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2012年8月
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バカロードその49
スパルタスロントレーニング30日前「潰れ」と「復活」文=坂東良晃(タウトク編集人、1967年生まれ。1987年アフリカ大陸を徒歩で横断、2011年北米大陸をマラソンで横断。世界6大陸横断をめざしてバカ道をゆく)
変化はぬき足さし足、地味にやってくる。
シャツのボタンをなかなか穴に通せないので、最近はボタンしたままで洗濯機に放り込んでいる。これだと改めてボタンをする手間がかからない。効率的だ。しかし形態安定シャツはすごいね。たいして型くずれしない。
あるいは、過去数分間の記憶を喪失している。さっき履いたはずのパンツをいつの間にか口に咥えていたりする。いつ脱いで、いつ口に咥えたというのだ。野犬かよオレ。
はたまた、得意満面で誰かにしゃべりかけてると「何をしゃべっているのかわかりません」と眉間に皺を寄せられる。ロレツがまわってないのか。いや、それ以前にぼくは何をしゃべってたっけ?
これはどこかで見た風景。「あしたのジョー」に登場するカーロス・リベラじゃないか。重度のパンチドランカーになりすべてを失った伊達男のあわれな姿。
「潰れ」練習のせいだろうか。きっとやりすぎなのだろう。でもしょうがないね、だって完走したいんだもの。
脳細胞がじわじわと死滅していっているとしても、練習だけはやめられない。
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スパルタスロンを完走するには主に2つの能力が必要だ。
・潰れないよう、ゆっくり走り続ける。
・潰れたあと、ゆっくり走り続ける。
「潰れないよう、ゆっくり走り続ける」のはキロ6分の巡航スピードをどこまで保てるかの意。こっちは本番を想定した練習がある程度できる。キロ6分で距離を伸ばしていけばいいわけだし、100キロの大会を利用してなるたけ6分をキープして走ればいい。時間はかかるけどね。
問題は「潰れたあと、ゆっくり走り続ける」練習である。過去の経験則からして246キロを健康体のまま走りきる才はない。100キロか、120キロか、150キロか、どこかの時点で潰れる。本当の勝負はそこからだ。高らかなるファンファーレとともにレースの緞帳が上がるのは潰れた瞬間からなのだ。
いっかい完全に潰れた状況に陥りながらも、5分〜30分程度の休憩後に劇的に元の体調レベルに戻ることを、スパルタランナーたちは「復活」と呼んでいる。瞳の焦点合わず口の横から白い泡を吹き、一刻も早く救急車を呼んだ方がいいという状態のランナーが、しばらく寝ころんだ後にむくっと蘇る様子を何度か目の当たりにした。これこそがスパルタ伝統芸「復活」なのである。
スパルタスロンを攻め落とすには、この「復活」を会得しなければならない。
しかし!潰れたあと走りだす練習をするためには、いったん潰れないといけないわけだが、これが難しい。
たとえば150キロ走って生じる実際の身体変化は、150キロ走らないと再現できない。では150キロ走ればいいかというと、事はそう簡単ではない。
超長距離走をやった場合、元どおりに走れるようになるまで相当な時間を要する。ぼくの場合、300キロ走の痛みが取れるまで1ヵ月、500キロ走なら足指のマヒが消えるまで3ヵ月、5000キロ走ってしまえば疲労骨折の修復も含めて1年かかった。
練習できないと身体機能はたちまち衰える。心肺能力は落ち、脚の筋肉、特に速筋が消滅し、体重はメタボ増加する。100キロ以上の超長距離追い込み練習は、諸刃の剣なのだ。やれば経験は積めるが、身体が壊れてしまう。
