公開日 2009年07月27日
文=坂東良晃(タウトク編集人、1967生まれ。18〜21歳の頃、日本列島徒歩縦断、アフリカ大陸徒歩横断など約1万キロを踏破。男四十にして再びバカ道を歩まんとする、か?)
大陸横断。
この甘美な響きよ。縦断でも、ナナメ横断でもなく、大陸横断。地球上でいちばん巨大な物体である大陸。そのド真ん中に、自分の足で一本の横線を描く。 そこにどんな危険が潜んでようと、この誘惑には抗しがたい。マラリア原虫を宿したハマダラ蚊がキンキン襲ってこようと、山賊に大ナタで頭蓋骨をコナゴナに砕かれようと、大陸横断の甘い蜜にぼくは酔う。
大陸横断。
この甘美な響きよ。縦断でも、ナナメ横断でもなく、大陸横断。地球上でいちばん巨大な物体である大陸。そのド真ん中に、自分の足で一本の横線を描く。 そこにどんな危険が潜んでようと、この誘惑には抗しがたい。マラリア原虫を宿したハマダラ蚊がキンキン襲ってこようと、山賊に大ナタで頭蓋骨をコナゴナに砕かれようと、大陸横断の甘い蜜にぼくは酔う。
少し昔話をしよう。東京・神田の三省堂書店の話。
今をさかのぼること24年。18歳のぼくは10トントラックの荷台で尾崎豊の「はじまりさえ歌えない」を鼻歌に運送会社で深夜の荷運びをし、早朝に仕事を終えると原チャに飛び乗りガラ空きの都内を走りながらジェットヘルの奧で尾崎豊の「Driving ALL Night」を熱唱し、ダンキンドーナツに飛び込んで甘いクリームに満たされたドーナツ2個を喉
に流し込み尾崎豊の「ドーナツショップ」を口ずさむ・・というくらしを営んでいた。要するに一日中、尾崎ばかり歌っていた。
尾崎とともに1日の労働を終え、尾崎とともに朝メシを食い終わると、神田の三省堂書店に立ち寄る。目的地は1階のいちばん奧の地図コーナー。そこには世界中の地図が無数に並べられている。店頭の小さな平台スペースを大手出版社が熾烈な奪いあいをする本の街・神田の老舗書店である。なぜ1階の一等地の広大な面積を地図売り場が占めているのか。そして、いったい東京に人口が何千万人いるからといって、誰がブルキナファソの砂漠の交易路やザイールの密林地帯のケモノ道が記された青焼き地図が必要だというのか。現代社会における平均的な市民生活にはトンと関係のない何千種類もの地図が、静かに旅立ちの日を待っている。
ぼくは地図一枚買うのに何日もここに通いつめた。ドーナツを買う金もギリギリの極貧生活者には、1枚2000円以上する地図を買うにはそれなりの勇気が必要だったからだ。何度かに分けて、仏ミシュラン製のアフリカ大陸の北半分と南半分の道路地図を2枚、そしてどこかの国の軍隊が作成したと覚しきジャングル戦用の詳細図を5枚買った。その地図を持ってアフリカ大陸徒歩横断の旅に出かけた。
□
24年後の現在の話をしよう。再びぼくは東京・神田は三省堂書店に向かった。地下鉄・神保町駅の階段を駆け上がるときに耳の奧で鳴ったのは尾崎ではなくてYUIの「Laugh away」だ。基本路線は同じだ、きっと。
店内の棚のレイアウトは24年前と寸分と違わない。あの頃の映像が焼きつけられた網膜が移植されたがごとし。奧へ奧へと進むと、色あせた地球儀や無数の言語で彩られた地図の群れ。変わらなければ衰退するのが商売というものだが、この一角には変化の兆しもない。誰の意思も及ばない緩衝地帯か、あるいは不可侵協定締結エリアか。アマゾンドットコムやらイーベイやら、インターネット上をどのようなキーワードで検索しても引っかからない世界中の地図が、ここには変わらず鎮座している。
どうひいき目に見ても普通の客はいない。つまり、有給休暇を取って南の島へバカンスに出かけよっか♪とか、卒業旅行はユーレイルパスで世界遺産を見て回ろっか♪とか、そんなルンルンで希望に満ちた雰囲気はない。堂々と床にアグラをかき、数百枚の航空機操縦用の地図を恐るべき猛スピードで検索するヒゲ面の男は、国際的ジャーナリストもしくは国際的テロリストに違いない。ペルシャ語で書かれたカラコルムの山岳地図に目を落とし、深いため息をつく土汚れたザックを背負った青年は、いかにも生活苦の真っ直中にいる風体である。今からK2北壁を登り、友と結ばれたザイルが切れる悲運の人生を歩みかねない深刻さだ。
