公開日 2012年05月29日
文=坂東良晃(タウトク編集人、1967年生まれ。1987年アフリカ大陸を徒歩で横断、2011年北米大陸をマラソンで横断。世界6大陸横断をめざしてバカ道をゆく)
70年代。若きルポライター沢木耕太郎が「敗れざる者たち」で描いたのは、現役をとうの昔に引退したプロ野球選手が、復帰をめざして1日に40キロ以上のジョギングを続けている姿だった。けっして美しい物語ではない。精神に錯乱をきたした初老の男の哀れで切ない日々の繰り返しである。
70年代。若きルポライター沢木耕太郎が「敗れざる者たち」で描いたのは、現役をとうの昔に引退したプロ野球選手が、復帰をめざして1日に40キロ以上のジョギングを続けている姿だった。けっして美しい物語ではない。精神に錯乱をきたした初老の男の哀れで切ない日々の繰り返しである。
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どうしても、たどり着きたい場所がある。かつて世界に覇権を示し軍事国家として君臨したその地は、今は小洒落たカフェと農民が持ち寄る露天野菜市の立ち並ぶギリシャののどかな田舎町となった。スパルタ・・・たった1人の戦士の力が数百人もの兵力に匹敵したと言われる戦いのDNAは、この静かな街に住む人たちの身体のどこかに複写されているのだろうか。
ギリシャの首都アテネを起点に、246キロ離れたスパルタの街へとゴールするレース「スパルタスロン」は、難攻不落の要塞である。
制限時間は36時間。朝7時にスタートし、翌日の夜7時までにゴールに着かなければ失格となる。70カ所あるエイドすべてに時間制限が設けられている。 参加資格は100キロを10時間30分以内か、200キロ以上レースの時間制限内完走。この資格をクリアしたランナーが束になってかかっても完走率は30%程度だ。
0勝2敗。ぼくのスパルタスロンでの戦績である。
おととしと去年、2回出場して2度とも半分まですら進めなかった。1度目は91キロで時間制限にかかった。といっても関門のずいぶん手前から歩いていたけど。2度目は86キロであきらめた。走るどころか歩けなくなって、自分からリタイアを申し出た。
負けた理由をあげるなら100個は軽い。敗北の素を並べて市場が開けるほどだ。だけど、とどのつまり、理由は1つに尽きる。
「弱いから」。それだけである。
強い人は、何としてもゴールまで行く。猛暑でも、土砂降りでも、気を失う寸前まで追い込まれても、強い人はゴールにたどり着く。そうじゃない人は、100個以上ある「完走できない理由」のいずれかの該当者となり、レースから去る。
スパルタスロンの競技としての難しさはイコール克服の喜びの源泉でもある。速いだけでは完走できないし、長い距離を走れるだけでも完走できない。フルマラソンを2時間台で走る人も、フットレースで500キロを完走する人も、スパルタスロンは分厚い壁となって立ちはだかる。
スパルタスロンというひとつの競技には、いくつもの解決すべきテーマが内在されている。スタートから80キロの関門までは、アップダウンの連続する道を1キロ6分で押していく力が必要だ。しかも、力を出し切ることなく、相当な余力をもって80キロを迎えなければならない。制限時間は9時間30分だが、ギリギリ突破するのは現実的ではない。そのあとの関門時間を考慮すると、少なくとも30分、なるべくなら1時間の余裕が欲しい。
経験の浅いランナーの多くは、80キロまでに謎の体調不良に見舞われる。国内レースでは経験したことのない極端に乾燥した気候が、身体から水分をどんどん奪っていく。皮膚の表面に汗が浮かぶことはない。だから自分が脱水状態に陥っていると気づかない。乾ききった皮膚に強い直射日光が当たり、皮膚の表面温度が上昇する。熱くなった体温を放出できなくなり、身体がコントロールできなくなる。40キロまで物凄いスピードで走っていたランナーが、70キロあたりでゾンビのようにフラフラになっている様は珍しくない。
80キロを越すとレースは様変わりする。ぶどう畑と荒野を抜け、1200メートル超の険しい山岳地帯を深夜に越える。疲労の極から1キロ9分のペースを守ることが困難になる。ランナーは大量の痛み止めと、それを上回る量の胃薬と整腸剤を、用法を完全に無視して喉に流し込みながら前進する。体力を使いすぎて内臓に血液がまわらない。走るためには栄養分を補給しなくてはならない。だけど衰弱した胃が受けつけず吐く。吐くと走れなくなる。だから薬剤の力を借りてでも無理やりに胃腸を働かせる。