だけど「潰れ→復活」練習なしでスパルタスロンに出るなんて、鏡の前でシャドーボクシングやっただけでプロボクシングのリングに立つようなもんだ。無防備すぎる。
悩ましい。ジャッキー・チェンの映画ならここいらで赤っ鼻の老師が登場し、人智を超越したトレーニングを課してくれる場面だけど、現実世界に虫のいいストーリー展開はない。自分でやり方を見つけるしかない。実際の「潰れ」は再現できないが、それに似かよった感じまで追い込むことによって「潰れ」に慣れていくのだ。
□
さて、改めて「潰れ」を解析しよう。
過去レースを振り返ると、こんな感じでぼくは潰れてきた。
「枯渇」 脱水およびエネルギー消費過多によるバーンアウト。
↓
「補給」 熱量補充のための水分・食料投入。
↓
「ゲロ」 胃腸衰弱により補給物を吸収できず、ゲロ吐きが止まらない。
↓
「潰れ」 運動量にふさわしいエネルギーを取り込めないため徐々に衰弱する。
目まい、虚脱、そして活動停止。
このような状況に陥らないことはあり得ない。どんなに準備しても、必ずこうなってきた。ならば「潰れ」まで達した後に復活を遂げられることを身体に覚えさせる必要がある。「潰れ→復活」を何度か繰り返し、いろんなシチュエーションの経験を積み上げることで、潰れることはたいした問題ではない、と自分の脳に認知させる。何としても脳みそをだまさなくてはならない。
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ムオンと熱い空気、気温33度、いい感じだ。追い込むには最適な日和である。暑いと追い込むのに時間がかからないから嬉しい。涼しいといくら走っても潰し切れないのだ。
10キロを5分ペース走。自分としてはけっこう速いペース。キロ6分だと潰れるまで50キロ以上かかる。キロ4分30秒だと心肺だけが早々に限界に達してしまうが、それは今欲している「潰れ」ではない。時間効率と成果を考えればキロ5分が最適だ。
10キロ走るごとに休憩を15分入れながら3本目。給水ゼロで脱水症状に追い込む。残り1.5キロってとこで片耳が聴こえなくなる。景色も薄ぼんやりとしてきた。
「きたきたきた!限界きたー!」
初期の潰れ状態に突入。すかさず堤防のコンクリート上で横になる。腕時計のラップボタンを押し、目を閉じる。そのまま5分間、身体の活動を停止する。この間、できるだけ身体を動かさない。目も閉じたままにする。動かすのは心臓と血液だけ。宇宙船で遠くまで旅するとき、液体窒素に満たされ冷凍睡眠に入るイメージ。生命活動の準停止だ。
5分経過後に立ち上がろうとするが、ふらつきが収まらない。もう一度横になる。活動停止時間を5分上積みしたのちランニングを再開する。足がよたつくけど走れなくはない。キロ7分30秒、潰れ後としては上出来のペース。身体回復まで10分かかった。悪くない、だけど少し時間かかりすぎかもしれない。スパルタスロン本番では少なくとも5回は潰れる。復活に時間がかかりすぎれば関門ギリギリ通過の地獄絵図にはまる。
翌日。
水分補給なしで25キロをキロ5分20秒ペース走。内臓がカラカラに乾いた時点で、自販機で炭酸飲料を買い1000mlを一気に飲む。数分の間もなく、胃壁に嫌な感じの鈍痛が走り、胃腸全体に重い不快感が起こる。両腕に激しい脱力感、脚部から力が失われスローダウン。間断なく吐き気がに襲われる。脱水状態をカバーするために水分を大量摂取すると起こる症状。疑似的だけど胃腸障害の再現だ。道ばたに横たわり、再び5分刻みで回復を図る、5月頃は30分かけても具合が良くならなかったが、今は5〜10分で復活できる。
いろんな実験をし、いろんな「潰し」をやってみる。
