文=坂東良晃(タウトク編集人、1967年生まれ。1987年アフリカ大陸を徒歩で横断、2011年北米大陸をマラソンで横断。世界6大陸横断をめざしてバカ道をゆく)
北米横断レースが終わるとからだと脳の細胞が休眠状態にはいった。食欲、睡眠欲など一次欲求が極度に減退。「欲」が涸れた状態は良くいえば禅の境地。あるいは生存エネルギーの薄い草食男子の究極をいくか。
36時間、つまり1日半なにも食べないでいると食欲が涌いてくる。主食はアイスクリームとチョコレート。小腹がすいたら生キャベツにアジシオかけてボリボリかじる。炭水化物が足りてなさそうなときは、茹でたパスタにオリーブオイルと塩をかけて食う。最低限、生命を維持するだけの分量を吸収できればいいのである。
それでも口さみしさはあるので、一日じゅうフリスクやミンティアを舌で転がしている。生半可な清涼感では物足りず刺激度最強のブラックミントかドライハードと決めている。最近気づいたんだけど、フリスクとミンティアって1箱に入ってる粒数は50粒で同じなのだ。値段はフリスクが2倍高いし箱も大きいから、フリスクの粒数が多いとばかり思いこんでいた。オランダ産と日本産の違いなんだろうか。あえてフリスクを選択する理由が見つからなくなっている。
毎日寝るのがかったるい。なるべく眠らずにすむ方法はないものか。最低生存するために1日3食も摂取する必然性がないのと同様、24時間で1回眠らねばならんもんか疑わしい。ひょっとしてそう信じ込まされてるだけではないか。もの凄く眠くなるまで寝ない、と決め半月間ためしたところ、ぼくには36時間ごとに睡魔が訪れると判明した。だがこれだと一回眠るたびに生活サイクルが半日ずつずれていくので仕事と両立できず困る。当面は眠いのをがまんして48時間に1回睡眠を目指してみよう。
北米横断のゴールから1カ月もたつのに、まだ走れない。やせ細った筋肉、足の裏のマヒ、全部の関節の痛み。仕方ないので歩いている。10キロを歩くのに3時間かかる。歩くスピードが遅すぎてウォーキングしてるオバチャンに後方からガンガン抜かされる。なかなかの屈辱ではあるが、歩いていないと生きている実感が乏しくなりそうなので歩く。歩けばかろうじて脳が動く。少しは何かやらなければという気も湧く。やりたいことはある。
コンゴ民主共和国という国がアフリカのど真ん中にある。昔はザイールという国名だった。1人あたりの名目GDPが世界179カ国のうちで堂々179位と最下位をマークしている世界最貧国である。15年前に内戦が始まり2年間で150万人が虐殺された。7年後に停戦されたが、今でも国土の大半の地域は無法地帯のままである。農業従事者が国民の75%とされているが、これは収穫し出荷してビジネスを営む農家じゃなくて、自給自足民を指している。つまり、国民の多くは職業を持たず、収入源がない。
内戦時には学校や教会は破壊され、戦後は義務教育制度も失われた。教育者や校舎が残った村落はまだマシな方だが、小学校があっても授業を受けるのは有料。およそ月額500円の授業料を用意できる家庭は少なく、初等教育の就学率は50%に満たない。教室は1クラス100人以上の大所帯、土のうえに座っての青空教室だ。
ぼくは25年前に3カ月、この国に滞在した。天を衝くジャングルの樹木、涸れることなく育つ果実の色彩、桃源郷を想起させる可憐な花々。美しさと豊かさに溢れた国だった。人びとは例外なく優しかった。歩いて旅していたぼくを家庭に招き入れ、寝床と食事を無償で提供してくれた。お礼にと渡そうとしたお金は必ず拒まれた。旅を終え日本に帰国してから、何人かの若者と文通していた。しかし内戦が起こって以降、手紙は来なくなった。国家運営がなされていない状態がつづいたから、郵便物だって届かないのは当然だが、かつての恩人たちが命を失っていないか今でも気にかかっている。次の春、再訪する。自分の目で確かめないまま、人生を終わることはできない。現地に行ってみなくちゃわからないことがある。
日課の10キロ歩きを終えて自宅に戻ると、玄関にランニングシューズが山と積まれている。ちょっとしたスポーツ店より品揃え豊かである。数えれば60足以上ある。大半のシューズは底のソールのゴムがすり減ってジョギングにも使えない。捨てりゃいいんだが相棒感が伴っていて棄てられない。このまま1年に10足ペースで履きつぶしていけば玄関はパニックに陥る。でもきっと棄てられない。
職場に出勤すれば社員はみな忙しそうに立ち振る舞っている。仕事は山のようにあるのに、人手が足りなくて困っている。大学4年生のアルバイト氏いわく、まわりの学生の半数は就職が決まってないとか。ならばうちの会社で働かないか声をかけてくれと頼むと、「たぶん働く気はないから無理です」と言う。就職口がないから就職できないんじゃなくて、ハナから定職につく気がないそうなのだ。中小零細企業は人が足りなくて血まなこで探してるのにね。そーか、ニッポンいい国、働かなくても生きていける。職業も小学校もない国土荒廃したコンゴより5階級くらい不幸格付けがランク上位だ。
