文=坂東良晃(タウトク編集人、1967生まれ。18〜21歳の頃、日本列島徒歩縦断、アフリカ大陸徒歩横断など約1万キロを踏破。男四十にして再びバカ道を歩む、か?)
沖縄県・宮古島は世界で唯一の「100キロウルトラマラソンが2日連続で開催される島」である。あるいは「世界で一番早く・・・つまり1月に100キロウルトラマラソンが開催される場所」とも称されている。
本当に世界で唯一かつ一番早いのかどうか確かめたわけではない。そのような評判があるので、そうなのかなと思っている。その辺はアバウトでよい。新年早々、徳島から1300キロも離れた南の島へ出かける理由は、100キロレースを連チャンで走れるから、という以外にない。
四国や関西から宮古島に直行する航空路線はない。関西3空港かあるいは高松空港から那覇を経由し宮古島に入る。早期予約割引の航空券なら片道都合1万7000円台である。
夜も明けぬ松茂とくとくターミナルにバイクで向かえば鼻ももげんばかりの寒さ。しかし高速バスの乗り場って、駐車場難の徳島駅前か、徳島市内から遠い松茂か、なんでこんな選択肢しかないのか悲しい。もっとほどよい場所に1停留所つくってくれ! バスターミナル駅が帰路にあるってのも意味不明である。ふつう徳島から出て行く方向にターミナル作るだろうに。
とブツクサ文句をたれながら早朝の高速バスで発ち、神戸空港より出でて那覇空港に降り立てば気温は20度。初夏とも言える温かさである。さっそく空港売店で「塩ちんすこうアイス」を食すと悶絶するほど美味。那覇から宮古島へは空路50分を要する。宮古島は、本州はおろか、沖縄本島よりも台湾本土に近い位置にあるのだ。
到着後は予約していたレンタカーを運転する。レンタル料1日3000円、けっこうボロボロの軽自動車だけど特に支障はない。空港を出ると木訥とした南洋の島のイメージが覆される。広い3車線道を自動車が行きかい、ファミマやモスなどチェーンストアの看板が目立つ。マックスバリュの広大な駐車場には数百のマイカーが並ぶ。林立する高層マンションやリゾートホテル。目抜き通りにはオシャレなショップ、カフェ、土産物店が居並ぶ。うーぬ、これではある意味、徳島より都会ではないか。
島の至るところで道路の改良工事が行われている。島じゅうの幹線道路に広い歩道を増設している模様だ。青い海を遙か見渡せば、視界の彼方までつづく「伊良部大橋」の建設が行われている。宮古島と群島をなす伊良部島へと伸びる全長3540メートルの「通行料金を徴収しない橋としては日本最長」の橋は、総工費320億円をかけて2012年に完成する長大橋だ。農漁業を主産業とし人口わずか6800人の伊良部島に320億円かけて橋を架ける所作は、島人たちには悲願であっても、部外者にはバベルの塔の建築に思える。宮古島にはすでに2本の長大橋があり、1本は人口800人の池間島へ1425メートルの橋が、も一本は人口200人の来間島まで1690メートルの橋がででんと架かっている。こゆうのを見ると我が国の財政難ってのが信じがたくもあるが、そこは大人の事情があるのだろう。とかく、公共や民間のお金が投じられやすい島だってことは、盛んな土音が示している。
宿泊は沖縄の離島に多いゲストハウスタイプの宿にした。ドミトリー(大部屋)なら1ベッド1500円〜1800円。シングルルームでも2500円前後が相場。コンセプトはバックパッカー向けではあるが、外国にある貧乏宿とは似ても非なるもので、とても清潔かつオシャレな造りである。ゲストハウスを経営する若者の多くはナイチャー(本土から移住してきた人)、運営するのは旅行中に住み着いたアルバイトスタッフたち中心だから、ここに泊まっても地元経済に貢献はできないかも知れない。たぶんゲストハウスじゃなくて「民宿」と銘打っている宿が地元経営なんだろう。
さて肝心のウルトラマラソンだが、初日は宮古島100kmウルトラ遠足(とおあし)、2日目は宮古島100kmワイドーマラソンである。2連戦とはいうものの両大会が意図的に連戦を企画しているのではない。主催者が異なる別々の大会なのだ。「ウルトラ遠足」の主催者は、90年代にトランス・アメリカ・フットレース4700キロを2年続けて完走した偉大なウルトラランナー・海宝道義さん。「ワイドーマラソン」は地元新聞社・沖縄タイムス社と宮古島市役所が主催し、地元陸協、警察署、自衛隊なども協力体制をとっている。
