ARCHIVES
2006年9月
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月刊タウン情報トクシマ10月号発売!
月刊タウン情報トクシマ10月号本日発売!!秋の7大特集号
特集1
「ごはん党が愛する店」!
新米の秋、ごはんの一番おいしい季節がやって来ました。ほっくほっくの釜飯やうなぎのお茶漬け、パエリアやビビンバ、おこわやじゃこめしなど、ご飯が主役のメニューが大集合。かめばかむほどに味わい深い、そんな逸品をご堪能あれ。
特集2
「秋のドライブで感動体験!」
剣山山頂からジロウギュウや一の森への散策、高知・愛媛県境に位置する四国カルストの大地でポニーとたわむれる高原ドライブ、小船に身を任せ潮の流れに乗る愛媛の潮流体験など、日常では味わえないドキドキ体験付きの大自然ドライブへ!
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オモシロプロジェクトライブ「小鉄」 日程決定!
オモシロプロジェクトライブ「小鉄」再上陸!
写真や映像を駆使してトクシマをもてあそぶ
小鉄の三回目となるライブの日程が決定した。
「小鉄ライオン」
日時:11月19日(日) 18時開場 18時30分開演
会場:徳島ホール(徳島市幸町1丁目)
料金:1000円
小鉄とは・・・
目に映るものすべてをおもしろネタにかえていく小鉄の脳ミソ・ニタンジさん(写真左)とその傍らで自然体でネタの行方を見守り、流し、ツッコむ小鉄の盲腸・サブさん(写真右)の2人が結成したオモシロプロジェクトのこと。
2004年11月と2005年6月に開催したライブでは、それぞれ約250人もの集客を果たした。
3度目となる彼らの公演、見逃せない。
なお、現在好評発売中のタウン情報トクシマ10月号
5ページの「ホットランナー」に小鉄の2人のインタビューを掲載!こちらも合わせて要チェック!
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さらら9月21日号、発行しました
とくしまの生活情報紙 フリーペーパーさららが発行しました。
今回の巻頭特集は、徳島生まれの「カツ」をクローズアップしました。
魚が原料、衣は鮮やかなオレンジ色、そしてちょっとピリ辛スパイシー…
スーパーでよく買っては食卓の上に並ぶ、徳島人が愛してやまないあのカツです。
さららは県内各地でカツ緊急アンケートを実施。
また、さらら紙面で募集したところ、たくさんの応募があったカツレシピも紹介します。
和風、イタリアン、そして丼・・・そのアイデアの豊かさに編集部はびっくり。
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月刊タウン情報トクシマ8月号 実売部数報告
月刊タウン情報トクシマ8月号
実売部数報告です。
タウン情報トクシマ8月号の売部数は、
タウトク7月号の売部数は、
10581部でした。
詳しくは、上部に表記してある画像を
クリックしてください。
メディコムでは、自社制作している
「月刊タウン情報CU*」
「月刊タウン情報トクシマ」の実売部数を発表しております。
詳しくは、こちら、ついてはいけないウソ をご覧下さい。 -
月刊タウン情報CU*8月号 実売部数報告
月刊タウン情報CU*8月号
実売部数報告です。
タウン情報CU*8月号の売部数は、
7471部でした。
詳しくは、上部に表記してある画像を
クリックしてください。
メディコムでは、自社制作している
「月刊タウン情報CU*」
「月刊タウン情報トクシマ」
の実売部数を発表しております。
詳しくは、こちら、ついてはいけないウソ をご覧下さい。
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徳島ビジネスチャレンジメッセ開催中
このメディコムのブログホームページでもお世話になっている「IDS」様が、
徳島ビジネスチャレンジメッセで、
「Beトクシマ」
にて、優秀賞を受賞されました。おめでとうございます。
誰でも、気軽にブログサイトを作れるということで、非常にブログを開設する人も増えているようです。
徳島の、未来のビジネススタイルを見ることができる
徳島ビジネスチャレンジメッセは、明日(16日)まで開催中です。 -
月刊タウン情報CU*10月号、本日発売!
月刊タウン情報CU*の10月号が
本日発売されました〜!
