公開日 2008年02月09日
文=坂東良晃(タウトク編集人)
卒業旅行のシーズンである。ぼくはこの季節が好きだ。
何年もバックパッカーをやっていると、すべての出来事に無感動になる。血まみれの殴り合い、赤線の売春宿の前に立つ少女、道ばたに落ちている死体・・・それが日常となり何にも思わなくなる。世界への不感症状態だ。でも卒業旅行の学生たちは違う。見る物すべてがみずみずしく、いろんなことに悩み、怒り、世界の不平等を呪う。あるいは、恐がり、気勢を張り、自分の存在確認をする。そんな彼らと話をするのが楽しい。
卒業旅行のシーズンである。ぼくはこの季節が好きだ。
何年もバックパッカーをやっていると、すべての出来事に無感動になる。血まみれの殴り合い、赤線の売春宿の前に立つ少女、道ばたに落ちている死体・・・それが日常となり何にも思わなくなる。世界への不感症状態だ。でも卒業旅行の学生たちは違う。見る物すべてがみずみずしく、いろんなことに悩み、怒り、世界の不平等を呪う。あるいは、恐がり、気勢を張り、自分の存在確認をする。そんな彼らと話をするのが楽しい。
長逗留している宿には、次から次へと若い学生旅行者がやってくる。旅の予定をこなすために慌ただしく移動する人もおれば、その町を気に入りすぎて動けなくなる人もいる。街の若者と恋に落ちることもあれば失恋に涙もする。あるいは日本で気づかなかった自分の本質とやらに目覚める人もいる。まぁ、とにかく学生旅行者はいろいろなドラマを運んでくれるわけである。ぼくはその話を聞くのが好きなのだ。感じのいいカフェがあるなら、彼らにミルクティーをおごりながら1日に18時間くらい聞いていられる。
そんな大学生たちも、就職した会社の入社式も近い3月の終わり頃になると帰国の途につきはじめる。ところが中には日本に帰れなくなる人がいるのだ。
日本に帰るべきなのか、旅をつづけるべきなのか、彼らは例外なく悩む。そして、苦渋の決断をくだす。「旅を続ける」という決断だ。就職の内定をぶっちぎり、卒業証書も受け取らず、親や親戚の怒りを一心に浴びながら、それでも旅を選択する。
2カ月分ほどの滞在費しか持っていないわけだから、旅の延期を決めた時点で限りなく貧乏になる。いくら旅先の物価が安いといっても、2カ月の予算で1年間も放浪するのは大変である。しかし彼らは工夫をしはじめる。
デジタルカメラや服を売る。1泊50円のドミトリーベッドを借り、1食20円の屋台で飢えをしのぐ。最後はザックや帰国の片道航空券まで売りさばいて空身になる。
男ならたまに辺境地にやってくる日本の女子大生ツーリストにたかる方法を覚える(この方法は次号で教えよう)。女なら現地の男や西欧ツーリストに金を払わせる方法をマスターする。まさに現代に蘇ったルンペンプロレタリアートって感じだ。
日本を出てたった数カ月でこのような悟りの境地に突入できる彼らの変貌ぶりが愉快だ。豊かさに慣れたなまっちょろい日本の若者が、現代で出来うる最大限の「世捨て」じゃないかとぼくは思うのだ。
世界じゅうの悪名高き「沈没タウン(この情報も次号で教えよう)」には、こんな日本の若者が大量に存在する。そして晴れた日にふわふわと空気中を舞う綿毛のように、あてどなく流浪しているのである。
さて、今から旅に出る学生旅行者、あるいは若いバックパッカーに提案したいことがある。
空身で旅しよう。空身の旅ほど自由なことはない。
空身で旅するならば、いつどこへ行くのだってバックパックという重荷から解放され、きみを束縛するものは何もない。
旅先での荷づくりは憂ウツな作業だ。移動につぐ移動の旅ならば、毎晩のようにバックパックに詰め込んだ荷物をすべて引っ張り出し、翌朝には丁寧につめ直さなくてはならない。しかし考えてもみよう。15キロもあろうかというその荷物、毎日使っているものなんて何パーセントあるというのか? ほとんど使ってないんじゃないか?
