今まで経験したレースの60km地点なんて、前半つくった貯金をザーザー漏れのザルから垂れ流し、サブテンはおろか完走すらおぼつかないという心理状態に入ってるのが常なのに。
70kmを6時間46分08秒、貯金は14分。70kmを過ぎると、狭い歩道上が走路となり、微妙な路面の凹凸がダメージを増やす。ガス欠気味なのか、脚があがらなくなっているので、よくつまずく。空を覆っていた雲が切れる。日射しを浴びた腕や頭が熱くなってくる。
70kmを6時間46分08秒、貯金は14分。70kmを過ぎると、狭い歩道上が走路となり、微妙な路面の凹凸がダメージを増やす。ガス欠気味なのか、脚があがらなくなっているので、よくつまずく。空を覆っていた雲が切れる。日射しを浴びた腕や頭が熱くなってくる。
おしるこやソーメンの用意された「サロマ湖鶴雅リゾート」前の大エイドでは、ガス欠の筋肉たちが糖分を欲しているのに、むかつく胃が拒否して受けつけないという、ややこしい葛藤。結果、吐き気の方が優勢勝ちし、補給はあきらめる。
エネルギーと水分が切れたか、必死でもがいてもキロ6分10~20秒と借金が積み上がりはじめる。
正念場がやってきやがったな。今まではこの局面であきらめていたが、そうはいきませんからな。タイムを落としてもいい。大潰れしないように粘り続けるんだ。ここで潰れてキロ7分に落ちれば、ものの数km先でサブテンは絶望的になる。粘れ、粘れ。この粘りで勝負が決するんだ。今日サブテンできなけりゃ、二度とチャンスなんか来ない。何千キロと練習してきた結果は、今この瞬間を走っている1kmのタイムを6分20秒にとどめるか、7分まで落としてしまうかの差となって現れるんだ。これから先の20kmのことなんて考えない。今、路上にあるこの1kmを耐えきるんだ。
□
サロマは80kmから劇的にコースが変化する。ラスト20kmは「ワッカ原生花園」という植物の群棲地帯を往復する。
あのワッカ原生花園の入口まで潰れずにたどりつくんだ。ラスト20kmで2時間10分残しておけばサブテンにリーチがかかる。どんなにヘタレてようと、最後に振り絞る馬鹿力は残っているはずだ。
80km、7時間51分07秒。貯金が9分に減った。
80km、7時間51分07秒。貯金が9分に減った。
オホーツク海を見下ろす小さな峠のピークへと続く急傾斜の坂。初めて100kmレースというものに挑戦したときに失神リタイアした場所。目に映る景色が黄色くなっていって、視界が狭くなって、ブルーシートに倒れ込んだら意識が飛んで、青や赤の綺麗な小鳥が舞い飛ぶ夢を見たっけな。どんなレースよりも頑張って走って、それでも届かなかった13時間のゴール。そんなぼくのウルトラマラソンの原点のような場所を横目に、今は別の目標を目指して突っ走る。
89km地点の最終折り返しまでは、常呂町のゴール会場から離れていくコースレイアウトになっている。つまり走れば走るほどゴールは遠ざかるという精神的トラップが仕掛けられている。
美しいはずの草花の絨毯や、オホーツクの蒼い海原は、何ひとつとして目に映らない。なかなか現れない1kmごとの看板を遠目に探しては、見つけられず落ち込む。足元がふらつきはじめ、6分30秒を切れなくなる。85kmまで来てよう、うまく推し進めてきたのによう、ここでアウトなのかよ・・・と時々あきらめては、やっぱしそんなのは我慢ならないと、ワーッと無茶走りして次の1kmを6分で走る。距離表示板を越えると力尽き、よぼよぼ千鳥足で7分をオーバーしてしまう。でもやっぱり嫌だ。ゴールに着いたら10時間01分とか嫌なんだー。ウオーッと咆吼をあげて6分05秒。
壊れた脳でインターバル走。酸欠で手足が痺れてきた。そんなとき、原生花園内の
エイドにスイカが登場した。立ち止まって食っている時間の余裕はゼロ。両手でつかめるだけつかんだ5切れ。走りながら口に押し込む。シャリシャリした歯ごたえの果肉はシャーベットアイスのように甘く、みずみずしさが胃から全身へと広がっていく。糖分が血液の流れに乗って脳まで循環すると、錆びついて動かなくなっていた全部の関節が動きだした!
