バカロードその29 北米大陸横断レース LA-NY 2011 ステージ46〜ステージ50

公開日 2011年08月11日

■8月3日、ステージ46

距離/88.4キロ

大会開始以来、2番目に長い距離。今日も生き残りました。しかし、もうへとへと。ゴールしてホテルの部屋に倒れ込み、ベッドに横たわれば、ぴくりとも動けません。足の裏は饅頭をくっつけたように腫れあがり、ジンジン焼けるように熱いです。

シューズの状態がとても悪いです。そもそもぼくの補修の仕方に問題があります。ミッドソールと呼ばれる靴底の軟らかい部分、衝撃吸収してくれる所をすべて擦り減らし無くしてから、タイヤの切れ端を貼っつけてたんです。
タイヤ材は高さをかさ上げはしますが、材質としては非常に硬質なんです。これでは、靴底の硬いビジネス革靴を履いて80キロ走っているようなもんです。
多くのランナーは10足から20足のシューズを大会用に持参しています。底が擦り減れば即新品に交換。
ぼくはたったの3足。そして3足とも既に靴底の軟らかい部分はなし。タイヤの補修もヘタクソて、時にハイヒールを履いてるような不安定。ナイフで削ったり、ヤスリで磨いたり。チクショー!走りにくいよー。

記録/14時間09分

■8月4日、ステージ47
距離/72.6キロ

朝起きると必ず鼻をかみます。大会2日目から45日間続けて出ている鼻血が、朝には2センチ大の血栓となって鼻の穴を完全封鎖するからです。
今朝も鼻血の塊を出そうと思いっきり鼻をかむと、鼻腔にひっかかる物なく鼻息が空振りしました。45日ぶりに鼻血が止まったんです。ついに自然環境に順応する日が来たのかな。今ごろ遅すぎ?

朝から調子よく飛ばしていましたが、20キロ過ぎに右脚のスネがズキズキ痛みはじめ、30キロあたりで走行困難な強い痛みになりました。氷をあてがい、強い鎮痛剤を使用限度を無視して飲みましたが、脳天まで突き抜ける痛みは変わりません。骨にヒビが入ったのかと疑うほどです。
怪我した右脚以外を総動員して前進します。左脚で踏ん張ります。腕を振ります。
10メートル走っては痛みで止まり、歩きで繋ぎながら、次の走る準備をします。10メートル走り、10メートル歩く。気が遠くなるくらい同じことを繰り返しました。
ゴールにたどり着けば、もはや10センチの段差も越えられない痛み、筋肉疲労。
走っても走っても、ぼくは強くなれません。大会初日を除いてまともに走れたことなど一度もありません。
「数千キロを走る大陸横断レースでは、速いランナーが完走できるとは限らない。最後まで走り続けられたランナーこそが結果として強いランナーに成長してるんだ」と大会開始前にベテランランナーの方が教えてくれました。
確かに生き残っている選手たちは精神力も肉体の強さも走力も凄いです。それに比べてぼくは、怪我をしてない時はなく、心はもろく、秀でた走力もありません。5000キロも走るんだから、最後の方になると凄く強いランナーになってるかもな、なんて淡い期待を抱いてましたが、まったく逆です。もはや走ることすらままならない身体になっています。明日、ぼくはスタートできるんだろうか。

記録/12時間9分

■8月5日、ステージ48
距離/76.0キロ

朝起きたら右脚の痛みが消えている…という淡い期待は叶いませんでした。状態は昨日より悪く、ホテルの階段をなかなか降りることができません。ロクに歩くこともできない人間が、今から数分後から何十キロも走れるんだろか?
スタートの合図の後、当たり前のようにすべてのランナーが走り去ってしまい、走れないぼくは一人取り残されました。必死に歩きました。歩くだけでは制限時間に間に合いませんが、他に方法が見当たらないので歩きます。暗闇を、ヘッドランプの明かりを頼りに、息が切れるまで必死に歩きます。

雨が降りだしました。朝から雲が出るのは珍しく、ましてや雨が降るのは初めてです。本降りが3時間も続きました。傷めた患部が冷やされ、少し痛みが引いてきました。峠道の登り坂に差しかかる頃、ひょこひょこ走れるようになってきました。
何か大きな力を感じざるを得ません。今回の大会では、もうダメだってときに、何度も偶然や自然現象によって救われています。だからって神様仏様の存在を感じるほどの感受性はありません。ただ「まぐれにしてはできすぎている」という出来事が多いなと感じてます。
ヨロヨロ走ってるぼくを大会スタッフが見つけると、車で併走しながら「ニューヨークに行こう!君にはニューヨークが見えてるだろ!走れ!行けBANDO!」と励ましてくれます。
でも今のぼくにはニューヨークは見えません。明日どころか今日、どこまで走れるのかもわかりません。10キロ先まで進めているのかすらです。
本当に本当に疲れきってゴールしました。痛みは右足首まで拡がり、90度のまま動かすことができません。伸ばしても曲げても激痛です。最悪と思っていた今朝よりはるかに悪化しています。ますます明日が見えなくなっています。