気になる中身をちょっとだけご紹介
…今月も欲望全開ですよっ。 -
「鳴ちゅる」が週刊文春で取り上げられました
メディコムが発行する「鳴門のちゅるちゅるうどん探訪記 鳴ちゅる」(中野晃治著)が、週刊文春9月7日号の「新刊推薦文」に掲載されました。
掲載以来、全国の方々や書店さんより注文が殺到しています。
書評が掲載されたことを編集部は知らなかったので、何が起こったのかわからないまま、きょとんとした表情をキープしつつ、発送作業をおこなってました。
いやー、さすがすごい威力です週刊文春さまぁ! -
徳島で雑誌をつくろう そのシィ「いち編集者の思考の説明」文=坂東良晃(タウトク編集人)
朝起きると、寝ぼけマナコで天井を見つめながら考える。「今日もぼくには仕事がある」。原付バイクにまたがり、吉野川を渡って編集部のあるカイシャに向かいながら考える。「今日も出勤できる職場がある」。バイク置き場から事務所までの道を歩きながら、アタマの中で今月の支払いのことを考え、入ってくるお金のことを考える。「まだ現金はある。カイシャを潰す心配はない」。社員の大半はすでに慌ただしく仕事をしている。「急がないといけないほど仕事がある、よかった・・・」自分のことをろくでもない人間だと思っている。だから自分が勤められる職場が存在していることを奇跡に感じる。朝起床すると、カイシャの存在を実感できないときがある。無職時代が長いので、それなりに社会に適合していることにも驚く。
メシが食えないことに潜在的な恐怖がある。貧したら貧に慣れるという人もいるが、ぼくは貧乏が恐い。全財産が3000円を切れば、病気をしても病院に行く勇気がなくなる。部屋が借りられず寝泊まりする場所を探してほっつき歩いたり、知人の冷蔵庫の食べ物を求めてさ迷ったりと、貧乏は行動をあさましくする。
立派な経営者や、創造的な仕事をする人は、「この仕事はカネなんか関係ない。夢のためにやる」なんて見得を切る場面もあるけど、ぼくはそんな気になったことがない。儲からない仕事をするのは恐怖である。儲からないとドン底まで突き落とされる。他人に働いてもらって、労働にふさわしい対価を払えないのは最悪な経営者の姿でもある。
あちこちの経営コンサルタントや経営セミナー運営会社から、中期戦略の再構築とか中核的強みの見直しとか、色んなことをしてみなさいよと迫られる。外から見ると、ぼくの経営はよほど頼りなく映るのだろう。商売を発展させるためには、周囲を感心させるような重厚な理屈が必要なんだろうけど、さしあたって何かを変化させたいという意志がない。 雑誌づくりという好きなことをたまたま商売と連動させることができ、しかも給料までもらえている。
これ以上のことを求めるとバチが当たりそうなので欲は出さんとこ、と思っている。
「仕事が楽しくないから、会社を辞めます」と申し出た二十歳の社員に、こんなことを言った。・・・世の中いったいどれだけの人が楽しさを求めて仕事していると思うのよ。みんな生活のためにやっている。家庭や子供を守ったり、信用してくれている人を裏切らんために働いている。楽しいかどうかなんて基準は、子供の発想だろーよ。
二十歳の若者はすかさずこう反論する。「そんなこと言ったって、あなたは元もと雑誌が好きだからやっているんでしょう。いつもそう言ってるじゃないですか。仕事を続けられるかどうかは、最終的には好きかどうかじゃないんですか?」。
確かにそうだ。ぼくはこの仕事が好きだからやっている。適当な建て前はでっち上げられるが、ホントの所は好きだから続けられてる。そんな単純人間が偉ぶって職業倫理を語るなんてね・・・ド反省。
高校生のころ雑誌は世界の窓口だった。80年代、阿南の田んぼの真ん中で入手可能な新しいカルチャーは、雑誌にしか存在しなかった。20年前だからインターネットはない。初代ファミコンが登場した頃だが、金持ちしか所有できない。POPEYEと朝日ジャーナルと諸君!と写真時代をむさぼり読んでいた。ファッション誌と進歩的左翼誌と御用右翼誌と極エロ誌を同時に読む。これが田舎の高校生の理論武装だ。
「オールナイトニッポン」2部以降の深夜放送を聴いているとか、民族音楽とかプログレッシブとかの未発売輸入レコード盤を密かに買い漁っている、そういう行動に近い。それが自分のアイデンティティを補完する方法であり、女のコにモテるための引き出しの一つである。
