バカロードその14 一歩足を前に出せば一歩ゴールに近づく 〜日本横断「川の道」フットレース・520キロ参加記〜

公開日 2010年07月31日

文=坂東良晃(タウトク編集人、1967生まれ。18〜21歳の頃、日本列島徒歩縦断、アフリカ大陸徒歩横断など約1万キロを踏破。男四十にして再びバカ道を歩む、か?)

(前回まで=東京湾岸を出で、長野県を経由して新潟は日本海へと至る520キロ、国内最長クラスの超長距離フットレースにタウトク編集人が挑戦した6日間の記録。スタートから5日目の昼には394キロを踏破し、第三関門である新潟県津南町の宿「深雪会館」に着いた)

ゴールへ
新潟県津南町〜新潟県新潟市 126キロ

 「はい起きて!もう出発するよ!時間だよ!」と身体をぐらんぐらん揺さぶられる。
 布団のなかで「ふぁ、ふぁい。おはよう、ごじゃいまふ」と生返事をする。目を開けると見知らぬ男性が顔をのぞきこんでいる。3秒見つめあう。(この人だれなんだろう・・・知りあいだったかな)。事態がつかめず、ぼーっとしていると「あ、ごめんなさーい。人ちがいでしたー」と男は去っていく。時計を見る。3時間くらい睡眠をとる予定だったが、布団にもぐりこんでから1時間しか経っていない。人ちがいでムリヤリ起こされたわけなんだけど腹は立たない。このレースも5日目、どんな事態も素直に受け入れる素地ができあがっている。あらゆる出来事は偶発的に起こっているものだが、見えざる力によって導かれる必然とも言えるのだ。
 階下に降り、「おはようございまふ」とスタッフに告げる。足元はおぼつかず、ロレツは回っていない。「おはよう」と言ってしまった後で、今が夕方であることに気づく。
 「ぼく、スタートしまふ」と告げると、あちこちに待機していた大会スタッフがガバッと立ち上がる。荷物を持ってくれ、玄関の外まで出てくれる。「じゃあがんばって」と大勢で見送ってくれる。スタッフの皆さんも徹夜態勢でバックアップしてくれているのだ。こんな心温まる大会ってあるだろうか。泣けてくるよな。
 おぼつかない足取りでスタートを切ると、セクシーなチャイナドレスを艶やかにまとった魅惑の女性が、しばらく併走してくれる。これは昨晩から見続けている幻覚なのだろうか。いや幻ではない、大会を初日からサポートしてくださっている美人の方だ。ぼくはフイの2ショットに舞い上がってしてしまい「ふだんは何をなさっている方なのでふか?」などとお見合いの席のような質問をすると、丁寧に答えてくださった。この頃、ぼくの知能指数はIQ30くらいしかない。
 お姉さまは津南の街並みを背景にいつまでも手を振ってくれる。山田洋二監督が撮るロードムービーののワンシーンのような素敵な場面だ。ぼくは、さしずめさすらいの旅に発つ高倉健といった役どころか。いや、武田鉄矢がいいセンか。幻覚でないことを後に証明するために、写真を撮らせてもらう。
 この520キロにもわたる長い旅を、途中3カ所に設けられた宿泊所を境に4つのステージに見立てると、今日と明日が最終ステージである。明日の夜9時までに日本海に対面し、再び折り返して新潟市の温泉施設「ホンマ健康ランド」にたどり着けば、時間内完走の栄誉を手にする。栄誉といっても誰かに誉められるわけでもない。完走者の唯一の証しは「永久ゼッケンナンバー」のホルダーになるってこと。「川の道」が開催され5年、いまだ2ケタナンバーは61番が最大値である。つまり完走者は過去61人しかいないってこと。ゴールまで120キロ、残り30時間。さあ、永久ナンバーめざしてトコトコ走るか!と気合いを入れる。
 津南の山村風景は本当に美しい。河岸段丘の斜面や平地に建つ民家、棚田が立体ジオラマを造りだす。車道脇にはまだ高さ50センチほども残雪がある。津南町は日本を代表する豪雪地帯である。集落中に水の流れる音がささやく。雪融け水が水路を走っているのだ。多くの民家の脇にはコンクリ造りの大きな水槽がある。2メートル四方ほどもあるから小さなプールのよう。釣った山魚を養殖しているのかなと思ったが、雪を溶かすための水溜まりだとわかる。 
