公開日 2010年11月30日
文=坂東良晃(タウトク編集人、1967生まれ。18〜21歳の頃、日本列島徒歩縦断、アフリカ大陸徒歩横断など約1万キロを踏破。男四十にして再びバカ道を歩む、か?)
(前回まで=超長距離走の世界最高レースともいえるスパルタスロン。246キロを36時間以内、完走率30%前後の過酷なレースのスタートが切られた。大舞台の高揚感に飲み込まれ、序盤からぶっ飛ばしたツケは早々にやってきた。脚の故障、痙攣、嘔吐などに見舞われボロボロになっていく)
(前回まで=超長距離走の世界最高レースともいえるスパルタスロン。246キロを36時間以内、完走率30%前後の過酷なレースのスタートが切られた。大舞台の高揚感に飲み込まれ、序盤からぶっ飛ばしたツケは早々にやってきた。脚の故障、痙攣、嘔吐などに見舞われボロボロになっていく)
スパルタスロンを幾度も完走しているベテランランナーたちは「復活」という言葉を好んでつかう。同宿のランナーとの会話に初めてこの言葉が登場したときは、正確な意味がつかめなかった。
「復活」とは、100キロ以上走り、精も根も尽き果て、肉体も精神も限界寸前の状態から、再び蘇ることを指す。エイドや道ばたで一定の休息・睡眠をとって「復活」する場合や、歩きを交えながら活動量を抑え「復活」を遂げることもある。246キロ先のゴールに至るまでは、「復活」を4度、5度と繰り返しながら、満身創痍で前進しつづける。
この言葉、前向きに捕らえれば、どんな苦境に追い込まれても我慢しているうちに必ず光明は見えるって金言。現実に即して考えるならば、「もうダメだ」という状況を何度も乗り越えられる人間的な強さがないと、ゴールには届かないって戒め。
第一関門であるコリントス(81キロ地点)まで残り20キロ。一度完全に潰れた体力が戻ってきた。キロ8分台まで落ちていたのが6分まで上がっている。これは「復活」に該当するのか。否、なんだろうな。アップダウンの多いアテネからの道をハイペースで走ったことで潰れるべくして潰れ、活動量が低下したため血糖やら乳酸値やら心拍数やらが平静に戻った、それだけのことだ。「復活」という言葉が喚起するドラマチックな物語はない。もっと壮絶で、もっと身体に鞭打たれるべき道のりがコリントスの向こう側には用意されている。
あるイメージが頭の中を占拠している。巨大な象だ。その象は背丈が高すぎて、ぼくからは太い幹のような脚しか見えない。その足元でうごめく貧相なアリ一匹。スパルタスロンは巨象、ぼくは貧相なアリ。巨象はぼくの存在に気づかない。ぼくは象の足によじ登ろうともがく。勝負にならない戦いだ。
追い抜き、追い抜かれる際に、ランナーが声を掛けてくれる。
地元のギリシャ人ランナーが、バテているぼくを見かねたか、ビスケットを取り出し「食べろ」とさしだす。「喉が渇いて食べられないよ」とカサカサの舌を見せると、「ダメだ!食べないと走れないよ」とムリヤリ口に入れられる。自分のために用意した補給食なのにすまないな。そして、かなりのおせっかいだなと呆れる。
韓国人ランナーを追い越す際に、後ろから「日本人のハートを見せろ!」とエールを贈られる。振り返れば、何やらビビンバ風の丼メシを食べながら走っている。タフで器用な男だ。
ベテランらしき日本人ランナーが、「練習のつもりで走ればいいから。練習で走ってるペースで行けば間に合うから」と指導してくれる。そうだ、能力以上の走りなんてできっこないんだ。超長距離走に奇跡は絶対に起こらない。日々、朝に夜に練習で走っている自分自身をここで再現する以外に道はないんだ。