水やスポーツドリンクに比べ、生乳・脱脂粉乳が入っていたり果汁100%の飲料はダメージを深める。少量の炭酸は問題ないが大量摂取するとキツい。乳性の炭酸飲料は最強クラスに胃にくる。パスタやパン、ポテチなど、エイドに置いてありそうなものを一気食いして走る実験もした。ぼくは固形物には強く、液体に弱いことが判明している。
いろんな休憩の仕方を試し、「復活」を遂げるまで何分かかるか計測する。歩きながら回復を計るべきか完全停止した方がいいのか。完全停止の場合は、座った姿勢がいいのか、寝転がった方がよいのか。どうすれば復活に要する時間を短縮できるのか。
そんなこんなの試行錯誤と人体実験によって、脳みそがジワジワ壊死し、いまやパンツをはいたまま洋式便座に腰掛けウンコを発射してパニックに陥るという極限に突入。天井の青白いLED照明を見つめながら、トイレで呆然と立ち尽くすもののあはれよ。 -
なまはんかな遊びではつまらん人へ タウトク9月号 ★超絶おもしろ観光ガイド
イルカと泳いで、雑巾かけて、明石海峡大橋の頂上登って…。とにかく超絶おもしろい観光ガイドが登場! まだまだ遊び足りないあなたに捧ぐ。
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★マラソン大特集
徳島のマラソンシーンを熱く語ったコラムを始め、マラソン大会スケジュール、気になるランニングクラブを紹介。
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涼しいスポットで残暑を乗り切る! さらら8月16日号 大盛り上がりのお盆が終わると、徳島ではなんとなーく夏が終わったような気分になるけれど、実際はまだまだ暑い! 今回のさららでは、そんな暑い日に行きたいひんやりスポットをご紹介。木陰が涼しい寺社、マイナスイオン漂う滝、水遊びができる川などを各地域の方に教えてもらいました。なかには怖さでヒヤッとする場所も!? 夏後半のレジャーはこれで決まりだ。
現代の徳島県民の傾向や習慣を分析する、表紙で連載中の「トクシマ調査団」では、「徳島県民の台所はインスタント食品で溢れている」を検証。料理を作るのが面倒なときや、もしものときの非常食として広く活躍するインスタント食品は「食べすぎるとカロリーオーバー」だとわかっていながらも、ついつい手がのびちゃう。気づけば台所の棚にはコレクションのようにズラリ…なんてことも!? 果たして結果は? -
バカロードその48
愛と絆ジャパン文=坂東良晃(タウトク編集人、1967年生まれ。1987年アフリカ大陸を徒歩で横断、2011年北米大陸をマラソンで横断。世界6大陸横断をめざしてバカ道をゆく)
職業柄だろうか。「私は徳島が大好きです」と目を輝かせた人が、ときどきやってくる。肩書きはいろいろだ。経営者、学者、政治家志望、アーチスト、大学生、社会起業家・・・。
「私は、徳島を愛しています」と言う。
ふむ、たしかに愛は自由である。徳島を愛し、ラーメンを愛し、海を愛する。人によってはコウロギや渋柿や長州力を愛する。人それぞれである。ぼくは「節足動物を愛する人たち」や「女子高生のお古の制服を愛する人たち」の会にも顔を出したことがある。何を愛そうと、法に抵触しない限りにおいて、愛の対象に限界はない。愛とは人間にとって最も重要な感情の一つであり、愛なくしては人生は乾いた砂のようなものになるだろう。
「で、ご用件は?」とたずねる。
「私の愛する徳島にいま元気が足りない。だから徳島を元気にするために、共に頑張っていきませんか」と身を乗り出す。
(この人、猪木なのかな?)と思う。(このまま1.2.3.ダーッ!って盛り上がったまま帰ってくれたらいいのに)とも思う。
浮かない表情をしているぼくを見て、訪問者は問う。