行きの飛行機の中で一瞬使っただけのアイマスクと空気枕。読み返すことのない海外旅行者保険の説明書。服用せずとも匂いは存在感を放つ正露丸。現地でほぼ役に立たない「地球の歩き方」。繰り返し読めるからと友人に勧められた孟子や孔子の類いの古典文庫本。特定の時間帯しか日本語放送を拾わない短波ラジオ。
そけだけじゃない。
洗濯しても乾きが悪くザックの中で蒸れ蒸れになるジーンズ、撮影技術もないのに持ってきてしまった重量感溢れる一眼レフカメラ、貴重なザックの体積のうち25%をしめる寝袋なんて安宿のベッドの上にたまに広げるだけ。
日本を出国してから帰るまで1度も使わない物のなんと多いこと! そうやって1品1品検証していくと、「特に何もいらないんじゃないか?」という気持ちに至る。旅の生活を快適にするために持参した数々のアイテムが、大きな足カセになっていることに気づく。
旅の心配事の大半は荷物なのだ。
デイパックやザックの中に大切なモノが入っていたなら、きみは始終気にかけていなくてはならない。
観光地や街なかで、かっぱらいやスリを警戒して体の前に荷物を抱えこんでいる旅人は多い。「デイパックはこうやって胸の前で抱え込むのが旅の常識だよ」なんて、古株のツーリストがしたり顔で教えてくれたのかもしれない。
バスや列車に乗り込んだらイの一番に荷台にチェーンキーでザックをくくりつけ、それでも足りずに盗難されないかと横目でにらむ。寝台列車では眠ったスキにパクられないようザックを枕がわりにする。空港では置き引きに遭わないよう両足で荷物を挟む。ホテルの部屋に荷物を置いて外出するときは貴重品を貴重じゃないように見せかけるサポタージュに忙しい。
こんなことばかり日がな一日やってると、だんだん自分が小心者に思えてくる。始終誰かを疑っては目をキョロキョロさせる挙動不審者・・・猜疑心の塊のようである。
それではいけない。24時間リスクに備え緊張の糸を張りめぐらせたゴルゴ13的な旅よりも、ボーッと何も考えずに目に映るものすべてを受け入れたいではないか。それこそが旅というものだろう。
いっそ荷物を捨ててしまえばよいのだ。あるいは、日本の自宅を出発する時点で手ぶらであればよいのだ。
最低限持参すべきは3つだ。?お金、?パスポート、?航空券(あるいは乗船券)、この3つがあればいい。
必要なものがあれば旅先で買えばいいのだ。
洗剤や石けんにしろ歯みがき粉にしろ、日本の製品よりはるかにコンパクトな物が10円、20円で売られている。
身のまわりの小物が増えたら、お店でくれるビニル袋に入れておけばいい。旅の持ち物はこれだけ。金目の物が入ってないのは一目瞭然だから、絶対に引ったくりはやってこない。
病気になれば薬を買い、読書をしたくなれば本を買い、寒ければ服を買う。不必要になれば、古本屋や古着屋に売りにいく。つまり、日本で生活している状態と同じと考えればよい。日本では、何かが起こった時のためにすべての荷物を背負ってなんかいなかったはずだ。
それでも現金やパスポートを持っていたら不安かも知れない。大丈夫だ。現金・パスポート・航空券を「貴重品の座」から降ろせばよいのだ。
