徳島で雑誌をつくろう そのイチ「実売部数を公開するのだ」

公開日 2006年06月22日

ついてはいけないウソ

文責=坂東良晃(タウトク編集人)

世の中はウソのホンネの多層構造からできている。ウソという皮をむけばがホンネが顔を出し、ホンネの薄皮をむけば、またウソがまた見える。
分厚いウソの皮膜で塗り固められたケーハクな人生を送っている人にも正義の顔はどこかにあるだろうし、したり顔で正義をとなえる人も、裏側では札束勘定に精を出していたりもする。
「正義を唱える者こそ疑え」との思想家・宮崎学の言葉を実感するニュースが足れ流しにされ、受け取るぼくたちの心も、壊疽を起こしている。
何があっても、あまり驚かなくなった。出張旅費をネコババした改革派知事、セクハラを繰り返した企業再生の第一人者、震災募金をわがものにした新聞社、北朝鮮政策を反省しない左翼政党、銀行家、市民運動家、裁判官、検事、教師たちのオネテの顔とウラの顔・・・。
「虚実あるのが人間のおもしろいとこさ」と明るくあきらめることもできるが、
そんなもんじゃないでしょ、とネバってみることもしなくちゃいけない。
ちいさなネバりのひとつを見せよう。ぼくが起こすアクションとしては小さいが、ウソのスケールは大きい。

新聞に発行部数があり、テレビに視聴率があるのと同様に、雑誌にも「発行部数」というものがある。雑誌業界が一丸となって、この「発行部数」のウソをついているという話だ。

その前に、雑誌を発行するビジネスの中身について、さらっと紹介しておこう。雑誌の収入源は2つである。本を売って稼ぐ方法と広告を売って稼ぐ方法だ。さて、本屋さんでフツーに売っている一般的な雑誌の収入源は、本を売って稼いだお金よりも、「広告」頼りだと言っていい。
たとえば雑誌を5万部印刷したとすると、だいたい600万円くらい印刷代がかかる。そのうち3万部が売れたとしよう。1冊につき200円が入ってくるなら、600万円が売上高だ。
600万円の印刷代に、600万円の売上高。
なんだ、もうかってないけどトントンじゃないか、と思われるかもしれない。しかし、3万部も売れる本を作ろうと思えば、10人くらいの編集部員が必要である。事務所も借りたり、パソコンやカメラも買わなくちゃいけない。もちろん取材にもお金がかかる。で、なんやかんやで1冊つくるのに1200万円くらいかかる。これじゃあ差し引き600万円の大赤字である。
そこで広告の収入が必要となってくるのである。600万円の赤字分を上回る広告があれば、その雑誌は利益を出すことができる。600万円分入らなければ、赤字である。しばらくの間、赤字がつづけは、その雑誌は休刊か廃刊になる。単純な構造だ。

そう、広告は雑誌が生きていくための生命線なのである。
その広告を、企業からもらうために、出版社側は「雑誌データ」を企業に提示する。テレビ局が、企業に視聴率を報告するのと同じ理由だ。
「視聴率10%だから、約1千万人が見る時間帯ですよ。だから15秒につき、これだけの広告代金をいただきますよ」という話。
テレビの視聴率はシビアである。単純に人口比にしてしまえば、1%が100万人に相当する、0.1%でも10万人だ。これは絶対ズルはできない。
日本テレビのディレクターが視聴率調査モニターにお金を払って、視聴率を操作した事件があった。一社員の不祥事に、ふだんは強面の日本テレビの首脳が居並び、ふかぶかと頭をたれ謝罪した。
どうして、視聴率をいじるのがいけないのかというと、視聴率と広告料金が密接に関係しているからだ。視聴率が高くなれば、企業はそれに応じて高い広告料金を払う。だから絶対ウソがあってはいけない。

雑誌において、この視聴率に相当するのが「発行部数」である。ところがこの「発行部数」というもの、まったく得体が知れない。
雑誌の広告を企業にセールスするときに、よくある場面。
セールスマン「発行部数5万部です。カフェやショップに置いたり、読者が回し読みしたりするので、1冊につき3人くらいが目を通すという調査ずみです。だから15万人くらいが当社の雑誌を読むことになります。で・・・広告料金はコレコレです」
企業担当者 「15万人か。そのうち1%の読者が反応してくれたら、1500人か。悪くないな」
雑誌の部数は、広告を出そうかどうか迷っている企業の広報担当者の判断を決定づける大きな要因のひとつなのである。

ところが、この契約の大前提となっている「発行部数」が大ウソだったとしたら、どうなのだろうか。車をセールスするときに、1000ccのエンジンを3000ccだと言って売りつけたら、
それは詐欺行為にあたるだろう。それと同様のことが、雑誌の世界では堂々と行われている。