 小学校の校庭に見たこともない巨大な桜が咲き乱れ、風に散った花びらが道路をピンク色に染め上げている。「コノ国ハ、本当ニ、ウツクシイ・・・」。ラフカディオ・ハーン目線で日本の原風景を感慨深げに見つめる。この頃、ぼくの知能指数はIQ20くらいしかない。
 夕暮れどきに十日町市に着く。商店街には人間を抽象的に模した彫像があちこちに屹立しているのだが、何やらヒソヒソと話しかけてくるような気がして怖くなって逃げる。長い長い商店街を抜けると、夜のとばりがすっかり落ちていた。
 夜が深くなるにつれ、得体の知れない影に脅かされる。電柱や街灯のたもとに人影が見える。影は見えるのに、近づくとそこには誰もいない。
 背後から足音や呼吸音が近づく。ランナーかと思い話しかけると、真っ黒い影が揺れていて物質はない。
 左隣に長い髪をバサバサ揺らしながら女性がついてくる。右隣を見ても女性がいる。やがて10人くらいの女性に囲まれる。みな青白い顔をしている。明らかにこの世の物ではない。下半身から鳥肌がせり上がってくる。
 これが川の道フットレースを走るランナーの多くが観るという幻覚ってヤツか。幻覚ってこんなリアルなのか。幽霊のようにボーッと浮かび上がっているのではない。確かにぼくは感知している。眼球で捉えているのではなくて、脳みその奧のスクリーンに投影されている。極度の睡眠不足、あるいは痛みや疲労から逃避するために、脳が勝手に暴走をはじめている。
 427.2キロ地点(CP20・新潟県小地谷市魚沼橋)通過。ヘッドランプの瞬きが前後に見える。ああ、近辺にランナーがいるんだと安心する。
 闇からぬぉっと現れた人物。その外見、ランナーというよりはヒットマン、菅原文太のヤクザ映画に出てくるような顔。右手に妖しく青光りするマシーンをたずさえている。また幻覚か?と畏怖するが、博多弁で喋りだすので現実世界の人だとわかる。彼は福岡から来た江口さんという。手元で光り輝くのは、携帯GPSマシンのようだ。江口さんは、「GPS最高ばい!」と嬉しそうに説明してくれる。
「あと○×キロで小地谷市ばい、GPSでわかるったい」「スタートから400キロ越えたばい」と15分に1回くらいGPSをチェックしている。ちょうどぼくも自力で紙地図を見るのが面倒くさくなっており渡りに船とばかりに「GPSならあとなんキロですか?」と何べんも聞く。すると「あと12キロっちゃね。順調ばい」などと江口さんは答えてくれる。(確かにGPS最高たい!)とぼくも共感しはじめた頃、江口さんが意外な話をはじめる。
 「昨日は危なかったばい。道を10キロも間違ごうて死ぬかと思うたじぇ」
 (んなアホな、そのGPSあかんのんちゃうん?)。共感は醒め、元どおり紙の地図を頼りにする。
          □
 2人で小地谷の街を目指していると、正面からヘッドランプが近づいてくる。変だ、このコースに折り返しなどない。70代の熟年ランナー、渡邉さんだ。「こっちに来たらダメですよ。ゴールはあっちですよ」と説明する。すると「いやー、自分がどこにいるかわからないから、この辺を走り回ってたんだよ、ほほほほ」と笑ってらっしゃる。余裕があるのやらないのやら。道がわからなければ、じっとしていたらいいと思うのだが、大丈夫なんだろうか。いや、今の状況、誰が正常で誰が幻覚の中を走っているのかは、誰も判断できないのである。
 明け方は寒さが厳しい。コンビニで雨合羽を調達する。1枚500円するけど、耐え難い寒さをしのぐには充分である。合羽を上半身に羽織り、コンビニの前に座って休憩していると、1人の客が店に入っていく。しばらくすると店内から「御用だ!御用だ!」と大声がする。
 (ああ、なるほど。さっきの客は強盗だったんだ。岡っ引きが今、悪党を捕まえているんだな)と思う。(岡っ引きがいてくれるなら、強盗が乱入してきても安心だな)と胸をなでおろす。だが、コンビニの中に江口さんを残してきたことに気づき、(強盗の人質になんかなってないだろうな)と心配になる。店の中をのぞき込んでいると、江口さんが出てくる。「強盗が入ったでしょう?大丈夫でしたか」と質問する。江口さんは問いかけには答えず、関係のない話をはじめる。どうやら捕物帖はなかったようだ。(ああそうか、現代に岡っ引きはいないよな)とようやく気づく。もはや自分を正常だなんて断言などできない!
