バカロードその138 史上最長のレースその3 限界って何なん?

公開日 2019年11月06日

文=坂東良晃(タウトク編集人。1987年アフリカ大陸5500km徒歩横断、2011年北米大陸横断レース5139km完走。人類初の自足による地球一周(喜望峰→パタゴニア4万km)をめざし、バカ道をゆく)

(前号まで=「四国一周おおもりオールナイトマラニック」は、四国4県をめぐる総距離785km、制限時間8日間のノンストップレース。愛媛県宇和島市を出発し6日目、517km地点徳島・高知県境の四ツ足峠を前にして落雷と土砂降りの巣に突入する)

【6日目/徳島県那賀町木頭502km~高知県境・四ツ足峠517km】
 四方を山に囲まれた狭い空に、トグロを巻いた漆黒の雲が次から次へと押し寄せては、10倍速の早送りビデオみたいな猛スピードで千切れ去っていきます。稲妻が一瞬フラッシュして視界を真っ白にし、直後に雷鳴がバアァァーンと空気を震わせます。
 人家がほとんどない山峡の、那賀川の激流音がたえまなく聴こえる河畔に、ポツンと一軒だけ建つ新聞販売店。その軒先に逃げ込んでから1時間近く経っています。
 雨具や長ズボンは持ちあわせておらず、短パン、Tシャツの薄着です。雨や風が容赦なく横殴りに吹きつけます。店先で無人セルフ販売していたデイリー新聞を購入し、新聞紙を全身に巻きつけ、体育座りをして寒さに耐えます。ぱっと見、即身仏のミイラですよこれは。ザ・マミーです。
 ドロドロ雲に切れ間が生じないかと空を睨んでいても好転の気配なく、日没が近づいており谷底は薄暗さが増していきます。雨避けのないこんな場所で、身体の動きを止めたまま、夜を越すのは無謀です。土砂降りでも前進するしかありません。
 せめてものインスタント防寒具として、すでにびしょ濡れになっている黒い新聞を何回か折りたたみ、胴回りに巻きつけました。そして叩きつける雨の下へと飛び出しました。
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 雨をはじき飛ばす勢いで駆けます。15km先の四ツ足峠(標高660m)までは雨宿りできる場所なんてないだろうと決め込んでいたものの、次々と集落が現れては、雨よけにうってつけなバス停小屋や車庫が目に止まります。さっさと前進して、ここで休憩しておればよかったです。
 ゆずの産地で有名な北川集落は、峠へと至る最後の村です。北川にさしかかる頃に日没しましたが、幸運なことに雨足が弱まってきました。この先の山中で暴風雨に攻められ続けたら、前進も後退もできなくなります。
 蛇行する峠道は、深い霧に満たされていました。濃い密度で漂う霧の粒がヘッドランプの光をさえぎり、10メートル先も見通せません。長さ1857mの四ツ足峠トンネルの中央部に白線が引かれた県境ラインがありました。トンネルを抜けると「べふ峡温泉 これより3km」という魅惑の看板が浮かびあがります。ときおり現れるこの看板が、冷え切った身体に熱量を与えます。温泉にさえたどり着けば、浴槽に満々と湛えられた、とろりとした天然湯に身をゆだね、鼻先まで温ったまれるんだ。そして死に体に等しい体力を回復させて、前向きな気持ちでゴールに向かい直すのだ。消耗しきった両脚に力がみなぎります。
 べふ峡温泉の入浴札止めが夜9時30分となっているので、間に合わせるべく下り坂をキロ5分のハイペースで駆け降ります。息が上がります。脚に衝撃が届きます。気持ち的には箱根6区のランナーです。峠道を下り終えると、霧雨のベールの向こうに温泉施設の照明灯が見えてきました。
 夜9時15分。入浴終了時刻の15分前です。受付カウンターで入浴券を買おうとすると、係のお兄さんから「今から入浴されるとすると、10分ほどで出ていただかないといけない」と事務的に伝えられます。9時30分は札止めではなく、日帰り入浴客が利用できる最終時刻とのこと。
 「チョト待てチョト待てお兄サン♪ 捨て猫のように濡れそぼったミーを見て! ほら、かすかに震えてるでしょ。きっと宿泊客はも少し遅くまで入浴してるんだから、ここはひとつルールをゆるめてみて!」
 というモンスター客的発言は、喉の奥に押し留めます。いつか、あの時代の浜田省吾のように、純白のメルセデスに乗って最高の女とベッドでドンペリニオン舐めるくらいサクセスしたら、この温泉宿のいちばん値の張る部屋に泊まって、湯舟のヘリからザブザブ湯を溢れさせながら浸かりまくって、べふ峡温泉を見返してやる!と無駄に発奮します。
 お兄さんからは「高知市方面に向かっていくと、この先は何十キロも何もないですよ」と助言をいただきます。ううむ、それくらいで絶望はせぬぞ。ジャーニーランの最中に、地元の方に道を尋ねる場面では、この類のアドバイスはよく受けるものです。「ここから先は何もないよ」と。それって時速60キロのドライバー目線なんですよ。運転席から眺めたら「何もない」という認識であっても、ドン亀ランナーのスピード感なら、集落のない無人地帯といえども、休憩できるベンチや自販機は点在しているものです。

