公開日 2009年09月02日
文=坂東良晃(タウトク編集人、1967生まれ。18〜21歳の頃、日本列島徒歩縦断、アフリカ大陸徒歩横断など約1万キロを踏破。男四十にして再びバカ道を歩む、か?)
サラミやら生ハムやらチョコやら食糧を適当に袋につめこんだものと、トレイルシューズ2足、さらに敷き布団と掛け布団、枕を車の後部に投げ入れて、出発準備とも言えない雑な用意をして徳島を発ったのは深夜12時だ。
サラミやら生ハムやらチョコやら食糧を適当に袋につめこんだものと、トレイルシューズ2足、さらに敷き布団と掛け布団、枕を車の後部に投げ入れて、出発準備とも言えない雑な用意をして徳島を発ったのは深夜12時だ。
高速道路を東へ東へとひた走り、名古屋の湾岸道路にさしかかった辺りで夜が明けた。曇天模様の天候は、独立峰・御嶽山へとつながる木曽谷に入るともろくも崩れ、叩きつけるような雨は、ワイパーを最速にしても容赦なく視界を奪う。長野県王滝村が近づけばいちだんと雨足は強まり、V字谷を刻む激流の轟音が地を揺らす。
こんな嵐の中、大会は開かれるのだろうか?とガスで見えない山影を仰ぎながら何度も考える。こんな遠方まで徹夜でやって来たのに中止になったらシラけるな、という思い。一方で中止になってくれたら土砂降りの山中を100キロも彷徨わずに済む、という淡い期待。ここに来て弱気が顔をもたげている。
朝9時ごろにメイン会場である松原スポーツ公園に到着すると、降りしきる雨の中、大会関係者が意気揚々と会場設営を行っている。中止を検討する気配も、天気を気にする不穏な空気もない。悪天など織り込み済みといった余裕が感じられる。誰ひとりとして雨に打たれることを気にしていない。そーか、そういうものなのか。
中止の可能性ゼロとわかれば腹も座る。車の後部に布団を広げてスタート時間まで眠ることにした。「OSJおんたけウルトラトレイル100キロ」のスタートは深夜12時である。ふだんなら「おやすみなさい」って時間に最もテンションを上げておかねばならん。体内時計を一度メチャクチャに破壊しておく必要がある。そのために、大会前夜はあえて徹夜で運転をした。そしてスタート時刻直前まで睡眠をとっておくって作戦である。
ところが真っ昼間からなかなか寝つけるものではない。アウトドアスポーツの聖地と呼ばれる王滝村に自分は在り、昨年日本のトレイル界「三強」と謳われる鏑木、石川、相馬3選手が名レースを展開した「おんたけウルトラ」の世界に数時間後に入るのかと思えば、興奮が睡眠をさまたげるのである。おまけに一転、天は晴れ渡り、強烈な日射しが車を焼きはじめた。蒸される車内で汗をだらだら流し、割れんばかりに鳴る昆虫の嘶きに耳を刺激されては一睡もならない。
ついに眠れないままに夜を迎えた。40時間ほど起きっぱなしの状態で、20時間リミットの徹夜レースに挑むのだ。人間いったい何時間睡眠なしで活動をつづけられるのか。確かそんなバカなことに挑戦してギネスブックに載った人もいた(帰ってから調べたら11日間連続で起きていたらしい)。こうなりゃあとは野となれ山となれ。走っているうちに眠くなれば、そのまま寝てしまえばいいと割り切った。
スタート会場のグラウンドには約600人のトレイルランナーが集結している。はるばる全国各地からこんな山奧に集まり、真夜中に100キロ走ろうかという集団である。「メタボ予防でちょっとエントリーしてみました」風情はいない。山岳レースに向かう独特のルックスは壮観である。バックパックから前面へと伸びたハイドレーションのチューブや、スカウターを思わせるサングラスは甲冑で武装した武士のたたずまいである。膝や足首に念入りに施されたテーピングはアンドロイドを思わせる。鍛え込まれた細くて鋭い筋肉に覆われた下肢が夜間照明に浮かび上がる。まさに山を自在に駆け回るカモシカのごとしキレの良さ。
どことなくロードのマラソン大会と雰囲気が違うのは脱緊張感か。達成すべき何かを背負ったロードランナーの思い詰めた表情とは違い、トレイルランナーには「なすがままに」という達観がある。あるいは「今さらジタバタしてもどうしようもない」くらいの抗しがたき領域に足を踏み入れる無心か。その一つの表れと覚しきは、会場横の仮設トイレに行列がまったくできないこと。トレイルランナーは出発前にウンコをしないのである。これは新鮮な驚きだ。ベストタイムを出すために100グラムでも重しを減らさんときばってみるロードランナーとは心の置き所が違うようだ。
