バカロードその32 北米大陸横断レース LA-NY 2011 ステージ61〜ステージ65

公開日 2011年08月25日

8月18日、ステージ61
距離/78.8キロ

遠い昔、地理の教科書に載っていた記憶のあるアパラチア山脈に今日から突入しました。眉山の八万口の急坂を朝から晩まで登り降りしてるみたいです。山地といっても街はあり、けっこう大きな都市も控えています。アパラチア山脈を抜けるまで4日かかる予定です。
昼過ぎに大きな校舎がある高校の前を通りかかったら、30人くらいのブラスバンド部のメンバーがマーチング音楽を奏で始めました。なんと、ぼくたちランナーの登場を校庭で待ち構え、一人ひとりに演奏してくれてるのです。先頭からビリの選手まで全員が通過するまで3時間はかかったはずです。しかしマーチング音楽にこんなに心を揺さぶられるとは。
生徒たちの大声援を背に、街を去りました。その後、急峻な峠道に差し掛かったんですが、下の街からは後方のランナーを応援する音楽がいつまでも聴こえてきました。
そういや昨日は「IラブNY」のTシャツを着たおじさん2人がビデオカメラ持って車から降り立ち、「君はBANDOだろ。君はホントに頑張ってるよ。最高だよ!」ってな感じでチューでもしそうな勢いで迫ってきました。大会のホームページを毎日見ていて、選手のファンになったんだとか。
最近はテレビ局の撮影部隊がやってきたり、「LAから来たんだって?信じらんねーぜ」なんて応援にやってくる車も多いです。みんなどこから情報得てんでしょうね。

さて今日も左膝と左脚の裏を傷め、ラスト20キロをほとんど脚引きずりながら歩きました。
途中、巨大な原子力発電所が道端にありました。ボロっちいフェンスで隔てられてるだけで、誰でも侵入できそうです。アメリカは不思議な国です。

NYまで657キロ、あと9日

記録/12時間39分


■8月19日、ステージ62
距離/82.2キロ

アパラチア山脈の核心部を走る今日は、累積標高差2000メートル。距離も長く、とても厳しい一日です。
壁のようにそびえ立つ登り坂。こりゃ崖かとつっこみたくなる下り坂。
下りは時間を稼ぐためにぶっ飛ばして走り、登りは走れる極限までゼーゼー粘り、もう足が前に出ないってくらいスピードが落ちたら後は大股で歩きます。
前の方でイタリアチームの兄ちゃん2人が大騒ぎしています。大きなクマが道を横切ったんだ!と一眼レフのカメラとビデオカメラ持って、クマが消えた崖を登ろうとしています。彼らはプロのカメラマンなんです。しかし逆襲にあったらどーすんだろね。
五大陸走破者セルジュ選手の伝説とも言える「走りしょんべん」をついに目撃しました。それは想像を絶する姿でした。例えとして最もふさわしいのは、象の水浴びです。セルジュ選手は自分のを片手で持ち、ブオンブオンと振ります。おしっこは鮮やかな軌跡を描き、左側に撒き散らされます。現在、主催者から立ちしょんのマナーについて厳しく注意されており、ランナーは皆、木陰で用をたすようにしてますが、ぼくとの一騎打ちの最中に伝説の走りしょんべんをしてくれたことは、ぼくを戦う相手と認めてくれたって事でしょう。今後の人生において大きな自信と財産になりました。
ゴールまで10キロを切ったあたりで、前方の空にもくもくと発達していた巨大な積乱雲に稲妻が走り、雷鳴が地面までバキバキと落ち、土砂降りに襲われました。びしょ濡れでゴールしたら甘いスイカが待っていました。美味しかったです。

NYまで573キロ、あと8日。東京〜神戸間の距離。けっこう近いね!

記録/13時間09分


■8月20日、ステージ63
距離/81.6キロ

今日はベストレースができました。最初から最後まで妥協することなく、登り坂はどんな苦しくても走りきり、下り坂は痛みを理由にスローダウンせず攻めに攻めました。
これ以上、脚がぶっ壊れることはないだろうし、壊れたって這ってでもゴールするから、全力疾走します。アメリカという土地を、街を走れるのもあと1週間。今を全力で走りたい。
でも、このレースの残り1週間が、日本で過ごす1週間より価値があるものであってはならないと思います。このレースも必死でやるけど、日本の生活でも、いずれ立つアフリカの土地でも、なりふり構わず必死で生きるんです。
人は…いやぼくは、基本的には弱く、プレッシャーや苦しみにすぐ押し潰されそうになるけど、逃げ場を絶って、シャニムニ立ち向かう無謀があります。選択肢をなくし、自分にはこれしかやることがないと決めたら、あとはやるだけなんだ。