よくある話だが、日本人旅行者のパスポートへの思いは並々ならぬものがある、ありすぎて困る。大切にしすぎて緊急時に誤った判断をする要因になっている。
たとえばメキシコでの実話。メキシコの長距離バスは強盗がジャカジャカ乗ってくるので有名だが、あるとき強盗に襲われたバスの最前列に座っていた日本人が、ホールドアップがかかっているにも関わらずウエストポーチに入っている物を渡すのを拒み、そのまま撃たれて死んだ。強盗がポーチのなかをまさぐると、パスポートと航空券が出てきたという。そんな物を守るために命を失うとは、判断のバランスが悪すぎる。
パスポートなんてお役所が発行する単なる「旅券」である。失くしたら再発行してもらえばいいだけだ。1つしかない命を懸けて守るほどの価値はない。
現金だってそうだ。一般的な旅行ならカバンの中に20万円くらい持っているだろうか。20万円なら日本で一カ月間、一生懸命働けば稼げるのだから、必死に守る必要などない。強盗に出くわせば「どうぞ、どうぞ、みなさんの未来のためにお使いください」と、笑顔でプレゼントすればよい。
日本じゃなかなか体験できない、貴重な旅の思い出になる。どうせあなたは帰国後、その強盗体験をバーや居酒屋で100回は話をするだろう。ネタ代として元をとって十分に余りあるではないか。10万円、20万円をケチッて腕一本、目ひとつを失うのは割に合わない。
その辺の、とっさのデメリット計算が日本人は弱い。銃やナイフで武装した悪党に対して正義感など出してはいけない。よその国の世間はそれほど甘くない。
つまりだ。現金・パスポート・航空券という「旅の三種の神器」に対して執着心をなくすことで、旅の危険度は一気に減るのである。さらには荷物を持たない空身なら、山賊でも詐欺師でもいつでもいらっしゃいと心に羽が生えたように自由になるのだ。
あえて何かひとつ携行するとしたら、ナイフを1本持っていくといい。ナイフひとつあれば、ほとんどの身の回りの用が足りる。缶詰を開けることができる。スプーンの代わりになる。化膿した皮膚を焼くこともできる。ネジを締めたり、壊れた鍵をこじ開けたりし、ほとんどの工具の役割をナイフは代わって果たしてくれる。
ナイフは万能の道具である。ビクトリノックス社のアーミーナイフを持つ旅人は多い。あの赤くて可愛いヤツはオシャレで可愛く多機能だが、実際のところ複雑な機能は必要ない。アーミーナイフはアイテムが多ければ多いほどゴミや脂、果肉なんかが根本に詰まって汚れがひどくなってしまう。それよりも、開いたときに「カチッ」とロックのかかるナイフを選ぶのが肝心だ。ロックされないナイフは、包丁的な用途以外にあまり使えない。工具代わりにすると危険なのだ。しかし話ずれずれですね。
世界は広い。
水道水を飲める国、教育が義務化された国、戸籍があり万人に選挙権があり男女の権利が平等な国、人前でサイフを出しても大丈夫な国、女性が夜ひとりで歩いても何も起こらない国、自動販売機が道ばたに置かれている国。
ぼくたちが生まれたそんな国が、地球上で限りなくマレな存在であるのを知ることは、きみの人生にとって価値のある引き出しのひとつとなる。
若者よ、荷物を捨てて旅に出よう!
