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2012年5月
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サービス付き高齢者向け住宅、有料老人ホーム、特別養護老人ホーム、訪問介護、デイサービス、福祉用具・・・など、高齢者の生活をサポートする入居施設や介護サービスは数多く存在しています。
しかし、いざ家族の介護が必要になったとき、自身のシニアライフを考えるとき、そもそも“どこに”、“どんな”施設や介護サービス事業所があるのか分からない人も多いのでは。
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バカロードその45
スパルタスロン・トレーニング 120日前文=坂東良晃(タウトク編集人、1967年生まれ。1987年アフリカ大陸を徒歩で横断、2011年北米大陸をマラソンで横断。世界6大陸横断をめざしてバカ道をゆく)
70年代。若きルポライター沢木耕太郎が「敗れざる者たち」で描いたのは、現役をとうの昔に引退したプロ野球選手が、復帰をめざして1日に40キロ以上のジョギングを続けている姿だった。けっして美しい物語ではない。精神に錯乱をきたした初老の男の哀れで切ない日々の繰り返しである。
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どうしても、たどり着きたい場所がある。かつて世界に覇権を示し軍事国家として君臨したその地は、今は小洒落たカフェと農民が持ち寄る露天野菜市の立ち並ぶギリシャののどかな田舎町となった。スパルタ・・・たった1人の戦士の力が数百人もの兵力に匹敵したと言われる戦いのDNAは、この静かな街に住む人たちの身体のどこかに複写されているのだろうか。
ギリシャの首都アテネを起点に、246キロ離れたスパルタの街へとゴールするレース「スパルタスロン」は、難攻不落の要塞である。
制限時間は36時間。朝7時にスタートし、翌日の夜7時までにゴールに着かなければ失格となる。70カ所あるエイドすべてに時間制限が設けられている。 参加資格は100キロを10時間30分以内か、200キロ以上レースの時間制限内完走。この資格をクリアしたランナーが束になってかかっても完走率は30%程度だ。
0勝2敗。ぼくのスパルタスロンでの戦績である。
おととしと去年、2回出場して2度とも半分まですら進めなかった。1度目は91キロで時間制限にかかった。といっても関門のずいぶん手前から歩いていたけど。2度目は86キロであきらめた。走るどころか歩けなくなって、自分からリタイアを申し出た。
負けた理由をあげるなら100個は軽い。敗北の素を並べて市場が開けるほどだ。だけど、とどのつまり、理由は1つに尽きる。
「弱いから」。それだけである。
強い人は、何としてもゴールまで行く。猛暑でも、土砂降りでも、気を失う寸前まで追い込まれても、強い人はゴールにたどり着く。そうじゃない人は、100個以上ある「完走できない理由」のいずれかの該当者となり、レースから去る。
スパルタスロンの競技としての難しさはイコール克服の喜びの源泉でもある。速いだけでは完走できないし、長い距離を走れるだけでも完走できない。フルマラソンを2時間台で走る人も、フットレースで500キロを完走する人も、スパルタスロンは分厚い壁となって立ちはだかる。
スパルタスロンというひとつの競技には、いくつもの解決すべきテーマが内在されている。スタートから80キロの関門までは、アップダウンの連続する道を1キロ6分で押していく力が必要だ。しかも、力を出し切ることなく、相当な余力をもって80キロを迎えなければならない。制限時間は9時間30分だが、ギリギリ突破するのは現実的ではない。そのあとの関門時間を考慮すると、少なくとも30分、なるべくなら1時間の余裕が欲しい。