そんな明日なき疾走状態の人びとが並ぶ列に、ぼくは大きな息をひとつついて、そっと足を踏み出した。記念すべきドロップアウトの瞬間である。「一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な飛躍である」と述べたのは宇宙飛行士のニール・アームストロングだが、かたや東京の片隅で小心に震えるオッサンは「バカ道への一歩」を刻んだのである。ファンファーレが鳴り、くす玉の1コでも割れてほしい。
アメリカ合衆国の地図をあさる。全米50州、ならびに北米広域の地図だけで、ざっと300種類を超すラインナップだ。選んでいるだけで脂汗がにじむ。落ち着け、落ち着くのだ。自分が大陸を走っている姿を想像しろ。アメリカの田舎の旧道のホコリっぽい地ベタに座り込んで、地図を開いて地平線に目をやるイメージ。ギラつく太陽に焼かれて色あせ、荒野で砂塵にまみれ、ぼくの汗がしゅみこんでボロボロにふやけた地図だ。頭蓋骨の奧で奥田民生の「無限の風」が鳴る。新大陸にふさわしいミュージック・・・ジャズもR&Bもブルースも知らないから、肝心な場面ではJ−POPSに救いを求める。長い旅の相棒となる地図をフィーリングで3枚選んだ。これでミソギは終わり。
さあ行こう、5000キロという途方もない距離へ。北米大陸横断をめざしバカに輪をかけたバカ練習、略してバカ練をはじめよう。
バカと呼ばれることを本望とし、バカになるために生きよう。
常識と非常識という選択肢があるならば非常識を選ぼう。安定と不安定の分かれ道に立ったなら、迷わず不安定の道に進もう。ぐっすり眠れる夜に満たされた気分に浸るより、眠れない夜に一人興奮しよう。お金があるより、お金がない方が強いのだと言い切れるようになろう。
価値なんかないと思われることを、ひたすらやり続けて価値を生み出そう。 夕暮れが近づいて大人に注意されても、河原で小石を夢中で積み上げつづける少年のような、必死さとイラ立ちをたたえて生きていこう。真っ直ぐな道があれば、どこまでも走っていこう。そこに叩きつけられる情熱があるなら、走り続けよう。それがぼくのバカロードだ。バカが走るバカロードなのだ。
今をさかのぼること24年。18歳のぼくは10トントラックの荷台で尾崎豊の「はじまりさえ歌えない」を鼻歌に運送会社で深夜の荷運びをし、早朝に仕事を終えると原チャに飛び乗りガラ空きの都内を走りながらジェットヘルの奧で尾崎豊の「Driving ALL Night」を熱唱し、ダンキンドーナツに飛び込んで甘いクリームに満たされたドーナツ2個を喉
に流し込み尾崎豊の「ドーナツショップ」を口ずさむ・・というくらしを営んでいた。要するに一日中、尾崎ばかり歌っていた。
尾崎とともに1日の労働を終え、尾崎とともに朝メシを食い終わると、神田の三省堂書店に立ち寄る。目的地は1階のいちばん奧の地図コーナー。そこには世界中の地図が無数に並べられている。店頭の小さな平台スペースを大手出版社が熾烈な奪いあいをする本の街・神田の老舗書店である。なぜ1階の一等地の広大な面積を地図売り場が占めているのか。そして、いったい東京に人口が何千万人いるからといって、誰がブルキナファソの砂漠の交易路やザイールの密林地帯のケモノ道が記された青焼き地図が必要だというのか。現代社会における平均的な市民生活にはトンと関係のない何千種類もの地図が、静かに旅立ちの日を待っている。
ぼくは地図一枚買うのに何日もここに通いつめた。ドーナツを買う金もギリギリの極貧生活者には、1枚2000円以上する地図を買うにはそれなりの勇気が必要だったからだ。何度かに分けて、仏ミシュラン製のアフリカ大陸の北半分と南半分の道路地図を2枚、そしてどこかの国の軍隊が作成したと覚しきジャングル戦用の詳細図を5枚買った。その地図を持ってアフリカ大陸徒歩横断の旅に出かけた。
