バカロードその17 スパルタスロンへの道 3 スタート!

公開日 2010年10月29日

文=坂東良晃(タウトク編集人、1967生まれ。18〜21歳の頃、日本列島徒歩縦断、アフリカ大陸徒歩横断など約1万キロを踏破。男四十にして再びバカ道を歩む、か?)

(前回まで=超長距離走の世界最高レースともいえるスパルタスロン。246キロを36時間以内、完走率30%前後の過酷なレース。実力をわきまえずエントリーしてしまったバカ男は、毎月500キロを走り込む荒業を課すが、肝心な大会を前に疲労困憊してしまう)
 午前7時。あたりはまだ薄暗い。
 スパルタスロンは、静かにはじまった。 
 号砲は鳴ったのだろうか? 少なくともぼくの耳には届いてはいない。
国内の大会でありがちな派手なセレモニーも、有名人のあいさつもない。代わりに300余名のランナーたちが発する地の底から湧き上がるような嘶きが空気を揺らす。それは夢の地へと駆け出す嬌声であり、走力の違う仲間と交わす健闘を誓いあう最後の言葉であり、自分にムチ入れる気合いの唸りである。それらが混じり合い、静かだが熱いエネルギーを秘めた塊となる。大きな精神の塊が一群となって坂を下っていく。ぼくはその熱に包まれるように走りだす。
 ギリシャの首都アテネの中心部にそびえる小高い丘・アクロポリスは、平坦な市街地から要塞のごとく70メートルの高さでせり出している。スパルタスロンのスタート地点は、アクロポリスを象徴する世界遺産・パルテノン神殿のたもとだ。市街へと続く急な坂を駆けおりていると、徐々にアテネの街並みがパノラマ映像のように視界を占拠する。今、この目で捉えている広大な土地の地平線よりも遙か遠くまで、ぼくたちは自らの脚で移動するのだ。
 軽い、と感じた。身体が軽い、羽毛布団のようだ。脚は気持ちよく前に振り出され、胴体は直立し、石畳の硬い路面に対して正しく垂直に加重をかけられている。ジョグペースながら、ふつうに走れているという事実に胸が躍る。
 レースを前にして体調は最悪であった。能力をオーバーした距離練習で疲労が蓄積し、朝は布団から立ち上がれず、パンツをはこうとすれば立ちゴケする。職場では1ケタの暗算ができず、旧知の人の名前が出てこない。このままではフルマラソンの距離ですら走れそうにない。最後の賭けだと、日本を発ちアテネに入りレースまでの4日間、受付や荷物預けなどの必要以外は身体を動かすことを止めた。ひたすらベッドに横になり、眠れるだけ眠り、食事を採りつづけた。はたして作戦が功を奏したか。この身体の軽さ、疲労が完全に抜けた状態になっている!
 アクロポリスを取り巻く公園地帯を抜けると、2、3車線の広い車道が縦横に伸びる商業エリアに入る。交通の要衝であろうすべての交差点に警官が立ち、自動車の侵入を遮断する。われわれの走路を確保するために、首都アテネの交通を麻痺させているのだ。たった300余人を走らせるために、いったい何千人、何万人のギリシャ人の協力があるのか。
 四方八方から長押しされるクラクションは、「青信号なのに早く行かせろよ、バカ野郎!」の抗議の表現であり、またランナーへのエールとも受け止められる。ま、現実は抗議8に対し応援2くらいなんだろうけど。
 スタートから10分。すでにランナーの列は1本に長く伸び、集団後方からスタートしたぼくの位置からは、先頭はおろか最後尾も見えないほどだ。実力のある選手、あるいはスタートダッシュをかける選手はキロ4分程度で進んでいるだろう。一方、制限時間ギリギリで関門突破を計りたい前半温存型の選手はキロ7分前後。その思惑の差が、300余人の距離を遠ざける。
 道は思ったより走りづらくない。アスファルトは確かに日本のものより硬い気がする。また、表面が滑らかではなく凹凸があり、砂利が散在しているため、長時間走っているうちに細かな筋肉を使ってしまいそうだ。しかし、それはギリシャの道路事情がどうというよりも、比較対象する日本の道路が整いすぎているだけのこと。
 次第に建物がまばらになり、森林が見える郊外に出ると交通規制が解ける。一般道路ながら道幅は広い。時速100キロくらいの猛スピードで走り去る大型トラックの風圧を感じなから、路肩を走る。ストライドは快調に伸び、次々と前方の選手をとらえ、追い越していく。身体は相変わらず軽い。勾配のある登り坂が1キロも続くが苦にならず、平地のようにキックが効く。下りともなればなおさら身体にキレを感じ、スピードはぐんぐん上がる。
 前ゆくランナーを追い抜きざまに横顔をかいま見れば、とんでもないレベルの選手たちである。日本国内のウルトラやフルマラソンの大会で優勝経験のある方、24時間走や100キロの日本代表となり世界を舞台に活躍している方、そしてスパルタスロンを幾度も完走し、上位入賞経験のある方。どうなってんだ、こりゃ?
 やがて視界の奥にオレンジ色の回転灯を点滅させたパトカーらしきものが見えてくる。まさか、あれは先導車?ってことは先頭集団が見える位置まで来てしまった? ペースを考えずに気の向くままに飛ばしてたらエライことになったぞ。
 スパルタスロンでは1キロ、5キロなどキリのいい地点の距離表示はない。3キロ前後に1度はあるエイドステーションに通算距離を示した看板が出ているが、たとえば12.7キロなどと半端な距離であるため、頭のなかでペース計算できない。だから今現在のペースがつかめない。
 突っ込んでる意識はない。レースの雰囲気をたっぷり味わいながら、気持ちよく超有名ランナーの方々を抜き去るぼく。そして今、スパルタスロンという世界最高の舞台で、先頭の見える位置につけている。も・し・か・し・て・・・ぼく、絶好調なのかーっ! 全盛期の中畑清も真っ青の有頂天気分が大脳を駆けめぐる。
 嗚呼、今までどんな距離のレースに出ても、ロクな結果を残せなかった。そこいらへんの市民ランナーよりよっぽど月間走行距離は多いのに、10キロでも、フルでも、100キロでも、必ず最後には潰れておじいちゃん、おばあちゃんランナーに励まされ、よろめきゴールする。短いのも弱く、長いのも弱く。才能は光らず、努力は実らず、走った距離に裏切られ・・・。
 しかし本日の調子の良さったら何だ? もしかして、ぼくはスパルタスロンを走るために生まれてきたのではないか。適性距離はここにあったか。眠っていたウルトラランナーとしての資質が今覚醒しつつあるのではないか。凡人ランナーとしての凡庸キャリアは、スパルタで戦える肉体とスピリッツを養成するための神が与えし試練だったに違いない!
 ・・・かくしてぼくの未明の暴走劇は加速度を増すのである。要するに勘違い大バカ男。とめどなく溢れ出すアドレナリンに支配された、走る合法ドラッグ患者である。
 漫画家・福本伸行なら、この軽薄ランナーをどのように表現するだろう。