定刻、深夜12時スタート。目映いばかりの仮設照明で照らし出されていたグラウンドを100メートルも後にすれば、真っ暗な街路、そして漆黒の林道へ。500余人のランナーが着けたヘッドランプの灯りが、地面に数百の白い弧を描き、上下動に併せて小刻みに揺れる。バックパックに装着した熊よけの鈴がいっせいに鳴り響く。「チリン、チリン、チリン・・・・・・」何百もの鈴の音が谷筋に反響する。LEDランプの青白い光と、豆球のオレンジがかった光が、蛇行する林道の流れに沿って左右にうねる。この世のものとは思えない異界への集団行のようである。ふと(死んだあとって、こんな具合なんだろうか?)と思う。似たような時間に絶命した世界中の人びとが、行列をつくって黄泉の国へと走っているのだ。これが死後直後の世界だと仮定するなら、意外に三途の川行きも怖いもんじゃない。大勢が同じ境遇にあり、同一方向に疾走する。それは自然なことのように感じ、暗闇は恐れるべき対象ではない。
ぼくが装着していたヘッドランプは「ペツル イーライト」。キャップの先端にクリップで留められるタイプだ。重量27グラムと軽さを優先して選択したが、あくまでエマジェンシー用。不安定な浮き石や、深い車のわだち、崩壊した路肩が連続する林道をハイスピードで走るには充分な光量がない。併走するランナーのヘッドランプの光をアテにしながら15キロの間に標高差700メートルを登る。
午前5時には白々と夜が明け、薄明かりのなか再び峠越えに入ったあたりで天候にわかに急変し、土砂降りの雨にみまわれる。数千本の樹木を叩く雨音は、ふだん街で聴くそれとはまるで違う。1粒1粒が打ち鳴らす葉との衝突音が何百万個もの共鳴となり、轟となって空気をざわめかす。葉先を経由して滝のようにしたたり落ちる水は、林道を都合のいい通り道としてたちまち渓流に変える。ランナーは足元でシブキをあげて流れ下る水とも戦わなくてはならない。
40キロ地点にある第一関門は制限7時間。1時間の余裕を残して関門にさしかかる手前あたりで、前方から続々とランナーが降りてくる。コースに折り返し点はない。不思議に思い、なぜ?と話しかけると「自主リタイアです」と笑いながらグッドラックと手を振る。天候が悪すぎて危険と判断したのか、気が乗らなかったか。このあけっけらかんとした執着のなさ、潔さはトレイルランナーの特徴か。
関門はエイドステーションも兼ねている。唯一の休息所であるテント下のブルーシートは水たまりのないスペースを探すのも困難だが、幾人ものランナーが毛布にくるまり精魂尽き果てたと爆睡している。いったん横になると二度と立ち上がれない気がしたので、ずぶ濡れのシューズと靴下の水気だけ取ることにする。水と泥にまみれたシューズは乾燥時の倍ほど重く鉛の足カセをぶらさげたよう。靴下を脱ぐと、白蝋化しシワくちゃになった土左衛門のような足が出てきた。これが自分の足かい? まるで水死体の皮膚じゃないか。水中に3時間、4時間と居続けたらこうなるんだろうか。見てはいけないものを見てしまった気がして、すぐさま靴下をはき直し、立ち上がった。エイドのあちこちからリタイアの相談をする声が聞こえる。甘い誘惑を断ち切るべし。水を2リッター補給し再出発する。すでにロードの100キロを走りきったくらいの疲労度、そして脚の痛みがある。中間点もほど遠いというのに。
ここに来てもはや崖崩れは日常茶飯、土砂や岩石が道を覆う。山側の渓流は瀑布となり、谷側の道は数百メートル下まで崩れ落ちている。路面を覆う鋭利なれき岩や不安定な砂岩が一歩ごとに足の裏を刺し、痛みに耐えんとすればうめき声が漏れる。それにしても苦しい。いわゆるガス欠の苦しみから生じる「心が折れた」状態ではなく、純粋なる肉体のダメージが強烈だ。これはレースというよりは修行に近いぞ。我は千日廻峰に挑む修行僧なるぞ! 標高地図を見れば、全行程に現れる登りは700メートル1本、300メートル1本、200メートル4本、100メートル10本。累積標高差は約2600メートル。急峻な峠道はない代わりに、眉山程度の標高差の登り降りを、1日中繰り返しているに等しい。
こんな過酷な道をヒョイヒョイ駆けぬけていくトレイルランナーとは何者か? あの風を切るように走るさまは何だ? 急傾斜の下り道でも空中を舞うように、軸脚に体重を乗せきらないうちに次の歩みに移動できるのはなぜか?