「あなたも徳島を愛してらっしゃるんですよね?」
( さて、ぼくは徳島を愛しているのだろうか)と0.2秒考える。そして答える。
「あんまし愛してないですね。嫌いかというとそうでもないし、好きでも嫌いでもない感じです」と素直に胸の内を吐露する。
すると、さっきまで愛の語り部としてマーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師のような尊い瞳を潤ませていた表情が一天にわかにかき曇り、巨大疑獄の容疑者を責め立てる検察庁のキャリア検事みたいな容赦ない目つきになる。
「それじゃどうして徳島でタウン情報誌なんか作ってるんですか?」
さらに「徳島が好きだから、徳島を元気づけるために雑誌を出してるんじゃないんですか?」と畳みかけられる。
うー、そんな目標掲げたことあったっけ。今まで一回も表明したことないけどな。
「ネットで見たけど、あなたの会社は(徳島をおもしろくする会社)が社訓でしょう?」
(あ、それ「おもしろい本をつくる会社」の間違いですけど・・・)と心でつぶやく。
ぼくは答える。「徳島を愛してはないけど徳島で本を作ってるのは、エロ本を作ってる人が必ずしもエロい人でないのと同じ理屈です」とわかりやすく説明するが、とうてい通じる比喩ではない。
話し合いは暗礁に乗り上げ、来客は(なんだこのバカは)とケイベツのまなざしを向ける。
その雰囲気に耐えかねて、「で、ご用件は?」と再度たずねる。
「徳島を元気づけるために、おたくら地元の情報誌とコラボレートしたいんです。だからうちの会社の宣伝を(タダで)してみたらどうか」とか、「徳島を変えようと立ちあがった自分をインタビューしたらどうか」とか実務的な提案を受ける。
(あ、なるほどね)と目的に気づき、適宜対処をほどこす。
このような野心家たちとは違い、心から純真に「徳島を変えたい」「徳島を元気づけたい」と訴える人もやってくる。
社会起業家タイプの人は、「ある日帰省したら、中心市街地にあまりにも人が歩いてないので寂しかった。どうにか活性化させたい。街を賑やかにしたい」と着火した人が多い。
県外の大学に進学した学生さんは、「東京や関西では徳島のことを知らない人が多くてショックを受けた。もっと徳島のことを全国、全世界に知ってもらいたい」と思いたった人が多い。「徳島を元気にするイベントをやりたい」と企画書を書いてくる若者もいる。
真剣な相手には、こちらも正面から向いあわねば失礼だ。だからマジメに答える。
徳島で生活してる人はすでに毎日、頑張って生きている。自分の仕事や商売に対してけっこう真剣に取り組み汗を流している。だから、ある日突然現れた人から「皆さんは元気がない、もっと元気を出そうよ」と励まされても困惑するかな。中心市街地に人が少ないといっても、終戦後から昭和中期のようにすべての目新しい商業施設や遊びが新町周辺に集中していた時代と違って、あちこちの商店街や郊外の街にカルチャーが拡散した。人が移動し、消費する場所が分散しただけで、徳島全体が冷え込んでるわけではない。地域経済の弱体化の大きな原因である人口減少と高齢化は全国の都市部と農山村部で起こっている。これは徳島という限定的な地域の「活性化」とは別次元の問題。しかし「活性化」といっても、街や地域経済に溢れる活力ってのは、日々商売や仕事に精を出している人たちの営みの総量であって、特別な奇策を用いて街が活発化するもんではない。たまーにイベント催して人が少々集まっても、その地域に住む人たちから自発的に生まれた取り組みじゃないと、すぐ立ち消えになってお仕舞い。だから、あなたの問題意識と解決策は本質からズレている・・・。
あ、言い過ぎてしもた・・・と思った頃にはもう遅い。若者は(こういう情熱に欠けた大人が日本を悪くしてんだ。話になんねーや)と負のオーラを発しながら帰っていく。