 有頂天・・・・・・
 恥を知らぬ有頂天・・・!


 20キロを1時間30分台半ばで通過。
 フルマラソンの自己ベストくらいの速いペース。つまりは無謀。
 愚か者に、魔の手は静かに忍び寄らない。
 自らをスパルタの申し子とした躁病男に対し、ツケは明白に、一気呵成に、津波のように押し寄せる。
 
 最初の異変は左足甲の骨。不安の種のような小さな鈍痛は、5キロも進まないうちに焼けつくように熱く、ズキズキと血管を脈打ち勢力を拡大。着地するたびに脳天まで稲光が貫く。疲労骨折の経験はないけれど、こういうことなのか? たまらず道端にエスケープし靴下をめくると、紅くブヨブヨと腫れあがった足の甲が現る。靴ヒモをゆるめると少し痛みが引くが、走りだすと靴の中いっぱいに腫れ上がった足が圧迫感で爆発しそう。たまらずまた立ち止まって靴ヒモをゆるめる。これを何度も繰り返し、最終的にはヒモをまったく締めていない状態になる。
 次の変調は右足首。薄いナイフでシュッと切り裂かれたような鋭い痛み。振り返って足首を見ると、シューズの上辺部分のソックスに穴が開き、足首に2センチの裂傷がある。出血がシューズを染めている。ずいぶん走り込んできたけど、こんな場所に靴ズレ起こすなんて一度も経験ない。
 30キロも走らぬうちに至る所に故障を抱え、走りがギクシャクしはじめる。痛みは庇ってはいけない。痛みに耐えて正しいフォームで走らなくてはならない。フォームが崩れると、いろんなパーツが壊れはじめる。そうはわかっていても、レース序盤の故障という事実に平常心を失う。両足をかばいながら走った結果、股関節が痙攣をはじめる。全体の6分の1も進んでないうちに痙攣かよー? これから200キロ以上、どうごまかしながら走るってーの。やがて痙攣は大腿部の裏やふくらはぎにも拡がる。
 塩分が足りないのか。エイドには大会サイドが用意した塩があると聞いたので、日本から持参したアジシオは封印した。が、実際にはエイドに塩は見当たらなかった。いや、あったのかもしれないが見つけられなかった。
 246キロの道程にエイドは全75カ所。平均3キロに1カ所という重厚なサポート体制が敷かれている。しかしレース序盤のエイドに置かれているのは水、コーラ、スポーツドリンクらしき飲料と、ビスケットやクラッカーなどの揚げ菓子。暑さと渇きから揚げ菓子を口にする気分には到底ならない。だが、こいつで塩分を補給しないと、他にミネラルを得る手段がないと気づいたのは後のこと。
 一方、コーラや他の炭酸飲料はスパルタスロン名物の「水割り」である。コーラ20mlに対し水100mlほどを足した超薄味のコーラが提供される。最初の数エイドではこの水割りコーラを飲んでいたが、飲んでも飲んでも喉が渇く。エイドのたびに3カップずつ喉に流し込んでいると、そのうち内臓が受けつけなくなってきた。
 胃のムカムカ感が抑えられなくなり、いっそ吐いてしまえば楽に走れるかと、道端に寄って無理やり吐いてみた。真っ黒な吐瀉物が大量に噴きだす。きっとぜんぶコーラだな、こりゃ。一度吐くとすっきり楽になる。だが、すぐに喉が渇きはじめる。次のエイドで水割りファンタオレンジらしきドリンクを飲む。するとまた吐き気がこみ上げ、飲んだばかりのファンタを全部戻す。今度のゲロはオレンジ色である。飲めば吐き、吐けば渇き、乾けば飲む。ムダで苦しい行為が続く。
 20キロあたりまで大量にかいていた汗が、1粒も流れなくなる。皮膚全体に白い塩が浮く。カラカラに乾いた肌に直射日光が当たると、皮膚の表面がチリチリ焼けるように痛む。汗は重要な体温調節機能である。その機能が完全停止している。苦しい、痛い、気持ち悪い・・・。