宮古島の人に「100キロマラソンに出るためにやって来ました」と告げると、ほぼ100%「ワイドーですね」との返事。「ワイドーの日はボランティアやってます」「1日道路で応援してる」との人もいた。ところが、前日に行われる「ウルトラ遠足」は驚くほど知られていない。両方の大会に出ると説明をしても「?」という鈍い反応である。「ウルトラ遠足」は、700人もの島外からのランナーつまり観光客を誘致している大会にも関わらず、島民はほとんど無関心なのである。参加者724人のうち沖縄県民の出場はわずか13人であることも感心の薄さを物語る。一方の「ワイドーマラソン」は100キロと50キロの部にエントリーした539人中145人が沖縄県民。つまり、沖縄県外のよそ者ランナーには「ウルトラ遠足」が好まれ、宮古島市民や沖縄県民には「ワイドーマラソン」の認知が高いという、奇妙なギャップがある。島に滞在しておれば自然とわかるが、地元のケーブルテレビや新聞で大きく報道されるのは「ワイドーマラソン」の方だけ。
このことは大会運営自体にも影響を及ぼしている。両大会ともほぼ同じコースを走るのだが、「ウルトラ遠足」は基本的には歩道を走ることが義務づけられている。かたや「ワイドーマラソン」は車道上を走るコースが少なからずある。また、走った後でわかったが、道路の誘導員や、エイドの数、市民の応援などは「ワイドー」が圧倒的に充実している。主催者の挨拶も、どーも双方が微妙に対立しているような雰囲気を漂わせている。うーん、きっと大人な事情があるのだろう。長年、開催するなかでボタンの掛け違えもあったんだろう。
しかしこれ以上、両者の運営のインサイドストーリーを詮索しても、前向きな何かを知ることはできないんだろう。島の施設や道路を借りて、楽しませてもらってる余所者ランナーとしては、精いっぱい走り、走ったあとは島で飲み食いし、お金を落とす。地元へのお返しはそれくらいしかできない。
両大会の性格を簡単にまとめれば、こんなとこだろうか。
□宮古島100kmウルトラ遠足=ランナーは記録を求めるのではなく、島の自然やランナー、島人との交流を主眼に走る。また走るうえにおいては、自己責任原則で道を選び進み、日の出前・日没後用としてヘッドランプなど照明具を用意する(このあたりはトレイルランのレースと同じだ)。参加者は経験豊富な成熟したウルトラランナーが多い。
□宮古島100kmワイドーマラソン=島あげての大会運営と応援。100キロレースにも関わらず2.5キロおきにエイドが配置され、荷物受け取りエイドも2カ所という充実ぶり。日の出前も多数の投光機や誘導員によって道に迷うこともなく安心して走れる。
どちらを好むかは、そのランナーの気質による。いずれも素晴らしい大会であることは間違いない。
初日「宮古島100kmウルトラ遠足」のスタート時間は午前5時。スタート地点である宮古島東急リゾート(ホテル)の前庭には、午前4時頃にはランナーが集まりはじめ旧知の顔見知りとの再会を楽しんでいる。この独特のフレンドリーなムードを好んで毎年参加するランナーが多いという。昨年、レースの真っ最中にプロポーズし、今大会後に結婚式を挙げるというカップルがウエディングドレスとタキシードの出で立ちで登場し盛り上がっている。また、世界のウルトラランニング史上最年少の参加者・8歳と9歳の少年の出場が話題となっている。ランニング歴の短いぼくにも、各地の大会で知り合った人、声をかけあった人が少なからずおり、スタート前までは挨拶に近況報告にと忙しいくらいであった。
スタート位置に並びあたりを見渡すと、ランニング専門誌で見かける有名ランナーの顔が見える。2009年のスパルタスロンで4位に入賞した松下剛大さんや、日本山岳耐久レースを5回制し100キロトラックレースの世界最高記録を持つ櫻井教美さんがいる。こんな世界レベルのトップランナーと同じコースを走れるだけで感無量である。