【7日目/四ツ足峠517km~高知市高知城599km】
 温泉滞在わずか3分で、奥物部渓谷に沿って伸びる道へと再び走りだします。夜の霧雨はいっそう冷たく感じられます。
 そして温泉お兄さんの情報が脚色のない事実だったとわかるまでには、常夜灯のない漆黒の闇とトンネルが繰り返す無人の道を20kmほど進まねばなりませんでした。途中、掘っ立て小屋は2つありました。壊れた壁の隙間からヘッドランプの光をかざして中を覗き込むと、足の踏み場もないガラクタの山。何年間も人の手が加えられてないのは明らかです。一面に埃が積もっており、横になれそうなスペースはありません。こんな「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」みたいな小屋には一刻足りとも滞在できません。
 深夜0時を過ぎる頃には、衰弱ぶりがいっそうひどくなってきました。雨に濡れたシャツやランパンは、谷底に充満する湿気のためかいつまでも乾くことがありません。凍てつく風が、氷のようにカチコチの皮膚の表面から、奪いようのない体温を更にもぎ取ろうとします。血液や内臓までフリーザー漬けになっているようです。脳みそが活動を停止させようと睡魔の波状攻撃を仕掛けてきます。歩きながら夢を見ては、ハッと目覚めると車道の真ん中を歩いていて、アブナイ状態にあることを自覚します。1時間に2kmも進まなくなっています。歩いても歩いても、どこにもたどり着かない気がしてきます。
 ようやく小さな集落が現れます。村人の休憩所のような小屋の壁に、大きめの段ボール箱が畳まれた格好で立てかけられていました。ちょっと拝借して、箱を組みたてると、人間が座って入れるほどの広さでした。中に入って上ブタを閉め、箱の底で猫のように丸くなります。温泉を出てから5、6時間というもの腰を下ろせる場所すらなく深く安堵します。五十歳も過ぎて、路ばたの泥だらけの箱の中で、安心した気持ちになるなんて、安部公房の「箱男」レベルのシュールさです。この先の人生を暗示しているかのようです。
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 どんなに長い夜もいつかは明けるものです。朝方には人の匂いがする下界へと近づいてきました。香美市物部町(542km)の広々とした公共パーキングにログハウス風の公衆トイレがあり、その前の木製ベンチに温かそうな朝の光が差しています。ベンチに横になった瞬間、眠り込んでしまいました。
 目覚めると時計が2時間も進んでいます。完走可能なペースから、まる24時間遅れてしまいました。スマホでレース状況を確認すると、完走ペースで進んでいる方々は、56km先の高知市で仮眠を終え、愛媛県境を目指して走りだしていました。もうこの辺りであきらめた方がいいのだろう、と思いました。どんなに頑張っても、決められた最終時刻までにはゴールの松山市にはたどり着けそうにありません。
 黄金連休真っただ中の「やなせたかし記念館」(554km)には、駐車場に列ができるほど大勢の観光客で賑わっています。国道沿いに設けられた食堂には屋外に東屋がしつらえられています。食券で買い求めるメニューは、朝の和定食と洋食の二択でした。五月の爽やかな風が吹き抜ける東屋の下で、旅館の朝ごはんのような充実した朝定食をついばみます。心はすっかり戦線離脱モードになりました。シューズとソックスを脱ぐと、ほぼ全部の指の腹に水ぶくれができています。ジャーニーランに慣れたここ数年は、何百キロと走ってもマメができることはなかったのですが、今回はよほど走り方がヒドかったのでしょう。
 主催者の河内さんにリタイアする旨の電話を入れると「すぐに行く」と返事があり、数分後に飛んできてくれました。
 次のチェックポイントである高知城(599km)まであと45kmなので「そこまで走って終わりにします」と告げます。巡回車に預けてあった荷物を高知駅のコインロッカーに入れておくよう、河内さんが段取りをしてくれます。スタートしてからここまで7日間、お世話になりっ放しです。何のへんてつもない四国の道に、難攻不落のテーマと世界を創ってくれてありがとう。
 リタイアを宣言してしまうと、走る気力は露ほども残っていませんでした・・・と続けたい所ですが、さっきまでの「あと200km以上ある」という重圧が「あと45kmしか走らなくていい」に代わると、脚がガンガン回りだしました。キロ6分を切る猛烈ペースで爆走がはじまりました。羽毛のように軽くなった身体が空中に浮かびます。
