雑誌現場の反カリスマ経営
文=坂東良晃(タウトク編集人)
19歳の社員が突如ボクの仕事部屋にやってきて、「彼氏がほしいんですけどぉ、どーにかなりません〜?」と言う。そういう考え方はおかしい。好きな人ができたときに交際したいと思うべきであって、どうにかして彼氏を見つけようなんて考えはいかん。まじめに恋しなくちゃ!と我ながらいい回答をする。
ところがそいつはこう反論する。「私はチャラチャラした男のほうが好みなんですぅ〜。まじめな人とか面倒くさーい」。そして、高校時代に本物の恋愛をしたがそのような恋はもう二度とできないかも、といった思い出話を1時間ほど聞かされる。
25歳の女性社員から、「彼氏ができないのは過酷な労働環境のせいではないか、これは労災だ!」と厳しく問い詰められる。これは真っ向からの経営批判である。仕方がないので、クリスマスに向けて合コンの設定をすることにした。20代のまっとうな男性で彼女のいないのを探すのは困難な仕事だが、どうにか段取りをつけた。
ところがその後で、「男前じゃないと困ります」「銀行なら○○銀行にしてほしい」などと、ぜいたくなわがままを言い出す。それを甘んじて受け、再度調整に乗り出す。
「会社を変えよう!ミーティング」ってのをはじめた。
全社員参加で、「うちの会社のここがダメだ」という話し合いをする。
とにかくたくさんの不満がでてくる。フツーもっと遠慮するだろーよぉと思うが、新入社員でも会社のことをボロクソに言う。「メールがたくさん来すぎて読めない」「仮眠ソファーが臭い」「トイレでうんこを流さない人がいる」
まあ好きなだけ言うがいいさ、と思う。
メール受信の設定を変え、仮眠ソファーのヨダレだらけのシーツをクリーニングに出し、
トイレのうんこを皆が流すよう厳しく指導した。
さらには仕事中ノドが乾くので飲み物がいる、と言う。
ウォーターサーバーを設置しようかと提案すると、水よりジュースがいいとダダをこねる。
仕方なく購入してみたら、これがまたよく飲む。1カ月で段ボール15箱分だ。
量販店で2リッター98円の格安のものを選び買って帰ると、文句がでる。
「緑茶より烏龍茶がよい」「コーヒーの味がまずい」「牛乳もほしい」「豆乳も用意しろ」である。言うことを聞いて、ハイハイとふたたび買い出しに出かける。
ニートの男性が採用面接にきた。
この「イカリング」を読んでくれている人だったが、主旨を読み違えている。
「会社に入っても特にやりたいことはないけど、ニートでも働ける会社なんですよねぇ」と堂々と述べるので、
「いやそうじゃない。元ニートだろうと元暴走族だろうと経歴は問わないが、、
仕事を真剣にやろうって決意した人じゃないと採用はできないです」と説明すると、「ニートでも働けるみたいなこと書いていたじゃないか、ニートをバカにするな!」と強く怒られた。ニートにバカにされたのはこっちだ。
ボクは、この業界では古株なはずだが、威厳というものがまったく備わらない。
現場の仕事はほとんどやっていないから、自分の仕事ぶりをカッコよく他人に見せることもできない。だから「何をやってるかわからない変なオッサン」になっている。
頼まれたらリカオーにジュースを買いに行ったり、うんこを流せとたまに怒る人・・・くらいの扱いだ。よくこんな貧弱な経営者で会社がもっているものである。逆に何にもよーしないから、部下が立派なのかも知れない。
ぼくは雑誌が作れていたら幸せなので、それ以外のことをやりたいという欲望がない。こういう人物が上に存在してしまっては、若いスタッフの可能性を奪ってしまうことになる。野心に溢れてギラギラしたナイフのような人物に経営を交代してもらえないものかと、そればかり考えている。
年齢を重ねるごとに「企業」という組織形態に違和感をもつようになってきた。
人間がモノを作るために最も適した集団は、現在の先進諸国が採用している営利法人・株式会社という組織コンセプトがベストなんだろうか?