第二関門は70キロ地点、制限10時間。関門の横に併設されたエイドステーションには豊富な食糧があるとの説明を受けていたが、制限ギリランナーが到着した頃には先行ランナーに食べ尽くされていた。パンもおにぎりもバナナもないが、地元特産の塩漬けキュウリがかろうじて残っており、餓えた腹に染み込めば、鳥肌が立つほどおいしい。教訓「トレランの大会ではエイドをアテにしてはならない。自給自足分の食糧のオマケと考える」。
第二関門前後からペースの似通った選手たちの顔ぶれが固定しはじめ、抜きつ抜かれつ併走しつつ、声をかけあうようになる。制限20時間ギリギリで走っている集団だから、たいていがどこか故障を抱えている。「痛い、痛い」と叫びながら、痛みを忘れるためにムダ話に花を咲せる。高い心拍数で走ってないから会話に不自由はない。激痛に耐え、嵐に打たれという極限状態を共に走るランナーたちは、一瞬で旧知の仲のようになる。誰に対しても、どんな言葉を用いても説明し難い「この感じ」を共有しあえる同志ってわけだ。
しかしトレイルランナーの感性はおもしろい。道が平坦になると「あ〜あ、こんな所まで来て、フラット道走らせるんかよ〜」とくだを巻き。下り道が続けば「あとちょっと頑張ろう!登りになったら休憩できるから」。深い水たまりに躊躇なく足をつっこみ「シューズをいったん全部水につけてしまえば気にならないよ!」。ああこの人たちはマゾなのだ、と感じ入る。痛めつけられないと許せないのだ。SMクラブの女王様に優しくされたら「金返せよ」と叫びたくなる心理と同じだ。いたぶられたいのだ。山や嵐や自分との戦いに。
二度目の夜が訪れる。まる二日睡眠をとらず20時間近く走り続けたにしては異様に元気である。フィニッシュ会場の灯火が遠くに瞬くと、なにやら不思議な感覚に満たされる。ゴールしたくない気分なのである。なんだか寂しい、もう少し走っていたい、あと20キロくらい走りたい・・・。周囲のランナーに共感を求めると「アンタどんだけマゾよ?」と一喝される。そりゃそうだね、もう充分かもね。
光り輝くフィニッシュゲートをくぐれば待ちかまえたカメラの放列から目映いほどのストロボがたかれる。ほぼ最終ランナーだけどスーパースター並みの扱いだこりゃ。長い人生、こんな日もあっていいかもね。19時間49分、全身の筋肉を動員し、エネルギーを使い切った爽快感でいっぱいだ。この1週間、ジョギングもできないほど悪化していたヒザや腰の痛みが今は消し飛んだようだ。走り続ければ身体が痛みに順応するのだろう。人体って笑っちゃうくらい素直な造りだね。
「2009OSJおんたけウルトラトレイル100キロ」は、林道の崩落のため迂回路を利用し全行程103キロとなった。589人のエントリーのうち200人がリタイアあるいは関門閉鎖にあい、389人が完走した。完走率は66%である。
そしてぼくは、フィニッシュ会場で帰る足をなくして途方に暮れていた尼崎市在住の大学生君を拾い、無限の可能性を秘めた若者の渇望感ある話に心打たれつつ早朝に自宅まで送り届け(またまた徹夜です)、足かけ三夜四日間にわたる不眠不休の旅を終えた。もうこれが限界だ・・・眠い、眠りたい。11日間不眠記録を打ち立てたイギリス人のおじさんはすごいね。ずっとビリヤードしてただけらしいんだけど。
こんな嵐の中、大会は開かれるのだろうか?とガスで見えない山影を仰ぎながら何度も考える。こんな遠方まで徹夜でやって来たのに中止になったらシラけるな、という思い。一方で中止になってくれたら土砂降りの山中を100キロも彷徨わずに済む、という淡い期待。ここに来て弱気が顔をもたげている。