そんな大学生たちも、就職した会社の入社式も近い3月の終わり頃になると帰国の途につきはじめる。ところが中には日本に帰れなくなる人がいるのだ。
日本に帰るべきなのか、旅をつづけるべきなのか、彼らは例外なく悩む。そして、苦渋の決断をくだす。「旅を続ける」という決断だ。就職の内定をぶっちぎり、卒業証書も受け取らず、親や親戚の怒りを一心に浴びながら、それでも旅を選択する。
2カ月分ほどの滞在費しか持っていないわけだから、旅の延期を決めた時点で限りなく貧乏になる。いくら旅先の物価が安いといっても、2カ月の予算で1年間も放浪するのは大変である。しかし彼らは工夫をしはじめる。
デジタルカメラや服を売る。1泊50円のドミトリーベッドを借り、1食20円の屋台で飢えをしのぐ。最後はザックや帰国の片道航空券まで売りさばいて空身になる。
男ならたまに辺境地にやってくる日本の女子大生ツーリストにたかる方法を覚える(この方法は次号で教えよう)。女なら現地の男や西欧ツーリストに金を払わせる方法をマスターする。まさに現代に蘇ったルンペンプロレタリアートって感じだ。
日本を出てたった数カ月でこのような悟りの境地に突入できる彼らの変貌ぶりが愉快だ。豊かさに慣れたなまっちょろい日本の若者が、現代で出来うる最大限の「世捨て」じゃないかとぼくは思うのだ。
世界じゅうの悪名高き「沈没タウン(この情報も次号で教えよう)」には、こんな日本の若者が大量に存在する。そして晴れた日にふわふわと空気中を舞う綿毛のように、あてどなく流浪しているのである。
さて、今から旅に出る学生旅行者、あるいは若いバックパッカーに提案したいことがある。
空身で旅しよう。空身の旅ほど自由なことはない。
空身で旅するならば、いつどこへ行くのだってバックパックという重荷から解放され、きみを束縛するものは何もない。
旅先での荷づくりは憂ウツな作業だ。移動につぐ移動の旅ならば、毎晩のようにバックパックに詰め込んだ荷物をすべて引っ張り出し、翌朝には丁寧につめ直さなくてはならない。しかし考えてもみよう。15キロもあろうかというその荷物、毎日使っているものなんて何パーセントあるというのか? ほとんど使ってないんじゃないか?
行きの飛行機の中で一瞬使っただけのアイマスクと空気枕。読み返すことのない海外旅行者保険の説明書。服用せずとも匂いは存在感を放つ正露丸。現地でほぼ役に立たない「地球の歩き方」。繰り返し読めるからと友人に勧められた孟子や孔子の類いの古典文庫本。特定の時間帯しか日本語放送を拾わない短波ラジオ。
そけだけじゃない。
洗濯しても乾きが悪くザックの中で蒸れ蒸れになるジーンズ、撮影技術もないのに持ってきてしまった重量感溢れる一眼レフカメラ、貴重なザックの体積のうち25%をしめる寝袋なんて安宿のベッドの上にたまに広げるだけ。
日本を出国してから帰るまで1度も使わない物のなんと多いこと! そうやって1品1品検証していくと、「特に何もいらないんじゃないか?」という気持ちに至る。旅の生活を快適にするために持参した数々のアイテムが、大きな足カセになっていることに気づく。
旅の心配事の大半は荷物なのだ。
デイパックやザックの中に大切なモノが入っていたなら、きみは始終気にかけていなくてはならない。
観光地や街なかで、かっぱらいやスリを警戒して体の前に荷物を抱えこんでいる旅人は多い。「デイパックはこうやって胸の前で抱え込むのが旅の常識だよ」なんて、古株のツーリストがしたり顔で教えてくれたのかもしれない。
バスや列車に乗り込んだらイの一番に荷台にチェーンキーでザックをくくりつけ、それでも足りずに盗難されないかと横目でにらむ。寝台列車では眠ったスキにパクられないようザックを枕がわりにする。空港では置き引きに遭わないよう両足で荷物を挟む。ホテルの部屋に荷物を置いて外出するときは貴重品を貴重じゃないように見せかけるサポタージュに忙しい。
こんなことばかり日がな一日やってると、だんだん自分が小心者に思えてくる。始終誰かを疑っては目をキョロキョロさせる挙動不審者・・・猜疑心の塊のようである。
それではいけない。24時間リスクに備え緊張の糸を張りめぐらせたゴルゴ13的な旅よりも、ボーッと何も考えずに目に映るものすべてを受け入れたいではないか。それこそが旅というものだろう。
