公開日 2007年03月04日
宿の予約をしていなかったので、最悪ビーチでごろ寝と決めていたが、その心配もないようだ。各ホテルの前に「VACANT ROOM=空き室あり」の表示が出ている。おかげで、いちいちホテルのフロントまでの長いアプローチを歩き、空き室の有無を確認しなくていい。超便利!
ホテルはバックパッカー向けの安宿から高級リゾートまでそろっている。安宿はツイン1000円くらいからあり、高級リゾートといってもツイン12000円前後でラグジュアリィな部屋に泊まれる。安宿といってもアジアにありがちなあばら家のような場所ではなく大変清潔である。また、安宿と高級リゾートが、ビーチベルトに入り混じって建っており、リゾート島にありがちなビーチ沿いを高級ホテルが独占するという光景はない。ここは、きわめて平等な島なのである。
ぼくは1泊3600円の中級ホテル「アリスインワンダーランド」にチェックインする。中級といっても、中庭にバーカウンターがあり、脇には小ぶりなプールもついている。 部屋は独立型のバンガローで、ベランダにはハンモックが揺れている。朝ごはんもつく。 入口にはしっかり警備員がいてセキュリティーがよく、これで3600円なら悪くないって感じ。
宿に荷物を置くと、夜の街をあてどなく歩いてみる。幅1メートルほどの小道が、縦横に走っている。もちろん自動車は通れない。村人たちも、すれ違うときは遠慮がちに脇に寄る。裏道には、いくつかの宿の看板が路上に張り出している。それがなぜか日本の古い温泉地を思い出させる。
夜が深い。なつかしい闇である。もちろん日本にも夜は訪れるが、昔のようなホントの闇はなくなってしまった。24時間のコンビニが街を明るくし、街灯や信号は一晩じゅう道路を照らしている。便利さと安全性とひきかえに、ぼくたちは街から闇を失ってしまったのだ。夕暮れどきのさみしさや、闇の怖さ、ドキドキする気持ち。動物の本能からくる見えざるものへの畏敬の念を感じる場所がない。だが、この島には確かに心を動かす闇が存在している。民家の窓から暖かい光と、大人や子供たちの嬌声が漏れる。細い小道は、奥へ奥へとつづく。天上に鈍く光る星座の半球を、やしの木々がワサワサとさえぎる。
そのうち、ふいに賑やかな通りに出くわす。商店街だ。暗闇が一転し、色の氾濫の世界がある。可視光線にある全部の色をぶちまけたかのような、まばゆい世界。熱帯の毒々しい色の魚、南洋のパステルな果実、原色が山盛りとなった香辛料。ピンク色の豚肉が宙にぶらさがっている。何百種類もの女性用ワンピース、電球を色紙で包んだ怪しいデザインランプ。たくさんの人がいる。タトゥー屋にたむろする男、携帯電話を組み立てる若者たち、牛刀で肉を裁つおばさん。アジアのビーチらしくない街の匂いである。どこかの街に似ている気がして記憶をたどる。
たとえばカトマンズの町中に姿を現す寺社、その周りを取り囲む細い路地。あるいはインド・バラナシのガンガー沿いの迷路のような感じ。それらの街と似ているようではある。だがここには猥雑だけど性的要素はない。そして宗教的なシンボルもない。それゆえに奇妙な軽さがある。旅人が求める浮遊感はかろうじて手に入る。ズッポリのめりこむほどではない適度な無法地帯。1週間程度の有給休暇にはちょうどいい。これなら慣れるのに時間がかからない。ぼくは商店街に心地よい場所はないかと、店を一軒一軒ひやかしはじめる。
カンカン照りの島は、紺碧に揺れるスルー海の真ん中にあった。世界じゅうのビーチフリークが一生に1度は訪れるというホワイトビーチは、どこがビーチの端っこなのかと思わせるほどにだだっ広く、目がくらむほどの光線をレフ板のようにはね返す。その白砂は、カンペキとはいえない程度のオフホワイトである。