朝9時ごろにメイン会場である松原スポーツ公園に到着すると、降りしきる雨の中、大会関係者が意気揚々と会場設営を行っている。中止を検討する気配も、天気を気にする不穏な空気もない。悪天など織り込み済みといった余裕が感じられる。誰ひとりとして雨に打たれることを気にしていない。そーか、そういうものなのか。
中止の可能性ゼロとわかれば腹も座る。車の後部に布団を広げてスタート時間まで眠ることにした。「OSJおんたけウルトラトレイル100キロ」のスタートは深夜12時である。ふだんなら「おやすみなさい」って時間に最もテンションを上げておかねばならん。体内時計を一度メチャクチャに破壊しておく必要がある。そのために、大会前夜はあえて徹夜で運転をした。そしてスタート時刻直前まで睡眠をとっておくって作戦である。
ところが真っ昼間からなかなか寝つけるものではない。アウトドアスポーツの聖地と呼ばれる王滝村に自分は在り、昨年日本のトレイル界「三強」と謳われる鏑木、石川、相馬3選手が名レースを展開した「おんたけウルトラ」の世界に数時間後に入るのかと思えば、興奮が睡眠をさまたげるのである。おまけに一転、天は晴れ渡り、強烈な日射しが車を焼きはじめた。蒸される車内で汗をだらだら流し、割れんばかりに鳴る昆虫の嘶きに耳を刺激されては一睡もならない。
ついに眠れないままに夜を迎えた。40時間ほど起きっぱなしの状態で、20時間リミットの徹夜レースに挑むのだ。人間いったい何時間睡眠なしで活動をつづけられるのか。確かそんなバカなことに挑戦してギネスブックに載った人もいた(帰ってから調べたら11日間連続で起きていたらしい)。こうなりゃあとは野となれ山となれ。走っているうちに眠くなれば、そのまま寝てしまえばいいと割り切った。
スタート会場のグラウンドには約600人のトレイルランナーが集結している。はるばる全国各地からこんな山奧に集まり、真夜中に100キロ走ろうかという集団である。「メタボ予防でちょっとエントリーしてみました」風情はいない。山岳レースに向かう独特のルックスは壮観である。バックパックから前面へと伸びたハイドレーションのチューブや、スカウターを思わせるサングラスは甲冑で武装した武士のたたずまいである。膝や足首に念入りに施されたテーピングはアンドロイドを思わせる。鍛え込まれた細くて鋭い筋肉に覆われた下肢が夜間照明に浮かび上がる。まさに山を自在に駆け回るカモシカのごとしキレの良さ。
どことなくロードのマラソン大会と雰囲気が違うのは脱緊張感か。達成すべき何かを背負ったロードランナーの思い詰めた表情とは違い、トレイルランナーには「なすがままに」という達観がある。あるいは「今さらジタバタしてもどうしようもない」くらいの抗しがたき領域に足を踏み入れる無心か。その一つの表れと覚しきは、会場横の仮設トイレに行列がまったくできないこと。トレイルランナーは出発前にウンコをしないのである。これは新鮮な驚きだ。ベストタイムを出すために100グラムでも重しを減らさんときばってみるロードランナーとは心の置き所が違うようだ。
定刻、深夜12時スタート。目映いばかりの仮設照明で照らし出されていたグラウンドを100メートルも後にすれば、真っ暗な街路、そして漆黒の林道へ。500余人のランナーが着けたヘッドランプの灯りが、地面に数百の白い弧を描き、上下動に併せて小刻みに揺れる。バックパックに装着した熊よけの鈴がいっせいに鳴り響く。「チリン、チリン、チリン・・・・・・」何百もの鈴の音が谷筋に反響する。LEDランプの青白い光と、豆球のオレンジがかった光が、蛇行する林道の流れに沿って左右にうねる。この世のものとは思えない異界への集団行のようである。ふと(死んだあとって、こんな具合なんだろうか?)と思う。似たような時間に絶命した世界中の人びとが、行列をつくって黄泉の国へと走っているのだ。これが死後直後の世界だと仮定するなら、意外に三途の川行きも怖いもんじゃない。大勢が同じ境遇にあり、同一方向に疾走する。それは自然なことのように感じ、暗闇は恐れるべき対象ではない。