2004年11月、835誌が加盟する日本雑誌協会は、毎年発表していた雑誌の部数について、今までに公表していた発行部数の多くは水増し部数であると認め、今後は3年間かけて徐々にやめていくことにしたらしい。そこで「自称発行部数」の代わりに用意されたのが、「印刷部数」データである。これは、実際に印刷所から雑誌協会に何部刷ったかという伝票がまわり、「ウソじゃないよ」と証明する方法である。
このルールに変わったとたん、とんでもないことが起こった。去年まで25万部と言っていた雑誌が、突然「印刷部数は2万部です」とゲロってしまったのである。つまり10倍ほどもサバを読んで、過去何年間も報告していたことになる。特定企業がやっているのではなく、業界全体の行為だから、公正取引委員会も立ち上がらない。ある雑誌は、政治家の賄賂を糾弾する。またある雑誌は、テレビの視聴率操作を批判する。しかし、その雑誌業界全体が、その事業の根幹をささえている広告のセールス時に、完全なウソをついているのである。

こういった雑誌の「発行部数のウソ」は、世界中で行われているようだ。日本とは違いアメリカでは、広告主が出版社を相手取り訴訟を起こしている。つまり「今までウソついて、高い広告料金払わされていた分、ぜんぶ詐欺なんだからおカネ返してよ」という理屈だ。いたって正当な主張だと思う。

さて先ほどの「印刷部数」だか、これもまやかしであることを説明する。雑誌は印刷したからといって、全部が読者の元に届くわけではない。平均30〜40%が書店やコンビニで売れ残る。さえない雑誌はもっと売れ残る。売れ残りは回収され、断裁され、東南アジアに売られたり、再生紙になったりする。つまり、読者がお金を出して買い読んでくれるのは、「印刷部数」の60%〜70%なのだ。だから「印刷部数」2万部、といっても実際に売れているのは1万部ちょっとということになる。これを出版業界では「実売部数」と読んでいる。実売部数が少なくても、たくさん印刷して廃棄しておれば、「印刷部数」は保てるのである。まるで意味ない。

ここにおもしろい図式が浮かび上がる。
発行部数10万部(出版社が広告を売るためのでっち上げ)

実は印刷部数2万部(印刷所にこれだけ刷ってと頼んだ部数)

ホントは実売部数1万部(これが真実の部数。ただし公的に認定する機関・団体は存在しない。

ABC協会というのもあるが加盟誌が少なく、毎号調査しているわけでもない)

ひどい話である。ぼくは、長らくこの体質の出版業界に住んでいるが、普段はすばらしい人格者だと思う立派な紳士でも、こと「発行部数」になると悪らつな商売人の顔を見せる。業界において「実売部数」はアンタッチャブルな話題であり、これを公にすべきなどと言っている人間は、皆無に近い。

月刊タウン情報トクシマは、創刊以来、毎月「実売部数」を発表している。創刊号の頃は8549部だった。さる8月号で部数の新記録を達成し1万5591部だった。自我自賛してはいけないが、創刊から3年少々でほんとにたくさんの方に本を買っていただいていると、心から喜んでいる。下1ケタまで報告しているのは、ウソでないことを証明するためだ。
タウトクはこの実売部数のほか、地域別に何部売れたか、書店・コンビニ別に何部売れたかまで、すべて公開している。また、発売完了から10日以内というスピードで、数字もアップしている。ウェブサイトに公開しているので、ぜひご覧いただきたい。

ところがぼくたちがこのデータをもって企業や商店を訪問し「実売平均が1万2000部です。人口81万人の徳島で、なかなかよく売れてるんですよ」と説明すると、こんなこと言われたりする。
「はーん、たった1万部か・・・。やっぱりまだダメねえ〜。5万部くらい売れたら広告も考えるわ。あんたんとこのライバル誌は4万部も出てるのよ、ぜんぜん勝負になってないじゃない」。
とバカにされ、ナミダの数だけ強くなって帰ってくるだけである。でもまあいいとしよう。正しいと思ってやってるのだから、それでダメなら仕方がない。

小さな抵抗かもしれない。しかし、他の地域の出版社数社から問い合わせをいただいている。
「本当に実売部数なんか出して大丈夫なの? それで広告売れるの? データを出す理由は? ウチもやろうかなと検討中なのよ」
あるいは、こんなお話もいただいている。「キミキミ、そんなことしてどうなるかわかってるの。キミなんか潰すのわけないんだからね〜」
おお、こわっ! そんなときは「ぼ、ぼくが悪ければ、訴訟お待ちしてます」と命からがら答える。

当社の取り組みをもっと全国に広げたいなあと思っている。ぼくは、このコラムに実売部数報告書をつけてあちこちに配布しようと思っている。ぼくたちの真っ当な提案を拒否する出版社には、拒否する理由も聞いてみたいと思う。そして聞き取りした各種非難、嫌味などを、実名つきでコラムにまとめたいと思いまーす!