南北に約4キロメートルつづくビーチは、北側になるほど遠浅になり、砂浜の幅を広げる。干潮時には幅80メートル以上にもなる。あたり一面が白の世界となり、強烈な反射光がアゴの下やひざを焼く。反対に南側は波打ち際へのアプローチが近く、地元のカップルがデートしていたりする。
より高級リゾート的なムードを求めるなら北側がよいし、気楽に子供たちとビーチサッカーにでも興じたいなら南側がいい。この南北に長い海岸線沿いに、ビーチ通りと呼ばれる白砂の道が伸びる。この道こそが島最大の特徴だと言える。
ビーチ通り沿いには、延々とレストランやショッピング街がつづいている。ここでは、ビーチサンダルをはいてりゃ(あるいは裸足でも)、裸のままでも食事から航空券予約、 両替、ショッピング、マリンスポーツの手配、エステティックまで、なんでもできてしまうのである。
タイやインドネシアの島々で、このような環境の島をぼくは知らない。ビーチと街の間には必ず車道があったり、リゾートホテルのプールが独占していたり、ビーチを守るための鉄柵があったりする。たとえば、太平洋で最もメジャーなビーチのひとつバリ島の「クタビーチ」ならば、ビーチ横は車道が通り、ホテルや街に出るためには、騒がしい道を越えなくちゃいけない。だから、生活が何かとわずらわしいものになる。ビーチにでかけるのが一大行事となってしまうのだ。用意するもの・・・ビーチマット、タオル、紫外線ブロック、サンダル、お金、文庫本。 これらを砂浜で盗まれないように用心しながら、波とたわむれる。イマイチである。
ホワイトビーチならそんな心配はない。海パンいっちょうで裸足のままホテルの部屋からビーチにダッシュできるのである。ホワイトビーチを往復すれば8キロメートル。1時間のジョギングコースにぴったりであることも気に入る。砂浜はほどよく硬く締まっており、楽に走ることができる。ホビーキャット呼ばれる双胴の帆船が、浅瀬に何十艘と停泊している。その帆の鮮やかな色のリズムが、ランニングを飽きさせない。世界じゅうのビーチジョガーに教えたくなるほどの名コースであると断言できる。
ホテルはバックパッカー向けの安宿から高級リゾートまでそろっている。安宿はツイン1000円くらいからあり、高級リゾートといってもツイン12000円前後でラグジュアリィな部屋に泊まれる。安宿といってもアジアにありがちなあばら家のような場所ではなく大変清潔である。また、安宿と高級リゾートが、ビーチベルトに入り混じって建っており、リゾート島にありがちなビーチ沿いを高級ホテルが独占するという光景はない。ここは、きわめて平等な島なのである。
ぼくは1泊3600円の中級ホテル「アリスインワンダーランド」にチェックインする。中級といっても、中庭にバーカウンターがあり、脇には小ぶりなプールもついている。 部屋は独立型のバンガローで、ベランダにはハンモックが揺れている。朝ごはんもつく。 入口にはしっかり警備員がいてセキュリティーがよく、これで3600円なら悪くないって感じ。
宿に荷物を置くと、夜の街をあてどなく歩いてみる。幅1メートルほどの小道が、縦横に走っている。もちろん自動車は通れない。村人たちも、すれ違うときは遠慮がちに脇に寄る。裏道には、いくつかの宿の看板が路上に張り出している。それがなぜか日本の古い温泉地を思い出させる。
夜が深い。なつかしい闇である。もちろん日本にも夜は訪れるが、昔のようなホントの闇はなくなってしまった。24時間のコンビニが街を明るくし、街灯や信号は一晩じゅう道路を照らしている。便利さと安全性とひきかえに、ぼくたちは街から闇を失ってしまったのだ。夕暮れどきのさみしさや、闇の怖さ、ドキドキする気持ち。動物の本能からくる見えざるものへの畏敬の念を感じる場所がない。だが、この島には確かに心を動かす闇が存在している。民家の窓から暖かい光と、大人や子供たちの嬌声が漏れる。細い小道は、奥へ奥へとつづく。天上に鈍く光る星座の半球を、やしの木々がワサワサとさえぎる。