 体調悪化とともに思考もネガティブ・スパイラルに入っている。これじゃあダメだ。景色だ、景色を観て心を癒そう。
 永遠に続くかと思う長い坂道を登っては下る。ゆずの「夏色」のサビの部分が、エンドレスで頭の中に響く。やがて広大なエーゲ海が眼下に開ける。どこまでも透明で碧く、高級なゼリースイーツのよう。そういえば小学生の頃、版画家・池田満寿夫がメガホンをとった「エーゲ海に捧ぐ」というエロい映画を観たくて仕方なくて、映画館に忍び込もうとして失敗した。「11PM」で今野雄二あたりが映画の解説やってるの見て静かにコーフンしたっけ。幼少期の記憶ってすごいな。いまだにエーゲ海ってえとエロ映画(本当は芸術大作らしいですが)のエロ場面しか連想されない。その憧れの地を、30年という時空を経て今ゲロ吐きながら走ってるんだな。エロス&ランニング・・・だからどうしたってんだ。痛みをごまかすためにムダに思考を巡らせ、なおさら疲れる。ダメだ〜。
 40キロのタイムは3時間45分。322人中113位で通過(後に確認した公式記録)。だが、このタイムと順位ほどに余裕はない。レース前半の最大の山場である第一関門・港町コリントス(80キロ地点)をクリアする可能性が乏しく思えてくる。80キロを9時間30分以内で入れば関門突破できるコリントスまでは、スタートからキロ6分30秒ペースで進めば問題ないと安直に計算していた。だが、今は手の届かないユートピアのガンダーラ。一度も経験したことのない体調変化がぬらぬらと妖怪のように頭をもたげ、国内レースからイメージする通過タイムや距離と一致しない重いダメージが蓄積している。
 足の甲の腫れはいよいよひどく、痙攣はあちこちに飛び火する。対処方法が見つからない。5分だ、5分だけ休んで、復活に賭けよう。オリーブの巨樹のたもとに横になる。木の幹に両脚を90度にかけて血液を上半身に戻す。
 こんなんで腫れは引くのかよ、この苦しさに耐えながらあと20数時間も走れるものか、と逃げ腰の自分が叫ぶ。そもそもがレベルの違いすぎる舞台なんだよここは、とストライキのシュプレヒコールをあげる。
 何を言ってるんだ?とムカッ腹が立つ。この日のためにどれだけ練習してきたんだ。完走、するんだよな?と本来そうあるべき自分が軌道修正をはかる。
 まぁまぁ、せめて第一関門くらい超えようよ、それができたら自分に合格点をあげるってのはどう?と妥協点をさぐる打算的な仲介役も登場する。どうも〜、コント・ビリー・ミリガンでございます的な独り芝居を繰り広げ、無益に5分が過ぎる。
 立ち上がろう、走ってみよう。少し復活している。遅いけど走れる、スピードをあげても走れる。
 なんか、はじめてサロマを走ったときに似てるなぁと懐かしくなる。走っても走っても関門の閉鎖時間に間に合いそうになくて、それでも全力で走って、最後は80キロで崩れ落ちたっけ。しかしあの頃はフルマラソンすら走り通せる力もないのに100キロに挑戦して、ペースも考えずに突っ込みまくったな。ははは、2年経ってもやってることは同じ、あまり成長してないな。いや、あの頃の方が今よりよっぽどチャレンジしてたな。マタズレ金玉たくし上げて、夢中で走っていたじゃないか。
 工場地帯のなかを貫く一本道がどこまでも伸びている。ギラギラ輝くエーゲ海の太陽に射られながら、ぼくは遠くに見えるランナーの背中を追いかける。完走よりも、関門突破よりも、今この瞬間にできることをやろう。この土地で、全力を出すためにやってきたんだから。先のことを考える思考の余力を削ぎ落とし、前のランナーに食らいつくことだけを考えよう。今のぼくにできそうなことは、それくらいのことだ。       
(つづく)