公開日 2010年04月28日
文=坂東良晃(タウトク編集人、1967生まれ。18〜21歳の頃、日本列島徒歩縦断、アフリカ大陸徒歩横断など約1万キロを踏破。男四十にして再びバカ道を歩む、か?)
とゆーわけで、日本列島つづうらうら行楽たけなわの黄金週間に、520キロをぶっ通しで走るウルトラマラソン・レースに出場する。
とゆーわけで、日本列島つづうらうら行楽たけなわの黄金週間に、520キロをぶっ通しで走るウルトラマラソン・レースに出場する。
ひと言に520キロと申し上げても、どれっくらいのスケールなのか自分自身ピンときていない。フルマラソンの42.195キロなら「とても長いですよ」と他人に説明できる。徳島県庁を起点に由岐や脇町まで2本の脚で移動すると考えれば、なるほど納得のいく遠さだ。レース中めいっぱいのスピードで押していくと、28キロあたりで残り15キロが「永遠か!」と感じるときがあるしね。
ましてやウルトラマラソンの100キロなんて、途方もなく彼方にフィニッシュ会場がありすぎて、70キロまで達しないと距離の持つ意味が理解できない。1キロ6分で走り続けたら10時間かかる・・・頭の中で理解可能な100キロとはそのような把握の仕方でしかない。つまり空間の広がりではなく、自分の実働時間と疲労度の記憶である。「これくらい痛くて身体が動かなくなるのが100キロ」という感覚だけは明瞭なのだ。
さて520キロともなると、あらゆる想像の範囲を超えてしまい、長いのか短いのか、ツラいのか楽しいのか想いが及ばない。フルマラソンがハーフマラソンの倍キツいのではないように、520キロが100キロの5倍大変なのではないだろう。きっと何十倍ものダメージが押し寄せるのだ。でも、まだ走っていない現段階では「何十倍」ってどんなもんだかわからない。
ともかく、そのような意味不明な長距離レースに挑戦するわけだ。
「日本横断・川の道フットレース」は、東京・長野・新潟間の520キロメートルを制限時間132時間のうちに走りきる日本最長級のウルトラマラソンだ。制限時間132時間といっても、520キロという距離と同様つかみどころのない数字だ。5日間と半日と聞いて何となくわかる。
4月30日朝9時に東京湾岸の葛西臨海公園を出発し、初日は荒川沿いの河川敷を遡上する。都心を抜けしばらく埼玉の市街地を走り、徐々に奥秩父の山岳地帯へと足を踏み入れる。最初の関門である170キロ地点(埼玉県秩父市)を36時間以内に越えなくてはならない。
関門には、ランナーのために宿泊施設が用意されている。「こまどり荘」という山荘風の宿は、小ぶりだがお風呂を備え、食事も提供される。雑魚寝ながら布団が敷かれた仮眠所もある。ここでランナーは2時間以上の休憩が義務づけられる。関門チェック後、2時間は出発してはならないのだ。全行程のうち、このような関門+宿泊施設が3カ所ある。1カ所につき2時間、合計6時間は強制的に休憩させる算段。つまり最低でも6時間の仮眠がとれる。といっても1週間近いレースで睡眠が合計6時間なんて化け物は存在しない。各宿で3〜4時間は眠らなければ体力が回復しないと想定する。
「こまどり荘」を出ると埼玉・長野県境をめざし山深い中津川林道を登る。標高1828メートルの三国峠越えは試練となる。深夜ならば気温は0度前後まで下がり、凍てつく。クマを筆頭に野生動物も多く現れるという。すでに脚に障害が発生していたとしたら、そうとう悲しい思いをしながら、闇夜の深い森を彷徨わねばならない。野性のシカやイノシシが突進してきたらどうしよう。どうしようもないと思うけど・・・。ここがレース前半の山場だ。