このような若者は毎年現れるのだけど、その後、頑張っているのだろうか。地球のどこかで徳島を有名にするための活動をしているのだろうか。ボサノヴァのかかったオシャレなカフェで、カプチーノでもすすりながらサンクチュアリ出版の本をペラペラめくって見果てぬ夢を追いかけてるんだろうか。
どうもぼくは土地への愛着がない。
地図に引かれた境界線で、愛したり、愛さなかったりという感情を持ったことがない。
ぼくは阿南市で生まれたけど、それほど阿南市に思い入れがない。図々しいオバチャンたちの相手をして育ち、汽車の中でヤンキーに殴られて青春を過ごした阿南は、まあ空気はあってるけど愛してるってほどではない。愛憎折半ってところ。
徳島県という土地全体を愛してるかと問われると、広すぎて途方もなく全体を捉え切れない。藍商が盛んな時代から商才のある人材をたくさん輩出した北方(きたがた・徳島市以北)の人は、今でも抜け目なく、交渉事に強くて根回しに長けている。親戚・近所づきあいの縁が濃く、情を露わにし、計算高くない南方(みなみがた)の人とは、別の人種に思える。だからこの人たちを総まとめにして好きなのかどうか自問しても、答えは出ない。嫌いな人も好きな人もいろいろいる。
「阿南市」とか「徳島県」は行政区割の単位だけど、これを島嶼単位の「四国」とか、統治システム単位の「日本国」とか、文化の出流入と人種の近似でまとめた「東アジア」とか。自分の属する地理的境界は、範囲を拡大すれば太陽系から銀河系までいっちゃうけど、各単位を郷土として愛してるかと問われると、いずれも首をひねる。
故郷の山河や民俗に触れれば心やすらぐが、国家のために命を賭すなんて愛国心は1ミリもない。高校時代には式典で日の丸に対して起立せず、君が代を歌わなかった。流行のプチ右な評論家や政治家だちは「世界中のどこの国に行っても、国旗には敬意を払い、国家は斉唱するもの。だから子供たちにはそう教えなくてはならない」と言ってはばからないが、ぼくがアジアやアフリカの旧植民地国で目にしてきた現実はそうではない。弾圧する国家には命がけで敬意を払わない、そんな勇気ある市民はいる。いきすぎた愛の強制は、いずれ破壊的な闘争心に変わるのだ。
このごろ日本では、「愛」をうわまわる勢いで「キズナ」って言葉が勢力を拡大している。チャリティー番組はメインテーマで、J・POPミュージシャンは歌詞で、キズナを大量生産し、受け手は大量消費してきた。大震災以降はオールジャパンでキズナを賞賛する空気ができあがった。
毎年楽しみに観戦している年末年始の駅伝中継もすっかりキズナに占拠された。アナウンサーたちは「選手たちはタスキというキズナをつないでいます!今、先輩から後輩へとキズナがつながれます。タスキという名のキズナが、いやキズナという名のタスキがわたったー!」なんて、むりやりキズナって言葉をさしこみたがるから、聞いてる方はややこしくてしょうがない。なるべく静かに選手の走りだけ見せてはもらえぬものか。
ほぼ週イチで参加している市民マラソン大会でも「キズナ」が猛威を振るっている。スタート前の恒例行事である来賓やゲストランナーの挨拶では「ランナーと被災者のキズナ」についてしばし語られ、「私たちにできることは走ること。走って東北を元気づけましょー!」「オーッ」なんて盛り上がった状態で号砲がパンッ鳴る。家族を亡くし、帰る家を失って、今この瞬間にも困っている人たちが、よその土地できらびやかなスポーツウエアを着て走っている人を見て(見る機会もないだろけど)元気になるなんて考えられる思考の組み立て方が理解できん・・・と不可解な気持ちでスタートを切らされる。日曜日にわいわい楽しく走ってる群衆を見て、勇気がわく被災者って?
