バカロードその16 スパルタスロンへの道 2 連戦連敗の夏

公開日 2010年09月30日

文=坂東良晃(タウトク編集人、1967生まれ。18〜21歳の頃、日本列島徒歩縦断、アフリカ大陸徒歩横断など約1万キロを踏破。男四十にして再びバカ道を歩む、か?)

(前回まで=超長距離走の世界最高レースともいえるスパルタスロン。246キロを36時間以内、完走率30%前後の過酷なレース。実力をわきまえずエントリーしてしまったバカ男は、特訓と称して裸足で走りはじめたり、モヤシばかり食べたりと、怪しい方向へと道を踏み外しつつあった)


 スパルタスロンにゴールテープはない。
 レオニダス王の巨大な像の足の甲に触れる。それがゴールの証しである。紀元前480年、たった300名の兵を率い、100万人の軍勢を擁するペルシア軍に戦いを挑んだ(まゆつばな話)英雄レオニダス。そのゴールに直立する像の足元には、「欲しくば獲りに来い」と書いてある。
 なんと短く、誇り高く、人の心を動かす言葉か。
 求めるものは向こうから転がり込んではこない。自分から進んでいかなくてはならない。逆に考えるなら、目標は逃げはしない。レオニダス王は2500年もの間、スパルタに立っている。その場所に、自分の脚で、行けばいいだけのことだ。

 スパルタスロンという大一番に向けて、この夏ぼくは伝説ともいえる快進撃をつづけた・・・というストーリーであるはずだった。
 しかし現実の人生は、司馬遼太郎が描く剣士ほどに波瀾万丈ではなく、スコット・フィッツジェラルドの造り出す主人公のようにお洒落にはいかない。
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 6月初夏、今年も北海道の東のさいはてを訪れた。
 「さいはて」と呼ぶと地元の人に失礼なのかなと思う。ヨーロッパ人に日本を極東(ファー・イースト)と呼ばれるのと同様だ。東の極みってどーゆーことよ。お前ら中心に物事を考えるなコノヤロー、となる。いや極東と当て字をしたのは他ならぬ日本人自身か。    
 「さいはて」は漢字で書けば最果て。最も離れた場所って意味。地元民はそんなこと他人に言われたくないだろう。と思いきや、道東(北海道東部)に行くと、あちらこちらの看板に「さいはて」という言葉が踊る。さいはて市場にさいはてラーメン、旅情が観光産業をうるおし金を生むんだから、自ら最果てを名乗るもアリか。
 地元民の思いはともかく、ランナーにとってはこんな果ての地まで向かうことに大きな意味がある。仕事を休み、飛行機を乗り継ぎ、空港からレンタカーやバスで何百キロと移動してでも出場する100キロレース。サロマ湖100キロウルトラマラソンは、他の和気あいあいとしたウルトラ系の大会とは違うガチ勝負の緊張感がある。
 サロマは、ぼくにとって特別なレースだ。はじめて100キロに挑戦したのがおととしのサロマ。80キロの関門を超えて気を失いリタイアした。はじめて100キロを完走できたのも、このサロマ。1年前だ。記録は11時間45分。
 それから1年間に100キロ以上の大会を7本走り、ずいぶん自信をつけた。練習で走る30キロや50キロのペース走の感じなら10時間を切るのはさほど難しいことではなく、今年はうまくいけば9時間も切れると踏んでいた。
 スタートからキロ5分で入る。後半多少ペースダウンしても8時間台を出せるペースだ・・・という目論見は、わずか30キロで瓦解した。前日、開催地である北見市は気温37度を記録。地元テレビのニュース番組は、6月の観測史上、過去最高だと繰り返した。レース当日も、午前中から気温はぐんぐん上昇30度に達し、10キロをすぎると噴き出す汗でシューズが水浸しになった。タッポンタッポンと重くなったシューズを恨みながら、ほどなく強烈な疲労感が襲ってきた。「なぜこんな早くへばるのだ?マジか自分?」と責めてもどうにもならないのがマラソンってヤツである。マラソンはメンタル・スポーツと言われるが、一度へばった身体を精神力で蘇らせられるほど甘い競技でもない。クリーンヒットされヒザから崩れ落ちたボクサーが、根性では立ち上げれないのと同様だ。
 30キロで目標タイムをあきらめ、50キロでサブテンをあきらめ、60キロで自己ベスト更新をあきらめた。エイドで立ち止まらないという自分ルールを捨て、絶対にレース中に歩かないという鉄則も投げ捨てた。その先は、あきらめるモノも捨てるモノも見当たらなくなった。
 72キロのエイドでトイレに入り、お小水の準備にとわがナニを取り出すと、その先っぽが今まで見たことのない色・・・真紫色に変色している。もしかしてインポテンツになるのではないかとの恐怖におののき、「不能か、完走かの二者択一ならどっちを選ぶか」などと下らないテーマについて1時間も考えながら走った。
 やがて何もかもあきらめきったあと、せめて完走だけはという最低レベルの蜘蛛の糸にだけはしがみつき、12時間05分ゴール。よれよれで初完走した去年よりさらに20分も遅い。「サロマは暑すぎた」。それが自分を納得させる唯一の失敗理由だった。要するに、自分のせいじゃないって!