経験の浅いランナーの多くは、80キロまでに謎の体調不良に見舞われる。国内レースでは経験したことのない極端に乾燥した気候が、身体から水分をどんどん奪っていく。皮膚の表面に汗が浮かぶことはない。だから自分が脱水状態に陥っていると気づかない。乾ききった皮膚に強い直射日光が当たり、皮膚の表面温度が上昇する。熱くなった体温を放出できなくなり、身体がコントロールできなくなる。40キロまで物凄いスピードで走っていたランナーが、70キロあたりでゾンビのようにフラフラになっている様は珍しくない。
80キロを越すとレースは様変わりする。ぶどう畑と荒野を抜け、1200メートル超の険しい山岳地帯を深夜に越える。疲労の極から1キロ9分のペースを守ることが困難になる。ランナーは大量の痛み止めと、それを上回る量の胃薬と整腸剤を、用法を完全に無視して喉に流し込みながら前進する。体力を使いすぎて内臓に血液がまわらない。走るためには栄養分を補給しなくてはならない。だけど衰弱した胃が受けつけず吐く。吐くと走れなくなる。だから薬剤の力を借りてでも無理やりに胃腸を働かせる。
一昼夜かけて山岳地帯を抜けると、翌朝からは再び酷暑の地獄が待っている。消耗し、乾ききった身体にジリジリと焼けるような日射しが浴びせかけられる。このあたりの苦労は想像のらち外にある。ぼくはまだその地獄の入口までも行っていない。
スパルタスロンのことを思い出そうとすると、自分が走っている最中の光景よりも、リタイア後に収容された大型バスの窓から見た場面ばかりが浮かぶ。エイドの脇に停車したバスは、規程時刻に届かなかった選手を順番に拾っていく。満席に近づくごとに車中にはムンとした汗の臭いが充満する。上に戻している人は珍しくない。吐き気はあっても胃のなかは空だ。胃液のすっぱい匂いが混じり合う。
惨敗兵たちを乗せたバスは、次にリタイアするランナーを待ちながら、のろのろと移動する。車中からは、自分より前に進んでいる選手、まだあきらめていない選手の姿を見せつけられる。エイドに着くやいなや地面に尻餅をつき、そのままの姿勢で嘔吐する人。椅子に深く腰掛け、うつろな目で天を仰ぎ見る人。
顔見知りの選手が現れても、声をかけることをためらう。「がんばれ」も「まだいける」も言葉にできない。どんなセリフも陳腐で的はずれな気がするのだ。彼らはまだ戦っている真っ最中であり、自分はすでに戦いをやめてしまった人。目の前にいる知人は、手の届かない場所にいる人。
彼らはスタート地点とは別人の顔をしている。頬の肉がげっそりそぎ落ちている。1日半のレースで5〜10キロも体重が落ちるのである。人相が変わって当然である。
自分よりはるかに強いランナーが、こんなにも衰弱している。その姿を見て、今の自分には無理なんだと自覚する。だけど、こうも思う。無理なんだけど、ここまで走りたい。きっと走れなくはない。
真夜中。山岳地帯へとつづく長い長い峠の登り坂は、バスで移動していても終わりがないと思えるほど長い。収容バスが通る脇を、ヘッドランプの光を瞬かせて暗く険しい闇を黙々と走るランナー。言葉では表現しきれない、深い人間の営み。無益なもの、生産しないもの、ただ走るという行為に没頭する深い孤独。
やがて山の天気は一瞬のうちに崩れ、豪雨が地表を叩く。行き場のない雨水が道路を川に変え、ランナーの足の甲まで水で浸す。ランナーは冷たい水流に抗うように、水しぶきをあげながら前へ前へと進む。この人たちは何と強いのか。その姿は神々しく、気高い。さっきまで自分がこのレースに参加していたとは信じられない。自分とは別次元の強さだ。
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沢木耕太郎のルポルタージュを読んだのは30年も前なのに、ことあるごとに、かの選手の生きざまが頭をよぎる。「そうなりたくない」という気持ちと、「そうありたい」という気持ちが螺旋を描く。
世の中の多くのまっとうな人は、ピリオドの打ち方を心得ている。自分でできる範囲はこれだけ、とラインを引くことができる。年齢を重ねれるほどに人生を達観し、穏やかに時を過ごす。でもぼくはラインが見えなくなった狂ったお年寄りの話が忘れられない。