コリントス運河手前の長いだらだら坂にさしかかる。コリントス運河は、ギリシャ本土とペロポネソス半島を隔てる地峡に掘られた人工の運河だ。大げさに考えるならユーラシア大陸本土の文化と、エーゲ海に点在するコロニーのような島社会との境界線とも言える。
多くのランナーは坂道を歩いている。万策尽きてランニングを中止したのではない。戦略上、登り坂は歩きと決めている選手は多いのだ。このような選手は、歩きといえどジョグペース並みに速く、キロ8分とか9分でぐいぐい前進する。だから、潰れた状態でよろよろ走っていると、歩きに抜かれたりもする。
丘の頂上からは、人間の手で掘られたとは信じられない長さ6000メートルの運河の切り立った岩壁や、コリントス市街の展望が俯瞰できるが、感慨にひたっている余裕はない。関門閉鎖まで時間がないのだ。「第一関門までいかに力を温存できるかが、完走のポイントだ」と何人もの経験者が教えてくれた。だが、温存どころか出せるものを全部出し切らないと、81キロを越えることすら叶わない。
コースが市街地の平坦な歩道に変わると、キロ5分台の速いペースに上げる。
全力、全力、全力。
ヘバッて動けなくなろうと失神しようと、とりあえずは関門を越えないと話にならない。そこから先に何がはじまるのかは、到達してみなくちゃわからない。
ゴールゲートにも似た第一関門が見える。スタートから9時間25分。関門閉鎖まで残り5分。やっとこの地に届いたのだ。
コリントスのエイドには、大きなテント村ができている。
先着のランナーたちがマットに寝そべりマッサージ師に身体をほぐしてもらっている。彼らは前進をあきらめたのだろうか。立ち上がる気配はない。ここまで来たのに、もったいない・・・と他人事のように思う。
では、ぼくは前進するのか?
関門を超えたら胸に去来するものがあるかと想像していたが、ただ真っ白だ。足元定まらず千鳥足で歩いていると、ふいに名前を呼ばれる。顔見知りのランナーだ。スタート地点へと向かうバス車中で席が隣になった中谷さんだ。偶然だが彼も徳島出身なのである。ぼくよりだいぶレベルが上のランナーなのに、どうしてここにいるんだろう?
中谷さんは「脚が全部痙攣してしまって、ほとんど歩きでここまできたんです。もう先に進むのは厳しい・・・」と半ば諦めたような口ぶり。それを聞いた瞬間、ぼくの口から意外な言葉が出る。「いけます、いけますって。係の人に止められるまで行きましょう。ぼくはもっと先まで行きますよ!」。偉そうな御託を口走りながら、よくそんなこと言えるな、と自分に呆れる。ほんの数分前まで(もうダメ、はなからレベルが違う世界だ)(初挑戦だし、コリントスまで走って完全燃焼もありってことで)なんて逃げの口実を探していたヘタレ男がだ。中谷さんは「行けるとこまで、行ってみます」と椅子から立ち上がり、脚を引きずりながらコースに戻っていく。歩くのが精いっぱい、本当に具合が悪そうだ。
中谷さんが去ったあとのベンチに横たわり、樹木と空を仰ぎ見る。夕焼け時には少し早い。薄いあかね色が青空を侵食しはじめている。
ぼくは、立ち上がれないほど消耗しているのか?
いや、していない。
まだ走れる。走れるんだから、もっと先に行かないといけない。
自分を止めるのは関門の制限時間というルールであって、自分が走るかどうかはルール外の意思の問題だ。
自ら走るのを放棄するくらいなら、誰かに止められるまで走ろう。
いや、でもそれって、判断を他人に任せてるってことだろう。自分で決意してやめる方が潔いんではないか。
いったい潔いのはどっちなのだろうか。
いや、潔いとか潔くないとか、そんなことどっちでもいいんじゃないか。
えーい、ややこしい。ありのままの感情はどうなんだ?
もっとこの先の風景が見たい! ならば走ろう!