夜も明けぬ5時、レースがはじまる。なんとしても10時間を切りたいという以外はノープランだったため、脚が出るままに気持ちよく前に進む。不思議なくらい身体が軽い。かつて感じたことがないくらい快適に前方に引っ張られる感覚。5分も経たないうちに間に100人は抜いただろうか。気がつくと、自分と周囲にいるランナーより前には誰もいないことに気がついた。
(あれっ、これってもしかして・・・先頭集団ってやつ?)。まさかまさかと慌てたが、縦長の集団にいるランナーの顔ぶれを見て、ここが先頭だと確信に変わった。(わー、松下さんに櫻井さん、こんな人たちとぼくは一緒に集団走をしている!)。やばい、抑えようとしても溢れ出すアドレナリン。例えるならば、路上でダンスを踊っていてふと周りに気配を感じたらEXILEのメンバーに囲まれてました状態。冷静に踊れったって無理ムリむり。
10人ほどの集団は10キロを47分ほどのタイムで走る。腕時計のラップタイムを見て、自分がここに紛れ込んでいる理由がわかった。100キロを7時間台前半で走れるトップランナーたちは、街灯がなく真っ暗で段差のある歩道で、転倒しないように自重して走っていたのだ。一方のぼくときたら、テンション上がるにまかせてビュンビュン飛ばしているのだ。慎重を期してゆっくり走るトップランナーたちと、ひとりで浮かれきっている全速力バカランナー1名の先頭集団というわけだ。
12キロあたりで集団のペースがあがり、ついていけなくなった。ズルズルと一人遅れはじめ、前方の集団は暗い闇に消えていく。さすがに自力が違う。
やがてぼくは、後方から追いついてきたバラけ気味の第二集団の先頭を走ることになる。キロ4分40秒ほどのペースで、しかし快調に脚は進む。これはスパルタスロン参加資格記録の10時間30分切りはおろか、軽く9時間台を出せるペースである。「生涯初の先頭集団」を10キロほど経験した際に放出されたアドレナリンの効果が相変わらず続いているのか。自分のスピードに酔いしれながら気分は宙を舞う、舞う、舞っている・・・・・・。
そんな有頂天のさなか、突如異変がぼくを襲う。(ん? 道がない。道がなくなってしもたー!!!)。
自分の行く手から突如として道が消えたのである。正確に述べるならば、光源ひとつない漆黒の細い砂地の道はあるのだが、こんな道が正規コースであるはずがない! 振り返ると、ヘッドランプの列が5個、10個と近づいてくる。続々とランナーが近づいてくる。
ヤバイ、やってしまった、どこかで道を間違えたうえ、大勢のランナーを道連れにしてしまった。しかも、その犯罪の責任者は、第二集団のアタマを走っていたぼくにある。
追いついてきたランナーの皆さんに道がなくなったことを伝える。そして謝る。謝る以外に術がない。ランナーたちはぼくに怒りをぶつけもせず、
「あちゃーやっちまった!」
「これが噂の路頭に迷うってヤツね」
「毎年、集団で道に迷うって聞いたけど、まさか自分がね」
などと口々に言い、さっときびすを返していく。
本来のコースに戻る長い帰り道の途中でも「これで100キロレースが110キロレースになるな〜」などと笑い飛ばしながらスタスタゆく。
一方のぼくは、さっきまでの勢いは完全に失せ、ドストエフスキーの世界感を体現するよな陰鬱でふさぎ込んだ精神状態に突入。調子に乗りすぎたのである。このランナーの皆さん方は、道など間違えなければ確実に上位入賞する人たちだ。12キロ地点までヒトケタ順位から20位あたりを快走していたランナーたちを、舞い上がったバカランナーであるぼくが悪夢の蟻地獄へと引きずり込んだのだ。
正規のコースに戻るまで3キロ近い距離があった。往復で6キロのオーバーランである。タイムロスよりも、余計に体力を使ったことよりも、自分のあまりにもマヌケな心理状態の推移が、戦意を喪失させた。やがてひどい頭痛に襲われはじめ、おなかがピーピー鳴りだし、うんこをもらしそうになる。宮古島100キロ2連走は、開始からたったの1時間で暗雲に包まれたのである。 (懺悔は次回につづく)