5月、67キロあった体重を61キロに絞る。あと1ヵ月でさらに6キロ落として55キロにする。全部で12キロ減量。朝は20キロのペース走。キロ5分25秒設定。重要なのは疲れないことだ。呼吸数と心拍数を平静時なみに保ちながら、楽に20キロを走り終える。追い込みはしないものの、4日目あたりから脚がずっしり重くなる。それでもペースを維持する。重くなってからの練習が実戦につながる。1日でも練習を休めば脚が軽くなってしまう。疲労が抜けた状態の練習は、役に立たない気がする。月に2度は100キロ程度のロング走をする。
食事は1日1食のみ。ボウル1杯の野菜を食べる。喉が渇けばアサヒ・メッツコーラをガブ飲みするが、特保の価値はよくわからない。口さみしさはミンティア・ドライハードで舌を焼いて散らす。それでも腹が減ったらトマトで飢えをしのぎ、水道の蛇口を針金で縛った力石徹の地獄をしのぶ。
スパルタスロンをライフワークにする気はない。もう二度とリタイアはしたくない。何が何でも今年、絶対にスパルタまで走りきる。脚を作り、高温に耐える身体に変え、鶏ガラ痩せになるまで絞り込む。何もかもやり尽くして、必ずスパルタのゴールにたどりつく。人生、うまくいくことなんてほとんどない。でも、たまにうまくいくことがある。それは偶然起こるんじゃなくて、針の穴を通すようなギリギリの可能性を信じて、無理やりこじ開けるものだ。
レースまであと120日。100%無理だとは、とうてい思えない。どんな困難でも克服できる方法があるのではないかと思う。あきらめたら終わりなのだ。あきらめない限り、負けではないのである。ケンカの理屈と同じである。100回つづけて負けていても101回目に勝てば、それ以降は勝者なのだ。 -
バカロードその44
運命の反り投げ文=坂東良晃(タウトク編集人、1967年生まれ。1987年アフリカ大陸を徒歩で横断、2011年北米大陸をマラソンで横断。世界6大陸横断をめざしてバカ道をゆく)
ある日、無性に揚げあんぱんが食べたくなり、パン屋さんに駆け込むと、運よくラスト1個だけ棚のトレイに乗っかっている。こんな幸運はあるだろうかとにんまりする。いくつかのパンとともに購入する。
ホンダXR230にまたがり帰路につく。車高の高いオフロードバイクから眺める街の風景が好きだ。初夏の空気がジェットヘルの隙間からなだれ込む。左ミラーにひっかけたパン屋さんの袋が風にゆらぐ。
単気筒エンジンの鼓動が腹に響くとともに、腸管がはげしく蠕動運動しはじめる。急速に空腹感が増す。頭の中で、さっき買った揚げあんぱんのことを考える。つやつやと油をまとわせた生地はほんのり温かい。歯をたてると表面の揚げた薄皮がシャリッとはかなく音を立て、中からジューシーな粒あんがほとばしるだろう。
渇望感はむくむく膨れあがり、抑えることのできない欲望モンスターに変わる。揚げあんぱんを口にしたくて仕方がない。食べよう、今すぐ食べよう。数秒後の悦楽を想像して、大量の唾液をごくりと飲み込む。
左手でクラッチレバーを握り、左足を蹴り上げてギアをサードに落とす。アクセルレバーを右手でコントロールし、時速40キロ程度に安定させる。ジェットヘルのシールドを上げる。左手で薄いポリエチレン袋に入った揚げあんぱんをおもむろに取り出す。いよいよだ。口元にパンを近づけ、かじりつこうと口を大きく開ける。
その瞬間、親指と他の4本の指の間から揚げあんぱんがつるんと滑りだす。油に覆われた生地の表面とポリエチレン袋の間の摩擦係数は限りなくゼロに近い。ぼくの握力はその繊細な力関係を掌握できなかった。揚げあんぱんは唇をかすめて、相対速度40キロで後方に飛び去る。空を舞う揚げあんぱん。
後方を振り返ると、アスファルトの路面にきつね色のパンが1個、ちょこんと鎮座している。それは実在する光景であるにもかかわらず超理念的な美術絵画のようであり、限りなく不条理な心象風景のようだ。