テント村で飲めるだけのドリンクを胃に流し込み、全身にかぶり水をして、ふたたび道路へと飛び出した。夕陽が射すぶどう畑のなかを、1人走り続けた。次のエイドを撤収時間ギリギリに超えた。「いけるぞ、もっと進め!」とエイドのスタッフが背中を押してくれた。
その次のエイドでは撤収時間を30秒過ぎてしまっていた。係員らしき人に「前に進んでいいか?」と聞くと、黙って目を閉じ、ゴールの方角へと顔を向けた。「見てないから、行っていいよ」という許しだ。
走りながら、悔しさのあまり泣けてきた。
これは何に対する悔しさか? 本来のルール上の関門閉鎖まで残された時間と、消えかかったローソクのともしびみたいな体力をてんびんに掛ける。
事実上、もう完走は無理なのだ。だから悔しいのだ。
今頃になって自覚する。自分はほんとうに完走したかったのだ。
完走できないから泣いているのだ。
決められた時刻に、決められた場所まで達していなければならない。その決めごとに、ぼくの脚はついていけなくなった。
夕闇が迫る第25エイド。大会係員のおじさんが道路の真ん中に仁王立ちしていた。両腕を拡げて、満面の笑みをたたえて。つまり、これ以上は何がどうあっても進めないよ、という確固たる意思表示である。終わったのか、と思う。たった90キロと少し走っただけで、たった11時間走っただけで、スパルタスロンが終わった。これが自分の力だ。2010年という時間に、ぼくが持ち合わせていたすべての力を使い果たしたのだ。
□
「ゴールを見た方がいいよ」と、同じエイドでリタイアしたランナーにアドバイスされた。「何時間見続けていても飽きないから。本当に感動するし、感動だけじゃなくて羨ましさとか、自分が完走できなかった悔しさがごっちゃに入り混じって、絶対この場所に自分も来なくちゃいけないって思うはずだから」。
翌日、スパルタ市街のメインストリートで、ゴールへと続く500メートルの直線道に立って、帰還するランナーたちを迎えた。
246キロの苦難を乗り越えたランナーたちは、やせ細って別人の顔をしていた。36時間の間に体重が10キロ以上減少したランナーもいた。ゴールをすると多くの選手はそのまま医療テントに運ばれ、栄養剤の点滴を受ける。さながら野戦病院の様相だ。
ウイニングランを見守っていて既視感を憶える。これはいつかどこかで見た風景だ。どこだろう?
選手1人1人を白バイや先導車が誘導する。
観客の歓声と拍手がランナーをつつむ。
自転車に乗った街の少年たち何人もが、ランナーを取り囲む。少年たちにとってすべてのランナーが英雄なのだ。
ランナーは笑い、ランナーは叫ぶ。
ランナーは全身で歓びを表現し、ランナーはただ泣きじゃくる。
ふいに既視感の元となる映像が脳裏に蘇る。古いドキュメンタリーフィルムで見たベトナムの街だ。それはベトナム戦争終焉の象徴的な場面として、何度もニュースで流された映像だ。
南ベトナム解放戦線の兵士たちが、トラックの荷台に何十人と乗って、銃を持った拳を空中に突き上げながらサイゴンに入城するシーン。長い抑圧に耐えたベトナム国民、サイゴン市民にとって、勝利が確約された瞬間、消耗の果ての歓喜の爆発、自由へのおたけび・・・。
なぜ、競技スポーツのラストシーンと戦争の終焉を重ねてしまうのか。
スパルタスロンもまた戦争なのだ。
ランナーは誰かと戦ったわけではない。血を流したのでも、国や家族を守ったのでもない。極限の環境下で自分と戦い、信念を守りきったのだ。1人1人が自ら打ち立てた高くて遠い到達点に立ち向かい、最後まで希望を捨てず、自分の内にある弱さと戦いつづけ、勝利した。それがスパルタロンの完走者なのだ。
もう理屈抜きでこの場所に還ってこなくちゃ、となっちゃうよねこりゃ。まったく困ったもんだ。