第二関門は265キロ地点(長野県小諸市)。制限時間は63時間、つまり2日と15時間だ。宿泊施設は「小諸グランドキャッスルホテル」。市街地にあるシティホテルで、展望のいい湯量豊富な天然温泉がある。265キロも走った直後に天然温泉なんかに浸かったら気絶してしまわないだろうか。用心しながら足の指先からそろーっと入ろうと思う。
出発から320キロ付近で長野市の市街地に駆け下り(駆けられる脚が残っておればの話)、ありがたくも信州善光寺本堂をお参りし(こういったプチ・イベント感に主催者の温かさというか粋なはからいを感じる)、いよいよ新潟県境、信濃川の最上流域をめざす。
最後の関門は394キロ地点(新潟県津南町)。制限98時間以内に「深雪会館」を目指す。純和風の素朴な駅前旅館だ。ここまで4日間で約400キロを走るってんだから1日平均100キロペース。4日続けて100キロレースをやるって考えればいいか。
最終関門をクリアすると、あとは信濃川沿いを日本海目指しひたすら北上する。レース終盤は日本海の情景をとにかく渇望しつづけるだろう。日本海に対面し長い苦難の旅を終えることができるからだ。疲労の極で波音の幻聴など聴きはしまいか。きっと一日中幻聴が鳴り響くんだろね。i-podいらずのイージー・リスニングサービスだと前向きに捉えよう。
ゴールは新潟市、フィニッシュ地点は「ホンマ健康ランド」という24時間営業の大型クアハウスである。11種類のお風呂が疲れた・・・いや壊れたランナーの心身を癒してくれる。過去の参加者のレポートを読むと、極度の疲労から温泉の湯舟で溺れそうになったり、用を済ませたとたんトイレの入口の床で眠りこんだりと、一見ほのぼのとした修羅場が展開されている。
フィニッシュテープが用意される最後の時刻は5月5日夜9時。昨年は50人が出走し、38人が完走した。この大会に出場するには過去に120キロ以上のウルトラマラソン完走経験が必要であるから、それなりの強者である。そんなランナーでも4人に1人の比率で途中リタイアする厳しさだ。足の裏、ヒザ、股関節、そして全身の筋肉、そのすべてに確実に故障が発生する。心身健康な状態で走れる可能性は0.1%もない。血尿、幻覚、幻聴、意識混濁は異常事態ではなく、乗り越えるべき山のひとつにすぎない。
凡庸な中年男子がこのような超過酷な環境に放り込まれたとき、どれほどブザマな軟弱ハートをさらけ出し、いかなる歴史的ヘマをやらかすのか。そのサディスティック・リポートは次回をおっ楽しみに〜。(つづく)
ましてやウルトラマラソンの100キロなんて、途方もなく彼方にフィニッシュ会場がありすぎて、70キロまで達しないと距離の持つ意味が理解できない。1キロ6分で走り続けたら10時間かかる・・・頭の中で理解可能な100キロとはそのような把握の仕方でしかない。つまり空間の広がりではなく、自分の実働時間と疲労度の記憶である。「これくらい痛くて身体が動かなくなるのが100キロ」という感覚だけは明瞭なのだ。
さて520キロともなると、あらゆる想像の範囲を超えてしまい、長いのか短いのか、ツラいのか楽しいのか想いが及ばない。フルマラソンがハーフマラソンの倍キツいのではないように、520キロが100キロの5倍大変なのではないだろう。きっと何十倍ものダメージが押し寄せるのだ。でも、まだ走っていない現段階では「何十倍」ってどんなもんだかわからない。
ともかく、そのような意味不明な長距離レースに挑戦するわけだ。
「日本横断・川の道フットレース」は、東京・長野・新潟間の520キロメートルを制限時間132時間のうちに走りきる日本最長級のウルトラマラソンだ。制限時間132時間といっても、520キロという距離と同様つかみどころのない数字だ。5日間と半日と聞いて何となくわかる。
4月30日朝9時に東京湾岸の葛西臨海公園を出発し、初日は荒川沿いの河川敷を遡上する。都心を抜けしばらく埼玉の市街地を走り、徐々に奥秩父の山岳地帯へと足を踏み入れる。最初の関門である170キロ地点(埼玉県秩父市)を36時間以内に越えなくてはならない。