揚げあんぱんを残したままバイクは走る。この身に起こった不幸な事態が飲み込めず、思考力は無になっている。落下地点より1キロほど離れたころ、落とした揚げあんぱんがどうなっているのか気になりだす。後方から車がどんどん来ている。パンはとうの昔に、大型SUVの高性能ブリヂストンタイヤに踏みつぶされペチャンコになっているに違いない。でも、そのままではいられない。急制動を効かせ右足を地面につき鋭くUターンをする。
500メートル、400メートルと近づいていく。心の臓が高鳴る。ゆるいカーブを描いた道路の彼方にきつね色の物体がある。近づく。横を通り過ぎる。視界の隅で揚げあんぱんの状況を読み取る。無傷だ! 車道のちょうど中央部に落下したパンは、幾台もの後続車両の左右タイヤ間をかいくぐり続けたのである。再びUターンし、周囲の視線がないことを確認したうえ、路上のパンを拾い上げる。一点の傷もない、パン職人が形成したままの姿である。砂も埃もついていない。揚げ油がすべての塵芥をはじきとばしている。
一度は手のひらからこぼれ落ちた揚げあんぱんを、いま噛みしめる。こんな美味しいパン、今まで食べたことあっただろうか。
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ぼくはときどき我に返り、幸せの偏差値が低すぎることに唖然とする。
男として生まれたからにはもっと大きな野望や到達点がないといけないのではないかとひとしきり反省する。
朝鼻をかんだとき巨大な鼻クソがワインのコルク栓を抜くようにポンッと取れるたびに、夜寝ようとして枕の位置と後頭部がカンペキにフィットするたびに、限りない幸福感を覚えている場合なのだろうか(ぼくは、頭に合う枕を探し求めて12種類もの素材と形状の枕を布団の周辺に並べている)。
不幸な出来事もレベルが低い。ランニング中に野良犬の脚を蹴ったためにワンワン執拗に追いかけられたり、電線もない場所で飛行中のカラスのフンが脳天を直撃したり、トイレで便座を上げるのを忘れて腰掛け、お尻が便器にはまったりと、毎日つまらない小事件にみまわれる。後生に語り継げるほどの大事件は起こらない。誰に言っても「ふーん、ほーなんじゃ」で終わる程度の出来事ばかりである。
自分は今、この人生を四十数年生きているけど、もっと何か大きな衝撃とか、運命の分岐点はなかったのだろうか。ドラマや小説によく登場する「あのとき、自分はこうしていたら」っていう。
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あった。1度だけあった。高校二年生のときだ。
その頃ぼくは、プロレスラーをめざしていた。
冗談ではない。1日にヒンズースクワットを1000回、カールゴッチ式腕立てふせを300回、ジャッキー・チェン式指立て伏せを100回。スクワットは「これ以上できない、という所からの1回が本当の練習の始まりだ」というジャイアント馬場の言葉を信じ、足下に汗の水たまりができるまでやった。
電信柱を正拳で血が滲むまで殴る練習は漫画「空手バカ一代」に教えられた。本物の格闘家なら、パンチを放った際に電線に止まったスズメが落ちると描いてあった。
家にあった白クマのぬいぐるみをスパーリング・パートナーとし、布団をリングに見立てて実戦正式の練習も積んだ。
NWA世界ヘビー級チャンピオン、テリー・ファンクに、「いつかあなたのようなレスラーになります」といった主旨の手紙を書き、テキサス州の自宅にエアメールを送ったこともある。本人からではなく奥様から絵はがきの返事が届いた。冗談ではないのである。
「週刊プロレス」「月刊ゴング」「週刊ファイト」、専門誌にはすべて目を通し、プロレス業界の動きを追った。各誌の編集長であるターザン山本、竹内宏介、井上義啓の名文に心躍らせた。
試合結果を伝える熱戦譜の欄の片隅に、ときおり各団体の練習生募集の求人が出た。
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□△○プロレス
練習生募集!