 7月、高知・汗見川清流マラソン。去年まではのんびりした田舎の行事って雰囲気だったが、今年からランナーズチップが導入されたり、木造のゴールゲートやら特産品マーケットなどが用意されたりして、立派なマラソンイベントに変わった。過去の9.7キロという中途半端な距離設定も、きちんと計測されたハーフマラソンの距離になった。中間の折り返し地点までは延々と登り、復路は下るだけ。キツい終盤のほとんどを下っていけるのはラクなコースといえる。最低でも1時間35分で走りたい。夏場にそれくらいのタイムを出しておけば、冬には1時間20分台にもっていける。道路の電光掲示板は朝から気温32度を示している。今日もまた激暑の予感がする。
 蛇行する山道をイーブンペースでゆく。坂道といってもトレイルレースに比べたら平地みたいなもん。登りながらキロ4分30秒でラップを刻んでいる。こりゃ後半の下りで4分10秒くらいまで上げれるから、とんでもないタイムが出るね!なんてウキウキ気分の痛快通り。
 ところが折り返しをUターンすると、身体が自分のもんじゃないような重さ。下り道だよ、楽勝の予定だよ、今からスピードアップするはずだよね。思いとはウラハラに脚には鉛、腕には鉄アレイ、頭は孫悟空を戒める輪っかがハメられたよう。やがてキロ4分台を維持できなくなり、5分30秒に落ち込む。筋肉が収縮を忘れ、タプタプした水袋になったかのよう。重いだけで仕事をしない。残り3キロ、ついに走れなくなり立ち止まる。道路脇に山水が噴きだしているパイプがあり、頭からドゥドゥと水をかぶる。不自然なほど全身びしょ濡れになってゴールするとタイムは1時間49分。服もシューズも着けたまま、水道水をホースで全身に浴びせながら、ハーフマラソンですら「完走」できないのかとうなだれる。
 「汗見川は暑すぎた」。練習のタイムトライアルでは、1000メートルでも、5000メートルでも速くなっている。レースに限って失速するのは「暑すぎるから」。そうに違いないって!

 8月、北海道マラソン。夏場に行われる国内最大規模のフルマラソンの大会だ。おととしまでは制限4時間のシリアスレースだったが、去年から5時間に緩和され多くの市民ランナーが参加できる大会になった。とはいえ実業団選手にとって世界選手権の選考レースであり、札幌の中心街を駆け抜けるコース設定、テレビの生中継もあって、華やかで洗練された大会であることに変わりはない。
 最低でも3時間20分を切りたい。ゆっくり入って、25キロから徐々に上げていき、35キロから全力モードに入る、というレース計画でのぞむ。
 スタートの号砲が鳴る。極限まで脱力し、どこの筋肉にもいっさいの力を入れない、という意識を確認。「これはジョグだ、25キロまではジョグだ」とぶつぶつ唱える。
 息も切れず、沿道の応援に笑顔でこたえ、すがすがしく前に進む。キロ4分40秒前後でラップを刻む。これだけ力を入れずにこのタイムなら上出来。後半にたっぷり余力を残せている、と嬉しくなってくる。ただ両方のヒジから、したたるように汗が落ちていく。この分じゃ2〜3リッターはすぐに流れ出てしまいそうだ。
 20キロ手前で腕時計に表示されたラップタイムを見て、目を疑う。5分42秒で止まっている。距離表示の間違いかと思う。いやしかし日本陸連の主催大会で距離間違いなどあるはずがない。次の1キロは5分22秒、その次も5分41秒。勝負所の25キロのはるか手前で失速開始だ。「またかよ」と思う。サロマ、汗見川、そして北海道。いずれも終盤の勝負ポイントのはるか手前で自滅がはじまり、あとは対処しようがなくなるの繰り返し。
 1キロに6分かかりはじめる。何もかもから逃げだしたくなる倦怠感。水分補給しても胃から喉に逆流する。1キロが本当に遠い。走っても走っても次の1キロの看板が見えてこない。
 40キロ手前で脚がつるかつらぬかの微妙な状態がつづき、この感じから逃げたいと立ち止まって脚の屈伸をすると、そのまま完全に痙攣がはじまった。道路脇の街路樹のたもと、土のうえに座り込む。股関節と両脚と腹筋が痙攣して、どの関節も曲げられない。下半身をピンと伸ばした変な格好で、痙攣よ治まってくれと嘆く。
 ふと見れば、あちらこちらでランナーが倒れていて、大会スタッフが介抱している。担架が運ばれたり、サイレン音も高らかに救急車が近づいてきたり。大会スタッフがこっちに気づきにじり寄ってくる。ヤバイ、このままだと病院連行だ。ムリヤリ笑顔を見せ「ちょっと屈伸してまーす」と元気に挨拶、ヨッコラショッと立つフリをする。
 どんな落ち込んでもせめてサブフォーだけは、と攣ったままの脚で歩きはじめる。歩幅はわずか30センチのよちよち歩き。結局、40キロからの2.195キロに20分以上かかりゴールラインをまたげは記録は4時間05分。さて今回の失敗の言い訳は何にしようと考える。「札幌は暑すぎた」。そろそろこの理由は通用しなくなってきたんじゃないか?