一昼夜かけて山岳地帯を抜けると、翌朝からは再び酷暑の地獄が待っている。消耗し、乾ききった身体にジリジリと焼けるような日射しが浴びせかけられる。このあたりの苦労は想像のらち外にある。ぼくはまだその地獄の入口までも行っていない。
スパルタスロンのことを思い出そうとすると、自分が走っている最中の光景よりも、リタイア後に収容された大型バスの窓から見た場面ばかりが浮かぶ。エイドの脇に停車したバスは、規程時刻に届かなかった選手を順番に拾っていく。満席に近づくごとに車中にはムンとした汗の臭いが充満する。上に戻している人は珍しくない。吐き気はあっても胃のなかは空だ。胃液のすっぱい匂いが混じり合う。
惨敗兵たちを乗せたバスは、次にリタイアするランナーを待ちながら、のろのろと移動する。車中からは、自分より前に進んでいる選手、まだあきらめていない選手の姿を見せつけられる。エイドに着くやいなや地面に尻餅をつき、そのままの姿勢で嘔吐する人。椅子に深く腰掛け、うつろな目で天を仰ぎ見る人。
顔見知りの選手が現れても、声をかけることをためらう。「がんばれ」も「まだいける」も言葉にできない。どんなセリフも陳腐で的はずれな気がするのだ。彼らはまだ戦っている真っ最中であり、自分はすでに戦いをやめてしまった人。目の前にいる知人は、手の届かない場所にいる人。
彼らはスタート地点とは別人の顔をしている。頬の肉がげっそりそぎ落ちている。1日半のレースで5〜10キロも体重が落ちるのである。人相が変わって当然である。
自分よりはるかに強いランナーが、こんなにも衰弱している。その姿を見て、今の自分には無理なんだと自覚する。だけど、こうも思う。無理なんだけど、ここまで走りたい。きっと走れなくはない。
真夜中。山岳地帯へとつづく長い長い峠の登り坂は、バスで移動していても終わりがないと思えるほど長い。収容バスが通る脇を、ヘッドランプの光を瞬かせて暗く険しい闇を黙々と走るランナー。言葉では表現しきれない、深い人間の営み。無益なもの、生産しないもの、ただ走るという行為に没頭する深い孤独。
やがて山の天気は一瞬のうちに崩れ、豪雨が地表を叩く。行き場のない雨水が道路を川に変え、ランナーの足の甲まで水で浸す。ランナーは冷たい水流に抗うように、水しぶきをあげながら前へ前へと進む。この人たちは何と強いのか。その姿は神々しく、気高い。さっきまで自分がこのレースに参加していたとは信じられない。自分とは別次元の強さだ。
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沢木耕太郎のルポルタージュを読んだのは30年も前なのに、ことあるごとに、かの選手の生きざまが頭をよぎる。「そうなりたくない」という気持ちと、「そうありたい」という気持ちが螺旋を描く。
世の中の多くのまっとうな人は、ピリオドの打ち方を心得ている。自分でできる範囲はこれだけ、とラインを引くことができる。年齢を重ねれるほどに人生を達観し、穏やかに時を過ごす。でもぼくはラインが見えなくなった狂ったお年寄りの話が忘れられない。
5月、67キロあった体重を61キロに絞る。あと1ヵ月でさらに6キロ落として55キロにする。全部で12キロ減量。朝は20キロのペース走。キロ5分25秒設定。重要なのは疲れないことだ。呼吸数と心拍数を平静時なみに保ちながら、楽に20キロを走り終える。追い込みはしないものの、4日目あたりから脚がずっしり重くなる。それでもペースを維持する。重くなってからの練習が実戦につながる。1日でも練習を休めば脚が軽くなってしまう。疲労が抜けた状態の練習は、役に立たない気がする。月に2度は100キロ程度のロング走をする。
食事は1日1食のみ。ボウル1杯の野菜を食べる。喉が渇けばアサヒ・メッツコーラをガブ飲みするが、特保の価値はよくわからない。口さみしさはミンティア・ドライハードで舌を焼いて散らす。それでも腹が減ったらトマトで飢えをしのぎ、水道の蛇口を針金で縛った力石徹の地獄をしのぶ。
スパルタスロンをライフワークにする気はない。もう二度とリタイアはしたくない。何が何でも今年、絶対にスパルタまで走りきる。脚を作り、高温に耐える身体に変え、鶏ガラ痩せになるまで絞り込む。何もかもやり尽くして、必ずスパルタのゴールにたどりつく。人生、うまくいくことなんてほとんどない。でも、たまにうまくいくことがある。それは偶然起こるんじゃなくて、針の穴を通すようなギリギリの可能性を信じて、無理やりこじ開けるものだ。
レースまであと120日。100%無理だとは、とうてい思えない。どんな困難でも克服できる方法があるのではないかと思う。あきらめたら終わりなのだ。あきらめない限り、負けではないのである。ケンカの理屈と同じである。100回つづけて負けていても101回目に勝てば、それ以降は勝者なのだ。