格闘技、スポーツ経験者歓迎。
身長180センチ、体重80キロ以上。
心身共に健康であること。
履歴書と写真(上半身、全身)を送付のこと。
書類審査、体力テストあり。
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おおむね、このような内容である。
体力テストの課目は、たまにレスラーのインタビュー中に出てくるので大体把握している。スクワット500回とか腕立て伏せ200回あたりである。また、マット上での受け身などの実技もあり運動センスを見られる。
体力テストに関してはぼくの毎日の練習量より少ないから合格するに違いない。問題は体格である。身長が13センチ、体重も20キロ足りない。体重は食えば太るだろうが、身長ばかりは伸ばしようがない。大相撲の新弟子検査では、背丈足らずの中学生が頭頂部にシリコンを注射するという話を聞いたことがある。ぼくも来るべき入団検査の際は、どんな汚い手を使ってでも身長を伸ばさざるをえないと決意していた。
機が熟せばいつでも練習生に応募できるよう、高校の生徒手帳に新日本プロレス、全日本プロレス、国際プロレスの道場の住所をメモした。
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その日は平日で、高校の授業の6時間目はさっさと辞退し、牟岐線に乗って徳島市立体育館にむかった。新日本プロレスの試合があるのである。当時、初代タイガーマスクが爆弾小僧ダイナマイト・キッドと抗争を繰り返し、長州力がはぐれ国際軍団と電撃合体し維新軍を結成するなど、空前のプロレスブームが巻き起こっていた。同級生たちも大挙して観戦に行くと張り切っている。だが、アントニオ猪木VSストロング小林時代からプロレスを見守り続ける自分にとって、最近ファンになった同級生たちとは会話のレベルが違いすぎて、お話にならないと感じていた。地上最強の格闘技でありながら人間の生き様をリングで表現する卓抜した舞台性。反骨、エゴ、嫉妬、暴力、正義と悪・・・人の深層に流れる感情や矛盾を、レスラーは一個の肉体と、研ぎ澄まされた言葉でみせる。ぼくにとってプロレスは人生そのものなのであった。だから急造ファンのくせしてリングサイド券などを買いくさった底の浅い同級生とは格が違うのである。本物のプロレスファンは二階席の最前列から俯瞰で試合を見守るものである。
プロレス会場を訪れ、まずやるべきことは試合前の練習を見ることである。夜6時30分からの試合開始なら、選手たちは3時頃からリングを組み立てスパーリングを始めるのだ。プロレス生観戦歴の長いぼくは、徳島県内の主要体育館ならば、どの裏口や窓が施錠しておらず潜入可能か把握している。
すかさず徳島市立体育館の裏手に回り、館内に忍び込んで二階にあがる。一階にはすでにリングが完成し、10人ほどのレスラーがスクワットをしたり、受け身をとったり、スパーリングをしている。
メイン照明の消えた薄暗いリングで行われるレスラーの練習は、ふだん試合で見ている様子とはまるで違う。飛んだり跳ねたりの観客を沸かせる大技はいっさい使わない。ひたすら寝技、ひたすら関節技の応酬なのだ。
おもしろいのは、試合では毎回負けているような初老とも言えるベテラン選手が、練習では圧倒的に強いのである。ふだんはテレビにも映らない前座レスラー・・・真剣に試合するわけでもなくコミカルなしゃべりで観客の笑いを取り、メインエベンター登場前の会場を温める役割を演じているベテランたちが、試合前にはスターレスラーをマットに這わせて、いいように弄んでいる。
前座のコミックレスラーとして通に人気の荒川真が、仰向けに寝かせた若手レスラーの上に乗り、でっぷりした腹を相手の顔にのしかけて「ほら、逃げてみろ」と遊んでいる。若手は身長190センチはあろうかという大型レスラーだが、どれだけテクニックを駆使しても、暴れても、荒川真の腹から脱出できない。もがき苦しむ若手。荒川は、腹這いのまま他のレスラーと談笑しながら、ときおり若手の肘関節を極めて「マイッタ」をとる。本当に強い男、それは試合ではなく練習場にいる。
2階席の片隅にしゃがんで、手すりの隙間から静かに練習を見つめる。それは至福のひとときであり、誰にもじゃまされたくない静謐な空間である。
静けさが不意に破られる。二階席の後方がふいに騒々しくなる。
「うわープロレスの練習しょんでーか、タイガーマスクおるんちゃうんか」
「藤波おらんのん、長州おらんのん。おらんわ、知らんヤツばっかりじょ」
「いけいけー、ドロップキックしてくれー」
最悪である。現れたのは紫や黒のヤン服を着た金髪ドヤンキーの一群である。