宝島、ミュージックライフ、平凡パンチ、ホットドッグプレス、週刊プレイボーイ、週刊ファイト。どの雑誌でも、活字たちは憤懣やるかたない情熱をたぎらせ、ギラギラと脂ぎったエネルギーを放っていた。ヒッピーやドラッグや反戦や70年代ウエストコーストやサイケデリックやポストモダンやインド放浪やチベット密教やコーランや連合赤軍がカッコいいと思っていた。そんな時代をライブで生きた30代がつくるカウンターカルチャー雑誌と、その反動で軟派化したポップカルチャー誌の洗脳を、10代のぼくは受けた。 そういう雑誌にまみれて無為な時を過ごすのが幸せであった。だからぼくは雑誌づくりを職業にした。
この職業につき、20年近くメシを食っている。恩のある雑誌だから嫌いになることはない。
ぼくは雑誌の匂いが好きである。いや、雑誌の生産過程をとりまく匂いと環境が好きである。完成したばかりの雑誌が放つ独特の香りはいい。乾ききらないインク臭と、漂白された紙の匂い。匂いの質は変わった。むかしの本は、もっと有機溶剤臭がプンプンしていた。
ぼくがこの世界に足を踏み入れた20年前は、まだ活版印刷が存在していた。活字職人が1字、1字ピンセットで活字を拾い、巨大な鉛合金の塊をつくりあげる。その重量感あふれる金属の表面を、インクのローラーが撫で、紙に転写する。紙には鉛の文字が深く刻印される。紙の表面にはその圧力により凹凸が生じる。紙のヘコミに染みこんだインクは今ほどすぐは乾かず、手触りと湿り気で印刷職人の仕事の名残を感じた。現在のハイテク印刷には、このような触感は薄れた。紙の表面はつるんとなめらか。それでも悪い匂いはしない。
締切が近づいた編集部には、独特の匂いが充満する。編集の現場は、匂いの洪水だ。昼間取材の際にかいた汗が乾いて、微妙な臭気を漂わせる。風呂に入っていないヤツの足の悪臭がツーンと鼻をつく。撮影用の食品の匂いが入り混じった生暖かい空気、深夜にスタッフが食べるスタミナ食のニンニク臭。生ぐさい人間の匂いに、忠実に生産活動をつづける機械音が溶ける。スキャナーが画像を読み取る電子音、高速プリンタが激しく紙を飛ばす連続音、キンキン唸りをあげるサーバー群。
匂いと音のはざまに、人間がいる。怒号があがるときもあれば、笑いに包まれるときもある。何かに絶望してる人もいれば、楽しいことだけ考えてる人もいる。プレッシャーに耐えられず失踪する者、机に突っ伏して豪快にいびきをかいて眠っている者、いろいろだ。
雑誌づくりの現場は人間味あふれるモノづくりの工場であり、カイゼンもカンバン方式も効果を出せない、もっとも非効率な生産工場だ。
入社希望の大学生に挑発的に問われた。「タウトクはフリーペーパー化しないんですか。雑誌はいずれ全てフリーペーパーになると思います」。
確かにね、あらゆるコンテンツは無料で供給されるようになってるよね。テレビ=無料、ラジオ=無料、インターネット=無料、フリーペーパー=無料。新聞は有料だが、料金銀行振込なら毎日買ってる意識はない。ケータイサイトもパケ代は必要だが、定額設定してるなら無料感覚で使える。現金購入するメディアって、雑誌以外にはタブロイド夕刊紙やスポーツ新聞くらいしかない。電車通勤の人口が少ない徳島では、スポーツ新聞を買う人は虎ファンかプロレスオタク。現金で売り買いされるメディアはイコール雑誌ということになる。きわめて稀少な存在なのだ。各メディアが先を競ってコンテンツを無料で放出している時代に逆行し、お金で買ってもらえる物を必死になってつくる。その不格好な必死さが好きである。
今のカイシャ、50人くらいの若い人が雑誌づくりに取り組んでいる。今年は1年で70本ちかく出版物を出す予定。5日に1日の発行ペースだ。時間はひたすら猛スピードで過ぎていき、未来を考察する余裕はない。ホンダみたいに産業の未来をちょっと考えてみよーかななんて思うときもあるが、すぐ飽きて寝てしまう。雑誌の未来がどうなるかなんてハナから興味がないのだ。半年先の運命を考えるのはスリリングだが、その先の未来を想像するのは退屈だ。戦略は必要だが、空想は無駄だ。
今日おもしろい雑誌をつくり、明日もっとおもしろいものを考える。それをひたすら繰り返す。どこまで続くかわからない道を、バニシング・ポイントみたいに爆走するだけ。その先に何があるかなんて、行ってみないと分からない。
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美味しいお弁当屋さんに行ってみよう
今月の「タウン情報トクシマ」の特集は
おいしいお弁当屋さん
みんなでワイワイ楽しみながら運動した後に
おいしーいお弁当の数々を掲載!
もちろん、レジャーにお出かけする時はバッチリフォロー
徳島日帰り冒険旅行
もオススメです!!