           □
 小地谷市の郊外にある自宅を開放し私設エイドを設けている「和田さん」は、川の道ランナーたちのアイドルだ。和田さんの逸話は少なくない。曰く「和田さんは極度に親切で、よく(何かいるものないか?)と聞いてくれる。つい口走ってしまうとわざわざ買いに行ってくれた」「日本酒が大好きな和田さんは、新潟の地酒をランナーに(飲んでいけばいいよ)とお勧めしてくれる」「先頭集団が和田さん家でへべれけに酔っぱらってしまった」とか。ランナーたちは、和田さんとの再会を楽しみに、終盤の行程を乗り切ろうとする。
 薄ぼんやりと夜が明け始めた頃、和田さん家に着く。1階の車庫ガレージに置かれたテーブルの上には山盛りの食料がある。カップ麺、パン、果物、お菓子、漬け物、キムチ、ちまき、そしてビールに日本酒! あっけに取られていると、和田さんが「何でも食べればいいよ」「温かいもの食べなさい」と、どんどんお薦めしてくれる。噂に違わぬ無類の優しさだ。
 ガレージの裏には仮眠所がしつられられている。5〜6人が一度に横になれるよう、大量の毛布が用意されている。ここで眠れば、制限132時間以内にゴールにたどり着くのは無理かもしれない。でも、これ以上起きているのは不可能だ。今できるのは眠ることだけと毛布にくるまり惰眠を貪る。入眠後30分、先着ランナーの三遊亭楽松さんが起こしてくれる。ゴールまで75キロ。時速5キロで進めばギリギリ間にあう時間だ。和田さんに別れを告げると「これ持っていけばいい」と、リュックに大量のちまきを入れてくれる。先頭ランナーの通過から最後尾のぼくまで、何十時間もこうやってランナーの世話をしてるんだろう。ぼくもいつかこんな風にランナーを応援したいなと思う。
 445.1キロ地点(CP21・新潟県小地谷市越の大橋)からは、楽松さんと江口さんがペースを作り、ぼくが追従する。道中3人。楽松師匠の歩きは速い。時速6キロのハイペースだ。しかも休憩をまったく入れない。ぼくの壊れた足の裏ではペースについていけない。歩きの2人に追いつくために、走りをはさむ。100メートルくらい先行したら、シューズと靴下をぬぎ、足の裏を冷やす。追いつかれたら急いでシューズをはき、追いかける。それを何度か繰り返す。
 457.7キロ地点(CP22・新潟県長岡市)、長岡市は新潟県下第二の都市だけあり、中心市街地も大都会ってフンイキ。商店街を抜けたコンビニの駐車場で休憩を取る。やっと休憩だ、うれしい。ぼくは朝ごはんにアイスクリーム2本を食す。この数日、大会から提供される食事以外はアイスクリームしか採っていない。グロッキーなぼくのかたわらで、楽松師匠がシューズを脱ぎ、足の裏のマメの治療をはじめる。でかい!長さ10センチはあろうか。楽松師匠はそのマメの皮を、ジョキジョキとハサミで切り取っていく。ぼくの足の裏よりよっぽどひどい状態じゃないか。それなのに「痛い」も「つらい」もなく、ひたすらに力強く歩き続けている。ぼくは自分が情けなくなる。そしてこれ以上、脚の遅いぼくのペースに楽松さんをつき合わせてはいけないと思う。
 「ぼく、先に行ってます」と言い残し、できるだけ前進しようと最速スピードで走りだす。ゴールまで60キロちょい。多少の無理をしケガしても、前進さえしつづければ、ゴールできるはずだ。
 走る、走る。前方に「後半ハーフ」の選手が見えてきた。何とか追いつこう、追いつきたい。広いバイパス道に出る。気温がぐんぐん上がる。アスファルトからの輻射熱と自動車の排気。真夏の野球グラウンドのような熱気の中を、猛然と走る。足の裏がドッチボールのようにブヨブヨと膨らんでいる。痛み止めをガブ飲みする。すでに40錠入りの鎮痛剤は残りわずかだ。