ぼくが装着していたヘッドランプは「ペツル イーライト」。キャップの先端にクリップで留められるタイプだ。重量27グラムと軽さを優先して選択したが、あくまでエマジェンシー用。不安定な浮き石や、深い車のわだち、崩壊した路肩が連続する林道をハイスピードで走るには充分な光量がない。併走するランナーのヘッドランプの光をアテにしながら15キロの間に標高差700メートルを登る。
午前5時には白々と夜が明け、薄明かりのなか再び峠越えに入ったあたりで天候にわかに急変し、土砂降りの雨にみまわれる。数千本の樹木を叩く雨音は、ふだん街で聴くそれとはまるで違う。1粒1粒が打ち鳴らす葉との衝突音が何百万個もの共鳴となり、轟となって空気をざわめかす。葉先を経由して滝のようにしたたり落ちる水は、林道を都合のいい通り道としてたちまち渓流に変える。ランナーは足元でシブキをあげて流れ下る水とも戦わなくてはならない。
40キロ地点にある第一関門は制限7時間。1時間の余裕を残して関門にさしかかる手前あたりで、前方から続々とランナーが降りてくる。コースに折り返し点はない。不思議に思い、なぜ?と話しかけると「自主リタイアです」と笑いながらグッドラックと手を振る。天候が悪すぎて危険と判断したのか、気が乗らなかったか。このあけっけらかんとした執着のなさ、潔さはトレイルランナーの特徴か。
関門はエイドステーションも兼ねている。唯一の休息所であるテント下のブルーシートは水たまりのないスペースを探すのも困難だが、幾人ものランナーが毛布にくるまり精魂尽き果てたと爆睡している。いったん横になると二度と立ち上がれない気がしたので、ずぶ濡れのシューズと靴下の水気だけ取ることにする。水と泥にまみれたシューズは乾燥時の倍ほど重く鉛の足カセをぶらさげたよう。靴下を脱ぐと、白蝋化しシワくちゃになった土左衛門のような足が出てきた。これが自分の足かい? まるで水死体の皮膚じゃないか。水中に3時間、4時間と居続けたらこうなるんだろうか。見てはいけないものを見てしまった気がして、すぐさま靴下をはき直し、立ち上がった。エイドのあちこちからリタイアの相談をする声が聞こえる。甘い誘惑を断ち切るべし。水を2リッター補給し再出発する。すでにロードの100キロを走りきったくらいの疲労度、そして脚の痛みがある。中間点もほど遠いというのに。
ここに来てもはや崖崩れは日常茶飯、土砂や岩石が道を覆う。山側の渓流は瀑布となり、谷側の道は数百メートル下まで崩れ落ちている。路面を覆う鋭利なれき岩や不安定な砂岩が一歩ごとに足の裏を刺し、痛みに耐えんとすればうめき声が漏れる。それにしても苦しい。いわゆるガス欠の苦しみから生じる「心が折れた」状態ではなく、純粋なる肉体のダメージが強烈だ。これはレースというよりは修行に近いぞ。我は千日廻峰に挑む修行僧なるぞ! 標高地図を見れば、全行程に現れる登りは700メートル1本、300メートル1本、200メートル4本、100メートル10本。累積標高差は約2600メートル。急峻な峠道はない代わりに、眉山程度の標高差の登り降りを、1日中繰り返しているに等しい。
こんな過酷な道をヒョイヒョイ駆けぬけていくトレイルランナーとは何者か? あの風を切るように走るさまは何だ? 急傾斜の下り道でも空中を舞うように、軸脚に体重を乗せきらないうちに次の歩みに移動できるのはなぜか?