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さらら9月7日号発行!
特集は、結婚をお祝いする側のマネーとマナー。
ご祝儀をいくら包むか迷ったことはありませんか?
また披露宴には呼ばれていないときは、どんな風にお祝いしている?など、
さららが調査しました!
徳島の人の結婚祝いについてのあれこれが明らかに。
聞きたくても聞けなかったマナーについてもこれで解決!
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9月の連休は「タウン情報トクシマ」で楽しもう!
タウトク9月号 好評発売中
9月1日に発売になった「月刊タウン情報トクシマ 9月号」
秋にむけてお出かけが楽しくなるその前に!
タウトク読んで行き先を決めよう!
徳島日帰り冒険旅行はもちろん、
お出かけに欠かせないお弁当を売っている
おいしいお弁当屋さん特集も必見です
で、もっともっと徳島のレジャーを楽しむなら!
休日計画1000!
どちらも、徳島県内の各スーパー、コンビニ、書店で絶賛発売中!!
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徳島で雑誌をつくろう そのサン「雑誌を創刊しよう!」文責=坂東良晃(タウトク編集人)
今回は15歳から25歳までの人に向けて書きます。
ぼくは雑誌をつくってメシを食っている。
これ以外に生きていく方法を知らないし、これしかできない。フリーターを何年間かやっていたので、いろいろな職業は経験したが、やっぱし雑誌をつくることしか自分にはできない。そもそも本をつくって食べていくことなど、できるとは思っていなかった。好きなことを好き勝手にやっているうちに職業になってしまった。小さい頃から本と雑誌とマンガが大好きだった。友だちがプラモデルやテレビゲームに夢中になっているときに、本と雑誌とマンガばかり読んでいた。保育園に通っていたころから本屋の立ち読み常習犯であった。阿南市の富岡商店街にある、中富書店という本屋さんの前に居座り、新刊マンガが出るとすべて読みあさっていた。昔はコミックスにビニル封がされていなかったので、本屋さんは無料で遊べるパラダイスだった。1日に2時間も3時間も立ち読みし、足が疲れると店の前の道路に寝転がって立ち読み(寝読み)をしていた・・・らしい。
日が暮れかけると川向こうの製パン工場に勤める祖母が帰ってくる。祖母はパン工場から出たパンくずをビニル袋いっぱいにつめて、桑野川に架かった橋を渡って帰ってくる。「今日は何のパンが食べれるんかなぁ」と餓えた腹をさすりながら、長い待ち時間を本屋ですごした。本を買った記憶はない。中富書店の方は、よくぞそんなガキを許してくださっていたものである。本当にすみませんでした。今さらながら反省しています。
小学校5年生のとき雑誌のようなものを創刊した。ポルノ小説とポルノ漫画をふんだんに取り入れたポルノ雑誌である。表紙も目次も特集もある、雑誌の基本機能を備えた作品である。タイトルは「週刊エロトピア」だ。それを友だちに回して遊んでいた。貸本料として「当たりバー」という30円のアイスクリームをおごらせていた。次号を読みたいというリクエストにこたえ、何号か発行した。
担任の先生にその一部始終がばれて、「おまえの血には毒液が流れている」と扇情的なお叱りを受けた。独特の言い回しで自分のことを評価されて、ぼくはとても嬉しくなった。デビルマンみたいでカッコイイと有頂天になった。先生はぼくの雑誌をしかめっ面で読んでいたが、後半はニヤニヤしていた。ぼくに観察されていることに気づき、襟を正したが、「ロクでもないが、よくできている」という高い評価をしてくれた。ものわかりのいい先生だったってことだ。
モノを書いて金をもらうという習性は抜けず、中学生になってもポルノ小説を書きつづけた。とくに性的な興味が強かったわけではない。いろんなモノを書いてみたが、同級生が書いた純文学や冒険小説を読みたいという中学生は、どこにも存在しなかった。みんなが喜んで読んでくれるのはポルノ小説。50円ほどの購読料を払ってくれるのもポルノ小説である。読者が求めるものをつくれば読者は喜び、小遣いが増える。その原始体験である。
高校時代は、ラブレターの文面を考える仕事をした。モテない男子に声をかけては、かなわぬ恋に悩む彼の想いを聞き取り調査し、好きな女の子をいかにして彼に振り向かせるかという筋書きを考え、実行した。これは空想上の恋愛小説を書くよりも遥かにスリリングである。ぼくの企画と文章の向こうには生身の人間がいる。そして、恋愛感情という人間にとってもっとも大切な部分を動かせるかどうかという大チャレンジなわけである。自分の企画力と文章力が実戦で試されるのだ。REALな世界だ。ぼくの恋愛企画は勝率3割3分くらいの結果をたたき出したが、それが優秀な数字かイマイチな結果なのかは今でもわからない。