いっそ荷物を捨ててしまえばよいのだ。あるいは、日本の自宅を出発する時点で手ぶらであればよいのだ。
最低限持参すべきは3つだ。?お金、?パスポート、?航空券(あるいは乗船券)、この3つがあればいい。
必要なものがあれば旅先で買えばいいのだ。
洗剤や石けんにしろ歯みがき粉にしろ、日本の製品よりはるかにコンパクトな物が10円、20円で売られている。
身のまわりの小物が増えたら、お店でくれるビニル袋に入れておけばいい。旅の持ち物はこれだけ。金目の物が入ってないのは一目瞭然だから、絶対に引ったくりはやってこない。
病気になれば薬を買い、読書をしたくなれば本を買い、寒ければ服を買う。不必要になれば、古本屋や古着屋に売りにいく。つまり、日本で生活している状態と同じと考えればよい。日本では、何かが起こった時のためにすべての荷物を背負ってなんかいなかったはずだ。
それでも現金やパスポートを持っていたら不安かも知れない。大丈夫だ。現金・パスポート・航空券を「貴重品の座」から降ろせばよいのだ。
よくある話だが、日本人旅行者のパスポートへの思いは並々ならぬものがある、ありすぎて困る。大切にしすぎて緊急時に誤った判断をする要因になっている。
たとえばメキシコでの実話。メキシコの長距離バスは強盗がジャカジャカ乗ってくるので有名だが、あるとき強盗に襲われたバスの最前列に座っていた日本人が、ホールドアップがかかっているにも関わらずウエストポーチに入っている物を渡すのを拒み、そのまま撃たれて死んだ。強盗がポーチのなかをまさぐると、パスポートと航空券が出てきたという。そんな物を守るために命を失うとは、判断のバランスが悪すぎる。
パスポートなんてお役所が発行する単なる「旅券」である。失くしたら再発行してもらえばいいだけだ。1つしかない命を懸けて守るほどの価値はない。
現金だってそうだ。一般的な旅行ならカバンの中に20万円くらい持っているだろうか。20万円なら日本で一カ月間、一生懸命働けば稼げるのだから、必死に守る必要などない。強盗に出くわせば「どうぞ、どうぞ、みなさんの未来のためにお使いください」と、笑顔でプレゼントすればよい。
日本じゃなかなか体験できない、貴重な旅の思い出になる。どうせあなたは帰国後、その強盗体験をバーや居酒屋で100回は話をするだろう。ネタ代として元をとって十分に余りあるではないか。10万円、20万円をケチッて腕一本、目ひとつを失うのは割に合わない。
その辺の、とっさのデメリット計算が日本人は弱い。銃やナイフで武装した悪党に対して正義感など出してはいけない。よその国の世間はそれほど甘くない。
つまりだ。現金・パスポート・航空券という「旅の三種の神器」に対して執着心をなくすことで、旅の危険度は一気に減るのである。さらには荷物を持たない空身なら、山賊でも詐欺師でもいつでもいらっしゃいと心に羽が生えたように自由になるのだ。
あえて何かひとつ携行するとしたら、ナイフを1本持っていくといい。ナイフひとつあれば、ほとんどの身の回りの用が足りる。缶詰を開けることができる。スプーンの代わりになる。化膿した皮膚を焼くこともできる。ネジを締めたり、壊れた鍵をこじ開けたりし、ほとんどの工具の役割をナイフは代わって果たしてくれる。
ナイフは万能の道具である。ビクトリノックス社のアーミーナイフを持つ旅人は多い。あの赤くて可愛いヤツはオシャレで可愛く多機能だが、実際のところ複雑な機能は必要ない。アーミーナイフはアイテムが多ければ多いほどゴミや脂、果肉なんかが根本に詰まって汚れがひどくなってしまう。それよりも、開いたときに「カチッ」とロックのかかるナイフを選ぶのが肝心だ。ロックされないナイフは、包丁的な用途以外にあまり使えない。工具代わりにすると危険なのだ。しかし話ずれずれですね。
世界は広い。
水道水を飲める国、教育が義務化された国、戸籍があり万人に選挙権があり男女の権利が平等な国、人前でサイフを出しても大丈夫な国、女性が夜ひとりで歩いても何も起こらない国、自動販売機が道ばたに置かれている国。
ぼくたちが生まれたそんな国が、地球上で限りなくマレな存在であるのを知ることは、きみの人生にとって価値のある引き出しのひとつとなる。
若者よ、荷物を捨てて旅に出よう!