震災以降、チャリティーゼッケンってのが流行して、あちこちの大会で採用されてる。ランナーはゼッケンに「東北に元気を、勇気を」とか「がんばれ東北」とかメッセージを書いて走るんだけど、むろん被災した人たちの目には触れない。どうしても思いを届けたいと、段ボール箱に寄せ書きやらメッセージを詰め込んで送りつける人もいる。それもまた扱いに困る。 「東北に笑顔を」「前を向こう」的なフレーズって、葬儀会場で家族を亡くした遺族の前に突然現れた見ず知らずの人が「悲しんでいるあなたたちに元気と勇気を与えたい。私の頑張る姿を見て、あなたも前を向いてください」と言い放つ不遜さとどう違うのだろう。
FMラジオの音楽番組ではゲストのミュージシャンが「自分の歌で被災者に勇気を与えたい」と語り、試合後インタビューを受けるスポーツ選手は「自分のプレーで被災者に元気を与えたい」と言い放つ。繰り返し流されるこの類のメッセージに、耐えがたい嫌悪を感じる。
愛とかキズナとか勇気とか、言葉はどうしてこんなに軽く、薄っぺらになってしまったのだろう。愛なんて、キズナなんて、本来は言葉に出さず、心の内にそっと秘めておくものだ。いつかその存在に気づいたときに、静かに心ふるえるものだ。何年も経ったあとでその大きさに気づかされるものだ。
愛とキズナの大量生産工場と化したこの国の片隅で、秘かにノーのタテカンバンを掲げよう。
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徳島人9月号、発売中!! ■徳島、夏のボーナス大調査
出るだけマシというけれど、実際ナンボもらったん?
昨年の支給額と比較してどう? 業界の景気動向は?
■シリーズ・徳島の消費動向を徹底研究
化粧品、服、下着、アクセサリー、雑貨、家具、家電はどこで買う?ひと昔前と比較!徳島女性が買い物する商圏はこう変わった
■スナックを愛する紳士たちが「ええ店じゃ」と教えてくれた行きつけにしたいスナックはココ!
■田舎ぐらしのここがイヤだ!
勝手に上がり込んでくる近所のオバハン、カナブンが顔面に激突して痛い、年金狙ってネズミ講セミナー、あーもうこんな生活いやなんよ〜
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CU9月号 徳島の日帰り温泉44湯と蕎麦食べあるき25店 ■夏の湯めぐり小旅行
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月刊タウン情報トクシマ7月号 実売部数報告です。
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詳しくは、上部のファイルをクリックしてください。
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月刊タウン情報CU7月号 実売部数報告1207_CU部数報告.pdf
月刊タウン情報CU7月号 実売部数報告です。
CU7月号の売部数は、4,115部でした。
詳しくは、上部のファイルをクリックしてください。
長らく雑誌の実売部数はシークレットとされてきました。雑誌は、その収益の多くを広告料収入に頼っているためです。実際の販売部数と大きくかけ離れ、数倍にも水増しされた「発行部数」を元に、広告料収入を得てきた経緯があります。
メディコムでは、その悪習を否定し、「月刊タウン情報トクシマ」「月刊タウン情報CU」「徳島人」「結婚しちゃお!」「徳島の家」の実売部数を創刊号以来、発表しつづけています。 -
徳島人7月号 実売部数報告1207_徳島人部数報告.pdf
徳島人7月号 実売部数報告です。
徳島人7月号の売部数は、4,532部でした。
詳しくは、上部のファイルをクリックしてください。
メディコムでは、自社制作している
「月刊タウン情報トクシマ」「月刊タウン情報CU」「徳島人」「結婚しちゃお!」「徳島の家」の実売部数を発表しております。 -
さらら8月2日号 「徳島の夏、こうやって過ごしてみては?」 「暑さ対策」「節電」「ゲリラ豪雨」etc…。そんな今気になるキーワードをもとに、この夏の快適な過ごし方を考えてみよう。プロに聞いた話はもちろん、読者の方から寄せられた夏の過ごし方エピソードの中にも目からウロコなアイデアが!
また、表紙で好評連載中の「トクシマ調査団」では、徳島県民は和食を食べたあとにコーヒーを飲むのかどうか?をずばり検証。自称コーヒー好きが多いわが徳島の、新しい素顔がまたしても明らかになる。