とずっと思いつづけているのである。
資本家がいて労働者がいる。
使用者がいて労働者がある。
決定権者がいて、労働現場がある。
正社員がいて、派遣社員がいて、アルバイトがいて、待遇格差がある。
利益を出し続けなければ成長はなく、成長なくして昇給はなく、利益を出すために市場に消費をうながす。
メーカーはモノを生産するために何らかの地球資源を使用し、加工し、廃棄する。
理路整然たるこれらの流れに、ボクが感じる「なんかちゃう」はどんどん大きくなる。
人間は、なにかの目的を達成するために、集団を組織しつづけている。
組織が存在するのは主に2つの理由だ。「思想の共有」と「利益の共有」だ。
子供たちは、いじめの対象にならないための仲良しグループをあいまいに結成し、お役人やおじさんたちは、利権をわけあうための談合グループをつくる。
残虐な奪いあいや陵辱が行われないよう、道徳と戒めという拘束を効かせたものが宗教。
近隣地域からの侵略を防ぐため、民族の生活習慣を犯されないため、人が飢えない構造を作るために組織されるのが国家。
イスラエルのキブツやコルカタのマザーテレサの家をはじめとする奉仕活動の場、あるいは特殊な目的の秘密結社や、辺境のコミューンは、精神的な充足を得るための組織である。
役人が管理する自治体や国家が運営する「国営公社」的な組織は、古代中国の宮廷政治の時代から非効率性と腐敗を内在している。
プロスポーツの球団は事業主の集まりだ。選手一人ひとりが一事業者として参加し、そして戦っている。ユニークな集まりだと思う。(事業者の集団なのにプロ野球に労働組合があるのはヘンだけど)。
モノを生み出し、価値を生産するために、人間はいろいろなチームをつくってきたのだ。
かく言う自分も、雑誌をつくるために人を雇用し、組織をつくっている。
ぼくの目的は何だろうと、ときどき考える。
うそはいくらでも言える。
「地域社会に貢献し、お客様に利益をもたらすことで、結果として自社が成長し、従業員が豊かな人生を送ることができる」。
これはホントなんだろか?誰が聞いてもウソくさいよね。自分の人生の中で、このような神々しい目的を持つほどの衝撃的な出来事にも、天の啓示にも遭遇していない。
経営者が集まった会合ではすっぺらこっぺら言えても、同級生の前では話せない。「俗人のお前がギャグ言うな!」と相手にもされないだろう。
ウソいつわりなく、誰に気兼ねすることなく、組織をつくる目的を述べたらどうなるのだろう。
他人に押しつけられたくないことを、他人に押しつけたくはない。
他人に管理されたくない。そして行動をマニュアル化されたくない。
他人の自己保身の影響を受けたくない。他人にウソをつかれたくない。
やりたい仕事に集中したい。他人に使ってもらえるものを作りたい。
くだらない人間関係や足の引っ張りあいのために、それをあきらめたくない。
・・・深く考えずに述べれば、こんなトコだろうか。
ならば、逆の組織をつくればいい。
管理されず、マニュアル化されず、ウソをつかない組織。
現場がやりたいことをやれ、生産したモノを使ってくれる人のためだけにアイデアを出しあい、権限者が保身のためにそれを止めない組織だ。
このようなチームを、営利法人あるいは株式会社というカテゴリー内で、つくりあげられるのだろうか。うむむ、難しそうだ。
しかし大土地所有制度や財閥制度、共産主義国家だって崩壊した。これら制度が存在した時代は、永遠に続くと思われていたはずだ。
現在の資本主義的社会システムもいずれば人類成熟の一過程となり、100年後には今とまったく違う形態の生産組織が生み出されている。
財産の相続がなくなって競争が平等化し、人間が本来的にやりたいことを追求し、生活が高次で保障されることで、純粋な知的欲求によってのみモノが生産される。うーん、筒井康隆、星新一のSF小説並みのあり得ない空想社会か。
こんなことを鼻くそをほじくりながらボーッと考えていたら、再び19歳の彼氏募集中の社員がやってきた。
「ま、また彼氏ほしいとかゆう相談か?」
「違いますよ〜、ミスター男子グランプリの中にタイプの男の子がいるんです〜。
カッコイイって思いません〜? わたしこの子がタイプですぅ〜」
この話が1時間。