高校を卒業して働き始めた出版社で、ぼくはプロフェッショナル中のプロフェッショナルと言える編集者に出会うことができた。それは本当に幸せなことだっだ。この話は長くなりそうなので、また今度しよう。
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ある情報を大量に他の人に伝える媒体(メディア)として、雑誌はとてもおもしろい。
おもしろい理由はいろいろある。ぼくがいちばん気に入っているのは、創業するときに目ン玉飛び出すほどのお金はかからないという点だ。といっても数百万円は必要だけど、20坪くらいの服屋さんや雑貨屋さんやカフェなどのお店を出すことを考えると、同じくらいの金銭的リスクで雑誌は創刊できる。大金がかかるなら、いたずらに他人におすすめしてはいけないと思うが、「なんかおもっしょい店やらん?」くらいのノリでは、おすすめできる。もちろん失敗したら数百万円は失くなるけど。でも、それだってお店やるのと同じ。
いわゆるメディア業と呼ばれる産業のなかで、このような格安の資金でスタートできるのはインターネット以外には雑誌しか見当たらない。たとえば新聞を作ろうとしたら、新聞輪転機という化け物級の印刷機が必要である。自前で購入すれば億の1ケタ単位ではすまない。報道記事を書ける優秀な記者を集めるためには、1年間で人数×1千万円程度の人件費を払えるメドを立てなければならない。大量の用紙の仕入先を確保し、朝3時から配達をしてくれる販売網を築き、収入源である広告代理店網を確立する。壮絶だ。
テレビやラジオの放送局ならさらに巨大な資本が必要である。放送設備をゼロから整えようとするなら、田畑山林をいくら担保に入れても足りない。 それ以前に「放送法」の制限により、新たに地上波放送局を作るなんてことはほぼムリに等しい。
一方で雑誌は、自前で設備をもつ必要がほとんどない。印刷機は外部の印刷所のものを使えばいいし、製本機は製本所に立派なのがある。料金を払って貸してもらえばいい。編集部内にも高額な機械類は必要がない。最低限そろえたいのは、パソコン、カメラ、電話、プリンタ、コピー機であるが、そこそこ動くものであれば問題ない。撮影機材なんか高いんじゃないの?と思われるかも知れないが、大衆雑誌を印刷する場合、3万円クラスのデジカメで撮った写真と、20万円クラスの一眼レフカメラで、印刷面のクオリティに大きな差がでるわけではない。
美術書や企業パンフレットを作るのではなく、一般向けの大衆雑誌なら最低限の撮影機材でよいのである。だからお金はかからない。それでも、創刊から数回分の印刷・製本代金と人件費と設備費あわせて800万円くらい用意しておくに越したことはない。
「コスト安のメディアだから」という理由ならば、そんなに自己資金が必要な雑誌じゃなくて、インターネット上にサイトを開き、そこにコンテンツを展開すればいいんじゃないか?という考え方もある。ぼくもそう思う。より金がかからずに、より表現の制限がない方が、大衆メディアとしては本筋だ。アイデアしだいでインターネットは、強力な大衆メディアに、商業メディアに、民主主義メディアになる。改めて説明の必要もないほどに、すでになっている。
それでもぼくはインターネット上で何かを企てていこうという気にならない。
速報性があり、低コストで運営でき、言論自由なインターネットの世界を選択せず、雑誌をつくって生きている理由は、要するに好きだから、という以外にないことに行き当たってしまう。雑誌というメディアの優位性を論拠だてようとしても、いずれも論が弱い。最終的には儲けようが儲けまいが、誉められようが貶されようが、けっきょく雑誌を作ること以外にやりたいことがないから雑誌をつくっている、としか言えない。
雑誌は意外に簡単に作れる。ぼくはそのことを若いみんなに伝えて、できるだけたくさんの人にこの世界に入ってきてもらえないかと思っている。これから、ぼくなりの雑誌のつくり方についてボチボチ書いていこうと思う。一般教書にあるマニュアルではなくて、アナーキーでよりリアルな方法論だ。
みんなが雑誌をつくりはじめると、商売ガタキをたくさん生んでしまい、ぼくたちのカイシャが潰れてしまったり、自分が職を失くしてしまうかもしれない。それでもぼくはみんなに「雑誌を作ろうぜ!」と言いたい。深い理由はない。「おもしろいのでやろうぜ!」だ。