 9月、猛暑はおさまる気配もない。東京で行われる神宮外苑24時間チャレンジは、24時間走世界大会の日本代表を決める重要レースだ。1周1.3キロの周回路を走り、24時間で走破した距離を競う。200キロを越えたら一流どころ。日本代表に選ばれるためには230キロ以上は稼ぎたい。
 しかしぼくときたら、この夏ハーフ、フル、ウルトラと、3本のレースすべてに失敗し、その悪夢を払拭しようと月間500キロを走り込み続け、肉体も精神も疲労困ぱい模様である。何かを達成したトップアスリートでもないのにバーンアウト状態。走る前からヘトヘトなのである。
 再び気温34度の熱帯日和のなか、直射日光を全身に浴びながら、黙々と周回路を走る。いや、やはり走れない。24時間走という競技は、この日に向け1年間きちんと準備をこなしても厳しいものなのだ。走る前からフラフラの人間に何ができようか。10時間もかけて80キロをようやっと過ぎたあたりで、それ以上走る気力が失せ、自ら走路を外れてアスファルトの地面にうつ伏せる。少し眠れば体力も回復するかと睡眠を試みたが、大会テント用の発電機のエンジン音が耳をついて眠れない。ムリにでも寝てしまおうと睡眠導入剤を飲むと、眠れない代わりに、江戸末期の庶民のような「ええじゃないか」的な投げやりで浮かれた気分に満ちてきた。もうこれ以上は走れはしない、ほれでええじゃないか。自分は弱い、そう認めざるを得ない、ほれでええじゃないか、ええじゃないか。
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 スパルタスロン出場に向けてこの半年、めいいっぱい走り込んだ。当然、走行距離に見合う実力がつくものだと信じてである。だが夏のレースは4本とも全滅。それもタイムが去年より遅くなったというレベルの失速ではなく、レースを途中棄権するに等しい失敗を重ねたまま、一筋の光も見えぬままギリシャに向かうことになった。
 ひとつだけはっきりしたことがある。現在の実力ではスパルタスロンの時間内完走・・・246キロを36時間以内完走は200%ムリだってこと。
 ならば、ならばである。
 どうせ負け戦なら潔い負け方をしよう。前半自重なんかせず、突っ込んでやろう。後半に力を溜めているうちに、関門の制限時間に引っかかって、不完全燃焼のままオメオメと帰国するくらいなら、無謀な賭けに出てやろう。スタートと同時にフルマラソンのレースのつもりで全力でいこう。あとは野となれ山となれだ。
 誰かに羽交い締めにされて止められない限り、ゴールのレオニダス王を目指して脚を前に繰り出そう。わずか300人で100万人の軍隊に突っ込んでいった(まゆつばですが)英雄の元に歩み寄るレースなのだ。
 「欲しくば獲りに来い」。
 獲りにいってやるさ。全力で。                   
                                         (次回いよいよ本番に突入)