記録/13時間02分

■8月6日、ステージ49
距離/68.3キロ

今までの怪我は、最初ガツンときて、毎日10パーセントずつ回復していく感じでした。今度の右脚スネの故障は、毎日悪化し続けています。この行き着く先が怖いです。
なんで50日近く走って今更こんな怪我…と苛立ちます。痛みはすべての精神活動を停止させます。朝3時50分に目覚ましが鳴り起きると、90度のまま動かない足首にがっかりします。スタートラインにつくまでの数十メートルの移動に冷や汗を流します。手摺りがないと階段は昇降できません。
朝5時にレースが始まり夕方ゴールするまでの十数時間、感情の90パーセントは「痛い」に支配されています。逃れられない痛みに心が鬱屈し、この状況から逃れたいという弱い気持ちが噴出します。「リタイアを宣言して車で搬送してもらい、ホテルのベッドで一日中寝てられたらどれだけ気持ちいいだろう」と何度も思います。
今日も積極的にレースを組み立てる余裕もなく、ただただ制限時間にギリギリ間に合うペースを守ることだけを求め、走ってるんだか歩いてるんだかわからない奇妙なフォームで、果てのないイバラの道を行きました。
1キロを10分で進めば何とか制限時間に間に合いますが、キロ10分を維持できません。息を切らし、顔を歪め、脂汗をじっとり滲ませ、必死に食い下がります。
失格時間の9分前にゴールすると、もう一歩も歩きたくなく、その場に崩れ落ちました。

記録/11時間51分

■8月7日、ステージ50
距離/87.4キロ

87キロという距離を、いったい全体どうやって壊れた脚で走り切れるというのでしょうか。
完全に追い込まれました。今日でぼくのレースが終わるなら、せめて攻めに攻めて終わりたい。破れかぶれでも前を向いて走りたい。怪我を気にして下をうつむいたままの恰好で、ぼくのレースに終止符を打ちたくない。
不意にある場面が脳裏に浮かびます。「五体不満足」の著者、乙武君があるプロ野球の試合の始球式をする映像です。彼はリリーフカーに乗らず、ベンチから猛ダッシュでマウンドに向かいます。彼がこんなスピードで走れるなんて、という驚きと、四肢の欠けた彼に対して「わーすげー」と素直に驚きを表現できない複雑な気持ち。それから彼はちゃんとグラブをはめ、硬式ボールを首と肩にはさみ、彼が考案したらしいピッチングフォームで、バッターの近くまで球をちゃんと投げ、また走って帰ったのだった。
記憶は曖昧なんだけど、その映像を見た時の気持ちは「恰好つけやがって」でした。ハンデキャップを逆手にとって誰がどう見ても圧倒されることをサクッとやりやがって。カッコイイね。
今走りながらぼくは、乙武君の百分の一の努力もしてないことに気づきます。脚がいくら痛いといっても、立ち上がれないほどではないし、足首が曲げられなくても、走るのに障害になるほどじゃない。
何かあるはずだ。何が方法があるんだ。
それからいろんな試みをしました。ある特定の足首の角度で、ある脚の踏み出し方ををすれば、痛みが少ないことに気づきました。現在、故障の少ない左脚のキックをロスなく推進力に変える方法も見つけました。
しかしたったこの程度のことです。ヒントをくれた乙武君に深々とこうべを垂れたいです。
そして、どんな状況でも、笑って前に進むためにここに来たことを思いだしました。
人間の身体とは不思議なものです。前向きに克服しようとすれば、「そうか。治したいなら、治してやる」というエネルギーが患部に集まり、腫れ、熱を持ち、膿を出しながら自己治療に入る気がします。
痛さが度を過ぎて麻痺しているのかどうかわかりませんが、ラスト30キロは久しぶりに痛みから開放され、走れました。
ゴールした直後、主催者ロールさんやセルジュ選手に怪我の具合を聞かれ「人間の身体は不思議です。あんなに痛かったのがランニングを続けていたら治りました!」と満面の笑顔で説明し、さて椅子から立とうとすると、自力で立てません。激痛をカバーするため必死に走り続けた全筋肉がいっせいに休養に入った模様です。まったく人体ってどんな仕組みでできてるんでしょか。

記録/14時間50分