 歩道橋の日陰で足を冷やしていると、長岡のコンビニに置き去りにした江口さんが何かに取り憑かれたような猛スピードで走り去っていく。(やばい、置いていかれる!)慌てて後を追いかける。江口さんのペースは速く、遠ざかりそうな背中が視界から失われないよう食らいつく。この大会で何度目かの猛スパートだ。10分も走ってようやく追いつく。
 「おー来たか!どこ行っとったとや?」と江口さん。すごく元気だ。会話もままならなかった昨晩とは別人である。ハーフマラソン並みのハイペースに、ぼくは併走したり後ろにくっついたりしながら負けじと走る。
 江口さん、なぜかムチャクチャ熱い!
 「あんたの走りはなかなかいいばい!」と誉めてくれる。
 「がんがん行くばい!」と自らを奮い立たせている。
 「頭をがんがん冷やせばよかったい!」と氷を頭に乗せる。
 「痛みは慣れるばい、慣れて治すたい!」と激痛に戦いに挑む。
 「最高、最高ばい!」と叫ぶ。
 このオッサン、何者!? こんなバカランナー見たことない、素敵だ! 2人でレースをやってるくらいのデッドヒート。ほんと脚ぼろぼろなのに、完全にバカである。長岡市郊外から三条市までの10キロをこの調子で爆走した。ハイペースで走るのって気持ちいい!
 481.1キロ地点(CP23・新潟県三条市)。昨年出場したサハラマラソンの相棒、男子大学生の山口洋平君から電話が入る。ぼくのゴールを見届けるために、はるばる茨城から夜行バスでやってきたのだ。彼もまた酔狂な男なのである。「どこに行ったら会えますか」と問うので、「ゴール会場からこっちに走ってきたらいつか会えるんちゃう?」と返す。せっかく遠路はるばるやってきたのだ。ゴールでひたすら待っていてもつまらない。ここはひとつラスト40キロくらいを走らせて、思い出のひとつも作ってやろう、というぼくの粋な配慮である。
 新潟市郊外の気の遠くなるような直線ロードの彼方、揺れる陽炎のなかからフラフラになって現れた山口君は、20キロ以上を全力で駆けてきたらしく自爆状態である。明らかに新品の真っ白な肌着シャツを着ている。元々走る気などなかったから、急きょ安物の服を買い求めたのだ。サハラ砂漠を2人で遮二無二走ったときから、ぼくは20歳も年下のこの若者にシンパシーを感じ、尊敬している。
 サハラマラソンの最終日、強烈な岩場、ガレ場の難コース42.2キロを3時間台という信じられないタイムで駆け抜けた彼は、走り終えたあと何時間も立ち上がれなかった。喋ることすらままならないほど衰弱していた。ふだんは陽気でエロいだけの今風の若者が、自らを極限まで追い詰める姿にぼくは打たれた。そして自分自身の中途半端な燃焼ぶりを悔いた。記録や、順位や、完走や・・・走りはじめた目的はそんな所にない。自分の限界を超えたいと思った。だから砂丘をはいあがり、山岳を攀じ登り、数百キロのレースにエントリーする。それなのにぼくは一度もスッカラカンになるまで追い込めない。だから、小学生の校内マラソン大会ですら走りすぎて救急車で運ばれたこのバカ男を尊敬する。いつか彼のように限界をつき破る走りをしたい。