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24年後の現在の話をしよう。再びぼくは東京・神田は三省堂書店に向かった。地下鉄・神保町駅の階段を駆け上がるときに耳の奧で鳴ったのは尾崎ではなくてYUIの「Laugh away」だ。基本路線は同じだ、きっと。
店内の棚のレイアウトは24年前と寸分と違わない。あの頃の映像が焼きつけられた網膜が移植されたがごとし。奧へ奧へと進むと、色あせた地球儀や無数の言語で彩られた地図の群れ。変わらなければ衰退するのが商売というものだが、この一角には変化の兆しもない。誰の意思も及ばない緩衝地帯か、あるいは不可侵協定締結エリアか。アマゾンドットコムやらイーベイやら、インターネット上をどのようなキーワードで検索しても引っかからない世界中の地図が、ここには変わらず鎮座している。
どうひいき目に見ても普通の客はいない。つまり、有給休暇を取って南の島へバカンスに出かけよっか♪とか、卒業旅行はユーレイルパスで世界遺産を見て回ろっか♪とか、そんなルンルンで希望に満ちた雰囲気はない。堂々と床にアグラをかき、数百枚の航空機操縦用の地図を恐るべき猛スピードで検索するヒゲ面の男は、国際的ジャーナリストもしくは国際的テロリストに違いない。ペルシャ語で書かれたカラコルムの山岳地図に目を落とし、深いため息をつく土汚れたザックを背負った青年は、いかにも生活苦の真っ直中にいる風体である。今からK2北壁を登り、友と結ばれたザイルが切れる悲運の人生を歩みかねない深刻さだ。
そんな明日なき疾走状態の人びとが並ぶ列に、ぼくは大きな息をひとつついて、そっと足を踏み出した。記念すべきドロップアウトの瞬間である。「一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な飛躍である」と述べたのは宇宙飛行士のニール・アームストロングだが、かたや東京の片隅で小心に震えるオッサンは「バカ道への一歩」を刻んだのである。ファンファーレが鳴り、くす玉の1コでも割れてほしい。
アメリカ合衆国の地図をあさる。全米50州、ならびに北米広域の地図だけで、ざっと300種類を超すラインナップだ。選んでいるだけで脂汗がにじむ。落ち着け、落ち着くのだ。自分が大陸を走っている姿を想像しろ。アメリカの田舎の旧道のホコリっぽい地ベタに座り込んで、地図を開いて地平線に目をやるイメージ。ギラつく太陽に焼かれて色あせ、荒野で砂塵にまみれ、ぼくの汗がしゅみこんでボロボロにふやけた地図だ。頭蓋骨の奧で奥田民生の「無限の風」が鳴る。新大陸にふさわしいミュージック・・・ジャズもR&Bもブルースも知らないから、肝心な場面ではJ−POPSに救いを求める。長い旅の相棒となる地図をフィーリングで3枚選んだ。これでミソギは終わり。
さあ行こう、5000キロという途方もない距離へ。北米大陸横断をめざしバカに輪をかけたバカ練習、略してバカ練をはじめよう。
バカと呼ばれることを本望とし、バカになるために生きよう。
常識と非常識という選択肢があるならば非常識を選ぼう。安定と不安定の分かれ道に立ったなら、迷わず不安定の道に進もう。ぐっすり眠れる夜に満たされた気分に浸るより、眠れない夜に一人興奮しよう。お金があるより、お金がない方が強いのだと言い切れるようになろう。
価値なんかないと思われることを、ひたすらやり続けて価値を生み出そう。 夕暮れが近づいて大人に注意されても、河原で小石を夢中で積み上げつづける少年のような、必死さとイラ立ちをたたえて生きていこう。真っ直ぐな道があれば、どこまでも走っていこう。そこに叩きつけられる情熱があるなら、走り続けよう。それがぼくのバカロードだ。バカが走るバカロードなのだ。