文=坂東良晃(タウトク編集人、1967生まれ。18〜21歳の頃、日本列島徒歩縦断、アフリカ大陸徒歩横断など約1万キロを踏破。男四十にして再びバカ道を歩む、か?)
大学駅伝の有力校、駒澤大学のエースに宇賀地強(うがち・つよし)という長距離ランナーがいる。この小柄な若者の走りには見る者の脳みそを鷲掴みにして、ぐらんぐらんと揺さぶる何かがある。
宇賀地強の走法は、ストライドの限界まで振りだした脚で地面を強く叩き、蹴り脚は尻でバウンドするまで跳ね上げる。それでいて「ストライド走法」という呼称が似つかわしくないほどに猛烈に早いピッチを刻む。激しい全身運動が生み出した推進力が、その体を滑空させる。長距離走者の走り方ではない。最近走るのが大好きになった中学生の、800メートル全力走のようなガムシャラさである。にも関わらず、彼の走りには独特の哀愁が漂っている。情熱たぎるマグマ状のエネルギーではなく、沈む夕陽に向かって夢中で駆けていくようなペーソスが滲んでいるのだ。現在大学4年生の彼がまだ1年生だった頃は、そういった雰囲気は持ちあわせていなかった。昨年の箱根で、レギュラー部員の持ちタイムで他校を圧し本命視されながら大崩れした駒澤大は、以来、出雲、全日本と、主要な大学駅伝大会すべてで精神面のモロさからボロボロと下位に沈んだ。そんな悲運な母校の責任を一身に背負っているからか。いや、ぼくはそんな単純なサイドストーリーに共鳴しているのではない。
彼は、ただ走っている姿が感動的なのである。上体を揺らしながら1センチでも前にと顔をゆがめる彼には、どこかの瞬間で残りエネルギーがゼロに達し、ヒモの切れた操り人形がそのままの勢いで路上をバラバラと転がっていくような、壮絶な最後をイメージさせられる。純粋に理想の走りを追求するためだけに自らを限界以上に追い込んでしまう破滅的な走りが、胸に突き刺さるのだ。走るだけでこれほど何かを感じさせてくれるランナーはそうはいない。
いてもたってもいられなくなる。天気のいい日曜の昼間、テレビの前で寝っころがってハーゲンダッツをペロペロ舐めながら駅伝眺めている自分が許せなくなるのである。だから宇賀地くんの試合を見たあとは、必ず全力疾走する。むろん宇賀地くんのような実力はないから2000メートルあたりでひっくり返る。
どんなマラソンの教科書にも、イーブンペースと前半自重の重要さが語られている。オーバーペースは30キロ過ぎの壁を招き、必ずや潰れると。でもぼくは今この瞬間、自分が出しうる最速のスピードで走りたい。後半に足を残そうとかペースを維持しようとか一切考えずに、ツっこみにツっこんで、脚もちぎれんばかりに攻めて、あえぎにあえいでゴールに飛び込みたい。「いったん爆死してから、どれだけ耐えきれるか」、それが自分を認められるかどうかの絶対ラインだ。
世界がどんなに革命的なテクノロジーで覆い尽くされようと、ぼくはアナログな価値観しか持てない。自分の足で移動し、痛みや苦しみの感覚が伴ってないと、そこに至ったという記憶さえ不確かなのである。このごろ何度も同じ映画を再生している。中学生の頃から繰り返し観ているアメリカンニューシネマ。「俺たちに明日はない」「タクシードライバー」「ファイブ・イージー・ピーセス」「明日に向かって撃て!」。あてどなく放浪し、無謀に攻めこみ、奔放に逃げ、最後はマシンガンで蜂の巣にされる自爆的な生きざまへの憧憬。2年前にランニングをはじめるまでは、完全に喪失していたデカダンスへの渇望。
秋のレースシーズンに突入し、「四万十ウルトラ」「阿波吉野川」「淀川市民」「南阿波サンライン黒潮」と週1ペースでレースに出、今のところ全レース爆死している。100キロレースなら10キロ×10本の意識で、フルマラソンなら5キロ×8本のタイムトライアルのつもりで押していく。毎レース、中間点を手前にして鉛の手かせ足かせがハマり、ハムストリングがピキピキと音をあげ、痙攣が「毎度、おじゃまします!」とやってくる。やがて仮装したドラえもんやらタイガーマスクやらに抜かれ、おしゃべりしながらファンランしてるランスカのギャルに左右から追い越される屈辱を舐める。脳内イメージは宇賀地強、現実はグチャグチャに負けるためにひた走る中年市民ランナー。
でもいつか「その日」が来る気がしている。自爆ペースでツッこんで、そのままの勢いを維持し、中盤からはさらに加速し、背中に翼が生えたような超感覚につつまれ、風を切ってゴールゲートをくぐる瞬間が訪れると。熱量を全部使い切って、フィールドの枯れた芝生の上で2時間くらいピクリとも動けなくなるほど消耗しつくす。箱根の選手たちのような命を切り刻むレースがきっとできると信じ、今シーズン全レース自爆を誓う。
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【超長距離レースの誘い】
踏破距離200キロを超える超長距離レースのシーズンは、4月にはじまり5月と9月にピークを迎える。だいぶ先のことだと思っていたら、おっと!エントリーの時期に突入しつつあるではないか。「スパルタスロン」や「ウルトラ・トレイル・デュ・モンブラン」など日本でも著名なレースは参加枠や実績による選考もあり困難だが、他にも楽しそうな大会はある。今ならよりどりみどり、どのバカロードに足を踏み入れようか、悩ましくも喜ばしい状況である。
□川の道フットレース
知る人ぞ知る超長距離ロードレース。4月〜5月の黄金週間中に、東京湾から新潟県の日本海側まで522キロを制限135時間で走る。途中3カ所で休憩(仮眠や入浴ができる)を採ることが義務づけられているのがユニーク。
□本州縦断フットレース
青森駅前から下関駅前まで1521キロを制限540時間で走りきる。今年は5月〜6月に開催されたが、来年はランナー自身がスタート日を決めるという変則的なものになるみたい。
□トランスジャパンアルプスレース
日本海側の富山湾から太平洋岸の駿河湾まで、北ア・中央ア・南アと日本アルプスの主要な山岳地帯を8日間かけて踏破する425キロの究極トレイルランニング。参加者個人が主催者という位置づけ。山と長距離走のエキスパートだけが参加を許される世界最過酷と呼ぶべき大会。2年に1回開催。
□トランス・ヨーロッパ・フットレース
毎回コースは異なるが約5000キロを60〜70日かけて走破するロングジャーニー。公民館などで寝泊まりしながら、毎日平均70キロ前進。荷物30キロまでは大会側が次のチェックポイントまで搬送してくれ、簡単な食事も提供される。今年は4月〜6月にかけて開催され、イタリア南端の岬からノルウェー最北端の岬までの欧州縦断コースだった。アメリカ合衆国を東西に横断する「トランス・アメリカ・フットレース」が消滅した今、大陸横断系として最も食指をそそる大会である。