 そんな自分にあきれ返ります。ついさっきまでの真夜中は「マジで限界やし」「もう一歩も進めんし」と何百回も口に出して(誰も聞いてないのでけっこうな大声で叫んでました)いた割に、限界なんてどこにも来てなかったのです。治るまで何週間もかかるだろうと思っていた両足裏の激痛は、今は蚊に刺されたほどにも感じません。
 「限界は脳が決める」とはマラソン業界で当たり前のように流布されている金言です。人間の脳は、肉体の限界のはるか手前の段階で、さっさと危険シグナルを出して身体活動を停止させようとするそうなのです。
 「なんだよ。こんなペースで走れるなら、半日後には先頭集団に追いつけたんじゃね?」とアドレナリンの海に浮かぶ脳が調子よく考えます。
 路面電車の終点である後免駅を経て、桂浜へと向かいます。リタイア申告後の30kmを3時間でカバーし(600kmを前に、100kmサブテンペース!)、太平洋岸に延びる黒潮ロードに達すると、踵を返して高知市へと向かう通行量の多い道にさしかかりました。そして、ふいに全細胞から燃料が切れました。身体のどこにも力が入りません。浮遊霊のごとくふわふわと左右に揺れます。
 脳とはややこしい物体です。「本当は限界が来ていたのに、快楽物質やら闘争ホルモンやらを放出して、限界なんてないんだと思い込ませた。けど、脳内ドーピングが尽きるとやっぱし限界だった」のややこしい三段論法攻めです。
 夕暮れの頃に、路面電車が行き交う高知市の繁華街に入りました。交差点で赤信号に当たるたびに歩道のコンクリートブロックに腰を掛けます。ロダンの「考える人」のポーズで地面を見つめますが、考える能力はゼロです。信号が青に変わっても動けません。また赤になり青になってもそのままです。
 座り込んでいる僕に「だいぶお疲れのようですが、大丈夫ですか」と声をかけてくれた人は、六十年輩の男性です。仕立てのいいスーツを着ています。黄金週間中なのに会社帰りなのでしょうか。
 通りがかりのお方に余計な心配をかけないように、膝に両手をあてがってオリャと立ち上がります。スーツの紳士が並んで歩いてくれます。7日前のスタートから、ここに至るまでの経緯を話しながら、1kmほどの道のりをともにします。
 足元もおぼつかない得体の知れない人間に声を掛けて、終始へんてこりんな身の上話にふむふむと耳を傾けてくれる。高知にはずいぶん親切な人がいるものです。企業か役所の管理職然とした紳士は、僕が今晩の宿を確保できているのかどうかを憂慮しつつ、去り際に「私もジョギング再開しようかな」と小さくつぶやき、革靴の底を鳴らして颯爽と帯屋町(中心商店街)方面へと消えていきました。
 夜8時すぎ、白く光る高知城下の天守閣のたもとに着きました。お堀端に点々と灯された紅いボンボリが、冥界への誘いに思えます。愛媛県宇和島市よりここまで599km、パンツをはいたまま脱糞したり、デイリー新聞巻きつけてミイラになったりと、哀れな出来事がありましたが、終わってみれば楽しい旅でした。
 標高44メートルの天守へは、無料貸出していた杖にすがりつきながら石段を登り、膝をカクカク震わせながら下ります。脳の安全ストッパーによる擬似的な限界じゃなくて、ホンモノの限界がきてます。ここから先186kmなんて、とてもじゃないけど進めません。
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 「四国一周おおもりオールナイトマラニック」は2019年4月から5月にかけて開催されました。12名の出場者のうち4名の方が、8日間の制限時間内に全行程785kmを完走されました。この強き4人に対しては、称賛を超えて憧れを抱きます。リタイアされた方々も精魂尽きるまで粘られたと聞きました。
 今後このレースは2年に1度開催されるようですが、確かな情報ではありません。またいつか出てみようかな。とても完走は無理かな。
 そして。この大会への参戦を願いながら急逝された大森信也さん、そっちでもまだ走っておられるのでしょうか。完走して大森さんにいい所を見せないといけないのに、いつものごとくダメダメっぷりを発揮してしまいました。天国からいつもの優しい目で笑いかけてくれているようでいて、キリッと真剣な目に変わって「完走するまで挑戦すればいいさ!」と励まされそうでもいてヤバいな・・・。