関門には、ランナーのために宿泊施設が用意されている。「こまどり荘」という山荘風の宿は、小ぶりだがお風呂を備え、食事も提供される。雑魚寝ながら布団が敷かれた仮眠所もある。ここでランナーは2時間以上の休憩が義務づけられる。関門チェック後、2時間は出発してはならないのだ。全行程のうち、このような関門+宿泊施設が3カ所ある。1カ所につき2時間、合計6時間は強制的に休憩させる算段。つまり最低でも6時間の仮眠がとれる。といっても1週間近いレースで睡眠が合計6時間なんて化け物は存在しない。各宿で3〜4時間は眠らなければ体力が回復しないと想定する。
「こまどり荘」を出ると埼玉・長野県境をめざし山深い中津川林道を登る。標高1828メートルの三国峠越えは試練となる。深夜ならば気温は0度前後まで下がり、凍てつく。クマを筆頭に野生動物も多く現れるという。すでに脚に障害が発生していたとしたら、そうとう悲しい思いをしながら、闇夜の深い森を彷徨わねばならない。野性のシカやイノシシが突進してきたらどうしよう。どうしようもないと思うけど・・・。ここがレース前半の山場だ。
第二関門は265キロ地点(長野県小諸市)。制限時間は63時間、つまり2日と15時間だ。宿泊施設は「小諸グランドキャッスルホテル」。市街地にあるシティホテルで、展望のいい湯量豊富な天然温泉がある。265キロも走った直後に天然温泉なんかに浸かったら気絶してしまわないだろうか。用心しながら足の指先からそろーっと入ろうと思う。
出発から320キロ付近で長野市の市街地に駆け下り(駆けられる脚が残っておればの話)、ありがたくも信州善光寺本堂をお参りし(こういったプチ・イベント感に主催者の温かさというか粋なはからいを感じる)、いよいよ新潟県境、信濃川の最上流域をめざす。
最後の関門は394キロ地点(新潟県津南町)。制限98時間以内に「深雪会館」を目指す。純和風の素朴な駅前旅館だ。ここまで4日間で約400キロを走るってんだから1日平均100キロペース。4日続けて100キロレースをやるって考えればいいか。
最終関門をクリアすると、あとは信濃川沿いを日本海目指しひたすら北上する。レース終盤は日本海の情景をとにかく渇望しつづけるだろう。日本海に対面し長い苦難の旅を終えることができるからだ。疲労の極で波音の幻聴など聴きはしまいか。きっと一日中幻聴が鳴り響くんだろね。i-podいらずのイージー・リスニングサービスだと前向きに捉えよう。
ゴールは新潟市、フィニッシュ地点は「ホンマ健康ランド」という24時間営業の大型クアハウスである。11種類のお風呂が疲れた・・・いや壊れたランナーの心身を癒してくれる。過去の参加者のレポートを読むと、極度の疲労から温泉の湯舟で溺れそうになったり、用を済ませたとたんトイレの入口の床で眠りこんだりと、一見ほのぼのとした修羅場が展開されている。
フィニッシュテープが用意される最後の時刻は5月5日夜9時。昨年は50人が出走し、38人が完走した。この大会に出場するには過去に120キロ以上のウルトラマラソン完走経験が必要であるから、それなりの強者である。そんなランナーでも4人に1人の比率で途中リタイアする厳しさだ。足の裏、ヒザ、股関節、そして全身の筋肉、そのすべてに確実に故障が発生する。心身健康な状態で走れる可能性は0.1%もない。血尿、幻覚、幻聴、意識混濁は異常事態ではなく、乗り越えるべき山のひとつにすぎない。
凡庸な中年男子がこのような超過酷な環境に放り込まれたとき、どれほどブザマな軟弱ハートをさらけ出し、いかなる歴史的ヘマをやらかすのか。そのサディスティック・リポートは次回をおっ楽しみに〜。(つづく)