リング上と周辺にいるレスラーの多くがこっちを振り返り、ベテランレスラーが叫ぶ。「コラ、おまえら出て行け」
よせばいいのにヤンキーが応戦する。「うわ怒っとーぞ。おまえらや怖わーないわー」
最悪だ、最悪だこいつら。レスラーへの尊敬のかけらもない。なんでこんなクソ野郎どもがプロレス会場に来るのだ。
すると、レスラーのなかで最も小柄な選手が、疾風のような素早さで階段の方へと駆けていく。
「うわ、こっち来るぞ」とヤンキーどもは全員が逃げだす。
ぼくは動かない。だってぼくは悪いことなど何もしていないのだ・・・開場前に忍び込んだこと以外は。
若手レスラーが二階に躍り上がった頃には、こっちはぼく一人である。
近づいてくるレスラーの顔、プロレス雑誌で見たことがある。若手の山田恵一だ。
高校アマレスの有名選手からプロレスに転じ、メキシコで修行を積み、骨法など武道格闘技を取り入れたストロングスタイルを極める。そう、後にマスクをかぶり獣神サンダーライガーとなる男である。
山田は、ぼくから20センチしか離れていない場所に仁王立ちする。そしてぼくのシャツの胸元をつまみあげ、首をぎりりと絞めあげる。キスできそうなくらい顔が近い。身長はぼくと大して変わらない。180センチじゃなくても入団できるのだ。細い一重まぶたの奥の瞳は、プロの看板を背負った圧倒的な自信に満ちている。
「おいテメエ、レスラーなめんなよ」。かすれた声。ドスの効いた本気のセリフだ。
だが、ぼくは気がつく。山田の脇がガラ空きになっているのだ。
(殺るか?)と思う。
今なら、こいつを投げられる。両脇から腕を差し込み、胸と腹を密着させて、背中の筋肉を総動員して後方にブリッジを決める。フロントスープレックス(反り投げ)である。相手は受け身を取れないまま、脳天から地面に叩きつけられる。下はコンクリートである。まさか高校生ファンが反撃に出るとは想定していない油断しきった山田なら、隙をつける。最強集団と謳われる新日本プロレスの若手のなかでも実力者とされる山田をここで投げ捨て、失神に追いこめば、ぼくは絶対にプロレスラーになれる。
(殺るか?)
全身の毛が総毛立ち、手のひらが汗に濡れる。古代から受け継いだ野生の本性である。体中の血管がマグマが脈動するように熱い。
3秒、いや2秒。実際に流れた2秒の間に、ぼくの脳みそにはドーパミンが大量放出され、3週間分の試行錯誤と混沌と思索が行われた。
山田は襟首から腕をほどき、ぼくの後頭部をパチンとはたいて「外に出てろ」と言った。そして歌舞伎役者よろしく振り返るとリングまで駆け降りていった。
ぼくはすなおに体育館の外に出た。結局、山田に殺人投げを試みることはやめた。
(今、ぼくが山田を完膚なきまでに投げきったら、彼のレスラーとしての未来を奪うだろう。そして最強集団・新日本プロレスの看板に泥を塗ることになる。だから今日のところは自重する。それが大人としての判断だ)
そしてぼくは体育館の前で2時間くらいぶらぶらし、他の観客と同様に列に並んで正面入口でチケットを切ってもらい入場し、メインイベントが最高潮に達する頃には観客と声を揃えて「イノキコール」をおくった。それがぼくの居る場所。
2階席からはデビュー前の練習生である山田恵一の様子がよく見えた。観客が投げたカラーテープを片づけたり、ビール瓶に入ったうがい水を運んだり、ロープのたるみを直したりしていた。コーナーポストの下から、先輩の試合を真剣なまなざしで見つめていた。それが彼の居場所。
すべての試合が終わり、群衆とともに徳島駅に向かう。ポッポ街を歩きながら、ぼくはぼく以上になれる人生最大のチャンスを失ったことに気がついた。未来は自動的には変わらない。自分の手で変えなくてはならないのだ。大きな分岐点は何の前触れもなく目の前にポンと差し出される。その深い谷を飛び越える勇気のある人だけが、未来を変えられるのだ。
世界は、変わる予感に、まったく満ちてはいなかった。 -
さらら5月17日号を読んで、からだを動かせる公園へGO!! 外で思いっきりからだを動かすには、ちょうどいい季節がやってきた。え、でもどこで運動すればいいかわからないって!? そんなあなたにおすすめ。今回の特集では、本格的なアスレチックから、ジミ〜にこたえる遊具まで、様々なアトラクションが楽しめる公園を紹介! 子どもも大人も遊びながら運動しよう。
また、表紙で連載中。今世紀型「徳島県民」の姿をあらわにする「トクシマ調査団」では今回、徳島県民のお風呂の熱さに対する思いに迫った。冬でも比較的あたたかな風土だから「ぬるめ」が多いかと思いきや、、、「わいは断然熱めや〜」という意見が! …多いのはどっち!?