第二関門は70キロ地点、制限10時間。関門の横に併設されたエイドステーションには豊富な食糧があるとの説明を受けていたが、制限ギリランナーが到着した頃には先行ランナーに食べ尽くされていた。パンもおにぎりもバナナもないが、地元特産の塩漬けキュウリがかろうじて残っており、餓えた腹に染み込めば、鳥肌が立つほどおいしい。教訓「トレランの大会ではエイドをアテにしてはならない。自給自足分の食糧のオマケと考える」。
第二関門前後からペースの似通った選手たちの顔ぶれが固定しはじめ、抜きつ抜かれつ併走しつつ、声をかけあうようになる。制限20時間ギリギリで走っている集団だから、たいていがどこか故障を抱えている。「痛い、痛い」と叫びながら、痛みを忘れるためにムダ話に花を咲せる。高い心拍数で走ってないから会話に不自由はない。激痛に耐え、嵐に打たれという極限状態を共に走るランナーたちは、一瞬で旧知の仲のようになる。誰に対しても、どんな言葉を用いても説明し難い「この感じ」を共有しあえる同志ってわけだ。
しかしトレイルランナーの感性はおもしろい。道が平坦になると「あ〜あ、こんな所まで来て、フラット道走らせるんかよ〜」とくだを巻き。下り道が続けば「あとちょっと頑張ろう!登りになったら休憩できるから」。深い水たまりに躊躇なく足をつっこみ「シューズをいったん全部水につけてしまえば気にならないよ!」。ああこの人たちはマゾなのだ、と感じ入る。痛めつけられないと許せないのだ。SMクラブの女王様に優しくされたら「金返せよ」と叫びたくなる心理と同じだ。いたぶられたいのだ。山や嵐や自分との戦いに。
二度目の夜が訪れる。まる二日睡眠をとらず20時間近く走り続けたにしては異様に元気である。フィニッシュ会場の灯火が遠くに瞬くと、なにやら不思議な感覚に満たされる。ゴールしたくない気分なのである。なんだか寂しい、もう少し走っていたい、あと20キロくらい走りたい・・・。周囲のランナーに共感を求めると「アンタどんだけマゾよ?」と一喝される。そりゃそうだね、もう充分かもね。
光り輝くフィニッシュゲートをくぐれば待ちかまえたカメラの放列から目映いほどのストロボがたかれる。ほぼ最終ランナーだけどスーパースター並みの扱いだこりゃ。長い人生、こんな日もあっていいかもね。19時間49分、全身の筋肉を動員し、エネルギーを使い切った爽快感でいっぱいだ。この1週間、ジョギングもできないほど悪化していたヒザや腰の痛みが今は消し飛んだようだ。走り続ければ身体が痛みに順応するのだろう。人体って笑っちゃうくらい素直な造りだね。
「2009OSJおんたけウルトラトレイル100キロ」は、林道の崩落のため迂回路を利用し全行程103キロとなった。589人のエントリーのうち200人がリタイアあるいは関門閉鎖にあい、389人が完走した。完走率は66%である。
そしてぼくは、フィニッシュ会場で帰る足をなくして途方に暮れていた尼崎市在住の大学生君を拾い、無限の可能性を秘めた若者の渇望感ある話に心打たれつつ早朝に自宅まで送り届け(またまた徹夜です)、足かけ三夜四日間にわたる不眠不休の旅を終えた。もうこれが限界だ・・・眠い、眠りたい。11日間不眠記録を打ち立てたイギリス人のおじさんはすごいね。ずっとビリヤードしてただけらしいんだけど。