 山口君にペース管理とチョコエクレア補給をしてもらいながら進む。走っても、走っても、ゴールの制限時間に間にあうペースまで上がらない。511.2キロ地点(CP24・新潟市新潟ふるさと村)を越えると、信濃川の土手にあがる。すっかり日は落ち、信濃川の川面に新潟市街の夜景が映る。夜が訪れると再び幻想の世界に入り、ビルの上に大きな赤鬼が座っているのに驚いたり、ぼくの勇姿を見届けるためゴール会場にオバマ大統領が待機しているという情報が入ったりした。なぜかオナラが止まらなくなり50発くらいこいた。尻の括約筋にもエネルギーが行き渡らなくなっている。屁が止まらないまま、ついに日本海に達する。
 516.3キロ地点(CP25・新潟県日本海岸)。
 日本列島の山越えた反対側、東京湾からここまで6日間、長らく対面を夢見つづけた日本海は真っ暗闇の彼方にあり、そこが海かどうかもわからない。闇の向こうから女性の姦しい声が聞こえてくる。「イエーィ!日本海よー!イエーィ!」。(わ、なんだなんだこりゃ)と驚く間もなく、3人の熟女たちが登場し、「イエーィ!サイコー!」と凄いテンションで体当たりされる。肉弾的な勢いに押され、ぼくは後方に尻餅をつき、受け身の取れぬまま、仰向けにすっ転ぶ。熟女たちの歓迎のパワーを受け止める反射神経と筋力はない。これは幻覚ではない、なぜなら倒れて打ったケツが痛い、だからリアルな現実だ。彼女たちは大会スタッフなのだろうか、選手サポーターなのだろうか? とにかく全身全霊で歓迎して下さっているようだ。あるいは酔っ払い?
 この宴を、冷静に見つめている視線に気づく。ずいぶん先に進んでいるはずの江口さんが悠然とチェアに腰掛けお茶している。「江口さん、まったりしてる時間ないっすよ。制限時間ギリですよ」とうながすと、「じゃあ一緒にゴールするたい」と腰をあげる。熟女たちの歓迎で5分ほど時間を使ってしまったため、まったく余裕がない。ゴールまで残り3.7キロ、ハイペースで走らないとタイムオーバーだ! 江口さんは、「けっこう脚にきとるばい」と言いそろりそろり足を進める。 「江口さん!のんびりしてる間ないですよ。マジで時間ギリギリですから!」と急かしても、彼は「もうここまで来たらゴールしたようなもんばい。スタッフにも電話で連絡してあるし、問題ないたい」と全然走ろうとしない。江口さんがあまりに自信満々なので、ぼくも(日本海まで来たらゴールってことにしてくれるんかなぁ)などと思いはじめる。この頃、ぼくの知能指数はIQ10まで急下降し、正常な判断能力はない。
 ところが制限時間まで残り10分を切ったあたりで、江口さんの携帯電話が鳴る。どうやら先にゴールした知人ランナーから(このままじゃ制限時間内ゴールができないよ!)と怒られているようだ。電話を切ったとたん、どんなに急かしても走らなかった江口さんが「間に合わんばい!」と猛スパートをはじめる。
 置き去りにされアゼンとするぼくと相棒・山口君。南無三、追走開始だ。しかし、体力の残り火は少なく、脚はよれよれ。先行する山口君が地図を片手に残りの距離を確認しながら叫ぶ。「このままじゃ、やっぱ間に合わないっす。走ってください!」。ぼくはジョグペースでしか進めない。
 なにやら急速に時間内ゴールするのが嫌になってくる。(ここで時間内完走できんかったら記録上はリタイアってことになるな。そしたら悔しくなって来年も出場せざるを得んようになる。ほの方がええなぁ)なんて考える。来年も走れるって想像すると嬉しさがこみあげニヤニヤ笑いはじめる。「あー、なんかやる気なくしてる。真剣に走ってください!」。振り返った山口君が呆れかえっている。「520キロ走ったけど、最後は熟女に押し倒されてゴールに間に合わんかったとかネタとしておもろいだろ? 今回はほの結末でええわ」。なんと心地よいやる気のなさよ!