90kmの関門を8時間56分29秒。あと10kmを1時間3分30秒でカバーすればいいのだ。1kmあたり6分20秒をキープするんだ。いけるぞ、いける。左右2メートルしか視野のない、足元のアスファルトの灰色しか見えていなかった目に、草花に覆われたコブが襞をなす、ワッカの壮大な光景が飛び込んでくる。すれ違う何百人ものランナーの表情も、崖の下に打ち寄せるオホーツクの白波も、素晴らしくクリアな色彩で見えている。
「ゴールまで2km」の看板の所で、14分残している。サブテンを確信する。
やった、ついにやった。一生できないかもと思っていたサブテンを、今から達成するのだ。
今より、ずいぶん走力があったはずの頃にもできなかったのに。自分がサブテンできる日が来るなんてな。
今より、ずいぶん走力があったはずの頃にもできなかったのに。自分がサブテンできる日が来るなんてな。
腰のあたりでコブシを握り、何度も小さくガッツポーズをとる。
後ろから追いついてきたランナーが「サブテンいけそうですね」と笑っている。
「いけますね」と返す。「25回も走って、初めてなんですよ」と言ってみる。
「それはおめでとうございます」と祝ってくれる。
「もう確実ですよね」と念を押してみる。
「穴ボコに足つっこんで怪我しない限り」と注意を与えてくれる。
「大事にいきましょうか」という。
「大事にいきましょう」と返してくれる。
後ろから追いついてきたランナーが「サブテンいけそうですね」と笑っている。
「いけますね」と返す。「25回も走って、初めてなんですよ」と言ってみる。
「それはおめでとうございます」と祝ってくれる。
「もう確実ですよね」と念を押してみる。
「穴ボコに足つっこんで怪我しない限り」と注意を与えてくれる。
「大事にいきましょうか」という。
「大事にいきましょう」と返してくれる。
コースを右折すると、ゴールゲートが見えてくる。
やったなー、と思う。
初めて自分をコントロールできた。
きちんと目標に対して真面目に向かいあえた。
走っていてよかったなーとしみじみ思う。
やったなー、と思う。
初めて自分をコントロールできた。
きちんと目標に対して真面目に向かいあえた。
走っていてよかったなーとしみじみ思う。
生きていると、いろんなことがあるけど、たまにはいいこともあるもんだ。
十代の頃に観た、イスラエル制作の青春エロ映画の主人公が言った言葉が頭に浮かぶ。
「エブリ・ドッグ・ハズ・ヒズ・デイ」
どんなクソ犬にも、彼が輝く日はある。
9時間58分21秒。
青空の下のゴールゲートで、初めて、心からコブシを突き上げた。
青空の下のゴールゲートで、初めて、心からコブシを突き上げた。
筆者・100kmロード記録の変遷(記録はネットタイム) | ||||||
回 | 年 | 月 | 大会名 | 100km記録 | 前半50km | 後半50km |
1 | 2008 | 6 | サロマ湖 | 80kmリタイア | 6:02:58 | - |
2 | 2009 | 6 | サロマ湖 | 11:45:18 | 5:10:01 | 6:35:17 |
3 | 11 | 四万十 | 11:32:46 | 4:56:46 | 6:36:00 | |
4 | 2010 | 1 | 宮古島遠足 | 15kmリタイア | - | - |
5 | 宮古島ワイドー | 11:05:17 | 4:49:54 | 6:15:23 | ||
6 | 6 | サロマ湖 | 12:02:36 | 4:56:50 | 7:05:46 | |
7 | 2011 | 1 | 宮古島遠足 | 12:56:46 | 6:07:52 | 6:48:54 |
8 | 5 | えびす・だいこく | 10:52:29 | 5:06:53 | 5:45:36 | |
9 | 2012 | 1 | 宮古島ワイドー | 13:51:35 | 5:41:07 | 8:10:28 |
10 | 3 | 小豆島寒霞渓 | 11:33:37 | 5:41:53 | 5:51:44 | |
11 | 4 | 奧熊野いだ天 | 13:23:15 | 5:34:15 | 7:49:00 | |
12 | 6 | しまなみ海道 | 12:18:00 | 5:05:00 | 7:13:00 | |
13 | 隠岐の島 | 11:48:57 | 5:30:16 | 6:18:41 | ||
14 | サロマ湖 | 10:22:14 | 5:05:19 | 5:16:55 | ||
15 | 8 | 北オホーツク | 13:09:05 | 5:07:45 | 8:01:20 | |
16 | 11 | 四万十 | 11:39:03 | 4:53:21 | 6:45:42 | |
17 | 2013 | 1 | 宮古島ワイドー | 70kmリタイア | 5:47:55 | - |
18 | 3 | 小豆島寒霞渓 | 13:23:05 | 5:38:48 | 7:44:17 | |
19 | 6 | しまなみ海道 | 13:31:00 | 5:50:00 | 7:41:00 | |
20 | サロマ湖 | 11:55:02 | 4:49:55 | 7:05:07 | ||
21 | 10 | すずウルトラ | 12:16:00 | 5:26:10 | 6:49:50 | |
22 | 2014 | 1 | 宮古島ワイドー | 11:26:20 | 4:59:23 | 6:26:57 |
23 | 10 | 四万十 | 10:27:53 | 4:40:26 | 5:47:27 | |
24 | 2015 | 1 | 宮古島ワイドー | 10:47:48 | 4:48:35 | 5:59:13 |
25 | 6 | サロマ湖 | 9:57:29 | 4:42:56 | 5:14:33 |