そういや数年前、タイの首都バンコクの街角で職を探してる若者がたくさん道端に座ってるの見たな。北部の寒村からあてもなく都会にやってきた若者たちだ。人手がほしい雇い主は周囲をぶらぶら歩いて、元気そうな若者に声をかけて連れてくんだけど、悪いシステムじゃないね。ぼくも徳島駅前で「仕事在りマス」のプラカード持って立ってようかな。
夜、鳴門市陸上競技場に「全日本実業団対抗陸上競技選手権」を観戦しにいく。出場選手には実業団の実力トップクラスから箱根駅伝のスーパースター級まで揃ってるってのに、観客席に人はパラパラ。この国では、箱根駅伝とフルマラソン中継だけが視聴率30%もの人気を博し、それ以外の長距離ランナーの試合は見向きもされず、CSチャンネルですら放映しないという怪奇現象がある。
男子1万メートルの最終組、大塚製薬の三岡大樹選手が最下位でゴールした後、息を荒げてトラックの脇に倒れ込む。観客がほとんど立ち去った寂しいスタジアムの端っこで、紙袋を口に当てがい過呼吸を抑えようと喘ぐ昨年の日本インカレ5000メートル王者。この苦しみをいくつもいくつも乗り越えた人にしか手にできない高みがきっとあるんだろう。
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足裏のマヒはとれずグニャグニャした感触、ゴリゴリ音を立ててこすれるヒザ関節に目をそむけつつ、ギリシャで行われるスパルタスロンに向かうことになった。
日本を発つ2日前にやっと練習で10キロ走れた。タイムは1時間20分。市民マラソンの大会なら間違いなくビリケツ、それが現時点の能力である。一方、スパルタスロンは世界中から化け物級のウルトラランナーが集まる世界最高峰の超長距離レース。にも関わらず完走率は毎年30〜40%程度である。酷暑のなか乾ききった山岳地帯を越え246キロを36時間以内でゴールしなければならない。気候、地形、距離、時間、すべてが鬼的要素を有し、ランナーをことごとく潰していく。
レース序盤の山場は80キロ地点・コリントスの関門。時間設定が厳しく、そこを越えられるかどうかが最初の壁となる。制限時間は9時間30分ながら、コースの大半が起伏に富み、日本国内の100キロレースを10時間で走るくらいの感覚で突っこむ必要がある。つまりキロ6分か、悪くても6分30秒ペースで押していかないと関門に届かない。
出発3日前に10キロ走っただけの現在冬眠男の身体は、20キロを過ぎると濡れ雑巾のように重くなった。脚が痛くてどうしようもないので早くも鎮痛剤を投入するが、さっぱり効いてこない。次第に246キロの完走なんて想像のらち外に去り、目の前の1キロを6分台でカバーすることだけに意識集中する。この1キロで潰れるんなら、その先なんてないに等しいんだから。
80キロ関門が閉鎖される16分前、9時間14分で着くと先着の選手たちはエイドで休憩をとっている。他選手のサポートをしている方々が親切に食料や飲物を提供してくれようとするが、いったん座り込むと二度と立てなくなる気がして、用意されたパイプ椅子の誘惑を振り切りコースに出る。でも、もう脚が動かない。走ることはおろか歩くのもままならない。泣いてもわめいても時速3キロ、それでも前に進めるだけは進みたい。ふどう畑の一本道を、散歩中の5歳くらいの女の子が後ろからやってきて、不思議そうにこっちを見つめる。不審者と思われないよう、弱々しく笑って応える。彼女にヒモを引かれた小型犬がワンワンと鳴き、少女はバイバイと手を振って夕焼けに消えていく。少女と子犬に置き去りにされ、ぼくのスパルタスロンが終わりを告げる。たった83キロしか走れなかった。
惜しくもなんともない結果だからリタイア後は清々としたもんだったが、帰国してから悔しさが沸々と煮えたぎりだした。来年のスパルタスロンまで12カ月ある。1カ月に最低1本は200キロ以上のレースに出るかロング走をし、来年はぜったいに完走すると決めた。そして狂ったように大会にエントリーしまくる。12月の東海道500キロ、1月は宮古島100キロ。3月には小江戸大江戸200キロ、小豆島寒霞渓100キロ、淡路島一周150キロの3連戦。壊れた脚なんか、ムチャ走りしてるうちに痛覚も消えるだろう。
人生に残された時間はたっぷりあるようでいて実はない。自分にとって不要な時間は切り捨て、必要なことだけをやる。今はひたすら長距離を走り、おもしろい雑誌をつくり、コンゴ行きの準備をする。ジャングルの中ではリンガラ語しか通じないから、さっさと覚えないとな。それ以外のことは何もしない。満ち足りていると何もはじまらない。必要なのは寝ぼけマナコとグーグー悲鳴をあげる空きっ腹だ。