けっこう上位でゴールし、消耗しつくしてぼーっとしてたら、後からゴールに入ってきたアレキサンドロ選手がぼくの方に歩みより「いい走りだった!よかったな!」と身体をぶつけるように激しく抱きしめられました。
ふだん冷静な彼が、こんな熱い行動をするなんて。互いに怪我で苦しみ続けたから、脚を引きずりながら苦闘している姿を嫌というほど見ているから、自分のこと以上に相手の回復を願っているんです。
しかし男に強く抱きしめられるってこうゆうものなのかー、と少しボーッとしてしまいました。

NYまで492キロ、あと7日

記録/11時間19分

■8月21日、ステージ64
距離/74.3キロ

距離が短いので油断してたら大変な目にあいました。80キロレベル6連戦ですっかり消耗し、体重を支える筋力が脚に残っていません。少し走ると着地と同時にひざがカックンと抜けます。抜けすぎて転倒寸前に至ります。そのうち足首までもカックンしだし、カックンカックンと糸で吊られた操り人形のようになり、危なっかしくてスピードを出せません。
痩せ細った脚は自分のものとは思えず、二本の不安定な棒をうまく使ってどうにか走る格好に似せている感じです。
日中の気温も上がり、体力が残ってないのも手伝って、意識遠くふらふらでゴールしました。
ニューヨークまで1週間。ぼく以外のランナーは、ライバルとの競争を楽しんだり、あるいはスピードを緩めアメリカの街や風景を愛でながら走っている人もいます。
ゴールまでの数日間をともにするため、ヨーロッパなどから家族や恋人が集まりはじめています。マスコミで報道されているのか、すれ違う車からの応援が一段と多くなってきました。
大会主催者は、ニューヨーク・セントラルパークでのゴールの方法について、いろんなアイデアを考えているようです。
フィニッシュに向けて徐々に環境が変わっていくなか、いまだ関門時間と戦い、もがき苦しんでいるのはぼく一人です。

NYまで412キロ、あと6日。

記録/12時間24分


■8月22日、ステージ65
距離/78.5キロ

ひざカックン病は今日は出ない雰囲気です。昨日ろくに走れなかったため、筋力が復活したんでしょう。
きつい勾配の登りをタンタカ登っていたら、前にランナーが見えてきました。うわっ!総合2位のパトリック選手です。彼はどんな登りでもキロ6分で刻むイーブンペーサーで、最も尊敬するランナーです。がぜん燃えてきました。ペースをあげ忍び寄り、抜き去るときは一気呵成です。「ハロー!」と余裕の挨拶をし、そして逃げに逃げます。
息もゲロゲロに2キロくらい全力で走り、振り返るとパトリックが笑顔で手を振っています。そして「ハロー!アゲイン」と追い越していきます。ムカつくので再び追走し、こっちは「ハロー!アゲインアゲイン」とブチ抜くと、今度パトリックはTOTOの「ロザーナ」を歌いながら抜くので、ぼくはホール&オーツの「プライベート・アイズ」の鼻唄を奏でてやり返します。抜きあいっこはゲームのようにつづきます。朝の光が降り注ぐ森の中の峠道がキラキラ輝いて見えました。20キロすぎまで粘りましたが、最後は軽くちぎられて終わりました。ランニングは実力どおりの結果しか出ないのです。

30〜40キロあたりではランキング選手4人が視界に入る数百メートル内に揃いました。レース中盤では珍しいことです。互いに意識しあって、スピードがぐんぐん上がります。とにかく皆、大人と言われる年齢にも関わらず、極端な負けず嫌いで、意地になって相手をちぎろうとします。こんなレース中盤でスパート掛け合ってどうするの?と思いながらもスピードを落とせません。汗みどろになって走りながら思います。「みんなホントにバカだ。そしてぼくはこの男たちが大好きだ!」。

ゴール7キロ手前くらいから、遠く前方に見え隠れしていた日本人ランナー越田さんにラスト1キロで追いつきました。2人ともやる気のないフリをしながら、明らかにピッチがあがっています。
しかしラスト500メートルの大きな交差点で信号待ちにかかてしまいました。「ここまで来たら一緒にゴールしようか」と柔和な笑顔で越田さんが言うので、「嫌です!これレースですから」と完全拒否しました。
すると越田さん「しょうがねえな」と捨てゼリフをはくと、悪人の表情に一変し、猛烈なスピードで走りだします。後ろに着くのがやっとですが逃がしません。ゴールのフラッグが見えてきたラスト150メートル地点で、ぼくはトップスピードに移り、追い越しました。
ちなみに越田さんを追い越す時は「おい越田!(追い越した)」と声をかけるのが本人いわくマナーだそうですが、今はそんなヒマありません。
。完全に差し勝ちした、と思った瞬間、もの凄いダッシュで差し返され、完全に競り負けしました。負けたクソー!でも気持ちいいぞー!

今日は一日中、誰かと競いあってました。走るって行為は子供でもできるほど単純なのに、こんなに楽しく、すばらしいものなんだって思えました。

NYまで339キロ、あと5日。
記録/11時間10分