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CU6月号 心ときめくお流行り店&神コスメ
■お流行り店
カフェに雑貨、すてき宿にヘアサロンなど女の子の“好き”がたくさん詰まったお店をジャンル別にどーんとご紹介。どれも好きすぎて、ときめきがとまらなくなりそう!
■神コスメ
メイクは女子にとってもはや魔法。そこで、素敵なレディーに格上げしてくれる神的コスメアイテム・鬼カワメイク術を美容部員さんに聞いてみました。今すぐチェックして、女子力アップを目指そう。
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徳島人6月号、発売中!! ■人事院よ見ろ、これが地方の中小企業の実態ぞ!徳島人の給料を大公開!銀行員、看護師、保育士、医療事務、漁師、大工、美容師、製造業…噂には聞くが本当の給料いくら?
■徳島から16万人が消える?
どこまで進む徳島の人口減少!?
山村からも都市部からも人が凄まじい勢いで減っていく。助任小1695人→754人、富岡小1302人→673人、小学校閉校この1年で6校。子どもの数は半減、全国有数の高齢者比率県になる… -
月刊タウン情報トクシマ4月号 実売部数報告1204_タウトク部数報告.pdf
月刊タウン情報トクシマ4月号 実売部数報告です。
タウトク4月号の売部数は、5,979部でした。
詳しくは、上部のファイルをクリックしてください。
メディコムは、「月刊タウン情報トクシマ」「月刊タウン情報CU」「徳島人」「結婚しちゃお!」「徳島の家」の実売部数を創刊号から発表しつづけています。
雑誌の実売部数を発行号ごとに速報として発表している出版社は、当社以外では日本には一社もありません。実売部数は、シェア占有率を算出し、媒体影響力をはかるうえで最も重要な数値です。他の一般的な業界と同様に、出版をなりわいとする業界でも正確な情報開示がなされるような動きがあるべきだと考えています。わたしたちの取り組みは小さな一歩ですが、いつかスタンダードなものになると信じています。 -
徳島人4月号 実売部数報告1204_徳島人部数報告.pdf
徳島人4月号 実売部数報告です。
徳島人4月号の売部数は、4,157部でした。
詳しくは、上部のファイルをクリックしてください。
メディコムでは、自社制作している
「月刊タウン情報トクシマ」「月刊タウン情報CU」「徳島人」「結婚しちゃお!」「徳島の家」の実売部数を発表しております。 -
月刊タウン情報CU4月号 実売部数報告1204_CU部数報告.pdf
月刊タウン情報CU4月号 実売部数報告です。
CU4月号の売部数は、4,728部でした。
詳しくは、上部のファイルをクリックしてください。
長らく雑誌の実売部数はシークレットとされてきました。雑誌は、その収益の多くを広告料収入に頼っているためです。実際の販売部数と大きくかけ離れ、数倍にも水増しされた「発行部数」を元に、広告料収入を得てきた経緯があります。
メディコムでは、その悪習を否定し、「月刊タウン情報トクシマ」「月刊タウン情報CU」「徳島人」「結婚しちゃお!」「徳島の家」の実売部数を創刊号以来、発表しつづけています。 -
皆の老後の準備にさらら5月3日号が迫る! 年金や消費税アップのニュースを見ていてふいに気になる老後のこと。「みんなもう準備しているの?」「でも準備って何をすれば…?」。今回の特集は、そんな「老後のお金」に迫りました。今回は30代・40代の方の現在の準備状況などをアンケート調査。また、60代の方から退職後のリアルな家計やアドバイスをお聞ききしました。
表紙で連載中の「トクシマ調査団」。今回は「徳島県民は料理にソースをじゃぶじゃぶかける」という仮説を立て、調査スタート! あなたのまわりには、天ぷらやカツをソースでひったひたにして食べている人はいませんか? 今、徳島県民のソース事情が明らかに!