バカロードその36 北米大陸横断レース LA-NY 2011 ステージ69

公開日 2011年08月31日

■8月26日、ステージ69
距離/77.3キロ

絶望的に身体が走ることを拒否しています。走れるのはあとたった2日。だから走る意思は強くあるのに、鉛の脚はどこまでも重く、視界30メートルの霧のなか、集団から取り残されます。体力、もうとうに限界越してるんでしょう。
20キロすぎに右足を着地した際、足の裏からスネ、そして頭の先まで電気が流れました。今まで味わったことのない衝撃で、以降は右脚全体に力が入らなくなってしまいました。
峠道に入り、後ろから股関節を大負傷しているパトリック選手が顔を歪めながら登り坂を駆けてきます。どっちの負傷の度合いがきついのかはわからないけど「怪我人に負けとれん」という気持ちに火がつき、以後25キロ彼と抜きつ抜かれつを繰り返しました。最も尊敬するランナーの彼と、最後にこんな時間が持てたことが嬉しいです。パトリック選手には家族や知人など6人の応援団が車で追走していましたが、ぼくに対しても拍手と声援を送り続けてくれ、また彼の息子さんは信号がある度に、ぼくのためにタイミングよく歩行者用ボタンを押して待っていてくれました。
やがて脚がダメになりパトリックに置いていかれました。なんとかペースを維持して制限時間の5分前にゴールできるよう走っていました。
ところがゴールまで残り5キロ地点で道を見失いました。大会指定コース上に、あるべき曲がり角が見つからないのです。いったりきたりしてるうちに時間が過ぎていきます。そこに地元の女性市民ランナーがジョギングで現れたので、早口で事情を説明すると「わかったわ。私が先に行って指定の道路があるかどうか見てきてあげる!」。そして猛スパートて前方に消えました。何分も経たないうちに彼女が引き返して来て「500メートルいけば道があるわ!」。
道がわかったのはよかった。問題は当初指定より距離が1キロ長いのである。ダッシュしなきゃ時間に間に合わない! 残り5キロ、突然のラストスパートを強いられます。走る、走る。最後まで楽などさせてくれるはずがないじゃないか、この大会が! 必死こいて制限時間鎖3分前にゴールすると、主催者が待っていたので「距離が違〜う!関門アウトになるとこだった!」と訴えると、自信満々の表情で「私たちは完璧じゃない。1キロ、2キロ違うこともある。それがレースよ!ご不満?」と言うので「ぼくはドラマチックになって喜んでるだけだ。1キロどころか5キロ長くたって問題ない!」と虚勢を張りました。

夜、大会に関係する全メンバーが、ホテルのロビーに集まって、明日に控えるニューヨークのゴールについて主催者ロールさんから説明がありました。それは全てが想定外の話でした。


NYまで55キロ、あと1日
記録/13時間26分