そのうち、ふいに賑やかな通りに出くわす。商店街だ。暗闇が一転し、色の氾濫の世界がある。可視光線にある全部の色をぶちまけたかのような、まばゆい世界。熱帯の毒々しい色の魚、南洋のパステルな果実、原色が山盛りとなった香辛料。ピンク色の豚肉が宙にぶらさがっている。何百種類もの女性用ワンピース、電球を色紙で包んだ怪しいデザインランプ。たくさんの人がいる。タトゥー屋にたむろする男、携帯電話を組み立てる若者たち、牛刀で肉を裁つおばさん。アジアのビーチらしくない街の匂いである。どこかの街に似ている気がして記憶をたどる。
たとえばカトマンズの町中に姿を現す寺社、その周りを取り囲む細い路地。あるいはインド・バラナシのガンガー沿いの迷路のような感じ。それらの街と似ているようではある。だがここには猥雑だけど性的要素はない。そして宗教的なシンボルもない。それゆえに奇妙な軽さがある。旅人が求める浮遊感はかろうじて手に入る。ズッポリのめりこむほどではない適度な無法地帯。1週間程度の有給休暇にはちょうどいい。これなら慣れるのに時間がかからない。ぼくは商店街に心地よい場所はないかと、店を一軒一軒ひやかしはじめる。
カンカン照りの島は、紺碧に揺れるスルー海の真ん中にあった。世界じゅうのビーチフリークが一生に1度は訪れるというホワイトビーチは、どこがビーチの端っこなのかと思わせるほどにだだっ広く、目がくらむほどの光線をレフ板のようにはね返す。その白砂は、カンペキとはいえない程度のオフホワイトである。
南北に約4キロメートルつづくビーチは、北側になるほど遠浅になり、砂浜の幅を広げる。干潮時には幅80メートル以上にもなる。あたり一面が白の世界となり、強烈な反射光がアゴの下やひざを焼く。反対に南側は波打ち際へのアプローチが近く、地元のカップルがデートしていたりする。
より高級リゾート的なムードを求めるなら北側がよいし、気楽に子供たちとビーチサッカーにでも興じたいなら南側がいい。この南北に長い海岸線沿いに、ビーチ通りと呼ばれる白砂の道が伸びる。この道こそが島最大の特徴だと言える。
ビーチ通り沿いには、延々とレストランやショッピング街がつづいている。ここでは、ビーチサンダルをはいてりゃ(あるいは裸足でも)、裸のままでも食事から航空券予約、 両替、ショッピング、マリンスポーツの手配、エステティックまで、なんでもできてしまうのである。
タイやインドネシアの島々で、このような環境の島をぼくは知らない。ビーチと街の間には必ず車道があったり、リゾートホテルのプールが独占していたり、ビーチを守るための鉄柵があったりする。たとえば、太平洋で最もメジャーなビーチのひとつバリ島の「クタビーチ」ならば、ビーチ横は車道が通り、ホテルや街に出るためには、騒がしい道を越えなくちゃいけない。だから、生活が何かとわずらわしいものになる。ビーチにでかけるのが一大行事となってしまうのだ。用意するもの・・・ビーチマット、タオル、紫外線ブロック、サンダル、お金、文庫本。 これらを砂浜で盗まれないように用心しながら、波とたわむれる。イマイチである。
ホワイトビーチならそんな心配はない。海パンいっちょうで裸足のままホテルの部屋からビーチにダッシュできるのである。ホワイトビーチを往復すれば8キロメートル。1時間のジョギングコースにぴったりであることも気に入る。砂浜はほどよく硬く締まっており、楽に走ることができる。ホビーキャット呼ばれる双胴の帆船が、浅瀬に何十艘と停泊している。その帆の鮮やかな色のリズムが、ランニングを飽きさせない。世界じゅうのビーチジョガーに教えたくなるほどの名コースであると断言できる。