 (やっと時間から解放された、ぼくは今、自由だ! さらば川の道よ、また来年会おう)などと感慨にふけりながら新潟の夜景を愛でつつチンタラ走っていると、遠くのビル陰からもの凄い勢いで誰かが近づいてくる。手にはスターウォーズのライトセーバーみたいな赤く光る武器をもっている。男は大声で何やら怒鳴っている。とっさに(わぁ、赤鬼!)とびっくりし、一瞬(殴られるか?)と身構える。
 もちろん殴られはしなかった。どうやら大会関係者のようだ。ライトセイバーかと思った光る物体は誘導棒だった。男性スタッフが大声で叫ぶ。「急いで、急いで! 制限時間迫ってますよ!永久ナンバーがかかってますよ!全力で走って!」。誘導棒でぼくを鞭打つかのように、叱咤激励が入る。その瞬間(全力でいかなければ!)とスイッチが入る。全身の筋肉にゴーサインが入る。100メートルスプリントの勢いで猛スパートをかける。おぅ、まだこれだけ走れる熱量があったんだ。身体が気持ちいいくらい前にすっ跳んでいく。脚が空中でぐるんぐるん回転する。ゴールの白いテープが遠くに見え、スローモーションのように近づいてくる。やっぱし全力疾走は気持ちいい、最高だ。残り1分、残念ながら制限時間に間に合ってしまいそうだけど、でもまぁいいか。来年もまた、出ればいいんだから。
               □
 520.0キロ地点(ゴール・新潟県「ホンマ健康ランド」)。タイムは131時間58分12秒・・・つまり5日と11時間58分12秒だ。48人の520キロコース出走者のうち時間内完走は31人。もちろんぼくがビリである。
 ゴールテープの真横に「ホンマ健康ランド」の玄関がある。気力やら根性やら魂やらを総動員してゴールしたあとは、もう走れないし、歩けない。だから這っていける距離に宿泊施設を用意してくれてる主催者のはからいが嬉しい。
 「ホンマ健康ランド」の入口フロアには、ともに川の道を走った懐かしい面々が、もう一歩も歩けないと座り込んでいる。出会ってから数日なのに旧知の同級生に再会したような気がする。みな微笑んでいる。完走した人も、リタイアした人も、これ以上出せないという所まで力を振り絞った。だから緩んだ顔の筋肉で力なく笑っているんだと思う。
 巨大な温泉施設である「ホンマ健康ランド」の浴室には、魂が抜けたようなランナーのシカバネがあちこちに転がっている。兵共が夢のあと。ゆっくり眠ってください。お風呂で溺れないように、風邪をひかないように。皆さん、おつかれでした。
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 レースから1カ月が経った。レース前に比べ体脂肪率が16%→10%に落ちた。足の裏のマヒがようやく取れはじめた。夢の中で3日に1度は川の道を走っている。目が覚めるとレース中じゃないことに気づいてがっかりする。苦しくて、痛くて、眠くて仕方がなかったあの世界に、はやく戻りたいとムズムズする。520キロを冗談交じりに駆け抜けていったタフなランナーたちに早く再会したい。これはきっと中毒なのだ。